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王舍城結集 - 维基百科,自由的百科全书

おうしゃじょう結集けっしゅう

重定しげさだこうおうしゃじょう集結しゅうけつ

初期しょき佛教ぶっきょう
佛教ぶっきょう大綱たいこうえいOutline of Buddhism 佛教ぶっきょうぬし

ひゃく结集,也通稱つうしょうためおうしゃじょう结集だいいち结集,“結集けっしゅうある集結しゅうけつゆびそうとぎしゅう會合かいごう經典きょうてん佛陀ぶっだ釋迦牟尼しゃかむに涅槃ねはん荼毘だびはちおうぶん舍利しゃりだい迦葉尊者そんじゃりつひゃく阿羅漢あらかんいたりおうしゃじょうすわあめ安居あんきょ,于おもね闍世おうざいおうしゃじょう[1]毘婆羅山らざん[2]がわななようくつえいSaptaparni Cave[3]ぜんきょうけんてき講堂こうどう[4]僧團そうだん舉行りょうだいいち結集けっしゅう活動かつどうため佛教ぶっきょうけいりつてき起源きげん

佛教ぶっきょう各部かくぶ經典きょうてん記載きさいりょう此次結集けっしゅう活動かつどうただし敍述じょじゅつ多少たしょうゆう出入でいり

佛滅ぶつめつ

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赤銅しゃくどう鍱部長部おさべ·だい般涅槃經法藏ほうぞうながおもね含經·遊行ゆぎょうけい記載きさい釋迦牟尼しゃかむに佛陀ぶっだはちじゅうさい[5],於毗舍离城すわあめ安居あんきょ[6]宣布せんぷはたざいさん個月かげつ佛滅ぶつめつ涅槃ねはん涅槃ねはん入滅にゅうめつ[7]こうかかわしかばねしろ附近ふきんてき娑羅雙樹さらそうじゅあいだ涅槃ねはんだい迦葉尊者そんじゃ佛滅ぶつめつ七日なのかざいしたがえなみばばしろPāvāいたり此的路上ろじょう聞知ぶんち此事[8]趕到主持しゅうもちりょう荼毘だび

しょ律藏りつぞう記載きさいいんゆう比丘びくごとざい佛陀ぶっだ入滅にゅうめつこれ僧侶そうりょ們就かかわたば[9]だい迦葉尊者そんじゃ發起ほっきりょうだいいち結集けっしゅうせつ一切いっさいゆうだい毘婆すなろんざい解說かいせつ十二分じゅうにぶんきょうなかたとえところゆびしょう律藏りつぞう記載きさいゆうだい涅槃ねはんたとえ喻》[10],《根本こんぽんせつ一切有部毘奈耶雜事ざいあずか其他だい般涅槃經》相當そうとうてきだい涅槃ねはんたとえ喻》[11]こうれんぬき記述きじゅつりょうひゃく結集けっしゅう[12]ほうあらわわけ[13]だい般涅槃經》以佛陀在毘舍はなれしろ決定けっていはたにゅう般涅槃為おこりはじめ輯錄此前ふつざいおうしゃじょうこう七不退法等事,結尾けつびしょひさげ及了おうしゃじょう結集けっしゅう[14]

結集けっしゅう內容

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律藏りつぞう

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現存げんそん律藏りつぞうゆういち个犍章節しょうせつ),記載きさいりょうだい迦葉尊者そんじゃれつ上座かみざいち[15]组织這次あい誦的詳細しょうさい過程かていだい迦葉尊者そんじゃひさげといせい戒因えんゆうはなれ尊者そんじゃ回答かいとう誦出なみひさげまたひゃく阿羅漢あらかん尊者そんじゃ共同きょうどう認證にんしょう正確せいかくあやまよし此合誦形成けいせいりょう律藏りつぞう

經藏きょうぞう

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ゆかりだい迦葉尊者そんじゃさきひさげとえおもね尊者そんじゃ回答かいとう問題もんだい誦出佛陀ぶっだ所說しょせつしょけいひゃく阿羅漢あらかん尊者そんじゃ共同きょうどう認證にんしょう正確せいかくあやまよし此合誦形成けいせいりょう经藏經文きょうもんくびみなかんむり以“如是にょぜ我聞がもんそくゆびおもねなん尊者そんじゃしょ聞。

論藏ろんぞう

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上座かみざ佛教ぶっきょうみとめため論藏ろんぞうおもね達磨だるまこれふつもちいさら深入ふかいりさら仔細しさいさら精確せいかくてき方法ほうほう說明せつめい佛法ぶっぽう論藏ろんぞうちゅう包含ほうがんりょう四種有關於生命終極的究竟法(真實しんじつほう),そくしんほうしんしょほういろほう涅槃ねはんほう以及よししんほうしんしょほう想像そうぞう定義ていぎ出來できてき概念がいねんほう

ともえとし律藏りつぞう小品しょうひんひゃく結集けっしゅう〕犍度記載きさい佛教ぶっきょうだいいち結集けっしゅう就有結集けっしゅう包含ほうがん論藏ろんぞうおもね達磨だるまざい內的ともえとし三藏さんぞう[16],《ともえとし律藏りつぞう附隨ふずいだい3かん記載きさい釋迦牟尼しゃかむにほとけせんせつりょう包含ほうがん論藏ろんぞうおもね達磨だるまざい內的ともえとし三藏さんぞう[17]上座かみざ中部ちゅうぶ32けい中部ちゅうぶ69けい長部おさべ34けいぞう支部しぶ3しゅう141けいぞう支部しぶ3しゅう142けいぞう支部しぶ3しゅう143けいぞう支部しぶ6しゅう60けいぞう支部しぶ10しゅう98けい說明せつめいふつ在世ざいせい佛教ぶっきょう就有おもね達磨だるまぞうほんなまけいだい1かん記載きさい釋迦牟尼しゃかむにほとけざい前世ぜんせいかえこれ菩薩ぼさつどき曾經追隨ついずい憍陳如佛どるすなほとけ迦葉ほとけ出家しゅっけ學習がくしゅう包含ほうがん論藏ろんぞうおもね達磨だるまざい內的三藏さんぞう菩薩ぼさつ成佛じょうぶつだい四七日後花了七天在菩提樹之西北方的「たからこれ思考しこう論藏ろんぞうおもね達磨だるまてき內容[18],《ほうけい故事こじしゅう記載きさいぼとけはた論藏ろんぞうおもね達磨だるまつてきゅう舍利しゃりどるなみ指示しじ舍利しゃりどるはた論藏ろんぞうおもね達磨だるまつてきゅう其他弟子でし[19]

かんでん佛教ぶっきょう訶僧祇律しょうおもね毘曇しゃきゅうけい[20]きゅうけいそくきゅうほう九分くぶきょう[21]無比むひ佛法ぶっぽう相對そうたい於世あいだほう而言。《ふんりつぼつゆうひさげおもね達磨だるまぞう,《よんふんりつひさげ及的おもね達磨だるまぞう對應たいおう舍利しゃりどるおもね毘曇ろん[22],《じゅう誦律ひさげ及的おもね達磨だるまぞう[23]對應たいおうほう蘊論[24]ばんてき根本こんぽんせつ一切有部毘奈耶雜事こえたたえだい迦葉尊者そんじゃ誦出本母ほのぶ[25]形成けいせいおもね達磨だるまぞう[26]

しょうしょう問題もんだい

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上座かみざしょ律藏りつぞう记载,おもねなん尊者そんじゃとう眾宣ぬのりょう佛陀ぶっだ遗命:「おもねなん自今じこんはじめ。聽諸比丘びく捨小しょう戒。」[27]訶僧祇律記載きさいおもねなん尊者そんじゃぼつゆう佛陀ぶっだ囑託しょくたくざいふつ陀臨涅槃ねはんどき請求せいきゅう佛陀ぶっだためしょ比丘びく捨小しょう[28]所有しょゆう律藏りつぞう一致いっち記載きさいゆかり於阿なん尊者そんじゃこう佛陀ぶっだといあかり甚麼いんも戒算しょうしょうもろ長老ちょうろうかくゆう闡述,なみ無法むほう達成たっせい一致いっちだい迦葉尊者そんじゃいん而公佈了さんじょう制限せいげん」,ひゃく阿羅漢あらかん長老ちょうろう一致いっち同意どうい遵守じゅんしゅさんじょう制限せいげん[29]

