オーイシマサヨシの音楽履歴書。

アーティストの音楽おんがく履歴りれきしょ だい45かい [バックナンバー]

オーイシマサヨシのルーツをたどる

愛媛えひめ宇和島うわじまはぐくまれた手作てづく精神せいしん謙虚けんきょしん、いつまでもびしろがあるアニソンシンガー

40

1452

この記事きじかんするナタリー公式こうしきアカウントの投稿とうこうが、SNSじょうでシェア / いいねされたかず合計ごうけいです。

  • 330 1121
  • 1 シェア

アーティストの音楽おんがく遍歴へんれき紐解ひもとくことで、音楽おんがく探求たんきゅうすることの面白おもしろさや、アーティストのあらたな魅力みりょくりにするこの企画きかく今回こんかいSound Scheduleのボーカル&ギターで、2014ねんにアニソンシンガーとしての活動かつどう開始かいししたオーイシマサヨシのルーツにせまる。

取材しゅざいぶん / ナカニシキュウ

「かしゅ」になりたかった幼少ようしょう

生後2カ月の頃。

生後せいご2カ月かげつころ

愛媛えひめけん宇和島うわじまという田舎町いなかまちまれまして、子供こどもころからうたうことが大好だいすきなおとこでした。毎日まいにち毎日まいにち風呂場ふろばうたっていたら、いつからか父親ちちおや母親ははおや点数てんすうはじめたんですよ。「今日きょううたは90てんだった」「今日きょうは80てんかな」みたいな。満点まんてんれるとすごくよろこんでいたのをいまでもおぼえていますし、「評価ひょうかしてもらえる」ということが子供こどもしんにすごくうれしかったんですよね。だから選曲せんきょくも、おやるようなものをチョイスして(笑)。谷村たにむら新司しんじさんとかチェッカーズとか……それをおもうと、当時とうじからすでにぼくなかではうたというものが“たいにん”のものだったのかもしれません。自分じぶん1人ひとり完結かんけつするものではなくて、おやという“おきゃくさん”が存在そんざいしてはじめて成立せいりつするものだった。いまおもえば、ですけど。

ぼく谷村たにむらさんの「すばる -すばる-」でビブラートをおぼえたんですよ。最後さいごの「すーばーるーよー」ってロングトーンのところでくび小刻こきざみにるとおとれて、それをやるとうちのおやがすごくよろこんでくれて。いまでもファンのほうとかにビブラートのコツをかれたりすると「くびったらすぐできるよ」とアドバイスしています(笑)。

そんなかんじで自然しぜんうたうことがきな少年しょうねんになったので、幼稚園ようちえん卒業そつぎょうアルバムの将来しょうらいゆめらんぼくは「かしゅになりたい」といたらしいです。自分じぶんでは記憶きおくしていないんですけど、おやがそうってましたね。

ライブってみずくものなんや

3歳の頃、母と。

3さいころははと。

アーティストのライブをはじめてかんったのは小学しょうがく5年生ねんせいくらいのとき。おやれられるがままに地元じもと宇和島うわじま市営しえい丸山まるやま球場きゅうじょうおこなわれたTUBEのライブにきました。ちょうど「あー夏休なつやすみ」がリリースされた時期じきだったとおもうんですが、やっぱりTUBEといえばなつ代名詞だいめいしみたいなところがあるじゃないですか。かくか、前田まえだわたるてる(Vo)さんご本人ほんにんがホースをって客席きゃくせき放水ほうすいするパフォーマンスをされていたようなおぼえがあって。なんせぼくはライブというものがはじめてだったものですから「ライブってみずくものなんや」と衝撃しょうげきけた記憶きおくがあります(笑)。

そのはじめて自分じぶんでCDをうんですけど、当時とうじはちょうどアナログレコードからCDへの転換期てんかんきで、CDというメディアがなか浸透しんとうはじめたころでした。履歴りれきしょにもいたとおぼくKANさんの「あいつ」というシングルを最初さいしょいまして、じつはそれと一緒いっしょLINDBERGとTUBEのアルバムもったんですよ。LINDBERGにかんしてはドラマの影響えいきょうもあって「いますぐKiss Me」とかがすごく流行はやっていた。KANさんもおなじようなかんじで、当時とうじいたるところで「あいつ」がながれていました。

