1900ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょう選挙せんきょ

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1900ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょう選挙せんきょ
United States presidential election, 1900
アメリカ合衆国
1896ねん ←
1900ねん11月6にち
→ 1904ねん

投票とうひょうりつ 73.2%[1] 減少 6.1%
 
候補者こうほしゃ ウィリアム・マッキンリー ウィリアム・J・ブライアン
政党せいとう 共和党きょうわとう 民主党みんしゅとう
出身しゅっしん地域ちいき オハイオしゅう ネブラスカしゅう
ふく大統領だいとうりょう候補者こうほしゃ
セオドア・ルーズベルト

アドレー・E・スティーブンソン
獲得かくとく選挙せんきょじん 292 155
勝利しょうり地域ちいきすう 28 17
得票とくひょうすう 7,228,864 6,370,932
得票とくひょうりつ 51.6% 45.5%

しゅうべつ獲得かくとく選挙せんきょじん分布ぶんぷ
  マッキンリー   ブライアン   選挙せんきょじんせないじゅんしゅう

選挙せんきょぜん大統領だいとうりょう

ウィリアム・マッキンリー
共和党きょうわとう

選出せんしゅつ大統領だいとうりょう

ウィリアム・マッキンリー
共和党きょうわとう

1900ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょう選挙せんきょ(1900ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英語えいご: United States presidential election, 1900)は、1900ねん11月6にちおこなわれたアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょう選挙せんきょだい29かい)。1896ねん選挙せんきょ再現さいげんとなり、共和党きょうわとう現職げんしょく大統領だいとうりょうウィリアム・マッキンリー民主党みんしゅとう挑戦ちょうせんしゃウィリアム・ジェニングス・ブライアンとのあいだあらそわれた。経済けいざいてき繁栄はんえいもどり、べい西にし戦争せんそう勝利しょうりしてあいだもないことがマッキンリーに有利ゆうりはたらき、圧倒的あっとうてき勝利しょうりた。

候補者こうほしゃ指名しめい[編集へんしゅう]

共和党きょうわとう指名しめい[編集へんしゅう]

共和党きょうわとう選挙せんきょポスター、1900ねん

共和党きょうわとう指名しめい候補者こうほしゃ

フィラデルフィア開催かいさいされた1900ねん共和党きょうわとう全国ぜんこく大会たいかいの926にん代議員だいぎいん満場一致まんじょういっちでウィリアム・マッキンリーを大統領だいとうりょう候補こうほ指名しめいした。ニューヨークしゅう共和党きょうわとう指導しどうしゃニューヨークしゅう知事ちじ躊躇ためらっているセオドア・ルーズベルトふく大統領だいとうりょう候補こうほ指名しめいするようマッキンリーに圧力あつりょくをかけた。前任ぜんにんふく大統領だいとうりょうギャレット・ホーバートは1899ねんんでいた。

民主党みんしゅとう指名しめい[編集へんしゅう]

民主党みんしゅとう指名しめい候補者こうほしゃ

ウィリアム・ジェニングス・ブライアンはジョージ・デューイ海軍かいぐん提督ていとく指名しめい候補こうほ辞退じたいしたのち容易ようい候補者こうほしゃ指名しめいされた。ブライアンは、カンザスシティで開催かいさいされた1900ねん民主党みんしゅとう全国ぜんこく大会たいかいで936の代議員だいぎいんひょうあつめた。もとふく大統領だいとうりょうアドレー・E・スティーブンソンが、デイビッド・B・ヒル、アブラム・W・パトリックおよびジュリアン・カーをやぶって、再度さいどふく大統領だいとうりょう候補こうほ指名しめいされた。

その指名しめい[編集へんしゅう]

