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玉音ぎょくおん放送ほうそう

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玉音ぎょくおん放送ほうそう(ぎょくおんほうそう、きゅう字体じたい玉音ぎょくおん󠄁放送ほうそう󠄁)とは、天皇てんのう肉声にくせい放送ほうそうすること。

通常つうじょう1945ねん昭和しょうわ20ねん8がつ15にち正午しょうご日本にっぽん標準時ひょうじゅんじ)に、当時とうじ日本にっぽん唯一ゆいいつ放送ほうそうきょくだった社団しゃだん法人ほうじん日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい現在げんざいNHKラジオだい1放送ほうそう)から放送ほうそうされた「だい東亜とうあ戦争せんそう終結しゅうけつ詔書しょうしょ」(だいとうあせんそうしゅうけつノしょうしょ)の音読おんどくレコード(玉音ぎょくおんばん)のラジオ放送ほうそうすことがおおく、ほんこうではこの放送ほうそうについて記述きじゅつする。

この放送ほうそうは、だい世界せかい大戦たいせんにおける枢軸すうじくこくがわ日本にっぽんポツダム宣言せんげん受諾じゅだくによる終戦しゅうせん日本にっぽん降伏ごうぶく)を日本にっぽん国民こくみんつたえる目的もくてきで、日本にっぽんではこの玉音ぎょくおん放送ほうそうおこなわれた8がつ15にち終戦しゅうせん終戦しゅうせん記念きねん)とび、以後いご毎年まいとしのように、日本にっぽん政府せいふ主催しゅさい全国ぜんこく戦没せんぼつしゃ追悼ついとうしき日本武道館にほんぶどうかんおこない、正午しょうご黙祷もくとうおこなうのが通例つうれいとなっている。なお、正式せいしき日本にっぽん降伏ごうぶく交戦こうせん状態じょうたい終了しゅうりょうしたのは、それから半月はんつきたい連合れんごうこくへの降伏ごうぶく文書ぶんしょ調印ちょういんされた同年どうねん9月2にちのことである。

概要がいよう

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署名しょめい原本げんぽんだい東亜とうあ戦争せんそう終結しゅうけつ詔書しょうしょ
1頁目
1ぺーじ
2・3頁目
2・3ぺーじ(2ぺーじおぎなえいれや、かみって訂正ていせいおこなったあとられる)
4・5頁目
4・5ぺーじ
6・7頁目
6・7ぺーじ

ソビエト連邦れんぽうからの宣戦せんせん布告ふこくけて「最早もはやくにはない」と判断はんだんした内閣ないかく総理そうり大臣だいじん海軍かいぐん大将たいしょう鈴木すずき貫太郎かんたろうは、1945ねん昭和しょうわ20ねん8がつ14にち御前ごぜん会議かいぎにおいて昭和しょうわ天皇てんのう裁可さいかあおぎ、7がつ26にち連合れんごうこくからしめされたポツダム宣言せんげん受諾じゅだく最終さいしゅう決定けっていし、昭和しょうわ天皇てんのう裁可さいか(いわゆる聖断せいだん)をた。なお、昭和しょうわ天皇てんのう実録じつろく記載きさいされている一連いちれん和平わへい実現じつげんめぐ経緯けいいたいし、歴史れきし学者がくしゃ伊藤いとうゆうは「ソ連それん参戦さんせんがポツダム宣言せんげん受諾じゅだく最終さいしゅうてき決意けついする原因げんいんだったことがあらためてれる」とべている。

ポツダム宣言せんげんは「ちょん日本国にっぽんこく軍隊ぐんたい無条件むじょうけん降伏ごうぶく」(だい13じょう)などをさだめていたため、その受諾じゅだくだい東亜とうあ戦争せんそうにおいて、大日本帝国だいにっぽんていこく軍隊ぐんたい降伏ごうぶくすることを意味いみした(「大日本帝国だいにっぽんていこく政府せいふ」ではない)。

御前ごぜん会議かいぎでの決定けっていけて同日どうじつよる詔書しょうしょあん閣議かくぎ鈴木すずき貫太郎かんたろう内閣ないかく)にかけられ、若干じゃっかん修正しゅうせいくわえて文言もんごん確定かくていした。詔書しょうしょあんはそのまま昭和しょうわ天皇てんのうによって裁可さいかされ、終戦しゅうせん詔書しょうしょだい東亜とうあ戦争せんそう終結しゅうけつ詔書しょうしょ戦争せんそう終結しゅうけつせきスル詔書しょうしょ)として発布はっぷされた。この詔書しょうしょは、天皇てんのう大権たいけんもとづいてポツダム宣言せんげん受諾じゅだくかんする勅旨ちょくし臣民しんみん国民こくみん)に宣布せんぷする文書ぶんしょである。ポツダム宣言せんげん受諾じゅだくかんする詔書しょうしょ発布はっぷされたことは、中立ちゅうりつこくスイスおよびスウェーデン駐在ちゅうざい日本にっぽん公使館こうしかんつうじてイギリスアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく中華民国ちゅうかみんこくソビエト連邦れんぽうなど連合れんごうこく政府せいふがわ伝達でんたつされた。

昭和しょうわ天皇てんのう詔書しょうしょ朗読ろうどくしてレコードばん録音ろくおんさせ[ちゅう 1]よく15にち正午しょうごよりラジオ放送ほうそうにより国民こくみん詔書しょうしょ内容ないようひろげることとした。この玉音ぎょくおん放送ほうそう法制ほうせいうえ効力こうりょくとくつものではないが、天皇てんのう敗戦はいせん事実じじつ直接ちょくせつ国民こくみんつたえ、これを諭旨ゆしするという意味いみではつよ影響えいきょうりょくっていたとえる。当時とうじより、敗戦はいせん象徴しょうちょうてき事象じしょうとしてかんがえられてきた。鈴木すずき貫太郎かんたろう以下いかによる御前ごぜん会議かいぎのあとも陸軍りくぐん一部いちぶには徹底てってい抗戦こうせんとなえ、クーデター意図いと放送ほうそうよう録音ろくおんばん実力じつりょく奪取だっしゅしようとするうごきがあったが、失敗しっぱいわった(宮城みやぎ事件じけん録音ろくおんばん事件じけん)。

前日ぜんじつにはあらかじめ「15にち正午しょうごより重大じゅうだい放送ほうそうあり、ぜん国民こくみんみなつつしんでくように」というむね報道ほうどうがあり、また当日とうじつあさにはそれが天皇てんのうみずかおこな放送ほうそうであり、「正午しょうごにはかなら国民こくみんはこれをくように」との注意ちゅういおこなわれた。当時とうじ電力でんりょく事情じじょうわる間欠かんけつ送電そうでんとなっている地域ちいきもあったが、特別とくべつ全国ぜんこく送電そうでんされることになっていた。また、当日とうじつ朝刊ちょうかん放送ほうそう終了しゅうりょう午後ごご配達はいたつされる特別とくべつ措置そちがとられた。

連合れんごう国軍こくぐん攻撃こうげきは、アメリカぐん数日すうじつまえから兵庫ひょうごけん宝塚たからづかなどに8がつ15にち空襲くうしゅう予告よこくおこなっていたが[1]、15にち未明みめい土崎つちざき空襲くうしゅう最後さいごばくげき停止ていしした。しかしイギリスぐんでは、15にち午前ごぜん10ぎに、イギリス海軍かいぐん空母くうぼインディファティガブル」から化学かがく製品せいひん工場こうじょう爆撃ばくげきすべく千葉ちばけん長生ちょうせいぐんかったグラマン TBF アヴェンジャーらが日本にっぽんぐん撃墜げきついされ、乗組のりくみいん3めい死亡しぼうした。なお、どう作戦さくせんスーパーマリン シーファイアれいしき艦上かんじょう戦闘せんとうとの戦闘せんとう撃墜げきついされ、脱出だっしゅつしたフレッド・ホックレー少尉しょうい陸軍りくぐんだい147師団しだん歩兵ほへいだい426連隊れんたいとらえられ、そのやく1あいだ玉音ぎょくおん放送ほうそうがあったもののそのまま解放かいほうされず、よるになり陸軍りくぐん将校しょうこうにより処刑しょけいされる事件じけん発生はっせいした(一宮いちのみやまち事件じけん)。