  1. わかふつしょせいおう妄制。
  2. わかやめせいとくゆうたがえ
  3. 如佛しょきょうおう謹學

おもねなん尊者そんじゃだい迦葉尊者そんじゃ指摘してきはん多項たこう突吉つみじゅうさんしゅえつ毘尼つみいち),おもねなん尊者そんじゃためりょう僧團そうだんてき諧,ざい公開こうかい懺悔ざんげ[30]開始かいし誦戒。《ともえとし律藏りつぞう》、《よんふんりつかずふんりつ記載きさいとみらん長老ちょうろう此時ただしざい南方なんぽうゆうせつ南山なんざん”)遊行ゆぎょう聽聞ちょうもん結集けっしゅうりつりょうひゃく比丘びくぜん來集らいしゅうかい[31]。趕到かい誦已畢,提出ていしゅつりょうななこう[32]あるはちこう[33]佛陀ぶっだ曾經允許いんきょてき事情じじょうただしだい迦葉尊者そんじゃぼつゆう採納さいのうとみらん長老ちょうろうてき意見いけんいん而被此次結集けっしゅう誦出てき戒律かいりつしょ禁止きんし

经藏分部わけべ

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佛教ぶっきょうけいりつ分別ふんべつ誦,ざい各部かくぶ律藏りつぞうてきひゃく結集けっしゅう記載きさいちゅう象徵しょうちょうせいてきひさげ及了經藏きょうぞうちゅう個別こべつ經典きょうてん名稱めいしょう

上座かみざ佛教ぶっきょうともえとし經藏きょうぞうぶんためため长部》、《中部ちゅうぶ》、《あい应部》、《ぞう支部しぶ》、《小部こべ》。

かんでん佛教ぶっきょうじゅう誦律[34]ぼつゆうひさげ經藏きょうぞう分部わけべ情況じょうきょう,《訶僧祇律》、《よんふんりつ》、《ふんりつかず根本こんぽんせつ一切有部毘奈耶雜事さら詳細しょうさい記載きさいりょう经藏ぶんためよんおもね含經かずざつぞう》及其內容がいじゅつ

訶僧祇律 わたるすなふさがふんりつ よんふんりつ 根本こんぽんせつ一切有部毘奈耶雜事
なが 文句もんく長者ちょうじゃしゅうためちょうおもね含。 此是ちょうけいいましゅうため一部いちぶめいちょうおもね含。 かれそくしゅう一切いっさいちょうけいためちょうおもね含。 わかけい長長ながながせつしゃ,此即めいためちょうおもねきゅう
なか 文句もんくちゅうしゃしゅうためちゅうおもね含。 此是ながたんいましゅうため一部いちぶめいためちゅうおもね含。 一切いっさいちゅうためちゅうおもね含。 わかけいちゅうちゅうせつしゃ,此即めいためちゅうおもねきゅう
ざつ 文句もんくざつしゃしゅうためざつおもね含,所謂いわゆるざつちからざつさとしざつみちざつ如是にょぜとうめいためざつ 此是ざつせつため比丘びく比丘尼びくにゆうばばふさがゆうばばえびす天子てんし天女てんにょせついましゅうため一部いちぶめいざつおもね含。 ざつ比丘びく比丘尼びくにゆうばばふさがゆうばばわたししょてんざつ帝釋たいしゃくざつざつ梵王,しゅうためざつおもね含。 わかけいあずかとぎほか[35]相應そうおうしゃ,此即めいため相應そうおうおもねきゅう(きゅううんざつしゃ義也よしや)。
增一ますいち いちぞうぞうさんぞう乃至ないしひゃくぞう[36]ずい其數るいしょうしたがえしゅうためぞういちおもね含。 此是したがえ一法いっぽうぞういたりじゅう一法いっぽういましゅうため一部いちぶめいぞういちおもね含。 したがえ一事いちじいたりじゅうことしたがえじゅうこといたりじゅう一事いちじためぞういち わかけいせついちごと、二句事乃至十句事者,此即めいためぞういちおもねきゅう
ざつぞう ざつぞうしゃ所謂いわゆる辟支ふつ阿羅漢あらかん自說じせつほんぎょう因緣いんねん如是にょぜ等比とうひしょ誦,めいざつぞう[37] 自餘じよざつせついましゅうため一部いちぶめいためざつぞう[38] 如是にょぜなまけいほんけいぜん因緣いんねんけいほうひとしけい未曾有みぞうけいたとえ喻經ゆうばばひさげしゃけい義經よしつねほうけいなみのべけいざつなんけいせいけい如是にょぜしゅうためざつぞう [39]

よんおもね含經てき次序じじょためちょうなかざつ增一ますいちざいばんてき根本こんぽんせつ一切有部毘奈耶雜事ちゅう次序じじょためざつちょうなか增一ますいちざいぼつゆうざつぞうてき如說一切いっさいゆうちゅういちほんなまけいたとえ喻經编在律藏りつぞうちゅう,一些偈頌經如《ほうけい單獨たんどく流通りゅうつうゆう时谈到“四阿あずまや含”,就代表だいひょうせい个的经藏。

經藏きょうぞう後來こうらい编纂なり书,みなみでん佛教ぶっきょうしょうためあま柯耶かんやくおもね含經そくらいいくちょうおもね含是法藏ほうぞう所屬しょぞくちゅうおもね含與ざつおもね含是せつ一切いっさいゆう所傳しょでんぞう一阿含所屬部派不明。おもね含經あずかあま柯耶ざい內容じょうゆう差異さいだい一次結集的用語是俗語,一般認為是第一次結集所在地的揭陀みなみでん佛教ぶっきょうみとめため這就ともえとし古人こじんすべしょう印度いんどげんため梵語ぼんご確定かくてい根本こんぽんせつ一切いっさいゆうてき用語ようご雅語がごそく現在げんざいしょしょうてき古典こてん梵語ぼんご結集けっしゅう就是あい誦、三藏さんぞうこうみみ相傳そうでん所有しょゆう現存げんそん三藏經典都是經過三次結集之後才形成文字記錄的。

ゆうせきてき結集けっしゅう記載きさい

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せき佛滅ぶつめつこれだいいち結集けっしゅうじょりょう各個かっこ律藏りつぞう記載きさいてきおうしゃじょう結集けっしゅうそとかえゆう其他らいげんてきゆうせき結集けっしゅう傳說でんせつただし這種傳說でんせつすんでぼつゆうしょ結集けっしゅうてき具體ぐたい佛教ぶっきょう經典きょうてんらい證明しょうめい,也沒ゆう認定にんていため傳承でんしょう根源こんげん

だい眾部結集けっしゅう傳說でんせつ

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だいから西域せいいき記載きさいりょうせきだい眾部結集けっしゅうてき傳說でんせつ無法むほう參與さんよだいいち結集けっしゅうてきだい眾,ざい距此十餘里處發起了數百千人大結集,いん參與さんよしゃこう泛而たたえだい眾部結集けっしゅう[40]

界外かいげ結集けっしゅう傳說でんせつ

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さんろんげんよし記載きさいばばなみ尊者そんじゃざいだいいち結集けっしゅうまと界外かいげ發起ほっきりょうだい眾部まんにんだい結集けっしゅうたたえため界外かいげ結集けっしゅう[41]。此傳聞でんぶんよりどころ後世こうせい記載きさいゆうまんにん參與さんよただし當時とうじ佛陀ぶっだてき僧團そうだんじんただゆういちせんりょうひゃくじん比丘びくいちてきなみしめなみともえ利文としふみ:Vappa),やめしょうとくよんはて羅漢らかん上座かみざ尊者そんじゃいん而非だい眾部。《さんろんげんよしひさげいたてき教授きょうじゅだい眾部しゅう结的ばば可能かのう人名じんめい翻譯ほんやくじょうてき誤差ごさ而是另有其人。

