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中道 (佛教) - 维基百科,自由的百科全书

中道ちゅうどう (佛教ぶっきょう)


上座かみざ佛教ぶっきょう

佛教ぶっきょう大綱たいこうえいOutline of Buddhism 佛教ぶっきょう主題しゅだい

中道ちゅうどう梵語ぼんごmadhyamā-mārgaあるともえとしmajjhimā paṭipadā梵語ぼんごmadhyamā-pratipad),佛教ぶっきょう術語じゅつごため釋迦牟尼しゃかむにてき核心かくしん教義きょうぎいち相對そうたいへん包括ほうかつ有無うむ苦樂くらく生滅しょうめつとう釋迦牟尼しゃかむにざい說法せっぽう主張しゅちょうおうとおはなれへんいたり於中どう[1]釋迦牟尼しゃかむにざい講述こうじゅつ中道ちゅうどう通常つうじょうあずか緣起えんぎじゅう緣起えんぎ連結れんけつざいいちおこりようらい闡明せんめい無我むがそらてき道理どうり

佛教ぶっきょう時期じきただ援引えんいんおもね含經てき內容,たい中道ちゅうどう思想しそうなみぼつゆうしんいち發展はってんちょくいた大乘だいじょう佛教ぶっきょう興起こうきざい般若はんにゃけい經典きょうてんあずかちゅうかん經典きょうてんちゅう中道ちゅうどう思想しそう開始かいしなりため理論りろん核心かくしん如來にょらいぞう學派がくはちゅう,以中どうため如來にょらいぞうてきだいしょういち

概論がいろん

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ざい梵文ぼんぶんちゅう,madhya形容詞けいようし中間ちゅうかんてき意思いしじょうさい高級こうきゅうmā,形成けいせいmadhyamā,ため最中さいちゅういたりちゅう。mārgaどう道路どうろ正確せいかく道路どうろてき意思いし。madhyamā-mārga解釋かいしゃくため最中さいちゅうあいだてき道路どうろ;另いち意思いしのりゆびざい路程ろていてき一半いっぱん道路どうろ中途ちゅうとじょう-ka,名詞めいし化成かせいため專用せんよう術語じゅつごこれ形成けいせいmadhyamāka。

梵語ぼんごpratipad意思いし道路どうろ行道ぎょうどうみちささえ正道せいどう。四聖諦中的苦滅道諦(ともえとしdukkhanirodhagāminī paṭipadā ariyasaccaṃ)就使ようりょう這個。 

根據こんきょあきらとし法師ほうし研究けんきゅうざいおもね含經ちゅうじょりょうよう形容けいよう道路どうろ中途ちゅうとそと中道なかみちゆう三種さんしゅ使用しよう方法ほうほう

  1. とう使用しよう於法討論とうろん中道なかどうあずか緣起えんぎじゅう緣起えんぎ一同いちどう出現しゅつげん,這さん概念がいねん緊密きんみつ相關そうかんいん此可しょうため緣起えんぎ中道ちゅうどう
  2. とう討論とうろん於實ぎわ修行しゅぎょう中道ちゅうどうあずかとおはなれらく兩邊りょうへん一同いちどう出現しゅつげんしょうため苦樂くらく中道ちゅうどう
  3. だい三種さんしゅ用法ようほうのり與八よはち正道せいどう一同いちどう出現しゅつげんいん此又しょうはち正道せいどう中道ちゅうどう

おもね含經てき中道ちゅうどうせつ

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緣起えんぎ中道ちゅうどう

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ざいざつおもね含經》ちゅう中道ちゅうどういち出現しゅつげんろくみやこただしよう於法討論とうろん包括ほうかつりょう

  • だい10かん〈262けい〉,提出ていしゅつゆう的中てきちゅうどう[2][3]。此經おもねがた講述こうじゅつ迦旃のべてき故事こじ原本げんぽんてき故事こじ出自しゅつじだい12かん〈301けい[1]。〈301けい〉、〈302けい同樣どうよう提出ていしゅつゆう中道ちゅうどう[4]
  • だい12かん〈297けい大空おおぞらほうけい提出ていしゅついちため中道ちゅうどう[5]。〈300けい提出ていしゅつつね不斷ふだんため中道ちゅうどう[6]

ざいざつおもね含經》ちゅう提出ていしゅつりょういちことつね不斷ふだんあずかゆうとう中道ちゅうどう概念がいねん中道ちゅうどう緣起えんぎじゅう二緣起是被連結在一起的,以被ためいちくみしょうどうてき概念がいねん

