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女性じょせい参政さんせいけん

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財務省ざいむしょうしゃまえ婦人ふじん参政さんせいけんもとめるデモをおこなうアメリカじん女性じょせい(1913ねん3がつ3にち
女性じょせい参政さんせいけんもとめてデモをおこなうアメリカじん女性じょせい(1913ねん2がつ

女性じょせい参政さんせいけん(じょせいさんせいけん)とは、女性じょせい直接ちょくせつまたは間接かんせつてきくに地方自治体ちほうじちたい政治せいじ参加さんかするためのしょ権利けんりのこと。かつて婦人ふじん参政さんせいけん(ふじんさんせいけん)とばれていた用語ようご現代げんだいてきにいいかえた表現ひょうげんである。

概説がいせつ

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欧米おうべい

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18世紀せいきすえフランス革命かくめいで、普通ふつう選挙せんきょ実現じつげんしたが、参政さんせいけん付与ふよされたのは男性だんせいのみであった。

欧米おうべい社会しゃかいにあっても、社会しゃかい参加さんか男性だんせいおこない、女性じょせい男性だんせいささえていればよいとの意識いしきつよかった。

女性じょせい参政さんせいけん19世紀せいき後半こうはんにごく一部いちぶ実現じつげんしたが、欧米おうべいにおいて女性じょせい参政さんせいけんひろまったのは20世紀せいきはいってからであった。

スイスでは1870年代ねんだい女性じょせい運動うんどう組織そしきされ、1886ねんには女性じょせい法学ほうがくしゃエミリー・ケンピン=スピリの法曹ほうそう団体だんたいへの参加さんかみとめられなかったことがあったが、1971ねんには女性じょせい参政さんせいけん選挙せんきょけん)が可決かけつされた[1]

世界せかいはつ

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世界せかいはつ恒常こうじょうてき女性じょせい参政さんせいけんは、1869ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくワイオミングしゅう実現じつげんした(ただし選挙せんきょけんのみ)。

1871ねんフランスパリ・コミューン短期間たんきかんながら女性じょせい参政さんせいけん実現じつげんされた。

被選挙権ひせんきょけんふく参政さんせいけん実現じつげんは、1894ねんのオーストラリアのみなみオーストラリアしゅう世界せかいはつである。

現代げんだい

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女性じょせい参政さんせいけんは20世紀せいきとおしてほとんどのくにみとめられるようになった。ヨーロッパで比較的ひかくてきおそスイスでは、1971ねん連邦れんぽうレベル)、1991ねん全土ぜんど)であった。

21世紀せいきはいってからは、ほぼすべてのくに女性じょせい参政さんせいけんみとめられるようになり、現在げんざいでも女性じょせい参政さんせいけんみとめていないくには、バチカンこくのみである。

日本にっぽん

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日本にっぽんの「婦人ふじん参政さんせいけん運動うんどう婦人ふじん運動うんどう)」のなかでは以下いかの3つをわせ、「せんさんあん[2][3]あるいはせん三権さんけん[疑問ぎもんてん]ばれてきた[だれによって?]

  1. 国政こくせい参加さんか権利けんり衆議院しゅうぎいん議員ぎいん選挙せんきょ被選挙権ひせんきょけん
  2. 地方ちほう政治せいじ参加さんか権利けんり地方ちほう議会ぎかい議員ぎいん選挙せんきょ被選挙権ひせんきょけん公民こうみんけん)。
  3. 政党せいとう結社けっしゃ加入かにゅう権利けんり結社けっしゃけん)。

日本にっぽんにおける女性じょせい参政さんせいけん獲得かくとくまでの歴史れきし

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しん婦人ふじん協会きょうかいだい1かい総会そうかい(1921ねん)。平塚ひらつからいてうおくむめお市川いちかわ房枝ふさえら。
警官けいかんかこまれておこなわれるせん運動うんどうどうあいかい演説えんぜつ(1927ねん2がつ23にち
1929ねん3がつ15にち女性じょせい参政さんせいけんもとめる集会しゅうかい東京とうきょう市政しせいきよしデー」がひらかれた。集会しゅうかい参加さんかするせん獲得かくとく同盟どうめいのメンバーたち。
だい1かいせんデーのためのポスターを作成さくせいする山高やまたかしげり市川いちかわ房枝ふさえら(1932ねん
戦後せんごはつそう選挙せんきょ誕生たんじょうした女性じょせい代議士だいぎし(1946ねん

