玉音 放送
この
概要
[ソビエト
ポツダム
終戦 詔書
[『
録音 と放送
[2
玉音 放送 と前後 のラジオ放送
[予告 放送
[15日 正午 の放送 内容
[正午 の時報 - 「
只今 より重大 なる放送 があります。全国 の聴取 者 の皆様 、ご起立 願 います」 - 「
天皇陛下 におかせられましては、全 国民 に対 し、畏 くも御 自 ら大詔 を宣 らせ給 うことになりました。これより謹 みて玉音 をお送 り申 します」(情報 局 総裁 ・下村 宏 ) 国歌 君 が代 奏楽 大 東亜 戦争 終結 ノ詔書 (昭和 天皇 の録音 盤 再生 )国歌 君 が代 奏楽 - 「
謹 みて天皇陛下 の玉音 放送 を終 わります」(下村 ) 玉音 放送 の解説 (以下 全文 )・「謹 んで詔書 を奉読 いたします」終戦 詔書 の奉読 (玉音 放送 と同 内容 )- 「
謹 んで詔書 の奉読 を終 わります」以降 、終戦 関連 ニュース(項目 名 は同盟 通信 から配信 されたニュース原稿 のタイトル) 内閣 告諭 (14日 付 の内閣 総理 大臣 ・鈴木 貫太郎 の内閣 告諭 )- これ
以上 国民 の戦火 に斃れるを見 るに忍 びず=平和 再建 に聖断 降 る=(終戦 決定 の御前 会議 の模様 を伝 える内容 ) 交換 外交 文書 の要旨 (君主 統治 者 としての天皇 大権 を損 しない前提 でのポツダム宣言 受諾 とバーンズ回答 の要旨 、これを受 けたポツダム宣言 受諾 の外交 手続 き)一 度 はソ連 を通 じて戦争 終結 を考究 =国体 護持 の一線 を確保 =(戦局 の悪化 とソ連 経由 の和平 工作 失敗 と参戦 、ポツダム宣言 受諾 に至 った経緯 )万世 の為 に太平 を開 く総力 を将来 の建設 に傾 けん(昭和 天皇 による終戦 決意 )- ポツダム
宣言 (ポツダム宣言 の要旨 ) - カイロ
宣言 (カイロ宣言 の要旨 ) 共同 宣言 受諾 =平和 再建 の大詔 渙発 =(終戦 に臨 んでの国民 の心構 え)緊張 の一 週間 (8月 9日 から14日 までの重要 会議 の開催 経過 )鈴木 総理 大臣 放送 の予告 (14時 からの「大詔 を拝 し奉 りて」と題 する放送 予告 。実際 には内閣 総 辞職 を決定 する閣議 が行 われたため、19時 のニュースに続 いて放送 された)
- 8.
昭和 天皇 の録音 盤 再生 後 の解説 文 (日本 放送 協会 和田 信 賢 放送 員 [14])
畏 くも天皇陛下 におかせられましては、万世 の為 に太平 を開 かんと思 し召 され、きのう政府 をして、米 英 支 蘇 四国 に対 して、ポツダム宣言 を受諾 する旨 、通告 せしめられました。
畏 くも天皇陛下 におかせられましては、同時 に詔書 を渙発 あらせられ、帝国 が四 ヶ国 の共同 宣言 を受諾 するのやむなきに至 った所以 を御 宣 示 あらせられ、きょう正午 、畏 き大 御 心 より詔書 を御 放送 あらせられました。この
未曾有 の御事 は拝察 するだに畏 き極 みであり、一 億 等 しく感泣 いたしました。
我々 臣民 は、ただただ詔書 の御 旨 を必謹誓 って国体 の護持 と民族 の名誉 保持 のため、滅私 の奉公 を誓 い奉 る次第 でございます。
謹 んで詔書 を奉読 いたします。(詔書 奉読 )
15日 の放送
[1945
- 7
時 21分 (9分間 ) 正午 (37分 半 、玉音 放送 を含 む)- 15
