ファンキー加藤の音楽履歴書

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ファンキー加藤かとうのルーツをたどる

いじめられていた少年しょうねん時代じだい長渕ながぶちつよしうたすくわれた

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アーティストの“音楽おんがく遍歴へんれき”を紐解ひもとくことで、その音楽おんがく世界せかいがどのようにはぐくまれていったのかをさぐり、あらたな魅力みりょくりにするほん企画きかく今回こんかいは、はつ主催しゅさいフェス「OUR MIC FES」を8がつ31にちひかえるファンキー加藤かとうはなしいた。

取材しゅざいぶん / ナカニシキュウ

はら体験たいけん光GENJIひかるげんじ

最初さいしょ音楽おんがく興味きょうみったのは、小学校しょうがっこう3年生ねんせいくらいのころですね。当時とうじ光GENJIひかるげんじさんがものすごい人気にんきで、おとこおんなもみんなマネしてローラースケートをやったり、かーくん(諸星もろぼし和己かずみ)みたいなハチマキをしたりしていたんです。ぼくもローラースケートはいていました。それで、おやにねだって最初さいしょってもらったのが光GENJIひかるげんじのカセットテープ。ベストかなにかだったのかな、「ガラスのじゅうだい」とか「パラダイス銀河ぎんが」とかがはいってたとおもいます。子供こどもながらに音楽おんがくたのしさやキラキラしたものをかんじてましたね。ASKA(CHAGE and ASKA)さんがつくってるだけあって、メロディも歌詞かしいまいても素晴すばらしいんですよ。

長渕ながぶちつよしあこがれて

両親りょうしん音楽おんがくきで、いろんな楽曲がっきょくをよくいていました。おふくろとく長渕ながぶちつよしさんがきで、その影響えいきょうぼく小学校しょうがっこう高学年こうがくねんころ長渕ながぶちさんをきになりました。それと、親父おやじわかころにアマチュアバンドをやっていたので、いえにアコースティックギターがあったんですね。で、「ギターのコードをおぼえたら長渕ながぶちさんのきょくはじける」っていうことで、親父おやじにギターをおそわったんです。まだ小学生しょうがくせいだったんでちいさくて、Fコードに苦労くろうしたりしながらも、ある程度ていどストロークでジャカジャカくくらいはできるようになっていって。親戚しんせき一同いちどうあつまるお正月しょうがつなんかに、みんなのまえ長渕ながぶちさんのうたうたってお小遣こづかいもらったりとかしてましたね。それがはじめてのギャラです(笑)。

そのころ喘息ぜんそくちでからだこまかかったせいでいじめられていて、長渕ながぶちさんの音楽おんがくにすごくすくわれたんですよ。「応援おうえんソング」なんていうわくめたら長渕ながぶちさんにおこられちゃいますけど、いまでも「音楽おんがくというものは、つまずいてたおれてしまったひとを1だけ、はんだけでもまえすすませるきっかけになるものであるべき」っていう意識いしきつよいんです。自分じぶんにとってそうだったんで。

BOOWYのコピーバンド結成けっせい

中学ちゅうがく2年生ねんせいのとき、友達ともだちさそわれてBOOWYのコピーバンドを結成けっせいしました。(※「BOOWY」の2つのOはストローク符号ふごうきが正式せいしき表記ひょうき当時とうじすでにBOOWYは解散かいさんしてたので、正直しょうじきらなかったんですけど、いてみたらめちゃくちゃカッコよくて。「こんな音楽おんがくがあったんだ!」って衝撃しょうげきてきで、一気いっききになりました。そのときにんだバンドは、メンバーがわったりもしながら3ねんほどつづいて、高校生こうこうせいになるくらいのころからだんだんオリジナルきょくもやるようになっていったんです。自分じぶんきょくつくはじめたのはたぶんそのころですね。