欧米おうべい女性じょせい運動うんどうたかまりつつあった1880年代ねんだい女性じょせい参政さんせいけん検討けんとうしたスイスの法律ほうりつしょは、女性じょせい参政さんせいけん否定ひていする内容ないよう誤訳ごやくされ、『国会こっかい議員ぎいん選挙せんきょろん』としてつたわり[4]大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうにおいては女性じょせい参政さんせいけん成立せいりつしなかった。

日本にっぽん普通ふつう選挙せんきょ実現じつげんしたのは、1925ねん大正たいしょう14ねん)であった。しかし、フランス革命かくめい当時とうじ欧米おうべいおなじように、男性だんせいのみの参政さんせいけん明文化めいぶんかされた。

日本にっぽん婦人ふじん運動うんどうは、戦争せんそう激化げきかによる中断ちゅうだんはあるものの明治めいじまつねんからの歴史れきしゆうし、女性じょせいなかには政治せいじてき権利けんり希求ききゅうする意識いしき醸成じょうせいされていた[5]

明治めいじすえとしから大正たいしょうデモクラシー時期じきにかけて、女性じょせい参政さんせいけんもとめる気運きうん徐々じょじょたかまってくる。さかい利彦としひこ幸徳こうとく秋水しゅうすいらの「平民へいみんしゃ」による治安ちあん警察けいさつほう改正かいせい請願せいがん運動うんどう嚆矢こうしとして、平塚ひらつからいてう青鞜せいとうしゃ結成けっせいて、 平塚ひらつか市川いちかわ房枝ふさえおくむめおらによるしん婦人ふじん協会きょうかい(1919ねん)の設立せつりつ[6]や、 ガントレット恒子つねこひさぬのしろ落実らによる日本にっぽん婦人ふじん参政さんせいけん協会きょうかい(1921ねんのち日本にっぽん基督教きりすときょう婦人ふじん参政さんせいけん協会きょうかい)が婦人ふじん参政さんせいけん運動うんどう婦人ふじん運動うんどう)を展開てんかいつづいてかく団体だんたい大同団結だいどうだんけつはかられ、婦人ふじん参政さんせい同盟どうめい日本にっぽん婦人ふじん協会きょうかい〕(1923ねん)〈理事りじ山根やまねキク〉、婦人ふじん参政さんせいけん獲得かくとく期成きせい同盟どうめいかい(1924ねんのちせん獲得かくとく同盟どうめい改称かいしょう)が結成けっせい、さらに運動うんどう推進すいしんした。

これらの運動うんどうは、戦前せんぜん日本にっぽんにおいて、女性じょせい集会しゅうかい自由じゆうはばんでいた治安ちあん警察けいさつほうだい5じょう2こう改正かいせい(1922ねん)や、女性じょせい弁護士べんごしになること可能かのうとする、婦人ふじん弁護士べんごし制度せいど制定せいてい弁護士べんごしほう改正かいせい、1933ねんとう女性じょせい政治せいじてき社会しゃかいてき権利けんり獲得かくとくめんでいくつかの重要じゅうよう成果せいかをあげた。

1931ねんには婦人ふじん参政さんせいけん条件じょうけんづけみとめる法案ほうあん衆議院しゅうぎいん通過つうかするが、貴族きぞくいん反対はんたい廃案はいあんまれた。

1932ねん1がつ22にち無産むさん婦人ふじん団体だんたいふくむ4団体だんたいで「せん団体だんたい連合れんごう委員いいんかい」が組織そしきされた[7]同年どうねん2がつ13にちどう委員いいんかい全国ぜんこく一斉いっせいだい1かいせんデーを開催かいさいした[8]

その市川いちかわ戦争せんそう遂行すいこう国策こくさく協力きょうりょくすることで女性じょせい政治せいじ地位ちい向上こうじょう目指めざし、婦人ふじん参政さんせいけん運動うんどう団体だんたい最終さいしゅうてきだい日本にっぽん婦人ふじんかい統合とうごうされ、市川いちかわだい日本にっぽん言論げんろんほう国会こっかい理事りじとして活動かつどうした。これは戦後せんご市川いちかわ公職こうしょく追放ついほう理由りゆうとなった。

