デジタル大辞泉だいじせん 「開国かいこく論ろん」の意味いみ・読よみ・例文れいぶん・類語るいご かいこく‐ろん【開国かいこく論ろん】 江戸えど中期ちゅうき以後いご、鎖国さこく・攘夷じょういじょういを廃はいし、外国がいこくとの通商つうしょうを主張しゅちょうした論ろん。工藤くどう平助へいすけ・本多ほんだ利明としあき・渡辺わたなべ崋山かざん・高野たかの長英ちょうえいらが主張しゅちょう。安政あんせいの開国かいこく後こうは、尊王そんのう攘夷じょうい論ろんに対たいして佐幕さばく開国かいこく論ろんも行おこなわれ、文久ぶんきゅう期きには尊攘そんじょう論ろん者しゃのなかから開国かいこく論ろんが生しょうじた。開港かいこう論ろん。 出典しゅってん 小学館しょうがくかんデジタル大辞泉だいじせんについて 情報じょうほう | 凡例はんれい
百科ひゃっか事典じてんマイペディア 「開国かいこく論ろん」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ 開国かいこく論ろん【かいこくろん】 江戸えど時代じだいの鎖国さこく廃止はいし論ろん。18世紀せいきには本多ほんだ利明としあきや本ほん居きょ宣長のりながの開国かいこく論ろんがあるが,1853年ねんのペリー来航らいこう以後いご現実げんじつ的てき論議ろんぎとなり,1854年ねん日米にちべい和親わしん条約じょうやく(神奈川かながわ条約じょうやく)締結ていけつ後ごは江川えがわ英竜ひでたつ(江川えがわ太郎左衛門たろうざえもん),勝かつ海舟かいしゅうらの幕臣ばくしんも開国かいこくを提唱ていしょう。1858年ねん日米にちべい修好しゅうこう通商つうしょう条約じょうやく締結ていけつ後ごは佐幕さばく論ろんと結合けつごうして尊王そんのう攘夷じょうい(じょうい)論ろんに対抗たいこうした。→関連かんれん項目こうもく開国かいこく(日本にっぽん史し)|河井かわい継之助つぐのすけ|黒船くろふね|薩英戦争せんそう|攘夷じょうい論ろん|長井ながい雅楽ががく|明治維新めいじいしん 出典しゅってん 株式会社かぶしきがいしゃ平凡社へいぼんしゃ百科ひゃっか事典じてんマイペディアについて 情報じょうほう
ブリタニカ国際こくさい大だい百科ひゃっか事典じてん 小しょう項目こうもく事典じてん 「開国かいこく論ろん」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ 開国かいこく論ろんかいこくろん 江戸えど時代じだい末期まっき,鎖国さこく令れいを撤廃てっぱいし外国がいこくと国交こっこうを開ひらくべきであると主張しゅちょうした意見いけん。早はやくから本多ほんだ利明としあき,本ほん居きょ宣せん長ちょうにもそれは認みとめられたが,特とくに現実げんじつ性せいをもったのはペリー来航らいこう以後いごである。幕府ばくふが諸しょ大名だいみょうに開国かいこくの是非ぜひを諮問しもんした際さい,彦根ひこね藩主はんしゅ井伊いい直弼なおすけらは,通商つうしょう交易こうえきによる利益りえきを説といた。このほか,福岡ふくおか,掛川かけがわ,佐倉さくら,忍しのべ,津山つやまの各かく藩主はんしゅらは,それぞれ意味いみは異ことなるが開国かいこくに賛意さんいを表あらわした。次ついで通商つうしょう条約じょうやく締結ていけつの際さいには,薩摩さつま藩はんら4藩はんは通商つうしょうに積極せっきょく的てきで,このほか 16藩はんが通商つうしょうに賛意さんいを表あらわした。藩士はんし層そうでは,佐久間さくま象山ぞうさん,横井よこい小楠しょうなんらが貿易ぼうえきによる利益りえきを唱となえ,攘夷じょういの不可ふかを説といた。江川えがわ太郎左衛門たろうざえもん,勝海かつみ舟ふねら幕臣ばくしんにもこの意見いけんが多おおかったが,開国かいこく論ろんの根底こんていには領土りょうど拡張かくちょう,海外かいがい進出しんしゅつの発想はっそうがあった。 出典しゅってん ブリタニカ国際こくさい大だい百科ひゃっか事典じてん 小しょう項目こうもく事典じてんブリタニカ国際こくさい大だい百科ひゃっか事典じてん 小しょう項目こうもく事典じてんについて 情報じょうほう
旺文社おうぶんしゃ日本にっぽん史し事典じてん 三さん訂てい版ばん 「開国かいこく論ろん」の解説かいせつ 開国かいこく論ろんかいこくろん 江戸えど後期こうき,鎖国さこく政策せいさくを改あらため,対外たいがい関係かんけい拡大かくだいを主張しゅちょうした論議ろんぎ18世紀せいき末まつ工藤くどう平助へいすけ・本多ほんだ利明としあきらが貿易ぼうえきによる国富こくふ増進ぞうしんを論ろんじ,19世紀せいき初はじめ佐藤さとう信淵のぶひろが海防かいぼう上じょうから通商つうしょうを論ろんじた。ペリー来航らいこう以後いご,経済けいざい的てき開国かいこく論ろんは政策せいさく的てき開国かいこく論ろんとなり,佐久間さくま象山ぞうさん・横井よこい小楠しょうなんらの開国かいこく論ろんとなった。安政あんせいの開国かいこく後ごは反はん幕府ばくふ的てきな尊王そんのう攘夷じょうい論ろんに対抗たいこうして佐幕さばく論ろんと結合けつごうした。 出典しゅってん 旺文社おうぶんしゃ日本にっぽん史し事典じてん 三さん訂てい版ばん旺文社おうぶんしゃ日本にっぽん史し事典じてん 三さん訂てい版ばんについて 情報じょうほう
世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん(旧版きゅうばん)内うちの開国かいこく論ろんの言及げんきゅう 【海防かいぼう論ろん】より …この状況じょうきょうが変かわる重大じゅうだいな画が期きはアヘン戦争せんそうである。[開国かいこく論ろんと鎖国さこく論ろん] 海防かいぼう論ろんはロシアの南下なんかを阻止そしするための蝦夷えぞ地ち開発かいはつ論ろんとして始はじまる。その最初さいしょとされる工藤くどう平助へいすけの《赤あか蝦夷えぞ風説ふうせつ考こう》(1783稿こう)は,蝦夷えぞ地ち開発かいはつとともに,ロシアと交易こうえきを開ひらき,同地どうちでの密みつ貿易ぼうえきを禁きんずると同時どうじに,ロシアの事情じじょうをつまびらかにすることを説といているが,まだ防備ぼうびにはふれていない。… ※「開国かいこく論ろん」について言及げんきゅうしている用語ようご解説かいせつの一部いちぶを掲載けいさいしています。 出典しゅってん|株式会社かぶしきがいしゃ平凡社へいぼんしゃ「世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん(旧版きゅうばん)」