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普通ふつう選挙せんきょほう

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衆議院しゅうぎいん議員ぎいん選挙せんきょほう
日本国政府国章(準)
日本にっぽん法令ほうれい
通称つうしょう略称りゃくしょう 普通ふつう選挙せんきょほう
法令ほうれい番号ばんごう 大正たいしょう14ねん5がつ5にち法律ほうりつだい47ごう
種類しゅるい 行政ぎょうせい手続てつづきほう
効力こうりょく 廃止はいし
成立せいりつ 1925ねん大正たいしょう14ねん)3がつ29にち
公布こうふ 1925ねん大正たいしょう14ねん)5がつ5にち
施行しこう つぎそう選挙せんきょだい16かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ
所管しょかん 内務省ないむしょう地方ちほうきょく
おも内容ないよう まん25さい以上いじょう男子だんしによる普通ふつう選挙せんきょ
関連かんれん法令ほうれい 公職こうしょく選挙せんきょほう
条文じょうぶんリンク 官報かんぽう1925ねん05がつ05にち
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普通ふつう選挙せんきょほう(ふつうせんきょほう、きゅう字体じたい普通ふつう󠄁せん󠄁きょほう)とは、1925ねん大正たいしょう14ねん)、加藤かとう高明こうめい内閣ないかくによって制定せいていされた、まん25さい以上いじょう男子だんしによる普通ふつう選挙せんきょ規定きていする法律ほうりつ大正たいしょう14ねん5がつ5にち法律ほうりつだい47ごう)である。普通ふつう選挙せんきょほうというのは通称つうしょうであり、正確せいかくには、1900ねん明治めいじ33ねん制定せいてい衆議院しゅうぎいん議員ぎいん選挙せんきょほう明治めいじ33ねん3がつ29にち法律ほうりつだい73ごう)を全部ぜんぶ改正かいせいして成立せいりつした法律ほうりつである。

成立せいりつ

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すでこっていたせん運動うんどうにより、民衆みんしゅう普通ふつう選挙せんきょもとめる運動うんどうたかまっていた最中さいちゅう貴族きぞくいん背景はいけいとした清浦きようら奎吾内閣ないかく衆議院しゅうぎいん無視むしして内閣ないかく組閣そかくする(清浦きようら内閣ないかく)。これにたいし、高橋たかはし是清これきよいぬやしなえあつし加藤かとう高明こうめいの3にん中心ちゅうしんとなって、護憲ごけんさん形成けいせいだい護憲ごけん運動うんどうはじまる。この運動うんどう政党せいとうないかく結成けっせい普通ふつう選挙せんきょ実施じっし公約こうやくかかげておこなわれ、護憲ごけんさん衆議院しゅうぎいん選挙せんきょ勝利しょうりおさめ、憲政けんせいかい総裁そうさいである加藤かとう高明こうめい内閣ないかく組閣そかくする。

こうして1924ねん大正たいしょう13ねん6月11にち成立せいりつした加藤かとう高明こうめい内閣ないかくは、公約こうやくどおりに衆議院しゅうぎいん議員ぎいん選挙せんきょほう普通ふつう選挙せんきょほう[注釈ちゅうしゃく 1])の改正かいせい着手ちゃくしゅした。しかし、政府せいふ原案げんあんちゅうの、選挙せんきょけんおよ被選挙権ひせんきょけん資格しかく規定きていかんしては、1925ねん大正たいしょう14ねん)2がつ枢密院すうみついん修正しゅうせい選挙せんきょしゃ年齢ねんれいを30ねん以上いじょうとする。貧困ひんこんのため公私こうし救恤きゅうじゅつ(こうしきゅうじゅつ)をけるもの住居じゅうきょ不定ふていものには選挙せんきょ被選挙権ひせんきょけんあたえない。華族かぞく戸主こしゅ選挙せんきょ被選挙権ひせんきょけんゆうしないなど)があった。これにたいし、衆議院しゅうぎいんは3月のだい50議会ぎかい欠格けっかく範囲はんいさだめた規定きてい削除さくじょしたが、貴族きぞくいんはこれを復活ふっかつ。さらに貴族きぞくいん政府せいふ原案げんあんちゅうにあった「貧困ひんこんノタメ」をけずり、欠格けっかく範囲はんい拡大かくだいしたが、両院りょういん協議きょうぎかいでの協議きょうぎにより「貧困ひんこんノタメ」を「貧困ひんこんいんリ」とすることで妥協だきょう成立せいりつ2がつ13にち)した(「貧困ひんこんいんリ」をくわえることにより、兄弟きょうだい親子おやこ相互そうご扶助ふじょ欠格けっかく要件ようけんとならないこととした)。