1945ねん10がつ10日とおかぬさ原内はらうちかく婦人ふじん参政さんせいけんかんする閣議かくぎ決定けってい独自どくじになされた。また、終戦しゅうせん10にちの1945ねん昭和しょうわ20ねん)8がつ25にちには、市川いちかわ房枝ふさえらによる「戦後せんご対策たいさく婦人ふじん委員いいんかい」が結成けっせいされ、衆議院しゅうぎいん議員ぎいん選挙せんきょほう改正かいせい治安ちあん警察けいさつほう廃止はいしとうもとめた項目こうもく決議けつぎを、政府せいふおよ主要しゅよう政党せいとう提出ていしゅつ同年どうねん11がつ3にちには、婦人ふじん参政さんせいけん獲得かくとく目的もくてきとし、「しん日本にっぽん婦人ふじん同盟どうめい」(会長かいちょう市川いちかわ房枝ふさえのち日本にっぽん婦人ふじん有権者ゆうけんしゃ同盟どうめい改称かいしょう)が創立そうりつされ、婦人ふじん参政さんせいけん運動うんどう再開さいかいしている。

1945ねん11月21にちには、まずみことのりれいにより治安ちあん警察けいさつほう廃止はいしされ、女性じょせい結社けっしゃけんみとめられる。つぎに、同年どうねん12がつ17にち改正かいせい衆議院しゅうぎいん議員ぎいん選挙せんきょほう公布こうふにより、女性じょせい国政こくせい参加さんかみとめられる(地方ちほう参政さんせいけん翌年よくねんの1946ねん9がつ27にち地方ちほう制度せいど改正かいせいにより実現じつげん)。1946ねん昭和しょうわ21ねん)4がつ10日とおか戦後せんごはつ(かつ帝国ていこく議会ぎかい最後さいご)の衆議院しゅうぎいん選挙せんきょだい22かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ)の結果けっか日本にっぽんはつ女性じょせい議員ぎいん39めい誕生たんじょうする。そして、同年どうねん5がつ16にち召集しょうしゅうだい90特別とくべつ議会ぎかいでの審議しんぎて、10月7にち大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう全面ぜんめん改正かいせいあん成立せいりつし、だい14じょうの「ほうした平等びょうどう」で女性じょせい参政さんせいけん明確めいかく保障ほしょうされた日本国にっぽんこく憲法けんぽう同年どうねん11がつ3にち公布こうふ、1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ3にち施行しこうされた。しかし、しん憲法けんぽう施行しこう先立さきだち4がつ25にちおこなわれただい23かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょでは女性じょせい当選とうせんしゃは15にん激減げきげんし、1976ねんだい34かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょではさらに6にんまでんだのち、2005ねんだい44かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょで43にん当選とうせんするまで22かい、59年間ねんかんにわたって1946ねんそう選挙せんきょの39にんえることはできなかった。なお、参議院さんぎいんでは1947ねんだい1かい参議院さんぎいん議員ぎいん通常つうじょう選挙せんきょで10にん女性じょせい議員ぎいん登場とうじょうした[9]

日本にっぽんはつ女性じょせい参政さんせいけん

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投票とうひょうする日本にっぽん女性じょせいたち

1878ねん明治めいじ11ねん)の区会くかい議員ぎいん選挙せんきょで、「戸主こしゅとして納税のうぜいしているのに、おんなだから選挙せんきょけんがないというのはおかしい。」と楠瀬くすのせ喜多きた高知こうちけんたいして抗議こうぎした[10]。しかし、けんにはれてもらえず、楠瀬くすのせ内務省ないむしょううったえた。そして1880ねん明治めいじ13ねん)9がつ20日はつか、3ヶ月かげつにわたる上町うえまち町会ちょうかい運動うんどうすえ県令けんれいれ、おんな戸主こしゅ限定げんていされていたものの、日本にっぽんはつ女性じょせい参政さんせいけんみとめられた。そのとなり小高おだか坂村さかむらでも同様どうよう条項じょうこう実現じつげんした。