放送ほうそう正午しょうご開始かいしされた。冒頭ぼうとう日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい放送ほうそういんアナウンサー和田わだしんけんによるアナウンスがあり、聴衆ちょうしゅう起立きりつもとめた。つづいて情報じょうほうきょく総裁そうさい下村しもむらひろし天皇てんのうみずからの勅語ちょくご朗読ろうどくであることを説明せつめいし、国歌こっかきみ」の演奏えんそう放送ほうそうされた。その4ふんあまり、天皇てんのうによる勅語ちょくご朗読ろうどく放送ほうそうされた。再度さいどきみ演奏えんそうつづいて「終戦しゅうせん詔書しょうしょをうけての内閣ないかく告諭こくゆ」などの補足ほそくてき文書ぶんしょのアナウンスがおこなわれた。

放送ほうそうアセテートばん[ちゅう 2]のレコード、玉音ぎょくおんばんぎょくおんばん再生さいせいによるものであった。劣悪れつあくなラジオの放送ほうそう品質ひんしつのため音質おんしつきわめてわるかったじょう[ちゅう 3]天皇てんのう朗読ろうどく独特どくとく節回ふしまわしがあり、また詔書しょうしょなか難解なんかい漢語かんご相当そうとうすうふくまれていたために、「論旨ろんしはよくわからなかった」という人々ひとびと証言しょうげんおおい。玉音ぎょくおん放送ほうそう周囲しゅうい人々ひとびと雰囲気ふんいきなどで事情じじょう把握はあくしたひと大半たいはんだった[2][3]

玉音ぎょくおん放送ほうそうにおいて「ちん帝国ていこく政府せいふをしてべいえいささえ四国しこくたい共同きょうどう宣言せんげん受諾じゅだくするむね通告つうこくせしめたり」(わたし米国べいこく英国えいこくささえれんの4かこくたいし、(ポツダム)共同きょうどう宣言せんげんれると帝国ていこく政府せいふ通告つうこくさせた)という部分ぶぶん主題しゅだいであるが、おおくの日本にっぽん国民こくみんにおいては、終戦しゅうせん戦後せんごをテーマにするNHKなどの特集とくしゅう番組ばんぐみの、“皇居こうきょぜん広場ひろばでひれして天皇てんのうびる人々ひとびと”の映像えいぞうとともにかえながされる「がたきをこたえ、しのかたきをしの」の部分ぶぶん戦時せんじちゅう困苦こんく占領せんりょうされることへの不安ふあん喚起かんきさせ、とく印象いんしょうづけられて有名ゆうめいである[ちゅう 4][ちゅう 5](この文章ぶんしょうは「もっ万世ばんせいため太平たいへいひらかんとほっす。ちんは茲に国体こくたい護持ごじ忠良ただよしなるなんじ臣民しんみん赤誠せきせいしんじ倚(しんい、信頼しんらい)しつねしか臣民しんみんともにあり」(これ―占領せんりょう屈辱くつじょくえること―によって世界せかい平和へいわにしてしい。わたしはここに国体こくたい護持ごじすることができ、忠実ちゅうじつなおまえたち臣民しんみん赤誠せきせい真心まごころ)をたよってつねにおまえたち臣民しんみんともにある)とつづく)。

終戦しゅうせん詔書しょうしょ

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だい東亜とうあ戦争せんそう終結しゅうけつ詔書しょうしょ』(だいとうあせんそうしゅうけつノしょうしょ)は「終戦しゅうせん詔書しょうしょ」(しゅうせんしょうしょ)ともばれ、天皇てんのう大権たいけんもとづいてポツダム宣言せんげん受諾じゅだくする勅旨ちょくし国民こくみん宣布せんぷするために8がつ14にちづけみことのりとして発布はっぷされ、同日どうじつ官報かんぽう号外ごうがいにて告示こくじされた[5]おおまかな内容ないよう内閣ないかく書記官しょきかんちょう迫水さこみず久常ひさつね作成さくせいし、8がつ9にち以降いこう漢学かんがくしゃ川田かわた瑞穂みずほ内閣ないかく嘱託しょくたく)が起草きそう、さらに14にち安岡やすおか正篤まさあつだい東亜とうあしょう顧問こもん)が刪修して完成かんせい[ちゅう 6]し、同日どうじつうち天皇てんのう裁可さいかがあった。大臣だいじん副署ふくしょ当時とうじ内閣ないかく総理そうり大臣だいじん鈴木すずき貫太郎かんたろう以下いか16めいだい7あんまで議論ぎろんされた。

喫緊きっきんあいだかつ、きわめて秘密裏ひみつり作業さぎょうおこなわれたため、起草きそう正本しょうほん作成さくせい十分じゅうぶん時間じかんがなく、また詔書しょうしょ内容ないようめる閣議かくぎにおいて、戦争せんそう継続けいぞくもとめる一部いちぶ軍部ぐんぶものによるクーデターおそれた陸軍りくぐん大臣だいじん阿南あなみ惟幾これちかが「戦局せんきょくあらざるニシテ」の改訂かいていもとめ、「戦局せんきょく必スシモ好転こうてんセス」にあらためられるなど、最終さいしゅう段階だんかいまで字句じく修正しゅうせいほどこされた。このため、現在げんざいのこ詔書しょうしょ正本しょうほんにもおぎなえいれ誤脱ごだつかみって訂正ていせいおこなったあとられ、また通常つうじょう御璽ぎょじ押印おういんのため最終さいしゅうぺーじは3ぎょうまでとし7ぎょうぶん空欄くうらんにしておくべき慣例かんれいのところ4ぎょうかれており、文末ぶんまつ御璽ぎょじ十分じゅうぶん余白よはくがない場所ばしょ無理矢理むりやり押捺おうなつしたため、印影いんえい本文ほんぶんにかぶさるという異例いれい詔勅しょうちょくである。ぜん815文字もじとされるが、異説いせつもある(本文ほんぶんは802文字もじ)。

終戦しゅうせん詔書しょうしょ原本げんぽんは、内閣ないかく総務そうむ理事りじかんであった佐野さの小門おかどふとし浄書じょうしょしたものである[7]

当初とうしょ迫水さこみず久常ひさつねは「かりやすい口語体こうごたいによる放送ほうそうにしよう」とかんがえていた。内閣ないかく嘱託しょくたく木原きはら通雄みちおとともにあん創作そうさくはじめたが、「一人称いちにんしょう二人称ににんしょうをどうするか」という基本きほんてきてんまってしまった。つまり、それまで天皇てんのう国民こくみん直接ちょくせつかたりかけることなどなかったため、天皇てんのう自分じぶん自身じしんのことをなんぶのか、また、国民こくみんたいして「おまえたち」とうのか「みなさん」とうのか、適当てきとう表現ひょうげんかんがえつかず、結局けっきょく実現じつげんはできずに、無難ぶなん文語ぶんごたいにすることとなった[8]。また聖断せいだんくだされた御前ごぜん会議かいぎ陪席ばいせきしていた迫水さこみず御前ごぜん会議かいぎでの昭和しょうわ天皇てんのう発言はつげんれて詔書しょうしょあん作成さくせいした。これにより天皇てんのう意思いし反映はんえいされるという異例いれい詔書しょうしょとなった。

