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人種的差別撤廃提案 - Wikipedia コンテンツにスキップ

人種じんしゅてき差別さべつ撤廃てっぱい提案ていあん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
国際こくさい連盟れんめい委員いいんかい前列ぜんれつひだりから珍田ちんだ捨巳すてみ日本にっぽんちゅうえい大使たいし)、牧野まきのしんあきら日本にっぽんもと外相がいしょう)、レオン・ブルジョワフランスもと首相しゅしょう)、ロバート・セシルイギリスもと封鎖ふうさしょう)、ヴィットーリオ・エマヌエーレ・オルランドイタリア王国おうこく首相しゅしょう)、 エピタシオ・ペソア英語えいごばんブラジル上院じょういん議員ぎいんのち大統領だいとうりょう)、エレフテリオス・ヴェニゼロスギリシャ王国おうこく首相しゅしょう)。後列こうれつにはエドワード・ハウス(アメリカ、ひだりから3にん)、ロマン・ドモフスキ英語えいごばんポーランドひだりから5にん)、ヤン・スマッツみなみアフリカ連邦れんぽう国防こくぼうしょうひだりから8にん)、ウッドロウ・ウィルソンアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょうひだりから9にん)、カレル・クラマーシュチェコスロバキア首相しゅしょうひだりから10にん)、顧維ひとし中華民国ちゅうかみんこく駐米ちゅうべい公使こうしひだりから12にん)、など

人種じんしゅてき差別さべつ撤廃てっぱい提案ていあん(じんしゅてきさべつてっぱいていあん、きゅう字体じたい人種じんしゅてき󠄁差別さべつ撤廢てっぱい提案ていあん英語えいご: Racial Equality Proposal)とは、だいいち世界せかい大戦たいせんパリ講和こうわ会議かいぎ国際こくさい連盟れんめい委員いいんかいにおいて、日本にっぽん主張しゅちょうした、「国際こくさい連盟れんめい規約きやくちゅう人種じんしゅ差別さべつ撤廃てっぱい明記めいきするべきという提案ていあんす。この提案ていあん当時とうじアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょうだったウッドロウ・ウィルソン反対はんたい立場たちばで、こと重要じゅうようなだけに全員ぜんいん一致いっちければ可決かけつされないとして否決ひけつした。国際こくさい会議かいぎにおいて人種じんしゅ差別さべつ撤廃てっぱい明確めいかく主張しゅちょうしたくに日本にっぽん世界せかい最初さいしょである。

提案ていあん策定さくてい

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日本にっぽん政府せいふないにおいてだれがいつ最初さいしょ人種じんしゅ差別さべつ撤廃てっぱいかんする提案ていあんおこなったかは現在げんざいあきらかになっていないが[1]、その背景はいけいひとつとして、当時とうじアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくカナダとう問題もんだいとなった日系にっけい移民いみん排斥はいせき問題もんだいがある。外務がいむ次官じかんぬさはら喜重郎きじゅうろう人種じんしゅ差別さべつ撤廃てっぱい提案ていあんにより排日はいにち問題もんだい解決かいけつのきっかけをつくろうとしていた[2]。また、外交がいこう調査ちょうさかい伊東いとう巳代治みよじ代表だいひょうされる、国際こくさい連盟れんめい多数たすうめるであろう「『白人はくじん人種じんしゅ」のくに人種じんしゅてき偏見へんけんにより「帝国ていこく発展はってん」を阻害そがいするうごきにるのではないかという危惧きぐもあった[3]