かかわしかばね結集けっしゅう傳說でんせつ

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かんやくふつ般泥洹經かず般泥洹經記載きさいりょう極少きょくしょうひとひさげ[42]てきかかわしかばね結集けっしゅう傳說でんせつ佛陀ぶっだ涅槃ねはん荼毘だびはちおうぶん舍利しゃりきゅうじゅうてんざいかかわしかばねおさむけんてき窣堵つくりてき精舍しょうじゃ舉行りょうくび四阿あずまや含經結集けっしゅう[43],其最獨特どくとくしょ記載きさい當時とうじ就將四阿あずまや含寫ためかいけい[44]

學界がっかい考證こうしょうあずか質疑しつぎ

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にわか國學こくがくしゃ米納よない耶夫(D.P. Minayeff)これ最早もはやたいおうしゃじょう集結しゅうけつてき史實しじつせい提出ていしゅつ質疑しつぎてき學者がくしゃ,於1887ねん出版しゅっぱんてき論文ろんぶんちゅうみとめためざい長部おさべ·だい般涅槃經》ちゅうぼつゆうひさげ及王しゃじょう集結しゅうけつあし證明しょうめい這是後人こうじん附會ふかいてき傳說でんせつ主要しゅようためりょう提供ていきょうらいげんてきもたれせい[45]ずいとくこくてき赫曼·おうとう(Hermann Oldenberg)みとめため此次結集けっしゅうぼつゆう歷史れきし依據いきょただし也認ため長部おさべ·だい般涅槃經》編者へんしゃただ不知ふちどうおうしゃじょう結集けっしゅう[46]いん而不充分じゅうぶんてき證據しょうこ日本にっぽん學者がくしゃ塚本つかもとあきらさち於1966ねん初期しょき佛教ぶっきょう教團きょうだん研究けんきゅうちゅう,引據很多かんやく資料しりょう以及許多きょたしんてき證據しょうこみとめためざい議題ぎだいじょうてき爭論そうろん,仍然ぼつゆういた良好りょうこうてき解答かいとう[47]

佛教ぶっきょう研究けんきゅう学者がくしゃとく别是日本にっぽんふつがく以及しるし順法じゅんぽうとうみとめため佛教ぶっきょうけいりつ典籍てんせきおう該是經過けいか一段時期不停的整理與結集才形成現有規模,现存てき四阿含經與律藏不能單一溯源到王舍城結集。傳統でんとう意見いけんみとめため現存げんそんけいりつ全部ぜんぶざいおうしゃじょう結集けっしゅうちゅう完成かんせい[48]なみざい各自かくじ傳承でんしょうちゅうぼつゆうにんなん增減ぞうげん改變かいへんてきほう於簡造成ぞうせい佛教ぶっきょう各部かくぶあいだてきいいいさかいろん[49],及來きょう外的がいてき指摘してき質疑しつぎ牛津うしづ大學だいがくRichard Gombrichきょう授以《長部おさべ33けい舍利しゃりどるりょうしるべ結集けっしゅうためれい指出さしでふつ在世ざいせい開始かいし結集けっしゅう保存ほぞん教法きょうほう[50][51]