その3月2にち衆議院しゅうぎいん修正しゅうせい可決かけつ3月26にち貴族きぞくいん修正しゅうせい可決かけつされ、27にち・28にち両院りょういん協議きょうぎかい3月29にち妥協だきょうあん双方そうほう可決かけつして成立せいりつ衆議院しゅうぎいん議員ぎいん選挙せんきょほう改正かいせい5月5にち公布こうふされることとなった。

だい50かい帝国ていこく議会ぎかいには同時どうじ治安ちあん維持いじほうあん提出ていしゅつされた。一説いっせつでは、ロシア革命かくめいのような社会しゃかい変革へんかくおそれた枢密院すうみついん圧力あつりょくによるものといわれている(普通ふつう選挙せんきょほうとの交換こうかん条件じょうけんせつ[1]治安ちあん維持いじ法案ほうあん3月19にち成立せいりつした。衆議院しゅうぎいん議員ぎいん選挙せんきょほう改正かいせい公布こうふよりさき4がつ22にち治安ちあん維持いじほう公布こうふされた。

内容ないよう

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それまでの納税のうぜいがくによる制限せいげん選挙せんきょから、納税のうぜい要件ようけん撤廃てっぱいされ、日本にっぽん国籍こくせきち、かつ内地ないち居住きょじゅうする[注釈ちゅうしゃく 2]みつる25さい以上いじょうすべての成年せいねん男子だんし選挙せんきょけんあたえられることが規定きていされた。これにより有権者ゆうけんしゃかずは、1920ねん大正たいしょう9ねん)5がつ現在げんざいにおいて307まんにん程度ていど人口じんこうたいやく5.5%)であったものが、改正かいせい1928ねん昭和しょうわ3ねん)3がつには1240まんにん人口じんこうたいし20.1%)と、4ばいになった。ただし、成年せいねん女子じょし依然いぜんとして選挙せんきょけんみとめられていなかった。議員ぎいん定数ていすうは466議席ぎせきちゅう選挙せんきょせい定数ていすうは3にんから5にんである。また、あらたに選挙せんきょ運動うんどう制限せいげんとその費用ひよう法定ほうていせいもうけられ、人民じんみん代表だいひょう法的ほうてき性格せいかくから、選挙せんきょ取締とりしまり法的ほうてき性格せいかくへと、日本にっぽん選挙せんきょほう転換てんかんしていった[2]。また、この改正かいせいから不在ふざいしゃ投票とうひょう制度せいど導入どうにゅうされたが、対象たいしょう船舶せんぱく鉄道てつどう乗務じょうむしているもの演習えんしゅう召集しょうしゅう教育きょういく召集しょうしゅうちゅう軍人ぐんじんかぎられていた[3]

経緯けいい

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1924ねん大正たいしょう13ねん)12月13にち東京とうきょう連合れんごう婦人ふじんかい政治せいじ母体ぼたいとして「婦人ふじん参政さんせいけん獲得かくとく期成きせい同盟どうめいかい」が設立せつりつされた[4][5][6]婦人ふじん参政さんせいけん獲得かくとく目的もくてきをしぼり、政党せいとうたいする絶対ぜったい中立ちゅうりつ方針ほうしんとした。1925ねん大正たいしょう14ねん)3がつ29にち普通ふつう選挙せんきょほう成立せいりつすると、会務かいむ理事りじ市川いちかわ房枝ふさえ日記にっきに「わたしはこのを、女性じょせいから参政さんせいけんうばわれたとして永久えいきゅう記憶きおくしておこう」という趣旨しゅし言葉ことばいた[7]同年どうねん4がつ19にち婦人ふじん参政さんせいけん獲得かくとく期成きせい同盟どうめいかいは「せんなくしてせんなし」の標語ひょうごのもと、「せん獲得かくとく同盟どうめい」と改称かいしょうされた[4][8]せん獲得かくとく同盟どうめいは1930ねん昭和しょうわ5ねん)から7かいにわたり、全日本ぜんにほんせん大会たいかい開催かいさいするなど、婦人ふじん団体だんたいとの共同きょうどう運動うんどうすすめた[4]

