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高瀬たかせじょう

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高瀬たかせじょう
島根しまねけん
高瀬城遠景
高瀬たかせじょう遠景えんけい
城郭じょうかく構造こうぞう れんくるわしき山城やましろ
天守てんしゅ構造こうぞう なし
築城ちくじょうぬし べいはら
築城ちくじょうねん 戦国せんごく時代じだい
おも城主じょうしゅ べいはら吉川よしかわ元春もとはる
はいじょうねん もとかめ2ねん1571ねん)か
遺構いこう かくるい空堀からぼり虎口ここう
指定してい文化財ぶんかざい 指定してい[1]
位置いち 北緯ほくい3521ふん46.52びょう 東経とうけい13251ふん48.68びょう / 北緯ほくい35.3629222 東経とうけい132.8635222 / 35.3629222; 132.8635222座標ざひょう: 北緯ほくい3521ふん46.52びょう 東経とうけい13251ふん48.68びょう / 北緯ほくい35.3629222 東経とうけい132.8635222 / 35.3629222; 132.8635222
地図ちず
高瀬城の位置(島根県内)
高瀬城
高瀬たかせじょう
テンプレートを表示ひょうじ

高瀬たかせじょう(たかせじょう)は、島根しまねけん出雲いずも斐川ひかわまち神庭かみにわにあった日本にっぽんしろ

概要がいよう

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高瀬たかせじょうは、尼子あまこくみしたべいはらによってきずかれた山城やましろである[2]宍道湖しんじこ南岸なんがんおよ出雲平野いずもへいやさえとして重要じゅうようされ、尼子あまこじゅうはたひとつにかぞえられた。

構造こうぞう遺構いこう

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高瀬たかせじょうは、宍道湖しんじこ南岸なんがん独立どくりつせいたか丘陵きゅうりょうじょううらないし、山頂さんちょうだい高瀬たかせ一段いちだんがったしょう高瀬たかせ山麓さんろく付近ふきん鉄砲てっぽうりつ、のさんだんからなる。だい高瀬たかせしょう高瀬たかせあいだ鞍部あんぶには置場おきばばれるくるわぐんきずかれ、りょうだんあいだ接続せつぞくくわななきょくどうつうじて鉄砲てっぽうりつへも接続せつぞくする。

しゅくるわだい高瀬たかせとされるが、山頂さんちょうだい高瀬たかせそぎたいらあま小規模しょうきぼかくからなるのにたいし、しょう高瀬たかせ比較的ひかくてきだい規模きぼかくつらなることから、しょう高瀬たかせおもかくだい高瀬たかせつめしろかんがえるきもある。

しろいきには自然しぜん地形ちけいたくみに利用りようしながら、横堀よこぼりるいたてるいとを複雑ふくざつわせて構成こうせいした防御ぼうぎょ施設しせつ数多かずおお存在そんざいしており、守備しゅびがわのさまざまな工夫くふうはげしい攻防こうぼうせん事実じじつをうかがわせる。

現在げんざい登山とざんどうがよく整備せいびされ、容易ようい登城とじょうできる。地元じもとでは、べいはら落城らくじょうせずにめたという埋蔵まいぞうきん城内じょうないねむっているという伝説でんせつもある。

沿革えんかく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 出雲いずも市内しない指定してい文化財ぶんかざい一覧いちらん出雲いずも公式こうしきHP
  2. ^ 高瀬たかせ城跡じょうせき公益社こうえきしゃだん法人ほうじん 島根しまねけん観光かんこう連盟れんめい公式こうしきHP

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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