デジタル大辞泉だいじせん 「太政官だじょうかん布告ふこく」の意味いみ・読よみ・例文れいぶん・類語るいご だじょうかん‐ふこく〔ダジヤウクワン‐〕【▽太政官だじょうかん布告ふこく】 明治めいじ初年しょねん、太政官だじょうかんが公布こうふした法令ほうれいの形式けいしき。明治めいじ19年ねん(1886)公文こうぶん式しきの制定せいていにより廃止はいし。 だいじょうかん‐ふこく〔ダイジヤウクワン‐〕【▽太政官だじょうかん布告ふこく】 ⇒だじょうかんふこく(太政官だじょうかん布告ふこく) 出典しゅってん 小学館しょうがくかんデジタル大辞泉だいじせんについて 情報じょうほう | 凡例はんれい
精選せいせん版ばん 日本にっぽん国語こくご大だい辞典じてん 「太政官だじょうかん布告ふこく」の意味いみ・読よみ・例文れいぶん・類語るいご だじょうかん‐ふこくダジャウクヮン‥【太政官だじょうかん布告ふこく】 〘 名詞めいし 〙 明治めいじ六ろく年ねん(一いち八はち七なな三さん)七なな月がつ、太政官だじょうかんによって公布こうふされた法令ほうれいの形式けいしき。同どう一いち九きゅう年ねん公文こうぶん式しきの制定せいていによって廃止はいしされたが、なお一部いちぶ、その後ごも引ひき続つづき法律ほうりつとしてその効力こうりょくをもっているものがある。だいじょうかんふこく。〔太政官だじょうかん布告ふこく第だい一いち号ごう‐明治めいじ六ろく年ねん(1873)一いち月がつ四よん日にち〕 だいじょうかん‐ふこくダイジャウクヮン‥【太政官だじょうかん布告ふこく】 〘 名詞めいし 〙 =だじょうかんふこく(太政官だじょうかん布告ふこく) 出典しゅってん 精選せいせん版ばん 日本にっぽん国語こくご大だい辞典じてん精選せいせん版ばん 日本にっぽん国語こくご大だい辞典じてんについて 情報じょうほう | 凡例はんれい
改訂かいてい新版しんぱん 世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん 「太政官だじょうかん布告ふこく」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ 太政官だじょうかん布告ふこく (だじょうかんふこく) 明治めいじ初期しょきの太政官だじょうかんによって公布こうふされた法令ほうれいの形式けいしき。明治維新めいじいしん後ごの集中しゅうちゅう権力けんりょくの創出そうしゅつは,太政官だじょうかん制せいの復活ふっかつという形かたちで行おこなわれた。法令ほうれい形式けいしきの整備せいびは,国政こくせいの中枢ちゅうすう機構きこうであるこの太政官だじょうかん制せいの形成けいせい・確立かくりつに照応しょうおうして進すすめられた。明治めいじ新しん政府せいふが発はっする法令ほうれいは,維新いしん当初とうしょの御沙汰ごさた書しょの形式けいしきから布告ふこく,布達ふたつ,達いたるの形式けいしきへと移うつっていくが,版籍はんせき奉還ほうかん,廃藩置県はいはんちけんなど一連いちれんの政治せいじ変革へんかくを経へて統一とういつ国家こっかが形成けいせいされるまでの過渡かと的てき段階だんかいにおいては,法令ほうれいの形式けいしき・名称めいしょうは一定いっていしていない。1871年ねん(明治めいじ4)7月がつの太政官だじょうかん制せいの改革かいかくにともない,全国ぜんこく一般いっぱんに布告ふこくする制度せいど・条例じょうれいに関かんする件けんは太政官だじょうかんより発令はつれいし,その他た告諭こくゆのごときは主任しゅにんの官省かんしょうよりじかに布達ふたつするものとされたが,各かく官省かんしょうによる布告ふこくも並行へいこうして存在そんざいしていた。73年ねん7月がつ18日にちの太政官だじょうかん布告ふこくは,太政官だじょうかんから発令はつれいする布告ふこく・達たち類るいの結文けつぶん例れいを,各かく庁ちょうおよび官員かんいん限かぎりの達いたる書しょは〈此旨相しょう達たち候こう事ごと〉または〈此旨可か相しょう心得こころえ候こう事ごと〉,全国ぜんこく一般いっぱんに布告ふこくするものは〈此旨布告ふこく候こう事ごと〉,華はな士族しぞくあるいは社寺しゃじへ布告ふこくするものは〈此旨華はな士族しぞくへ布告ふこく候こう事ごと〉または〈此旨社寺しゃじへ布告ふこく候こう事ごと〉と定さだめたが,同年どうねん8月がつ28日にちの太政官だじょうかん達たちをもって各省かくしょう使しについてもこの形式けいしきに準拠じゅんきょさせることとし,ただ布告ふこくの文字もじを布達ふたつに代かえるべきものとした。