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M-AGE

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
M-AGE
出身しゅっしん 日本の旗 日本にっぽん茨城いばらきけん栃木とちぎけん
ジャンル ロック
活動かつどう期間きかん
レーベル
事務所じむしょ TAFF PROJECT・PGI
共同きょうどう作業さぎょうしゃ 横山よこやま和俊かずとしプログラミング
メンバー
きゅうメンバー KAJIWARA(ベース

M-AGE(エム・エイジ)は、日本にっぽんロックバンド

来歴らいれき概要がいよう

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1984ねんはるKOICHIRO幼馴染おさななじみOKAZAKIさそい、M-AGEの前身ぜんしんバンド「モラル」を結成けっせい地元じもと茨城いばらきでイベント出演しゅつえん中心ちゅうしんにライブ活動かつどうおこなう。1986ねんはる、KOICHIROの高校こうこう卒業そつぎょう同時どうじ東京とうきょうへと進出しんしゅつ、それをにバンドめいを「M-AGE」へと改名かいめいする。一方いっぽうおなごろにパンクバンド「THE SHITBABIES」を脱退だったいしたMIYO-KENは、いの紹介しょうかいKAJIWARAらとバンド「リッツ」を結成けっせいする。THE SHITBABIES時代じだいはベースを担当たんとうしていたMIYO-KENだが、しんバンドではギターパートを希望きぼう。そのため、自身じしんのベースとKAJIWARAのギターを交換こうかんし、KAJIWARAにベースを担当たんとうするようめいじる。

1989ねん、M-AGEはその前年ぜんねんった所属しょぞく事務所じむしょ「TAFF PROJECT」社長しゃちょう紹介しょうかい映画えいがYAWARA!」(原作げんさく浦沢うらさわ直樹なおき主演しゅえん浅香あさかゆい)に出演しゅつえんする。KOICHIROは主人公しゅじんこう猪熊いのくまやわらあこがれる高校こうこう先輩せんぱいにしきもり広之ひろゆきやくで、OKAZAKIらのこりのメンバーはバンドやく出演しゅつえんする。また、同年どうねん3月4にちにはTBSテレビ三宅みやけ裕司ゆうじのいかすバンド天国てんごく」に出演しゅつえんし、かんそうこそならなかったが「ANGEL FANTASY」(アルバム『KISS』に収録しゅうろく)を披露ひろうする。しかし、「イカてんにM-AGEからギターの香田こうだ知宏ともひろ、ベースの北見きたみさとし一朗いちろうがそれぞれしょ事情じじょう脱退だったい後任こうにんとしてリッツを脱退だったいしたMIYO-KENとKAJIWARAが加入かにゅうすることとなる。

1990ねん、MIYO-KENが上京じょうきょうし、バンド活動かつどう本格ほんかく四谷よつやFOURVALLEYなどでライブ活動かつどうつづけ、よく1991ねん2がつ25にちにミニアルバム『KISS』を発売はつばいする。しかし、宣伝せんでん規模きぼはんしてアルバムがほとんどれなかったことにくわえ、アルバムそのものの出来でき、また化粧けしょうほどこした耽美たんびなアーティストイメージなどに疑問ぎもんかんじ、はないのすえバンドは方向ほうこう転換てんかん決意けつい当時とうじメンバーがこのんでいていたこと、またジーザス・ジョーンズ流行はやっていたこともあり、バンドサウンドとマンチェスター・サウンドの融合ゆうごうためすこととなる。一方いっぽうおな時期じき雑誌ざっしのインタビューでメンバーがジーザス・ジョーンズに言及げんきゅうしていたことにめたビクター音楽おんがく産業さんぎょうのディレクター・田中たなか淳一じゅんいち所属しょぞく事務所じむしょとおしてM-AGEにコンタクトをり、バンドサウンドにハウスを導入どうにゅうすることを提案ていあんする。田中たなか提案ていあんがバンドのあたらしい方向ほうこうせい合致がっちしていたこともあり、ミーティングをかさねるうちに両者りょうしゃ意気投合いきとうごう。バンドがあたらしい方向ほうこうせいかたちにするべくデモテープを作成さくせいすると、音源おんげんいた田中たなかはコンピレーション・アルバム『DANCE 2 NOISE』への参加さんか打診だしんする。バンドは早速さっそく『DANCE 2 NOISE』ように『CALL ME』のレコーディングを開始かいし。そのさいにスクラッチをむことをおもき、事務所じむしょ社長しゃちょう伝手つて新宿しんじゅく「ミロス・ガレージ」でDJをしていたDJ PEAHにゲストプレイヤーとして参加さんか依頼いらいする。このレコーディングでこう感触かんしょくたバンドは、レコーディング終了しゅうりょうDJ PEAHにバンドへの参加さんか正式せいしき要請ようせい。スクラッチプレイヤーとしての活動かつどう模索もさくしていたDJ PEAHもこれを快諾かいだくし、こうしてM-AGEのぜんメンバーがそろうこととなる。