時 (40分間 ) - 17
時 (20分間 ) - 19
時 (40分間 ) - 21
時 (18分間 )
全文
[原文
[朕 󠄂深 ク世界 ノ大勢 ト帝國 ノ現狀 トニ鑑 ミ非常 ノ措置 ヲ以テ時局 ヲ收拾 セムト欲 シ茲ニ忠良 ナル爾 臣民 ニ吿ク朕 󠄂ハ帝國 政府 ヲシテ米 英 支 蘇 四國 ニ對 シ其ノ共同 宣言 ヲ受諾 スル旨 通 󠄁吿セシメタリ抑 〻帝國 臣民 ノ康 寧ヲ圖 リ萬邦 󠄂共榮 ノ樂 ヲ偕ニスルハ皇 祖皇宗 ノ遺 󠄁範 ニシテ朕 󠄂ノ拳 󠄁拳 󠄁措カサル所 󠄁
曩ニ米 英 二 國 ニ宣戰 セル所 󠄁以モ亦 實 ニ帝國 ノ自存 ト東亞 ノ安定 トヲ庻幾スルニ出 テ他國 ノ主 󠄁權 ヲ排 シ領土 ヲ侵 󠄁スカ如キハ固 ヨリ朕 󠄂カ志 ニアラス然 ルニ交󠄁戰 已 ニ四 歲 ヲ閱シ朕 󠄂カ陸 海將兵 ノ勇 󠄁戰 朕 󠄂カ百 僚有司 ノ勵精朕 󠄂カ一 億 衆 󠄁庻ノ奉公 󠄁各 〻最善 ヲ盡 セルニ拘 ラス戰局 必スシモ好轉 セス世界 ノ大勢 亦 我 ニ利 アラス加 之 敵 ハ新 ニ殘虐 󠄁ナル爆 彈 ヲ使 󠄁用 シテ頻ニ無辜 ヲ殺 󠄀傷 シ慘害 󠄂ノ及󠄁フ所 󠄁眞 ニ測 ルヘカラサルニ至 ル
而モ尙交󠄁戰 ヲ繼續 セムカ終 󠄁ニ我 カ民族 ノ滅亡 󠄁ヲ招來 スルノミナラス延 󠄂テ人 類ノ文 󠄁明 󠄁ヲモ破 却スヘシ
斯ノ如クムハ朕 󠄂何 ヲ以テカ億兆 ノ赤子 ヲ保 シ皇 祖皇宗 ノ神靈 ニ謝 セムヤ是 レ朕 󠄂カ帝國 政府 ヲシテ共同 宣言 ニ應 セシムルニ至 レル所 󠄁以ナリ朕 󠄂ハ帝國 ト共 ニ終 󠄁始 東亞 ノ解放 ニ協力 セル諸 盟 󠄁邦 󠄂ニ對 シ遺 󠄁憾ノ意 󠄁ヲ表 セサルヲ得 ス帝國 臣民 ニシテ戰陣 ニ死 シ職域 ニ殉シ非命 ニ斃レタル者及󠄁其ノ遺 󠄁族 ニ想 ヲ𦤶セハ五 內爲ニ裂 ク
且戰傷 ヲ負 󠄂ヒ災 禍ヲ蒙 リ家業 ヲ失 ヒタル者ノ厚生 ニ至 リテハ朕 󠄂ノ深 ク軫念スル所 󠄁ナリ惟 フニ今後 帝國 ノ受クヘキ苦 難ハ固 ヨリ尋 󠄁常 ニアラス爾 臣民 ノ衷情 󠄁モ朕 󠄂善 ク之 ヲ知 ル然 レトモ朕 󠄂ハ時運 󠄁ノ趨ク所 󠄁堪 ヘ難キヲ堪 ヘ忍 󠄁ヒ難キヲ忍 󠄁ヒ以テ萬 世 ノ爲 ニ太平 󠄁ヲ開 カムト欲 ス朕 󠄂ハ茲ニ國體 ヲ護持 シ得 テ忠良 ナル爾 臣民 ノ赤誠 󠄁ニ信 倚シ常 ニ爾 臣民 ト共 ニ在 リ若 シ夫 レ情 󠄁ノ激 スル所 󠄁濫ニ事端 ヲ滋 󠄁クシ或 ハ同胞 󠄁排 擠互ニ時局 ヲ亂 リ爲 ニ大道 󠄁ヲ誤 󠄁リ信義 ヲ世界 ニ失 フカ如キハ朕 󠄂最 モ之 ヲ戒ム宜 シク擧國 一家 子孫 相傳 ヘ確 ク神州 ノ不滅 ヲ信 シ任 重 クシテ道 󠄁遠 󠄁キヲ念 ヒ總力 ヲ將來 ノ建 󠄁設 ニ傾 ケ道 󠄁義 ヲ篤 クシ志操 ヲ鞏クシ誓 テ國體 ノ精華 ヲ發揚 シ世界 ノ進 󠄁運 󠄁ニ後 レサラムコトヲ期 󠄁スヘシ爾 臣民 其レ克 ク朕 󠄂カ意 󠄁ヲ體 セヨ
御名 御璽 昭和 二 十 年 八 月 󠄁十 四 日
內閣總理 大臣 男爵 󠄂鈴木 貫太郞
現代 仮名遣 い・常用漢字 ・ひらがな
[朕 深 く世界 の大勢 と帝国 の現状 とに鑑 み非常 の措置 をもって時局 を収拾 せんと欲 し ここに忠良 なる汝 臣民 に告 ぐ
朕 は帝国 政府 をして米 英 支 蘇 四国 に対 し その共同 宣言 を受諾 する旨 通告 せしめたりそもそも
帝国 臣民 の康 寧 をはかり万邦 共栄 の楽 しみを共 にするは皇祖 皇宗 の遺 範 にして朕 の拳々 措 かざる所
