1876ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょう選挙せんきょ

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1876ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょう選挙せんきょ
United States presidential election, 1876
アメリカ合衆国
1872ねん ←
1876ねん11月7にち
→ 1880ねん

投票とうひょうりつ 81.8%[1] 増加 10.5%
 
候補者こうほしゃ ラザフォード・ヘイズ サミュエル・ティルデン
政党せいとう 共和党きょうわとう 民主党みんしゅとう
出身しゅっしん地域ちいき オハイオしゅう ニューヨークしゅう
ふく大統領だいとうりょう候補者こうほしゃ
ウィリアム・A・ウィーラー

トーマス・A・ヘンドリックス
獲得かくとく選挙せんきょじん 185 184
勝利しょうり地域ちいきすう 21 17
得票とくひょうすう 4,034,311 4,288,546
得票とくひょうりつ 47.9% 50.9%

しゅうべつ獲得かくとく選挙せんきょじん分布ぶんぷ
  ヘイズ   ティルデン   選挙せんきょじんせないじゅんしゅう

選挙せんきょぜん大統領だいとうりょう

ユリシーズ・グラント
共和党きょうわとう

選出せんしゅつ大統領だいとうりょう

ラザフォード・ヘイズ
共和党きょうわとう

1876ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょう選挙せんきょ(1876ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英語えいご: United States presidential election, 1876)は、1876ねん11月7にちおこなわれたアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょう選挙せんきょだい23かい)。アメリカの歴史れきしなかでももっと議論ぎろんび、白熱はくねつした大統領だいとうりょう選挙せんきょひとつとなった。

ニューヨークしゅう出身しゅっしんのサミュエル・ティルデンが一般いっぱん選挙せんきょラザフォード・ヘイズやぶり、選挙せんきょじん投票とうひょうでも184ひょう獲得かくとくしてヘイズの165ひょう上回うわまわったが、まだ集計しゅうけいされていないひょうが20ひょうあった。この20ひょう論争ろんそうとなった。3つのしゅうフロリダしゅうルイジアナしゅうおよびサウスカロライナしゅう)で、それぞれのとうがその候補こうほ勝利しょうり報告ほうこくし、またオレゴンしゅう選挙せんきょじん1にん違法いほう(「選挙せんきょされたかあるいは指名しめいされたか」という根拠こんきょで)と宣言せんげんされ交代こうたいさせられた。これらのひょうはげしい選挙せんきょじん議論ぎろんのち最終さいしゅうてきにヘイズの得票とくひょうとされた。

おおくの歴史れきしたちはある非公式ひこうしききが論争ろんそうおさめるために使つかわれたとしんじている。南部なんぶがヘイズの当選とうせん黙認もくにんするわりに、共和党きょうわとう南部なんぶから連邦れんぽうぐんげることに同意どういし、レコンストラクション実質じっしつてきわらせたということである。この取引とりひき1877ねん妥協だきょうばれた。この妥協だきょうアフリカけいアメリカじん実質じっしつてき政府せいふ権力けんりょくから排除はいじょされた。妥協だきょうからあいだもなく、アフリカけいアメリカじん人頭じんとうぜい祖父そふ条項じょうこうによって投票とうひょうけんうばわれた。

候補者こうほしゃ指名しめい[編集へんしゅう]

ルイジアナしゅう発行はっこうしたヘイズとウィーラーにたいする選挙せんきょじんひょう証明しょうめいしょ

共和党きょうわとう指名しめい[編集へんしゅう]

1876ねん6月14にちシンシナティだい6かい共和党きょうわとう全国ぜんこく大会たいかい開催かいさいされたとき、メインしゅう出身しゅっしんジェイムズ・G・ブレイン大統領だいとうりょう候補こうほ指名しめいされるとかんがえられた。だい1かい投票とうひょうでブレインは過半数かはんすうにちょうど100ひょうりなかった。おおくの共和党きょうわとういんがブレインでは一般いっぱん投票とうひょうてないことをおそれたので、2かい投票とうひょうからはブレインのひょうはじめた。はんブレインの代議員だいぎいんは6かい投票とうひょうでブレインひょうが41%にたっするまで一人ひとり候補者こうほしゃにまとまらなかった。改革かいかく共和党きょうわとう指導しどうしゃわりの候補者こうほしゃ個人こじんてき検討けんとうかさねた。えらばれたのはオハイオしゅう改革かいかく知事ちじラザフォード・ヘイズであった。7かい投票とうひょうで、ヘイズは384ひょう獲得かくとくして351ひょうのブレイン、21ひょうのベンジャミン・ブリストウをおさえ、指名しめいされた。ニューヨークしゅう出身しゅっしんウィリアム・A・ウィーラーが、主要しゅようなライバルであり、のちにこの選挙せんきょ論争ろんそう決着けっちゃくける選挙せんきょ委員いいんかい一員いちいんつとめたフレデリック・セオドア・フリーリングハイゼン大差たいさ(366ひょうたい89ひょう)でおさえてふく大統領だいとうりょう候補こうほ指名しめいされた。

