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1884ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょう選挙せんきょ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
1884ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょう選挙せんきょ
United States presidential election, 1884
アメリカ合衆国
1880ねん ←
1884ねん11月4にち
→ 1888ねん

投票とうひょうりつ 77.5%[1] 減少 0.5%
 
候補者こうほしゃ グロバー・クリーブランド ジェイムズ・G・ブレイン
政党せいとう 民主党みんしゅとう 共和党きょうわとう
出身しゅっしん地域ちいき ニューヨークしゅう メーンしゅう
ふく大統領だいとうりょう候補者こうほしゃ
トーマス・A・ヘンドリックス

ジョン・A・ローガン
獲得かくとく選挙せんきょじん 219 182
勝利しょうり地域ちいきすう 20 18
得票とくひょうすう 4,914,482 4,856,905
得票とくひょうりつ 48.9% 48.3%

しゅうべつ獲得かくとく選挙せんきょじん分布ぶんぷ
  クリーブランド   ブレイン   選挙せんきょじんせないじゅんしゅう

選挙せんきょぜん大統領だいとうりょう

チェスター・A・アーサー
共和党きょうわとう

選出せんしゅつ大統領だいとうりょう

グロバー・クリーブランド
民主党みんしゅとう

1884ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょう選挙せんきょ(1884ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英語えいご: United States presidential election, 1884)は、1884ねん11月4にちおこなわれたアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょう選挙せんきょだい25かい)。過剰かじょう中傷ちゅうしょう個人こじんのとげとげしさにいろどられた選挙せんきょとなった。

1884ねん11月4にちニューヨークしゅう知事ちじグロバー・クリーブランドが、メインしゅう選出せんしゅつアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく上院じょういん議員ぎいんジェイムズ・G・ブレイン僅差きんさやぶり、南北戦争なんぼくせんそうまえ1856ねん以来いらい民主党みんしゅとう大統領だいとうりょうになった。この選挙せんきょではニューヨークしゅう投票とうひょうしゃ1,167,003のうち、わずか1,047ひょうでクリーブランドが36にん選挙せんきょじん獲得かくとくすることになり、選挙せんきょ行方ゆくえけっした。

候補者こうほしゃ指名しめい

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共和党きょうわとう指名しめい

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共和党きょうわとう指名しめい候補者こうほしゃ

共和党きょうわとう旗印はたじるし

共和党きょうわとうはシカゴで全国ぜんこくとう大会たいかい開催かいさいし、もと下院かいん議長ぎちょうのジェイムズ・G・ブレイン、現職げんしょく大統領だいとうりょうのチェスター・A・アーサーおよびバーモントしゅう選出せんしゅつアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく上院じょういん議員ぎいんジョージ・F・エドマンズが有力ゆうりょく候補こうほになった。だい1かい投票とうひょうではブレインが1、アーサーが2、エドマンズが3だった。その投票とうひょうでもこの順位じゅんいわらず、ブレインがひろげ、4かい投票とうひょう過半数かはんすう獲得かくとくした。ブレインの指名しめい、イリノイしゅう選出せんしゅつアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく上院じょういん議員ぎいんジョン・A・ローガンをふく大統領だいとうりょう候補こうほ指名しめいした。

有名ゆうめい南北戦争なんぼくせんそう将軍しょうぐんウィリアム・テカムセ・シャーマン共和党きょうわとう有力ゆうりょく候補こうほともかんがえられたが、シャーマンの誓約せいやくばれるもの、すなわち「もし招集しょうしゅうされてもわたしない。もし指名しめいされてもけない。もしえらばれても就任しゅうにんしない」という言葉ことば除外じょがいされた。

民主党みんしゅとう指名しめい

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民主党みんしゅとう旗印はたじるし

民主党みんしゅとう指名しめい候補者こうほしゃ

民主党みんしゅとう全国ぜんこくとう大会たいかいもシカゴで開催かいさいされ、ニューヨークしゅう知事ちじのグロバー・クリーブランドを大統領だいとうりょう候補こうほえらんだ。指名しめい候補こうほ、トマス・F・ベイアード、トマス・A・ヘンドリックス、アレン・G・サーマン、サミュエル・J・ランドール、ジョセフ・E・マクドナルドおよびジョン・G・カーライルは4ねんまえ指名しめい候補こうほであり落選らくせんしていたが、そのかれらをやぶった。ヘンドリックスはふく大統領だいとうりょう候補こうほ指名しめいけた。

