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逓信ていしんしょう

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逓信ていしんいんから転送てんそう
日本の旗 日本にっぽん行政ぎょうせい機関きかん
逓信ていしんしょうていしんしょう
遞信ていしんしょう
1912年(明治45年)頃の逓信省庁舎
1912ねん明治めいじ45ねんごろ逓信ていしん省庁しょうちょうしゃ
役職やくしょく
大臣だいじん 榎本えのもと武揚ぶよう初代しょだい
小沢おざわたすく重喜しげよし最後さいご
組織そしき
内部ないぶ部局ぶきょく 電気でんききょく郵務ゆうむきょくでんつとむきょく工務こうむきょく貯金ちょきんきょく経理けいりきょく簡易かんい保険ほけんきょく航空局こうくうきょくかんせんきょく灯台とうだいきょく大臣だいじん官房かんぼう昭和しょうわ元年がんねんどき[1]
概要がいよう
所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
東京とうきょう東京とうきょう京橋きょうばし木挽こびきまち→)
東京とうきょう東京とうきょう麹町こうじまち大手町おおてまち→)
東京とうきょう麻布あざぶ飯倉いいくらまちげんみなと麻布台あざぶだい
設置せっち 1885ねん - 1943ねん1946ねん - 1949ねん
前身ぜんしん こうしょう
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逓信ていしんしょう(ていしんしょう、きゅう字体じたい遞信ていしんしょう英語えいご: Ministry of Communications[2])は、かつて日本にっぽん存在そんざいした郵便ゆうびん通信つうしん運輸うんゆ管轄かんかつする中央ちゅうおう官庁かんちょうである。

内閣ないかく創設そうせつからだい世界せかい大戦たいせんなか行政ぎょうせい機構きこう改革かいかく統合とうごうされるまで、交通こうつう通信つうしん電気でんき幅広はばひろ管轄かんかつしていた。だい世界せかい大戦たいせんにも復活ふっかつして1946ねん昭和しょうわ21ねん)から1949ねん昭和しょうわ24ねん)まで存在そんざいしたが、この時期じきには通信つうしんおよ航空こうくう保安ほあんのみを管轄かんかつした。現在げんざい総務そうむしょう国土こくど交通省こうつうしょう航空局こうくうきょく日本にっぽん郵政ゆうせい(JP)、およ日本電信電話にほんでんしんでんわ(NTT)は、1946ねん昭和しょうわ21ねん)から1949ねん昭和しょうわ24ねん)までの逓信ていしんしょう後身こうしん相当そうとうする。

沿革えんかく

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こうしょうはい遞信ていしんしょうこうだい學校がっこう󠄁をぶん󠄁しょう鑛山こうざん及󠄁工作こうさく事務じむのうしょう󠄁つとむしょうぞくす。今般こんぱん遞信ていしんしょう驛遞えきてい電信でんしん燈臺とうだいかん舩の事務じむ管理かんりせしむ

太政官だじょうかんたちだいななじゅうごう明治めいじ18ねん12月22にち[3]

本省ほんしょう所在地しょざいち変遷へんせん

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逓信ていしんしょう飯倉いいくら庁舎ちょうしゃきゅう貯金ちょきんきょく庁舎ちょうしゃ
郵政省ゆうせいしょう本庁ほんちょうしゃなどをて、日本にっぽん郵政ゆうせいグループ飯倉いいくらビル(2019ねん解体かいたいみ)
  • だいさん - 麻布あざぶ飯倉いいくらまちみなと麻布台あざぶだい

所管しょかん業務ぎょうむ

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郵便ゆうびん

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1871ねん明治めいじ4ねん4がつ20日はつか郵便ゆうびん創業そうぎょう郵便ゆうびん事業じぎょう宿駅しゅくえき制度せいどをつかさどる駅逓えきてい所管しょかんであり、初代しょだい駅逓えきていあたま濱口はまぐち梧陵(7代目だいめ濱口はまぐちただし兵衛ひょうえ ヤマサ醤油じょうゆ創業そうぎょう当主とうしゅ 「いねむらの」のモデル)であるが、近代きんだい郵便ゆうびん事業じぎょう展開てんかいだい2だい駅逓えきていあたま前島まえじまひそか制度せいど開始かいし当時とうじ駅逓えきていけんあたまとして英国えいこく視察しさつちゅう)の指導しどうしたすすめられた。この駅逓えきていみんしょう大蔵省おおくらしょう内務省ないむしょうのう商務省しょうむしょう所属しょぞくわるあいだ駅逓えきていりょう駅逓えきていきょく昇格しょうかく1885ねん明治めいじ18ねん)に逓信ていしんしょう設立せつりつされるとその所属しょぞくとなった。

1887ねん明治めいじ20ねん)には「〒」マークが制定せいていされた。これは逓信ていしんしょう頭文字かしらもじ「テ」をデザインしたものであるとされる(詳細しょうさい郵便ゆうびん記号きごうこう参照さんしょう)。1900ねん明治めいじ33ねん)にはそれまでの郵便ゆうびん規則きそく郵便ゆうびん条例じょうれい小包こづつみ郵便ゆうびんほうなどが統合とうごうされ(きゅう郵便ゆうびんほう制定せいていされた。1920ねん大正たいしょう9ねん)には貯金ちょきんきょく簡易かんい保険ほけんきょくもうけられた。1928ねん昭和しょうわ3ねん)には簡易かんい保険ほけんきょくラジオ体操たいそう制定せいていした。その郵便ゆうびん事業じぎょう通信つうしんいん逓信ていしんいん復活ふっかつした逓信ていしんしょうて、郵政省ゆうせいしょうがれることになる。