録音ろくおん放送ほうそう

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玉音ぎょくおん放送ほうそう人々ひとびと

終戦しゅうせん詔書しょうしょ天皇てんのう肉声にくせいによって朗読ろうどくし、これを放送ほうそうすることで国民こくみん諭旨ゆしするという着想ちゃくそうは、ジャーナリストでNHK専務せんむ理事りじ経験けいけんのある初代しょだい内閣ないかく情報じょうほうきょく次長じちょう久富ひさとみ達夫たつおが、同局どうきょく総裁そうさい下村しもむらひろし提案ていあんしたものというのが通説つうせつである。

日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかいへは宮中きゅうちゅうでの録音ろくおんについて8がつ14にち13通達つうたつがあり、このみや内省ないせいへの出頭しゅっとう命令めいれいけ、同日どうじつ15録音ろくおんはん8めい日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい会長かいちょうふく協会きょうかい幹部かんぶ3にん録音ろくおん担当たんとうしゃ5にん[9]かけた(録音ろくおん担当たんとうしゃ国民こくみんふく軍帽ぐんぼうという服装ふくそうであった)。録音ろくおん作業さぎょう内廷ないてい庁舎ちょうしゃにおいておこなわれ、録音ろくおん2くみ予備よびふくけい4だい)など録音ろくおん機材きざい拝謁はいえつあいだに、マイクロホンが隣室りんしつ政務せいむしつ用意よういされた。録音ろくおん用意ようい8がつ14にち16には完了かんりょうし、18から録音ろくおん予定よていであった。しかし、前述ぜんじゅつ詔書しょうしょ最終さいしゅう稿こう修正しゅうせいもあって録音ろくおん作業さぎょうはずれみ、『昭和しょうわ天皇てんのう実録じつろく』によると、昭和しょうわ天皇てんのう警戒けいかい警報けいほう発令はつれいちゅうの2325ふん部屋へやはいり、宮内みやうち大臣だいじん侍従じじゅうちょうらが見守みまもなか朗読ろうどくおこなわれた[10]

2かいのテイクにより、玉音ぎょくおんばん合計ごうけい2しゅ(テイク1がけい7まい、テイク2がけい5まい製作せいさくされた。2度目どめのテイクをろくることとなったのは、試聴しちょうした天皇てんのう自身じしん発案はつあんこえひくかったため)といわれ、さらに接続詞せつぞくしけていたことから、天皇てんのうから「3度目どめ録音ろくおんを」とのはなしもあったが、「下村しもむらがこれを辞退じたいした」という(下村しもむらひろし終戦しゅうせん秘史ひし』)。

玉音ぎょくおん放送ほうそうは、日本電気にほんでんき音響おんきょうげんデノン コンシューマー マーケティングせいのDP-17-K搬型円盤えんばん録音ろくおんによって、おなじく日本電気にほんでんき音響おんきょうせいの、SPばん規格きかく準拠じゅんきょのアセテートばん(セルロースコーティング録音ろくおんばん)に録音ろくおんされた。この録音ろくおんばんは1まいで3分間ふんかんしか録音ろくおんできず、やく5分間ふんかん玉音ぎょくおん放送ほうそうふくすうまい(テイク2は2まいぐみおよび3まいぐみ)にわたって録音ろくおんされた。

作業さぎょうよく8がつ15にち午前ごぜん1ごろまでかかって終了しゅうりょう情報じょうほうきょく総裁そうさい下村しもむらひろしおよび録音ろくおんはんは、坂下さかしたもんとおって宮内くないしょうから退出たいしゅつするさいに、玉音ぎょくおん放送ほうそう阻止そししようとする近衛このえあゆみへいだい連隊れんたいだいさん大隊だいたいちょう佐藤さとう好弘よしひろ大尉たいいらによって拘束こうそく監禁かんきんされた。録音ろくおんばん宮内くない省内しょうない存在そんざいすることをった師団しだん参謀さんぼう古賀こが秀正ひでまさ少佐しょうさ指示しじにより、録音ろくおんばん捜索そうさくおこなわれた(宮城みやぎ事件じけん[9]録音ろくおんばんは、録音ろくおん侍従じじゅう徳川とくがわ義寛よしひろにより皇后こうごうみやしょく事務じむかんしつ書類しょるいれのかる金庫きんこに、書類しょるいまぎませるかたち保管ほかんされていたため発見はっけんされなかった。

事件じけん鎮圧ちんあつみや内省ないせいは1かい録音ろくおんした録音ろくおんばんを「ふくばん(「副本ふくほん」ともばれる[11])」、2かい録音ろくおんした録音ろくおんばんを「せいばん(「正本しょうほん」ともばれる[11])」とさだめ、「せいばん」は東京放送とうきょうほうそう会館かいかんへ、「ふくばん」は第一生命だいいちせいめいかん予備よびのスタジオへとまれた[12]

当日とうじつ正午しょうご時報じほうのあと、重大じゅうだい放送ほうそう説明せつめいおこなったのは日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい放送ほうそういん(アナウンサー)和田わだしんけんである。

国際こくさい放送ほうそうラジオ・トウキョウ)では平川ひらかわ唯一ただいち厳格げんかく文語ぶんごたいによる英語えいごわけ文書ぶんしょImperial Rescript on the Termination of the War)を朗読ろうどくし、国外こくがいけに放送ほうそうした。この放送ほうそう米国べいこくがわでも受信じゅしんされ、1945ねん8がつ15にちづけニューヨーク・タイムズかみ全文ぜんぶん掲載けいさいされることとなった。

玉音ぎょくおん放送ほうそう前後ぜんごのラジオ放送ほうそう

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8がつ15にち午前ごぜんちゅう配布はいふされた玉音ぎょくおん放送ほうそう予告よこく特報とくほう朝日新聞あさひしんぶん

正午しょうご以降いこう玉音ぎょくおんばん再生さいせいした玉音ぎょくおん放送ほうそうやく5ふんであったが、その前後ぜんご終戦しゅうせん関連かんれんニュース放送ほうそうなどをふく放送ほうそうやく37ふんはんであった。また、放送ほうそう即時そくじひろ伝達でんたつするため10 kW規制きせいされていた出力しゅつりょくを60 kW[ちゅう 7]増力ぞうりょくし、昼間ひるま送電そうでんのない地域ちいきへの特別とくべつ送電そうでんおこない、さらに短波たんぱにより東亜とうあ放送ほうそうつうじて中国ちゅうごく占領せんりょうまんしゅう朝鮮ちょうせん台湾たいわん南方みなかたしょ地域ちいきにも放送ほうそうされた[13]

予告よこく放送ほうそう

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玉音ぎょくおん放送ほうそう予告よこくは14にち21のニュースと15にち721ぶんのニュースの2かいおこなわれた。内容ないようとして「このたび詔書しょうしょ渙発かんぱつされる」「15にち正午しょうご天皇てんのうみずからの放送ほうそうがある」「国民こくみん一人ひとりのこらず玉音ぎょくおんはいするように」「昼間ひるま送電そうでんのない地域ちいきにも特別とくべつ送電そうでんおこなう」「官公かんこうしょ事務所じむしょ工場こうじょう停車場ていしゃじょう郵便ゆうびんきょくなどでは手持ても受信じゅしん活用かつようして国民こくみんがもれなく放送ほうそうけるように手配てはいすること」「新聞しんぶん午後ごご1ごろに配達はいたつされるところもあること」などがほうじられた。

15にち正午しょうご放送ほうそう内容ないよう

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特記とっきなきぶんは、和田わだしんけんによるアナウンス。