平等びょうどうとう指名しめい

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女性じょせい参政さんせいけん運動うんどうたいする2だい政党せいとう男性だんせいたちによる抵抗ていこう不満ふまんいた女性じょせいしょう集団しゅうだんが1884ねんにこのだい3の政党せいとう結党けっとう宣言せんげんした。ワシントンD.C.検察官けんさつかんベルバ・アン・ロックウッド英語えいごばんが、まだアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく女性じょせい投票とうひょうけんかったにもかかわらず、その候補者こうほしゃ指名しめい同意どういした。彼女かのじょは「わたし投票とうひょうできないが投票とうひょうはしてもらえる」とった。大統領だいとうりょうしょくもとめた選挙せんきょせん完全かんぜんたたかった最初さいしょ女性じょせいとなった(1872ねんビクトリア・ウッドハル英語えいごばんかぎられた選挙せんきょ運動うんどう実行じっこうした)。平等びょうどうとう資金しきんかったがロックウッドは運動うんどう旅行りょこう費用ひようまかなうために講義こうぎおこなった。ロックウッドの獲得かくとくしたひょうは5,000ひょうたなかったが、女性じょせい政治せいじ興味きょうみがあり、候補者こうほしゃになりるという重要じゅうよう市民しみんとしての教訓きょうくん国民こくみんおしえた。

グリーンバックとうはん独占どくせんとう指名しめい

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グリーンバック労働党ろうどうとうはその党名とうめいから「労働ろうどう」をはずし、南北戦争なんぼくせんそう将軍しょうぐんベンジャミン・フランクリン・バトラー大統領だいとうりょう候補こうほに、みなみぐん将軍しょうぐんアブソロム・M・ウエストをふく大統領だいとうりょう候補こうほえらんだ。あい前後ぜんごしてバトラーは、はん独占どくせんとうからも候補者こうほしゃ指名しめいされ、りょうとう共同きょうどう公認こうにんほん選挙せんきょたたかうこととなった。

禁酒きんしゅとう指名しめい

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禁酒きんしゅ主義しゅぎしゃは3かい大統領だいとうりょう選挙せんきょに、ジョン・セントジョンを大統領だいとうりょう候補こうほに、ウィリアム・ダニエルをふく大統領だいとうりょう候補こうほえらんだ。かりやすい単一たんいつ命題めいだい禁酒きんしゅとう綱領こうりょうはアルコール飲料いんりょう刑罰けいばつうったえた。

一般いっぱん選挙せんきょ

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選挙せんきょ運動うんどう

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クリーブランドをワシントンやリンカーンとならべた選挙せんきょポスター
クリーブランドのかく騒動そうどう攻撃こうげきする選挙せんきょポスター

個人こじん性格せいかく問題もんだいがこの選挙せんきょ運動うんどう特徴付とくちょうづけた。もと下院かいん議長ぎちょうのブレインは「マリガンの手紙てがみ」という汚点おてんのために、過去かこ2かい大統領だいとうりょう選挙せんきょ共和党きょうわとう候補者こうほしゃ指名しめいられなかった。1876ねん、ジェイムズ・マリガンというボストンの簿記ぼきがかりが、ブレインが議会ぎかいにおけるその影響えいきょうりょく様々さまざま事業じぎょう利用りようしてもうけたことをしめいくつかの手紙てがみつけた。そのような手紙てがみひとつの最後さいご文句もんくは「この手紙てがみやせ」となっており、そのことから民主党みんしゅとう選挙せんきょスローガンは「やせ、やせ、この手紙てがみやせ」になった。ひとつの取引とりひきで、リトルロック&フォートスミス鉄道てつどうから、数多あまたあるなかでも連邦れんぽう政府せいふ土地とち特許とっきょ確保かくほした報酬ほうしゅうとしてブレインは110,150ドル(2005ねん貨幣かへい価値かちで150まんドル)をていた。民主党みんしゅとうはんブレイン共和党きょうわとういんはブレインの誠実せいじつさにたいして際限さいげん攻撃こうげきけた。一方いっぽう、ニューヨークしゅう知事ちじのクリーブランドは、その個性こせいとしての高潔こうけつさで「善良ぜんりょうなるグロバー」としてられていた。それ以前いぜんバッファロー市長しちょうとして、またしゅう知事ちじつとめた期間きかんに、タマニーホール収賄しゅうわいをかなりのりょう浄化じょうかしていた。