かくして,全国ぜんこく一般いっぱんに公布こうふする太政官だじょうかん布告ふこくおよび各省かくしょう使しの布達ふたつと,官庁かんちょうに対たいする訓令くんれいである太政官だじょうかん達たちおよび各省かくしょう使しの達いたるとがはっきりと区別くべつされることになった。 その後ご立憲りっけん制せいへの移行いこうが具体ぐたい化かした1881年ねんには官制かんせい全般ぜんぱんの改正かいせいが行おこなわれたが,同年どうねん11月がつ10日とおかの〈諸しょ省しょう事務じむ章程しょうてい通則つうそく〉によって,各省かくしょう主管しゅかんの事務じむに属ぞくする法律ほうりつ,規則きそく,布達ふたつについては各省かくしょう卿きょうがこれに副署ふくしょしてその執行しっこう責任せきにんをとるものとされた。ついで翌よく12月がつ3日にちの太政官だじょうかん達たちで,法律ほうりつ,規則きそくは布告ふこくをもって,従前じゅうぜん諸しょ省しょう限かぎり布達ふたつした条規じょうきの類るいはすべて太政官だじょうかんより布達ふたつをもって,さらに太政官だじょうかんおよび諸しょ省しょうより一いち時じ公布こうふするにとどまるものは告示こくじをもって発行はっこうするものとされた。これによって官庁かんちょうが発令はつれいする法令ほうれいの形式けいしきは,布告ふこく,布達ふたつ,達いたる,告示こくじの4形式けいしきとなった。 85年ねん12月,太政官だじょうかん制せいが廃止はいしされ内閣ないかく制せいが創設そうせつされると,翌よく86年ねん2月がつ26日にち(官報かんぽう登載とうさい)勅みことのり令れい第だい1号ごうをもって公文こうぶん式しきが公布こうふされ,新あらたに法律ほうりつ,勅みことのり令れい,閣かく令れい,省令しょうれいの形式けいしきが用もちいられることになり,ここに太政官だじょうかん布告ふこくなどの形式けいしきは廃はいされることになった。しかし,89年ねん2月がつ公布こうふの大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう第だい76条じょうの〈法律ほうりつ規則きそく命令めいれい又またハ何なん等とうノ名称めいしょうヲ用もちいヰタルニ拘かかわラス此ノ憲法けんぽうニ矛盾むじゅんセサル現行げんこうノ法令ほうれいハ総そうテ遵由ノ効力こうりょくヲ有ゆうス〉との規定きていにより,憲法けんぽうに矛盾むじゅんしない太政官だじょうかん布告ふこくは引ひき続つづき有効ゆうこうなものとされた。執筆しっぴつ者しゃ:吉井よしい 蒼生そうせい夫おっと 出典しゅってん 株式会社かぶしきがいしゃ平凡社へいぼんしゃ「改訂かいてい新版しんぱん 世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん」改訂かいてい新版しんぱん 世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてんについて 情報じょうほう
百科ひゃっか事典じてんマイペディア 「太政官だじょうかん布告ふこく」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ 太政官だじょうかん布告ふこく【だじょうかんふこく】 明治維新めいじいしん後ご太政官だじょうかんの発はっした法令ほうれいの形式けいしき。1873年ねん以後いごは全国ぜんこく的てきに効力こうりょくを有ゆうするものを布告ふこく,各かく庁ちょう(省しょう)限かぎりのものを達いたる(たっし)または布達ふたつ(ふたつ)といった(のち一いち時じ公布こうふにとどまるものを〈告示こくじ〉とした)。後ごの法律ほうりつに当あたる。内閣ないかく制度せいどの発足ほっそくに伴ともない,1886年ねん廃止はいしされたが,旧きゅう憲法けんぽう(帝国ていこく憲法けんぽう)時代じだいはもとより,現行げんこう日本国にっぽんこく憲法けんぽうに反はんしない限かぎりで現在げんざいも有効ゆうこう。→関連かんれん項目こうもく讒謗ざんぼう律りつ|集会しゅうかい条例じょうれい|廃刀はいとう令れい 出典しゅってん 株式会社かぶしきがいしゃ平凡社へいぼんしゃ百科ひゃっか事典じてんマイペディアについて 情報じょうほう