電信でんしん電話でんわ

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こうしょう所管しょかんであった電信でんしん事業じぎょう逓信ていしんしょうがれ、1890ねん明治めいじ23ねん)には電話でんわ事業じぎょう管轄かんかつするようになった。以降いこう電信でんしん電話でんわ所管しょかん一貫いっかんして逓信ていしんしょう(および通信つうしんいん逓信ていしんいん)のものであったが、1949ねん昭和しょうわ24ねん)にしょう解体かいたい(郵電分離ぶんり)されると電気でんき通信つうしんしょうへとうつった。なお電気でんき通信つうしんしょう1952ねん昭和しょうわ27ねん)に日本電信電話にほんでんしんでんわ公社こうしゃ改組かいそされ、その監督かんとく郵政省ゆうせいしょうおこなうこととなった。

海事かいじ

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民間みんかん船舶せんぱくかんする事務じむのう商務省しょうむしょう商務しょうむきょくかんせんおこなっていたが、1882ねん明治めいじ15ねん)にかんせんきょくへと昇格しょうかくした。1885ねん明治めいじ18ねん)に内閣ないかく制度せいど創設そうせつされると逓信ていしんしょう管轄かんかつとされた。1896ねん明治めいじ29ねん)には海難かいなん審判しんぱん制度せいどさだめた「海員かいいん懲戒ちょうかいほう」が公布こうふされ、翌年よくねんには海員かいいん審判しんぱんしょ設立せつりつされた。だい東亜とうあ戦争せんそう太平洋戦争たいへいようせんそうだい世界せかい大戦たいせん開戦かいせん直後ちょくご1941ねん昭和しょうわ16ねん12月19にち海運かいうん国家こっか統制とうせい目的もくてきに、海事かいじかんする業務ぎょうむうみつとむいんへとうつされた。

逓信ていしんしょう標準ひょうじゅんせん

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ワシントン海軍かいぐん軍縮ぐんしゅく条約じょうやく脱退だったい国際こくさい情勢じょうせい悪化あっか可能かのうせい見込みこんで、1936ねん昭和しょうわ11ねん)から標準ひょうじゅんせん制定せいていうごきがきた。にちはな事変じへんなか1939ねん昭和しょうわ14ねん)4がつ正式せいしき決定けっていされ、造船ぞうせんりょう増大ぞうだい効率こうりつ目的もくてき大小だいしょう貨物かもつせん6形式けいしき計画けいかくされた。その日本にっぽんのパナマ運河うんが経由けいゆニューヨーク航路こうろ高速こうそく貨物かもつせん(いわゆるニューヨークライナー)に相当そうとうするLがた計画けいかくされるが、さらなる情勢じょうせい悪化あっかにより中止ちゅうし艦隊かんたい随伴ずいはんよう大型おおがたタンカーのTLがたらんしるし中型ちゅうがたタンカーのTMがた鉱石こうせき運搬船うんぱんせんのKがた追加ついかされた。また、DがたとEがた中間ちゅうかんたるHがた計画けいかくされたが、こちらは計画けいかくのみにわった。戦時せんじ標準ひょうじゅんせん制定せいていにより平時へいじ標準ひょうじゅんせんともばれ、だい1戦時せんじ標準ひょうじゅんせんはこの型式けいしきをベースにして設計せっけいされている。