はなれ苦樂くらく中道なかみち與八よはち正道せいどう中道ちゅうどう

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ざいちゅうおもね含經ちゅう提出ていしゅつとおはなれよくらくあずか苦行くぎょう兩個りゃんこ極端きょくたん作為さくい修行しゅぎょうてき中道ちゅうどうなみ明確めいかく提出ていしゅつはち正道せいどうため修行しゅぎょうゆび引。

  • まき26〈求法ぐほうけい[7]
  • まき43〈かかわろう瘦無いさかいけい[8]
  • まき56〈晡利しなけいちゅう提出ていしゅつおうとおはなれ凡人ぼんじんちょ於欲らく,以及追求ついきゅう自我じがおりみがけ聖賢せいけんしょもとめてき行為こうい追求ついきゅう中道ちゅうどう,這個中道ちゅうどう,也就はち正道せいどう[9]。此段說法せっぽう相當そうとう於《ふんりつ[10]あずかみなみでん相應そうおう》《うたて法輪ほうりんけい[11]

佛教ぶっきょうてき發展はってん

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大乘だいじょう佛教ぶっきょうてき發展はってん

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だい般若はんにゃけい提出ていしゅつ中道ちゅうどうためろくひそかなかてきとしがく學習がくしゅう中道なかみちゆずるじん以遠いえんはなれ邊見へんみ[12]。《瑜伽ゆがろんみとめため學習がくしゅう中道ちゅうどう以使じんとおはなれ兩邊りょうへんてき邪見じゃけんやぶじょ戒禁[13]

龙树提出ていしゅつはち中道ちゅうどう

現代げんだい研究けんきゅう

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りょみとめためしたがえけいりつ記載きさいらい釋迦牟尼しゃかむにざい鹿野かのえんたい比丘びくくび說法せっぽうさきせつ中道ちゅうどうこれ講述こうじゅつはち正道せいどう最後さいございせつ四諦したい[14]