さきに米 英 二 国 に宣戦 せる所以 もまた実 に帝国 の自存 と東亜 の安定 とを庶幾 するに出 でて他国 の主権 を排 し領土 を侵 すが如 きは もとより朕 が志 にあらず
然 るに交戦 既 に四 歳 を閲 し朕 が陸海 将兵 の勇戦 朕 が百 僚有司 の励精朕 が一 億 衆 庶の奉公 各々 最善 を尽 くせるに拘 らず戦局 必 ずしも好転 せず
世界 の大勢 また我 に利 あらず
しかのみならず敵 は新 たに残虐 なる爆 弾 を使用 して しきりに無辜 を殺傷 し惨害 の及 ぶところ真 に測 るべからざるに至 る
しかもなお交戦 を継続 せんか遂 に我 が民族 の滅亡 を招来 するのみならず ひいて人類 の文明 をも破 却すべし
かくの如 くは朕 何 をもってか億兆 の赤子 を保 し皇祖 皇宗 の神霊 に謝 せんや
是 れ朕 が帝国 政府 をして共同 宣言 に応 せしむるに至 れる所以 なり
朕 は帝国 と共 に終始 東亜 の解放 に協力 せる諸 盟邦 に対 し遺憾 の意 を表 せざるを得 ず
帝国 臣民 にして戦陣 に死 し職域 に殉 じ非命 に倒 れたる者 及 び其 の遺族 に想 いを致 せば五 内 為 に裂 く
且 つ戦傷 を負 い災禍 を被 り家業 を失 いたる者 の厚生 に至 りては朕 の深 く軫念する所 なり
思 うに今後 帝国 の受くべき苦難 はもとより尋常 にあらず
汝 臣民 の衷情 も朕 よく是 れを知 る
然 れども朕 は時運 の赴 く所 堪 え難 きを堪 え忍 び難 きを忍 び もって万世 の為 に太平 を開 かんと欲 す
朕 はここに国体 を護持 し得 て忠良 なる汝 臣民 の赤誠 に信 倚し常 に汝 臣民 と共 に在 り
もしそれ情 の激 する所 濫 りに事端 を滋 くし或 いは同胞 排 擠互 いに時局 を乱 り為 に大道 を誤 り信義 を世界 に失 うが如 きは朕 最 も之 を戒む
宜 しく挙国 一家 子孫 相伝 え かたく神州 の不滅 を信 じ任 重 くして道 遠 きを念 い総力 を将来 の建設 に傾 け道義 を篤 くし志操 を堅 くし誓 って国体 の精華 を発揚 し世界 の進運 に後 れざらんことを期 すべし
汝 臣民 それ克 く朕 が意 を体 せよ
御名 御璽
昭和 二 十 年 八 月 十 四 日 内閣 総理 大臣 男爵 鈴木 貫太郎
現代 語 訳
[私 は、深 く世界 の情勢 と日本 の現状 について考 え、非常 の措置 によって今 の局面 を収拾 しようと思 い、ここに忠義 で善良 なあなた方 国民 に伝 える。
私 は、帝国 政府 に、アメリカ・イギリス・中国 ・ソ連 の4国 に対 して、それらの共同 宣言 (ポツダム宣言 )を受諾 することを通告 させた。そもそも、
日本 国民 の平穏 無事 を確保 し、全 ての国々 の繁栄 の喜 びを分 かち合 うことは、歴代 天皇 が大切 にしてきた教 えであり、私 が常々 心中 強 く抱 き続 けているものである。
先 にアメリカ・イギリスの2国 に宣戦 したのも、正 に日本 の自立 と東 アジア諸国 の安定 とを心 から願 ってのことであり、他国 の主権 を排除 して領土 を侵 すような事 は、元 より私 の本意 ではない。
しかしながら、交戦 状態 も既 に4年 を経過 し、我 が陸海 将兵 の勇敢 な戦 い、我 が全 官僚 たちの懸命 な働 き、我 が1億 国民 の身 を捧 げての尽力 も、それぞれ最善 を尽 くしてくれたにもかかわらず、戦局 は必 ずしも好転 せず、世界 の情勢 もまた我 が国 に有利 とは言 えない。