以下いかしょもと総トン数そうとんすう機関きかん最大さいだい速力そくりょくじゅん

Aがた(タービン6,300トン・ディーゼル6,200トン・レシプロ6,400トン、タービンorディーゼルorレシプロ、タービン&ディーゼル15.5ノット・レシプロ15ノット)
6船倉ふなぐらしき三島みしまがた貨物かもつせん。タービンせん建造けんぞうされなかったが、ディーゼルせん浅野あさの造船ぞうせんしょげんジャパン マリンユナイテッド)で1せき、レシプロせん川南かわみなみ工業こうぎょう香焼こうやぎとう造船ぞうせんしょ三菱重工みつびしじゅうこうげん大島造船所おおしまぞうせんしょ香焼こうやぎ工場こうじょう)で7せき建造けんぞうされた。
うちレシプロせん非公式ひこうしきで、レシプロせんとディーゼルせんとは、4ばん船倉ふなぐらようデリックポストの位置いちことなる。
すべだい東亜とうあ戦争せんそう戦没せんぼつした。5tデリック×12搭載とうさい、25tデリック×1搭載とうさいした。
Bがた(4,500トン、タービンorレシプロ、14.5ノット)
5船倉ふなぐらしき三島みしまがた貨物かもつせんで、川崎かわさき造船ぞうせんしょげん川崎重工業かわさきじゅうこうぎょう神戸こうべ工場こうじょうとうで14せき計画けいかくされ、10せき建造けんぞうされた。
おも建造けんぞう中止ちゅうしせんのぞくと、レシプロせんが3せきで、のこりはタービンせんである。
うちレシプロせん1せき、タービンせん2せき応急おうきゅうタンカーに改装かいそうされている。9せきだい東亜とうあ戦争せんそう戦没せんぼつし、終戦しゅうせん残存ざんそんしたのは1せきのみである。
じゅん同型どうけいとして、三菱重工業みつびしじゅうこうぎょうげん三菱みつびし造船ぞうせん神戸造船所こうべぞうせんしょにてだいさん伏見ふしみまる増田ますだ合名ごうめい、4,929トン)[注釈ちゅうしゃく 1]浦上うらかみまるぶくよう汽船きせん、4,317トン)が建造けんぞうされている。
いずれも排気はいきタービンづけレシプロ機関きかんで、後者こうしゃ機関きかんを2搭載とうさい速力そくりょく前者ぜんしゃが11.5ノット[9]後者こうしゃは16.3ノットとなっている[10]りょう者共ものどもだい東亜とうあ戦争せんそう戦没せんぼつした。
5tデリック×10、20tデリック×1搭載とうさい
Cがた(2,750トン、タービンorタービンづけふくれんなりorレシプロ、13ノット)
4船倉ふなぐらしき三島みしまがた貨物かもつせんで、名古屋なごや造船ぞうせんげんIHI愛知あいち工場こうじょうとうで47せき計画けいかくされ、43せき(制定せいていまえから同一どういつ要目ようもく建造けんぞうされたしん京丸きょうまるがたふくめて50せき)建造けんぞうされた。
おも建造けんぞう中止ちゅうしせんのぞくと、タービンづけふくれんなりせんが7せき、タービンせんが6せきで、のこりはレシプロせんである。
うち、タービン2せき、レシプロ1せき応急おうきゅうタンカーに改装かいそうされた。だい東亜とうあ戦争せんそうすべ戦没せんぼつし、戦後せんごに2せき浮揚ふよう再生さいせいされた。
Dがた三島みしまがた1,990トン・船尾せんび機関きかんがた1,900トン、タービンorレシプロ、三島みしまがた12ノット・船尾せんび機関きかんがた13.5ノット)
4船倉ふなぐらしき三島みしまがた貨物かもつせんと、2船倉ふなぐらしき船尾せんび機関きかんがたの2パターンある。
三島みしまがた藤永ふじなが造船ぞうせんしょげん三井みついE&S造船ぞうせんとうで15せき建造けんぞうされた。タービンせんが1せきで、のこりはレシプロせんである。
だい東亜とうあ戦争せんそうで12せき戦没せんぼつし、3せき終戦しゅうせん残存ざんそんしていた。
船尾せんび機関きかんがた日本海にほんかい船渠せんきょとうで66せき計画けいかくされ、54せきどういち要目ようもく建造けんぞうされたふねふくむと65せき建造けんぞうされたほか、2せきだい1計画けいかく造船ぞうせんKDがたとして建造けんぞうされた。うち5せき応急おうきゅうタンカーに改装かいそうされている。
こちらは非公式ひこうしきで、日之出ひのでがた貨物かもつせんだい靑山あおやままるだいきょう汽船きせん、1,898そうトン)の設計せっけいをそのまま踏襲とうしゅうしており、だい二靑山丸型貨物船ともばれる。おもすべてレシプロ機関きかんである。
だい東亜とうあ戦争せんそうで52せき戦没せんぼつし、2せき終戦しゅうせん残存ざんそんしていたほか、2せき浮揚ふよう再生さいせいされた。
Eがた(830トン、ディーゼル、10ノット)
2船倉ふなぐらしき三島みしまがた貨物かもつせんで、佐野さのやすし船渠せんきょげんサノヤスホールディングスしん来島らいとうサノヤス造船ぞうせんとうで12せき建造けんぞうされた[11]。9せき太平洋戦争たいへいようせんそう戦没せんぼつし、3せき終戦しゅうせん残存ざんそんしていた。
Fがた(490トン、ディーゼル、10ノット)
1船倉ふなぐらしき船尾せんび集約しゅうやくがた貨物かもつせんで、朝鮮ちょうせん重工業じゅうこうぎょうげん韓進かんしん重工業じゅうこうぎょうとうで17せき建造けんぞうされた。15せき太平洋戦争たいへいようせんそう戦没せんぼつしたが、2せき終戦しゅうせん残存ざんそんしていたほか戦後せんごに1せき浮揚ふよう再生さいせいされた。
Kがた三島みしまがた5,400トン・長船おさふねろうがた5,950トン・船尾せんび機関きかんがた5,800トン、三島みしまがたレシプロ・ちょう船尾せんびろうがた&船尾せんび機関きかんがたタービン、三島みしまがた&長船おさふねろうがた15ノット・船尾せんび機関きかんがた15.5ノット)
4船倉ふなぐらしき三島みしまがた貨物かもつせんと、4船倉ふなぐらしきちょう船尾せんびろうがた、5船倉ふなぐらしき船尾せんび機関きかんがたの3パターンある。三島みしまがた三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう神戸造船所こうべぞうせんしょで7せき船尾せんび機関きかんがた東京とうきょう石川いしかわとう造船ぞうせんしょげん・IHI)で2せき長船おさふねろうがた日本鋼管にほんこうかん鶴見つるみ造船ぞうせんしょとうで8せき建造けんぞうされた。三島みしまがた長船おさふねろうがた3せきずつ、けい6せき応急おうきゅうタンカーに改装かいそうされた。だい東亜とうあ戦争せんそうすべ戦没せんぼつした。
TLがた(10,000トン、タービン、19.5ノット)
艦隊かんたい随伴ずいはんよう大型おおがたタンカー。播磨はりま造船ぞうせんしょげん・IHI)で設計せっけいされたが、当時とうじ多数たすう就役しゅうえきしていた川崎かわさきがた油槽ゆそうせん建造けんぞうしたほういと判断はんだんされたためか、商船しょうせんとしては起工きこうされず、海軍かいぐん給油きゅうゆかん仕様しよう風早かざはやはやの2せきのみが起工きこうされ、はや吸はのち航空機こうくうき搭載とうさい計画けいかく変更へんこうされたため、風早かざはやのみがオリジナルにちか形態けいたい竣工しゅんこうした。
TMがた(5,200トン、タービン、16.5ノット)
らんしるし中型ちゅうがたタンカー。日立造船ひたちぞうせん(ユニバーサル造船ぞうせんげん・ジャパン マリンユナイテッド)とうで7せき建造けんぞうされた。だい東亜とうあ戦争せんそうすべ戦没せんぼつし、戦後せんごに1せき浮揚ふよう再生さいせいされた。