  1. 正午しょうご時報じほう
  2. 只今ただいまより重大じゅうだいなる放送ほうそうがあります。全国ぜんこく聴取ちょうしゅしゃ皆様みなさま、ご起立きりつねがいます」
  3. 天皇陛下てんのうへいかにおかせられましては、ぜん国民こくみんたいし、かしこくもみずか大詔たいしょうらせたまうことになりました。これよりつつしみて玉音ぎょくおんをおおくもうします」(情報じょうほうきょく総裁そうさい下村しもむらひろし
  4. 国歌こっかきみ奏楽そうがく
  5. だい東亜とうあ戦争せんそう終結しゅうけつ詔書しょうしょ昭和しょうわ天皇てんのう録音ろくおんばん再生さいせい
  6. 国歌こっかくんだい奏楽そうがく
  7. つつしみて天皇陛下てんのうへいか玉音ぎょくおん放送ほうそうわります」(下村しもむら
  8. 玉音ぎょくおん放送ほうそう解説かいせつ以下いか全文ぜんぶん)・「つつしんで詔書しょうしょ奉読ほうどくいたします」
  9. 終戦しゅうせん詔書しょうしょ奉読ほうどく玉音ぎょくおん放送ほうそうどう内容ないよう
  10. つつしんで詔書しょうしょ奉読ほうどくわります」 以降いこう終戦しゅうせん関連かんれんニュース(項目こうもくめい同盟どうめい通信つうしんから配信はいしんされたニュース原稿げんこうのタイトル)
  11. 内閣ないかく告諭こくゆ(14にちづけ内閣ないかく総理そうり大臣だいじん鈴木すずき貫太郎かんたろう内閣ないかく告諭こくゆ
  12. これ以上いじょう国民こくみん戦火せんかに斃れるをるにしのびず=平和へいわ再建さいけん聖断せいだんる=(終戦しゅうせん決定けってい御前ごぜん会議かいぎ模様もようつたえる内容ないよう
  13. 交換こうかん外交がいこう文書ぶんしょ要旨ようし君主くんしゅ統治とうちしゃとしての天皇てんのう大権たいけんそんしない前提ぜんていでのポツダム宣言せんげん受諾じゅだくとバーンズ回答かいとう要旨ようし、これをけたポツダム宣言せんげん受諾じゅだく外交がいこう手続てつづき)
  14. いちソ連それんつうじて戦争せんそう終結しゅうけつ考究こうきゅう=国体こくたい護持ごじ一線いっせん確保かくほ=(戦局せんきょく悪化あっかソ連それん経由けいゆ和平わへい工作こうさく失敗しっぱい参戦さんせん、ポツダム宣言せんげん受諾じゅだくいたった経緯けいい
  15. 万世ばんせいため太平たいへいひら総力そうりょく将来しょうらい建設けんせつかたむけん(昭和しょうわ天皇てんのうによる終戦しゅうせん決意けつい
  16. ポツダム宣言せんげん(ポツダム宣言せんげん要旨ようし
  17. カイロ宣言せんげん(カイロ宣言せんげん要旨ようし
  18. 共同きょうどう宣言せんげん受諾じゅだく=平和へいわ再建さいけん大詔たいしょう渙発かんぱつ=(終戦しゅうせんのぞんでの国民こくみん心構こころがまえ)
  19. 緊張きんちょういち週間しゅうかん(8がつ9にちから14にちまでの重要じゅうよう会議かいぎ開催かいさい経過けいか
  20. 鈴木すずき総理そうり大臣だいじん放送ほうそう予告よこく(14からの「大詔たいしょうはいまつりて」とだいする放送ほうそう予告よこく実際じっさいには内閣ないかくそう辞職じしょく決定けっていする閣議かくぎおこなわれたため、19のニュースにつづいて放送ほうそうされた)
8. 昭和しょうわ天皇てんのう録音ろくおんばん再生さいせい解説かいせつぶん日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい 和田わだしんけん放送ほうそういん[14]

かしこくも天皇陛下てんのうへいかにおかせられましては、万世ばんせいため太平たいへいひらかんとおぼされ、きのう政府せいふをして、べいえいささえ四国しこくたいして、ポツダム宣言せんげん受諾じゅだくするむね通告つうこくせしめられました。

かしこくも天皇陛下てんのうへいかにおかせられましては、同時どうじ詔書しょうしょ渙発かんぱつあらせられ、帝国ていこくよんヶ国かこく共同きょうどう宣言せんげん受諾じゅだくするのやむなきにいたった所以ゆえんせんしめせあらせられ、きょう正午しょうごかしこだいしんより詔書しょうしょ放送ほうそうあらせられました。

この未曾有みぞう御事おんこと拝察はいさつするだにかしこきわみであり、いちおくひとしく感泣かんきゅういたしました。

我々われわれ臣民しんみんは、ただただ詔書しょうしょむねを必謹ちかって国体こくたい護持ごじ民族みんぞく名誉めいよ保持ほじのため、滅私めっし奉公ほうこうちかたてまつ次第しだいでございます。

つつしんで詔書しょうしょ奉読ほうどくいたします。(詔書しょうしょ奉読ほうどく)

15にち放送ほうそう

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1945ねん昭和しょうわ20ねん)8がつ15にちのラジオ放送ほうそう下記かきの6かいであった。

  1. 721ふん(9分間ふんかん
  2. 正午しょうご(37ふんはん玉音ぎょくおん放送ほうそうふくむ)
  3. 15(40分間ふんかん
  4. 17(20分間ふんかん
  5. 19(40分間ふんかん
  6. 21(18分間ふんかん