バンドとしてあらたなスタートをったM-AGEは、そのまま1stアルバムのレコーディングを開始かいし。レコーディング終了しゅうりょう12月16にち西麻布にしあざぶSpace Lab YELLOWでおこなわれた『DANCE 2 NOISE 001』発売はつばい記念きねんのライブイベントにはじめて5にん出演しゅつえんし、ライブを披露ひろうする。よく1992ねん1がつ21にち、1stシングル『WALK ON THE MOON』、1stマキシシングル『3 RE-MIX + 1』でビクターインビテーションよりメジャー・デビュー同年どうねん2がつ21にちには1stフルアルバム『MUSTARD』をリリースし、「V-CUBE」とだいした全国ぜんこく7箇所かしょまわるプロモーションツアーを実施じっしする。同年どうねん4がつ6にちにちしんパワーステーションにてはつのワンマンライブを実施じっし同年どうねん7がつには全国ぜんこく4箇所かしょまわる「AFTER MEAT MUSTARD」ツアーを実施じっしする。ツアーちゅう同年どうねん7がつ22にちにシングル『someday close your eyes』、マキシシングル『someday ep』を発表はっぴょう。そして、「AFTER MEAT MUSTARD」ツアー終了しゅうりょうにロンドンへとわたりレコーディングを実施じっしすると、丁度ちょうどこのころ発足ほっそくしたばかりであったビクターインビテーションの姉妹しまいレーベル、XEO Invitationへ移籍いせき発足ほっそく時期じきおなじく在籍ざいせき移籍いせきしたアーティストにBRAIN DRIVESOFT BALLET)、同年どうねん11月21にちに2ndアルバム『vibES』を発表はっぴょうする。

リリースよく1993ねん1がつに「CHAIN ME RUN」ツアーを実施じっしするなどバンドの活動かつどう順調じゅんちょうえたが、1993ねん5月、当時とうじジュリアナ東京とうきょうのDJだったジョン・ロビンソンによるリミックス3きょく収録しゅうろく収録しゅうろくした『NEXUS 7』の発表はっぴょう、ベースのKAJIWARAが脱退だったい。バンドはそのままよんにん体制たいせい活動かつどうつづけ、同年どうねん12月16にち3rdアルバム『INTERFACE』を発表はっぴょうするもよく1994ねん解散かいさん

解散かいさんはメンバーがそれぞれソロ活動かつどううつしたほかもとメンバーのMIYO-KENが所属しょぞくするユニット、u crack irigaruにサポートとしておなじくもとメンバーのOKAZAKIとDJ PEAHがサポートで参加さんかしたりと、一部いちぶメンバーがそろって共演きょうえんしたりもしていた。

2020ねん1がつ21にち長年ながねん沈黙ちんもくやぶり、オフィシャルサイトと公式こうしきTwitterアカウントが開設かいせつ。サイトないには『M-AGE 20210121』とだけ記載きさいされていたが、9月18にち解散かいさんオリジナルメンバーによる2021ねん1がつ21にちさい結成けっせいライブが発表はっぴょうされた[1]。2021ねん2がつ10日とおかにはバンドとしてははつベスト・アルバムであり、さい結成けっせいはつ作品さくひんとなる『RE:CONSTRUCTION 1991-1994』を発売はつばい。CD2まいぐみ通常つうじょうばん限定げんてい生産せいさんばんの2種類しゅるい発売はつばいされ、両者りょうしゃ共通きょうつうのCDはデビューから解散かいさんまでのぜん音源おんげんなかから選曲せんきょくされており(リミックスやアルバム収録しゅうろくきょくふくむ)、くわえてさい結成けっせいはつ新曲しんきょくとなる『Bird Cage』も収録しゅうろく限定げんてい生産せいさんばんにはさらに商品しょうひん映像えいぞうふくめた映像えいぞう特典とくてんあつめたDVDとブックレットもどうこりする。なお、さい結成けっせいライブは新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう流行りゅうこうにより、幾度いくどとなく延期えんき余儀よぎなくされたものの、同年どうねん9がつ22にちTSUTAYA O-EASTにてれて実現じつげんした[2]