鉄道てつどう

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1872ねん明治めいじ5ねん)の新橋しんばし横浜よこはまあいだ鉄道てつどう開業かいぎょう前年ぜんねんこうしょう鉄道てつどうりょうもうけられた。その鉄道てつどうきょくへと昇格しょうかくしたが、1885ねん明治めいじ18ねん)にこうしょう廃止はいしされると内閣ないかく直属ちょくぞくとなった。1890ねん明治めいじ23ねん)には鉄道てつどうちょうとなり内務省ないむしょう外局がいきょくになったが、1892ねん明治めいじ25ねん)には逓信ていしんしょう外局がいきょくとされ、その翌年よくねんには内局ないきょくされ逓信ていしんしょう鉄道てつどうきょくとなった。1897ねん明治めいじ30ねん)に現業げんぎょう部門ぶもん外局がいきょくとして独立どくりつさせ、鉄道てつどう作業さぎょうきょく1907ねん明治めいじ40ねん)に帝国ていこく鉄道てつどうちょうへと改組かいそ)としたため、鉄道てつどうきょく監督かんとく行政ぎょうせいのみをつことになった。1908ねん明治めいじ41ねん)に鉄道てつどうきょく帝国ていこく鉄道てつどうちょう統合とうごうして内閣ないかく直属ちょくぞく鉄道てつどういん設立せつりつされ、鉄道てつどう事業じぎょう逓信ていしんしょうはなれることとなった。

電気でんき

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1909ねん明治めいじ42ねん7がつ24にち、それまで逓信ていしんしょう通信つうしんきょく所掌しょしょうしていた電気でんきかんする事務じむ移管いかんして内局ないきょくたる電気でんききょく設置せっちされた[12]。それにくわえ、1938ねん昭和しょうわ13ねん)5がつ6にちには外局がいきょく(「逓信ていしん大臣だいじん管理かんりぞく」する機関きかん)として電力でんりょく管理かんり準備じゅんびきょく設置せっちされ[13]電力でんりょく管理かんりほう施行しこうたったが、1939ねん昭和しょうわ14ねん4がつ1にちりょうきょく統合とうごうした外局がいきょく(「逓信ていしん大臣だいじん管理かんりぞく」する機関きかん)として電気でんきちょう設置せっちされた[14]。しかし、行政ぎょうせい簡素かんそのため1942ねん昭和しょうわ17ねん)11月1にち電気でんきちょう廃止はいしされ、逓信ていしん省内しょうないきょく電気でんききょくさい設置せっちされたものの[15]よく1943ねん昭和しょうわ18ねん)11月1にち運輸うんゆ通信つうしんしょう同時どうじ設置せっちされた軍需ぐんじゅしょう電力でんりょくきょくとして移管いかんされた[16]軍需ぐんじゅしょうは1945ねん昭和しょうわ20ねん)8がつ26にち廃止はいしされ、わって商工しょうこうしょうさい設置せっちされたが、電力でんりょく行政ぎょうせい引続ひきつづ電力でんりょくきょくとして商工しょうこうしょう所管しょかんした[17]

なお、1935ねん昭和しょうわ10ねん)、電気でんき用品ようひん取締とりしまり規則きそく同年どうねん逓信ていしん省令しょうれいだい30ごう)にもとづき対象たいしょう製品せいひんけるマークにぎゃく三角形さんかっけいなか逓信ていしんしょう徽章きしょう」をしめしたマークが使つかわれ、1961ねん昭和しょうわ36ねん公布こうふ電気でんき用品ようひん取締とりしまりほうにも継承けいしょうされた[18]