まいり

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註釋ちゅうしゃくあずか引用いんよう

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  1. ^ よんふんりつ》:だい迦葉そくさくしろ大德だいとくそう聽。此諸比丘びくためそうしょ若僧わかぞういたそうにん聽。そうこんおうしゃじょうしゅうども論法ろんぽう毘尼。
    ふんりつ》:迦葉そく聽。於是迦葉さくねんなに許多きょたゆう飲食いんしょくゆか坐臥ざがとく以資きゅうしゅうあまただおうしゃじょうあし以資きゅう便びん於僧ちゅう唱言。此中ひゃく阿羅漢あらかんおうおうしゃじょう安居あんきょ餘人よにんいちさくせいやめ五百羅漢ごひゃくらかんいたりおうしゃじょう
    ともえとし律藏りつぞう》:ときことぶき訶迦つげそうとぎげん:「しょ大德だいとく!請聽わがげん若僧わかぞうとぎじゅくそうとぎせん此五ひゃく比丘びく,於おうしゃじょうじゅう安居あんきょ而令結集けっしゅうほうあずかりつれいあまりしょ比丘びく於王しゃじょうじゅう安居あんきょ表白ひょうはく。……ことぶき聽……了知りょうち。」しょ長老ちょうろう比丘びくため結集けっしゅうほうあずかりつ,往王しゃじょう
    じゅう誦律》:訶迦安居あんきょいたともひゃく比丘びくおうしゃじょう安居あんきょ訶迦きよしだんちょころもばちにゅうおうしゃじょう教化きょうか諸人もろびともち飲食いんしょく供養くようしゅう法人ほうじんきょうやめ訶迦くだり乞食こじきしょく竟。出城でしろかえいたり精舍しょうじゃ。以是因緣いんねんしゅうそう
  2. ^ 毘尼ははけい》:迦葉於王しゃじょう耆闍崛山竹林たけばやし精舍しょうじゃしゅうひゃくだい阿羅漢あらかんげん。……わがとうおうとう聚集結集けっしゅう經藏きょうぞう使ほうぜっしょ羅漢らかんこたえごととうしゅう經藏きょうぞう須於阿なん。迦葉こたえごとおもねなんゆいつきうんなんとくざい此眾。しょ羅漢らかんごとところはい忘處おうとうとい。迦葉ごとわかなんじしゃとうさくもとめ聽羯すり使にゅうそうちゅう。五百僧坐已。けいしゅうため三藏さんぞう
    高僧こうそうほうあらわでん》:したがえ此西ぎょう一由延到王舍新城。新城しんじょうしゃおもね闍世おうしょづくり中有ちゅううそう伽藍がらん。……出城でしろみなみ四里南向入谷至五山裏。五山ごさん周圍しゅういじょうわか城郭じょうかくそく蓱沙おうきゅうしろ。……入谷いりや搏山東南とうなんじょうじゅういた耆闍崛山。……かえこう新城しんじょうきゅう城北しろきたくだりさんひゃくあまり步道ほどう西にし迦蘭陀竹えん精舍しょうじゃいま現在げんざい。……搏南山西さんせいゆきさんひゃくゆういち石室いしむろめいまろうどくつふつ食後しょくごつね於此坐禪ざぜんまた西行さいぎょう五六里山北陰中有一石室名くるまみかどふつどろ洹後ひゃく阿羅漢あらかん結集けっしゅうけいしょ。……きゅう城北しろきた東下ひがししも三里さんりゆう調達ちょうたつ石窟せっくつはなれ此五じゅうゆう大方おおがた黑石くろいしくつむかしゆう比丘びくざいうえけいぎょう思惟しい無常むじょうそらとく不淨ふじょうかんいや患是そく捉刀よく自殺じさつ
    だいから西域せいいき》:うえちがや宮城みやぎ揭陀こく正中せいちゅう先君せんくんおうところ。……宮城みやぎ北門きたもんがいゆう窣堵ひさげばばたちあずか未生みしょう怨王どもため親友しんゆう。乃放まもるざいよいぞうよくがい如來にょらい。……ふくよいぞう東北とうほくゆう窣堵しゃ利子りし聞阿しめばば比丘びく(からげん馬勝ばしょう)說法せっぽうしょうはてしょ。……しゃ利子りししょうはてきたとおゆう大深おおふかあなはたけん窣堵しつ毱多(からげんかつひそか)以火あなどくめしよくがいふつしょ。……かつひそかあな東北とうほく山城やましろきょくゆう窣堵。……山城やましろ北門きたもん西にしゆう毘布羅山らざん。聞之土俗どぞく曰。山西さんせいみなみがけかげむかしゆうひゃく溫泉おんせんいましゃすうじゅう而已。……溫泉おんせん西にしゆう卑鉢石室いしむろ世尊せそんざいむかしつねきょ其中。……毘布山上やまかみゆう窣堵むかししゃ如來にょらい說法せっぽうしょこんゆうがた外道げどう此住。……山城やましろ北門きたもんひだりみなみがけかげひがしぎょうさんさと至大しだい石室いしむろむかしひさげばばたち于此入定にゅうじょう石室いしむろひがしどおいわ石上いしがみゆうはんさいじょうしみはたけん窣堵習定比丘びく自害じがいしょうはてしょ。……山城やましろ北門きたもんぎょういちさとあまりいたり迦蘭陀竹えんこん有精ゆうせいしゃ。……迦蘭陀竹えんひがしゆう窣堵おもね闍多しつらえ咄路おう(からげん未生みしょう怨。きゅう曰阿闍世。なまりりゃく也)これしょけん也。……竹林ちくりんえん西南せいなんぎょうろく南山みなみやまこれかげ大竹おおたけりん中有ちゅうう大石おおいししつ尊者そんじゃ訶迦ざい此與きゅうひゃくきゅうじゅうだい阿羅漢あらかん如來にょらい涅槃ねはん結集けっしゅう三藏さんぞうぜんゆうもと未生みしょう怨王ためしゅう法藏ほうぞうしょだい羅漢らかんけん堂宇どうう。……竹林たけばやし精舍しょうじゃきたぎょう百餘步至迦蘭陀池。……迦蘭陀池西北にしきたゆきさんさとゆう窣堵ゆうおうしょけん也。こうろくじゅうしゃくはたゆう石柱せきちゅうこくたて窣堵なみごとこうじゅうしゃく上作じょうさく象形しょうけい石柱せきちゅう東北とうほくどおいたり曷羅闍姞呬城(からげんおうしゃ)。……はつしき毘娑おうざいうえ宮城みやぎ也。……乃建じょう邑。以王さきしゃ於此。しょうおうしゃじょう也。かんぞく庶咸徙家焉。あるうんいたり未生みしょう怨王乃築此城。未生みしょう太子たいしすんで嗣王よしとげ
  3. ^ ざつおもね含經·いちきゅういちけい》:一時いちじふつじゅうおうしゃじょう毘婆羅山らざんななよう樹林じゅりん石室いしむろなかときゆう尊者そんじゃ瞿低迦。じゅうおうしゃじょう仙人山せんにんやまがわ黑石くろいししつちゅうどくいち思惟しい放逸ほういつぎょうおさむにょうえきとき受意解脫げだつさくしょうかずすう退轉たいてんいちさんよんろくたん退すさかえふくとき受意解脫げだつさくしょうひろふく退轉たいてんかれ尊者そんじゃ瞿低迦作ねんわがどくいちせいしょ思惟しい放逸ほういつぎょう精勤せいきん修習しゅうしゅう。以自にょうえきとき受意解脫げだつさくしょう。而復すうすう退轉たいてん乃至ないしろくたんなおふく退轉たいてんわがいまとう以刀自殺じさつ。莫令だいなな退轉たいてん
    訶僧祇律》:だい迦葉そくあずかせん比丘びく俱。まいおうしゃじょういたる剎帝やまくつ。……だい眾集やめ。……ふくごとおう滿まんひゃく長老ちょうろうおもねりついたなおしょう一人ひとりとき尊者そんじゃだい迦葉ためだいいち上座かみざだい二上座名那頭盧第三上座名優波那頭盧。とき尊者そんじゃだい迦葉のぼりおのれただとめ尊者そんじゃ舍利しゃりどるれんおもねなんやめ
    おもねいくおうつたえ》:どきおうこたえごとわがしたがえいまいたりおわりめつとう以衣ふく飲食いんしょく醫藥いやく供養くよう眾僧。ねがいしょ眾僧ざい竹林ちくりんちゅう迦葉思惟しい。此寺廣大こうだいしょ比丘びくとうさまたげみだれわがこととうさくごと如是にょぜせつ如是にょぜ不可ふかせつゆう石窟せっくつしょめい畢波のべ(めい)。わがひとしとう於彼しょ結集けっしゅうほうぞう乃至ないし迦葉ども五百羅漢ごひゃくらかん畢波のべ石窟せっくつ
    根本こんぽんせつ一切有部毘奈耶雜事》:とき尊者そんじゃつげごとわか於此じょう竹林ちくりんえんちゅうさく結集けっしゅうしゃ諸處しょしょそうらいともしょう喧擾けんじょうおそれゆうさまたげはいわかこう鷲峰山じゅうぶざんまた安靜あんせいしか畢鉢いわおこらえため結集けっしゅうしかおう聞語やめふかなま歡喜かんきほう迦攝曰。わか於彼しょ結集けっしゅうじょうしゃしょゆうしょ須臥これるいわがとう供給きょうきゅうとき迦攝しろだい眾曰。こん此大おうためしょせい眾。就畢鉢いわお結集けっしゅうしょしょゆうしょ須悉みな祇待れいところとぼしじんとうだい眾宜とう赴彼。
  4. ^ ぜんりつ毘婆すな》:おうしろ眾僧。わがいませい聽諸大德だいとく使令しれい。眾僧こたえ曰。先立さきだて講堂こうどうおうとい何處どこおこり戴。こたえ曰。さきそこ槃那羅山らざんあたり禪室ぜんしつもんあたりづくり。此中閑靜かんせいおうこたえ甚善。於是おもね闍世おう威力いりょくなお如第二忉利天毘舍技巧。須臾しゅゆころそくりつなり棟梁とうりょう椽柱障壁しょうへきかいどうみな悉刻ちりばめ種種しゅじゅみょう。於講堂上どうじょう。以珍玩妙たから莊嚴しょうごんかか眾雜はな繽紛ひんぷん羅列られつ地下ちかまたふく如是にょぜ種種しゅじゅことみょうなお如梵天宮あまみや殿どのこと。[毯-ほのお+瞿]氀茵しとねこもせきひゃくじき置床おきどこじょう悉北こうすわまた高座こうざ以眾たからそうかざりせんだか座中ざちゅうさい精妙せいみょうしゃなずらえ以說ほう高座こうざ東向こちむき
  5. ^ 長部おさべ·だい般涅槃經》:「おもねなんわがやめ老衰ろうすいほけ矣!わがこれ旅路たびじはたつきとしことぶきすすむ滿みつる年齡ねんれいやめはちじゅう矣。」
    ながおもね含經·遊行ゆぎょうけい》:「われやめろう矣。としあらはちじゅう。」
  6. ^ 長部おさべ·だい般涅槃經》:「世尊せそんあずかだい比丘びく眾俱,往赴竹林たけばやしむらいたりやめ世尊せそんじゅう於竹林村はやしむらなんじ世尊せそんつげしょ比丘びく曰:『しょ比丘びくなんじとう各自かくじぎょう往毘しゃはなれきんしょ,於朋友ほうゆう知識ちしきある知己ちきしょ安居あんきょわがまたとうざい此竹林村はやしむらいれ安居あんきょ。』しょ比丘びく應諾おうだく世尊せそん:『ただしか世尊せそん。』而往毘舍はなれきんしょ,於朋友ほうゆう知識ちしきある知己ちきしょいれ安居あんきょ世尊せそんまた於竹林村はやしむらいれ安居あんきょ世尊せそん於此いれ安居あんきょゆるがせ患激つう痢病,いく乎近於絕命ぜつめい。」