さい結成けっせいは「FAIT ACCOMPLI」「聖者せいじゃ行進こうしん」「キミ No TRIGGER」といった新曲しんきょくや、過去かこきょくのリミックス作品さくひん『RE:QREATE 1991-1994』シリーズを制作せいさくしてきたが、2022ねん7がつ22にち吉祥寺きちじょうじCLUB SEATA公演こうえん「INTO THE NEW BEGINNING」をもって「reunion 1st season」を終了しゅうりょう以降いこうはアルバム制作せいさくへの専念せんねん表明ひょうめいした[3]

メンバー

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げんメンバー

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KOICHIRO(こういちろう)
ボーカル担当たんとう本名ほんみょう永沼ながぬまながぬま さいわい一郎いちろうこういちろう1968ねん2がつ24にちまれ。茨城いばらきけん日立ひたち出身しゅっしん
中学生ちゅうがくせいころ従兄弟いとこ影響えいきょうイエロー・マジック・オーケストラジューシィ・フルーツ立花たちばなハジメなどをくようになり、中学ちゅうがくさん年生ねんせいときはじめてバンドをむ。高校こうこういち年生ねんせいわりに幼馴染おさななじみのOKAZAKIをさそって、M-AGEの前身ぜんしんとなるバンド「モラル」を結成けっせい。M-AGEの母体ぼたいつくった、オリジナル・メンバーの一人ひとりである。
M-AGE解散かいさんは、1995ねん岩崎いわさききわむともに「Undo」を結成けっせい。1997ねんにオムニバスアルバム『CYNICAL SYNDROME』に『Joy』『RAISING CAIN』を提供ていきょうし、ライブ活動かつどうやレコーディングをおこなうも1998ねん活動かつどう停止ていし。その、イベント「NEW WAVE JUNKIES」に参加さんかするなど単発たんぱつでの活動かつどうはあったものの、のどいた音楽おんがく業界ぎょうかいから引退いんたい郷里きょうりグラフィックデザイナー転身てんしんしていた[4]
MIYO-KEN(みよけん)
ギター担当たんとう本名ほんみょうさんだいみよ けんけん活動かつどうによっては本名ほんみょうをそのまま名義めいぎとして使用しよう1966ねん7がつ5にちまれ。茨城いばらきけん高萩たかはぎ出身しゅっしん
小学校しょうがっこうろく年生ねんせいわりころからギターをはじめ、高校生こうこうせいときにパンクバンド「MERRY GO ROUND」(のちに「THE SHITBABIES」に改名かいめい)を結成けっせいどうバンド脱退だったいにKAJIWARAとともに「リッツ」を結成けっせい1989ねんにM-AGEに加入かにゅう
M-AGE解散かいさんは、M-AGE時代じだいのディレクター・田中たなか淳一じゅんいちかかわる数々かずかずのレコーディングに参加さんか。「GUNIW TOOLS」のサポートや「L'Arc〜en〜Ciel」のベーシストtetsuyaのシングル『wonderful world /TIGHTROPE』にギターおよび編曲へんきょく参加さんかするほか、「BUCK-TICK」の櫻井さくらい敦司あつし中心ちゅうしんとなって結成けっせいしたロックバンド「THE MORTAL」にベーシストとして参加さんかしている。現在げんざい清春きよはるのソロ・ライブでのバンドマスターをつとめるかたわら、自身じしんのポストロックインストバンド「青天せいてん霹靂へきれき」やエレクトリックユニット「u crack irigaru」としても活動かつどうしている。
OKAZAKI(おかざき)
ドラム担当たんとう本名ほんみょう岡崎おかざきおかざき 達成たっせいかつしげ活動かつどうによっては本名ほんみょう本名ほんみょう(フルネーム)のマ字まじ表記ひょうきのOKAZAKI KATSUSHIGE名義めいぎ使用しようすることもある。1967ねん2がつ22にちまれ。茨城いばらきけん日立ひたち出身しゅっしん
中学ちゅうがくさん年生ねんせい文化ぶんかさいでクラスメイトとんだビートルズのコピーバンドがきっかけでドラムをはじめる。高校生こうこうせい入学にゅうがく、ブラスバンドでドラムを担当たんとうするかたわら、「アップルズ」というのビートルズのコピーバンドを結成けっせい。コピーバンド解散かいさん高校こうこう年生ねんせいわりに幼馴染おさななじみのKOICHIROとM-AGEの母体ぼたいとなるバンド「モラル」を結成けっせいする。M-AGEのオリジナル・メンバーの一人ひとり