1918ねん大正たいしょう7ねん)11月13にち外交がいこう調査ちょうさかいにおいて、内田うちだ康哉こうさい外相がいしょう講和こうわ会議かいぎたいする外務省がいむしょう意見いけんあん発表はっぴょうしたが、そのなか国際こくさい連盟れんめい問題もんだい項目こうもくで「人種じんしゅてき偏見へんけん除去じょきょ」が講和こうわ設立せつりつされる国際こくさい連盟れんめい参加さんか条件じょうけんであるとべている[4]。この意見いけんあん大筋おおすじ外交がいこう調査ちょうさかい承認しょうにんされ、日本にっぽん全権ぜんけん正式せいしき方針ほうしんとなった。全権ぜんけん一人ひとりである牧野まきのしんあきらもと外相がいしょうは、人種じんしゅ差別さべつ撤廃てっぱい提案ていあん実現じつげんよりも連盟れんめい設立せつりつさいしてしょ外国がいこく積極せっきょくてき協力きょうりょくするべきとかんがえていたが、この意見いけんには伊東いとうつよ反発はんぱつした[5]

提案ていあん内示ないじ講和こうわ会議かいぎ

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牧野まきのしんあきら

1919ねん大正たいしょう8ねん)1がつ14にち、パリに到着とうちゃくした日本にっぽん全権ぜんけんだん人種じんしゅ差別さべつ撤廃てっぱい提案ていあん成立せいりつのため、各国かっこく交渉こうしょう開始かいしした。1月26にち珍田ちんだ捨巳すてみちゅうえい大使たいしはアメリカのロバート・ランシング国務こくむ長官ちょうかん面会めんかいし、ランシングが提案ていあん肯定こうていてきであるという印象いんしょうた。2月4にちにはウィルソンの友人ゆうじんであるエドワード・ハウス名誉めいよ大佐たいさに、連盟れんめい規約きやく挿入そうにゅうするべき文章ぶんしょうとして、「かぶとあん」と「おつあん」のふたつのあん内示ないじした。ハウスはこのうちおつあん賛意さんいしめし、ウィルソンも賛成さんせいするであろうとべた。翌日よくじつハウスとウィルソンが会談かいだんし、日本にっぽんがわ人種じんしゅ差別さべつ撤廃てっぱい提案ていあん連盟れんめい規約きやく挿入そうにゅうすることを大統領だいとうりょう提案ていあんとして提出ていしゅつするつもりであると伝達でんたつした[6]。「最大さいだい障害しょうがい」であるとられていたアメリカとの調整ちょうせい成功せいこうし、日本にっぽんがわ提案ていあん成立せいりつおおきな自信じしんた。

ところが、さん大国たいこくひとつであるイギリスとの交渉こうしょう難航なんこうした。イギリス帝国ていこくない自治領じちりょうであるオーストラリアカナダがこの提案ていあんつよ反対はんたいしており、日本にっぽん直接ちょくせつ交渉こうしょうおこなっても妥協だきょう成立せいりつしなかった。オーストラリアははくつよし主義しゅぎ体制たいせい国是こくぜとしていただけでなく、労働ろうどう問題もんだい目下もっか課題かだいとなっていた。さらに選挙せんきょ目前もくぜんせまっていたこともあり、この提案ていあんれがたいものであった[7]。イギリス全権ぜんけんロバート・セシルもと封鎖ふうさしょうアーサー・バルフォア外相がいしょう個人こじんてきには日本にっぽん立場たちば賛成さんせいするとしたものの、問題もんだい重大じゅうだいであり、人種じんしゅ差別さべつ撤廃てっぱいという問題もんだい連盟れんめい規約きやくあつかうのは妥当だとうではないと回答かいとうした[8]。バルフォアは説得せっとくおとずれたハウスにたいし、「ある特定とくていくににおいて、人々ひとびと平等びょうどうというのはありえるが、中央ちゅうおうアフリカの人間にんげんがヨーロッパの人間にんげん平等びょうどうだとはおもわない」とべている[9]