註釋ちゅうしゃく

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  1. ^ 1.0 1.1 ざつおもね含經》まき12〈301けい〉:「ふつつげ[とべ-ちょう+]陀迦旃延:「世間せけんゆうしゅわかゆうわかためところさわところさわあるゆうあるわか此取しゃ心境しんきょう繫著使じゅうけいせい而生,めつ而滅,於彼うたぐ不惑ふわくよし於他而自めいせいめい如來にょらいしょ施設しせつせい所以ゆえんしゃなに世間せけんしゅう如實にょじつせい知見ちけんわか世間せけんしゃゆう世間せけんめつ如實にょじつせい知見ちけんわか世間せけんゆうしゃゆうめいはなれへんせつ於中どう所謂いわゆる此有かれゆう,此起かれおこりいいえん無明むみょうぎょう乃至ないし純大じゅんだい聚集,明滅めいめつぎょうほろび乃至ないし純大じゅんだい聚滅。」」
  2. ^ ざつおもね含經》まき10〈262けい〉:「なんじおもね難語なんご闡陀ごと:「わがおやしたがえふつ聞,きょう訶迦旃延ごと:『世人せじん顛倒てんとうへんわかゆうわか世人せじんしょ境界きょうかいしん便びんけいちょ。迦旃のべわか受、じゅうけい於我,此苦せいせいめつめつ。迦旃のべ!於此うたぐ不惑ふわくよし於他而能めいせい如來にょらい所說しょせつ所以ゆえんしゃなに?迦旃のべ如實にょじつせい觀世かんぜあいだしゅうしゃのりなま世間せけん如實にょじつせい觀世かんぜあいだほろびのりなま世間せけんゆう。迦旃のべ如來にょらいはなれへんせつ於中どう所謂いわゆる此有かれゆう,此生かれせいいいえん無明むみょうゆうぎょう乃至ないしなまおいやめゆう、悲、惱、しゅう所謂いわゆる此無かれ,此滅かれほろびいい明滅めいめつ則行のりゆきほろび乃至ないしなまおいやめゆう、悲、惱、めつ。』」」
  3. ^ だい毘婆すなろん》:「とい何故なぜめいあたりみるこたえ此見二邊故名邊執見。いい於斷つねへんうたて。如契けいせつ。『迦多衍那わか以正とし如實にょじつ知見ちけん世間せけんしゅうしゃのり於世あいだため。』ためしゃそくだんいいかれ若見わかみ後身こうしんせい便びんさくねん如是にょぜ有情うじょう此生かれ必定ひつじょうだん。『わか以正とし如實にょじつ知見ちけん世間せけんめつしゃためゆう。』ためゆうしゃそく常見つねみいいかれ若見わかみしょ蘊界しょべつべつ相續そうぞく便びんさくねん如是にょぜ有情うじょう有生ゆうせいゆうめつ必定ひつじょう非常ひじょう
    ふく此見しょごく邊鄙へんぴあたりみるいいしょ外道げどうゆうわがやめため猥。きょうふくわがためだんためつね而非邊鄙へんぴ
    ふく此見しょごくあたりとおあたりみるいいしょ外道げどうゆうじつ。於無わがやめためあたりとおきょうふくわがためだんためつね而非あたりとお
    ふく此執二邊行相轉故名邊執見。いいだんつねぎょうしょうてん。如契けいせつ。『苾芻當知とうちわがあずか世間せけんいさかい。而世あいだあずかわがいさかい。』
    とい此經所說しょせつ其義うんなに尊者そんじゃともさく如是にょぜせつ世尊せそん定說ていせつゆう因果いんがゆえいいふつわかぐう常見つねみ外道げどうかれせつ諸法しょほうゆうはていん。以無いん自性じしょうつねゆう。『世尊せそんつげ曰。なんじげんゆうはてわがまたせつゆうなんじげんいん愚癡ぐちろん。』世尊せそんわかぐうだん外道げどうかれせつ諸法しょほうゆういんはて。以無はて當來とうらい斷滅だんめつ。『世尊せそんつげ曰。なんじげんゆういんわがまたせつゆうなんじげんはて愚癡ぐちろん。』ふつ於二論各許一邊離斷離常而說中道。さくせつ。『わがあずか世間せけんいさかい。而世あいだあずかわがいさかい。』ふく世尊せそん如法にょほうろんしゃしょ外道げどうとう是非ぜひ法論ほうろんしゃ如法にょほう論者ろんしゃほうしかいさかい法論ほうろんしゃほうしかゆういさかいふくふつ世俗せぞく隨順ずいじゅん世間せけんかれ勝義まさよし隨順ずいじゅんぼとけふく世尊せそんぜんだんいさかいゆえいさかいしゃいいあい及見。ほとけやめえいだんせついさかい世間せけんだんせつゆういさかい
    大德だいとくせつ曰。世尊せそん如理ろんしゃしょ外道げどうとう是非ぜひ理論りろんしゃ。如理論者ろんしゃほうしかいさかい理論りろんしゃほうしかゆういさかい如馬わたるけんゆうていのぼるわかゆうたいらぎょういっふくふつ義見よしみほうぜん調ちょうやわしゃせついさかい世間せけんなんじせつゆういさかい。」
