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M2-F2

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

M2-F2

  • 用途ようと実験じっけん
  • 分類ぶんるいリフティングボディ
  • 製造せいぞうしゃノースロップ
  • 運用うんようしゃNASA
  • はつ飛行ひこう:1966ねん7がつ12にちはつ滑空かっくう試験しけん
  • 生産せいさんすう:1
  • 退役たいえき:1967ねん5がつ10日とおか事故じこにより大破たいは
  • 運用うんようじょうきょうM2-F3改装かいそう

M2-F2は、1960年代ねんだいなかばにNASAエームズ研究所けんきゅうじょラングレー研究所けんきゅうじょ研究けんきゅうもとづいて製作せいさくされたリフティングボディである。機体きたい製造せいぞうノースロップによっておこなわれ、1966ねん完成かんせいした。ほんはん木製もくせいグライダーであったM2-F1後継こうけいであり、名称めいしょうもそれにちなんでいるが、機体きたいぜん金属きんぞくされて強力きょうりょくロケット搭載とうさいしていた。試験しけんちゅう事故じこによっておおきく破損はそんするものの、そのM2-F3として改修かいしゅうされふたた試験しけんきょうされることとなる。

開発かいはつ

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リフティングボディの有効ゆうこうせい実証じっしょうするために製作せいさくされたグライダーであるM2-F1の成功せいこうけて、NASAのエームズ研究所けんきゅうじょとラングレー研究所けんきゅうじょはさらなる研究けんきゅうすすめた。M2-F1ののこしたデータを分析ぶんせきしたのち、NASAはあらたにM2-F2とHL-10の2のリフティングボディ開発かいはつ製造せいぞうすることを決定けっていした。M2-F2はM2-F1の外形がいけいをほぼそのまま踏襲とうしゅうしていたが、HL-10はラングレー研究所けんきゅうじょあらたに考案こうあんした機体きたい形状けいじょう採用さいようしていた。製作せいさくはいずれもノースロップによって完遂かんすいされた。

1966ねん3月23にちにM2-F2の最初さいしょ飛行ひこうおこなわれたが、このときB-52終始しゅうし曳航えいこうされたままであった。はつ滑空かっくう飛行ひこうは1966ねん7がつ12にちにM2-F1のテストパイロットつとめたミルトン・トンプソン(en:Milton Orville Thompson)によってなされた。このさいほん翼下よくかかかつるしできるように改修かいしゅうされたNB-52Bちょう音速おんそくロケット実験じっけんX-15ははとして使つかわれていたもの)をもちいてこう高度こうどまで到達とうたつした。そして高度こうどやく13,700mから滑空かっくうおこない、滑空かっくう速度そくど最高さいこうやく720km/h記録きろくした。

着陸ちゃくりく事故じこ

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制御せいぎょ不能ふのうおちいったのち着陸ちゃくりく失敗しっぱいして大破たいはしたM2-F2。

M2-F2の強力きょうりょくなロケットエンジン(X-1にも搭載とうさいされたXLR11)をもちいた動力どうりょく飛行ひこうのための事前じぜん準備じゅんびとして滑空かっくう飛行ひこうなんおこなわれた。これらの試験しけん飛行ひこうおこなったのは、ミルトン・トンプソン、ブルース・ピーターソン(en:Bruce Peterson)、ドン・ソーリエ(Don Sorlie)、ジェリー・ジェントリー(Jerry Gentry)の4にんテストパイロットであった。

最後さいご滑空かっくう飛行ひこうとなるべく1967ねん5がつ10日とおか実施じっしされた16かい試験しけんでは災厄さいやく見舞みまわれることとなった。このときのパイロットであったブルース・ピーターソンの操縦そうじゅうする機体きたい着陸ちゃくりく間際まぎわパイロット誘導ゆうどう振動しんどう(PIO)におちいってしまった。機体きたい左右さゆうダッチロールかえし、なんとか機体きたい体勢たいせい回復かいふくさせたものの、ピーターソンは付近ふきん飛行ひこうしていた救難きゅうなんヘリ衝突しょうとつする軌道きどうってしまっていることにづいた。ピーターソンはあわててかいあたましたが、機体きたいはそのまま横滑よこすべりしつつ基地きち隣接りんせつしたロジャー(Rogers Lake)の干上ひあがった湖底こていけて降下こうかしていった。その方向ほうこう湖底こていには高度こうど確認かくにんしやすいようにつけられたマーキングがなく、着陸ちゃくりく非常ひじょう困難こんなんであった。ピーターソンは揚力ようりょく増大ぞうだいさせるためにロケットに点火てんかしたが、降着こうちゃく装置そうち完全かんぜんがってロックされるまえ地面じめん衝突しょうとつし、機体きたい破片はへんらしつつ6かい横転おうてんしたのち、ひっくりかえってやっと静止せいしした。ピーターソンはかろうじて機体きたいから救出きゅうしゅつされ、基地きち病院びょういん搬送はんそうされた。さらにそのマーチ空軍くうぐん基地きち(en:March Air Reserve Base)付属ふぞく病院びょういん緊急きんきゅうUCLA病院びょういん移送いそうされた。生存せいぞん絶望ぜつぼうさせる衝突しょうとつだったにもかかわらず奇跡きせきてきかれ回復かいふくしたが、ブドウ球菌きゅうきん感染かんせん右目みぎめ視力しりょくうしなうという代償だいしょうった。なお、着陸ちゃくりく機体きたい破砕はさいされていく様子ようすとらえたショッキングな映像えいぞう一部いちぶ1973ねんSFテレビ映画えいが作品さくひん600まんドルのおとこ』で使用しようされ、そののテレビシリーズではオープニング映像えいぞうとして流用りゅうようされている。

M2-F2は機体きたい安定あんていせい向上こうじょうさせるような制御せいぎょシステムをそなえていたものの、NASAのパイロットと研究けんきゅうしゃ機体きたいよこ方向ほうこう安定あんていせい欠如けつじょ事故じここしたのだという結論けつろんいたった。事故じこ、M2-F2はドライデン飛行ひこう研究所けんきゅうじょ修理しゅうり改修かいしゅうされてM2-F3としてまれわることになる。安定あんていせい増大ぞうだいのため、M2-F3では3まい垂直すいちょく尾翼びよく左右さゆう2まい尾翼びよくあいだけられた。この事故じこ教訓きょうくんのリフティングボディ設計せっけいにもかされ、M2-F2ははつぜん金属きんぞくせい機体きたいとしてその研究けんきゅう開発かいはつのための確固かっことした基盤きばんきずいた存在そんざいとなった。

性能せいのうしょもと

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M2-F2の三面さんめん

脚注きゃくちゅう

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関連かんれん項目こうもく

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参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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  • [1] - NASAのサイトNASA Image eXchange (NIX)うち記事きじで、M2-F1からM2-F3にいたるプロジェクトの写真しゃしん映像えいぞうとその解説かいせつ閲覧えつらん可能かのう