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M2-F2
用途 ようと :実験 じっけん 機 き
分類 ぶんるい :リフティングボディ 機 き
製造 せいぞう 者 しゃ :ノースロップ
運用 うんよう 者 しゃ :NASA
初 はつ 飛行 ひこう :1966年 ねん 7月 がつ 12日 にち (初 はつ の滑空 かっくう 試験 しけん )
生産 せいさん 数 すう :1機 き
退役 たいえき :1967年 ねん 5月 がつ 10日 とおか (事故 じこ により大破 たいは )
運用 うんよう 状 じょう 況 きょう :M2-F3 へ改装 かいそう
M2-F2 は、1960年代 ねんだい 半 なか ばにNASA のエームズ研究所 けんきゅうじょ とラングレー研究所 けんきゅうじょ の研究 けんきゅう に基 もと づいて製作 せいさく されたリフティングボディ 機 き である。機体 きたい の製造 せいぞう はノースロップ によって行 おこな われ、1966年 ねん に完成 かんせい した。本 ほん 機 き は半 はん 木製 もくせい グライダー であったM2-F1 の後継 こうけい 機 き であり、名称 めいしょう もそれにちなんでいるが、機体 きたい は全 ぜん 金属 きんぞく 化 か されて強力 きょうりょく なロケット を搭載 とうさい していた。試験 しけん 中 ちゅう の事故 じこ によって大 おお きく破損 はそん するものの、その後 ご M2-F3 として改修 かいしゅう され再 ふたた び試験 しけん に供 きょう されることとなる。
リフティングボディの有効 ゆうこう 性 せい を実証 じっしょう するために製作 せいさく されたグライダーであるM2-F1の成功 せいこう を受 う けて、NASAのエームズ研究所 けんきゅうじょ とラングレー研究所 けんきゅうじょ はさらなる研究 けんきゅう を進 すす めた。M2-F1の残 のこ したデータを分析 ぶんせき した後 のち 、NASAは新 あら たにM2-F2とHL-10 の2機 き のリフティングボディ機 き を開発 かいはつ 、製造 せいぞう することを決定 けってい した。M2-F2はM2-F1の外形 がいけい をほぼそのまま踏襲 とうしゅう していたが、HL-10はラングレー研究所 けんきゅうじょ が新 あら たに考案 こうあん した機体 きたい 形状 けいじょう を採用 さいよう していた。製作 せいさく はいずれもノースロップによって完遂 かんすい された。
1966年 ねん 3月23日 にち にM2-F2の最初 さいしょ の飛行 ひこう が行 おこな われたが、この時 とき はB-52 に終始 しゅうし 曳航 えいこう されたままであった。初 はつ の滑空 かっくう 飛行 ひこう は1966年 ねん 7月 がつ 12日 にち にM2-F1のテストパイロット も務 つと めたミルトン・トンプソン (en:Milton Orville Thompson )によってなされた。この際 さい 、本 ほん 機 き を翼下 よくか に懸 かか 吊 つるし できるように改修 かいしゅう されたNB-52B (超 ちょう 音速 おんそく ロケット実験 じっけん 機 き X-15 の母 はは 機 き として使 つか われていたもの)を用 もち いて高 こう 高度 こうど まで到達 とうたつ した。そして高度 こうど 約 やく 13,700mから滑空 かっくう を行 おこな い、滑空 かっくう 速度 そくど は最高 さいこう 約 やく 720km/h を記録 きろく した。
制御 せいぎょ 不能 ふのう に陥 おちい った後 のち 、着陸 ちゃくりく に失敗 しっぱい して大破 たいは したM2-F2。
M2-F2の強力 きょうりょく なロケットエンジン(X-1 にも搭載 とうさい されたXLR11 )を用 もち いた動力 どうりょく 飛行 ひこう のための事前 じぜん 準備 じゅんび として滑空 かっくう 飛行 ひこう が何 なん 度 ど も行 おこな われた。これらの試験 しけん 飛行 ひこう を行 おこな ったのは、ミルトン・トンプソン、ブルース・ピーターソン (en:Bruce Peterson )、ドン・ソーリエ(Don Sorlie)、ジェリー・ジェントリー(Jerry Gentry)の4人 にん のテストパイロット であった。