しかし、7がつ21にちのバッファローの「イブニング・テレグラフ」は、クリーブランドが婚姻こんいんによらない1ちちとなり、その子供こども孤児こじになって、母親ははおや保護ほご施設しせつはいったとほうじたときおおきな衝撃しょうげきはしった。クリーブランドの選挙せんきょ参謀さんぼう率直そっちょくさがこのスキャンダルに対処たいしょする最良さいりょう方法ほうほうめた。かれらはクリーブランドがその母親ははおやと「不義ふぎ関係かんけい」をなし、子供こどもまれ、クリーブランドのせいあたえられたことをみとめた。さらにクリーブランドが父親ちちおやであるという証拠しょうこいともべ、その責任せきにんって子供こどもいえつけることでその義務ぎむたしているだけだと主張しゅちょうした。最終さいしゅうてき母親ははおや強制きょうせいてき保護ほご施設しせつれられたのではなく、行方ゆくえ不明ふめいになっていることをしめした。ブレインの支持しじしゃはクリーブランドをもっとつよ言葉ことば非難ひなんした。しかし、クリーブランドの選挙せんきょ運動うんどうのやりかたがうまくはこび、選挙せんきょまで接戦せっせんつづけた。実際じっさいおおくの共和党きょうわとう改革かいかくはブレインのスキャンダルに嫌悪けんおかんち、クリーブランド選出せんしゅつうごいた。これら改革かいかくは「マグワンプス」とばれた。

勝敗しょうはい決定的けっていてきにしたのは、選挙せんきょ期間きかん最終さいしゅうしゅうだった。ブレインが出席しゅっせきした共和党きょうわとう集会しゅうかいで、ニューヨークしゅう牧師ぼくし一団いちだんがマグワンプをきびしく非難ひなんしていたが、そのなか一人ひとり長老ちょうろう教会きょうかい牧師ぼくしだったサミュエル・バーチャード牧師ぼくしがこう発言はつげんしたのである。

我々われわれ共和党きょうわとういんであり、その素性すじょう厄介やっかいしゃローマ・カトリック教徒きょうと反逆はんぎゃくしゃであるもの離党りとうせよとはわず、党員とういんであるとはおもわない。

バーチャードのあからさまなカトリックへの攻撃こうげきには、ブレインばかりか同席どうせきしていた新聞しんぶん記者きしゃすら気付きづかなかったが、集会しゅうかいまぎんだ一人ひとり民主みんしゅ党員とういんがクリーブランド陣営じんえいらせ、たちま攻撃こうげき材料ざいりょうとなってしまった。結果けっかとしてニューヨークのカトリック教徒きょうとのブレインにたいする反感はんかんい、ニューヨークしゅう一般いっぱん投票とうひょうでは僅差きんさでブレインがやぶれることになった。

結果けっか

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大統領だいとうりょうせん結果けっか
大統領だいとうりょう候補者こうほしゃ
出身しゅっしんしゅう 
とう   得票とくひょうすう 得票とくひょうりつ 選挙せんきょじん得票とくひょうすう ふく大統領だいとうりょう候補者こうほしゃ
出身しゅっしんしゅう
選挙せんきょじん得票とくひょうすう 
グロバー・クリーブランド
ニューヨークしゅう
民主党みんしゅとう 4,874,621 48.5% 219 トーマス・A・ヘンドリックス
インディアナしゅう
219
ジェイムズ・G・ブレイン
メインしゅう
共和党きょうわとう 4,848,936 48.2% 182 ジョン・A・ローガン
イリノイしゅう
182
ベンジャミン・フランクリン・バトラー
マサチューセッツしゅう
グリーンバックとう
はんモノポリとう
175,096 1.7% 0 アブソロム・M・ウエスト
ミシシッピしゅう
0
ジョン・セントジョン
カンザスしゅう
禁酒きんしゅとう 147,482 1.5% 0 ウィリアム・ダニエル
メリーランドしゅう
0
その - 3,619 0.0% 0 - 0
合計ごうけい 10,049,754 100% 401 - 401
選出せんしゅつ必要ひつようすう 201 - 201

しゅうごとの結果けっか

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出典しゅってん: データは Walter Dean Burnhamより引用いんよう, Presidential ballots, 1836-1892 (Johns Hopkins University Press, 1955) pp 247–57.[2]