4ねんまえはブライアンを支持しじした人民じんみんとうは2つの派閥はばつかれた。1つは「フュージョン」であり、民主党みんしゅとうとの統合とうごうのぞんだ。フュージョンサウスダコタしゅうスーフォールズ党員とういん集会しゅうかいひらき、ブライアンを大統領だいとうりょう候補こうほに、チャールズ・A・タウンをふく大統領だいとうりょう候補こうほ指名しめいした(タウンはシルバー共和党きょうわとう全国ぜんこく議長ぎちょうであり、のち辞退じたいした)。「中道ちゅうどう人民じんみんとうべつ政党せいとうとしての独自どくじせい維持いじすることをほっした。シンシナティで党員とういん集会しゅうかい開催かいさいし、ウォートン・バーカーとイグナティウス・L・ダネリィを指名しめいした。「フュージョン」はこの選挙せんきょ民主党みんしゅとう吸収きゅうしゅうされた。「中道ちゅうどうはこののちも2かい大統領だいとうりょう選挙せんきょたたかうが、1900ねん以降いこう人民じんみんとう重要じゅうよう政党せいとうられることはなかった。社会しゃかい主義しゅぎ労働ろうどうしゃとう分裂ぶんれつした。多数たすう社会しゃかい民主党みんしゅとうつくり、ユージーン・デブス大統領だいとうりょう候補こうほ指名しめいした。このとう選挙せんきょ社会党しゃかいとう改名かいめいした。禁酒きんしゅとうりょう会派かいは候補者こうほしゃてたが、民族みんぞくてき禁酒きんしゅ主義しゅぎしゃとしては最後さいご選挙せんきょとなった。そのだいさん政党せいとうとしては、統一とういつ改革かいかくとうのセス・H・エリスと統一とういつキリスト教きりすときょうとうのF・R・レオナードがいた。

一般いっぱん選挙せんきょ[編集へんしゅう]

選挙せんきょ運動うんどう[編集へんしゅう]

マッキンリーの金貨きんか金本位きんほんいせい)のうったえ。兵士へいし実業じつぎょう農夫のうふおよび専門せんもんてき技術ぎじゅつしゃ支持しじされ、国内こくない繁栄はんえい回復かいふく海外かいがいでの戦勝せんしょううったえている
保守ほしゅはブライアンの選挙せんきょ綱領こうりょうやかした

1900ねん景気けいき活況かっきょうていし、共和党きょうわとうのスローガン「腹一杯はらいっぱい食事しょくじをもう4年間ねんかん」と1898ねんべい西にし戦争せんそう簡潔かんけつ勝利しょうりとがくみわさり、選挙せんきょには強烈きょうれつなアピールとなった。テディ(セオドア)・ルーズベルトはこの戦争せんそうキューバたたかった国民こくみんてき英雄えいゆうになり、共和党きょうわとう候補者こうほしゃ人気にんきある代弁だいべんしゃとなった。その演説えんぜつでは、戦争せんそう正当せいとうなものであり、スペインの専制せんせいからキューバとフィリピン解放かいほうしたとかえうったえた。

4ねんまえ、アメリカのまさに玄関げんかんにあるしま中世ちゅうせいてき専制せんせい政治せいじよりもまだわるいもののしたおそろしい苦悶くもんあじわっていたので、国民こくみん不安ふあんだった。我々われわれはこの出発しゅっぱつてん我々われわれのアルメニアがあった。キューバの状態じょうたいはもはやじっとしておられる状況じょうきょうではなく、いちるの自尊心じそんしんたもてない状態じょうたいになっていた。我々われわれけんき、このどう時代じだいなかでももっと高潔こうけつかがやかしい海外かいがい戦争せんそう成功せいこうみちびいた。

ブライアンの選挙せんきょ運動うんどうは1896ねんからの主要しゅよう問題もんだいであるぎん自由じゆう鋳造ちゅうぞう再現さいげんだった。これは景気けいき上向うわむいていたことと、きむアラスカみなみアフリカあらたに生産せいさんされて高騰こうとうしていたこととで、国内こくない経済けいざいおおくの紙幣しへい投入とうにゅうされたために、1900ねんではうったえるちからがなかった。ブラインの戦術せんじゅつの2番目ばんめはマッキンリーの帝国ていこく主義しゅぎ攻撃こうげきすることだった。ブライアンは、マッキンリーがキューバやフィリピンを解放かいほうするわりに、スペインの残酷ざんこく専制せんせいにアメリカの残酷ざんこくなものをえただけだと主張しゅちょうした。フィリピンのゲリラによる流血りゅうけつおお反乱はんらん抑圧よくあつしたアメリカの軍事ぐんじ行動こうどうとくはげしく批判ひはんした。この主題しゅだい以前いぜん敵対てきたいしゃ、すなわち「ハードマネー」のドイツじんもとゴールド民主みんしゅ党員とういんおよびアンドリュー・カーネギーのようなはん帝国ていこく主義しゅぎしゃ味方みかたにした。