M-AGE解散かいさんは「GUNIW TOOLS」にサポートメンバーとして参加さんかするかたわら、2002ねんからどうバンドのギターASAKIとともに「AGE of PUNK」としても活動かつどう。また、2004ねんからは「BUCK-TICK」のギタリスト今井いまい寿ひさしや「media youth」「hide with Spread Beaver」などの活動かつどうられるギタリストのKIYOSHIとともに「Lucy」を結成けっせい、2まいのオリジナルアルバムを発表はっぴょうしている。2008ねんからは「Minimum Rockets」にてツインドラムのかたつばさになうほか、もとM-AGEのさんだいけんひきいるエレクトリックユニット「u crack irigaru」のサポートドラムとしても活動かつどうしている。
DJ PEAH(でぃーじぇい・ぺー)
DJ担当たんとう本名ほんみょうはやしはやし 信也しんやのぶや。DJネーム「PEAH」は師匠ししょう須永すながたついとぐち命名めいめいされたものであり、アルコールにって嘔吐おうとかえしていたことに由来ゆらいする。1971ねん9月28にちまれ。栃木とちぎけん足利あしかが出身しゅっしん
小学校しょうがっこうろく年生ねんせい初段しょだんるほどの柔道じゅうどう少年しょうねんであったが、あねれてってもらった地元じもとのクラブ「Jive Turkey」で音楽おんがく洗礼せんれいけ、DJを目指めざすようになる。中学ちゅうがく卒業そつぎょう上京じょうきょうし、新宿しんじゅく「ミロス・ガレージ」で火曜日かようびレギュラーとしてDJを担当たんとうしていた須永すながたついとぐち師事しじ須永すながのレコードちとしてミロス・ガレージや西麻布にしあざぶ「トロス・クラブ」などで開催かいさいされるイベントに同行どうこうしDJとして修行しゅぎょうするかたわら、ラップ・チーム「MC PYU & DJ PEAH」としてイベントやコンテストに参加さんかするようになる。チーム解散かいさん1991ねんにM-AGEに参加さんか
M-AGE解散かいさんはソロアルバム『DJ PEAH』を発表はっぴょうするほかBUCK-TICK今井いまい寿ひさしSOFT BALLET藤井ふじいあさてるによるインダストリアルユニットSCHAFTのアルバム『Switchblade』へのスクラッチ提供ていきょうや、hitomiのシングル『CANDY GIRL』発表はっぴょうのライブにサポートとして参加さんかするなど、様々さまざま分野ぶんや活動かつどう。しかしそのモチベーションをうしない、DJ活動かつどうからくも、SNSをきっかけに活動かつどう再開さいかい[5]。DJのほか、もとM-AGEのさんだいけんによるユニット「u crack irigaru」のサポートDJやテクノポップバンド「Love The Candy's」の一員いちいんとして活動かつどうしている。

もとメンバー

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KAJIWARA(かじわら)
ベース担当たんとう本名ほんみょう梶原かじはらかじわら 祐司ゆうじゆうじ1968ねん8がつ1にちまれ。茨城いばらきけん日立ひたち出身しゅっしん
中学生ちゅうがくせいころ音楽おんがく興味きょうみはじめ、高校こうこういち年生ねんせいときフェンダー・スクワイアのストラトキャスター購入こうにゅうする。高校こうこうさん年生ねんせいとき地元じもと先輩せんぱいさそわれ、バンド「リッツ」を結成けっせい。ベースを担当たんとうするようわれ、メンバーの一人ひとりだったMIYO-KENに自身じしんのギターをわたし、自分じぶんはMIYO-KENのベースを使つかうことになる。1989ねん、M-AGEに加入かにゅう
1993ねん脱退だったいし、もとCutemen電気でんきグルーヴCMJKとともにテクノロックユニットCONFUSION」を結成けっせいする。2まいのフルアルバムを発表はっぴょうするも「グラフィックデザイナーになる」といいのこし、「CONFUSION」を脱退だったい。そのまま音楽おんがく業界ぎょうかいから引退いんたいしている。