    ながおもね含經·遊行ゆぎょうけい》:「なんじ世尊せそんそくしたがえおこりまい於講どう。就座而坐。つげしょ比丘びく。此土飢饉ききん。乞求なんとくなんじとうむべかく分部わけべ隨所ずいしょ知識ちしきまい毘舍はなれ及越祇國。於彼安居あんきょ以無とぼしわれどくあずかおもねなん於此安居あんきょ所以ゆえんしかしゃこわゆうたんとぼししょ比丘びく受教即行そっこうふつあずかおもねなんどくとめ。於後夏安居げあんごちゅう佛身ぶっしんやましなま。舉體みなつう。」
  7. ^ 長部おさべ·だい般涅槃經》:「なんじ世尊せそんあずか尊者そんじゃ往赴大林おおばやししげるかく講堂こうどういたりやめつげ尊者そんじゃおもねなん曰:『おもねなんなんじ往告凡住毘舍はなれ附近ふきんしょ比丘びくみなしゅう於講どう。』……なんじ世尊せそんつげしょ比丘びく曰:『しょ比丘びくわがつげなんじとう諸行しょぎょう因緣いんねん和合わごうほうみな老朽ろうきゅう壞滅かいめつとう精進しょうじん放逸ほういつひさ如來にょらいとう涅槃ねはんさん個月かげつ如來にょらいそく涅槃ねはん。』」
    ながおもね含經·遊行ゆぎょうけい》:「なんじ世尊せそんつげおもねむずかし。俱詣とうざいいち樹下じゅかじき而坐。ふつつげおもねむずかしこうとう左右さゆうげんしょ比丘びくひろしみことのりれいしゅう講堂こうどう。……比丘びく當知とうちわが於此ほう自身じしんさくしょうぬのげん於彼。……なんじとうとうぜん受持うけもちしょうりょう分別ふんべつずいごと修行しゅぎょう所以ゆえんしゃなに如來にょらいひささんがつとう般泥洹。」
  8. ^ 長部おさべ·だい般涅槃經》:「其時,尊者そんじゃ訶迦あずかひゃくだい比丘びく眾俱,よしばば進行しんこういたりかかわえびす竭之大道だいどう。其後尊者そんじゃ訶迦退出たいしゅつ道路どうろ,於樹すわ。其時,ゆういちよこしまいのち外道げどうもち曼陀羅華まんだらげゆかりかかわえびす進行しんこういたりばば大道だいどう尊者そんじゃ訶迦はるかよこしまいのち外道げどうこうかれ行來いききかれよこしまいのち外道げどう如是にょぜげん曰:『ともとう導師どうし耶?』『實然じつねんともわがよしいまななにちまえ沙門しゃもん瞿曇般涅槃矣。以是因緣いんねんわがとくらい曼陀羅華まんだらげ。』……なんじ尊者そんじゃ訶迦しょ往拘えびす竭之てんかんむりてらまつぞくびょう。……如是にょぜ尊者そんじゃ訶迦あずかひゃく比丘びく眾俱,いただきれいやめ畢,世尊せそんこうせきてんもえ。」
    ながおもね含經·遊行ゆぎょうけい》:「なんじだい迦葉しょう五百弟子從波婆國來。ざいみち而行。ぐう一尼乾子手執文陀羅花。ときだい迦葉はるかあまいぬい。就往といごとなんじしたがえなんらいほうごとわれしたがえかかわしかばねじょうらい。迦葉またげんなんじとい乎。こたえ曰。またといわがそん耶。こたえ曰。めつやめらいやめけいななにちわれしたがえかれらいとく此天はな。……しょ比丘びく聞大迦葉やめそくしたがえおこり侍從じじゅう迦葉。まいかかわしかばねじょうわたりれんぜん河水こうすいいたてんかんむりてらいたりおもね難所なんしょ。……そくこうこう[卄/せき]。れい佛舍利ぶっしゃりとき。四部眾及上諸天同時俱禮。於是ふつあしゆるがせしかげんときだい迦葉にょう[卄/せき]さん匝。而作頌曰。……だい迦葉ゆうだい威德いとくよんべん具足ぐそくせつ此偈やめときかれぼとけ[卄/せき]やきもえ。」
  9. ^ 長部おさべ·だい般涅槃經》:「其時,老年ろうねん出家しゅっけめいため須跋,すわかれだい眾中;かれ老年ろうねん出家しゅっけ須跋,如是にょぜごとかれしょ比丘びく曰:やめとめとも!勿悲、勿慟哭どうこくわがひとし完全かんぜんしたがえかれだい沙門しゃもん獲得かくとく解脫げだつなんじとうぎょう此,なんじとう不可ふかぎょう此。らい壓迫あっぱくはんとうしたがえこんとう為所しどころほしため,其不ほっしゃそく不為ふため。」
    ながおもね含經·遊行ゆぎょうけい》:「ときかれ中有ちゅううしゃく種子たね拔難陀。とめしょ比丘びくげん:『なんじとう勿憂。世尊せそんめつわがとく自在じざいかれしゃつねげんとうおうぎょうおうぎょう。』自今じこんやめずいわが所為しょい。」
    だい般涅槃經》:「なんじ,眾中有餘ゆうよ比丘びくばんくれ出家しゅっけ愚癡ぐちさとしともしょういいごと:『ふつ在世ざいせいきんしかわがひとしとくたてすんで涅槃ねはんなに快哉かいさい!』」
  10. ^ だい毘婆すなろん》:「たとえ喻云なにいいしょけいちゅう所說しょせつ種種しゅじゅ眾多たとえ喻。如長たとえ喻大たとえ喻等。如大涅槃ねはんもちりつしゃせつ。」
  11. ^ 根本こんぽんせつ一切有部毘奈耶雜事》:だい八門第十子攝頌(くだりとい大師だいしためせつななろくほう。),だい八門第十子攝頌之二(眾集けい大師だいし,聞法せい正信まさのぶじゅつねんおとろえろうせつぎょう因緣いんねんくだり竹林ちくりん內,修理しゅうり吒邑,渡河とかまい小村こむらややこう涅槃ねはんとう。),だい八門第十子攝頌之餘(せつ四黑四白法四種沙門,こうげんじょうこう涅槃ねはんしょふつこうげん西にし,迴願望がんぼう城郭じょうかくけいゆうじゅう聚落しゅうらく最後さいごいたりなみ。),だい八門第十子攝頌說涅槃之餘。
  12. ^ 根本こんぽんせつ一切有部毘奈耶雜事》:だい八門第十子攝頌涅槃之餘次明五百結集事。
  13. ^ からあささとしのぼりひらけもと釋教しゃっきょうろく》:「だい般涅槃經さんかんあるかん是長これながおもね含初ぶん遊行ゆぎょうけいことやくぐんろくなみうんあらわ出方でかたとうどろ洹者。そくぜんだいどろ洹經かたとう。此小乘しょうじょう涅槃ねはんぶんあらわやく以此がえ。」
  14. ^ だい般涅槃經》:「如來にょらいしたがえはじめよく涅槃ねはん,及般涅槃ねはんいたり於闍維,おこりしょかぶとばば,其事如是にょぜ。其後迦葉ども於阿なん及諸比丘びく,於王しゃじょう結集けっしゅう三藏さんぞう。」
  15. ^ 訶僧祇律》:「とき尊者そんじゃだい迦葉ためだいいち上座かみざだい上座かみざめいあたまだい三上座名優波那頭盧。」
    よんふんりつ》:「だい迦葉以此因緣いんねんしゅう比丘びくそう中有ちゅうう陀醯迦葉さく上座かみざ長老ちょうろうばばばばためだい上座かみざだい迦葉ためだいさん上座かみざ長老ちょうろう大周たいしゅうためだいよん上座かみざ。」
    じゅう誦律》:「なんじ閻浮ひさげちゅう長老ちょうろうおもねわか憍陳如第いち上座かみざ長老ちょうろうひとし陀第上座かみざ長老ちょうろう十力迦葉阿難和上第三上座。長老ちょうろう訶迦だいよん上座かみざ。」
    ふんりつ》:「あつまりあまほう長老ちょうろうおもねわか憍陳如為だいいち上座かみざとみらんためだい上座かみざくもりわたるためだいさん上座かみざ。陀婆迦葉ためだいよん上座かみざばつ陀迦ためだい上座かみざだい迦葉ためだいろく上座かみざゆうはなれためだいなな上座かみざおもねりつためだいはち上座かみざ。」
  16. ^ ともえとし律藏りつぞう小品しょうひんひゃく結集けっしゅう〕犍度:http://tipitaka.sutta.org/canon/vinaya/c%C5%AB%E1%B8%B7avagga/pa%C3%B1casatikakkhandhaka%E1%B9%83页面そん档备份そん互联网档あん
    http://tripitaka.cbeta.org/N04n0002_021页面そん档备份そん互联网档あん
    だいじゅういち ひゃく結集けっしゅう〕犍度
    此律結集けっしゅうゆうひゃく比丘びくおおまたしょうめい此律結集けっしゅうためひゃく結集けっしゅう〕。
    此犍ゆうじゅうさんこと頌曰:
    佛陀ぶっだ涅槃ねはん     長老ちょうろうめい迦葉
    ため護持ごじ正法しょうぼう     以告比丘びく
    ざいなみばばたび     須跋陀羅げん
    於非ほうきょうまえ     さき結集けっしゅう正法しょうぼう
    ひゃくにんかけいち     のりまたえらべおもねがた
    洞窟どうくつ安居あんきょ     結集けっしゅうほうあずかりつ
    りつといゆうはなれ     けいといけんおもねがた
    勝者しょうしゃ弟子でし     以結集けっしゅう三藏さんぞう
    しょうしょう戒異ろん     隨所ずいしょせい而住
    請問.及踏    あるきれい請求せいきゅう
    女人にょにん出家しゅっけ     しんじ懺惡さく
    とみらん.梵壇    ゆうゆう陀延
    あずかかれしょ侍女じじょ     如此敝衣へいい
    うえくつがえ及褥くつがえ     地上ちじょうじき
    ぬぐえ雜巾ぞうきんこんどろ   以名おもねなんしゃ
    はじめとくゆう千衣せんね     恐懼きょうく於梵だん
    且得於四諦したい     ひゃく自在じざいしゃ
    めいひゃく結集けっしゅう
  17. ^ ともえとし律藏りつぞう附隨ふずいだい3かんhttp://tipitaka.sutta.org/canon/vinaya/pariv%C4%81ra/samu%E1%B9%AD%E1%B9%ADh%C4%81nas%C4%ABsasa%E1%B9%85khepo页面そん档备份そん互联网档あん
    http://tripitaka.cbeta.org/N05n0003_003页面そん档备份そん互联网档あん
    一切眾生之慈愍者,一切いっさい有情うじょうさい尊者そんじゃ獅子しし鴦耆しゃば釋迦牟尼しゃかむにせんせつ三藏さんぞうゆうけいろん及大功德くどくりつ
  18. ^ ほんなまけいだい1かん. (原始げんし内容ないようそん档于2017-12-31). もえとう世尊せそんこれけいいち阿僧あそう祇劫,憍陳如佛出世しゅっせふつゆきさん弟子でし集會しゅうかいだいいち集會しゅうかいいちちょうにんだい集會しゅうかいひゃくおくにんだいさん集會しゅうかいきゅうおくにんなんじ菩薩ぼさつためてんおうめい甚勝しゃこうふつ及一兆比丘眾行大施食。佛向ぶっこう菩薩ぼさつ預言よげん:「なんじ來世らいせとうとくさくほとけ。」かれ聞佛說法せっぽう,以國事こくじたくづけ大臣だいじんとう而出かれがく三藏さんぞうとくはちてい及五神通じんずうおさむぜんだるなま梵天ぼんてんかい