講和こうわ会議かいぎにおいて日本にっぽん代表だいひょう自国じこく利害りがいから山東さんとう問題もんだい南洋なんよう諸島しょとう問題もんだい以外いがいほとんど積極せっきょくてき発言はつげんおこなわず、「サイレント・パートナー」と揶揄やゆされた。ウィルソン大統領だいとうりょう悲願ひがんであった国際こくさい連盟れんめい設立せつりつかんしても、内田うちだ康哉こうさい外相がいしょうが「本件ほんけん具体ぐたいてきあん議定ぎていなりルヘク延期えんきセシメルニつとむメ」るとったように消極しょうきょくてき態度たいど終始しゅうしし、各国かっこく失望しつぼうった[10]とくに1がつ22にち大国たいこく会議かいぎ牧野ぼくや連盟れんめい設立せつりつかんして意見いけん留保りゅうほしたことはウィルソンやデビッド・ロイド・ジョージイギリス首相しゅしょう不興ふきょうった[11]提案ていあん採択さいたくきわめてむずかしいとられていたが、日本にっぽんがわは「正否せいひはともかく、このさいほん問題もんだいかんするわが主張しゅちょう鮮明せんめいすることは将来しょうらいのためきわめて緊要きんよう」という判断はんだんから、提案ていあんおこなうことになった[8]

最初さいしょ提案ていあん

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2がつ13にち国際こくさい連盟れんめい委員いいんかいにおいて、牧野まきの連盟れんめい規約きやくだいいちじょう宗教しゅうきょう自由じゆうについての規定きていのちに「かく国民こくみん均等きんとう主義しゅぎ国際こくさい連盟れんめい基本きほんてき綱領こうりょうなるに締約ていやくこくるべくそく連盟れんめいいんたる国家こっかける一切いっさい外国がいこくじんたい如何いかなるてんづけても均等きんとう公正こうせい待遇たいぐうあた人種じんしゅあるい国籍こくせき如何いか法律ほうりつじょうあるい事実じじつじょう何等なんら差別さべつもうけざることをやくす」という条文じょうぶん追加ついかするよう提案ていあんした[12]牧野ぼくや人種じんしゅ宗教しゅうきょう怨恨えんこん戦争せんそう原因げんいんとなっており、恒久こうきゅう平和へいわ実現じつげんのためにはこの提案ていあん必要ひつようである主張しゅちょうした。また、この提案ていあんによって即座そくざ各国かっこくにおける人種じんしゅ差別さべつ政策せいさく撤廃てっぱいおこなわれるわけではなく、その運用うんよう国家こっか為政者いせいしゃにまかされるとべた[13]牧野ぼくや提案ていあんは、「黄色おうしょく人種じんしゅたいする人種じんしゅてき偏見へんけんのために、日本にっぽん不利ふりおちいることのないようにせよ」とする本国ほんごくからの訓令くんれい解釈かいしゃくしたものであった。

ベルギー代表だいひょう日本にっぽんあん条文じょうぶん反対はんたいし、ブラジルルーマニアチェコスロバキア代表だいひょう日本にっぽん主張しゅちょう理解りかいしめ発言はつげんおこない、中華民国ちゅうかみんこく代表だいひょう本国ほんごく訓令くんれいつとして意見いけん保留ほりゅうした[14]。その宗教しゅうきょうかんする規定きてい」そのものを削除さくじょするべきという意見いけん多数たすうとなった結果けっかだいいちじょう自体じたい削除さくじょされた。牧野ぼくや人種じんしゅ差別さべつ撤廃てっぱい提案ていあん自体じたい後日ごじつ会議かいぎ提案ていあんするとべ、つぎ機会きかいつこととなった。

この提案ていあん日本にっぽんふくんだ海外かいがいでも報道ほうどうされ、様々さまざま反響はんきょうぶことになる。牧野ぼくや西洋せいよう列強れっきょう圧力あつりょくくるしんでいたリベリアじん[注釈ちゅうしゃく 1]やアイルランドじん[注釈ちゅうしゃく 2]などから人種じんしゅてき差別さべつ撤廃てっぱい提案ていあん感謝かんしゃ言葉ことばけた[15]。また米国べいこくないからも、全米ぜんべい黒人こくじん地位ちい向上こうじょう協会きょうかい (NAACP) が感謝かんしゃのコメントを発表はっぴょうした[16]。また代表だいひょうだんなかでもハウスは好意こういてきであり、デビッド・ミラー英語えいごばん実際じっさい人種じんしゅ平等びょうどう条項じょうこう起草きそうするよう指示しじしている。しかしミラーはこの条項じょうこう原則げんそく提示ていじぎず、法的ほうてき効果こうかたないため、無意味むいみ条項じょうこうであると指摘してきしている[17]