りょう候補者こうほしゃどもに1896ねん選挙せんきょ戦術せんじゅつかえした。マッキンリーは再度さいどオハイオしゅうキャントンの自宅じたくまえで、伝統でんとうてきな「玄関げんかんまえ選挙せんきょ運動うんどうをおこなった。その最盛さいせいには、1にちに16の代表だいひょうだんと3まんにん声援せいえんおく応援おうえんだんむかえた。一方いっぽうブライアンは再度さいど鉄道てつどう使つかって中西部ちゅうせいぶ東部とうぶの18,000マイル (28,800 km)をたびすうひゃく集会しゅうかいひらいた。このときは、マッキンリーのふく大統領だいとうりょう候補こうほでニューヨークしゅう知事ちじのセオドア・ルーズベルトもブライアンの戦術せんじゅつり、精力せいりょくてきに24しゅう、21,000マイル (33,600 km)をまわった。

フィリピン戦争せんそう問題もんだい[編集へんしゅう]

スペインにたいする戦争せんそうでアメリカ陸軍りくぐん海軍かいぐん勝利しょうり共和党きょうわとうへの支持しじつくげる重要じゅうよう要素ようそだった。民主党みんしゅとうはフィリピンでは反乱はんらんのために戦争せんそうわっていないと主張しゅちょうし、これがそのおおきな論点ろんてんとなった。フィリピン戦争せんそう終結しゅうけつかっているという認識にんしき共和党きょうわとう選挙せんきょ利点りてんであり、マッキンリー内閣ないかくはフィリピン駐在ちゅうざいぐん減少げんしょうしているとした。共和党きょうわとうはマッキンリーの再選さいせんから60にち以内いない協定きょうていむすばれ、フィリピンの戦争せんそう終結しゅうけつするとちかった[2]。しかし、ある中尉ちゅういがそのつまてた手紙てがみで「かみうえではえるが、実際じっさいにはここの軍隊ぐんたいっていない。これらの(くにかえるべき)部隊ぶたい除隊じょたい間近まぢか兵士へいし構成こうせいされている」と説明せつめいした[3]

さらに陸軍りくぐん長官ちょうかんエリフ・ルートはマッカーサーの1900ねん9がつ報告ほうこくしょっていたが、選挙せんきょまで公開こうかいしなかった[4]。アーサー・マッカーサー将軍しょうぐんは、4ヶ月かげつあいだフィリピンで指揮しきっており、ワシントンたいして、戦争せんそう下火したびになっていないこと、その終結しゅうけつ視界しかいはいっていないことを警告けいこくしていた。マッカーサーは戦争せんそうのゲリラせんがまさにはじまったばかりであり、フィリピンじん経験けいけんんでその戦闘せんとう技術ぎじゅつがっているとしんじた。さらに、フィリピンの指導しどうしゃエミリオ・アギナルド戦略せんりゃく大衆たいしゅう支持しじていた。マッカーサーはつぎのようにいた。

この特異とくい戦争せんそう成功せいこうすることは、現地げんちじん全体ぜんたい行動こうどうをほとんど完全かんぜんまとげることにかかっている。そのような統合とうごうはあまりにも明白めいはく事実じじつなので議論ぎろんを俟たない。どのようにしてそのような状態じょうたいつく維持いじするかは簡単かんたんなことではない。この目的もくてきのためにうたがいもおどしがおこなわれたが、唯一ゆいいつ動機どうきではすうひゃくまんにん大衆たいしゅう統一とういつされあきらかに自発じはつてき行動こうどう説明せつめいするにはほとんどじゅうふんとはえないことおそれる。まちごとの一人ひとり反逆はんぎゃくしゃがそのような複雑ふくざつ組織そしき結果けっかてき破壊はかいする。動物どうぶつてき同質どうしつせいから粘液質ねんえきしつ原理げんりまれる可能かのうせいつよく、そのような行動こうどう自分じぶんたち利益りえき有用ゆうよう確信かくしんするものにはんする場合ばあいでも、それが人々ひとびと同族どうぞく指導しどうしゃうったえにしばらく反応はんのうするように仕向しむけている。 — [5]

兵士へいし投票とうひょう[編集へんしゅう]