航空こうくう

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1923ねん大正たいしょう12ねん陸軍りくぐんしょう外局がいきょくだった航空局こうくうきょく逓信ていしんしょう外局がいきょくとして移管いかんされ[19]翌年よくねん内局ないきょくとなった[20]。1927ねん昭和しょうわ2ねん)の航空こうくうほう大正たいしょう10ねん法律ほうりつだい54ごう)の施行しこう[注釈ちゅうしゃく 2]とも郵便ゆうびんによる定期ていき航空こうくう輸送ゆそう構想こうそう打出うちだし、大阪おおさか木津川きづがわ飛行場ひこうじょう)・東京とうきょう羽田はた飛行場ひこうじょう)・福岡ふくおかかり飛行場ひこうじょう)に飛行場ひこうじょう整備せいびし、国際こくさい航空こうくう郵便ゆうびん東京とうきょう大連たいれんしゅう水子みずこ飛行場ひこうじょう大連たいれん関東かんとうしゅう逓信ていしんきょく)、大阪おおさか上海しゃんはい開設かいせつした[21]1938ねん昭和しょうわ13ねん)1がつ31にち航空局こうくうきょくふたた逓信ていしんしょう外局がいきょくとなった[22]同年どうねん6がつ航空機こうくうき乗員じょういん養成ようせいしょ設置せっちした。1943ねん昭和しょうわ18ねん)11月1にち運輸うんゆ通信つうしんしょう設置せっちとともに航空局こうくうきょく同省どうしょう内局ないきょくとなり、1945ねん昭和しょうわ20ねん)5がつ19にち運輸省うんゆしょうへの改称かいしょうにおいても存置そんちされた。同年どうねん12がつ31にち運輸省うんゆしょう航空局こうくうきょくおよ航空機こうくうき乗員じょういん養成ようせいしょはい[23]、「航空こうくうかんする事項じこう」を運輸省うんゆしょうから逓信ていしんいん移管いかんして逓信ていしんいん電波でんぱきょく航空こうくう保安ほあん設置せっちした[24][25]1946ねん昭和しょうわ21ねん)7がつ1にち逓信ていしんしょう航空こうくう保安ほあん設置せっちした[26]。1949ねん昭和しょうわ24ねん)6がつ1にち逓信ていしんしょう廃止はいしともない、電気でんき通信つうしんしょう外局がいきょくとして航空こうくう保安庁ほあんちょう設置せっちされた。