ディスコグラフィー

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InvitationおよびXEO Invitationレーベルより発売はつばいされた音楽おんがく作品さくひん(コンピレーション・アルバムをのぞく)は、2021ねん5月19にちよりリマスタリングのうえ音楽おんがく配信はいしんストリーミングダウンロードとも開始かいし。また『STARSHELL -CASPAR POUND REMIX OF M-AGE-』をのぞいた作品さくひんは、同年どうねん6がつ10日とおかよりハイレゾ音源おんげん配信はいしんもスタート。

シングル

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発売はつばい タイトル 規格きかく品番ひんばん 収録しゅうろくきょく 販売元はんばいもと
1992ねん1がつ21にち WALK ON THE MOON VIDL-82 Invitation
1992ねん7がつ22にち someday close your eyes VIDL-108
1993ねん7がつ21にち mother VIDL-133 XEO Invitation
1993ねん11月21にち Blind Venus VIDL-10460
発売はつばい タイトル 規格きかく品番ひんばん 収録しゅうろくきょく 販売元はんばいもと
1992ねん1がつ21にち 3 RE-MIX + 1 VICL-15007 Invitation
1992ねん7がつ22にち someday ep VICL-15010
1993ねん5月21にち NEXUS 7 VICL-12009 XEO Invitation
1994ねん M-Age Remixes RSN 95 Rising High Records
2021ねん9月 2021.0922 Reunion epidemic CD vkr-004 Vodka Records
2021ねん11月27にち BE REACHING EPIDEMIC〜4D NEW EXPERIENCE TYPE3 CD Vodka Records
2022ねん7がつ22にち キミ No TRIGGER ep vkr-012 Vodka Records

オリジナル・アルバム

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発売はつばい タイトル 規格きかく品番ひんばん 収録しゅうろくきょく 販売元はんばいもと
1991ねん2がつ25にち KISS FBI-003 E.R.C.
1992ねん2がつ21にち MUSTARD VICL-268 Invitation
1992ねん11月21にち vibES VICL-354 XEO Invitation
1993ねん12月16にち INTERFACE VICL-497

リミックス・アルバム

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発売はつばい タイトル 規格きかく品番ひんばん 収録しゅうろくきょく 販売元はんばいもと
1994ねん12月16にち STARSHELL -CASPAR POUND REMIX OF M-AGE- VICL-585 XEO Invitation
1995ねん2がつ10日とおか UNDER A CUBIC SKY RSN CD29

RSN LP29

Rising High Records

リメイク・アルバム

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発売はつばい タイトル 規格きかく品番ひんばん 収録しゅうろくきょく 販売元はんばいもと
2021ねん5月27にち RE : QREATE 1991-1994 #02 vkr-003 Vodka Records
2021ねん9月22にち RE:QREATE 1991-1994 #01(非売品ひばいひん) vkr-002 Vodka Records
2021ねん12月1にち RE:QREATE 1991-1994 #03(非売品ひばいひん) Vodka Records
2022ねん7がつ22にち RE:QREATE 1991-1994 #04 Authentic Style(非売品ひばいひん) vkr-011 Vodka Records

ベスト・アルバム

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発売はつばい タイトル 規格きかく品番ひんばん 収録しゅうろくきょく 販売元はんばいもと
2021ねん2がつ10日とおか RE:CONSTRUCTION 1991-1994 通常つうじょうばん:VICL-65472/

3
特別とくべつ限定げんていばん:VIZL-1853

ビクターエンタテインメント

映像えいぞうメディア

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発売はつばい タイトル 規格きかく品番ひんばん 収録しゅうろくきょく 販売元はんばいもと
1992ねん3月21にち WALK ON THE MOON VIVL-67 Invitation
1992ねん7がつ22にち someday close your eyes VIVL-82
2022ねん4がつ8にち M-AGE 1991→2021 REUNION 2021.09.22 SHIBUYA O-EAST LIVE DVD vkr-010 Vodka Records