2がつ14にちアメリカに一時いちじ帰国きこくしたウィルソンは、「人種じんしゅ差別さべつ撤廃てっぱい提案ていあん」が国内こくないほう改正かいせい言及げんきゅうしており、内政ないせい干渉かんしょうたるという国内こくないつよ批判ひはん直面ちょくめんすることとなった。アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく上院じょういんでは「人種じんしゅ差別さべつ撤廃てっぱい提案ていあん」が採択さいたくされたさいには、アメリカは国際こくさい連盟れんめい参加さんかしないという決議けつぎおこなわれており、ウィルソンもこの反対はんたいおさえることはできなかった[18]。 3月14にち牧野まきのはオーストラリアのビリー・ヒューズ首相しゅしょう会談かいだんしたが、ヒューズ首相しゅしょう国内こくない事情じじょうから賛成さんせいできないとべ、そののイギリス帝国ていこく各国かっこく代表だいひょうまじえた会議かいぎでも強硬きょうこう反対はんたいした[19]。イギリス・ニュージーランド・カナダは牧野ぼくや説得せっとく賛成さんせいかたむきつつあったが、ヒューズの強硬きょうこう態度たいどはこれらのくに反対はんたい回帰かいきさせていった[20]

日本にっぽん政府せいふ提案ていあん成立せいりつ困難こんなんであるとるようになり、最悪さいあく場合ばあい議事ぎじろく記録きろくすることで日本にっぽん立場たちばあきらかにするように訓令くんれいおこなった[21]外交がいこう調査ちょうさかい伊東いとういぬやしなえあつしは、提案ていあん実現じつげんしなければ最悪さいあく国際こくさい連盟れんめい不参加ふさんかめるべきと強硬きょうこうであった[22]

かい提案ていあん

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議長ぎちょうつとめたウッドロウ・ウィルソンアメリカ大統領だいとうりょう

4がつ11にちよる国際こくさい連盟れんめい委員いいんかい最終さいしゅう会合かいごうにおいて、牧野まきの連盟れんめい規約きやく前文ぜんぶんに「かく国民こくみん平等びょうどう及其の所属しょぞく各人かくじんたいする公正こうせい待遇たいぐう主義しゅぎ是認ぜにんし」との文言もんごんむという修正しゅうせいあん提案ていあんした[23]。イギリスのセシルもと封鎖ふうさしょうは「このような文句もんく挿入そうにゅうまった無意味むいみであり、意味いみがあるとするなら、重大じゅうだい反対はんたいをしなければならない。(中略ちゅうりゃく)この問題もんだい国際こくさい連盟れんめい成立せいりつ活動かつどうつべきである。日本にっぽん現時点げんじてんにおいて大国たいこくのひとつである事実じじつをみれば、待遇たいぐう優劣ゆうれつ国際こくさい連盟れんめいにおいては問題もんだいにならない」と反対はんたいした[24]日本にっぽんは「修正しゅうせいあんはあくまで理念りねんをうたうものであって、そのくに内政ないせいにおける法律ほうりつてき規制きせいもとめるものではないにもかかわらず、これを拒否きょひしようというのは、イギリスがくに平等びょうどうていない証拠しょうこである」とし、修正しゅうせいあん採決さいけつもとめた。そのイタリア、フランス、ギリシャ中華民国ちゅうかみんこくポーランドひとしかく代表だいひょう賛否さんぴべ、討議とうぎおこなわれた。