ティルデンとヘンドリックスの選挙せんきょポスター

民主党みんしゅとう指名しめい[編集へんしゅう]

だい12かい民主党みんしゅとう全国ぜんこく大会たいかい共和党きょうわとう大会たいかい結論けつろんる9にちまえセントルイス開催かいさいされた。3にん指名しめい候補こうほ、ニューヨークしゅう知事ちじでブルボン民主党みんしゅとうのサミュエル・ティルデン、インディアナしゅう知事ちじのトーマス・A・ヘンドリックスおよびきたぐん将軍しょうぐんでペンシルベニアしゅう出身しゅっしんのウィンフィールド・スコット・ハンコックがはじまった。ティルデンはだい1かい投票とうひょうでリードしたが、ニューヨークのタマニーホール指導しどうしゃジョン・ケリーがつよ反対はんたいした。ケリーの反対はんたい十分じゅうぶんではなくて指名しめいめられず、ティルデンが2かい投票とうひょう指名しめいされた。トーマス・A・ヘンドリックスはティルデンのふく大統領だいとうりょう候補こうほ指名しめいされた。

グリーンバックとう指名しめい[編集へんしゅう]

グリーンバックとう1874ねんインディアナポリス農民のうみん利益りえきのためにつくられた政党せいとうであり、みどり紙幣しへいばれる紙幣しへい大量たいりょう発行はっこうして、経済けいざい膨張ぼうちょうさせるよう連邦れんぽう政府せいふ提案ていあんしていた。そのだい1かい全国ぜんこく指名しめい集会しゅうかいは1876ねんはるにインディアナポリスで開催かいさいされた。ピーター・クーパーがの3にん指名しめい候補こうほたいして352ひょうたい119ひょうという結果けっか大統領だいとうりょう候補こうほ指名しめいされた。はんモノポリをうたカリフォルニアしゅう選出せんしゅつ上院じょういん議員ぎいんニュートン・ブースがふく大統領だいとうりょう候補こうほ指名しめいされた。ブースが出馬しゅつば辞退じたいしたので、全国ぜんこく委員いいんかいはその代役だいやくとしてサミュエル・F・ケアリーをえらんだ。

その政党せいとう[編集へんしゅう]

禁酒きんしゅとうは2かい全国ぜんこくとう大会たいかいでグリーン・クレイ・スミスを大統領だいとうりょう候補こうほに、ギデオン・T・ステュアートをふく大統領だいとうりょう候補こうほ指名しめいした。アメリカ国民党こくみんとうはジェイムズ・A・ウォーカーとドナルド・カークパトリックのわせを指名しめいした。

一般いっぱん選挙せんきょ[編集へんしゅう]

選挙せんきょ運動うんどう[編集へんしゅう]

1877ねん印刷いんさつされたこのポスターにられるように選挙せんきょせん白熱はくねつした。

ティルデンはニューヨークしゅう政治せいじマシーンの政治せいじ告発こくはつし、伝説でんせつてきなボスであるウィリアム・トウィードを刑務所けいむしょおくんだおとこであり、ユリシーズ・グラント政権せいけん裏面りめんたいして改革かいかくおこな候補者こうほしゃとして出馬しゅつばした。りょうとうともに公務員こうむいん改革かいかくとレコンストラクションの終了しゅうりょうした。りょう陣営じんえいども中傷ちゅうしょう合戦かっせんおこない、民主党みんしゅとう共和党きょうわとう汚職おしょくを、共和党きょうわとう南北戦争なんぼくせんそうして反撃はんげきし、この戦術せんじゅつ民主党みんしゅとうから「血塗ちぬられたシャツをる」ものだと揶揄やゆされた。共和党きょうわとうは「あらゆる民主みんしゅ党員とういん反逆はんぎゃくしゃではないが、あらゆる反逆はんぎゃくしゃ民主みんしゅ党員とういんだ」とかえとなえた。