  4. ^ ざつおもね含經》まき12〈302けい〉:「ふつつげ迦葉:『わか受即受者,わがおうせつ自作じさくわか受他そく受者,是則これのりさくわか受自受他受,ふくあずかしゃ如是にょぜしゃ自他じたさくわがまたせつわかいん自他じたいん而生しゃわがまたせつはなれ此諸あたりせつ其中どう如來にょらい說法せっぽう,此有かれゆう,此起かれおこりいいえん無明むみょうぎょう乃至ないし純大じゅんだい聚集,明滅めいめつ則行のりゆきほろび乃至ないし純大じゅんだい聚滅。』」
  5. ^ ざつおもね含經》まき12〈297けい〉:「えんせい老死ろうししゃわかゆうといごと:『かれだれ老死ろうし老死ろうしぞくだれ?』かれそくこたえごと:『わがそく老死ろうしこん老死ろうしぞくわが老死ろうし。』しょげん:『いのちそく。』あるげん:『いのちこと。』此則いち,而說ゆう種種しゅじゅ若見わかみげん:『いのちそく。』かれ梵行しゃしょゆうわかふくげん:『いのちこと。』梵行しゃしょゆう。於此へんしんしょ不隨ふずいせいこう中道ちゅうどうけんせい出世しゅっせ如實にょじつ顛倒てんとうせいいいえんせい老死ろうし如是にょぜせいゆうあい受、さわろくにゅうしょ名色なしき、識、くだりえん無明むみょうゆうぎょうわかふくといごと:『だれこれぎょうくだりぞくだれ?』かれそくこたえごと:『くだりそくわがぎょうしょ。』かれ如是にょぜ:『いのちそく。』あるげん:『いのちこと。』かれいのちそくしゃ,梵行しゃゆうあるげんいのちことしゃ,梵行しゃまたゆうはなれへんせいこう中道ちゅうどうけんせい出世しゅっせ如實にょじつ顛倒てんとうせい見所みどころ所謂いわゆるえん無明むみょうぎょう。」
  6. ^ ざつおもね含經》まき12〈300けい〉:「ふつつげ婆羅門ばらもん:『自作じさく自覺じかくそく墮常さくさとしのり墮斷せつほうせつはなれへんしょ於中どう而說ほう所謂いわゆる此有かれゆう,此起かれおこりえん無明むみょうぎょう乃至ないし純大じゅんだい聚集,明滅めいめつ則行のりゆきほろび乃至ないし純大じゅんだい聚滅。』」
  7. ^ ちゅうおもね含經まき26〈88けい·けがれひん求法ぐほうけい〉:「尊者そんじゃしゃ梨子なしごふくつげしょ比丘びく:『諸賢しょけんゆう中道ちゅうどうのう得心とくしんじゅうとくていとくらく順法じゅんぽうほうとくどおりとくさとしまたとく涅槃ねはん諸賢しょけんうんなんゆう中道ちゅうどうのう得心とくしんじゅうとくていとくらく順法じゅんぽうほうとくどおりとくさとしまたとく涅槃ねはん諸賢しょけんねんよくあく惡念あくねんほしまたあくかれ斷念だんねんよくまただん惡念あくねんよく如是にょぜ恚、怨結、慳嫉、欺誑、諛諂、慚、愧、慢、最上もがみ慢、みつぎだか放逸ほういつごうたかにくいさかい諸賢しょけんむさぼまたあくしるまたあくかれだんむさぼまただんちょ諸賢しょけんいい中道ちゅうどうのう得心とくしんじゅうとくていとくらく順法じゅんぽうほうとくどおりとくさとしまたとく涅槃ねはん諸賢しょけんふくゆう中道ちゅうどうのう得心とくしんじゅうとくていとくらく順法じゅんぽうほうとくどおりとくさとしまたとく涅槃ねはん諸賢しょけんうんなんふくゆう中道ちゅうどうのう得心とくしんじゅうとくていとくらく順法じゅんぽうほうとくどおりとくさとしまたとく涅槃ねはんいいはちささえせいみちせい乃至ないしせいじょうためはち諸賢しょけんいいふくゆう中道ちゅうどうのう得心とくしんじゅうとくていとくらく順法じゅんぽうほうとくどおりとくさとしまたとく涅槃ねはん。』」
  8. ^ ちゅうおもね含經まき43〈169けい·根本こんぽん分別ふんべつひん晡利しなけい〉:「ふつごと:『莫求ほしらくきょく賤業せんぎょうため凡夫ぼんぷぎょうまた莫求自身じしん苦行くぎょういたりひじりこう相應そうおうはなれへんのりゆう中道ちゅうどうなりなりさとし自在じざいなりじょうおもむきさとしおもむきさとしおもむき涅槃ねはん。』」
    はなれへんのりゆう中道ちゅうどうなりなりさとし自在じざいなりじょうおもむきさとしおもむきさとしおもむき涅槃ねはんしゃ。此何いんせつゆうひじり道八どうはちささえせい乃至ないしせいじょういいためはちはなれへんのりゆう中道ちゅうどうなりなりさとし自在じざいなりじょうおもむきさとしおもむきさとしおもむき涅槃ねはんしゃいん此故せつゆうたたえゆうそし有無うむたたえそし而為說法せっぽうしゃ。」