それ所 か、敵国 は新 たに残虐 な爆 弾 (原子 爆 弾 )を使 い、むやみに罪 のない人々 を殺傷 し、その悲惨 な被害 が及 ぶ範囲 はまったく計 り知 れないまでに至 っている。
それなのになお戦争 を継続 すれば、ついには我 が民族 の滅亡 を招 くだけでなく、更 には人類 の文明 をも破滅 させるに違 いない。
そのようなことになれば、私 はいかなる手段 で我 が子 とも言 える国民 を守 り、歴代 天皇 の御霊 (みたま)に詫 びることができようか。
これこそが私 が日本 政府 に共同 宣言 を受諾 させるに至 った理由 である。
私 は日本 と共 に終始 東 アジア諸国 の解放 に協力 してくれた同盟 諸国 に対 して、遺憾 の意 を表 さざるを得 ない。
日本 国民 であって戦場 で没 し、職責 の為 に亡 くなり、戦災 で命 を失 った人々 とその遺族 に思 いをはせれば、我 が身 が引 き裂 かれる思 いである。
更 に、戦傷 を負 い、戦禍 をこうむり、職業 や財産 を失 った人々 の生活 の再建 については、私 は深 く心 を痛 めている。
考 えて見 れば、今後 日本 の受 けるであろう苦難 は、言 うまでもなく並大抵 のものではない。
あなた方 国民 の本当 の気持 ちも私 はよく分 かっている。
然 し、私 は時 の巡 り合 わせに従 い、堪 え難 くまた忍 び難 い思 いを堪 え、永遠 に続 く未来 の為 に平和 な世 を切 り開 こうと思 う。
私 は、ここにこうして、この国 の形 を維持 することができ、忠義 で善良 なあなた方 国民 の真心 を信頼 し、常 にあなた方 国民 と共 に過 ごす事 ができる。
感情 の高 ぶりから節度 なく争 い事 を繰 り返 したり、或 は仲間 を陥 れたりして互 いに世情 を混乱 させ、その為 に人 としての道 を踏 み誤 り、世界中 から信用 を失 ったりするような事態 は、私 が最 も強 く戒 める所 である。
正 に国 を挙 げて一家 として団結 し、子孫 に受 け継 ぎ、神国 日本 の不滅 を固 く信 じ、任務 は重 く道 のりは遠 いと自覚 し、総力 を将来 の建設 のために傾 け、踏 むべき人 の道 を外 れず、揺 るぎない志 をしっかりと持 って、必 ず国 のあるべき姿 の真価 を広 く示 し、進展 する世界 の動静 には遅 れまいとする覚悟 を決 めなければならない。
あなた方 国民 は、これら私 の意 をよく理解 して行動 して欲 しい。
御名 御璽
昭和 二 十 年 八 月 十 四 日
内閣 総理 大臣 男爵 鈴木 貫太郎
玉音 盤
[そのうち、1
エピソード
[公式 には終戦 の詔書 が最初 の玉音 放送 であるが、1928年 (昭和 3年 )12月2日 の大礼 観兵 式 に、ラジオ放送 のマイクが昭和 天皇 の肉声 を意図 せず拾 ってしまい、これが放送 されるというアクシデントが一度 起 こっている。宮中 筋 は「天皇 の肉声 を放送 する事 は憚 りあり」として、これを数日 後 に封印 されたことがあった[26]。佐藤 卓 己 『八 月 十 五 日 の神話 』(ちくま新書 、2005年 )では、「報道 機関 には前 もって日本 の降伏 が知 らされ、記者 は敗戦 を知 ってうなだれるポーズを撮影 した写真 を、放送 前 にあらかじめ準備 した」といった捏造 記事 の制作 が紹介 されている。