議長ぎちょうであったウィルソンは「この問題もんだい平静へいせいあつかうべきであり、総会そうかい論議ろんぎすることはけられない」とべ、提案ていあんそのものをげるよう勧告かんこくしたが、牧野まきの採決さいけつ要求ようきゅうした。議長ぎちょうウィルソンをのぞ出席しゅっせきしゃ16めい投票とうひょうおこない、フランス代表だいひょう・イタリア代表だいひょうかく2めい、ギリシャ・中華民国ちゅうかみんこく・ポルトガル・チェコスロバキア・セルブ・クロアート・スロヴェーヌ王国おうこくのユーゴスラビア王国おうこくかく1めいけい11めい委員いいん賛成さんせい、イギリス・アメリカ・ポーランド・ブラジル・ルーマニアのけい5めい委員いいん反対はんたいした[25]

しかしウィルソンは「全会ぜんかい一致いっちでないため提案ていあん不成立ふせいりつである」と宣言せんげんした[26][27]牧野ぼくやは「会議かいぎ問題もんだいにおいては多数決たすうけつ決定けっていされたことがあった」と反発はんぱつしたが、ウィルソンは「本件ほんけんのような重大じゅうだい問題もんだいについてはこれまでも全会ぜんかい一致いっちすくなくとも反対はんたいしゃゼロの状態じょうたい採決さいけつされてきた」と回答かいとうし、牧野ぼくやもこれに同意どういした[28]牧野ぼくやは「日本にっぽんはその主張しゅちょう正常せいじょうなるをしんずるがゆえに、機会きかいあるがごとほん問題もんだい提議ていぎせざるをない。また今晩こんばん自分じぶん陳述ちんじゅつおよび賛否さんぴかず議事ぎじろく記載きさいしてもらいたい」とべ、ウィルソンも応諾おうだくした[28][29]。またフランス代表だいひょうフェルディナン・ラルノードラテン語らてんごばんもこの採決さいけつ方式ほうしき批判ひはんしている[30]

4がつ28にち連盟れんめいこくそう会議かいぎにおいて牧野まきの人種じんしゅ問題もんだいの「留保りゅうほ」について演説えんぜつおこない、人種じんしゅ問題もんだいかんする日本にっぽん政府せいふ立場たちば説明せつめいした[28]成立せいりつ困難こんなんであるとられたため、総会そうかいでの提案ていあんおこなわれなかった[31]。これにより、日本にっぽん人種じんしゅ差別さべつ撤廃てっぱいかんする提案ていあん一時いちじ断念だんねんすることとなった。

投票とうひょう内訳うちわけ

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賛否さんぴすうは4がつ15にち接受せつじゅされた、全権ぜんけん松井まつい慶四郎けいしろう大使たいしから内田うちだ外相がいしょうへの報告ほうこく電報でんぽう[25]による[32]

賛成さんせい

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総計そうけい11ひょう

反対はんたいまたは保留ほりゅう

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総計そうけい5ひょう

反響はんきょう

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提案ていあん否決ひけつによって新聞しんぶん世論せろん政治せいじ団体だんたい憤激ふんげきし、国際こくさい連盟れんめい加入かにゅう見合みあわせるべきという強硬きょうこうろんつよまった。外交がいこう調査ちょうさかいでも伊東いとういぬやしなえ内田うちだ外相がいしょう田中たなか義一ぎいち牧野ぼくや軟弱なんじゃく批判ひはんしたが、提案ていあん達成たっせいもとから困難こんなんており、提案ていあん達成たっせいよりべいえいとの協調きょうちょうはかるべきとかんがえたはらたかし首相しゅしょう牧野ぼくや擁護ようごした[33]。パリ講和こうわ会議かいぎ全権ぜんけん西園寺さいおんじ公望きんもち随行ずいこうした近衛このえ文麿ふみまろみずからもくわわったこの提案ていあん否決ひけつされたことで白人はくじんへのつようらみをいだくようになったとされる[34]一方いっぽう石橋いしばし湛山たんざん日本にっぽん国民こくみんみずからが中国人ちゅうごくじん差別さべつしていることをおもこすべきと主張しゅちょうし、吉野よしの作造さくぞう日本にっぽん中国人ちゅうごくじん移民いみんみとめるだろうかといういかけをおこなった[35]事実じじつ賛成さんせいしているのはどちらかとうと移民いみんおくがわくにであり、反対はんたいしているのが移民いみんれるがわくにである(イギリスも本国ほんごくとしては賛成さんせいだったが、オーストラリアの意向いこうをくんで反対はんたいまわっている)。日本にっぽんも、このさいむしろ山東さんとう半島はんとう南洋なんよう諸島しょとう確実かくじつ確保かくほ優先ゆうせんしたといわれる[36]