    此佛これゆうどるすなぼとけ出世しゅっせ。此佛またさんぎょう弟子でし集會しゅうかいだいいち集會しゅうかいろくひゃくまんだいしゅうひゃくまんだいさんしゅうさんひゃくじゅうまん比丘びくなんじ菩薩ぼさつめいやめ勝者しょうしゃおう,棄大王國おうこく,於佛しょ出家しゅっけがく三藏さんぞうためだい眾說ほう完成かんせい波羅蜜はらみつふつまたあずかかれ豫言よげん

    此佛これゆう迦葉ぼとけ出世しゅっせふつまたゆういち弟子でし集會しゅうかいしゅうさんまんこれ比丘びくなんじ青年せいねん菩薩ぼさつめいこうまもる通達つうたつさんしゅ吠陀べーだ奧義おうぎぜん地上ちじょうあずか天界てんかいため陶器とうきさくびんともかれあずか其友俱詣ふつしょ,聞法ばなし而出精進しょうじん努力どりょく修學しゅうがく三藏さんぞう遂行すいこう大小だいしょう義務ぎむため佛教ぶっきょう添加てんか光彩こうさいふつまた授彼豫言よげん

    於第よんなな日間にちかん天人てんにんとうざい菩提樹ぼだいじゅ西にし北方ほっぽうしつらえたからこれ」,ふつ於此しょ結跏趺坐けっかふざしょう察導じんにゅう涅槃ねはん一切いっさいぶつ根源こんげんおもね毘曇ぞう經過けいかななにち。其後どおりおもね毘曇しょ人為じんいりょうたね說明せつめいそく:「たからいえ乃作たからいえあるいいふつ會得えとく七論之處為寶之家。」此說明せつめい,於此しょみなため相應そうおう兩者りょうしゃひとし採用さいよう以來いらい,其處しょうためたからほこら」。
     