詔書 作成 の過程 で安岡 正篤 は「時運 ノ趨ク所 」(じうんのおもむくところ)は「成 り行 きまかせ」の意味 であるため天皇 の言葉 としてふさわしくない、ここは道義 の至上 命令 を意味 する「義 命 ノ存 スル所 」[注 8]に変 えるべきだ、と迫水 久常 に進言 した。迫水 はこれを受 けて文案 を作 り直 したが、そのあとの閣議 で、漢和 辞典 に出 ていないような難 しい言葉 では国民 が理解 できないだろうという意見 があり、元 に戻 されてしまった。これについて安岡 は「不見識 きわまりない」と憤慨 し、以後 詔書 について話 すことを一切 拒 んだ[28]。詔書 の原案 では「遺族 ニ想 ヲ致セハ断腸 ノ思 ヒアリ」となっていた。安岡 は「断腸 ノ思 ヒ」は私情 であり公 の場 で使 うべきでないとして「五 内 為 ニ裂 ク」(ごだいためにさく)に変更 するように指示 した。この点 も閣議 で難解 と指摘 された。迫水 は安岡 から聞 いたとおり、これは「五臓 が引 き裂 かれる思 い」の意味 であって公 に使 える、と説明 するとこのまま受 け入 れられた。迫水 はのちになって「五 内 為 ニ裂 ク」は難解 の見本 のようなものと回想 している[29]。- その
後 、式典 ・行事 などの報道 で天皇 の肉声 が放送 されるのは珍 しいことではなくなったが、2011年 (平成 23年 )3月 16日 、第 125代 天皇 明仁 は東日本 大震災 (東北 地方 太平洋 沖 地震 )の発生 から5日 後 に、メディアを通 して全 国民 へ向 け自 ら語 りかける形 のビデオメッセージを発 した。このような形 での「おことば」は、在位 中 の天皇 では初 めてであったため、一部 では「平成 の玉音 放送 」とも呼 ばれた[30]。
もう一 つの詔書 案
[8
敕語朕 󠄂ハ東亞 ノ安定 ヲ確保 シ、以テ世界 ノ平 󠄁和 ニ寄與 シ、列國 トノ交󠄁誼 ヲ篤 クシ、萬邦 󠄂共榮 ノ樂 ヲ偕ニセンコトヲ冀ヒタルモ、帝 󠄁國 ノ自存 自衞 ノ爲 止 ムナク米 英 兩國 ト釁端ヲ開 クニ至 リ、茲ニ四 年 ニ垂 ントス
此閒󠄁朕 󠄂カ勇 󠄁武 ナル陸海 󠄀將兵 ハ挺 󠄀身 國難 󠄀ニ赴キ、朕 󠄂カ百 僚有司 ハ碎身 職務 ニ勵精󠄀シ、朕 󠄂カ忠誠 󠄁ナル衆 󠄁庶ハ困苦 缺乏 ニ耐 ヘテ其本分 󠄁ヲ盡 シタルニ拘 ラス、戰 遂 󠄂ニ利 アラス、戰爭 ハ益 󠄁〻慘烈 トナリ朕 󠄂カ赤子 ノ犧牲 日 ニ月 󠄁ニ增大 シ將 ニ國本 ヲ危󠄁クスルニ至 レリ、而モ交󠄁戰 相手 國 ノ流血 モ止 ル處 知 ラス人類 󠄀ノ不幸 之 ニ過 󠄁キル無 シ朕 󠄂ハ戰爭 ノ慘禍 󠄀ヨリ人類 󠄀ヲ救 フノ道 󠄁ハ卽時 干戈 ヲ收 ムル外 無 キヲ思 ヒ、敢テ米 英 支 及󠄁蘇 聯 ノ參加 セル共同 宣言 ノ條件 ヲ受諾 スヘク決意 󠄁シ、朕 󠄂カ政府 ニ命 シ交󠄁戰 各國 トノ交󠄁涉 ニ當 ラシム帝 󠄁國 ノ拂 フ犧牲 ハ甚大 ナリ、來 ラントスル艱難 󠄀ヲ克服 󠄁シテ悠久 ナル皇國 ノ生命 ヲ護持 スルハ朕 󠄂カ忠良 ナル衆 󠄁庶ニ信 倚スル所 󠄁ナリ、汝 有 衆 感情 󠄁ノ激發 ニ動 セス、冷靜 苦難 󠄀ヲ忍 󠄁フノ眞勇 󠄁ヲ發揮 シ、一 𦤶協力 平 󠄁和 ト復興 ノ大業 ニ邁進 󠄁センコトヲ期 󠄁セヨ —安東 義良 、読売新聞 編 『昭和 史 の天皇 4玉音 放送 まで』中公 文庫 p.472 2012年
参考 文献
