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杉浦すぎうら重剛しげたけ

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杉浦すぎうらすぎうら 重剛しげたけじゅうごう
誕生たんじょう (1855-04-19) 1855ねん4がつ19にち安政あんせい2ねん3月3にち
近江おうみこく滋賀しがぐん膳所ぜぜ別保べつほげん滋賀しがけん大津おおつ杉浦すぎうらまち
別名べつめい うめまど天台てんだい道士どうしごう
死没しぼつ (1924-02-13) 1924ねん2がつ13にち(68さいぼつ
東京とうきょうゆたか多摩たまぐん淀橋よどばしまちかくはずげん東京とうきょう新宿しんじゅく
墓地ぼち 伝通院でんづういん東京とうきょう文京ぶんきょう
職業しょくぎょう 官僚かんりょう教育きょういくしゃ
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
代表だいひょうさく倫理りんり進講しんこう草案そうあん』(1936ねん
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杉浦すぎうら 重剛しげたけ
すぎうら じゅうごう
所属しょぞく政党せいとう 大成たいせいかい

選挙せんきょ 滋賀しがけんだい1
当選とうせん回数かいすう 1かい
在任ざいにん期間きかん 1890ねん7がつ1にち - 1891ねん3月6にち

在任ざいにん期間きかん 1889ねん11月 - 1895ねん12月21にち
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杉浦すぎうら 重剛しげたけ(すぎうら じゅうごう、1855ねん4がつ19にち安政あんせい2ねん3月3にち)- 1924ねん大正たいしょう13ねん2がつ13にち)は、明治めいじ大正たいしょう時代じだい国粋こくすい主義しゅぎてき教育きょういくしゃ思想家しそうか政治せいじ幼名ようみょう謙次郎けんじろうちち膳所ぜぜはん儒者じゅしゃ杉浦すぎうら重文しげふみ近江おうみこく膳所ぜぜはんげん滋賀しがけん大津おおつ出身しゅっしん

わか昭和しょうわ天皇てんのう秩父宮雍仁親王ちちぶのみややすひとしんのう高松宮たかまつのみや宣仁のぶひと親王しんのうの3兄弟きょうだい帝王ていおうがく一環いっかんとして倫理りんり進講しんこうする。ごううめまどまたは天台てんだい道士どうし学生がくせい渾名あだな紙魚しみ(しみ)。のちに『人格じんかく高邁こうまい国士こくし』とひょうされる。理学りがくむね世界せかいかん確立かくりつ

経歴けいれき

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近江おうみこく膳所ぜぜはん儒者じゅしゃ杉浦すぎうら重文しげふみ(蕉亭)とつま八重やえあいだ次男じなんとしてまれる。3さいのとき、護送ごそうされるよりゆき三樹みき三郎さぶろう目撃もくげきする。かぞどし6さい藩校はんこう遵義どう入学にゅうがくゆるされ、高橋たかはしただしいさおひろしどうさく也)、黒田くろだこうじいおり岩垣いわがきがつしゅう漢学かんがく洋学ようがくまなぶ。「精神せいしんこれひろしどう先生せんせいけ、学問がくもんこれこうじ先生せんせいけ、識見しきけんこれつきしゅう先生せんせいけた」とのちふところじゅつするように、このさんにんよりけた教育きょういくてき感化かんかかれ一生いっしょうささえるほどつよかった。15さい句読くとうかたにんぜられる。

15さいのおりはんよりみつぎしんせいえらばれ東京とうきょうくだり、大学南だいがくみなみこうまなぶ。在学ざいがくちゅうもう勉強べんきょう結果けっか明治めいじ6ねん1873ねん)10がつ明治天皇めいじてんのうへの御前ごぜん講演こうえんえらばれ理化学りかがく実験じっけんおこなう。首席しゅせき鳩山はとやま和夫かずお小村こむら寿太郎じゅたろうこうたいら小五郎こごろうらが同期生どうきせいだった。のちに小村こむら外務省がいむしょうりのきっかけとして、小村こむら外務がいむきょう井上いのうえかおる紹介しょうかいしたのは杉浦すぎうらであった。