それでもフィリピンにいる兵士へいし大半たいはんはブライアンを支持しじしなかった。兵士へいし手紙てがみ日記にっきで1900ねん選挙せんきょれたものは、共和党きょうわとうのマッキンリーとルーズベルトのわせを圧倒的あっとうてき支持しじしていた。ビバリー・デーリー軍曹ぐんそうれば、「途方とほう民主みんしゅ党員とういん」でもマッキンリーを支持しじした。ハンブルトン一等いっとうへいは「もちろんブライアンがいいとかんがえるやつはいるが、おおくははなさないよ」といた[6]

選挙せんきょ[編集へんしゅう]

ブライアンの精力せいりょくてき努力どりょくにもかかわらず、マッキンリーのしたでのあらたな繁栄はんえいべい西にし戦争せんそう結果けっかいての大衆たいしゅう承認しょうにんむすびついて、マッキンリーは満足まんぞくのいく勝利しょうりた。一般いっぱん選挙せんきょでも選挙せんきょじん選挙せんきょでも得票とくひょうは1896ねんよりおおきかった。ブライアンの出身しゅっしんしゅうであるネブラスカしゅうですらマッキンリーがせいした。1896ねん同様どうように、ブライアンは民主党みんしゅとう伝統でんとうてきなソリッドサウスと西部せいぶ農夫のうふひょうつかんだ。

結果けっか[編集へんしゅう]

大統領だいとうりょうせん結果けっか
大統領だいとうりょう候補者こうほしゃ
出身しゅっしんしゅう 
とう   得票とくひょうすう 得票とくひょうりつ 選挙せんきょじん得票とくひょうすう ふく大統領だいとうりょう候補者こうほしゃ
出身しゅっしんしゅう
選挙せんきょじん得票とくひょうすう
ウィリアム・マッキンリー
オハイオしゅう
共和党きょうわとう 7,228,864 51.6% 292 セオドア・ルーズベルト
ニューヨークしゅう
292
ウィリアム・ジェニングス・ブライアン
ネブラスカしゅう
民主党みんしゅとう 6,370,932 45.5% 155 アドレー・E・スティーブンソン
イリノイしゅう
155
ジョン・グランビル・ウーリー
イリノイしゅう
禁酒きんしゅとう 210,864 1.5% 0 ヘンリー・メトカーフ
オハイオしゅう
0
ユージーン・デブス
インディアナしゅう
社会しゃかい民主党みんしゅとう 87,945 0.6% 0 ジョブ・ハリマン
カリフォルニアしゅう
0
ウォートン・バーカー
ペンシルベニアしゅう
人民じんみんとう 50,989 0.4% 0 イグナティウス・L・ダネリィ
ミネソタしゅう
0
ジョセフ・フランシス・マロニー
マサチューセッツしゅう
社会しゃかい主義しゅぎ労働ろうどうしゃとう 40,943 0.3% 0 バレンタイン・レメル
ペンシルベニアしゅう
0
その - 6,889 0.0% 0 - 0
合計ごうけい 13,997,426 100% 447 - 447
選出せんしゅつ必要ひつようすう 224 - 224

しゅうごとの結果けっか[編集へんしゅう]

[7]