コンピレーション・アルバム

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発売はつばい タイトル 規格きかく品番ひんばん 収録しゅうろくきょく 販売元はんばいもと
1991ねん10月21にち DANCE 2 NOISE 001 VICL-229 Invitation
1992ねん FUTURAMA OF ROCK XEO special Re-Mix sampler(非売品ひばいひん) CDES-67 XEO Invitation
1993ねん1がつ21にち DANCE 2 NOISE 004 VICL-374 Invitation
1993ねん10月21にち DANCE 2 NOISE 005 VICL-463 Invitation

ミュージック・ビデオ

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曲名きょくめい 備考びこう
CALL ME (Music Video) - YouTube コンピレーション・アルバム『DANCE 2 NOISE 001』、1stアルバム『MUSTARD』に収録しゅうろく
WALK ON THE MOON (Music Video) - YouTube 1stシングル、1stアルバム『MUSTARD』に収録しゅうろく
VISITOR (Music Video) - YouTube 1stシングル『WALK ON THE MOON』、1stアルバム『MUSTARD』に収録しゅうろく
MIND WAR (Music Video) - YouTube 1stアルバム『MUSTARD』に収録しゅうろく
someday close your eyes (Music Video) - YouTube 2ndシングル、2ndアルバム『vibES』に収録しゅうろく
tears (Music Video) - YouTube 2ndシングル『someday close your eyes』に収録しゅうろく
真夜中まよなか逃亡とうぼうしゃ (Music Video) - YouTube 2ndアルバム『vibES』に収録しゅうろく
mother (Music Video) - YouTube 3rdシングル、ベスト・アルバム『RE:CONSTRUCTION 1991-1994』に収録しゅうろく(3rdアルバム『INTERFACE』には器楽きがくきょくバージョンを収録しゅうろく
Blind Venus (Music Video) - YouTube 4thシングル、3rdアルバム『INTERFACE』に収録しゅうろく
BIRD CAGE - YouTube ベスト・アルバム『RE:CONSTRUCTION 1991-1994』に収録しゅうろく

脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  1. ^ M-AGEが復活ふっかつ、クアトロでさい結成けっせいライブ”. 音楽おんがくナタリー (2020ねん9がつ18にち). 2020ねん9がつ20日はつか閲覧えつらん
  2. ^ M-AGE、さい結成けっせいライブ「M-AGE 1991→2021 REUNION」のレポート到着とうちゃく”. Musicman. エフ・ビー・コミュニケーションズ (2021ねん9がつ24にち). 2021ねん9がつ28にち閲覧えつらん
  3. ^ ミヨケン [@miyoken3434] (2022ねん7がつ23にち). "ライブてくれたみなさんどうもありがとう!!reunion以降いこうの4ほんのライブのなかで1ばんかったんじゃないかとおもってます。これをってreunion 1stseasonは終了しゅうりょうです。あらたなアルバムの完成かんせいをもってreunion 2nd seasonのはじまりとなります。しばしおください!!". X(きゅうTwitter)より2022ねん7がつ29にち閲覧えつらん
  4. ^ 『アルバム『RE:CONSTRUCTION 1991-1994』限定げんていばんどうこり別冊べっさつBOOK』JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント、2021ねん2がつ10日とおか、18-20ぺーじ 
  5. ^ 『アルバム『RE:CONSTRUCTION 1991-1994』限定げんていばんどうこり別冊べっさつBOOK』ビクターエンタテインメント、2021ねん2がつ10日とおか、21ぺーじ 

関連かんれん項目こうもく

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櫻井さくらい敦司あつし
BUCK-TICKのボーカリスト。さんだいけんともにバンド「THE MORTAL」をんでいる。
清春きよはる
くろゆめのボーカリスト。ソロ・ライブでさんだいけんバンドマスターつとめている。
ASAKI
GUNIW TOOLSのギタリスト。岡崎おかざき達成たつなりともにバンド「AGE of PUNK」をんでいる。
Lucy
岡崎おかざき達成たつなり今井いまい寿ひさしもとmedia youthKIYOSHIともんでいるバンド。
Minimum Rockets
岡崎おかざき達成たつなり参加さんかしているバンド。
横山よこやま和俊かずとし
キーボーディスト・マニピュレーター。M-AGEのレコーディングに参加さんかするほか、DJ PEAHとともに「PANDEMONIUM」名義めいぎで『DANCE 2 NOISE 002』に参加さんかし、『A HOWLING OF AN AUTIS』を提供ていきょうしている。

外部がいぶリンク

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