明治めいじ9ねん1876ねん)、だい2かい文部省もんぶしょう派遣はけん留学生りゅうがくせい選抜せんばつされて櫻井さくらいじょうらとともわたりおう化学かがく専攻せんこう当初とうしょ農業のうぎょうおさめるつもりでサイレンセスター王立おうりつのう学校がっこうはいるが、英国えいこく農業のうぎょう牧畜ぼくちく中心ちゅうしんで、穀物こくもつむぎで、勉強べんきょうをしても帰国きこくやくにはたないと気付きづ放棄ほうきした。化学かがく転向てんこうし、マンチェスター・オーエンスカレッジにうつり、ロスコー、ショーレマンりょう教授きょうじゅ指導しどう研究けんきゅう従事じゅうじさらにロンドンのサウスケンジントン化学かがくこうロンドン大学だいがくとうまなぶうちに神経しんけい衰弱すいじゃくにかかり、明治めいじ13ねん1880ねん)5がつ帰国きこく

27さい文部省もんぶしょう東京大学とうきょうだいがくつとめる。そのあいだ東大とうだい予備よびもん(のちのいちだか校長こうちょうにあり、また大学だいがく予備よびもんなど旧制きゅうせい高校こうこう進学しんがくのために英語えいごでもって教授きょうじゅする予備校よびこうであった東京とうきょう英語えいご学校がっこう(のちすぐに日本にっぽん中学ちゅうがく改称かいしょう創立そうりつ中心ちゅうしん一人ひとりとなる。

のちに、読売よみうり朝日新聞あさひしんぶん社説しゃせつ担当たんとうとなり、三宅みやけ雪嶺せつれい志賀しが重昂しげたからと政教せいきょうしゃ発行はっこうの「日本人にっぽんじん」(のちに「日本にっぽん日本人にっぽんじん」)や新聞しんぶん日本にっぽん刊行かんこうちからくす。それらによって国粋こくすい主義しゅぎ主張しゅちょうし、当時とうじ社会しゃかい影響えいきょう波及はきゅうさせる。明治めいじ22ねん1889ねん)3がつ文部省もんぶしょう非職ひしょく[2]同年どうねんには日本にっぽん倶楽部くらぶをつくり、大隈おおくま重信しげのぶ不平等ふびょうどう条約じょうやく改正かいせいあん反対はんたいする。小石川こいしかわ議員ぎいんて、翌年よくねん明治めいじ23ねん1890ねんだい1かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ大成たいせいかいから出馬しゅつば当選とうせん。しかし翌年よくねん辞職じしょくした。

その子弟してい養成ようせいとも東京とうきょう文学ぶんがくいん[3]設立せつりつし、以後いご國學院こくがくいんがくかん東亜とうあどう文書ぶんしょいん院長いんちょう東宮とうぐう学問がくもんしょ御用ごようかけなどを歴任れきにん[4]官学かんがく崇拝すうはいつよく、当時とうじ官公かんこう立中たつなかとう教育きょういくのメッカである府立ふりついちなかにもあしはこび、「本校ほんこう帝都ていとだいいち中学ちゅうがくであるのみならず、帝国ていこくだいいち中学ちゅうがくである」など講演こうえんにてもおりれ、国家こっか権威けんいたかめることに尽力じんりょくしていた[5]

すすむみや裕仁ひろひと親王しんのう摂政せっしょうみや、のちの昭和しょうわ天皇てんのう)の進講しんこうやくつとめ、さらに宮中きゅうちゅうぼう重大じゅうだい事件じけんにては久邇くに宮家みやけむすんで、山縣やまがた有朋ありとも対抗たいこうした。大正たいしょう13ねん(1924ねん)、腎臓炎じんぞうえんのため死去しきょ[6]墓所はかしょ東京とうきょう文京ぶんきょう伝通院でんづういん