この当時とうじ世界せかい女性じょせい参政さんせいけんみとめられていた地域ちいきアメリカワイオミングじゅんしゅうえいりょうサウスオーストラリアピトケアン諸島しょとうといったごく一部いちぶで、欧州おうしゅうほとんどのくにでは実現じつげんしてはおらず、日本にっぽんでのこのうごきは女性じょせい参政さんせいけん実現じつげんしたものとしては世界せかいすうれいとなった。しかし、4ねんの1884ねん明治めいじ17ねん)、日本にっぽん政府せいふは「町村ちょうそんかいほう」を改訂かいていし、規則きそく制定せいていけん町村ちょうそんかいからげたため、町村ちょうそん会議かいぎいん選挙せんきょから女性じょせい排除はいじょされた。

世界せかい各国かっこく国政こくせい選挙せんきょにおける女性じょせい参政さんせいけん獲得かくとく年次ねんじ

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女性じょせい参政さんせいけんもとめる行進こうしん(1912ねん、ニューヨーク

女性じょせい参政さんせいけんみとめていない、もしくは制限せいげんきでのみみとめているくに

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以下いかとおりである。

  • ブルネイの旗 ブルネイ: イギリスの自治領じちりょうとなった1959ねん女性じょせい参政さんせいけんみとめられたが、1962ねん以降いこう男女だんじょとも選挙せんきょけんみとめられていない。議会ぎかいは1982ねん解散かいさんされ、2004ねんからはスルタンの完全かんぜん任命にんめいせいによる立法りっぽう評議ひょうぎかい設置せっちされている。
  • レバノンの旗 レバノン女性じょせいのみ初等しょとう教育きょういくけた証明しょうめい必要ひつよう。また、投票とうひょう男性だんせいには義務ぎむされているが女性じょせい任意にんいである。
  • バチカン市国の旗 バチカンこく議会ぎかいゆうさない。なお国事こくじ運営うんえい最高さいこう機関きかん聖職せいしょくしゃによって構成こうせいされるが、女性じょせい聖職せいしょくしゃ就任しゅうにんできない。なお、女性じょせい職員しょくいんはおり、2020ねん1がつふく大臣だいじんきゅうポストに女性じょせい就任しゅうにんしている。

脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  1. ^ スイスの女性じょせい参政さんせいけんドイツばん。「武者小路むしゃのこうじみのる#エピソード」も参照さんしょう
  2. ^ 丸山まるやま 2001, pp. 175–180.
  3. ^ 今井いまい 2002, pp. 1–11.
  4. ^ 武者小路むしゃのこうじみのる#エピソード参照さんしょう
  5. ^ 児玉こだま 1981, pp. 13–15, 303–305.
  6. ^ ウーマン・リブ『朝日新聞あさひしんぶん』1970ねん昭和しょうわ45ねん)11月5にち 12はん 23めん
  7. ^ 市川いちかわ房枝ふさえしゅう 別巻べっかん, p. 115.
  8. ^ 決定けっていばん 昭和しょうわ だい6かん毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、1984ねん2がつ29にち
  9. ^ (2) 女性じょせい議員ぎいんすう推移すいい、「平成へいせい13年度ねんど女性じょせい政策せいさく方針ほうしん決定けってい参画さんかくじょうきょう調しらべ」ない”. 内閣ないかく男女だんじょ共同きょうどう参画さんかくきょく. 2018ねん5がつ20日はつか閲覧えつらん
  10. ^ 中村なかむら 2016反骨はんこつ記録きろく:1)「民権みんけんばあさん」とびらひら
  11. ^ 佐藤さとうまどか「寡頭せい民主みんしゅせいか――強制きょうせい移住いじゅう直前ちょくぜんのチェロキーぞく政治せいじ体制たいせいかんする評価ひょうかをめぐって」『法政ほうせい史学しがくだい50ごう法政大学ほうせいだいがく学会がっかい、1998ねん3がつ、110ぺーじ 
  12. ^ LeBow, Diana. “Rethinking matriliny among the Hopi”. Women in Search of Utopia: Mavericks and Mythmakers. Schocken. p. 18 
  13. ^ Fassett, Sarah (1986ねん). “Navajo Women's Story 1868 to 1960: Separation of the Sexes”. Georgetown Law Library. 2023ねん6がつ30にち閲覧えつらん
  14. ^ Diane-Michele Prindeville (March 2004). “Feminist Nations? A Study of Native American Women in Southwestern Tribal Politics”. Political Research Quarterly (Sage Publications) 57 (1): 101-112. 
  15. ^ Sally Roesch Wagner (2020ねん12月14にち). “How Native American Women Inspired the Women’s Rights Movement”. 2023ねん6がつ30にち閲覧えつらん
  16. ^ 江守えもり五夫いつお母権ぼけん父権ふけん弘文こうぶんどう弘文こうぶんどう選書せんしょ〉、1973ねん、149-151ぺーじ 
  17. ^ デイヴィッド・スタサヴェージ ちょ立木たちきまさる やく民主みんしゅ主義しゅぎ人類じんるい――なに独裁どくさい民主みんしゅけるのか?』みすず書房しょぼう、2023ねん原著げんちょ2020ねん)、48ぺーじ 
  18. ^ Stemmerett for kvinner – Grunnloven § 50 - stortinget.no:”. Stortinget (2012ねん11月6にち). 2016ねん6がつ24にち閲覧えつらん
  19. ^
  20. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 国本くにもと伊代いよ編著へんちょ)「ラテンアメリカのあたらしい社会しゃかい女性じょせい 20世紀せいき最後さいご四半世紀しはんせいき変化へんかをめぐって」『ラテンアメリカあたらしい社会しゃかい女性じょせいしん評論ひょうろん、2000ねん3がつ[ようページ番号ばんごう]ぺーじNCID BA45731818 

