黄き 筌(こう せん、拼音:Huáng Quán、生年せいねん不ふ詳しょう - 965年ねん(乾いぬい徳いさお3年ねん))は、中国ちゅうごく五ご代だい十じゅう国こく時代じだいの前ぜん蜀しょく・後こう蜀しょくの画家がか。字じは要よう叔。成都せいと府ふの出身しゅっしん。黄き氏し体たいを創始そうしした。
最初さいしょは前ぜん蜀しょくの後こう主あるじに仕つかえた。その後ご、後こう蜀しょくの翰林院かんりんいん待まち詔みことのりに登のぼり詰つめる。後こう蜀しょくの滅亡めつぼう時じに弟おとうとや二人ふたりの子こと開封かいふうに移うつり、そこで没ぼっした[1]。
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