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とんびじょう

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とんびじょう
島根しまねけん
鳶ヶ巣山
鳶ヶ巣山とびがすやま
別名べつめい なし
城郭じょうかく構造こうぞう れんくるわしき山城やましろ
天守てんしゅ構造こうぞう なし
築城ちくじょうぬし 宍道しんじひさけい
築城ちくじょうねん えいただし年間ねんかん(1510年代ねんだい)か
おも改修かいしゅうしゃ 宍道しんじたかしけい
おも城主じょうしゅ 宍道しんじ尼子あまこ
はいじょうねん 慶長けいちょう5ねん(1600ねん
遺構いこう 曲輪くるわるいほり
指定してい文化財ぶんかざい 出雲いずも指定してい史跡しせき
位置いち 北緯ほくい3524ふん32.36びょう 東経とうけい13246ふん26.64びょう / 北緯ほくい35.4089889 東経とうけい132.7740667 / 35.4089889; 132.7740667北緯ほくい3524ふん32.36びょう 東経とうけい13246ふん26.64びょう / 北緯ほくい35.4089889 東経とうけい132.7740667 / 35.4089889; 132.7740667座標ざひょう: 北緯ほくい3524ふん32.36びょう 東経とうけい13246ふん26.64びょう / 北緯ほくい35.4089889 東経とうけい132.7740667 / 35.4089889; 132.7740667
地図ちず
鳶ヶ巣城の位置(島根県内)
鳶ヶ巣城
とんびじょう
テンプレートを表示ひょうじ

とんびじょう(とびがすじょう)は、島根しまねけん出雲いずも西林木にしはやしぎまちにあった日本にっぽんしろ出雲いずも指定してい史跡しせき[1][2]

概要がいよう

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ぽうふかたにかこまれた尾根おねすじきずかれた城郭じょうかくで、宍道しんじった。大内おおうち出雲いずも侵攻しんこういち時期じき宍道しんじわれたが、毛利もうり侵攻しんこうしたがふたた入城にゅうじょうした。その関ヶ原せきがはらたたかにより毛利もうり周防すおう長門ながとこくげんふうされ、宍道しんじもこれしたがはいじょうとなった。

戦国せんごく時代じだい当時とうじ宍道湖しんじこ城下じょうか付近ふきんまでひろがっており、北山きたやま山脈さんみゃく地域ちいきおよ宍道湖しんじこ水運すいうんさえる戦略せんりゃくじょう要衝ようしょうであった。

現在げんざいしろいき一帯いったいとんび城址じょうし公園こうえんとして整備せいびされている。

遺構いこうとして、山頂さんちょうしゅくるわ中心ちゅうしんとして放射状ほうしゃじょう曲輪くるわ展開てんかいするほか山麓さんろくには単純たんじゅん構造こうぞうながらかなりひろ曲輪くるわぐん存在そんざいしており、数次すうじ改修かいしゅう痕跡こんせきふくめ、とうしろは、毛利もうり出雲いずも侵攻しんこう支配しはいさいに、物資ぶっし集積しゅうせき中継ちゅうけいとしての機能きのうや、兵員へいいん駐屯ちゅうとんとしての機能きのう強化きょうかされていったとかんがえられる。

毛利もうり輝元てるもとらは、「尼子あまこ再興さいこうぐん」とのたたかいで、尼子あまこかた米原まいばらつなひろしもる高瀬たかせじょうおよびそのささえじょうぐん攻撃こうげきするさいに、とうしろ毛利もうりぐん拠点きょてんひとつとして使用しようしている。

沿革えんかく

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脚注きゃくちゅう

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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