歴代れきだい大臣だいじん

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日本の旗 日本にっぽん
逓信ていしん大臣だいじん
Minister of Communications
郵便ゆうびん
担当たんとう機関きかん逓信ていしんしょう
任命にんめい天皇てんのう
根拠こんきょ法令ほうれい大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう
創設そうせつ1885ねん明治めいじ18ねん
12月22にち
初代しょだい榎本えのもと武揚ぶよう
最後さいご小沢おざわたすく重喜しげよし
廃止はいし1949ねん昭和しょうわ24ねん
6月1にち
継承けいしょう郵政ゆうせい大臣だいじん
  • 明治めいじ憲法けんぽうしたでは、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん交代こうたいしてもかく大臣だいじん地位ちい影響えいきょうく、なんらの任免にんめん発令はつれいもないまま引続ひきつづ大臣だいじんしょくまることも可能かのうだった。
  • 兼任けんにん場合ばあい表記ひょうきつぎとお区別くべつした。
    • なに大臣だいじんによる兼任けんにん」としたのは、大臣だいじん本官ほんかんであり、逓信ていしん大臣だいじん兼官けんかん場合ばあい
    • なに大臣だいじん兼任けんにん」としたのは、大臣だいじん兼官けんかんであり、逓信ていしん大臣だいじん本官ほんかん場合ばあい
逓信ていしん大臣だいじんだい1
1 榎本えのもと武揚ぶよう 1885ねん12月22にち - 1889ねん3がつ22にち
(1888ねん4がつ30にち - 1888ねん7がつ25にちのう商務しょうむ大臣だいじん臨時りんじ兼任けんにん
2 後藤ごとう象二しょうじろう
  • 黒田くろだ内閣ないかく
  • だい1やま縣内けんないかく
  • だい1松方まつかた内閣ないかく
1889ねん3がつ22にち - 1892ねん8がつ8にち
3 黒田くろだ清隆きよたか だい2伊藤いとう内閣ないかく 1892ねん8がつ8にち - 1895ねん3がつ17にち
4 渡辺わたなべ国武くにたけ 1895ねん3がつ17にち - 1895ねん10がつ9にち
(1895ねん8がつ27にち - 1895ねん10がつ9にち大蔵おおくら大臣だいじん兼任けんにん
5 白根しらねせんいち
  • だい2伊藤いとう内閣ないかく
  • だい2松方まつかた内閣ないかく
1895ねん10がつ9にち - 1896ねん9がつ26にち
6 野村のむらやすし だい2松方まつかた内閣ないかく 1896ねん9がつ26にち - 1898ねん1がつ12にち
7 末松すえまつ謙澄けんちょう だい3伊藤いとう内閣ないかく 1898ねん1がつ12にち - 1898ねん6がつ30にち
8 はやしゆうづくり だい1大隈おおくま内閣ないかく 1898ねん6がつ30にち - 1898ねん11月8にち
9 芳川よしかわ顕正けんせい だい2やま縣内けんないかく 1898ねん11月8にち - 1900ねん10がつ19にち
10 ほしとおる だい4伊藤いとう内閣ないかく 1900ねん10がつ19にち - 1900ねん12月21にち
11 はらたかし 1900ねん12月22にち - 1901ねん6がつ2にち
12 芳川よしかわ顕正けんせい だい1かつら内閣ないかく 1901ねん6がつ2にち - 1903ねん7がつ17にち
13 曾禰あらすけ 1903ねん7がつ17にち - 1903ねん9がつ22にち
大蔵おおくら大臣だいじんによる兼任けんにん
14 大浦おおうら兼武かねたけ 1903ねん9がつ22にち - 1906ねん1がつ7にち
15 山縣やまがた伊三郎いさぶろう だい1西園寺さいおんじ内閣ないかく 1906ねん1がつ7にち - 1908ねん1がつ14にち
16 はらたかし 1908ねん1がつ14にち - 1908ねん3がつ25にち
内務ないむ大臣だいじんによる兼任けんにん
17 堀田ほったただしよう 1908ねん3がつ25にち - 1908ねん7がつ14にち
18 後藤ごとう新平しんぺい だい2かつら内閣ないかく 1908ねん7がつ14にち - 1911ねん8がつ30にち
19 はやしただし だい2西園寺さいおんじ内閣ないかく 1911ねん8がつ30にち - 1912ねん12月21にち
(1911ねん8がつ30にち - 1911ねん10がつ16にち外務がいむ大臣だいじん臨時りんじ兼任けんにん
20 後藤ごとう新平しんぺい だい3かつら内閣ないかく 1912ねん12月21にち - 1913ねん2がつ20日はつか
21 元田もとだはじめ だい1山本やまもと内閣ないかく 1913ねん2がつ20日はつか - 1914ねん4がつ16にち
22 武富たけとみ時敏ときとし だい2大隈おおくま内閣ないかく 1914ねん4がつ16にち - 1915ねん8がつ10日とおか
23 箕浦みのうら勝人まさと 1915ねん8がつ10日とおか - 1916ねん10がつ9にち
24 健治郎けんじろう 寺内てらうち内閣ないかく 1916ねん10がつ9にち - 1918ねん9がつ29にち
25 野田のだ卯太郎うたろう
  • 原内はらうちかく
  • 高橋たかはし内閣ないかく
1918ねん9がつ29にち - 1922ねん6がつ12にち
26 前田まえだ利定としさだ 加藤かとうとも内閣ないかく 1922ねん6がつ12にち - 1923ねん9がつ2にち
27 いぬやしなえあつし だい2山本やまもと内閣ないかく 1923ねん9がつ2にち - 1924ねん1がつ7にち
(1923ねん9がつ2にち - 1923ねん9がつ6にち文部もんぶ大臣だいじん兼任けんにん
28 藤村ふじむら義朗よしろう 清浦きようら内閣ないかく 1924ねん1がつ7にち - 1924ねん6がつ11にち
29 いぬやしなえあつし 加藤かとうこう内閣ないかく 1924ねん6がつ11にち - 1925ねん5がつ30にち
30 安達あだち謙蔵けんぞう
  • 加藤かとうこう内閣ないかく
  • だい1若槻わかつき内閣ないかく
1925ねん5がつ30にち - 1927ねん4がつ20日はつか
31 望月もちづき圭介けいすけ 田中たなかよし内閣ないかく 1927ねん4がつ20日はつか - 1928ねん5がつ23にち
32 久原くはら房之助ふさのすけ 1928ねん5がつ23にち - 1929ねん7がつ2にち
33 小泉こいずみ又次郎またじろう
  • 濱口はまぐち内閣ないかく
  • だい2若槻わかつき内閣ないかく
1929ねん7がつ2にち - 1931ねん12月13にち
34 三土みつち忠造ちゅうぞう いぬやしなえ内閣ないかく 1931ねん12月13にち - 1932ねん5がつ26にち
35 みなみひろし 齋藤さいとう内閣ないかく 1932ねん5がつ26にち - 1934ねん7がつ8にち
36 床次とこなみ竹二郎たけじろう 岡田おかだ内閣ないかく 1934ねん7がつ8にち - 1935ねん9がつ8にち
37 岡田おかだ啓介けいすけ 1935ねん9がつ9にち - 1935ねん9がつ12にち
内閣ないかく総理そうり大臣だいじんによる兼任けんにん
38 望月もちづき圭介けいすけ 1935ねん9がつ12にち - 1936ねん3がつ9にち
39 よりゆきははかつらよし 廣田ひろた内閣ないかく 1936ねん3がつ9にち - 1937ねん2がつ2にち
40 山崎やまざき達之たつゆき 林内りんないかく 1937ねん2がつ2にち - 1937ねん2がつ10日とおか
農林のうりん大臣だいじんによる兼任けんにん
41 児玉こだま秀雄ひでお 1937ねん2がつ10日とおか - 1937ねん6がつ4にち
42 永井ながい柳太郎りゅうたろう だい1近衛このえないかく 1937ねん6がつ4にち - 1939ねん1がつ5にち
43 塩野しおの 平沼ひらぬま内閣ないかく 1939ねん1がつ5にち - 1939ねん4がつ7にち
司法しほう大臣だいじんによる兼任けんにん
44 田辺たなべおさむどおり 1939ねん4がつ7にち - 1939ねん8がつ30にち
45 永井ながい柳太郎りゅうたろう 阿部あべ内閣ないかく 1939ねん8がつ30にち - 1940ねん1がつ16にち
(1939ねん8がつ30にち - 1939ねん11月29にち鉄道てつどう大臣だいじん兼任けんにん
46 かつ正憲まさのり べい内内うちうちかく 1940ねん1がつ16にち - 1940ねん7がつ22にち
47 村田むらたしょうぞう
  • だい2近衛このえないかく
  • だい3近衛このえないかく
1940ねん7がつ22にち - 1941ねん10がつ18にち
(1940ねん7がつ22にち - 1940ねん9がつ28にち鉄道てつどう大臣だいじん兼任けんにん
(1941ねん7がつ18にち - 1941ねん10がつ18にち鉄道てつどう大臣だいじん兼任けんにん
48 寺島てらしまけん 東條とうじょう内閣ないかく 1941ねん10がつ18にち - 1943ねん10がつ8にち
(1941ねん10がつ18にち - 1941ねん12月2にち鉄道てつどう大臣だいじん兼任けんにん
49 八田はった嘉明よしあき 1943ねん10がつ8にち - 1943ねん11月1にち
鉄道てつどう大臣だいじんによる兼任けんにん
通信つうしんいん総裁そうさい運輸うんゆ通信つうしんしょう
小松こまつしげる 東條とうじょう内閣ないかく 1943ねん11月1にち - 1944ねん4がつ11にち
塩原しおばら時三郎ときさぶろう
  • 東條とうじょう内閣ないかく
  • 小磯こいそ内閣ないかく
  • 鈴木すずきぬき内閣ないかく
1944ねん4がつ11にち - 1945ねん5がつ19にち
逓信ていしんいん総裁そうさい内閣ないかく
塩原しおばら時三郎ときさぶろう
  • 鈴木すずきぬき内閣ないかく
  • ひがし久邇くに宮内くないかく
1945ねん5がつ19にち - 1945ねん8がつ30にち
松前まさき重義しげよし
  • ひがし久邇くに宮内くないかく
  • ぬさ原内はらうちかく
1945ねん8がつ30にち - 1946ねん4がつ8にち
かけ
  • ぬさ原内はらうちかく
  • だい1吉田よしだ内閣ないかく
1946ねん4がつ8にち - 1946ねん6がつ30にち
新谷しんたに寅三郎とらさぶろう逓信ていしんいん次長じちょう総裁そうさい心得こころえつとめる
逓信ていしん大臣だいじんだい2
50 一松いちまつ定吉さだきち だい1吉田よしだ内閣ないかく 1946ねん7がつ1にち - 1947ねん5がつ24にち
片山かたやまあきら 片山かたやま内閣ないかく 1947ねん5がつ24にち - 1947ねん6がつ1にち
内閣ないかく総理そうり大臣だいじんによる臨時りんじ代理だいり
51 三木みき武夫たけお 1947ねん6がつ1にち - 1948ねん3がつ10日とおか
52 冨吉とみきち榮二えいじ 芦田あしだ内閣ないかく 1948ねん3がつ10日とおか - 1948ねん10がつ15にち
吉田よしだしげる だい2吉田よしだ内閣ないかく 1948ねん10がつ15にち - 1948ねん10がつ19にち
内閣ないかく総理そうり大臣だいじんによる臨時りんじ代理だいり
53 降旗ふるはた徳弥とくや 1948ねん10がつ19にち - 1949ねん2がつ16にち
54 小沢おざわたすく重喜しげよし だい3吉田よしだ内閣ないかく 1949ねん2がつ16にち - 1949ねん6がつ1にち