門下もんか

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文士ぶんし三羽烏さんばがらす

その

栄典えいてん

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著作ちょさく

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  • 天台てんだい道士どうし教育きょういく論纂ろんさん渡辺わたなべ元吉もとよし草川くさかわきよし編纂へんさんけいぎょうしゃ、1890ねん5がつ
  • 天台てんだい道士どうし著作ちょさくしゅう日本にっぽん中学校ちゅうがっこう校友こうゆうかいへん博文ひろぶみかん、1915ねん4がつ
  • 天台てんだい道士どうし語録ごろく猪狩いかり史山しざん中野なかのとおる共著きょうちょ政教せいきょうしゃ、1925ねん3がつ
  • 天台てんだい道士どうし詩歌しかしゅう世界せかい文庫ぶんこ刊行かんこうかい世界せかい文庫ぶんこ〉、1925ねん2がつうえした
  • 杉浦すぎうら重剛しげたけ座談ざだんろく猪狩いかり史山しざん中野なかのがたなすい共編きょうへん岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ文庫ぶんこ〉、1941ねん8がつ復刊ふっかん1986ねん)、ISBN 4003312317
  • 杉浦すぎうら重剛しげたけ先生せんせい全集ぜんしゅうだい日本にっぽん教育きょういくかい滋賀しがけん支部しぶへん研究けんきゅうしゃ、1945ねん3がつ - だいいちのみ
  • 杉浦すぎうら重剛しげたけへん」(松本まつもと三之さんのかいへん明治めいじ文学ぶんがく全集ぜんしゅう 37 政教せいきょうしゃ文学ぶんがくしゅう筑摩書房ちくましょぼう、1980ねん5がつISBN 4480103376
  • 杉浦すぎうら重剛しげたけ先生せんせい遺墨いぼくしゅう杉浦すぎうら重剛しげたけ先生せんせい顕彰けんしょうかい、1981ねん10がつ
  • 杉浦すぎうら重剛しげたけ全集ぜんしゅう明治めいじ教育きょういく研究けんきゅうかいへん杉浦すぎうら重剛しげたけ全集ぜんしゅう刊行かんこうかい、1982ねん1がつ-1983ねん2がつ(6さつ
    • 「『杉浦すぎうら重剛しげたけ全集ぜんしゅう補遺ほい」(『日本にっぽん学園がくえん高等こうとう学校がっこう 研究けんきゅう紀要きようだい3しゅう、1986ねん5がつだい4しゅう、1988ねん4がつ
著書ちょしょ
訳書やくしょ
  • 教育きょういく原論げんろん沿革えんかくブラウィングしる金港きんこうどう、1887ねん6がつ
  • 教育きょういくぜん』 ペインターちょ普及ふきゅうしゃ、1887ねん3がつ-1888ねん3がつ(6さつ
    • 教育きょういくぜん』 ペインターちょ普及ふきゅうしゃ、1892ねん11月(2さつ
    • 教育きょういく善本ぜんぽん叢書そうしょ 西洋せいよう教育きょういく 3』 雄松おまつどう出版しゅっぱん、1988ねん1がつ
  • 斯珂化学かがく宮崎みやざき道正みちまさごうやく三浦みうらはじめじょほか、1888ねん4がつ-1889ねん1がつ(2さつ
へんしょ