3歳の頃。

3さいころ

ちなみに当時とうじきだったアニソンを1きょくげるとするなら「ドラゴンボールZ」の主題歌しゅだいか「CHA-LA HEAD-CHA-LA」。以前いぜん、オリジナルシンガーの影山かげやまヒロノブさんと一緒いっしょにこのきょくうたわせていただいたことがあるんですけど、めちゃくちゃ感動かんどうしましたし、父親ちちおやにも電話でんわしました。「影山かげやまさんと『CHA-LA HEAD-CHA-LA』うたったよ!」って。父親ちちおやも「ドラゴンボールZ」が大好だいすきだったんで、いてましたね。親孝行おやこうこうができたという意味いみでも、「CHA-LA HEAD-CHA-LA」は特別とくべつな1きょくです。

ベース演奏えんそうしんうばわれてギターをはじめた

ちゅう1の1学期がっきくらいですかね。友達ともだちいえあそびにったら、その友達ともだちのおにいちゃんがベースをいていたんですよ。きょくかくJUN SKY WALKER(S)の「START」だったとおもうんですが、そのベースパートを8ふん音符おんぷでダダダダダといているのをて、すごくカッコよくおもえて。そのときに、当時とうじぼくはギターとベースの区別くべつかなかったので「自分じぶんもギターをきたい」とおもってしまったんです。で、当時とうじ大石おおいしには「おばあちゃんにたのめばなんでもてくる」というところがあったので(笑)、かえってすぐおばあちゃんに「ギターがしい」と相談そうだんしたところ、つぎくらいに親戚しんせきからクラシックギターをもらってきてくれて。そこからギターをはじめたかんじです。

母と写真を撮る6歳のオーイシマサヨシ。

はは写真しゃしんる6さいのオーイシマサヨシ。

最初さいしょころうたほんながらきなきょくをひたすらカバーしていました。そのほんにギターコードのさえかたとかもいてあったので必死ひっしおぼえていって。そういうことをつうじて「音楽おんがくがコードというものでっている」という概念がいねん理解りかいするようになり、よくわれる“Fのかべ”みたいなものもけっこうはや段階だんかいでクリアできたので、C、F、G、Am、Emという5つのコードを使つかって自分じぶんでも作曲さっきょくをするようになっていきます。はじめて作曲さっきょくをしたのはちゅう1の12月でした。

使つかっていたギターがアコースティックけいだったこともあって、そのころにSimon & Garfunkelがすごくきになったんですよ。よくいてましたし、ギターのフレーズをコピーしたりもしていました。S&Gはくらきょくおおいんで、おやには心配しんぱいされたりもしましたけど(笑)、あのフォーキーなかんじにはすごく影響えいきょうけたとおもいますね。

将来しょうらいゆめが「かしゅ」から「税理士ぜいりし」に

ちゅう2のわりぐらいになると、学校がっこう進路しんろ指導しどうはじまりますよね。そのときも「かしゅになりたい」という気持きもちは漠然ばくぜんつづけてはいたんですが、クラスには自分じぶんよりギターやうたがうまいやつがいたりして、「そいつらにすらてないのにメジャーデビューなんかできるのか?」というおもいもあり、そう簡単かんたんみちではないことは重々じゅうじゅう理解りかいしていたんです。

11歳の頃。

11さいころ

それにくわえて、ぼく地元じもと宇和島東うわじまひがし高校こうこうという商業しょうぎょうけい学校がっこうがあるんですが、そこが周辺しゅうへん中学生ちゅうがくせいにとっては“メジャーな進学しんがくさき”というかんじだったんですね。実際じっさいぼく自身じしんもそこの商業しょうぎょう進学しんがくするんですけど、そうなってくると、その進路しんろ必然ひつぜんてき大学だいがく経済学部けいざいがくぶや、資格しかくかした職業しょくぎょうといったところが基本きほんせんになるわけです。

