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FNRS-3

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FNRS-3
FNRS-3
FNRS-3
基本きほん情報じょうほう
ふねしゅ 深海しんかい探査たんさてい
船籍せんせき フランスの旗 フランス
経歴けいれき
発注はっちゅう フランス海軍かいぐん
進水しんすい 1953ねん
竣工しゅんこう 1953ねん
就航しゅうこう 1953ねん
引退いんたい 1960ねん
現況げんきょう フランスのトゥーロン保存ほぞん
要目ようもく
なが 6.9 m
はば 3.2 m
喫水きっすい 6 m
しゅ機関きかん 1kW 電動でんどう
速力そくりょく 0.5ノット
潜航せんこう時間じかん 24あいだ
潜航せんこう深度しんど 4000 m
搭載とうさい人員じんいん 乗員じょういん2めい
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FNRS-3フランス海軍かいぐんバチスカーフ深海しんかい探査たんさてい)である。スイス物理ぶつり学者がくしゃオーギュスト・ピカールによって開発かいはつされた世界せかいはつのバチスカーフであるFNRS-2改造かいぞうして製造せいぞうされた[1][2]

概要がいよう

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FNRS-2は1948ねん11月3にちヴェルデみさき諸島しょとう付近ふきん無人むじん潜航せんこう実験じっけんおこなったが、フロート(き)の損傷そんしょうなどのため有人ゆうじん潜航せんこう実験じっけん実施じっしされなかった。その、スポンサーであるベルギー国立こくりつ科学かがく研究けんきゅう基金ききん(FNRS)は、FNRS-2のフランス海軍かいぐんへの売却ばいきゃく決定けっていした。1950ねん3がつ協定きょうていむすばれ、FNRS-2はFNRS-3と改名かいめいされた[3][4]当初とうしょ、オーギュスト・ピカールは相談役そうだんやくとしてフランス海軍かいぐん作業さぎょう協力きょうりょくしていたが、のちに離脱りだつし、息子むすこジャック・ピカールとともに、イタリアトリエステべつのバチスカーフ(トリエステ)の建造けんぞうおこなうことになる[5]

ていちょうにはフランス海軍かいぐん少佐しょうさジョルジュ・ウオ就任しゅうにんした[6]1954ねん2がつ15にち、ウオと技術ぎじゅつしゃのピエール・ウィルム(Pierre Willm)は、ダカールおき160うみさと大西おおにしひろし水深すいしん4050メートルに到達とうたつし、ピカールのトリエステによる潜航せんこう記録きろく水深すいしん3150メートル、1953ねん9月、ティレニアうみ)を900メートル突破とっぱした。[7][8][9][10][11]

日本にっぽん近海きんかいでの潜水せんすい調査ちょうさ

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1958ねんには、朝日新聞社あさひしんぶんしゃ後援こうえんのもと、にちふつ合同ごうどう日本にっぽん海溝かいこう学術がくじゅつ調査ちょうさのために日本にっぽんおとずれ、6月14にちから8がつ11にちにかけ、9かいにわたりきむ華山かざん (宮城みやぎけん)おき野島崎のじまざきおき相模灘さがみなだなどで潜航せんこうおこなった[12][13]日本にっぽんがわからは朝日新聞あさひしんぶん日下くさかみのるおとこ東京水産大学とうきょうすいさんだいがく佐々木ささき忠義ただよし新野しんのひろしくましこり武晴たけはる久保くぼおとこ農林省のうりんしょう水産すいさん講習こうしゅうしょ千葉ちば卓夫たくおらが参加さんかした[14]。6月20にちの2かい潜航せんこうでは、きむ華山かざんおき北緯ほくい3746ふん東経とうけい1437ぶん地点ちてん水深すいしん3000メートルまで潜航せんこうし、毎秒まいびょう2センチメートル(0.035ノット)の海底かいていりゅう存在そんざいすることを発見はっけんした[13][15]。また、7がつ30にち野島崎のじまざきおき東南東とうなんとう25キロメートルの地点ちてんおこなった潜水せんすい調査ちょうさでは、深海しんかい散乱さんらんそう英語えいごばんにせ海底かいてい)とマリンスノー密接みっせつ関連かんれんしていることをあきらかにしている[16]

ギャラリー

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Charles Wright (1947ねん12がつ). “Piccard's Submarine Balloon”. ポピュラーサイエンス (Bonnier Corporation) 151 (6): 82-87. ISSN 0161-7370. 
  2. ^ Charles Wright「ピカール教授きょうじゅ深海しんかい探険たんけんてい」『ポピュラーサイエンス日本語にほんごばん』、イブニングスター、1948ねん5がつ 
  3. ^ 日下くさか 1978, pp. 121–123.
  4. ^ Bathysphères et bathyscaphes”. IFREMER(フランス国立こくりつ海洋かいよう開発かいはつ研究所けんきゅうじょ). 2016ねん9がつ28にち閲覧えつらん
  5. ^ 日下くさか 1978, p. 123.
  6. ^ くましこり 1958, p. 2.
  7. ^ 日下くさか 1978, pp. 123–124.
  8. ^ “Deepest Divers”. TIME. (Monday, Mar. 01, 1954). http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,819513,00.html 11 January 2009閲覧えつらん 
  9. ^ History of the Bathyscaph Trieste - ウェイバックマシン(2012ねん3がつ6にちアーカイブぶん
  10. ^ Seemotive - Sea Topics, Research Submersibles / Submarines, Part 1
  11. ^ FNRS-2 (Ships of the World: An Historical Encyclopedia) - ウェイバックマシン(2004ねん11月12にちアーカイブぶん
  12. ^ 日下くさか 1978.
  13. ^ a b くましこり 1958, pp. 1–2.
  14. ^ 日下くさか 1978, p. 131.
  15. ^ 日下くさか 1978, p. 229-230.
  16. ^ 日下くさか 1978, p. 235-247.

文献ぶんけん

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  • Houot, Georges; Willm, Pierre (1954) (フランス語ふらんすご). Le Bathyscaphe à 4050 m. au fond de l'océan. Éditions de Paris. OCLC 8429243 
  • Houot, Georges; Willm, Pierre (1958) (フランス語ふらんすご). La Découverte sous-marine de l'homme-poisson au bathyschaphe. Bourrelier. OCLC 8429208 
  • Houot, Georges (1972) (フランス語ふらんすご). Vingt ans de Bathyscaphe. Arthaud. OCLC 764285 
  • 日下くさかみのるおとこ驚異きょういだい深海しんかい――かぎりなき暗黒あんこく世界せかいへの旅立たびだち』サンポウジャーナル〈サンポウ・ブックス〉、1978ねん9がつ25にち 
  • くましこり武晴たけはるバチスカーフにいて」『造船ぞうせん協会きょうかいだい351ごう造船ぞうせん協会きょうかい、1-6ぺーじ、1958ねん12月25にちISSN 0386-1597https://cir.nii.ac.jp/crid/1390282681548385280 

関連かんれん項目こうもく

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  • アルシメード - フランス海軍かいぐんのバチスカーフ。FNRS-3の後継こうけいてい

外部がいぶリンク

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