候補者こうほしゃ積極せっきょくてき大統領だいとうりょうもとめるのは不適ふてきかんがえられていたので、ティルデンもヘイズも選挙せんきょ運動うんどう一部いちぶとして積極せっきょくてきには遊説ゆうぜいせず、うん動員どういんまかっていた。

コロラドしゅう[編集へんしゅう]

コロラドしゅう1876ねん8がつ1にち合衆国がっしゅうこく36番目ばんめしゅう昇格しょうかくした。あたらしいしゅうとして大統領だいとうりょう選挙せんきょせん組織そしきする十分じゅうぶん時間じかんかねく、コロラドしゅう議会ぎかいしゅう選挙せんきょじんえらんだ。これら選挙せんきょじん次々つぎつぎにヘイズと共和党きょうわとうに3ひょうとうじた。

選挙せんきょじん論争ろんそう[編集へんしゅう]

フロリダしゅう(4ひょう)、ルイジアナしゅう(8ひょう)およびサウスカロライナしゅう(7ひょう)はティルデンを支持しじする開票かいひょう結果けっか報告ほうこくしたが、それぞれのしゅう選挙せんきょ結果けっか共和党きょうわとう投票とうひょうしゃたいする不正ふせい行為こうい暴力ぼうりょくによるおどしでいろどられていた。論争ろんそうてんひとつは投票とうひょう用紙ようしのデザインをめぐるものだった。当時とうじ各党かくとう記名きめい投票とうひょう投票とうひょうしゃ自分じぶんたち支持しじさせるように投票とうひょう用紙ようし印刷いんさつしていた。文字もじけない投票とうひょうしゃのために各党かくとう投票とうひょう用紙ようし記号きごう印刷いんさつした。しかしこの選挙せんきょではおおくの民主党みんしゅとう投票とうひょう用紙ようしには共和党きょうわとう象徴しょうちょうとしてエイブラハム・リンカーン印刷いんさつしていた[2]共和党きょうわとう支配しはいてきしゅう選挙せんきょ委員いいんかい十分じゅうぶんかず民主党みんしゅとうひょうみとめず、その選挙せんきょじんひょうをヘイズにあたえた。

南部なんぶの3しゅうでは合衆国がっしゅうこくみとめられた知事ちじ共和党きょうわとう証明しょうめいしょ署名しょめいした。フロリダしゅう民主党みんしゅとう証明しょうめいしょしゅう検事けんじ総長そうちょうあたらしい民主党みんしゅとう知事ちじ署名しょめいしていた。ルイジアナしゅうのものは民主党みんしゅとう知事ちじ候補者こうほしゃによるものだった。サウスカロライナしゅうのものはしゅう役人やくにんによらず、たんにティルデンの選挙せんきょじん一般いっぱん選挙せんきょえらばれたと主張しゅちょうし、選挙せんきょ管理かんり委員いいんかい拒否きょひされていた[3]

一方いっぽう、オレゴンしゅうでは、一人ひとり選挙せんきょじんだけが論争ろんそうになった。ぜんしゅうでの結果けっかあきらかにヘイズを支持しじしていたが、しゅう民主党みんしゅとう知事ちじラファイエット・グロバーは、その選挙せんきょじんぜん郵便ゆうびん局長きょくちょうジョン・ワッツが「委託いたくされたしょくにあるひとでありすなわち合衆国がっしゅうこくもと利益りえきひとであるために、憲法けんぽうだい2じょうだい1せつ適格てきかくしゃ主張しゅちょうした。グロバーはつづいてワッツのわりに民主党みんしゅとう選挙せんきょじんえた。2人ふたり共和党きょうわとう選挙せんきょじんはグロバーの行動こうどうをはねつけて、それぞれがヘイズに3ひょう報告ほうこくしたが、民主党みんしゅとう選挙せんきょじんC・A・クローニンは1ひょうがティルデン、2ひょうがヘイズと報告ほうこくした。2人ふたり共和党きょうわとう選挙せんきょじんしゅうつとむ長官ちょうかん署名しょめいがある証明しょうめいしょ提出ていしゅつした。クローニンとかれ指名しめいした選挙せんきょじん2にん知事ちじ署名しょめいがありしゅうつとむ長官ちょうかんによって証明しょうめいされた証明しょうめいしょ使つかった[3]最終さいしゅうてきにオレゴンしゅうの3ひょうともにヘイズにあたえられた。