[小森 陽一 『天皇 の玉音 放送 』(五 月 書房 、2003年 8月 )※玉音 放送 のCDが付属 。川上 和久 『CDブック昭和 天皇 玉音 放送 』(あさ出版 、2015年 6月 )
関連 番組
[- アニメンタリー
決断 第 25話 「最後 の決断 」(竜 の子 プロダクション制作 ・日本 テレビ系 、1971年 放送 ) - ポツダム宣言 受諾 から御前 会議 、玉音 放送 に至 るまでの、下村 総裁 をはじめ、徹底 抗戦 を唱 え玉 音盤 を奪取 しようとする陸軍 の一部 将校 など、さまざまな立場 からの決断 が描 かれている。 連続 テレビ小説 「本日 も晴天 なり」(第 35話 =第 6週 ・その5 1981年 11月13日 NHK総合 テレビジョンにて生放送 )[32] -玉音 放送 の当時 の音源 を交 えて再現 したもの。原本 の和田 に相当 する進行 役 の本多 を山本 紀彦 が演 じた。- ザ・スクープスペシャル「
終戦 特別 企画 誰 も知 らない玉音 放送 "日本 のいちばん長 い日 "の真実 」(テレビ朝日 、2011年 8月 14日 放送 ) - NHK BSプレミアム「
玉音 放送 を作 った男 たち[33]」 -下村 宏 ら玉音 放送 の制作 状 況 や放送 に携 わった人々 をドラマ形式 で。テレビマンユニオン製作 (NHK、2015年 8月 1日 放送 ) - ニコニコ
生放送 「【終戦 の日 】玉音 放送 」 - ニコ生 終戦 特別 企画 として玉音 放送 をノーカットで配信 [34][35]。2015年 以降 、毎年 8月 15日 正午 からノーカットで配信 する。
脚注
[注釈
[- ^ この
玉音 (天皇 の肉声 )が録音 されたレコード盤 を玉音 盤 という。 - ^ のちにレコード
盤 消滅 まで全盛 となったビニール盤 、バイナルではない。これが登場 するのは1950年代 。 - ^ それに
加 え当時 は電波 管制 のために全国 共通 の周波数 (860キロサイクル)を用 いていた上 に、後述 の通 り電波 出力 を通常 より大 きくしていたため、放送 局 間 の地域 では相互 の電波 が干渉 し、受信 状態 が非常 に悪 くなった(『真空 管 の伝説 』p.167)。 - ^
日本 はこの戦争 で初 めて外国 に敗北 し、降伏 することになった。 - ^ この
放送 では「敗北 」や「降伏 」といった言葉 を用 いることができなかったため、昭和 天皇 はあえて明治天皇 が1895年 (明治 28年 )の三 国 干渉 に屈服 した際 に述 べた言葉 (「堪 ヘ難 キヲ…」)を繰 り返 したとされる[4]。 - ^
内閣 嘱託 の小川 一平 及 び大 東亜 省 次官 田尻 愛 義 も作成 に関与 ・協力 したという[6]。 - ^ メイン
局 の場合 。他 の局 の場合 も可能 な限 り出力 の向上 を行 ったらしい。(『真空 管 の伝説 』p.167) - ^
典拠 は春秋 左 氏 伝 の『信 以 て義 を行 い、義 以 て命 を成 す』による[27]。
出典
[- ^ “<4>
戦争 人間 性 奪 い家庭 も破壊 ”.中国 新聞 (2009年 8月 21日 ). 2013年 6月 2日 時点 のオリジナルよりアーカイブ。2015年 11月7日 閲覧 。 - ^
日本 ラジオ博物館 玉音 放送 とラジオ - ^
平和 祈念 展示 資料 館 戦地 で聞 いた玉音 放送 - ^ ベン=アミー・シロニー『