全文ぜんぶん

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原文げんぶん

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ちん󠄂ふか世界せかい大勢おおぜい帝國ていこく現狀げんじょうトニかん非常ひじょう措置そちヲ以テ時局じきょく收拾しゅうしゅうセムトよくシ茲ニ忠良ただよしナルなんじ臣民しんみんニ吿ク
ちん󠄂ハ帝國ていこく政府せいふヲシテべいえいささえ四國しこくたいシ其ノ共同きょうどう宣言せんげん受諾じゅだくスルむねどおり󠄁吿セシメタリ
そもそも帝國ていこく臣民しんみんかん寧ヲ萬邦ばんぽう󠄂共榮きょうえいらくヲ偕ニスルハすめらぎ皇宗こうそうのこ󠄁はんニシテちん󠄂ノこぶし󠄁こぶし󠄁措カサルしょ󠄁
曩ニべいえいこく宣戰せんせんセルしょ󠄁以モまたじつ帝國ていこく自存じそん東亞とうあ安定あんていトヲ庻幾スルニ他國たこくおも󠄁けんはい領土りょうどおかせ󠄁スカ如キハかたヨリちん󠄂カこころざしニアラス
しかルニ交󠄁せんやめよんさいヲ閱シちん󠄂カりく海將へいいさむ󠄁せんちん󠄂カひゃく僚有ノ勵精ちん󠄂カいちおくしゅ󠄁庻ノ奉公ほうこう󠄁かく最善さいぜんつきセルニかかわラス戰局せんきょく必スシモ好轉こうてんセス
世界せかい大勢おおぜいまたわがアラス
てきしん殘虐ざんぎゃく󠄁ナルばくだん使つかい󠄁ようシテ頻ニ無辜むこころせ󠄀きず慘害さんがい󠄂ノ及󠄁フしょ󠄁はかルヘカラサルニいたり
而モ尙交󠄁せん繼續けいぞくセムカおわり󠄁ニわが民族みんぞく滅亡めつぼう󠄁ヲ招來しょうらいスルノミナラスのべ󠄂テじん類ノぶん󠄁あきら󠄁ヲモやぶ却スヘシ
斯ノ如クムハちん󠄂なにヲ以テカ億兆おくちょう赤子あかごたもてすめらぎ皇宗こうそう神靈しんれいしゃセムヤ
ちん󠄂カ帝國ていこく政府せいふヲシテ共同きょうどう宣言せんげんおうセシムルニいたりレルしょ󠄁以ナリ
ちん󠄂ハ帝國ていこくどもおわり󠄁はじめ東亞とうあ解放かいほう協力きょうりょくセルしょめい󠄁くに󠄂ニたいのこ󠄁憾ノ󠄁ヲひょうセサルヲ
帝國ていこく臣民しんみんニシテ戰陣せんじん職域しょくいきニ殉シ非命ひめいニ斃レタル者及󠄁其ノのこ󠄁ぞくそうヲ𦤶セハ內爲ニきれ
且戰きずまけ󠄂ヒわざわい禍ヲこうむ家業かぎょうしつヒタル者ノ厚生こうせいいたりリテハちん󠄂ノふかク軫念スルしょ󠄁ナリ
おもんみフニ今後こんご帝國ていこくノ受クヘキ難ハかたヨリひろ󠄁つねニアラス
しか臣民しんみん衷情ちゅうじょう󠄁モちん󠄂ぜん
しかレトモちん󠄂ハ時運じうん󠄁ノ趨クしょ󠄁こらえヘ難キヲこらえにん󠄁ヒ難キヲにん󠄁ヒ以テまんせいため太平たいへい󠄁ヲひらけカムトよく
ちん󠄂ハ茲ニ國體こくたい護持ごじとく忠良ただよしナルなんじ臣民しんみん赤誠せきせい󠄁ニしん倚シつねなんじ臣民しんみんどもざい
わかおっとじょう󠄁ノげきスルしょ󠄁濫ニ事端じたんしげる󠄁クシある同胞どうほう󠄁はい擠互ニ時局じきょくみだれため大道だいどう󠄁ヲあやま󠄁リ信義しんぎ世界せかいしつフカ如キハちん󠄂さいヲ戒ム
むべシク擧國きょこく一家いっか子孫しそん相傳そうでんかく神州しんしゅう不滅ふめつしんじにんじゅうクシテどう󠄁とお󠄁キヲねん總力そうりょく將來しょうらいけん󠄁しつらえかたぶけどう󠄁あつクシ志操しそうヲ鞏クシちかい國體こくたい精華せいか發揚はつよう世界せかいすすむ󠄁うん󠄁ニレサラムコトヲ󠄁スヘシ
しか臣民しんみん其レかつちん󠄂カ󠄁ヲからだセヨ

御名ぎょめい御璽ぎょじ
昭和しょうわじゅうねんはちがつ󠄁じゅうよんにち
內閣總理そうり大臣だいじん男爵だんしゃく󠄂鈴木すずき貫太郞かんたろう

現代げんだい仮名遣かなづかい・常用漢字じょうようかんじ・ひらがな

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ちんふか世界せかい大勢おおぜい帝国ていこく現状げんじょうとにかんが非常ひじょう措置そちをもって時局じきょく収拾しゅうしゅうせんとし ここに忠良ただよしなるなんじ臣民しんみん

ちん帝国ていこく政府せいふをして べいえいささえ四国しこくたいし その共同きょうどう宣言せんげん受諾じゅだくするむね通告つうこくせしめたり

そもそも帝国ていこく臣民しんみんかんやすしをはかり 万邦ばんぽう共栄きょうえいたのしみをともにするは 皇祖こうそ皇宗こうそうのこはんにして ちん拳々けんけんかざるところ
さきにべいえいこく宣戦せんせんせる所以ゆえんもまた じつ帝国ていこく自存じそん東亜とうあ安定あんていとを庶幾しょきするにでて 他国たこく主権しゅけんはい領土りょうどおかすがごときは もとよりちんこころざしにあらず
しかるに交戦こうせんすでよんさいえっちん陸海りくかい将兵しょうへい勇戦ゆうせん ちんひゃく僚有の励精 ちんいちおくしゅ庶の奉公ほうこう 各々おのおの最善さいぜんくせるにかかわらず 戦局せんきょくかならずしも好転こうてんせず
世界せかい大勢おおぜいまたあらず
しかのみならず てきあらたに残虐ざんぎゃくなるばくだん使用しようして しきりに無辜むこ殺傷さっしょう惨害さんがいおよぶところしんはかるべからざるにいた
しかもなお交戦こうせん継続けいぞくせんか つい民族みんぞく滅亡めつぼう招来しょうらいするのみならず ひいて人類じんるい文明ぶんめいをもやぶ却すべし
かくのごとくは ちんなにをもってか 億兆おくちょう赤子あかごたもて皇祖こうそ皇宗こうそう神霊しんれいしゃせんや
ちん帝国ていこく政府せいふをして共同きょうどう宣言せんげんおうせしむるにいたりれる所以ゆえんなり
ちん帝国ていこくとも終始しゅうし東亜とうあ解放かいほう協力きょうりょくせるしょ盟邦めいほうたい遺憾いかんあらわせざるを
帝国ていこく臣民しんみんにして戦陣せんじん職域しょくいきじゅん非命ひめいたおれたるものおよ遺族いぞくおもいをいたせばないため
戦傷せんしょう災禍さいかこうむ家業かぎょううしないたるもの厚生こうせいいたりては ちんふかく軫念するところなり
おもうに今後こんご帝国ていこくの受くべき苦難くなんはもとより尋常じんじょうにあらず
なんじ臣民しんみん衷情ちゅうじょうちんよくれを
しかれどもちん時運じうんおもむところ がたきをこたしのかたきをしのび もって万世ばんせいため太平たいへいひらかんとほっ
ちんはここに国体こくたい護持ごじ忠良ただよしなるなんじ臣民しんみん赤誠せきせいしんじ倚し つねなんじ臣民しんみんとも
もしそれじょうげきするところ みだりに事端じたんしげるくし あるいは同胞どうほうはいたがいに時局じきょくみだれため大道だいどうあやま信義しんぎ世界せかいうしなうがごときは ちんもっとこれを戒む
よろしく 挙国きょこく一家いっか 子孫しそん相伝そうでんえ かたく神州しんしゅう不滅ふめつしんにんおもくしてみちとおきをねん総力そうりょく将来しょうらい建設けんせつかたむ道義どうぎあつくし 志操しそうかたくし ちかって国体こくたい精華せいか発揚はつよう世界せかい進運しんうんおくれざらんことをすべし
なんじ臣民しんみんそれかつちんたいせよ

御名ぎょめい御璽ぎょじ

昭和しょうわじゅうねんはちがつじゅうよんにち

内閣ないかく総理そうり大臣だいじん男爵だんしゃく鈴木すずき貫太郎かんたろう

現代げんだいやく

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玉音ぎょくおん放送ほうそう全文ぜんぶん現代げんだいやく[15]

わたしは、ふか世界せかい情勢じょうせい日本にっぽん現状げんじょうについてかんがえ、非常ひじょう措置そちによっていま局面きょくめん収拾しゅうしゅうしようとおもい、ここに忠義ちゅうぎ善良ぜんりょうなあなたかた国民こくみんつたえる。

わたしは、帝国ていこく政府せいふに、アメリカイギリス中国ちゅうごくソ連それんの4こくたいして、それらの共同きょうどう宣言せんげんポツダム宣言せんげん)を受諾じゅだくすることを通告つうこくさせた。