ヘイズは選挙せんきょじん投票とうひょうで1ひょう過半数かはんすうた。民主党みんしゅとう不正ふせいさけびをあげた。抑圧よくあつされた興奮こうふんくにちゅうおおった。ヘイズはけっして就任しゅうにんできないというようなおどしがささやかれた。グラント大統領だいとうりょうひそかにワシントン周辺しゅうへん軍隊ぐんたい強化きょうかした[3]

憲法けんぽうでは「上院じょういん議長ぎちょう上院じょういん下院かいんかく議員ぎいん出席しゅっせきまえすべての選挙せんきょじん証明しょうめいしょ開封かいふうし、つづいて集計しゅうけいされること」と規定きていしていた。ある共和党きょうわとういんは、集計しゅうけいする権限けんげん上院じょういん議長ぎちょうにあり、上院じょういん下院かいんかく議員ぎいんたんているだけだと主張しゅちょうした。民主党みんしゅとうは、共和党きょうわとう上院じょういん議長ぎちょうフェリーは論争ろんそうのあるしゅうひょうをヘイズにカウントできるので、この解釈かいしゃく反対はんたいした。民主党みんしゅとうは、異論いろんのあるひょう両院りょういん同意どういがある場合ばあいのぞきカウントされるべきではないという1865ねん以来いらい慣習かんしゅう議会ぎかいつづけるべきだと主張しゅちょうした。下院かいん民主党みんしゅとうつよく、ひとつのしゅうひょうてることでティルデンを選出せんしゅつすることができた[3]

前例ぜんれい憲法けんぽう危機きき直面ちょくめんして、1877ねん1がつ29にち合衆国がっしゅうこく議会ぎかいは15にん委員いいんからなる選挙せんきょ委員いいんかいつくり、問題もんだい決着けっちゃくさせる法律ほうりつとおした。両院りょういんから5にん委員いいんがそれぞれえらばれ、最高さいこう裁判所さいばんしょの5にん委員いいん合流ごうりゅうした。ウィリアム・M・エバーツ共和党きょうわとう助言じょげんしゃつとめた。1877ねん妥協だきょう民主党みんしゅとうにこの選挙せんきょ委員いいんかいみとめさせるちからがあった可能かのうせいがある。

かくいん多数たすうとうが3めい指名しめい少数しょうすうとうが2めい指名しめいした。共和党きょうわとう上院じょういん支配しはいしており、民主党みんしゅとう下院かいん支配しはいしていたので、委員いいん共和党きょうわとう5めい民主党みんしゅとう5めいとなった。最高さいこう裁判所さいばんしょ判事はんじなかで、2めい共和党きょうわとういん、2めい民主みんしゅ党員とういんえらばれ、5にんはこれら4にん選出せんしゅつした。

判事はんじたちはまず政治せいじてき独立どくりつなデイビッド・デイビス判事はんじえらんだ。ある歴史れきしれば、「だれも、おそらくはデイビス自身じしんですら、どちらの大統領だいとうりょう候補こうほこのむからなかった」[4]選挙せんきょ委員いいんかい法案ほうあん議会ぎかい通過つうかしたときに、イリノイしゅう議会ぎかいはデイビスを上院じょういん議員ぎいんえらんだ。イリノイしゅう議会ぎかい民主みんしゅ党員とういんは、デイビスに投票とうひょうしたことでその支持しじられたとしんじた。しかし、かれらは計算けいさんちがいをしていた。最高さいこう裁判所さいばんしょとどまって選挙せんきょ委員いいんかいつとめるわりに、デイビスはぐに上院じょういん議員ぎいんとなるために判事はんじ辞任じにんした[5]のこっている判事はんじすべ共和党きょうわとういんだったので、すでにえらばれていた4にんは、のこりの判事はんじなかもっとかたよりのないとかんがえられるジョセフ・P・ブラドリーをえらんだ。この選択せんたく行方ゆくえ左右さゆうするものになった。

