激務経て小豆島に子と移住した弁護士の奮闘 43歳から挑んだこと
(上)CAMPFIRE取締役・髙山亜希子 自分で自分を追い込んでいた過去…アスファルトの上しか歩けなかった都会っ子の一人娘と島に移住
- 髙山亜希子
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弁護士として約15年間働き、子育てと仕事の両立に奔走していた43歳のときに一人娘と移住を決意した髙山亜希子さん。3年間、小豆島で親戚が運営する観光ホテルの再建を手伝った。今までとは全く異なる場所、仕事、人…。弁護士として第一線で働くことから離れ、瀬戸内海に浮かぶ島の暮らしで見えてきたものとは?
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(下)弁護士→島に移住→「仕事はセーブ」のつもりがスタートアップ役員
激務な弁護士に。「夢中で働いた」
大学を卒業して3年後、司法試験に合格した髙山亜希子さん(50歳)。
「昔から山登りやマラソンのような、自分との戦いが好きなんです。司法浪人している間も、試験にチャレンジすること自体が楽しかったので、つらさよりわくわく感が勝っていました」
2001年に弁護士登録し、大阪の弁護士事務所に所属。主に金融に関する訴訟・紛争を担当した。弁護士になって驚いたのは、激務なことと想像以上に地味な文書起案業務が多いことだった。
「人に『ありがとう』と言ってもらえるような職に就きたいと思ってこの道に進みました。しかしクライアントから直接、感謝を伝えられる場面は少なくて。働き始めた頃は、『自分が世の中の役に立っているのだろうか』と、疑問に思っていました。
経験を重ねてからは、弁護士としてのやりがいは、結果を出して、クライアントと共に事件を『終わらせること』にあると分かりました。思い通りの結果ではなかったとしても、事件が結末を迎えたこと自体が次のステップに進むために重要なのです」
「仕事には完璧を求めるべきですが、終わらなければ意味がない。弁護士時代に、担当業務を最後までやり切ってから次の業務に取り掛かる、という自分なりの『仕事の型』を身に付けることができました」
38歳で第1子出産。子育てより仕事を選んだ
06年から2年間は関東財務局に出向し、金融商品取引業者への立入検査などを行う部門で証券検査官を務めた。弁護士事務所に戻った後は「金融関連の訴訟・紛争の専門家」として、クライアントから指名されるようになった。
そして38歳のとき、第1子を出産。1年間の産育休を取得後、髙山さんを悩ませたのは、仕事への向き合い方だ。弁護士の仕事は激務を極めていた。働く時間をセーブして子育てに集中すべきか否か……。同期の弁護士たちがバリバリ働いているのを見ると、仕事から距離を置くという選択肢は取れなかった。
「自分自身に実力がついたと実感できるようになった時期でもあり、どうしてもキャリアを捨てられなかったんです。仕事復帰後は夫や義父母、ベビーシッターなど、頼れるところには全部頼り、気が付いたら、出産前とほぼ同じくらいがむしゃらに働いていました」
一方、仕事でも転機を迎えていた。弁護士としてのキャリアを重ねる中で、自分の担当業務だけでなく、事務所全体の経営にも関わるようになったのだ。