マッキンリー/ルーズベルト勝利しょうりしたしゅう
ブライアン/スティーヴンソン勝利しょうりしたしゅう
ウィリアム・マッキンリー
共和党きょうわとう
ウィリアム・ジェニングス・ブライアン
民主党みんしゅとう
ジョン・ウーリー
禁酒きんしゅとう
ユージン・デブス
社会党しゃかいとう
ウォートン・バーカー
人民じんみんとう
ジョセフ・マロニー
社会しゃかい主義しゅぎ労働ろうどうしゃとう
ひょう しゅうけい
しゅう 選挙せんきょ人数にんずう # % 選挙せんきょ人数にんずう # % 選挙せんきょ人数にんずう # % 選挙せんきょ人数にんずう # % 選挙せんきょ人数にんずう # % 選挙せんきょ人数にんずう # % 選挙せんきょ人数にんずう # % #
アラバマしゅう 11 55,612 34.82 - 97,129 60.82 11 2,763 1.73 - - - - 4,188 2.62 - - - - -41,517 -26.00 159,692 AL
アーカンソーしゅう 8 44,800 35.04 - 81,142 63.46 8 584 0.46 - - - - 972 0.76 - - - - -36,342 -28.42 127,866 AR
カリフォルニアしゅう 9 164,755 54.50 9 124,985 41.34 - 5,024 1.66 - - - - - - - 7,554 2.50 - 39,770 13.16 302,318 CA
コロラドしゅう 4 93,072 42.04 - 122,733 55.43 4 3,790 1.71 - 714 0.32 - 389 0.18 - 684 0.31 - -29,661 -13.40 221,408 CO
コネチカットしゅう 6 102,572 56.92 6 74,014 41.07 - 1,617 0.90 - 1,029 0.57 - - - - 908 0.50 - 28,558 15.85 180,195 CT
デラウェアしゅう 3 22,535 53.67 3 18,852 44.90 - 546 1.30 - 56 0.13 - - - - - - - 3,683 8.77 41,989 DE
フロリダしゅう 4 7,355 18.55 - 28,273 71.31 4 2,244 5.66 - 634 1.60 - 1,143 2.88 - - - - -20,918 -52.76 39,649 FL
ジョージアしゅう 13 34,260 28.22 - 81,180 66.86 13 1,402 1.15 - - - - 4,568 3.76 - - - - -46,920 -38.65 121,410 GA
アイダホしゅう 3 27,198 46.96 - 29,414 50.79 3 857 1.48 - - - - 445 0.77 - - - - -2,216 -3.83 57,914 ID
イリノイしゅう 24 597,985 52.83 24 503,061 44.44 - 17,626 1.56 - 9,687 0.86 - 1,141 0.10 - 1,373 0.12 - 94,924 8.39 1,131,897 IL
インディアナしゅう 15 336,063 50.60 15 309,584 46.62 - 13,718 2.07 - 2,374 0.36 - 1,438 0.22 - 663 0.10 - 26,479 3.99 664,094 IN
アイオワしゅう 13 307,808 58.04 13 209,265 39.46 - 9,502 1.79 - 2,742 0.52 - 613 0.12 - 259 0.05 - 98,543 18.58 530,355 IA
カンザスしゅう 10 185,955 52.56 10 162,601 45.96 - 3,605 1.02 - 1,605 0.45 - - - - - - - 23,354 6.60 353,766 KS
ケンタッキーしゅう 13 227,132 48.51 - 235,126 50.21 13 2,890 0.62 - 766 0.16 - 1,961 0.42 - 390 0.08 - -7,994 -1.71 468,265 KY
ルイジアナしゅう 8 14,234 20.96 - 53,668 79.03 8 - - - - - - - - - - - - -39,434 -58.07 67,906 LA
メインしゅう 6 65,412 61.89 6 36,822 34.84 - 2,581 2.44 - 878 0.83 - - - - - - - 28,590 27.05 105,693 ME
メリーランドしゅう 8 136,185 51.50 8 122,238 46.23 - 4,574 1.73 - 904 0.34 - - - - 388 0.15 - 13,947 5.27 264,434 MD
マサチューセッツしゅう 15 238,866 57.59 15 156,997 37.85 - 6,202 1.50 - 9,607 2.32 - - - - 2,599 0.63 - 81,869 19.74 414,804 MA
ミシガンしゅう 14 316,269 58.10 14 211,685 38.89 - 11,859 2.18 - 2,826 0.52 - 903 0.17 - 837 0.15 - 104,584 19.21 544,379 MI
ミネソタしゅう 9 190,461 60.21 9 112,901 35.69 - 8,555 2.70 - 3,065 0.97 - - - - 1,329 0.42 - 77,560 24.52 316,311 MN
ミシシッピしゅう 9 5,707 9.66 - 51,706 87.56 9 - - - - - - 1,642 2.78 - - - - -45,999 -77.89 59,055 MS
ミズーリしゅう 17 314,092 45.94 - 351,922 51.48 17 5,965 0.87 - 6,139 0.90 - 4,244 0.62 - 1,294 0.19 - -37,830 -5.53 683,656 MO