1924ねんにはアメリカでいわゆる排日はいにち移民いみんほう成立せいりつし、日系にっけい移民いみん全面ぜんめん禁止きんしされると、日本にっぽん国民こくみんたいべい感情かんじょう悪化あっか決定的けっていてきなものとなった。これにくわえて、1929ねん世界せかい恐慌きょうこうはじまると、植民しょくみんすくない日本にっぽんは、だいいち世界せかい大戦たいせんのち植民しょくみん喪失そうしつし、フランス政府せいふによる報復ほうふくてきヴェルサイユ体制たいせい反感はんかんドイツ明治維新めいじいしん以来いらい日本にっぽん模範もはんとした国家こっかでもある)への親近しんきんかんつよめ、植民しょくみん大国たいこくであるイギリスフランスへの反感はんかんつよめた。これら一連いちれんながれは、その太平洋戦争たいへいようせんそうだい東亜とうあ戦争せんそう)へのみずとなり、昭和しょうわ天皇てんのう独白どくはくろくのなかでだい東亜とうあ戦争せんそう遠因えんいんとなったとべている[37]

人種じんしゅてき差別さべつ撤廃てっぱい提案ていあんがなされた1919ねん裕仁ひろひと親王しんのう(のちの昭和しょうわ天皇てんのう)にたいしておこなわれた倫理りんり進講しんこうなか杉浦すぎうら重剛しげたけ以下いかのようにかたっている。

今回こんかい欧州おうしゅうだい戦乱せんらん終局しゅうきょくすべき講和こうわ会議かいぎいても、人種じんしゅかんする問題もんだいいちじゅう要件ようけんなり。米国べいこくげん大統領だいとうりょうウィルソンは将来しょうらいける世界せかい平和へいわたもてたんがためめ、国際こくさい関係かんけい円滑えんかつにし、正義せいぎ標準ひょうじゅんとして万事ばんじけっし、もっ戦争せんそう惨禍さんか予防よぼうせんことを主張しゅちょうしつつあり。大体だいたいおいては異議いぎなきところなるべし。しかして此際の我国わがくに代表だいひょうしゃ人種じんしゅてき差別さべつみる撤廃てっぱいせんことを要求ようきゅうしつつあるは、新聞しんぶん紙上しじょうおい報道ほうどうせらるるごとくなり。またもとより正当せいとう主張しゅちょうなり。

世界せかい幾多いくた邦国ほうこく国際こくさい円満えんまんにして一家いっかごと平和へいわたもち、かたみ幸福こうふく増進ぞうしんするはもっとよろこぶべきところなり。また幾多いくた人種じんしゅありと雖も、かたみたずさえて文明ぶんめいいきすすむことは、人類じんるい理想りそうすべし。しかれども欧米おうべいじんややもすれば有色ゆうしょく人種じんしゅ軽侮けいぶするの先入せんにゅう観念かんねんゆうすることあり。人種じんしゅ差別さべつ撤廃てっぱいすることむずかしかるべし。これくにるに、王政おうせい維新いしん以来いらい四民しみん平等びょうどう主義しゅぎとするも、今日きょうなお旧時きゅうじきたな非人ひにん軽侮けいぶするのふうありて、近頃ちかごろこれ救済きゅうさい改良かいりょう目的もくてきとする有志ゆうしかい会合かいごうありたるほどなり。さればくには、人種じんしゅてき差別さべつ撤廃てっぱい主張しゅちょう貫徹かんてつるやいなやにかかわらず、毅然きぜんとしておのれするのみちつることもっと肝要かんようなりとす。なし、国家こっか国民こくみんは、仁愛じんあい正義せいぎとをもっ終始しゅうしつらぬ彼等かれら欧米おうべいじんをしてこころふくせざらんとするもべからざるにいたらしむることなり。のうく此のごとくなるをば、人種じんしゅてき差別さべつ撤廃てっぱいごとき、もとよりうれふるにらざるなり。」(『杉浦すぎうら重剛しげたけ倫理りんり進講しんこう草案そうあんだい学年がくねんだいさん学期がっき)