天皇陛下 の経済 学 』山本 七 平 監訳 、光文社 文庫 、1986年 (昭和 61年 )p.153。 - ^ “
官報 號外 ” (PDF).国立 国会図書館 デジタルコレクション.印刷 局 (1945年 8月 14日 ). 2018年 8月 15日 閲覧 。 - ^
吉川弘文館 『国史 大 辞典 』第 7巻 「終戦 の詔書 」(執筆 者 :波多野 澄雄 ))。 - ^
読売新聞社 編 『昭和 史 の天皇 4玉音 放送 まで』中公 文庫 pp.456 - 457 2012年 - ^
読売新聞社 編 『昭和 史 の天皇 4玉音 放送 まで』中公 文庫 pp.464 - 466 2012年 - ^ a b “DO
楽 昭和 史 再訪 セレクション vol.56玉音 放送 「終戦 」の記憶 、鮮烈 に刻 む”. 2011年 8月 10日 時点 のオリジナルよりアーカイブ。2011年 8月 15日 閲覧 。 - ^ a b “「
玉音 放送 」記録 の原盤 、初 公開 へ宮内庁 が8月 に予定 ”.朝日新聞 . (2015年 7月 9日 ). オリジナルの2015年 7月 9日 時点 におけるアーカイブ。 2015年 7月 10日 閲覧 。 - ^ a b “
玉音 放送 :深夜 軍服 姿 で録音 ”.毎日新聞 . (2015年 8月 1日 ) 2015年 9月 24日 閲覧 。 - ^
半藤 一利 『日本 のいちばん長 い日 決定 版 』文藝春秋 、2006年 、p284・p291頁 。ISBN 978-4-16-748315-9。 - ^ この
章 、竹山 昭子 『玉音 放送 』(晩 聲 社 、1989年 、ISBN 4891881844)、および『戦争 と放送 』(社会 思想 社 、1994年 、ISBN 4390603698)より。 - ^ “
和田 信 賢 というアナウンサー”.高森 明 勅 公式 サイト (2021年 3月 27日 ). 2023年 3月 24日 閲覧 。 - ^ “
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玉音 放送 」の原盤 来月 にも初 めて公開 へ”. NHK. (2015年 7月 9日 ). オリジナルの2015年 7月 8日 時点 におけるアーカイブ。 2015年 8月 5日 閲覧 。 - ^ a b c “
皇居 内 の戦争 記録 、8月 1日 公開 防空壕 内 の映像 など”.日本経済新聞 . (2015年 7月 9日 ) 2015年 7月 10日 閲覧 。 - ^
私 たちが耳 にしてきた“玉音 放送 ”とは? - NHKアーカイブス・2015年 7月 31日 - ^ “
反乱 軍 の手 逃 れ70年 …曲折 あった原盤 の命運 ”.産経 ニュース. (2015年 8月 1日 ) 2015年 9月 23日 閲覧 。 - ^ a b “
玉音 放送 、10秒 以上 短 かった…原盤 を初 の公開 ”.読売新聞 . (2015年 8月 1日 ). オリジナルの2015年 8月 5日 時点 におけるアーカイブ。 2015年 8月 5日 閲覧 。 - ^
昭和 21年 5月 にラジオ放送 された昭和 天皇 のお言葉 - ^ もう
一 つの玉音 放送 「食糧 問題 に関 するお言葉 」戦後 復興 に向 け国民 に助 け合 い呼 びかけ - ^ “
