デジタル大辞泉
「桐野利秋」の意味・読み・例文・類語
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きりの‐としあき【桐野利秋】
- 明治初期の軍人。初名中村半次郎。薩摩藩出身。幕末、上洛して尊王攘夷運動を行ない、戊辰(ぼしん)戦争に加わる。維新後、陸軍少将に進んだが、征韓論に敗れ、辞職。西南戦争では、西郷軍の総参謀長となり、鹿児島城山で戦死。天保九~明治一〇年(一八三八‐七七)
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桐野利秋
きりのとしあき
(1838―1877)
明治前期の陸軍軍人。天保(てんぽう)9年12月薩摩(さつま)国(鹿児島県)に生まれる。初め中村半次郎と称す。1862年(文久2)島津久光(しまづひさみつ)に従って入京、尹宮(いんのみや)(朝彦(あさひこ)親王)付守衛となり諸藩有志と交際、やがて西郷隆盛(さいごうたかもり)のもとで国事に奔走した。1868年(明治1)戊辰(ぼしん)戦争の東海道先峰(せんぽう)、ついで会津若松攻めの軍監となり、賞典禄(しょうてんろく)200石を賜った。1871年政府に入り御親兵大隊長、陸軍少将。1872年熊本鎮台司令長官。1873年陸軍裁判所長。この年の「明治六年政変」により西郷隆盛に従って下野。1874年同志と鹿児島に私学校設立。1877年の西南戦争に西郷軍四番大隊長となり、同年(明治10)9月24日鹿児島城山(しろやま)で戦死した。
[毛利敏彦]
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桐野利秋
没年:明治10.9.24(1877)
生年:天保9.12(1838)
幕末の薩摩(鹿児島)藩士,明治期の陸軍少将。薩摩国鹿児島郡吉野村(鹿児島市吉野町)の微禄の藩士中村兼秋,スガ子の3男。通称半次郎,信作。明治に至り先祖の旧姓桐野に復した。極貧のなか刻苦精励して成長,武芸に志し古示現流の奥義を極めた。文久2(1862)年,藩主の実父島津久光の上洛部隊に編入されて上京,中川宮朝彦親王付守衛となり諸藩の勤王の志士と交流,天誅行動で鳴らし「人斬り半次郎」の異名をとった。3年8月政変ののち,長州藩の内情探索に当たり,翌元治1(1864)年の禁門の変にも大活躍して西郷隆盛の信頼を得た。鳥羽・伏見の戦に薩摩軍小頭見習として奮闘,次いで東海道先鋒総督軍に属して江戸に入り,会津征討総督軍の軍監に任じ,軍功あった。明治2(1869)年鹿児島藩常備隊大隊長,4年御親兵編成で大隊長として上京,陸軍少将に任じられ,5年熊本鎮台司令長官,6年陸軍裁判所長を歴任したが,征韓論政変(1873)で西郷隆盛に従って下野,その後,村田新八,篠原国幹らと鹿児島の私学校運営の衝に当たり,西郷派士族の教育,軍事訓練と士族層の生活維持のための開墾に尽力した。西南戦争(1877)では西郷軍総指揮者として鹿児島城山で西郷らと共に討死した。
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桐野利秋 (きりのとしあき)
生没年:1838-77(天保9-明治10)
幕末の志士,明治初年の武官。薩摩藩士。初め中村半次郎と称し,維新後桐野利秋と改姓改名。通称晋作。1862年(文久2)上洛して尊攘運動に挺身して勇名をはせ,戊辰戦争に際し東海道先鋒として江戸に入り,会津若松城開城の任に当たる。71年(明治4)御親兵大隊長として上京し陸軍少将,従五位を叙せらる。蝦夷地方を巡回し北海道屯田兵設置の必要を建議。72年熊本鎮台司令長官,73年陸軍裁判長となるが,74年征韓論に敗れた西郷隆盛に従って辞職。帰郷して私学校を創設し,77年西南戦争の薩軍副総帥として奮戦したが9月24日岩崎谷で戦死。
執筆者:後藤 靖
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桐野利秋【きりのとしあき】
幕末・明治の志士,軍人。薩摩(さつま)鹿児島藩出身,初め中村半次郎と称す。討幕運動,戊辰戦争に活躍。1871年陸軍少将に進み,熊本鎮台司令長官,陸軍裁判長となったが,征韓論が敗れると西郷隆盛とともに下野。西南戦争に西郷軍の副総帥(そうすい)として参加したが岩崎谷で戦死。
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桐野利秋 きりの-としあき
1839*-1877 幕末-明治時代の武士,軍人。
天保(てんぽう)9年12月生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩士。はじめ中村半次郎と名のる。示現(じげん)流の達人で,人斬り半次郎の名で知られた。西郷隆盛のもとで尊攘(そんじょう)運動にしたがい,戊辰(ぼしん)戦争では会津若松攻めの軍監となる。維新後陸軍少将,陸軍裁判所長をつとめるが,明治6年辞職。西南戦争で西郷軍の総指揮をとり,明治10年9月24日鹿児島城山で戦死した。40歳。通称は信作。
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桐野利秋
きりのとしあき
[生]天保9(1838)
[没]1877
明治初期の軍人。薩摩藩士,初め中村半次郎と称した。陸軍少将,熊本鎮台司令官となったが,征韓論で辞職した西郷隆盛とともに鹿児島に帰郷。西南戦争で敗北,城山で戦死。
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