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楠田くすだ英世ひでよ

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楠田くすだ英世ひでよあかりほうけんあたま前列ぜんれつみぎから2人ふたり)。前列ぜんれつひだりより、玉乃たまの世履せいりけんだい判事はんじ福岡ふくおか孝弟こうてい大輔だいすけ江藤えとう新平しんぺい司法しほうきょう楠田くすだ渡辺わたなべしょうすすむ後列こうれつひだりより、丹羽にわけんしょうすすむ島本しまもと仲道なかみち警保あたま松岡まつおかかんあつしななとう出仕しゅっし松本まつもととおるけんだい判事はんじもと壬生みぶはんてん石崎いしざきまことあん)、尾崎おざき忠治ただはるちゅう判事はんじ阪本さかもとまさしひとし警保すけ。1872ねん[1]

楠田くすだ 英世ひでよ(くすだ ひでよ、文政ぶんせい13ねん11月19にち1831ねん1がつ2にち) - 明治めいじ39ねん1906ねん10月22にち)は、日本にっぽん武士ぶし官僚かんりょうだいいち新潟にいがたけん知事ちじ元老げんろう院議いんぎかん男爵だんしゃく通称つうしょうじゅう衛門えもんじゅうすけ[2]

経歴けいれき

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肥前ひぜん佐賀さがはんまれる。明治めいじ元年がんねん1868ねん)、会津あいづ戦争せんそう仁和寺にんなじみやよしみあきら親王しんのうふく参謀さんぼうとなる。明治めいじ2ねん2がつ22にち1869ねん4がつ3にち)から同年どうねん7がつ27にち(9がつ3にち)まで新潟にいがた県知事けんちじつとめた[3]。その大学だいがくしょうすすむ同大どうだいすすむだい司法しほうしょう判事はんじ制度せいど御用ごよう兼勤けんきん司法しほうちゅう判事はんじなどをて、明治めいじ4ねん5月11にち1871ねん6月28にち)、あかりほうけんあたまになる[3]。その司法しほうだいすすむ司法しほうだい検事けんじ兼任けんにんし、江藤えとう新平しんぺい箕作みつくり麟祥りんしょうらとともに民法みんぽう会議かいぎ出席しゅっせききゅう民法みんぽう編纂へんさん従事じゅうじした。その司法省しほうしょうさんとう出仕しゅっし兼明かねあきらほうあたま法制ほうせい課長かちょうひだりいん御用ごようかけなどを歴任れきにん[3]1876ねん明治めいじ9ねん)4がつ8にちより1884ねん明治めいじ17ねん)4がつ30にちまで元老げんろう院議いんぎかんつとめる。このあいだ訴訟そしょうほう取調とりしらべ委員いいん民法みんぽう編纂へんさん委員いいんなどをつとめ、1881ねん明治めいじ14ねん)7がつ27にち登記とうきほう取調とりしらべかけ委員いいんちょう就任しゅうにん[3]明治めいじ39ねん(1906ねん)、死去しきょ享年きょうねん76。

栄典えいてん

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家族かぞく親族しんぞく

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つま與野よの永倉ながくら久芳ひさよし次女じじょ[6]與野よのとのあいだに2なん2じょをもうけた[6]長女ちょうじょ千代子ちよこ長尾ながお俊次郎しゅんじろう結婚けっこんし2じょをもうけたが離婚りこんしたため俊次郎しゅんじろう千代子ちよこ長女ちょうじょ英子えいこ英世ひでよ養女ようじょとなった[6]長男ちょうなんさるはちろう英世ひでよ死後しご家督かとく相続そうぞく襲爵しゅうしゃくしたががなかったためめいちち英世ひでよ養女ようじょとなった英子えいこみずからの養女ようじょとし[6]保科ほしなただしえき次男じなん・咸次ろう婿養子むこようしとしてむかえた[6]。咸次ろう英子えいこ夫妻ふさい次女じじょ相子あいこもと三菱銀行みつびしぎんこう頭取とうどりじつわたるとついだ[6][7]

脚注きゃくちゅう出典しゅってん

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  1. ^ 的野まとのはんかい江藤えとうみなみしろ うえみなみしろ顯彰けんしょうかい、1914、p643
  2. ^ 明治維新めいじいしん人名じんめい辞典じてん』353ぺーじ
  3. ^ a b c d 国立こくりつ公文書こうぶんしょかん所蔵しょぞう みことのりそう任官にんかん履歴りれき原書げんしょ 上巻じょうかん』341-346ぺーじ
  4. ^ 官報かんぽう号外ごうがい授爵じゅしゃく叙任じょにん及辞れい」1900ねん5がつ9にち
  5. ^ 官報かんぽうだい5089ごう叙任じょにん及辞れい」1900ねん6がつ21にち
  6. ^ a b c d e f 平成へいせいしんおさむきゅう華族かぞく家系かけい大成たいせい 上巻じょうかん』541ぺーじ
  7. ^ 門閥もんばつ』262-263ぺーじ、270ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん

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公職こうしょく
先代せんだい
小松こまつあきら
日本の旗 正院しょういん法制ほうせいなが
1873ねん - 1874ねん
次代じだい
廃止はいし→)塚本つかもとあきらあつし
先代せんだい
西園寺さいおんじ公望きんもち
新潟にいがた府知事ふちじ
新潟にいがた県知事けんちじ
1869ねん
次代じだい
壬生みぶはじめおさむ
水原みずはら県知事けんちじ
日本にっぽん爵位しゃくい
先代せんだい
叙爵じょしゃく
男爵だんしゃく
楠田くすだ英世ひでよ初代しょだい
1900ねん - 1906ねん
次代じだい
楠田くすださる八郎はちろう