そんなことを進路しんろ指導しどう先生せんせいはなしているなかで、「まあ歌手かしゅにはなれないかもしれないし、税理士ぜいりしっすかね?」というかんじで、すくなくとも表向おもてむきの将来しょうらいゆめは「税理士ぜいりし」と表明ひょうめいするようになりました。もちろん、税理士ぜいりしだってそんな簡単かんたんになれる職業しょくぎょうではないんですけどね(笑)。

なければ自分じぶんつくればいい

高校こうこうはいってはじめてバンドをむことになり、そこではやくも税理士ぜいりしゆめえてなくなっていました(笑)。「バンドでスターになりたい」というあたまにすっかりわっていましたね。ぼくがもともときょくつくるのがきだったこともあって、そのバンドでははや段階だんかいからオリジナルきょくをやりはじめていたんですが、ざっくりうと“ポップな日本語にほんごロック”というかんじの音楽おんがくせいだったとおもいます。

当時とうじなかてきにグラムロックのブームがていて、ぼくらもTHE YELLOW MONKEYやザ・スペース・カウボーイズといったバンドに傾倒けいとうしていましたし、さかのぼってT.Rexやデヴィッド・ボウイといったイギリスの元祖がんそグラムロックにものめりんでいました。なので本当ほんとうはそういうグラムロックてきな、妖艶ようえんなブギーロックをやりたかったんですけど、そこにせられるだけの技術ぎじゅつ知識ちしきもなかったですね(笑)。

16歳の頃。

16さいころ

そのころ地元じもとには練習れんしゅうスタジオがなかったので、自分じぶんたちでなんとかするしかなかったんですよ。そこで、近所きんじょにあったぼくいえ所有しょゆうしていたはたけつぶして、スタジオという小屋こやてまして……というのも、うちの父親ちちおや大工だいく免許めんきょっていたので、「おまえ手伝てつだうなら一緒いっしょつくるか?」とってくれて。そこにてた8じょうくらいの小屋こやにギターアンプやドラムなどの機材きざいをみんなでんで、スタジオとして使つかっていました。そこで毎晩まいばん毎晩まいばん練習れんしゅうしてましたね。

ライブハウスもなかったから、カラオケてんのパーティルームをって、ビールケースをならべたうえベニヤ板べにやいたき、即席そくせきのステージをつくってライブをやってました。ボーカルだけはカラオケの設備せつびをそのまま使つかって部屋へやのスピーカーからす、みたいなかんじで。そのビールケースをはこぶときも父親ちちおやがトラックをしてくれましたし、なにかと子供こどもゆめ協力きょうりょくてきおやではありましたね。いまでも「あのとき手伝てつだったのは無駄むだじゃなかった」とってくれていますし。

その「なければつくればいい」という精神せいしんは、のちの音楽おんがく活動かつどうにもすごくつながっているとおもいます。東京とうきょうドームや日本武道館にほんぶどうかん、さいたまスーパーアリーナのような会場かいじょうも、もともと舞台ぶたい音響おんきょう設備せつびなにもないところにイチからステージをつくっていくわけじゃないですか。規模きぼちがえど、その重要じゅうようせい大変たいへんさををもってっているから、ありがたみやとうとさもかんじることができるし、スタッフのみなさんにたいする感謝かんしゃ気持きもちも自然しぜんいてくるんです。自分じぶんたちでイチから環境かんきょうつくっていく経験けいけんはしておいてよかったな、と本当ほんとうおもいますね。