  19. ^ ほうけい故事こじしゅう页面そん档备份そん互联网档あん):ゆういち佛陀ぶっだざいしゃまもるじょう接受せつじゅ外道げどうてき挑戰ちょうせん,而展げんりょうそうりょう神通じんずう事後じごふつ陀到忉利てんこう授三個月的阿毗達摩(ろん),往生おうじょうかぶとりつてんてき摩耶まや夫人ふじん來聽らいちょう佛陀ぶっだ說法せっぽう。聽完佛陀ぶっだてき說法せっぽう摩耶まや夫人ふじん、眾多天神てんじん婆羅門ばらもんしょうはつはて
    時候じこう舍利しゃりどる尊者そんじゃざいしゃまもるじょうゆい夏安居げあんご佛陀ぶっだ指示しじ舍利しゃりどるこう其他比丘びくこうかいおもね毗達舍利しゃりどる尊者そんじゃ利用りようさん個月かげつゆい夏安居げあんご期間きかんこうかん一整部的阿毗達摩
  20. ^ 訶僧祇律》:「教法きょうほうしゃわかおもね毘曇。わかあまおもね毘曇しゃきゅうけいあましゃなみひさげまた。」「教誡きょうかいしゃわかおもね毘曇。わか毘尼。おもね毘曇しゃきゅう修多羅すたら。毘尼しゃなみひさげまたこうりゃく。」「おもね毘曇しゃきゅう修多羅すたらめいおもね毘曇。毘尼しゃこうりゃくひさげまためい毘尼。」
  21. ^ 訶僧祇律》:「なんじふつつげ舍利しゃりどるゆう如來にょらい不為ふため弟子でしこうせつ修多羅すたら、祇夜、授記、とぎ陀、ゆう陀那、如是にょぜほんせいほうひろ未曾有みぞうけい舍利しゃりどる諸佛しょぶつ如來にょらい不為ふため聲聞しょうもんせい戒。だてせつなみひさげまたほう如來にょらいめつこうほう久住ひさずみ。……如來にょらいこうため弟子でしせつきゅうほう不為ふため聲聞しょうもんせい戒。だてせつなみひさげまたほう如來にょらい滅後めつごほう久住ひさずみ舍利しゃりどる。以如來にょらいひろため弟子でしせつきゅうほうため聲聞しょうもんせい戒。だてせつなみひさげまたほう如來にょらいめつこう教法きょうほう久住くじゅう舍利しゃりどるたとえ如鬘かずら弟子でし以種しゅしょくはな以線れんわか四方風吹不隨風散。所以ゆえんしゃなに。以線れんゆえ如是にょぜ舍利しゃりどる如來にょらいこうせつきゅうけいため聲聞しょうもんせい戒。だてせつなみひさげまたほう如來にょらい滅後めつごほうとく久住くじゅう舍利しゃりどる。以是いん緣故えんこ教法きょうほうゆう久住ひさずみゆう久住くじゅうしゃなんじ尊者そんじゃ舍利しゃりどるはくふつごとただねがい世尊せそんこうせつきゅうけいぜんため聲聞しょうもんせい戒。だてせつなみひさげまたほうれい教法きょうほう久住くじゅうためしょてん世人せじんひらき甘露かんろもん。」「所謂いわゆるきゅうけい修多羅すたら、祇夜、授記、とぎ陀、ゆう陀那、如是にょぜけいほんなまけいほうひろ未曾有みぞうほう。」
  22. ^ よんふんりつ》:「有難ありがた無難ぶなん。繫。相應そうおうさくしょあつまりためおもね毘曇ぞう。」
    毘尼ははけい》:「ゆうとい分別ふんべつとい分別ふんべつあい相應そうおうしょしょ。此五種名為阿毘曇藏。」
    舍利しゃりどるおもね毘曇ろんぶんためといぶんといぶん相應そうおうぶんいとぐちぶん
  23. ^ だい毘婆すなろん》:「おもね達磨だるまぞうおうじゅうよんことさとしいいろくいんよんえん相應そうおう成就じょうじゅ成就じょうじゅわか以如じゅうよんことさとしおもね達磨だるま錯謬しゃめいおもね達磨だるまただし誦持文者もんじゃ有餘ゆうよせつおう以七事覺知阿毘達磨藏義。いいいんぜんたくみえんぜんたくみあいぜんたくみともしょうぜんたくみたくみ相應ふさわし不相應ふそうおうぜんたくみ成就じょうじゅ成就じょうじゅぜんたくみわか以如七事覺知阿毘達磨無錯謬者。めいおもね達磨だるまただし誦持文者もんじゃ。」
  24. ^ じゅう誦律》:「長老ちょうろう訶迦ふくとえおもねむずかしふつ何處どこはじめせつおもね毘曇。おもねなんこたえごと。『如是にょぜ我聞がもん一時いちじふつざいしゃばばひさげなんじふつつげしょ比丘びく若人わこうど五怖五罪五怨五滅。じんこわざい怨故。死後しごたとえ如力屈伸くっしんひじごろ。墮於地獄じごく何等なんらいちしゃころせしゃ偷。三者さんしゃよこしまいんよんしゃ妄語もうごしゃ飲酒いんしゅ若人わこうど五怖五罪五怨五滅。じん五怖罪怨滅故。死後しごたとえ如力屈伸くっしんひじごろなま於天じょう何等なんら。一者不殺怖罪怨滅。偷不よこしまいん妄語もうご飲酒いんしゅまた如是にょぜこわざい怨滅。』長老ちょうろう訶迦といおもねわか憍陳如。如阿なん所說しょせつこたえごと長老ちょうろうだい迦葉。わがまた如是にょぜ。如阿なん所說しょせつつぎとい長老ちょうろうひとし陀。つぎといじゅうりょく迦葉。乃至ないし次第しだいといひゃく阿羅漢あらかんすえといゆうはなれ。如阿なん所說しょせつこたえごと長老ちょうろうだい迦葉。わがまた如是にょぜ。如阿なん所說しょせつ長老ちょうろうゆうはなれとい訶迦しかこたえげんじつなんじ如是にょぜ一切阿毘曇集已。」
    おもね達磨だるまほう蘊足ろん·がくしょしなだいいち》:「一時いちじうすとぎ梵。在室ざいしついかだじゅう逝多りんきゅう孤獨こどくえんなんじ世尊せそんつげ苾芻眾。しょゆう於彼五怖罪怨不寂靜者。かれ現世げんせいためしょ聖賢せいけん同所どうしょ訶厭。めいためはん戒自損傷そんしょうしゃ有罪ゆうざいゆう貶。なまぶく壞命おわり。墮險惡趣あくしゅ生地獄いきじごくちゅう何等なんらためいい殺生せっしょうしゃ。……あずかしゃ。……よくよこしま行者ぎょうじゃ。……きょ誑語しゃ。……いんあじしょさけ放逸ほういつしょしゃ。……しょゆう於彼五怖罪怨能寂靜者。かれ現世げんせいためしょ聖賢せいけん同所どうしょ欽歎。めいため持戒じかい防護ぼうごしゃ無罪むざい貶。なまかちぶく壞命おわります安善あんぜんおもむきなま於天ちゅう何等なんらためいいはなれ殺生せっしょうしゃ。……はなれあずかしゃ。……はなれよくよこしま行者ぎょうじゃ。……はなれきょ誑語しゃ。……はなれいんしょさけ放逸ほういつしょしゃ。……」
  25. ^ じゅう誦律》:「わかきんしょそう不能ふのう如法にょほう如比あま佛教ぶっきょうだんごとしゃ。聞某住處すみかそうわかゆうだい眾好上座かみざなみひさげまたそうちゅうゆう比丘びくもち修多羅すたらしゃあましゃもちとぎものきんしょそうおう以是ごと使つかいいたりぼう住處すみか。」
  26. ^ 根本こんぽんせつ一切有部毘奈耶雜事》:「とき迦攝なみさく如是にょぜねん後世こうせいひとしょうさとし鈍根どんこんぶん而解たちふかよしわがいまよろし自說じせつ窒里迦。よく使けいりつよししつゆえさくねんやめ便びんさくしろ羯磨。しろ眾令。眾既もとやめそくのぼり高座こうざつげしょ苾芻曰。窒里迦。わがいま自說じせつ。於所りょうみなれいあかりあらわ所謂いわゆるよんねんしょよんせいつとむよん神足こうたり五根ごこんりょくなな菩提ぼだいぶんはちせいみちぶんよんかしこよん無礙むげかいよん沙門しゃもんはてよんほういさかいねがいさとし。及邊ぎわじょうそらしょうねがいざつおさむしょじょうせいいれげんかん。及世俗せぞくさとしとま。毘鉢しゃほうしゅうほう蘊。如是にょぜそうめい窒里迦。せつやめしょ阿羅漢あらかん俱入さいじょう次第しだいかんやめかえしたがえていおこり。如前こうせつ當知とうち。此是怛羅。此是毘奈耶。此是おもね達磨だるまふつ真教まさのり如是にょぜしゅうやめ。」