就任しゅうにん宣誓せんせいしき間近まぢかせまっていた。委員いいんかいは1がつ末日まつじつあつまった。フロリダしゅう、ルイジアナしゅう、オレゴンしゅうおよびサウスカロライナしゅう問題もんだい議会ぎかいから提出ていしゅつされた状態じょうたい継続けいぞくであった。著名ちょめい助言じょげんしゃりょう陣営じんえいあらわれた。指名しめいされたしゅうのどこからも2じゅう開票かいひょう結果けっかていた[3]

委員いいんかい最初さいしょに「あきらかに」合法ごうほう開票かいひょう結果けっかかえらないことをめた[3]。ブラドリーがの7にん共和党きょうわとう委員いいんくみし、一連いちれん裁決さいけつは8たい7という結果けっかになり、論争ろんそうのあった選挙せんきょじんひょう20ひょうすべてをヘイズのものとし、ヘイズは選挙せんきょじん選挙せんきょを185たい184でせいした。3月2にち委員いいんかい閉会へいかいし、3にちにヘイズは妨害ぼうがいもなく就任しゅうにんした[3]

委員いいんかいみとめられた開票かいひょう結果けっかでは、サウスカロライナしゅうにおけるヘイズの勝利しょうりを889ひょうとしており、合衆国がっしゅうこく選挙せんきょなかでも2番目ばんめ接近せっきんした結果けっかとなった。なおもっと接近せっきんした結果けっか2000ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょう選挙せんきょのフロリダしゅうにおける537ひょうであった。

結果けっか[編集へんしゅう]

委員いいんかい裁定さいてい結果けっか反映はんえいしたものである

大統領だいとうりょうせん結果けっか
大統領だいとうりょう候補者こうほしゃ
出身しゅっしんしゅう 
とう   得票とくひょうすう 得票とくひょうりつ 選挙せんきょじん得票とくひょうすう ふく大統領だいとうりょう候補者こうほしゃ
出身しゅっしんしゅう
選挙せんきょじん得票とくひょうすう 
ラザフォード・ヘイズ
オハイオしゅう
共和党きょうわとう 4,034,311 47.9% 185 ウィリアム・A・ウィーラー
ニューヨークしゅう
185
サミュエル・ティルデン
ニューヨークしゅう
民主党みんしゅとう
進歩しんぽてき共和党きょうわとう
4,288,546 51.0% 184 トーマス・A・ヘンドリックス
インディアナしゅう
184
ピーター・クーパー
ニューヨークしゅう
グリーンバックとう 75,973 0.9% 0 サミュエル・フェントン・ケアリー
オハイオしゅう
0
グリーン・クレイ・スミス
ケンタッキーしゅう
禁酒きんしゅとう 9,737 0.3% 0 ギデオン・T・ステュアート
オハイオしゅう
0
ジェイムズ・A・ウォーカー
イリノイしゅう
アメリカ国民党こくみんとう 459 0.0% 0 ドナルド・カークパトリック
ニューヨークしゅう
0
その - 4,075 0.2% 0 - 0
合計ごうけい 8,413,101 100% 369 - 369
選出せんしゅつ必要ひつようすう 185 - 185

しゅうごとの結果けっか[編集へんしゅう]

出典しゅってん: Walter Dean Burnham, Presidential ballots, 1836-1892 (Johns Hopkins University Press, 1955) pp 247–57.[6]