    うんなんゆういさかいほううんなんいさかいほうわかよく相應そうおうあずか喜樂きらく俱,きょく賤業せんぎょうため凡夫ぼんぷぎょう,此法ゆういさかい。以何とう此法ゆういさかい?此法ゆうゆうはんゆうねつゆうゆう慼邪ぎょう法則ほうそくゆういさかい也。わか自身じしん苦行くぎょういたりひじりこう相應そうおう,此法ゆういさかい。以何とう此法ゆういさかい?此法ゆうゆうはんゆうねつゆうゆう慼邪ぎょう法則ほうそくゆういさかい也。はなれへんのりゆう中道ちゅうどうなりなりさとし自在じざいなりじょうおもむきさとしおもむきさとしおもむき涅槃ねはん,此法いさかい。以何とう此法いさかい?此法はん無熱むねつゆう慼正ぎょう法則ほうそくいさかい也。」
  9. ^ ちゅうおもね含經まき56〈204けい·晡利しなけい〉:「わが於爾そくつげかれ曰:『比丘びく當知とうちゆうへんぎょうしょため道者どうしゃしょ不當ふとうがく:一曰著欲樂下賤業,凡人ぼんじん所行しょぎょう;二曰自煩自苦,けんせい求法ぐほう相應そうおう比丘びく!捨此へんゆう中道ちゅうどうなる明成めいせいさとし成就じょうじゅ於定,而得自在じざいおもむきさとしおもむきさとしおもむき涅槃ねはんいいはち正道せいどうせい乃至ないしせいじょういいためはち。』」
  10. ^ ふんりつ》:「ふつふくつげ曰。ゆうへんおう親近しんきん。一者貪著愛欲說欲無過。二者邪見苦形無有道跡。捨此へん便びんとく中道ちゅうどうなま智明ともあきさとしこう於泥洹。なにいい中道ちゅうどう所謂いわゆるはちせいせいせいおもえせい正業せいぎょうせいいのち正方せいほう便びん正念しょうねんせいじょうため中道ちゅうどう。」
  11. ^ 相應そうおうだい56相應そうおう11けいうたて法輪ほうりんけい》:「比丘びく們!ゆう兩個りゃんこ極端きょくたん出家しゅっけじんおう親近しんきん,哪兩個りゃんこ呢?這在ほっじょうほしらくてき實行じっこう下劣げれつてきぞくてき一般人いっぱんじんてき聖者せいじゃてき無益むえきてき,以及這自わがおりすりてき實行じっこうてき聖者せいじゃてき無益むえきてき比丘びく們!往這兩個りゃんこ極端きょくたんゆう如來にょらいげん正覺しょうがくさくさくさとししるべこう寂靜じゃくじょうあかしさとし正覺しょうがく涅槃ねはんてき中道ちゅうどう比丘びく們!ただし什麼いんも如來にょらいげん正覺しょうがくさくさくさとししるべこう寂靜じゃくじょうあかしさとし正覺しょうがく涅槃ねはんてき中道ちゅうどう呢?就是這八ささえせいみちそくせいせいこころざしせい正業せいぎょうせいいのちせい精進しょうじん正念しょうねんせいじょう。」
  12. ^ だい般若はんにゃ波羅蜜はらみつけいまき568:「ためちょしゃせつ無我むがどうためちょほうしゃ說法せっぽうそらどうちょへんしゃためせつ中道ちゅうどうため迷亂しゃせつ止觀しかんどうれい迷亂,ためおどけ論者ろんしゃせつ真如しんにょどうれいおどけろんちょせい死者ししゃせつ涅槃ねはんどうれい出世間しゅっせけんため迷塗しゃせつ正直しょうじきどうれいとおよこしま天王てんのうめいしょ菩薩ぼさつ訶薩ぎょうふか般若はんにゃ波羅蜜はらみつよこしま正路まさじ,獎導有情うじょうれいとく出離しゅつり。」
  13. ^ 瑜伽ゆがろんまき45:「わかしょ有情うじょうおさむ苦行くぎょう精勤せいきんたゆおこりよこしま方便ほうべん欲求よっきゅう解脫げだつためせつ中道ちゅうどうれいはなれへん使其趣いれ。」
  14. ^ りょ澂《印度いんどふつがく源流げんりゅうりゃくろんだいいちこう原始げんし佛教ぶっきょう〉:「釋迦しゃかはつてん法輪ほうりん相傳そうでんざいなみ奈斯てき鹿野かのえんたいてき弟子でしこうてきしたがえ現有げんゆうけいりつちゅう研究けんきゅう釋迦しゃかいち開始かいし就講四諦したい,而是くびさきこうりょういちばん中道ちゅうどう。這是符合ふごう事實じじつてきよしためはららいずいさむらいてき這五個人こじん拋棄りょう苦行くぎょうかんじいた失望しつぼうざいはなれてき釋迦しゃか最初さいしょたい宣揚せんよう理論りろんおうさき批評ひひょうりょう苦行くぎょう其他學派がくはてき主張しゅちょう提出ていしゅつ自己じこらくてき中道ちゅうどう學說がくせつらい證明しょうめい苦行くぎょう是正ぜせいどうただゆう中道ちゅうどうざい合理ごうりよし而講りょうはち正道せいどうにんせつふくりょうしかこうせんこう四諦したい。」

外部がいぶ連結れんけつ

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