そもそも、日本にっぽん国民こくみん平穏へいおん無事ぶじ確保かくほし、すべての国々くにぐに繁栄はんえいよろこびをかちうことは、歴代れきだい天皇てんのう大切たいせつにしてきたおしえであり、わたし常々つねづね心中しんちゅうのつよいだつづけているものである。
さきにアメリカ・イギリスの2こく宣戦せんせんしたのも、まさ日本にっぽん自立じりつひがしアジア諸国しょこく安定あんていとをしんからねがってのことであり、他国たこく主権しゅけん排除はいじょして領土りょうどおかすようなことは、もとよりわたし本意ほんいではない。
しかしながら、交戦こうせん状態じょうたいすでに4ねん経過けいかし、陸海りくかい将兵しょうへい勇敢ゆうかんたたかい、ぜん官僚かんりょうたちの懸命けんめいはたらき、が1おく国民こくみんささげての尽力じんりょくも、それぞれ最善さいぜんくしてくれたにもかかわらず、戦局せんきょくかならずしも好転こうてんせず、世界せかい情勢じょうせいもまたくに有利ゆうりとはえない。
それしょか、敵国てきこくあらたに残虐ざんぎゃくばくだん原子げんしばくだん)を使つか、むやみにつみのない人々ひとびと殺傷さっしょうし、その悲惨ひさん被害ひがいおよ範囲はんいはまったくはかれないまでにいたっている。
それなのになお戦争せんそう継続けいぞくすれば、ついには民族みんぞく滅亡めつぼうまねくだけでなく、さらには人類じんるい文明ぶんめいをも破滅はめつさせるにちがいない。
そのようなことになれば、わたしはいかなる手段しゅだんともえる国民こくみんまもり、歴代れきだい天皇てんのう御霊みたま(みたま)にびることができようか。
これこそがわたし日本にっぽん政府せいふ共同きょうどう宣言せんげん受諾じゅだくさせるにいたった理由りゆうである。

わたし日本にっぽんとも終始しゅうしひがしアジア諸国しょこく解放かいほう協力きょうりょくしてくれた同盟どうめい諸国しょこくたいして、遺憾いかんあらわさざるをない。
日本にっぽん国民こくみんであって戦場せんじょうぼっし、職責しょくせきためくなり、戦災せんさいいのちうしなった人々ひとびととその遺族いぞくおもいをはせれば、かれるおもいである。
さらに、戦傷せんしょうい、戦禍せんかをこうむり、職業しょくぎょう財産ざいさんうしなった人々ひとびと生活せいかつ再建さいけんについては、わたしふかしんいためている。
かんがえてれば、今後こんご日本にっぽんけるであろう苦難くなんは、うまでもなく並大抵なみたいていのものではない。
あなたかた国民こくみん本当ほんとう気持きもちもわたしはよくかっている。
しかし、わたしめぐわせにしたがい、がたくまたしのがたおもいをこたえ、永遠えいえんつづ未来みらいため平和へいわひらこうとおもう。

わたしは、ここにこうして、このくにかたち維持いじすることができ、忠義ちゅうぎ善良ぜんりょうなあなたかた国民こくみん真心まごころ信頼しんらいし、つねにあなたかた国民こくみんともごすことができる。
感情かんじょうこうぶりから節度せつどなくあらそごとかえしたり、あるい仲間なかまおとしいれたりしてたがいに世情せじょう混乱こんらんさせ、そのためひととしてのみちあやまり、世界中せかいじゅうから信用しんよううしなったりするような事態じたいは、わたしもっとつよいましめるところである。 
まさくにげて一家いっかとして団結だんけつし、子孫しそんぎ、神国しんこく日本にっぽん不滅ふめつかたしんじ、任務にんむおもみちのりはとおいと自覚じかくし、総力そうりょく将来しょうらい建設けんせつのためにかたむけ、むべきひとみちはずれず、るぎないこころざしをしっかりとって、かならくにのあるべき姿すがた真価しんかひろしめし、進展しんてんする世界せかい動静どうせいにはおくれまいとする覚悟かくごめなければならない。
あなたかた国民こくみんは、これらわたしをよく理解りかいして行動こうどうしてしい。

御名ぎょめい御璽ぎょじ

昭和しょうわじゅうねんはちがつじゅうよんにち

内閣ないかく総理そうり大臣だいじん男爵だんしゃく鈴木すずき貫太郎かんたろう

玉音ぎょくおんばん

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玉音ぎょくおんばんふくばん
玉音ぎょくおん放送ほうそうながすべく、天皇てんのう肉声にくせい玉音ぎょくおん)を録音ろくおんしたレコードばん
NHK放送ほうそう博物館はくぶつかん所蔵しょぞう

玉音ぎょくおん放送ほうそう記録きろく媒体ばいたいであるレコードばん玉音ぎょくおんばん)には、宮内庁くないちょう保管ほかんする原盤げんばんと、戦後せんご連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかんそう司令しれい(GHQ)の複製ふくせいとがあるとされている[10]

一般いっぱんてきられてきた玉音ぎょくおん放送ほうそう音声おんせいは、終戦しゅうせん翌年よくねん、GHQの命令めいれい複製ふくせいされたものを録音ろくおん作業さぎょうにあたったNHK職員しょくいん余分よぶん制作せいさく個人こじん保管ほかんしていたもので、その、NHKにわたされたものとされる[16][17]。NHKにわたされた複製ふくせいばんはそのさらにLPレコードされ、2015ねん時点じてんではLPがNHK浜松はままつ支局しきょくうちのライブラリーに保管ほかんされ[18]、2017ねんにはどうライブラリーがNHKアーカイブス川口かわぐち本館ほんかん)に統合とうごうされたことにともな川口かわぐちうつされた(もと複製ふくせいばん行方ゆくえがわかっていない)。

玉音ぎょくおん放送ほうそうは2かい録音ろくおんおこなわれたため「玉音ぎょくおんばん」には正副せいふくの2くみ存在そんざいする[16]玉音ぎょくおんばん昭和しょうわ天皇てんのうまいで防空ぼうくう施設しせつそなえていた「文庫ぶんこ」にながらく収蔵しゅうぞうされたのちさんまるなお蔵館くらだてに、その宮内庁くないちょう倉庫そうこうつされた[16][19]

そのうち、1かい録音ろくおんされ、放送ほうそうでは使つかわれなかったほう玉音ぎょくおんばんふくばんけい7まい1975ねん昭和しょうわ50ねん)、放送ほうそう開始かいし50周年しゅうねん記念きねん事業じぎょう一環いっかんとして、宮内庁くないちょうからNHK放送ほうそう博物館はくぶつかんうつされたが、ひびれなど時間じかん経過けいかによる劣化れっかにより再生さいせい不可能ふかのう状態じょうたいとなっていた[16]現在げんざい修復しゅうふく措置そちほどこしたうえ、窒素ちっそガスを充填じゅうてんしたケースで厳密げんみつ温度おんど湿度しつど管理かんりのもと保管ほかん展示てんじされている。

宮内庁くないちょう所蔵しょぞうする2かい録音ろくおんされたもう1くみ玉音ぎょくおんばんせいばんけい5まいについても劣化れっかすすんでいたものの、2014ねん平成へいせい26ねんまつ宮内庁くないちょう再生さいせいこころみたところ、2まいぐみ録音ろくおんされた音声おんせい再生さいせい成功せいこうした(3まいぐみはうち1まい再生さいせい不可能ふかのう)。そのデジタルリマスター実施じっしされ、2015ねん平成へいせい27ねん6月30にちにはだい125だい天皇てんのう明仁あきひと美智子みちこ皇太子こうたいしとくじん親王しんのうげん天皇てんのう)、秋篠宮あきしののみやぶんじん親王しんのうの4にんがこの復元ふくげんされた音声おんせいいたという[16][17]原盤げんばんはこれまでおおやけにされていたものより10びょうほどみじかい4ふん30びょうであるが、従来じゅうらい音源おんげん再生さいせい複製ふくせいかえされるうちにおと劣化れっかしていったものと推測すいそくされている[20]宮内庁くないちょうでは戦後せんご70ねん節目ふしめにあたることから同年どうねん8がつ1にちにこの原盤げんばん復元ふくげん音声おんせい1946ねん昭和しょうわ21ねん5月24にち放送ほうそうされた食糧しょくりょう問題もんだいかんする言葉ことば録音ろくおんした原盤げんばん公開こうかい[21][22](これは1962ねんにフォノシートに収録しゅうろくされ、おなじものが1995ねんにCDされている)、これにわせるかたちで、文庫ぶんこ防空壕ぼうくうごう1965ねん昭和しょうわ40ねん以来いらいとなる内部ないぶ状況じょうきょう写真しゃしん映像えいぞう公開こうかいした[16][17][20][23][24][25]