普通ふつう選挙せんきょほうもとづ選挙せんきょ1928ねん昭和しょうわ3ねん)のだい16かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょから1942ねん昭和しょうわ17ねん)のだい21かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ(いわゆる翼賛よくさん選挙せんきょ)までけい6かいおこなわれた。だい東亜とうあ戦争せんそう太平洋戦争たいへいようせんそうだい世界せかい大戦たいせん終結しゅうけつGHQによる占領せんりょうであった1945ねん昭和しょうわ20ねん)12月に改正かいせい衆議院しゅうぎいん議員ぎいん選挙せんきょほう(のちに1950ねん昭和しょうわ25ねん)の「公職こうしょく選挙せんきょほう制定せいていともな廃止はいし)が公布こうふされ、1946ねん昭和しょうわ21ねん)4がつ10日とおかおこなわれただい22かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょにより、はじめて成人せいじん男女だんじょによる完全かんぜん普通ふつう選挙せんきょおこなわれた。

その

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普通ふつう選挙せんきょほう成立せいりつしたよく1926ねん大正たいしょう15ねん)に地方ちほう議会ぎかい議員ぎいん選挙せんきょけん成年せいねん男子だんしによる普通ふつう選挙せんきょ規定きていする法律ほうりつ改正かいせいあん市制しせい改正かいせいあん町村ちょうそんせい改正かいせいあん府県ふけんせい改正かいせいあん)が成立せいりつした。

地方ちほう選挙せんきょふくめれば、1926ねん9がつ3にち浜松はままつ会議かいぎいん選挙せんきょ日本にっぽんはつ普通ふつう選挙せんきょ実施じっしされている。

だい東亜とうあ戦争せんそう終結しゅうけつ日本にっぽん植民しょくみん支配しはいから独立どくりつした大韓民国だいかんみんこく朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく北朝鮮きたちょうせん)においても、ほん法律ほうりつもとにそれぞれの選挙せんきょほうさだめられた。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 男子だんしのみ普通ふつう選挙せんきょ依然いぜんとして婦人ふじん参政さんせいけんみとめられていない
  2. ^ 朝鮮ちょうせんせき台湾たいわんせきであっても内地ないち居住きょじゅうしていれば参政さんせいけん付与ふよされた。また日本人にっぽんじん内地ないちじん)であっても、外地がいちおよ国外こくがい居住きょじゅうしている場合ばあい参政さんせいけんあたえられなかった。

出典しゅってん

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  1. ^ 中澤なかざわ俊輔しゅんすけ治安ちあん維持いじほうさい検討けんとう:―政党せいとうないかく(1918~32)を中心ちゅうしんとして―」『日本にっぽん政治せいじ學會がっかい年報ねんぽう政治せいじがくだい61かんだい1ごう日本にっぽん政治せいじ学会がっかい、2010ねん、1_194-1_214、doi:10.7218/nenpouseijigaku.61.1_194ISSN 0549-4192NAID 130005128945 
  2. ^ 講座こうざ日本にっぽん近代きんだいほう発達はったつ』4、ISBN 9784326448036
  3. ^ 佐藤さとうれい在宅ざいたく投票とうひょう制度せいど沿革えんかく : 身体しんたい障害しょうがいしゃとう投票とうひょうけん確保かくほする制度せいど」『調査ちょうさ情報じょうほうだい419ごう国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん調査ちょうさおよ立法りっぽう考査こうさきょく、2003ねん4がつ、1-11,巻頭かんとう1p、doi:10.11501/1000767NAID 40005732222NDLJP:1000767 
  4. ^ a b c 日本にっぽん女性じょせいだい辞典じてん, p. 643.
  5. ^ せん獲得かくとく同盟どうめい』 - コトバンク
  6. ^ 市川いちかわ房枝ふさえしゅう 別巻べっかん, p. 113.
  7. ^ 上野うえの千鶴子ちづこ 2022, pp. 24–25.
  8. ^ 月刊げっかん婦人ふじん展望てんぼう』1974ねん2がつごう財団ざいだん法人ほうじんせん会館かいかん出版しゅっぱん

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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