ティルデン/ヘンドリックス勝利しょうりしたしゅう
ヘイズ/ウィーラー勝利しょうりしたしゅう
サミュエル・ティルデン
民主党みんしゅとう
ラザフォード・ヘイズ
共和党きょうわとう
ピーター・クーパー
グリーンバックとう
グリーン・スミス
禁酒きんしゅとう
ひょう しゅうけい
しゅう 選挙せんきょ人数にんずう # % 選挙せんきょ人数にんずう # % 選挙せんきょ人数にんずう # % 選挙せんきょ人数にんずう # % 選挙せんきょ人数にんずう # % #
アラバマしゅう 10 102,989 59.98 10 68,708 40.02 - - - - - - - 34,281 19.97 171,699 AL
アーカンソーしゅう 6 58,086 59.92 6 38,649 39.87 - 211 0.22 - - - - 19,437 20.05 96,946 AR
カリフォルニアしゅう 6 76,460 49.08 - 79,258 50.88 6 47 0.03 - - - - -2,798 -1.80 155,784 CA
コロラドしゅう* 3 3 CO
コネチカットしゅう 6 61,927 50.70 6 59,033 48.33 - 774 0.63 - 374 0.31 - 2,894 2.37 122,134 CT
デラウェアしゅう 3 13,381 55.45 3 10,752 44.55 - - - - - - - 2,629 10.89 24,133 DE
フロリダしゅう 4 22,927 49.01 - 23,849 50.99 4 - - - - - - -922 -1.97 46,776 FL
ジョージアしゅう 11 130,157 72.03 11 50,533 27.97 - - - - - - - 79,624 44.07 180,690 GA
イリノイしゅう 21 258,611 46.66 - 278,232 50.20 21 17,207 3.10 - - - - -19,621 -3.54 554,227 IL
インディアナしゅう 15 213,526 48.65 15 208,011 47.39 - 17,233 3.93 - 141 0.03 - 5,515 1.26 438,911 IN
アイオワしゅう 11 112,121 38.28 - 171,326 58.50 11 9,431 3.22 - - - - -59,205 -20.21 292,878 IA
カンザスしゅう 5 37,902 30.53 - 78,324 63.10 5 7,770 6.26 - 110 0.09 - -40,422 -32.56 124,134 KS
ケンタッキーしゅう 12 160,060 61.41 12 97,568 37.44 - - - - - - - 62,492 23.98 260,626 KY
ルイジアナしゅう 8 70,508 48.35 - 75,315 51.65 8 - - - - - - -4,807 -3.30 145,823 LA
メインしゅう 7 49,917 42.65 - 66,300 56.64 7 - - - - - - -16,383 -14.00 117,045 ME
メリーランドしゅう 8 91,779 56.05 8 71,980 43.95 - - - - - - - 19,799 12.09 163,759 MD
マサチューセッツしゅう 13 108,777 41.90 - 150,064 57.80 13 - - - - - - -41,287 -15.90 259,620 MA
ミシガンしゅう 11 141,685 44.49 - 166,901 52.41 11 9,023 2.83 - 766 0.24 - -25,216 -7.92 318,450 MI
ミネソタしゅう 5 48,587 39.16 - 72,955 58.80 5 2,389 1.93 - 144 0.12 - -24,368 -19.64 124,075 MN
ミシシッピしゅう 8 112,173 68.08 8 52,603 31.92 - - - - - - - 59,570 36.15 164,776 MS
ミズーリしゅう 15 202,086 57.64 15 145,027 41.36 - 3,497 1.00 - - - - 57,059 16.27 350,610 MO
ネブラスカしゅう 3 17,413 35.30 - 31,915 64.70 3 - - - - - - -14,502 -29.40 49,328 NE
ネバダしゅう 3 9,308 47.27 - 10,383 52.73 3 - - - - - - -1,075 -5.46 19,691 NV
ニューハンプシャーしゅう 5 38,510 48.05 - 41,540 51.83 5 - - - - - - -3,030 -3.78 80,141 NH
ニュージャージーしゅう 9 115,962 52.66 9 103,517 47.01 - 714 0.32 - - - - 12,445 5.65 220,193 NJ
ニューヨークしゅう 35 521,949 51.40 35 489,207 48.17 - 1,978 0.19 - 2,369 0.23 - 32,742 3.22 1,015,503 NY
ノースカロライナしゅう 10 125,427 53.62 10 108,484 46.38 - - - - - - - 16,943 7.24 233,911 NC
オハイオしゅう 22 323,182 49.07 - 330,698 50.21 22 3,057 0.46 - 1,636 0.25 - -7,516 -1.14 658,649 OH
オレゴンしゅう 3 14,157 47.38 - 15,214 50.92 3 510 1.71 - - - - -1,057 -3.54 29,881 OR
ペンシルベニアしゅう 29 366,204 48.25 - 384,184 50.62 29 7,204 0.95 - 1,318 0.17 - -17,980 -2.37 758,993 PA
ロードアイランドしゅう 4 10,712 40.23 - 15,787 59.29 4 68 0.26 - 60 0.23 - -5,075 -19.06 26,627 RI
サウスカロライナしゅう 7 90,897 49.76 - 91,786 50.24 7 - - - - - - -889 -0.49 182,683 SC
テネシーしゅう 12 133,177 59.79 12 89,566 40.21 - - - - - - - 43,611 19.58 222,743 TN
テキサスしゅう 8 104,755 70.04 8 44,800 29.96 - - - - - - - 59,955 40.09 149,555 TX
バーモントしゅう 5 20,254 31.38 - 44,091 68.30 5 - - - - - - -23,837 -36.93 64,553 VT
バージニアしゅう 11 140,770 59.58 11 95,518 40.42 - - - - - - - 45,252 19.15 236,288 VA
ウェストバージニアしゅう 5 56,546 56.75 5 41,997 42.15 - 1,104 1.11 - - - - 14,549 14.60 99,647 WV
ウィスコンシンしゅう 10 123,926 48.19 - 130,067 50.57 10 1,509 0.59 - 27 0.01 - -6,141 -2.39 257,177 WI
合計ごうけい: 369 4,286,808 50.92 184 4,034,142 47.92 185 83,726 0.99 - 6,945 0.08 - 252,666 3.00 8,418,659 US