歴代れきだい次官じかん

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逓信ていしんきょく

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郵便ゆうびん小包こづつみ郵便ゆうびん郵便ゆうびん為替かわせ郵便ゆうびん貯金ちょきん簡易かんい生命せいめい保険ほけん郵便ゆうびん年金ねんきん電信でんしんおよ電話でんわ管理かんりぞくする事務じむ発電はつでん水力すいりょく調査ちょうさかんする事務じむならびに電気でんき事業じぎょうおよ船舶せんぱく海員かいいん監督かんとくかんする事務じむてのひらる。

職員しょくいんは、局長きょくちょう(7にんみことのりにん)、書記官しょきかん専任せんにん12にんそうにん)、事務じむかん専任せんにん37にんそうにん)、技師ぎし専任せんにん132にんそうにん)、書記しょき専任せんにん2049にんはんにん)、技手ぎしゅ専任せんにん1657にんはんにん)、書記しょき専任せんにん1203にんはんにん)。

各局かくきょくしょ定員ていいん配当はいとう逓信ていしん大臣だいじんさだめる。

かく逓信ていしんきょく名称めいしょう位置いちおよ管轄かんかつ区域くいきしたとおり。

  • 東京とうきょう逓信ていしんきょく東京とうきょう東京とうきょう神奈川かながわけん埼玉さいたまけん群馬ぐんまけん千葉ちばけん茨城いばらきけん栃木とちぎけん静岡しずおかけん山梨やまなしけん
  • 名古屋なごや逓信ていしんきょく名古屋なごや愛知あいちけん三重みえけん岐阜ぎふけん長野ながのけん福井ふくいけん石川いしかわけん富山とやまけん
  • 大阪おおさか逓信ていしんきょく大阪おおさか大阪おおさか京都きょうと兵庫ひょうごけん奈良ならけん滋賀しがけん和歌山わかやまけん徳島とくしまけん高知こうちけん
  • 広島ひろしま逓信ていしんきょく広島ひろしま広島ひろしまけん鳥取とっとりけん島根しまねけん岡山おかやまけん山口やまぐちけん香川かがわけん愛媛えひめけん
  • 熊本くまもと逓信ていしんきょく熊本くまもと熊本くまもとけん長崎ながさきけん福岡ふくおかけん大分おおいたけん佐賀さがけん宮崎みやざきけん鹿児島かごしまけん沖縄おきなわけん
  • 仙台せんだい逓信ていしんきょく仙台せんだい宮城みやぎけん新潟にいがたけん福島ふくしまけん岩手いわてけん青森あおもりけん山形やまがたけん秋田あきたけん
  • 札幌さっぽろ逓信ていしんきょく札幌さっぽろ北海道ほっかいどう