日本語にほんごラップとの出会であ

高校こうこう2年生ねんせいになると、日本語にほんごラップがきになるんです。MICROPHONE PAGERやRHYMESTER、キングギドラ(げんKGDR)なんかが都心としん地下ちかですごい熱量ねつりょうともにうごめいていた時代じだいれる機会きかいがありまして。そこからすっかりハマってしまって、そのBUDDHA BRAND、SHAKKAZOMBIE、ケツメイシRIP SLYMEなんかをきまくるようになっていきます。地元じもと先輩せんぱいにLITTLEがいたこともあって、KICK THE CAN CREWはとくに大好だいすきでしたね。

サザンを研究けんきゅう

光GENJIひかるげんじ長渕ながぶちつよしさん、BOOWY、日本語にほんごラップ、って音楽おんがく遍歴へんれきはすごいバラバラなんですけど(笑)、ずっと根底こんていにあって目指めざしていたのはサザンオールスターズ桑田くわた佳祐けいすけさんです。はじめたのはおや影響えいきょうなんですけど、プロとしてやっていくうえできょくづくりにかんして一番いちばん勉強べんきょうさせてもらったのが桑田くわたさんです。キャッチーなメロディとか、英語えいごっぽくうたえる日本語にほんごとかを「どうなってるんだろう?」って研究けんきゅうして。時代じだい時代じだいだいヒットきょくがあって、どの時代じだいでも最先端さいせんたんっていうのがすごいですよね。

ラッパーとして活動かつどう開始かいし

ヒップホップと出会であったあと、20さいくらいのときに地元じもと八王子はちおうじでラッパーとしてクラブでうたはじめます。そのころモンきち出会であって、ちょっとあとに(DJ)ケミカルともいました。そんなにおおきいまちじゃないんで、ヒップホップシーンが1つのちいさなコミュニティみたいになっていて、ラッパー、ダンサー、DJ、みんな顔見知かおみしりなんですよ。モンきちもケミカルもそれぞれで活動かつどうしてたんですけど、イベントで共演きょうえんしたり、おたがいイベントを主催しゅさいしたりという関係かんけいで。モンきちとは音楽おんがく趣味しゅみ似通にかよっていたこともあって一気いっき意気投合いきとうごうして、当時とうじは1ねんのうち360にちぐらいあそんでました。とにかくったんです。

たたかうべき場所ばしょは“おちゃあいだ

12年前のファンキー加藤

12ねんまえのファンキー加藤かとう

そうやって音楽おんがくをやりながらも、世間せけんからればただのプータローという状態じょうたいのまま20だい中盤ちゅうばんになって、まずいなとおもはじめて。音楽おんがくでメシをうための道筋みちすじ本気ほんき模索もさくはじめたのがそのころです。で、ぼくはモンきちこえとメロディセンスをっていたので、「本気ほんきでプロを目指めざしたいんだ」ってかれさそいました。そこにケミカルをくわえて、FUNKY MONKEY BABYSとして活動かつどうはじめます。そのときすでにデビューおなじような音楽おんがくせいでやっていましたね。自分じぶんたちのきな日本語にほんごラップとサザンオールスターズ、この2つを指針ししんにして。最初さいしょからそういうコンセプトだったんです。モンきちもサザンがすごくきなんですよ。

ファンモンを解散かいさんしてソロになったとき、正直しょうじき音楽おんがく方向ほうこうせいえてみようかってかんがえた時期じきもあったんです。バンドをむとか、ギターってやってみようかとか。ですが、自問自答じもんじとうかえせばかえすほど、ファンモンの音楽おんがくきだっていう結論けつろんにしかならなくて。自分じぶんたたかうべき場所ばしょは“おちゃあいだ”だってあらためておもったんです。おさな子供こどもからお年寄としよりまでたのしめる音楽おんがくこそを追求ついきゅうしたいんだって。解散かいさんとおしてあらためてそのことを確認かくにんできたというのはありますね。

フェスやイベントでの衝撃しょうげき

ファンモンと同期どうきデビューのいきものがかりは、ぼく以上いじょうにハイペースでリリースをかさねていて、しかも全部ぜんぶものすごいクオリティのたかさで。セールスもそうだし、紅白こうはく出場しゅつじょうだったりメディアへの露出ろしゅつだったり、同期どうきなかではつねに23さきおこなっている存在そんざいでした。かれらの音楽おんがくもドなかですけど、そのドなか堂々どうどうあるいている姿すがたぼくらにとってもちからになってたんです。単純たんじゅんきょくきでよくいてましたね。