河辺かわべ一郎いちろうは「国際こくさい連盟れんめいにおいて、日本にっぽん有色ゆうしょく人種じんしゅ差別さべつ撤廃てっぱいさかんに主張しゅちょうしていた。しかしそれはいわゆる列強れっきょうたいする自国じこくちから拡大かくだいというめんしかなかった。また国際こくさい労働ろうどう機関きかんでは各国かっこく事情じじょう尊重そんちょうすべきだとかえし、自国じこく人権じんけん状況じょうきょう批判ひはんされないようにしていた」とひょうしている[38]

日本にっぽん全権ぜんけんだんへの批判ひはん反論はんろん

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日本にっぽんとアメリカはドイツがっていた山東さんとう半島はんとう権益けんえき継承けいしょうめぐって対立たいりつしていたが、4がつ28にちウィルソンが日本にっぽん主張しゅちょう支持しじし、日本にっぽん利権りけん継承けいしょうされた。これをほん提案ていあんげる譲歩じょうほへの見返みかえりであったとする批判ひはんがなされ、日本にっぽん提案ていあんおこなったのも取引とりひき材料ざいりょうであると批判ひはんされた[39]

これにたい日本にっぽん全権ぜんけんだんは、「人種じんしゅ平等びょうどう条項じょうこう運命うんめいまったのは4がつ11にち会議かいぎのことであり、山東さんとう問題もんだいべいえいふつよん巨頭きょとう会議かいぎ考慮こうりょされたのはそれよりもずっとあとのことだった。委員いいんかい平等びょうどう原則げんそく支持しじしないことになったにもかかわらず、日本にっぽんがわ山東さんとう半島はんとうかんして最終さいしゅう決定けっていがなされる2にちまえ国際こくさい連盟れんめい支持しじ公表こうひょうしていた。日本にっぽん全権ぜんけんだんかんがえではこの2つの問題もんだい論点ろんてんただしさはきわめて明白めいはくだったので、両者りょうしゃむすびつけるといった戦術せんじゅつ考慮こうりょする必要ひつようはなかった」と反論はんろんした[40]

各国かっこく反応はんのう

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  • ブラジル代表だいひょう団長だんちょうエピタシオ・ペソア英語えいごばん上院じょういん議員ぎいん大統領だいとうりょう選挙せんきょ出馬しゅつばひかえており、ブラジル代表だいひょう人種じんしゅ差別さべつ提案ていあん反対はんたいしたのはペソアがアメリカに接近せっきんするためであるという攻撃こうげき対立たいりつ陣営じんえいからなされた。これにたいしペソアら政府せいふがわは、ブラジル代表だいひょうは2がつ13にち提案ていあんでも提案ていあん賛成さんせいしており[注釈ちゅうしゃく 3]提案ていあんながれたのはべいえい反対はんたいであると説明せつめいしている[14]

人種じんしゅ暴動ぼうどう

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あかなつリンチしてころしたアフリカけいアメリカじんウィル・ブラウンかこんで記念きねん撮影さつえいする白人はくじん

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 1919ねん当時とうじのリベリアはエチオピアとともにアフリカの黒人こくじん国家こっかとして数少かずすくない独立どくりつこくの1つであった。
  2. ^ 1919ねん当時とうじのアイルランドはイギリスに統治とうちされていた。アイルランドが独立どくりつしたのは3ねんの1922ねんである。
  3. ^ 日本にっぽん中華民国ちゅうかみんこく、ブラジルのみが賛成さんせいしたとしている。

