かどばん大関おおぜき正代しょうだい(31=時津風ときつかぜ)が、小結こむすびだまわし(38=片男波かたおなみ)にけてしがまり、大関おおぜきからの陥落かんらくまった。これにより、11月30にちおこなわれる来年らいねん1がつ初場所はつばしょ(8にち初日しょにち東京とうきょう両国りょうこく国技こくぎかん)の番付ばんづけ編成へんせい会議かいぎまでに引退いんたいとうがなければ、どう場所ばしょ番付ばんづけ横綱よこづなあきら富士ふじ大関おおぜきたか景勝けいしょうの1横綱よこづな1大関おおぜきとなる。げん段階だんかい大関おおぜき候補こうほはおらず、1横綱よこづな1大関おおぜきとなれば、1898ねん1がつ春場所はるばしょ以来いらいで125ねんぶりの異常いじょう事態じたいとなってしまう。

正代しょうだいは20ねん秋場所あきばしょはつ優勝ゆうしょうたしたのちに、しん大関おおぜき昇進しょうしんした。関脇せきわけだった同年どうねん夏屋なつや場所ばしょは8しょうよく名古屋なごや場所ばしょは11しょう秋場所あきばしょは13しょうけい32しょうで、大関おおぜき昇進しょうしん目安めやすさんやくで3場所ばしょ33しょう」に1しょうとどかなかったが、秋場所あきばしょでの優勝ゆうしょうとなって昇進しょうしんした。

しかし、しん大関おおぜき場所ばしょとなった20ねん11月場所ばしょ途中とちゅう休場きゅうじょうして、21ねん1がつ初場所はつばしょでかどばんとなった。以降いこう優勝ゆうしょうあらそいどころか、安定あんていした成績せいせきのこすことができず、大関おおぜき昇進しょうしんしてから在位ざいい13場所ばしょでかどばんを5経験けいけんした。

10月に開催かいさいされた大関おおぜき昇進しょうしん披露宴ひろうえんでは、日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい八角はっかく理事りじちょうもと横綱よこづな北勝海ほくとうみ)から「正代しょうだいがその(大関おおぜきの)境地きょうちたっしているとはおもいません」などときびしい言葉ことばをかけられていた。それにたいし、場所ばしょまえに「そういうことをわれても仕方しかたがない成績せいせき。そういう意見いけんをちゃんとめて頑張がんばるしかない」と意気込いきごんでいたがちからおよばなかった。