エピソード

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  • 公式こうしきには終戦しゅうせん詔書しょうしょ最初さいしょ玉音ぎょくおん放送ほうそうであるが、1928ねん昭和しょうわ3ねん12月2にち大礼たいれい観兵かんぺいしきに、ラジオ放送ほうそうマイク昭和しょうわ天皇てんのう肉声にくせい意図いとせずひろってしまい、これが放送ほうそうされるというアクシデントが一度いちどこっている。宮中きゅうちゅうすじは「天皇てんのう肉声にくせい放送ほうそうすることはばかりあり」として、これを数日すうじつ封印ふういんされたことがあった[26]
  • 佐藤さとうたくおのれはちがつじゅうにち神話しんわ』(ちくま新書しんしょ2005ねん)では、「報道ほうどう機関きかんにはまえもって日本にっぽん降伏ごうぶくらされ、記者きしゃ敗戦はいせんってうなだれるポーズを撮影さつえいした写真しゃしんを、放送ほうそうまえにあらかじめ準備じゅんびした」といった捏造ねつぞう記事きじ制作せいさく紹介しょうかいされている。
  • 詔書しょうしょ作成さくせい過程かてい安岡やすおか正篤まさあつは「時運じうんノ趨クしょ」(じうんのおもむくところ)は「きまかせ」の意味いみであるため天皇てんのう言葉ことばとしてふさわしくない、ここは道義どうぎ至上しじょう命令めいれい意味いみする「よしいのちそんスルしょ[ちゅう 8]えるべきだ、と迫水さこみず久常ひさつね進言しんげんした。迫水さこみずはこれをけて文案ぶんあんつくなおしたが、そのあとの閣議かくぎで、漢和かんわ辞典じてんていないようなむずかしい言葉ことばでは国民こくみん理解りかいできないだろうという意見いけんがあり、もともどされてしまった。これについて安岡やすおかは「不見識ふけんしききわまりない」と憤慨ふんがいし、以後いご詔書しょうしょについてはなすことを一切いっさいこばんだ[28]
  • 詔書しょうしょ原案げんあんでは「遺族いぞくそうヲ致セハ断腸だんちょうおもえヒアリ」となっていた。安岡やすおかは「断腸だんちょうおもえヒ」は私情しじょうでありおおやけ使つかうべきでないとして「ないためきれク」(ごだいためにさく)に変更へんこうするように指示しじした。このてん閣議かくぎ難解なんかい指摘してきされた。迫水さこみず安岡やすおかからいたとおり、これは「五臓ごぞうかれるおもい」の意味いみであっておおやけ使つかえる、と説明せつめいするとこのままれられた。迫水さこみずはのちになって「ないためきれク」は難解なんかい見本みほんのようなものと回想かいそうしている[29]
  • その式典しきてん行事ぎょうじなどの報道ほうどう天皇てんのう肉声にくせい放送ほうそうされるのはめずらしいことではなくなったが、2011ねん平成へいせい23ねん)3がつ16にちだい125だい天皇てんのう明仁あきひと東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい東北とうほく地方ちほう太平洋たいへいようおき地震じしん)の発生はっせいから5にちに、メディアをとおしてぜん国民こくみんみずかかたりかけるかたちビデオメッセージはっした。このようなかたちでの「おことば」は、在位ざいいちゅう天皇てんのうでははじめてであったため、一部いちぶでは「平成へいせい玉音ぎょくおん放送ほうそう」ともばれた[30]

もうひとつの詔書しょうしょあん

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ひろられている終戦しゅうせん詔書しょうしょほか外務省がいむしょう作成さくせいしたもうひとつの詔書しょうしょあんがある。

8がつ10日とおか御前ごぜん会議かいぎのあと、外務省がいむしょう政務せいむ局長きょくちょう安東あんどう義良よしなが東郷とうごう茂徳しげのり外務がいむ大臣だいじんばれ、詔書しょうしょあん作成さくせいするよう極秘ごくひ指示しじけた。安東あんどう詔書しょうしょあん作成さくせいするのは内閣ないかく仕事しごとであることを認識にんしきしていたが、クーデターのうわさながれるなか、もし総理そうり大臣だいじん官邸かんてい襲撃しゅうげきけるようなことになれば詔書しょうしょあんどころではなくなるため、それにそなえて外務省がいむしょう作成さくせいすると解釈かいしゃくしてあえて「なぜ外務省がいむしょうが?」とうことはしなかった。安東あんどう詔書しょうしょあんを11にちあさ東郷とうごう大臣だいじんわたしたが、結局けっきょくこの詔書しょうしょあんることはなかった。迫水さこみず久常ひさつねもこの詔書しょうしょあんがあることをらなかった。戦後せんごになってから安東あんどう蔵書ぞうしょ整理せいりしていると、偶然ぐうぜんほんあいだはさまっている詔書しょうしょあん下書したがきを発見はっけんしたことにより、存在そんざいあきらかになった。安東あんどうは「あん大臣だいじんわたまえに、だい東亜とうあしょう次官じかん田尻たじりあいよしせて賛同さんどうた」とっているが、田尻たじり戦後せんご読売新聞社よみうりしんぶんしゃのインタビューにたいし、「そのことについては記憶きおくがない」とべている[31]

安東あんどう義良よしなが作成さくせいした詔書しょうしょあん

敕語
ちん󠄂ハ東亞とうあ安定あんてい確保かくほシ、以テ世界せかいたいら󠄁かず寄與きよシ、列國れっこくトノ交󠄁よしみあつクシ、萬邦ばんぽう󠄂共榮きょうえいらくヲ偕ニセンコトヲ冀ヒタルモ、みかど󠄁こく自存じそん自衞じえいためとめムナクべいえい兩國りょうこくト釁端ヲひらけクニいたりリ、茲ニよんねんたれントス
此閒󠄁ちん󠄂カいさむ󠄁たけナル陸海りくかい󠄀將兵しょうへいてい󠄀國難こくなん󠄀ニ赴キ、ちん󠄂カひゃく僚有碎身さいしん職務しょくむニ勵精󠄀シ、ちん󠄂カ忠誠ちゅうせい󠄁ナルしゅ󠄁庶ハ困苦こんく缺乏けつぼうたいヘテ其本ぶん󠄁ヲつきシタルニかかわラス、せんとげ󠄂ニアラス、戰爭せんそうえき󠄁〻慘烈さんれつトナリちん󠄂カ赤子あかご犧牲ぎせいがつ󠄁ニ增大ぞうだいはた國本こくほんヲ危󠄁クスルニいたりレリ、而モ交󠄁せん相手あいてこく流血りゅうけつとめしょラス人類じんるい󠄀ノ不幸ふこう󠄁キル
ちん󠄂ハ戰爭せんそう慘禍さんか󠄀ヨリ人類じんるい󠄀ヲすくいフノどう󠄁ハ卽時そくじ干戈かんかおさむムルがいキヲおもえヒ、敢テべいえいささえ及󠄁れん參加さんかセル共同きょうどう宣言せんげん條件じょうけん受諾じゅだくスヘク決意けつい󠄁シ、ちん󠄂カ政府せいふいのちシ交󠄁せん各國かっこくトノ交󠄁わたるとうラシム
みかど󠄁こくはらい犧牲ぎせい甚大じんだいナリ、らいラントスル艱難かんなん󠄀ヲ克服こくふく󠄁シテ悠久ゆうきゅうナル皇國こうこく生命せいめい護持ごじスルハちん󠄂カ忠良ただよしナルしゅ󠄁庶ニしん倚スルしょ󠄁ナリ、なんじゆうしゅ感情かんじょう󠄁ノ激發げきはつどうセス、冷靜れいせい苦難くなん󠄀ヲにん󠄁フノ眞勇しんゆう󠄁ヲ發揮はっきシ、いち𦤶協力きょうりょくたいら󠄁かず復興ふっこう大業おおわざ邁進まいしん󠄁センコトヲ󠄁セヨ
— 安東あんどう義良よしなが読売新聞よみうりしんぶんへん昭和しょうわ天皇てんのう 4玉音ぎょくおん放送ほうそうまで』中公ちゅうこう文庫ぶんこ p.472 2012ねん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 小森こもり陽一よういち天皇てんのう玉音ぎょくおん放送ほうそう』(がつ書房しょぼう、2003ねん8がつ)※玉音ぎょくおん放送ほうそうのCDが付属ふぞく
  • 川上かわかみ和久かずひさ『CDブック 昭和しょうわ天皇てんのう 玉音ぎょくおん放送ほうそう』(あさ出版しゅっぱん、2015ねん6がつ