接戦せっせんだったしゅう[編集へんしゅう]

あお民主党みんしゅとう赤字あかじ共和党きょうわとう勝利しょうりしたことをしめす。

得票とくひょうりつ5%未満みまん (選挙せんきょ人数にんずう171):

  1. サウスカロライナしゅう, 0.49%
  2. オハイオしゅう, 1.14%
  3. インディアナしゅう, 1.26%
  4. カリフォルニアしゅう, 1.80%
  5. フロリダしゅう, 1.97%
  6. ペンシルベニアしゅう, 2.37%
  7. コネチカットしゅう, 2.37%
  8. ウィスコンシンしゅう, 2.39%
  9. ニューヨークしゅう, 3.22%
  10. ルイジアナしゅう, 3.30%
  11. オレゴンしゅう, 3.54%
  12. イリノイしゅう, 3.54%
  13. ニューハンプシャーしゅう, 3.78%

得票とくひょうりつ5%以上いじょう10%未満みまん (選挙せんきょ人数にんずう33):

  1. ネバダしゅう, 5.46%
  2. ニュージャージーしゅう, 5.65%
  3. ノースカロライナしゅう, 7.24%
  4. ミシガンしゅう, 7.92%

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Voter Turnout in Presidential Elections: 1828 - 2008
  2. ^ Flashback to 1876: History repeats itself”. BBC News December 12 2000. 2006ねん11月28にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d e f g Andrews, E. Benjamin (1912). History of the United States. New York: Charles Scribner's Sons 
  4. ^ Morris, Roy, Jr. (2003). Fraud Of The Century. Rutherford B. Hayes, Samuel Tilden And The Stolen Election Of 1876. New York: Simon and Schuster.
  5. ^ HarpWeek | Hayes vs. Tilden: The Electoral College Controversy of 1876-1877
  6. ^ 1876 Presidential General Election Data - National”. 2013ねん5がつ7にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Nikki Oldaker with John Bigelow, 2006, "Samuel Tilden the Real 19th President" http://www.SamuelTilden.com
  • Flick, Alexander C. (1939). Samuel J. Tilden ? A Study In Political Sagacity 
  • Haworth, Paul Leland (1906). The Hayes-Tilden Disputed Presidential Election of 1876. https://books.google.co.jp/books?ie=UTF-8&vid=OCLC00581374&id=BvtAqWWTkxAC&dq=%22Campaign+Text+Book%22&pg=PP7&printsec=2&lpg=PP7&redir_esc=y&hl=ja 
  • Hoogenboom, Ari (1995). Rutherford B. Hayes: Warrior and President. ISBN 0-7006-0641-6 
  • Morris, Roy, Jr. (2004). Fraud Of The Century: Rutherford B. Hayes, Samuel Tilden And The Stolen Election Of 1876 
  • Polakoff, Keith Ian (1973). The Politics of Inertia: The Election of 1876 and the End of Reconstruction 
  • Rehnquist, William H. (2004). The Centennial Crisis: The Disputed Election of 1876. Knopf Publishing Group. ISBN 0-375-41387-1 
  • Woodward, C. Vann (1951). Reunion and Reaction: The Compromise of 1877 and the End of Reconstruction 

いち史料しりょう[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]