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 小石川こいしかわ区役所くやくしょ編輯へんしゅう小石川こいしかわ区会くかい 上巻じょうかん小石川こいしかわ区役所くやくしょ、1938ねん3がつ、44-45ぺーじ
  2. ^ 官報かんぽうNDLJP:2944951/3
  3. ^ だい19東京とうきょう学校がっこう」と私立しりつ総合大学そうごうだいがく構想こうそう私立しりつ学校がっこう興亡こうぼう (4) ~”. 東大とうだい京大きょうだい医学部いがくぶ研究けんきゅうしつ by Y-SAPIX (2022ねん2がつ7にち). 2024ねん1がつ9にち閲覧えつらん
  4. ^ さんていばん, 精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん,デジタル大辞泉だいじせん,改訂かいてい新版しんぱん 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん,百科ひゃっか事典じてんマイペディア,ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん,ちょうにち日本にっぽん歴史れきし人物じんぶつ事典じてん,山川やまかわ 日本にっぽんしょう辞典じてん 改訂かいてい新版しんぱん,デジタルばん 日本人にっぽんじんめいだい辞典じてん+Plus,旺文社おうぶんしゃ日本にっぽん事典じてん. “杉浦すぎうら重剛しげたけ(すぎうらじゅうごう)とは? 意味いみ使つかかた”. コトバンク. 2024ねん1がつ9にち閲覧えつらん
  5. ^ 岡田おかだ孝一こういちちょ東京とうきょう府立ふりつ中学ちゅうがくどうなりしゃ、2004ねん5がつISBN 4886212921、33ぺーじ
  6. ^ 服部はっとりさとしりょうちょ事典じてん有名人ゆうめいじん死亡しぼう診断しんだん 近代きんだいへん吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2010ねん5がつISBN 9784642080354、157ぺーじ
  7. ^ 東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶんだい3068ごう、1882ねん3がつ8にち、1めん
  8. ^ 官報かんぽうだい709ごう、1885ねん11がつ10日とおか、110ぺーじ
  9. ^ 官報かんぽう号外ごうがい、1915ねん11がつ10日とおか、7ぺーじ
  10. ^ 官報かんぽうだい1148ごう、1916ねん5がつ31にち、769ぺーじ
  11. ^ 官報かんぽうだい2026ごう、1919ねん5がつ8にち、149ぺーじ
  12. ^ 官報かんぽうだい2572ごう、1921ねん3がつ2にち、37ぺーじ
  13. ^ 官報かんぽうだい3441ごう、1924ねん2がつ15にち、204ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん文献ぶんけん