関連かんれん番組ばんぐみ

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  • アニメンタリー 決断けつだん だい25最後さいご決断けつだん」(りゅうプロダクション制作せいさく日本にほんテレビけい、1971ねん放送ほうそう) - ポツダム宣言せんげん受諾じゅだくから御前ごぜん会議かいぎ玉音ぎょくおん放送ほうそういたるまでの、下村しもむら総裁そうさいをはじめ、徹底てってい抗戦こうせんとなだま音盤おんばん奪取だっしゅしようとする陸軍りくぐん一部いちぶ将校しょうこうなど、さまざまな立場たちばからの決断けつだんえがかれている。
  • 連続れんぞくテレビ小説しょうせつ本日ほんじつ晴天せいてんなり」(だい35=だい6しゅう・その5 1981ねん11月13にち NHK総合そうごうテレビジョンにて生放送なまほうそう[32] - 玉音ぎょくおん放送ほうそう当時とうじ音源おんげんまじえて再現さいげんしたもの。原本げんぽん和田わだ相当そうとうする進行しんこうやく本多ほんだ山本やまもと紀彦のりひこえんじた。
  • ザ・スクープスペシャル「終戦しゅうせん特別とくべつ企画きかく だれらない玉音ぎょくおん放送ほうそう "日本にっぽんのいちばんなが"の真実しんじつ」(テレビ朝日てれびあさひ、2011ねん8がつ14にち放送ほうそう
  • NHK BSプレミアム「玉音ぎょくおん放送ほうそうつくったおとこたち[33]」 - 下村しもむらひろし玉音ぎょくおん放送ほうそう制作せいさくじょうきょう放送ほうそうたずさわった人々ひとびとをドラマ形式けいしきで。テレビマンユニオン製作せいさくNHK、2015ねん8がつ1にち放送ほうそう
  • ニコニコ生放送なまほうそう「【終戦しゅうせん玉音ぎょくおん放送ほうそう」 - ニコせい終戦しゅうせん特別とくべつ企画きかくとして玉音ぎょくおん放送ほうそうをノーカットで配信はいしん[34][35]。2015ねん以降いこう毎年まいとし8がつ15にち正午しょうごからノーカットで配信はいしんする。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ この玉音ぎょくおん天皇てんのう肉声にくせい)が録音ろくおんされたレコードばん玉音ぎょくおんばんという。
  2. ^ のちにレコードばん消滅しょうめつまで全盛ぜんせいとなったビニールばん、バイナルではない。これが登場とうじょうするのは1950年代ねんだい
  3. ^ それにくわ当時とうじ電波でんぱ管制かんせいのために全国ぜんこく共通きょうつう周波数しゅうはすう(860キロサイクル)をもちいていたうえに、後述こうじゅつとお電波でんぱ出力しゅつりょく通常つうじょうよりおおきくしていたため、放送ほうそうきょくあいだ地域ちいきでは相互そうご電波でんぱ干渉かんしょうし、受信じゅしん状態じょうたい非常ひじょうわるくなった(『真空しんくうかん伝説でんせつ』p.167)。
  4. ^ 日本にっぽんはこの戦争せんそうはじめて外国がいこく敗北はいぼくし、降伏ごうぶくすることになった。
  5. ^ この放送ほうそうでは「敗北はいぼく」や「降伏ごうぶく」といった言葉ことばもちいることができなかったため、昭和しょうわ天皇てんのうはあえて明治天皇めいじてんのう1895ねん明治めいじ28ねん)のさんこく干渉かんしょう屈服くっぷくしたさいべた言葉ことば(「こらえなんキヲ…」)をかえしたとされる[4]
  6. ^ 内閣ないかく嘱託しょくたく小川おがわ一平いっぺいおよだい東亜とうあしょう次官じかん田尻たじりあいよし作成さくせい関与かんよ協力きょうりょくしたという[6]
  7. ^ メインきょく場合ばあいきょく場合ばあい可能かのうかぎ出力しゅつりょく向上こうじょうおこなったらしい。(『真空しんくうかん伝説でんせつ』p.167)
  8. ^ 典拠てんきょ春秋しゅんじゅうひだりでんの『しんじもっおこない、よしもっいのちす』による[27]

出典しゅってん

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  1. ^ <4> 戦争せんそう 人間にんげんせいうば家庭かてい破壊はかい”. 中国ちゅうごく新聞しんぶん (2009ねん8がつ21にち). 2013ねん6がつ2にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2015ねん11月7にち閲覧えつらん
  2. ^ 日本にっぽんラジオ博物館はくぶつかん 玉音ぎょくおん放送ほうそうとラジオ
  3. ^ 平和へいわ祈念きねん展示てんじ資料しりょうかん 戦地せんちいた玉音ぎょくおん放送ほうそう
  4. ^ ベン=アミー・シロニー天皇陛下てんのうへいか経済けいざいがく山本やまもとななひら監訳かんやく光文社こうぶんしゃ文庫ぶんこ1986ねん昭和しょうわ61ねん)p.153。
  5. ^ 官報かんぽう 號外ごうがい” (PDF). 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション. 印刷いんさつきょく (1945ねん8がつ14にち). 2018ねん8がつ15にち閲覧えつらん
  6. ^ 吉川弘文館よしかわこうぶんかん国史こくしだい辞典じてんだい7かん終戦しゅうせん詔書しょうしょ」(執筆しっぴつしゃ : 波多野はたの澄雄すみお))。
  7. ^ 読売新聞社よみうりしんぶんしゃへん昭和しょうわ天皇てんのう 4 玉音ぎょくおん放送ほうそうまで』中公ちゅうこう文庫ぶんこ pp.456 - 457 2012ねん
  8. ^ 読売新聞社よみうりしんぶんしゃへん昭和しょうわ天皇てんのう 4 玉音ぎょくおん放送ほうそうまで』中公ちゅうこう文庫ぶんこ pp.464 - 466 2012ねん
  9. ^ a b DOたのし 昭和しょうわ再訪さいほうセレクション vol.56 玉音ぎょくおん放送ほうそう終戦しゅうせん」の記憶きおく鮮烈せんれつきざ”. 2011ねん8がつ10日とおか時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2011ねん8がつ15にち閲覧えつらん
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