参考さんこう文献ぶんけん

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本文ほんぶん典拠てんきょおも執筆しっぴつしゃの50おとじゅん

  • 今井いまいしょうせん獲得かくとく同盟どうめい母性ぼせい児童じどう保護ほご運動うんどう : その揺籃ようらんのモチベーションをせまって」『社会しゃかい福祉ふくしがくだい43かんだい1ごう一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん 日本にっぽん社会しゃかい福祉ふくし学会がっかい、2002ねん、1-11ぺーじdoi:10.24469/jssw.43.1_1ISSN 0911-0232NAID 110008093428 
  • 国本くにもと伊代いよ編著へんちょ) (2000-03). “ラテンアメリカのあたらしい社会しゃかい女性じょせい 20世紀せいき最後さいご四半世紀しはんせいき変化へんかをめぐって”. ラテンアメリカあたらしい社会しゃかい女性じょせい. しん評論ひょうろん. pp. [ようページ番号ばんごう] 
  • 児玉こだま勝子かつこ婦人ふじん参政さんせいけん運動うんどう小史しょうし』ドメス出版しゅっぱん、1981ねん、13-15,303-305ぺーじNCID BN00472989 
  • 中村なかむら尚徳なおのり反骨はんこつ記録きろく:1)「民権みんけんばあさん」とびらひら」『朝日新聞あさひしんぶんデジタル朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、2016ねん4がつ23にち2020ねん12月18にち閲覧えつらん
  • 丸山まるやまゆたか東海とうかい女性じょせいたちの目覚めざめ : 青鞜せいとうから参政さんせいけん運動うんどうへ(社会しゃかい)(教科きょうか研究けんきゅう)」『名古屋大学なごやだいがく教育きょういく学部がくぶ附属ふぞくちゅう高等こうとう学校がっこう紀要きようだい46ごう名古屋大学なごやだいがく教育きょういく学部がくぶ附属ふぞく中学校ちゅうがっこう : 名古屋大学なごやだいがく教育きょういく学部がくぶ附属ふぞく高等こうとう学校がっこう、2001ねん11月、175-180ぺーじdoi:10.18999/bulsea.46.175ISSN 0387-4761NAID 110001054669 
  • 市川いちかわ房枝ふさえ市川いちかわ房枝ふさえしゅう 別巻べっかん日本にっぽん図書としょセンター、1994ねん11月25にちISBN 978-4820571964 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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