天狗てんぐれき:1にち

こう1でんだそのバンドで、こう2のときに全国ぜんこく大会たいかいたんですよ。全国ぜんこく都道府県とどうふけんからアマチュアバンドがあつまるコンテストがあって、そこにデモテープをしたら見事みごと愛媛えひめけん代表だいひょうとしてられることになりまして。メンバーみんなで大阪おおさか会場かいじょうまでってステージで演奏えんそうしたんですけど、全国ぜんこく大会たいかいたことで、もうすっかり天狗てんぐになっているわけです(笑)。大会たいかい翌日よくじつ相当そうとうな“ドヤかん”をしつつ地元じもとかえり、商店しょうてんがいかたふうってあるいてたら、地元じもとのヤンキーみたいな5人組にんぐみに「ちょっとおまえい」とからまれまして。めっちゃはなについたんでしょうね(笑)。ボコボコにされたとはわないまでも、「調子ちょうしるなよ」みたいなことで。「なるほど、こんなふうにくいというものはたれるんだな」とまなびましたね。調子ちょうしることがはなにつくタイプとつかないタイプがいるとおもうんですけど、ぼくはなにつくほうの人種じんしゅなんだなとさとって、それからは「なに成果せいかげたときこそ冷静れいせいに、謙虚けんきょにいよう」とこころがけるようになりました。それがそのかたにおけるおおきな指針ししんの1つになっているがします。

17歳の頃。

17さいころ

そのバンドがなぜ審査しんさとおったのかはもちろんよしもないですけど、1つかんがえられるのは、デモテープのクオリティがほかよりもすこたかかったのかもしれないです。当時とうじ高校生こうこうせいくらいだとデモテープはラジカセとかで一発いっぱつろくりするバンドがほとんどだったんじゃないかとおもいますけど、ぼくらはMTR(マルチトラックレコーダー)で多重たじゅう録音ろくおんしていましたから。なので、とくにボーカルにかんしては一発いっぱつろく音源おんげんよりもかなりきやすかったはずです。

ドラムのがその小屋こやんだ4トラックのカセットMTRがあったので、ぼくこう1のときからずっと多重たじゅう録音ろくおんとかであそんでたんですよ。それでMTRの使つかかたつけいていたので、バンドのデモをろくるときは、ピンポン録音ろくおんというものを駆使くししてトラックすう無理むりやりやしたりとか、リバーブなどの機材きざいってなかったからギターようのマルチエフェクターを使つかってボーカルにディレイをかけたりとか、けっこういろいろ工夫くふうした記憶きおくがありますね。いまはパソコン1だいあればなんでもできちゃう時代じだいなので、なかなかつたわりづらいはなしだとはおもいますけども(笑)。

メジャーデビューがゴールではなかった

高校こうこう卒業そつぎょうは、兵庫ひょうごけんにある神戸商科大学こうべしょうかだいがく(のちに兵庫ひょうご県立けんりつ大学だいがく統合とうごう)に進学しんがくしました。ここにもまだ税理士ぜいりしながれが微妙びみょうきてるんですけど(笑)、そこの軽音楽けいおんがく出会であったドラムの川原かわら洋二ようじ)くん、出席しゅっせき番号ばんごうちかかったベースのおき裕志ひろし)くんとSound Scheduleを結成けっせいします。

経営けいえいがくまな学生がくせい3にんんだバンドということもあって、ドラムの川原かわはらくんを中心ちゅうしんにかなり初期しょき段階だんかいからバンドを会社かいしゃ見立みたてた経営けいえい戦略せんりゃくかんがえていましたね。かれぼくのボーカルをすごくってくれていて、「ラウドなおと主流しゅりゅう神戸こうべのライブハウスでも、大石おおいしこえ日本語にほんごがきちんとききとれるくらいマイクりがいい。それがうちのバンドの武器ぶきだ」と明確めいかく定義ていぎしたうえで「ちゃんとうたものとして成立せいりつするロックバンドであろう」という方針ほうしんかかげました。ぼく自身じしんもポップなうたもの、歌謡かようきょくやJ-POPが大好だいすきだったので「合点がてん!」ということで、うたえるような楽曲がっきょくづくりを当初とうしょから意識いしきしていましたね。

19歳の頃。

19さいころ

そのSound Scheduleというバンドで2001ねんにメジャーデビューするわけですが……高校こうこうまでのことを詳細しょうさいきすぎて履歴りれきしょらんりなくなっちゃったので、それ以降いこうを1ぎょうにまとめてしまいました(笑)。とはいえ、「メジャーデビューがゴールじゃなかったな」というのは22ねんという芸歴げいれきなかですごくおもっていることで、デビューしてからのほうが大変たいへんなことはおおかったようながします。当時とうじはまさかこんなにアニメソングにかかわるようになるなんておもってもいなかったですし……。