クリーブランド/ヘンドリックス勝利しょうりしたしゅう
ブレイン/ローガン勝利しょうりしたしゅう
グロバー・クリーブランド
民主党みんしゅとう
ジェームズ・ブレイン
共和党きょうわとう
ジョン・セントジョン
禁酒きんしゅとう
ベンジャミン・バトラー
グリーンバックとう
ひょう しゅう合計ごうけい
しゅう 選挙せんきょ人数にんずう # % 選挙せんきょ人数にんずう # % 選挙せんきょ人数にんずう # % 選挙せんきょ人数にんずう # % 選挙せんきょ人数にんずう # % #
アラバマしゅう 10 92,736 60.37 10 59,444 38.69 - 610 0.40 - 762 0.50 - 33,292 21.67 153,624 AL
アーカンソーしゅう 7 72,734 57.83 7 51,198 40.70 - - - - 1,847 1.47 - 21,536 17.12 125,779 AR
カルフォルニアしゅう 8 89,288 45.33 - 102,369 51.97 8 2,965 1.51 - 2,037 1.03 - -13,081 -6.64 196,988 CA
コロラドしゅう 3 27,723 41.68 - 36,084 54.25 3 756 1.14 - 1,956 2.94 - -8,361 -12.57 66,519 CO
コネチカットしゅう 6 67,182 48.95 6 65,898 48.01 - 2,493 1.82 - 1,684 1.23 - 1,284 0.94 137,257 CT
デラウェアしゅう 3 16,957 56.55 3 12,953 43.20 - 64 0.21 - 10 0.03 - 4,004 13.35 29,984 DE
フロリダしゅう 4 31,769 52.96 4 28,031 46.73 - 72 0.12 - - - - 3,738 6.23 59,990 FL
ジョージアしゅう 12 94,667 65.92 12 48,603 33.84 - 195 0.14 - 145 0.10 - 46,064 32.08 143,610 GA
イリノイしゅう 22 312,351 46.43 - 337,469 50.17 22 12,074 1.79 - 10,776 1.60 - -25,118 -3.73 672,670 IL
インディアナしゅう 15 245,005 49.46 15 238,489 48.15 - 3,028 0.61 - 8,810 1.78 - 6,516 1.32 495,332 IN
アイオワしゅう 13 177,316 47.01 - 197,089 52.25 13 1,499 0.40 - - - - -19,773 -5.24 377,201 IA
カンザスしゅう 9 90,132 33.90 - 154,406 58.08 9 4,495 1.69 - 16,346 6.15 - -64,274 -24.18 265,848 KS
ケンタッキーしゅう 13 152,961 55.32 13 118,690 42.93 - 3,139 1.14 - 1,691 0.61 - 34,271 12.40 276,481 KY
ルイジアナしゅう 8 62,594 57.22 8 46,347 42.37 - 338 0.31 - 120 0.11 - 16,247 14.85 109,399 LA
メインしゅう 6 52,153 39.97 - 72,217 55.34 6 2,160 1.66 - 3,955 3.03 - -20,064 -15.38 130,491 ME
メリーランドしゅう 8 96,866 52.07 8 85,748 46.10 - 2,827 1.52 - 578 0.31 - 11,118 5.98 186,019 MD
マサチューセッツしゅう 14 122,352 40.33 - 146,724 48.36 14 9,923 3.27 - 24,382 8.04 - -24,372 -8.03 303,383 MA
ミシガンしゅう 13 189,361 47.20 - 192,669 48.02 13 18,403 4.59 - 753 0.19 - -3,308 -0.82 401,186 MI
ミネソタしゅう 7 70,065 36.87 - 111,685 58.78 7 4,684 2.47 - 3,583 1.89 - -41,620 -21.90 190,017 MN
ミシシッピしゅう 9 77,653 64.34 9 43,035 35.66 - - - - - - - 34,618 28.68 120,688 MS
ミズーリしゅう 16 236,023 53.49 16 203,081 46.02 - 2,164 0.49 - - - - 32,942 7.47 441,268 MO
ネブラスカしゅう 5 54,391 40.53 - 76,912 57.31 5 2,899 2.1600 - - - - -22,521 -16.78 134,202 NE
ネバダしゅう 3 5,578 43.59 - 7,193 56.21 3 - - - 26 0.20 - -1,615 -12.62 12,797 NV
ニューハンプシャーしゅう 4 39,198 46.34 - 43,254 51.14 4 1,580 1.87 - 554 0.65 - -4,056 -4.80 84,586 NH
ニュージャージーしゅう 9 127,798 48.98 9 123,440 47.31 - 6,159 2.36 - 3,496 1.34 - 4,358 1.67 260,921 NJ
ニューヨークしゅう 36 563,154 48.25 36 562,005 48.15 - 25,006 2.14 - 17,004 1.46 - 1,149 0.10 1,167,169 NY
ノースカロライナしゅう 11 142,905 53.25 11 125,021 46.59 - 430 0.16 - - - - 17,884 6.66 268,356 NC
オハイオしゅう 23 368,280 46.94 - 400,082 50.99 23 11,069 1.41 - 5,179 0.66 - -31,802 -4.05 784,610 OH
オレゴンしゅう 3 24,604 46.70 - 26,860 50.99 3 492 0.93 - 726 1.38 - -2,256 -4.28 52,682 OR
ペンシルベニアしゅう 30 392,785 43.46 - 478,804 52.97 30 15,283 1.69 - 16,992 1.88 - -86,019 -9.52 903,864 PA
ロードアイランドしゅう 4 12,391 37.81 - 19,030 58.07 4 928 2.83 - 422 1.29 - -6,639 -20.26 32,771 RI
サウスカロライナしゅう 9 69,845 75.25 9 21,730 23.41 - - - - - - - 48,115 51.84 92,812 SC
テネシーしゅう 12 133,770 51.45 12 124,101 47.74 - 1,150 0.44 - 957 0.37 - 9,669 3.72 259,978 TN
テキサスしゅう 13 225,309 69.26 13 93,141 28.63 - 3,534 1.09 - 3,321 1.02 - 132,168 40.63 325,305 TX
バーモントしゅう 4 17,331 29.18 - 39,514 66.52 4 1,753 2.95 - 785 1.32 - -22,183 -37.34 59,401 VT
バージニアしゅう 12 145,491 51.05 12 139,356 48.90 - 130 0.05 - - - - 6,135 2.15 284,977 VA
ウェストバージニアしゅう 6 67,311 50.94 6 63,096 47.75 - 939 0.71 - 799 0.60 - 4,215 3.19 132,145 WV
ウィスコンシンしゅう 11 146,453 45.79 - 161,135 50.38 11 7,649 2.39 - 4,598 1.44 - -14,682 -4.59 319,835 WI
合計ごうけい: 401 4,914,482 48.85 219 4,856,903 48.28 182 150,890 1.50 - 134,294 1.33 - 57,579 0.57 10,060,145 US