参考さんこう大正たいしょうじゅうさんねんじゅういちがつじゅう五日勅令第二七二号逓信局官制、じゅうよんねんみことのりれいだいいちはちごうみことのりれいだいはちごうじゅうねんみことのりれいだいいちきゅういちごうみことのりれいだいななはちごう昭和しょうわねんみことのりれいだいさんごうさんねんみことのりれいだいろくごうよんねんみことのりれいだいきゅうごう

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 建造けんぞう途中とちゅう応急おうきゅうタンカーに改装かいそうされた。
  2. ^ 昭和しょうわ2ねんみことのりれいだい104ごう航空こうくうほう施行しこう期日きじつけん)により、同年どうねん6がつ1にち施行しこうされた。

出典しゅってん

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  1. ^ 事典じてん 昭和しょうわせん前期ぜんき日本にっぽん』(吉川弘文館よしかわこうぶんかん) 134ぺーじ
  2. ^ “Reguratios governing the Organization of the Ministry of Communications”. OFFICIAL GAZETTE (大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく) (No. 74): 1. (1946-7-1). 
  3. ^ a b 内閣ないかく太政官だじょうかんたちだいななじゅうごう国立こくりつ公文書こうぶんしょかんデジタルアーカイブ、1885ねん12月22にちhttps://www.digital.archives.go.jp/item/2457179 
  4. ^ 大蔵省おおくらしょう企画きかくいんなどじゅう官庁かんちょうく(昭和しょうわ15ねん6がつ21にち 東京とうきょう朝日新聞あさひしんぶん)『昭和しょうわニュース辞典じてんだい7かん 昭和しょうわ14ねん-昭和しょうわ16ねん』p79 昭和しょうわニュース事典じてん編纂へんさん委員いいんかい 毎日まいにちコミュニケーションズかん 1994ねん
  5. ^ 重要じゅうよう書類しょるい搬出はんしゅつ事務じむには支障ししょうなし(昭和しょうわ15ねん6がつ21にち 東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん)『昭和しょうわニュース辞典じてんだい7かん 昭和しょうわ14ねん-昭和しょうわ16ねん』p80
  6. ^ 逓信ていしんしょう官制かんせい昭和しょうわ21ねんみことのりれいだい343ごうだい1じょう
  7. ^ 官報かんぽうだい7071ごう明治めいじ40ねん1がつ26にち
  8. ^ 国立こくりつ印刷いんさつきょく庁舎ちょうしゃおよ工場こうじょうとう図面ずめん写真しゃしん - 国立こくりつ印刷いんさつきょくホームページ。
  9. ^ だいさん伏見ふしみまる
  10. ^ 浦上うらかみまる
  11. ^ Peacetime_E_Type_Standard_Cargo_Ship英語えいご
  12. ^ 逓信ていしんしょう官制かんせいちゅう改正かいせいけん明治めいじ42ねんみことのりれいだい194ごう)。
  13. ^ 電力でんりょく管理かんり準備じゅんびきょく官制かんせい昭和しょうわ13ねんみことのりれいだい320ごう)。
  14. ^ 電気でんきちょう官制かんせい昭和しょうわ14ねんみことのりれいだい153ごう)。
  15. ^ 行政ぎょうせい簡素かんそ實施じっしためニスル遞信ていしんしょう官制かんせいちゅう改正かいせいけん昭和しょうわ17ねんみことのりれいだい754ごう)。
  16. ^ 軍需ぐんじゅしょう官制かんせい昭和しょうわ18ねんみことのりれいだい824ごう)。
  17. ^ 商工しょうこうしょう官制かんせい昭和しょうわ20ねんみことのりれいだい486ごう)。
  18. ^ 電気でんき製品せいひん安全あんぜん歴史れきし”. 電気でんき製品せいひん認証にんしょう協議きょうぎかい. 2021ねん10がつ15にち閲覧えつらん
  19. ^ 航空局こうくうきょく官制かんせいちゅう改正かいせいけん大正たいしょう12ねんみことのりれいだい123ごう)による改正かいせい航空局こうくうきょく官制かんせい大正たいしょう9ねんみことのりれいだい224ごう)。
  20. ^ 逓信ていしんしょう官制かんせいちゅう改正かいせいけん大正たいしょう13ねんみことのりれいだい267ごう)。
  21. ^ 日本にっぽん空港くうこう整備せいびはどのようにはじまったのか?”. 軍事ぐんじばん常見つねみ問題もんだいりょうレス回収かいしゅう機構きこう. 2009ねん12月12にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2012ねん9がつ12にち閲覧えつらん
  22. ^ 航空局こうくうきょく官制かんせい昭和しょうわ13ねんみことのりれいだい56ごう)。
  23. ^ 昭和しょうわ20ねんみことのりれいだい734ごう逓信ていしんいん官制かんせいちゅう改正かいせいとうけん)。
  24. ^ 逓信ていしんいん”. 国立こくりつ公文書こうぶんしょかんアジア歴史れきし資料しりょうセンター. 2021ねん3がつ17にち閲覧えつらん
  25. ^ 叙任じょにん及辞れい」『官報かんぽうだい5700ごう大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1946ねん1がつ16にち、87ぺーじ 
  26. ^ 昭和しょうわ21ねん逓信ていしんしょう告示こくじだい5ごう

参考さんこう文献ぶんけん

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  • いわじゅう多四郎たしろう戦時せんじ輸送ゆそうせんビジュアルガイド2‐まる船隊せんたいギャラリー』だい日本にっぽん絵画かいが、2011ねんISBN 978-4-499-23041-4 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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