そういう意味いみでは、はじめてたずさわったアニソン案件あんけんがTom-H@ckくんの楽曲がっきょくうた男性だんせいボーカリストオーディションだった、というのはおおきかったとおもいます。2006ねんにバンドを解散かいさんし、2008ねん大石おおいし昌良まさよしとしてソロでデビューしたものの、いい音楽おんがくをやっている自負じふはあってもなかなかなかひびかず……というなかで、そのオーディションに当時とうじのマネージャーさんが勝手かって応募おうぼしていたんですよ。だから最初さいしょはわけもわからずうたいにったんですけど、そのときにろくったかりうたがそのままほんチャンとして使つかわれて「ダイヤのA」というアニメのオープニング(Tom-H@ck featuring 大石おおいし昌良まさよし「Go EXCEED!!」)になりまして。

たぶん、そこでアニソン業界ぎょうかい方々かたがたが「Tom-H@ckがえらんだ相方あいかたなら間違まちがいないだろう」というぼくるようになってくれた部分ぶぶんはあるとおもうんですよね。そこからいろいろアニメ関連かんれんのおはなしんでくるようになり、2014ねんにアニメ「月刊げっかん少女しょうじょ野崎のさきくん」のオープニングきょくきみじゃなきゃダメみたい」でアニソンシンガー・オーイシマサヨシが誕生たんじょうするわけです。

いつまでもびしろがある

さきほど「メジャーデビューがゴールじゃなかった」といましたけど、それはつく楽曲がっきょく音楽おんがくせいにもおなじことがえますね。アマチュア時代じだい青春せいしゅん時代じだいけてきた音楽おんがくてき影響えいきょう総量そうりょうを、メジャーデビューけた影響えいきょうしてしまっているようにおもうんです。

20歳の頃。

20さいころ

たとえば2010ねん、11ねんあたりに青山あおやま月見つきみくんそうフっていうライブハウスによく出入でいりしていたミュージシャン仲間なかまには、ソウルけいとかのブラックミュージックをきなひとたちがすごくおおくて。Namiotoさん、Hanah Springさん、長崎ながさきわれさん、いさおくらさんなど。その仲間なかまたちの演奏えんそうや、仲間なかまからすすめられていた音源おんげんからは多大ただい影響えいきょうけましたね。あと、ぼくが“音楽おんがく師匠ししょう”とんでいるピアニストの扇谷おうぎやけんじんさん。以前いぜん、ディズニー音楽おんがくのカバーアルバム(扇谷おうぎやけんじん大石おおいし昌良まさよし「プチカフェ ~ディズニー・バラード コレクションPLUS+~」)を一緒いっしょつくったりもしてるんですけど、かれからはジャズやミュージカルといったコンテンポラリーな音楽おんがくについておおくのことをまなび、Manhattan Jazz Quintetやビル・エヴァンスをくようになりました。

そういうソウルやジャズ、ミュージカルなどからの影響えいきょうって、ぼくのバンド時代じだい楽曲がっきょくにはあまりかんじられないかもしれないですけど、ソロデビュー以降いこう楽曲がっきょくにはけっこう色濃いろこているとおもうんですよ。プロになったあとでもあらたに影響えいきょうけることは全然ぜんぜんあるし、今後こんごもまだおおきな出会であいがあるかもしれないですよね。いつまでもびしろのある状態じょうたいでいられるというのはしあわせなことだなとおもいます。

「アニソンかいのおしゃべりクソメガネ」の目論見もくろみ

ちなみに「アニソンかいのおしゃべりクソメガネ」というキャッチフレーズは、記憶きおくしているかぎりでは2015ねんあたりから使つかはじめているとおもいます。よくわれるんですけど、品川しながわ庄司しょうじ品川しながわゆうさんが有吉ありよし弘行ひろゆきさんにけられたあだ「おしゃべりクソ野郎やろう」とはまったく無関係むかんけいでして。もちろんそのフレーズをぞんげてはいたんですけど、意識いしきてきにもじったわけではないんですよ。じつは。