モンタナしゅう 3 25,409 39.79 - 37,311 58.43 3 306 0.48 - 711 1.11 - - - - 119 0.19 - -11,902 -18.64 63,856 MT
ネブラスカしゅう 8 121,835 50.46 8 114,013 47.22 - 3,655 1.51 - 823 0.34 - 1,104 0.46 - - - - 7,822 3.24 241,430 NE
ネバダしゅう 3 3,849 37.75 - 6,347 62.25 3 - - - - - - - - - - - - -2,498 -24.50 10,196 NV
ニューハンプシャーしゅう 4 54,799 59.33 4 35,489 38.42 - 1,270 1.37 - 790 0.86 - - - - - - - 19,310 20.91 92,364 NH
ニュージャージーしゅう 10 221,707 55.28 10 164,808 41.09 - 7,183 1.79 - 4,609 1.15 - 669 0.17 - 2,074 0.52 - 56,899 14.19 401,050 NJ
ニューヨークしゅう 36 822,013 53.10 36 678,462 43.83 - 22,077 1.43 - 12,869 0.83 - - - - 12,621 0.82 - 143,551 9.27 1,548,042 NY
ノースカロライナしゅう 11 132,997 45.47 - 157,733 53.92 11 990 0.34 - - - - 798 0.27 - - - - -24,736 -8.46 292,518 NC
ノースダコタしゅう 3 35,898 62.12 3 20,531 35.53 - 2,536 3.01 - 1,494 1.77 - 275 0.33 - - - - 13,141 15.60 84,216 ND
オハイオしゅう 23 543,918 52.30 23 474,882 45.66 - 10,203 0.98 - 4,847 0.47 - 251 0.02 - 1,688 0.16 - 69,036 6.64 1,040,073 OH
オレゴンしゅう 4 46,172 55.46 4 32,810 39.41 - 2,536 3.05 - 1,464 1.76 - 269 0.32 - - - - 13,362 16.05 83,251 OR
ペンシルベニアしゅう 32 712,665 60.74 32 424,232 36.16 - 27,908 2.38 - 4,831 0.41 - 638 0.05 - 2,936 0.25 - 288,433 24.58 1,173,210 PA
ロードアイランドしゅう 4 33,784 59.74 4 19,812 35.04 - 1,529 2.70 - - - - - - - 1,423 2.52 - 13,972 24.71 56,548 RI
サウスカロライナしゅう 9 3,579 7.04 - 47,233 92.96 9 - - - - - - - - - - - - -43,654 -85.91 50,812 SC
サウスダコタしゅう 4 54,530 56.73 4 39,544 41.14 - 1,542 1.60 - 169 0.18 - 339 0.35 - - - - 14,986 15.59 96,124 SD
テネシーしゅう 12 123,108 44.95 - 145,240 53.03 12 3,844 1.40 - 346 0.13 - 1,322 0.48 - - - - -22,132 -8.08 273,860 TN
テキサスしゅう 15 130,641 30.83 - 267,432 63.12 15 2,644 0.62 - 1,846 0.44 - 20,981 4.95 - 162 0.04 - -136,791 -32.28 423,706 TX
ユタしゅう 3 47,139 50.58 3 45,006 48.30 - 209 0.22 - 720 0.77 - - - - 106 0.11 - 2,133 2.29 93,189 UT
バーモントしゅう 4 42,569 75.73 4 12,849 22.86 - 383 0.68 - 39 0.07 - 367 0.65 - - - - 29,720 52.87 56,212 VT
バージニアしゅう 12 115,769 43.82 - 146,079 55.29 12 2,130 0.81 - - - - 63 0.02 - 167 0.06 - -30,310 -11.47 264,208 VA
ワシントンしゅう 4 57,456 53.44 4 44,833 41.70 - 2,363 2.20 - 2,006 1.87 - - - - 866 0.81 - 12,623 11.74 107,524 WA
ウェストバージニアしゅう 6 119,829 54.27 6 98,807 44.75 - 1,628 0.74 - 286 0.13 - 246 0.11 - - - - 21,022 9.52 220,796 WV
ウィスコンシンしゅう 12 265,760 60.06 12 159,163 35.97 - 10,027 2.27 - 7,048 1.59 - - - - 503 0.11 - 106,597 24.09 442,501 WI
ワイオミングしゅう 3 14,482 58.66 3 10,164 41.17 - - - - 21 0.09 - 20 0.08 - - - - 4,318 17.49 24,687 WY
合計ごうけい: 447 7,228,864 51.64 292 6,370,932 45.52 155 210,867 1.51 - 87,945 0.63 - 50,989 0.36 - 40,943 0.29 - 857,932 6.13 13,997,429 US