接戦せっせんだったしゅう

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あお民主党みんしゅとう赤字あかじ共和党きょうわとう勝利しょうりしたことをしめす。数字すうじ得票とくひょうりつ

得票とくひょうりつ5%未満みまん (選挙せんきょじん172):

  1. ニューヨークしゅう, 0.10%
  2. ミシガンしゅう, 0.82%
  3. コネチカットしゅう, 0.94%
  4. インディアナしゅう, 1.32%
  5. ニュージャージーしゅう, 1.67%
  6. バージニアしゅう, 2.15%
  7. ウェストバージニアしゅう, 3.19%
  8. テネシーしゅう, 3.72%
  9. イリノイしゅう, 3.73%
  10. オハイオしゅう, 4.05%
  11. オレゴンしゅう, 4.28%
  12. ウィスコンシンしゅう, 4.59%
  13. ニューハンプシャーしゅう, 4.80%

得票とくひょうりつ5%以上いじょう10%未満みまん (選挙せんきょじん104):

  1. アイオワしゅう, 5.24%
  2. メリーランドしゅう, 5.98%
  3. フロリダしゅう, 6.23%
  4. カルフォルニアしゅう, 6.64%
  5. ノースカロライナしゅう, 6.66%
  6. ミズーリしゅう, 7.47%
  7. マサチューセッツしゅう, 8.03%
  8. ペンシルベニアしゅう, 9.52%

参考さんこう文献ぶんけん

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  • Mark Hirsch, "Election of 1884," in History of Presidential Elections: Volume III 1848-1896, ed. Arthur Schlesinger and Fred Israel (1971), 3:1578.
  • Josephson, Matthew (1938). The Politicos: 1865–1896 
  • Keller, Morton (1977). Affairs of State: Public Life in Late Nineteenth Century America 
  • Kleppner, Paul (1979). The Third Electoral System 1853-1892: Parties, Voters, and Political Cultures 
  • Lynch, G. Patrick "U.S. Presidential Elections in the Nineteenth Century: Why Culture and the Economy Both Mattered." Polity 35#1 (2002) pp 29+.
  • Norgren, Jill. Belva Lockwood: The Woman Who Would be President (NY: New York University Press, 2007).online version, focus on 1884
  • Morgan, H. Wayne (1969). From Hayes to McKinley: National Party Politics, 1877–1896 
  • Rhodes, James Ford (1920) (8 vols.). History of the United States from the Compromise of 1850 to the Roosevelt-Taft Administration 
  • Mark Wahlgren Summers. Rum, Romanism, and Rebellion: The Making of a President, 1884 (2000) online version

いち史料しりょう

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脚注きゃくちゅう

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外部がいぶリンク

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