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1965年のJSL(第1回日本サッカーリーグ)は1965年6月6日から11月7日まで行われた。
6月6日の開幕カードは、東京が駒沢陸上競技場での日立対名相銀と古河対三菱のダブルヘッダー、刈谷が刈谷市営競技場での豊田対東洋、大阪が靱蹴球場でのヤンマー対八幡となり、日立対名相銀戦が他会場に先駆けて行われた。
リーグ戦の開催には東海道新幹線開通による旅行時間の短縮が大いに助けとなったが、環境面の整備は遅れ、関東近郊では1964年東京オリンピック開催の為に新たに建設されたスタジアムでの試合が行われたが、刈谷では野球場、名古屋では鶴舞公園、広島では広島県立国泰寺高等学校のグラウンド等が使用されていた。
また、従来は白か茶色の単色の公式球を使用していたが、後期戦から現在でも馴染みの白黒ボールが公式球として使用され話題となった。
優勝は東洋工業蹴球部が開幕以来無敗の14勝2分で初代王者となった。
- 開催期間:前期 1965年6月6日-7月4日、後期 9月12日-11月7日。
- 8チームが参加。
- 春・秋の前後期ホームアンドアウェー総当たり2回戦制。
- 勝ち点制:勝2 分1 敗0
- 順位決定方式:勝ち点-得失点差-ゴールアベレージ
- 下位2チームが入れ替え戦へ。
- 選手交替枠:1名(後半開始前まで)とゴールキーパー1名。
- ホーム用・アウェー用ユニフォームの指定。
- 固定背番号制。
優勝
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社会人との入替戦
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JSL |
第1戦 |
第2戦 |
社会人
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名古屋相互銀行 |
5-1 |
1-2 |
日本鋼管
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- 名古屋相互銀行はJSL残留。
- 入替戦参加資格のあった浦和サッカークラブの辞退により、ヤンマーはJSL残留。
賞 |
選手名 |
所属クラブ |
受賞回数
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得点王 |
野村六彦 |
日立本社 |
初
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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