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  • 大町おおまち桂月けいげつ猪狩いかり史山しざん共著きょうちょ杉浦すぎうら重剛しげたけ先生せんせい政教せいきょうしゃ、1924ねん6がつ
    • 大町おおまち桂月けいげつ猪狩いかり史山しざん共著きょうちょ杉浦すぎうら重剛しげたけ先生せんせい杉浦すぎうら重剛しげたけ先生せんせい顕彰けんしょうかい、1986ねん5がつISBN 4784204334
  • たちばなぶんななちょ国士こくし杉浦すぎうら重剛しげたけ昭和しょうわ教育きょういくしゃ、1929ねん2がつ
    • たちばなぶんななちょ帝王ていおう杉浦すぎうら重剛しげたけ先生せんせいさん幸堂こうどう書店しょてん、1935ねん
  • 西村にしむら久吉ひさよしちょ杉浦すぎうら重剛しげたけ先生せんせい日本にっぽん精神せいしんとその教育きょういくしゅう公論こうろんしゃ、1936ねん10がつ
  • 日本にっぽん中学校ちゅうがっこうじゅうねん日本にっぽん中学校ちゅうがっこう、1837ねん12月
  • うみむねしんちょ日本にっぽん教育きょういく文庫ぶんこ だい44かん 西村にしむら茂樹しげき 杉浦すぎうら重剛しげたけ北海ほっかい出版しゅっぱんしゃ、1937ねん1がつ
    • うみむねしんちょ日本にっぽん教育きょういく文庫ぶんこ だい3かん 西村にしむら茂樹しげき 杉浦すぎうら重剛しげたけ啓文ひろふみしゃ、1938ねん10がつ
    • うみむねしんちょうみむねしん著作ちょさくしゅう だい3かん 教育きょういく思想しそう研究けんきゅう東京書籍とうきょうしょせき、1981ねん5がつ
  • 中野なかのとおるちょ杉浦すぎうら重剛しげたけ先生せんせい詩吟しぎん大日だいにちしゃ、1938ねん
  • 仏性ぶっしょうまこと太郎たろうちょ杉浦すぎうら重剛しげたけ先生せんせい滋賀しがけん教育きょういくかい、1938ねん6がつ
    • 仏性ぶっしょうまこと太郎たろうちょ杉浦すぎうら重剛しげたけ先生せんせいたていのちかん出版しゅっぱん、1942ねん
  • 猪狩いかり史山しざんちょ杉浦すぎうら重剛しげたけ新潮社しんちょうしゃしん伝記でんき叢書そうしょ〉、1941ねん8がつ
  • 藤本ふじもとしょうそくちょ国師こくし杉浦すぎうら重剛しげたけ先生せんせい敬愛会けいあいかい、1954ねん10がつ
    • 藤本ふじもとしょうそくちょ国師こくし杉浦すぎうら重剛しげたけ先生せんせい石川いしかわ哲三てつぞう、1988ねん7がつ
  • 今堀いまほり文一ぶんいちろうちょ杉浦すぎうら重剛しげたけ : 帝王ていおうがく権威けんいあいりゅうどう、1959ねん4がつ
  • 石川いしかわ哲三てつぞう編著へんちょ国宝こくほう杉浦すぎうら重剛しげたけ : 解説かいせつ座談ざだんろく杉浦すぎうら重剛しげたけ先生せんせい顕彰けんしょうかい、1978ねん2がつ
  • 石川いしかわ哲三てつぞう編著へんちょ杉浦すぎうら重剛しげたけ生涯しょうがい杉浦すぎうら重剛しげたけ先生せんせい顕彰けんしょうかい、1984ねん2がつ
    • 石川いしかわ哲三てつぞう編著へんちょあたらしおさむ杉浦すぎうら重剛しげたけ生涯しょうがい大津おおつうめまどかい、1987ねん8がつ
  • 回想かいそう杉浦すぎうら重剛しげたけ : その生涯しょうがい業績ぎょうせきどう編集へんしゅう委員いいんかいへん杉浦すぎうら重剛しげたけ先生せんせい顕彰けんしょうかい思文閣出版しぶんかくしゅっぱん発売はつばい)、1984ねん2がつ
  • 大竹おおたけ秀一ひでかずちょ天皇てんのう学校がっこう : 昭和しょうわ帝王ていおうがく高輪たかなわ学問がくもんしょ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1986ねん4がつISBN 4163404406
  • 渡辺わたなべ一雄かずおちょ明治めいじ教育きょういくしゃ 杉浦すぎうら重剛しげたけ生涯しょうがい毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、2003ねん1がつISBN 4620316113
  • 浅見あさみ雅男まさおちょたたか皇族こうぞく角川かどかわ選書せんしょ平成へいせい17ねん

関連かんれん項目こうもく

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関連かんれん人物じんぶつ

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関連かんれん作品さくひん

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外部がいぶリンク

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その役職やくしょく
先代せんだい
東京とうきょう英語えいごがく校長こうちょう
増島ますしまろくいちろう
日本にっぽん中学校ちゅうがっこうなが
1892ねん - 1924ねん
東京とうきょう英語えいごがく校長こうちょう
1890ねん - 1892ねん
次代じだい
杉浦すぎうらしんてつ
先代せんだい
國學院こくがくいんがくかん
落合おちあい直文なおふみ
私立しりつ國學院大學こくがくいんだいがくがくかん
1906ねん - 1918ねん
國學院こくがくいんがくかん
1897ねん - 1906ねん
次代じだい
がくかん廃止はいし
  1. ^ 昭和しょうわ天皇てんのうに「帝王ていおうがくおしえたおとこ」がばれた経緯けいい”. 東洋とうよう経済けいざいオンライン (2020ねん12月3にち). 2024ねん1がつ9にち閲覧えつらん