黒部峡谷(くろべきょうこく)は、富山県黒部市、黒部川中流 - 上流にある峡谷(V字谷)である。飛騨山脈北部を立山連峰と後立山連峰に分断する大規模な峡谷で、国の特別天然記念物(天然保護区域)及び特別名勝指定。中部山岳国立公園に含まれる。清津渓谷、大杉谷とともに日本三大渓谷に選定され、また日本の秘境百選の一つにも挙げられている。
現在では黒部湖を境に下流側が「下廊下」(しものろうか)、上流側が「上廊下」(かみのろうか)に分けられる。上廊下のうち薬師沢小屋から源頭部までは「奥廊下」(おくのろうか)と呼ばれる。黒部ダムが完成するまでは下廊下と上廊下の間に「中廊下」(なかのろうか)もあったが、現在は黒部ダムのダム湖である黒部湖の下に沈んでいる。ここでいう「廊下」とは「絶壁に挟まれた深い谷」を意味する。
一帯は古くから人が踏み入るのを拒む秘境であり、江戸時代でも加賀藩が国境警備と森林管理のために立ち入りを禁じ、黒部奥山廻り御用の役人が見回っていたに過ぎなかった。明治時代になると一般に開放され、峡谷を横断する有料道路(立山新道)が開通したほか、遠山品右衛門が平の小屋(後に黒部湖造成により水没)を建てる[1]など人の出入りが増え、多くの登山家たちが黒部を目指すようになった。中でも冠松次郎は精力的に峡谷を探検したことで「黒部の父」と呼ばれている。
峡谷では、大量の電力を必要とするアルミニウム精錬のための水力発電開発が第二次世界大戦前から行われてきた(「黒部川」及び「黒部ダム」を参照)。まず1920年、人員や資材を運ぶため、黒部川沿いの岩壁を鑿や鏨で削る水平歩道の工事が始まった[2]。その後、日本国内最大級のダムとなった黒部ダムは、工事用通路が後に一般に開放されて、峡谷を横切る立山黒部アルペンルートの一部として観光開発されている。交通アクセスが格段に改善したことで、黒部ダム一帯は年間1000万人以上が訪れる観光地に発展した。また、宇奈月温泉を始め黒薙温泉、鐘釣温泉など温泉地が点在しているため、この温泉地をつなぐ黒部峡谷鉄道が観光に一役買っている。
もっともこれらの観光地は峡谷全体から考えるとごく一部であり、現在も人を寄せ付けない断崖絶壁の世界が一面に広がる。
「下ノ廊下」または「下の廊下」とも表記される。黒部峡谷の中でも心臓部に当たる区間で、花崗岩の岩壁の間に激流が流れ、下流からS字峡、十字峡、白竜峡などの景勝地がある。S字峡はSの字のごとく、両側に岩壁が複雑に入り組み、激流が左右にぶつかり、飛沫を上げることから名付けられている。十字峡は原始林に覆われ、岩壁を割って左岸から剱沢、右岸から棒小屋沢がほぼ同じ場所に合流し、黒部川本流と合わせて十字を形作っている地点である。白竜峡は花崗岩が白壁をなす岩壁が連続する秘境となっている。
欅平から仙人谷までは水平歩道が、その上流では日電歩道が黒部ダムまで続いていて、上級者向けの登山道として利用されているが、峡谷に残る残雪が初夏になって消えてから道の整備が始まること、また11月に入ると凍結や積雪が始まることから、このコースを通行できるのはその間の1 - 2か月に限られる。また、川面から数十~百メートルほどの高さを谷の絶壁に沿って通された幅員狭小の区間が長く続く難易度の高いコースであり、2019年には10月だけで5人が転落死[3]するなど事故が絶えない。富山県が公表している山のグレーディングでは、欅平から黒部ダムまでのルートの体力度は「9」(2 - 3泊以上が適当)、技術的難易度は最高レベルの「E」(緊張を強いられる厳しい岩稜の登下降や転滑落の危険個所が連続する)とされている[4]。最も賑わうのは紅葉が美しい10月である。ルート途中にある山小屋「阿曽原温泉小屋」は、雪の重みによる倒壊を避けるため、冬季は解体して部材をトンネルに収納する[2]。
「上ノ廊下」または「上の廊下」とも表記される。黒部湖の突端に面する奥黒部ヒュッテより上流、立石奇岩までの間の峡谷。登山道はなく、沢登りの対象となる。
下流域ほど水量が多く、支流や源頭部には雪渓が残っているため水温が低い。数年ごとに死者が出ている。技術的には登攀の要素は少なく、ロープは渡渉のために使用される。「下の黒ビンカ」「上の黒ビンカ」などの難所がある。
薬師沢小屋で終了するか、奥の廊下まで継続するかで下山ルートが大きく異なる。薬師沢小屋から太郎平小屋経由で折立に下山する場合、全行程は2泊3日も可能となる。
源頭部まで遡行した場合、一般に沢中に2泊が必要となる。入渓点の奥黒部ヒュッテまで黒部ダムから1日かかるので、最短でも3泊4日の行程となる。源頭部からは三俣蓮華岳もしくは鷲羽岳に達する。
薬師沢小屋から上流方向へ進んだところで合流する赤木沢は、複数の滝があり沢登りに利用される。