メガネをトレードマークにしたアニソンシンガーとして活動かつどうしていくにあたって、「なに登場とうじょう口上こうじょうのようなものがあったほうがいいんじゃないか?」とおもうようになりまして。というのも……これはあまりはなしたことないんですけど、アルカラというぼく同期どうきのバンドがいまして、かれらにも「ロックかい奇行きこう」という口上こうじょうがあるんですよ。それがすごくキャッチーで、バンドのスタンスもわかりやすくていいなとおもっていたんですよね。実際じっさい、おかしなことばかりするバンドなので(笑)。

それにならってといますか、「クソメガネ」を自称じしょうすることでみなさんに「イジってもいいキャラですよ」というスタンスがつたわりやすくなりますし、「おしゃべり」というワードをれることで、ワンチャンMCぎょう司会しかいぎょうにもつながるんじゃないかという目論見もくろみもあったりして。実際じっさいいまはそういうお仕事しごともさせてもらってますしね。じつはけっこう計算けいさんされたキャッチフレーズなんです(笑)。

大石おおいし昌良まさよし / オーイシマサヨシ

愛媛えひめけん宇和島うわじま出身しゅっしんのシンガーソングライター。大学だいがく軽音楽けいおんがく仲間なかまである川原かわはら洋二ようじおき裕志ひろしとともに1999ねん結成けっせいしたSound Scheduleでボーカル&ギターを担当たんとうする。2006ねんにSound Scheduleが解散かいさんしたのち、2008ねんにシングル「ほのかてらす」でソロデビュー。2011ねんにはSound Scheduleのさい結成けっせいでも話題わだいんだ。またアニソンシンガー・オーイシマサヨシとして多数たすう人気にんきアニメの主題歌しゅだいか担当たんとうし、Tom-H@ckとのユニット・OxTとしても活動かつどうちゅう。2017ねん7がつにアニメ「けものフレンズ」オープニングテーマとして声優せいゆうユニット・どうぶつビスケッツ×PPPにろした「ようこそジャパリパークへ」がだいヒットを記録きろくし、のちに動画どうがサイトで公開こうかいされたオーイシがみずかうたったかりうた話題わだいんだ。最新さいしんさくは2023ねん3がつリリースのEP「ギフト」。同月どうげつ、ワンマンライブ「オーイシマサヨシ ワンマンライブ 2023」を兵庫ひょうご東京とうきょうおこなう。

オーイシマサヨシ ワンマンライブ 2023(※終了しゅうりょうぶん割愛かつあい

2023ねん3がつ25にち東京とうきょう TOKYO DOME CITY HALL

バックナンバー

この記事きじ画像がぞう音声おんせいぜん12けん

読者どくしゃ反応はんのう

014スタッフ @014014_staff

\インタビュー公開こうかい
音楽おんがくナタリー企画きかく
アーティストの音楽おんがく履歴りれきしょ
#オーイシマサヨシ が登場とうじょう🤓
https://t.co/StAPTUPH2z

どのように成長せいちょうしていまいたるのかおはなしさせていただいておりますので、ぜひチェックしてみてくださいね👀✨ https://t.co/ZVSQ36Y6Ec

コメントを(40けん

関連かんれん記事きじ

大石おおいし昌良まさよし / オーイシマサヨシのほかの記事きじ

リンク

あなたにおすすめの記事きじ

このページは株式会社かぶしきがいしゃナターシャ音楽おんがくナタリー編集へんしゅう作成さくせい配信はいしんしています。 大石おおいし昌良まさよし / オーイシマサヨシ / Sound Schedule / Alice / チェッカーズ / TUBE / 前田まえだわたるてる / KAN / LINDBERG / 影山かげやまヒロノブ / JUN SKY WALKER(S)最新さいしん情報じょうほうはリンクさきをごらんください。

音楽おんがくナタリーでは国内こくないアーティストを中心ちゅうしんとした最新さいしん音楽おんがくニュースを毎日まいにち配信はいしん!メジャーからインディーズまでリリース情報じょうほう、ライブレポート、番組ばんぐみ情報じょうほう、コラムなど幅広はばひろ情報じょうほうをおとどけします。