(Translated by https://www.hiragana.jp/)
箕浦勝人 - Wikipedia コンテンツにスキップ

箕浦みのうら勝人まさと

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
箕浦みのうら勝人まさと

箕浦みのうら 勝人まさと(みのうら かつんど、1854ねん3月13にちよしみひさし7ねん2がつ15にち〉 - 1929ねん昭和しょうわ4ねん8がつ30にち)は、日本にっぽん新聞しんぶん記者きしゃ実業じつぎょう政治せいじ

経歴けいれき

[編集へんしゅう]

豊後ぶんごこく臼杵うすきで、臼杵きゅうしょはん武道ぶどう師範しはん実相寺じっそうじつねすすむ次男じなんとしてまれる。15さいはん家老がろう箕浦みのうらまたせい養子ようしとなる。慶應義塾けいおうぎじゅく出身しゅっしん福澤ふくさわ諭吉ゆきち弟子でし福澤ふくさわ諭吉ゆきち子孫しそん家庭かてい教師きょうし担当たんとうした。郵便ゆうびん報知ほうち新聞しんぶんしゃ入社にゅうしゃし、新聞しんぶん記者きしゃのち社長しゃちょうとなる。立憲りっけんあらためしんとう参加さんか明治めいじ22ねん1889ねん)の東京とうきょうかい議員ぎいん選挙せんきょ日本橋にほんばしから立候補りっこうほしたが落選らくせんした[1]明治めいじ23ねん1890ねん)のだい1かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ当選とうせん大正たいしょう4ねん1915ねん)から大正たいしょう5ねん1916ねん)までだい2大隈おおくま内閣ないかく逓信ていしん大臣だいじんつとめる。

栄典えいてん

[編集へんしゅう]
位階いかい
勲章くんしょう

著作ちょさく

[編集へんしゅう]
  • 藤田ふじた茂吉しげよし箕浦みのうら勝人まさと国会こっかいろん報知ほうちしゃ支店してん丸屋まるや善七ぜんしち、1879ねん8がつ全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:40020437 NDLJP:784040 
    • 藤田ふじた茂吉しげよし箕浦みのうら勝人まさと国会こっかいろん中野なかのあきらぞう、1880ねん2がつNCID BA45886290 
  • ウオルス ちょ甲斐かい織衛おりえ わけ教育きょういく汎論はんろん箕浦みのうら勝人まさと校閲こうえつ、以友どう、1883ねん5がつ全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:40038086 NDLJP:808581 
  • 箕浦みのうら勝人まさと営業えいぎょう満期まんき国立こくりつ銀行ぎんこう処分しょぶんほうせきスル意見いけん報知ほうちしゃ、1895ねん1がつNCID BA56729454 
  • 若林わかばやしきよしだい日本にっぽん政党せいとう尾崎おざき行雄ゆきお箕浦みのうら勝人まさと加藤かとうひさしただしじょ市町村しちょうそん雑誌ざっししゃ、1913ねん12月。 NCID BN08014139全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:43018500 NDLJP:950703 

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 制限せいげん選挙せんきょにおける東京とうきょう会議かいぎいんそう選挙せんきょ結果けっかについて(櫻井さくらい良樹よしき)
  2. ^ 官報かんぽうだい565ごう叙任じょにん及辞れい」1914ねん6がつ19にち
  3. ^ 官報かんぽうだい1187ごう叙任じょにん及辞れい」1916ねん7がつ15にち

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]
公職こうしょく
先代せんだい
武富たけとみ時敏ときとし
日本の旗 逓信ていしん大臣だいじん
だい23だい:1915 - 1916
次代じだい
健治郎けんじろう