接戦せっせんだったしゅう[編集へんしゅう]

あお民主党みんしゅとう赤字あかじ共和党きょうわとう勝利しょうりしたことをしめす。数字すうじ得票とくひょうりつ

得票とくひょうりつ5%未満みまん (選挙せんきょ人数にんずう42):

  1. ケンタッキーしゅう, 1.71%
  2. ユタしゅう, 2.29%
  3. ネブラスカしゅう, 3.24%
  4. アイダホしゅう, 3.83%
  5. インディアナしゅう, 3.99%

得票とくひょうりつ5%以上いじょう10%未満みまん (選挙せんきょ人数にんずう150):

  1. メリーランドしゅう, 5.27%
  2. ミズーリしゅう, 5.53%
  3. カンザスしゅう, 6.60%
  4. オハイオしゅう, 6.64%
  5. テネシーしゅう, 8.08%
  6. イリノイしゅう, 8.39%
  7. ノースカロライナしゅう, 8.46%
  8. デラウェアしゅう, 8.77%
  9. ニューヨークしゅう, 9.27%
  10. ウェストバージニアしゅう, 9.52%

選挙せんきょのち[編集へんしゅう]

マッキンリーは2就任しゅうにんから半年はんとしの1901ねん9がつ6にち、ニューヨークしゅうバッファローで開催かいさいされたパン・アメリカン博覧はくらんかい会場かいじょう政府せいふ主義しゅぎしゃレオン・F・チョルゴッシュに銃撃じゅうげきされ、9月14にちきずもと死去しきょした。ルーズベルトがだい26だい大統領だいとうりょう昇格しょうかくした。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Voter Turnout in Presidential Elections
  2. ^ [Miller 1982: 143]; Detroit Evening News, September 7, 1900; San Francisco Call, September 8, 21, 1900; Boston Evening Transcript, September 20, 1900
  3. ^ [Miller 1982: 148]; Lt. Samuel Powell Lyon to his wife, April 12, 1900, Carlisle Collection
  4. ^ [Miller 1982: 143, 148]
  5. ^ [Miller 1982: 150–151]; Literary Digest 21 (1900): 605–606
  6. ^ [Miller 1982: 187]; Letters of Sergeant Beverly Daley, November 16, 1900, Private Hambleton, March 4, 1900.
  7. ^ 1900 Presidential General Election Data - National”. 2013ねん3がつ18にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Bailey, John W., Jr. "The Presidential Election of 1900 in Nebraska: McKinley over Bryan" Nebraska History 1973 54(4): 561-584. ISSN 0028-1859 Bryan lost his home state.
  • Bailey, Thomas A. (1937). “Was the Presidential Election of 1900 a Mandate on Imperialism?”. Mississippi Valley Historical Review: 43-52. 
  • Coletta, Paolo E. (1964). William Jennings Bryan. vol. 1. University of Nebraska Press 
  • Lewis L. Gould, The Presidency of William McKinley (1980)
  • Fred H. Harrington, "The Anti-Imperialist Movement in the United States, 1898-1900" in Mississippi Valley Historical Review, Vol. 22, No. 2 (Sep., 1935) , pp. 211-230 in JSTOR
  • Miller, Stuart Creighton (1982). Benevolent Assimilation: The American Conquest of the Philippines, 1899–1903. Yale University Press. ISBN 0-300-03081-9 
  • H. Wayne Morgan. "William McKinley as a Political Leader" Review of Politics, Vol. 28, No. 4 (Oct., 1966) , pp. 417-432 in JSTOR
  • H. Wayne Morgan. William McKinley and His America (1963)
  • Kent, Noel Jacob (2002). America in 1900 
  • Schlup, Leonard. "The American Chameleon: Adlai E. Stevenson and the Quest for the Vice Presidency in Gilded Age Politics." Presidential Studies Quarterly 1991 21(3): 511-529. ISSN 0360-4918
  • Schlup, Leonard. "In the Shadow of Bryan: Adlai E. Stevenson and the Resurgence of Conservatism at the 1900 Convention." Nebraska History 1986 67(3): 224-238. ISSN 0028-1859
  • Tompkins, E. Berkeley. "Scilla and Charybdis: the Anti-imperialist Dilemma in the Election of 1900" Pacific Historical Review 1967 36(2): 143-161. ISSN 0030-8684

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]