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黒田くろだダム

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
黒田くろだダム
所在地しょざいち 愛知あいちけん豊田とよだ黒田くろだまち
位置いち
黒田ダムの位置(日本内)
黒田ダム
北緯ほくい3511ふん14びょう 東経とうけい13728ふん34びょう / 北緯ほくい35.18722 東経とうけい137.47611 / 35.18722; 137.47611
河川かせん 矢作川やはぎかわ水系すいけい黒田くろだがわ
ダムみずうみ 黒田くろだ
ダムしょもと
ダム型式けいしき 重力じゅうりょくしきコンクリートダム
つつみだか 45.2 m
つつみいただきちょう 332 m
つつみ体積たいせき 145,000
流域りゅういき面積めんせき 7.7 km²
たたえ水面すいめんせき 80 ha
そう貯水ちょすい容量ようりょう 11,050,000 m³
有効ゆうこう貯水ちょすい容量ようりょう 10,100,000 m³
利用りよう目的もくてき 発電はつでん
事業じぎょう主体しゅたい 中部電力ちゅうぶでんりょく
電気でんき事業じぎょうしゃ 中部電力ちゅうぶでんりょく
発電はつでんしょめい
認可にんか出力しゅつりょく
おく矢作やさくだいいち発電はつでんしょ (315,000kW)
施工しこう業者ぎょうしゃ あいだぐみ
着手ちゃくしゅねん/竣工しゅんこうねん 1973ねん/1980ねん
出典しゅってん [1]
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きゅう黒田くろだダム
所在地しょざいち 愛知あいちけん北設楽きたしたらぐん武節ぶせつむら大字だいじ黒田くろだ
位置いち
黒田ダムの位置(日本内)
黒田ダム
河川かせん 矢作川やはぎかわ水系すいけい黒田くろだがわ
ダムみずうみ 黒田くろだ
ダムしょもと
ダム型式けいしき 重力じゅうりょくしきコンクリートダム
つつみだか 35 m
つつみいただきちょう 150 m
流域りゅういき面積めんせき 7.4 km²
たたえ水面すいめんせき 45.3314 ha
そう貯水ちょすい容量ようりょう 4,528,598 m³
有効ゆうこう貯水ちょすい容量ようりょう 4,432,580 m³
利用りよう目的もくてき 発電はつでん
事業じぎょう主体しゅたい 矢作やさく水力すいりょく
電気でんき事業じぎょうしゃ 矢作やさく水力すいりょく
発電はつでんしょめい
認可にんか出力しゅつりょく
黒田くろだ発電はつでんしょ (3,100kW)
施工しこう業者ぎょうしゃ あいだぐみ
着手ちゃくしゅねん/竣工しゅんこうねん 1932ねん/1933ねん
出典しゅってん [2]
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黒田くろだダム(くろだダム)は、愛知あいちけん豊田とよだ黒田くろだまち矢作川やはぎかわ水系すいけい黒田くろだがわ建設けんせつされたダムたかさ45.2メートルの重力じゅうりょくしきコンクリートダムで、中部電力ちゅうぶでんりょく発電はつでんようダムである。同社どうしゃ揚水ようすいしき水力すいりょく発電はつでんしょおく矢作やさくだいいち発電はつでんしょおよびおく矢作やさくだい発電はつでんしょ上池かみいけ形成けいせい中間ちゅうかん調整ちょうせい富永とみながダム経由けいゆして下池しもいけ矢作やさくダム奥矢作湖おくやはぎこ)とのあいだみず往来おうらいさせ、合計ごうけい最大さいだい109まん5,000キロワットの電力でんりょく発生はっせいする。ダム人造湖じんぞうこ)の黒田くろだ(くろだこ)という。

歴史れきし

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矢作川やはぎかわ水系すいけい電源でんげん開発かいはつすすめていた矢作やさく水力すいりょくは、矢作川やはぎかわそそ名倉川なぐらがわ支流しりゅう黒田くろだがわをせきめ、たくわえたみず水力すいりょく発電はつでん利用りようすることを計画けいかく1930ねん昭和しょうわ5ねん)に黒田くろだ貯水池ちょすいち建設けんせつ事務所じむしょ開設かいせつされ、1932ねん昭和しょうわ7ねん)1がつ着工ちゃっこう1933ねん昭和しょうわ8ねん)7がつ完成かんせいした。当時とうじ黒田くろだダムはたかさ35メートルの重力じゅうりょくしきコンクリートダムであった。黒田くろだ発電はつでんしょ1934ねん昭和しょうわ9ねん)5がつより運用うんよう開始かいし出力しゅつりょくは3,100キロワットであった。