宮内庁 :玉音 放送 原盤 、8月 1日 に初 公表 ”.毎日新聞 . (2015年 7月 9日 ). オリジナルの2015年 7月 10日 時点 におけるアーカイブ。 2015年 8月 5日 閲覧 。 - ^ “「
玉音 放送 」原盤 を初 公開 ”. NHK. (2015年 8月 1日 ). オリジナルの2015年 7月 31日 時点 におけるアーカイブ。 2015年 8月 5日 閲覧 。 - ^ “よみがえる
昭和 天皇 の肉声 、原盤 奪 おうと事件 も”.読売新聞 . (2015年 8月 1日 ). オリジナルの2015年 8月 5日 時点 におけるアーカイブ。 2015年 8月 5日 閲覧 。 - ^
竹山 昭子 『ラジオの時代 ― ラジオは茶 の間 の主役 だった』(世界 思想 社 、2002年 、141-148頁 、ISBN 4790709418) - ^
読売新聞社 編 『昭和 史 の天皇 4玉音 放送 まで』中公 文庫 p.438 2012年 - ^
読売新聞社 編 『昭和 史 の天皇 4玉音 放送 まで』中公 文庫 p.490 2012年 - ^
読売新聞社 編 『昭和 史 の天皇 4玉音 放送 まで』中公 文庫 pp.458 - 459 2012年 - ^
岩井 克己 (2011年 4月 1日 ). “戦後 初 、天皇陛下 の全 国民 への語 りかけ”.論 座 . 2013年 7月 20日 閲覧 。 - ^
読売新聞社 編 『昭和 史 の天皇 4玉音 放送 まで』中公 文庫 pp.468 - 473 2012年 - ^
第 35話 本日 も晴天 なり ―連続 テレビ小説 ―(35)(ザテレビジョン) - ^ ザ・プレミアム「
玉音 放送 を作 った男 たち」(テレビマンユニオン)/ザ・プレミアム「玉音 放送 を作 った男 たち」(NHK番組 表 ) - ^
玉音 放送 ・戦没 者 追悼 式 ほか[終戦 70年 特別 企画 ] - ニコニコ動画 - ^ “「
玉音 放送 」ニコ生 で8/15正午 より放送 、戦後 70年 を終戦 特番 で考 える”. マイナビニュース. (2015年 8月 14日 ) 2015年 8月 15日 閲覧 。
関連 項目
[大 東亜 共栄 圏 大 東亜 戦争 罪 己 詔 昭和 天皇 迫水 久常 -川田 瑞穂 -安岡 正篤 阿南 惟幾 -大西 瀧 治郎 終戦 の日 対 日 戦勝 記念 日 日本 の降伏 日本 の降伏 文書 宮城 事件 - ポツダム
宣言 八 月 革命 説 人間 宣言 日本 のいちばん長 い日 - おことば -
玉音 放送 と同様 、天皇 がマスメディアを通 じて自 らのメッセージを放送 した例
外部 リンク
[当 庁 が管理 する先 の大戦 関係 の資料 について終戦 の詔書 (玉音 放送 ) - NHK放送 史 昭和 天皇 、終戦 の玉音 放送 - NHK戦争 証言 アーカイブス昭和 天皇 、終戦 の玉音 放送 (2015年 8月 1日 宮内庁 発表 版 ) - NHK戦争 証言 アーカイブス玉音 放送 、終戦 から生 まれたのど自慢 - マンガで読 むNHKヒストリー玉音 放送 現代 語 訳 - ハフポスト 2014年 8月 14日 開戦 と終戦 - ウェイバックマシン(2002年 11月22日 アーカイブ分 ) -開戦 の臨時 ニュースと終戦 の詔書 を、文字 と音声 で確認 できる。- デノン Premium Audio Brand -
歴史 のページで玉音 盤 の録音 に使用 された機材 の写真 等 が掲載 されている。 - 『
玉音 放送 』 - コトバンク