なつフェスとかにさせていただくと、バンドのカッコよさというか、理屈りくつじゃないすごみみたいな衝撃しょうげき毎回まいかいくらうんですよ。ELLEGARDENのライブなんて、あまりのカッコよさにしんれて途中とちゅうかえりましたもん(笑)。ウルフルズさんも印象いんしょうのこってます。地方ちほうのフェスでウルフルズがトリだったんですけど、トリのライブちゅうって渋滞じゅうたいまれないようにおきゃくさんがはやめにかえったりするんですよ。ステージからはその様子ようすがめちゃくちゃえるし、ぼくはそういうのすごくにするんです(笑)。だけど、トータス(松本まつもと)さんはかえっていくひとに「をつけてかえれよー!」ってステージからこえをかけていて。それが本当ほんとうにカッコよかった。

あと、ももいろクローバーZ琴線きんせんれましたよ。最初さいしょったのはイベントだったかな。舞台ぶたいそででいろんな関係かんけいしゃみなさんに自己じこ紹介しょうかいしているところをたんです。「週末しゅうまつヒロイン、ももいろクローバー……ぜぇーっと!!」みたいなことをなんなん全力ぜんりょくでやってて、「こいつらヤベーな、すげーな」って。ライブのパフォーマンスもぶったおれるくらいのいきおいでやってますし、本気ほんきでやってるひとたちってカッコいいなとおもうんですよね。

はばひろ楽曲がっきょく提供ていきょうやフェスの主催しゅさい

このぜんうた番組ばんぐみで、長渕ながぶちさんとはじめておいできたんです。桑田くわたさんや布袋ほてい寅泰ともやす)さんとはおはなしさせていただいたことがあったんですけど、長渕ながぶちさんとだけまだなかったのが、念願ねんがんかなって。ド緊張きんちょうしながら「ぼくぼくなりに長渕ながぶちイズムをむねうたっています」とおつたえしたら、「一緒いっしょにがんばっていこうよ!」ってガッとかた握手あくしゅわしてくださって。うでちぎれるかとおもった(笑)。本当ほんとうきであこがれているひとたちにおいするのは、のこすところ、あと光GENJIひかるげんじさんですね。いつかおいしたいです。

最近さいきん楽曲がっきょく提供ていきょうしたり、はじめてフェスを主催しゅさいしたりと活動かつどうはばひろげていてそれぞれに面白おもしろいですけど、そういったことをきっかけに我々われわれ界隈かいわいのアーティストがあつまれる場所ばしょやしていきたいともおもいますね。我々われわれ界隈かいわいのアーティストって呼称こしょうがないんですよね。ヒップホップでもロックでも、J-POPでもないというか(笑)。むかしは“ヒップポップ”とかわれたりもしましたけど。ファンのあいだ浸透しんとうするようなができるくらいになればいいですね。

ファンキー加藤かとう

1978ねん東京とうきょう八王子はちおうじまれ。2004ねんにFUNKY MONKEY BABYSを結成けっせいし、06ねん1がつにメジャーデビュー。おおくのヒットきょくし「NHK紅白こうはく歌合戦うたがっせん」に4ねん連続れんぞく出演しゅつえんするなど幅広はばひろ人気にんきあつめるも、13ねん6がつ東京とうきょうドーム2DAYS公演こうえん最後さいごにグループを解散かいさん。その「ファンキー加藤かとう名義めいぎでソロ活動かつどう開始かいしし、14ねん2がつにソロデビューシングル「My VOICE」をリリース。16ねん6がつには映画えいが「サブイボマスク」で主演しゅえんつとめるなど、音楽おんがくだけでなく幅広はばひろ精力せいりょくてき活動かつどうしている。今年ことし8がつ31にちにはファンキー加藤かとう主催しゅさいする音楽おんがくフェス「OUR MIC FES」がはじめて開催かいさいされる。

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