最後 さいご の滑空 かっくう 飛行 ひこう となるべく1967年 ねん 5月 がつ 10日 とおか に実施 じっし された16回 かい 目 め の試験 しけん では災厄 さいやく に見舞 みま われることとなった。この時 とき のパイロットであったブルース・ピーターソンの操縦 そうじゅう する機体 きたい は着陸 ちゃくりく 間際 まぎわ にパイロット誘導 ゆうどう 振動 しんどう (PIO)に陥 おちい ってしまった。機体 きたい は左右 さゆう にダッチロール を繰 く り返 かえ し、なんとか機体 きたい の体勢 たいせい を回復 かいふく させたものの、ピーターソンは自 じ 機 き が付近 ふきん を飛行 ひこう していた救難 きゅうなん ヘリ と衝突 しょうとつ する軌道 きどう を取 と ってしまっていることに気 き づいた。ピーターソンは慌 あわ てて回 かい 頭 あたま したが、機体 きたい はそのまま横滑 よこすべ りしつつ基地 きち に隣接 りんせつ したロジャー湖 こ (Rogers Lake)の干上 ひあ がった湖底 こてい に向 む けて降下 こうか していった。その方向 ほうこう の湖底 こてい には高度 こうど を確認 かくにん しやすいようにつけられたマーキングがなく、着陸 ちゃくりく が非常 ひじょう に困難 こんなん であった。ピーターソンは揚力 ようりょく を増大 ぞうだい させるためにロケットに点火 てんか したが、降着 こうちゃく 装置 そうち が完全 かんぜん に下 さ がってロックされる前 まえ に地面 じめん に衝突 しょうとつ し、機体 きたい の破片 はへん を撒 ま き散 ち らしつつ6回 かい 横転 おうてん した後 のち 、ひっくり返 かえ ってやっと静止 せいし した。ピーターソンは辛 かろ うじて機体 きたい から救出 きゅうしゅつ され、基地 きち 病院 びょういん に搬送 はんそう された。さらにその後 ご マーチ空軍 くうぐん 基地 きち (en:March Air Reserve Base )付属 ふぞく 病院 びょういん を経 へ て緊急 きんきゅう にUCLA 病院 びょういん へ移送 いそう された。生存 せいぞん を絶望 ぜつぼう 視 し させる衝突 しょうとつ だったにもかかわらず奇跡 きせき 的 てき に彼 かれ は回復 かいふく したが、ブドウ球菌 きゅうきん に感染 かんせん し右目 みぎめ の視力 しりょく を失 うしな うという代償 だいしょう を負 お った。なお、着陸 ちゃくりく 時 じ に機体 きたい が破砕 はさい されていく様子 ようす を捉 とら えたショッキングな映像 えいぞう の一部 いちぶ は1973年 ねん のSF テレビ映画 えいが 作品 さくひん 『600万 まん ドルの男 おとこ 』で使用 しよう され、その後 ご のテレビシリーズではオープニング映像 えいぞう として流用 りゅうよう されている。
M2-F2は機体 きたい の安定 あんてい 性 せい を向上 こうじょう させるような制御 せいぎょ システムを備 そな えていたものの、NASAのパイロットと研究 けんきゅう 者 しゃ は機体 きたい の横 よこ 方向 ほうこう の安定 あんてい 性 せい の欠如 けつじょ が事故 じこ を引 ひ き起 お こしたのだという結論 けつろん に至 いた った。事故 じこ 後 ご 、M2-F2はドライデン飛行 ひこう 研究所 けんきゅうじょ で修理 しゅうり ・改修 かいしゅう されてM2-F3として生 う まれ変 か わることになる。安定 あんてい 性 せい 増大 ぞうだい のため、M2-F3では3枚 まい 目 め の垂直 すいちょく 尾翼 びよく が左右 さゆう 2枚 まい の尾翼 びよく の間 あいだ に取 と り付 つ けられた。この事故 じこ の教訓 きょうくん は他 た のリフティングボディ機 き の設計 せっけい にも活 い かされ、M2-F2は初 はつ の全 ぜん 金属 きんぞく 製 せい の機体 きたい としてその後 ご の研究 けんきゅう ・開発 かいはつ のための確固 かっこ とした基盤 きばん を築 きず いた存在 そんざい となった。
M2-F2の三面 さんめん 図 ず
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