元フジ田代尚子アナ「走り切った…」介護経て55歳で早期退職の訳
報道キャスターから47歳で国際開発局に異動。会社を辞めて書道家へ。「余白のある人生に憧れて」
大企業にいれば
一生安泰という
時代は
過ぎ
去りました。
企業側の
事情のみならず、
私たちの「
同じ
会社で
定年まで
働き
続けるのが
幸せ」という
価値観も
揺らぎ
始めています。
会社に
残るべきか、
去るべきか……40
代半ばを
過ぎ、
思い
切って「
会社を
去る」
決断をして
次の
一歩を
踏み
出した
女性たちに
話を
聞きます。
民放の局アナとして初めて女性1人で報道番組のメインキャスターを務めた田代尚子さん(58歳)。アナウンサーとして報道一筋を貫いていたが、47歳で国際開発局に異動。遠距離介護を乗り越えて、FNNプライムオンラインのチーフプロデューサーを務め、55歳で早期退職。現在は、書道家として活動するほか、新たなビジネスの道にも踏み出すという。会社を辞めたことは「120%正解だった」という田代さんの、決断の裏にあった思いとは?
編集部(以下、略) 女性アナウンサーがバラエティー番組に出るようになり、“アイドルアナ”も誕生した時代、田代さんは報道番組をメインに活動していた硬派な印象が強いですが、それはご自身の希望ですか?
田代尚子さん(以下、田代) 1つ上の先輩は河野景子さん、八木亜希子さんと皆さん華やかで、内定をもらったときから自分はアナウンサーに向いていないと思っていました。報道局に異動の希望を出していたら、入社2年目から週末の「FNNスーパータイム」を担当させてもらうことになったんです。
元フジテレビのアナウンサー、田代尚子さん。2022年3月に早期退職し、書道家として新しい一歩を踏み出した
「安藤優子の後任」としてキャスターに抜てき
―― 報道キャスターの仕事は充実していましたか?
田代 充実というか、とにかく一生懸命でしたね。カメラの前で伝えることに緊張はしないのですが、記者が取材をして積み上げた内容を、最終的に伝える役割に大きな責任を感じていました。自分もできるだけ下調べをして、現場に足を運んで情報を得ないと、納得できないタイプだったんです。
―― パリ支局、ニューヨーク支局などを経て、2000年4月には安藤優子さんの後任として34歳で「LIVEニュースJAPAN」のメインキャスターに就任しました。
田代 安藤キャスターの後任と言われ、プレッシャーは100倍でしたね。当時は深夜1時に番組が終わった後、反省会をして3時、4時に帰宅し、朝9時には記者クラブや裁判の傍聴に回っていました。人の集めた情報だけで本番に挑むより、そのほうが精神的には楽でしたから。報道番組を担当している15年間はずっとそんな生活が続きました。
入社以来、次々に報道番組を担当させていただき、ありがたい半面、阪神大震災、地下鉄サリン事件、米同時テロなど、想像をはるかに超える出来事を目の当たりにして、現実に起きていることと、画面を通して伝えられることのギャップに苦しみ続けていました。自分の言葉が誰かを傷つけていないか、間違った切り口で伝えていないかというストレスは常にありました。
―― 出産で番組を降板した後はすぐに復帰して、育児と両立しながらアナウンサーを続けていましたが、キャリアの転機はいつでしたか?
田代 47歳のときですね。突然、アナウンス室から国際開発局に異動になったんです。