戦後せんご黒田くろだ発電はつでんしょふく矢作川やはぎかわ水系すいけい水力すいりょく発電はつでんしょぐん中部電力ちゅうぶでんりょくぐことになった。中部電力ちゅうぶでんりょくはたけなぎだいいち発電はつでんしょ高根たかねだいいち発電はつでんしょ馬瀬川まぜかわだいいち発電はつでんしょつづだい4の揚水ようすい発電はつでんしょ矢作川やはぎかわ水系すいけい建設けんせつすることを計画けいかく。そのうえとして利用りようされることになった黒田くろだダムには、既設きせつつつみたいコンクリートして10.2メートルかさげし、貯水ちょすい容量ようりょうを2ばい増強ぞうきょうされることになった。

中部電力ちゅうぶでんりょく1976ねん昭和しょうわ51ねん)におく矢作やさく水力すいりょく建設けんせつしょ開設かいせつ同年どうねん11がつより黒田くろだダムのかさ工事こうじ着手ちゃくしゅし、1978ねん昭和しょうわ53ねん)8がつ完了かんりょう同年どうねん9がつよりたたえすい開始かいしした。発電はつでん設備せつび中間ちゅうかん調整ちょうせいである富永とみなが調整ちょうせい富永とみながダム)も完成かんせいし、1980ねん昭和しょうわ55ねん)9がつおく矢作やさくだいいち発電はつでんしょ1号機ごうきおよびどうだい発電はつでんしょ1号機ごうき運用うんよう開始かいしした。1981ねん昭和しょうわ56ねん)2がつにはのこり4だい水車みずぐるま発電はつでん運用うんよう開始かいしし、合計ごうけい1,095,000キロワットを矢作川やはぎかわ水系すいけい最大さいだい水力すいりょく発電はつでんしょとなった。

なお、黒田くろだダムさい開発かいはつともない、黒田くろだ発電はつでんしょ黒田くろだダムを貯水池ちょすいちとして利用りようできなくなったが、出力しゅつりょくを3,100キロワットに現在げんざいいたるまで運用うんようつづけられている。

周辺しゅうへん

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上池かみいけ黒田くろだダム、下池しもいけ矢作やさくダム中間ちゅうかん富永とみながダムという3のダムを使用しようするおく矢作やさくだいいちだい発電はつでんしょであるが、もともとは富永とみながダムをかいさずに黒田くろだダムと矢作やさくダムとのあいだみず直接ちょくせつ往来おうらいさせる計画けいかくだった。しかし、当初とうしょ予定よていしていた導水どうすい経路けいろじょう伊勢いせしん断層だんそうがあることから、安全あんぜんせい考慮こうりょりょうダムあいだ中間ちゅうかん調整ちょうせいである富永とみながダムを建設けんせつすることになったのである。その結果けっかおく矢作やさくだいいちだい発電はつでんしょ世界せかいてきにもめずらしい2段式だんしき揚水ようすい発電はつでんしょとなった。

愛知あいちけん豊田とよだから国道こくどう153ごう飯田いいだ街道かいどう長野ながのけん方面ほうめんかってすすむと、小田木おたぎ交差点こうさてん到着とうちゃくする。この交差点こうさてん右手みぎてえる建物たてもの中部電力ちゅうぶでんりょくおく矢作やさくだいいち発電はつでんしょであり、これを左折させつするとまもなく富永とみながダム、右折うせつ山道さんどうのぼると黒田くろだダムにいたる。

黒田くろだダムによって形成けいせいされる黒田くろだ貯水池ちょすいちは「黒田くろだ」といい、湖畔こはんには黒田くろだきざまれた石碑せきひがある。そのとなりには戦前せんぜん矢作やさく水力すいりょく時代じだいからつづ黒田くろだダムの沿革えんかくきざんだちいさな石碑せきひがあり、このほかおく矢作やさくだいいちだい発電はつでんしょしょもと案内あんないばんがある。

なお、おく矢作やさくだいいち発電はつでんしょ構内こうないには、かつてピーアール施設しせつとしておく矢作やさく揚水ようすい発電はつでんかん存在そんざいした。図面ずめん模型もけいもちいて揚水ようすい発電はつでん仕組しくみを詳細しょうさい解説かいせつしていたが、2005ねん6月30にちをもって閉館へいかんした。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 電気でんき事業じぎょうしゃ発電はつでんしょめいは「水力すいりょく発電はつでんしょデータベース」、そのは「ダム便覧びんらん」による(2014ねん5月28にち閲覧えつらん)。
  2. ^ 座標ざひょうは「ダム便覧びんらん」による現在げんざい黒田くろだダムのものをもちいた(2014ねん5がつ28にち閲覧えつらん)。そのは「矢作やさく水力すいりょく黒田くろだ貯水池ちょすいち堰堤えんてい工事こうじ」による。画像がぞう国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんぞう愛知あいちけん案内あんない』299ページより。

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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