出典しゅってん

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  1. ^ 永田ながた幸久ゆきひさ 2003, pp. 194.
  2. ^ 永田ながた幸久ゆきひさ 2003, pp. 201.
  3. ^ 永田ながた幸久ゆきひさ 2003, pp. 201–202.
  4. ^ 永田ながた幸久ゆきひさ 2003, pp. 193–194.
  5. ^ 永田ながた幸久ゆきひさ 2003, pp. 197.
  6. ^ 永田ながた幸久ゆきひさ 2003, pp. 204.
  7. ^ 永田ながた幸久ゆきひさ 2003, pp. 204–205.
  8. ^ a b 永田ながた幸久ゆきひさ 2003, pp. 205.
  9. ^ 篠原しのはら初枝はつえ 2010, pp. 67.
  10. ^ 永田ながた幸久ゆきひさ 2003, pp. 198–199.
  11. ^ 永田ながた幸久ゆきひさ 2003, pp. 200.
  12. ^ 近代きんだい日本にっぽん転機てんき 明治大めいじだい正編せいへん鳥海とりうみやすしへん吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2007ねん、254、255ぺーじ
  13. ^ 永田ながた幸久ゆきひさ 2003, pp. 206.
  14. ^ a b 巴里ぱり講和こうわ会議かいぎニ於ケル人種じんしゅ差別さべつ撤廃てっぱい問題もんだいいちけん 1919, pp. 510–511.
  15. ^ 牧野まきのしんあきら回顧かいころく
  16. ^ レジナルド カーニー「20世紀せいき日本人にっぽんじん―アメリカ黒人こくじん日本人にっぽんじんかん 1900‐1945」がつ書房しょぼう1995
  17. ^ 篠原しのはら初枝はつえ 2010, pp. 68.
  18. ^ 永田ながた幸久ゆきひさ 2003, pp. 207.
  19. ^ 永田ながた幸久ゆきひさ 2003, pp. 207–208.
  20. ^ 永田ながた幸久ゆきひさ 2003, pp. 208.
  21. ^ 永田ながた幸久ゆきひさ 2003, pp. 208–209.
  22. ^ 永田ながた幸久ゆきひさ 2003, pp. 210.
  23. ^ 近代きんだい日本にっぽん転機てんき 明治大めいじだい正編せいへん鳥海とりうみやすしへん吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2007ねん、258ぺーじ
  24. ^ 永田ながた幸久ゆきひさ 2003, pp. 211.
  25. ^ a b c 巴里ぱり講和こうわ会議かいぎニ於ケル人種じんしゅ差別さべつ撤廃てっぱい問題もんだいいちけん 1919, pp. 498–499.
  26. ^ p219 憲政けんせい政治せいじがく
  27. ^ 外務省がいむしょう記録きろく人種じんしゅ差別さべつ撤廃てっぱい」、『日本にっぽん外交がいこう文書ぶんしょ大正たいしょう7ねんだいさんさつおよび大正たいしょう8ねんだいさんさつ上巻じょうかん
  28. ^ a b c 永田ながた幸久ゆきひさ 2003, pp. 212.
  29. ^ p144 国家こっか人種じんしゅ偏見へんけん
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参考さんこう文献ぶんけん

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  • Margaret MacMillan Peacemakers Six Months That Changed the World: The Paris Peace Conference of 1919 and Its Attempt to End War John Murray Publishers Ltd 2003/3/1 ISBN 0719562376
  • Paul Gordon Lauren Power And Prejudice: The Politics and Diplomacy of Racial Discrimination Westview Pr 1988/9/18 ISBN 0813306787
  • Naoko Shimazu Japan, Race and Equality: The Racial Equality Proposal of 1919 Routledge 1998/05 ISBN 0415172071
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関連かんれん項目こうもく

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