  27. ^ 长阿含經·遊行ゆぎょうけい》:「おもねむずかしなんじいい佛滅ぶつめつふくくつがえまもるしつ所持しょじ耶。勿造斯觀。わが成佛じょうぶつ來所らいしょ說經せっきょう戒。そくなんじまもるなんじ所持しょじおもねむずかし自今じこんはじめ。聽諸比丘びく捨小しょう戒。」
    だい般涅槃經》:「なんじ如來にょらいつげおもねなんげんなんじ勿見わがにゅう涅槃ねはん便びんいい正法しょうぼう於此ながぜっなに以故。わがむかしためしょ比丘びくせい戒波ひさげまた。及餘所說しょせつ種種しゅじゅ妙法みょうほう。此即便びんなんじとう大師だいし。如我在世ざいせいゆう也。……互相伺察。れい中有ちゅううはんだい戒。おう[もん@]もとめ覓他ほそ。」
    よんふんりつ》:「おもねがたそくしたがえすわおこりへん右肩みぎかたみぎひざちょ合掌がっしょうしろだい迦葉ごとわがおやしたがえふつ聞。憶持佛語ふつご自今じこんやめためしょ比丘びく捨雜碎戒。」
    ふんりつ》:「おもねなんふくしろ迦葉ごとわがおやしたがえふつ聞。われ般泥洹後。わかよくじょしょうしょう戒。聽除。」
    長部おさべ·だい般涅槃經》:「なんじ世尊せそんつげおもねなん曰:おもねなんわか於汝とうちゅう有作ゆうさく如是にょぜ思惟しい:『大師だいしきょうげんほろびわがひとしふくゆう大師だいし。』おもねなん!勿作如是にょぜおもねなんわがためなんじとう所說しょせつほうあずかりつ,於我滅後めつご當為とういなんじとう大師だいし。……おもねなん!於我めつ僧團そうだんわかほしものしょう小學しょうがくしょ以捨。」
    ともえとし律藏りつぞう》:ときことぶきおもねなんげんしょ長老ちょうろう比丘びく:「しょ大德だいとく世尊せそん涅槃ねはん,曾對わがげん:『おもねなんわがめつそうとぎわかほしものしょうしょう戒可捨。』」
    じゅう誦律》:「長老ちょうろうおもねむずかしへん袒右かたちょう跪叉しゅしろ大德だいとく訶迦めんしたがえふつ聞受ふつごとわが涅槃ねはん若僧わかぞういちしん和合わごう。籌量微細びさい戒。」
  28. ^ 訶僧祇律》:「とき尊者そんじゃゆうはなれおもねむずかし長老ちょうろう有罪ゆうざい清淨せいじょう眾中おうとう悔過。……ふくふつつげおもねむずかしわが臨般どろ洹時とうかたりわが當為とういしょ比丘びく捨細ほろ戒。而汝しろえつあまざい。」
  29. ^ ともえとし律藏りつぞう》:ときことぶき訶迦つげそうとぎげん:「しょ大德だいとく!請聽わがげんとう戒,ゆうせきざい家人かじん,雖是ざい家人かじんまたわがひとし:此是なんじとう釋子しゃくしおうため〕,此是おうため〕。わかわがとう捨小しょう戒,ある有人ゆうじんごと:『沙門しゃもん瞿曇ため弟子でしせい戒,〔ひさ〕如煙矣!ざいどきがく戒,いま般涅槃而不學ふがく戒。』若僧わかぞうとぎじゅくそうとぎひつじせいとくせいやめせいとく壞,隨所ずいしょせい戒而じゅう表白ひょうはくしょ大德だいとく!請聽わがげんとう戒……『……いま……不學ふがく戒。』そうとぎひつじせいとくせいやめせいとく壞,隨所ずいしょせい戒而じゅうせいとくせいやめせいとく壞,隨所ずいしょせい戒而じゅうことぶき聽者ちょうしゃ默然もくぜん聽者ちょうしゃ請言。そうとぎひつじせいとくせいやめせいとく壞,隨所ずいしょせい戒而じゅうことぶき聽……了知りょうち。」
    訶僧祇律》:「だい迦葉威德いとくいむたかしなお世尊せそんさくごと。咄咄莫作ごえ即時そくじ一切いっさい咸皆默然もくぜんだい迦葉ごとしょ長老ちょうろうわかやめせいふくひらけしゃとう致外じんげん。瞿曇在世ざいせいほうおきもり今日きょうどろ洹法よう頹毀。しょ長老ちょうろうせいしゃ莫制。やめせいしゃわがひとしとう隨順ずいじゅんがく
    じゅう诵律》:「長老ちょうろう訶迦あつまりそうごとわがひとし聽放捨微細びさい戒。なに以故。外道げどうことがくわか聞是ごと便びんげん弟子でし聰明そうめい所以ゆえんしゃなにゆい弟子でし捨。以是ゆえとういちしん集會しゅうかい籌量。聽捨微細びさい戒。外道げどうことがくゆう如是にょぜごと大師だいしざい釋子しゃくし沙門しゃもんみな持戒じかいめつ不能ふのう持戒じかい便びんかえ捨。釋子しゃくしほうほろびひさたとえ如燃けむりめつけむりどめ。以是ゆえとういちしん集會しゅうかい籌量。聽捨微細びさい戒。……わがとうずいふつゆい戒。わかふつゆい一切いっさい受持うけもち佛經ぶっきょうちゅうせつとぎ陀國ちゅう大臣だいじんばばすな婆羅門ばらもん因緣いんねんなな不滅ふめつほうちゅうわかしょ比丘びくふつゆい戒不ゆいやめゆい戒不捨。如說戒受しょ比丘びくぜんほう增益ぞうえき不滅ふめつ。以是ゆえとうつきとう受持うけもちおう捨。」
    よんふんりつ》:「だい迦葉つげしょ比丘びくごとしょ長老ちょうろういましゃ眾人げんかく不定ふてい不知ふち何者なにものざつ碎戒。自今じこんやめおう共立きょうりつせいわかふつさきしょせいこんおうせいふつさきしょせいこんおう却。おうずいふつしょせい而學。どきそく共立きょうりつ如此制限せいげん。」
    ふんりつ》:「迦葉ふくごとわかわがとう不知ふちしょうしょう戒相而妄じょしゃしょ外道げどうやからとうさく沙門しゃもん釋子しゃくし其法如烟。ざいこれしょせいみなぎょう。般泥洹後肯復がく。迦葉ふく於僧ちゅう唱言。とうやめしゅうほう竟。わかふつしょせいおう妄制。わかやめせいとくゆうたがえ。如佛しょきょうおう謹學
  30. ^ ちゅうおもね含經·侍者じしゃけい》:「一時いちじ世尊せそんゆうかかわしかばね竭。じゅう惒跋たん力士りきししゃばりんちゅうなんじ世尊せそん最後さいごほし涅槃ねはんつげ曰。おもねむずかしなんじ往至そうしゃばいつきあいだため如來にょらいきたくびじきゆか如來にょらいちゅうよるとう涅槃ねはん。……於是。世尊せそんはた尊者そんじゃおもねなんいたりそうじゅあいだ。四疊優哆邏僧以敷床上。ひだそうとぎなしさくまくらみぎおびえ而臥。あしあししょうるい最後さいご涅槃ねはん尊者そんじゃおもねがたばらいさむらいぼとけ。以手抆淚而作ねん本有ほんゆう諸方しょほう比丘びく眾。らいよく見世みせたかし供養くようれいごとみなどく隨時ずいじたてまつ見世みせたかし供養くようれいごとわか世尊せそん般涅槃已。便びんふくらいたてまつ見世みせたかし供養くようれいごとわがまたとく隨時ずいじふつ供養くようれいごと。……於是。世尊せそんつげ曰。おもねむずかしなんじ勿啼泣。また莫憂慼。所以ゆえんしゃなにおもねむずかしなんじたてまつさむらいぎょう慈。くちぎょう慈。はつ二心ふたごころ安樂あんらく無量むりょう無邊むへん無限むげんおもねむずかしわか過去かこしょ如來にょらいしょちょとう正覺しょうがくゆうたてまつ侍者じしゃかち於汝。おもねむずかしわか未來みらいしょ如來にょらいしょちょとう正覺しょうがくゆうたてまつ侍者じしゃまたかちなんじおもねむずかしわがいま現在げんざい如來にょらいしょちょとう正覺しょうがくわかゆう侍者じしゃまたかちなんじ。」
    ざつおもね含經·いちいちよんさんけい》:「一時いちじふつじゅうおうしゃじょう迦蘭陀竹えん。……尊者そんじゃ訶迦ためしょ比丘尼びくに種種しゅじゅ說法せっぽう示教しきょうあきら示教しきょうあきらやめとき。偷羅なん比丘尼びくに喜悅きえつせつ如是にょぜあくげんうんなにおもねなし訶迦。於阿なしおもねがた鞞提訶牟尼ぜんため比丘尼びくに說法せっぽうたとえ如販はり於針師家しかうり。……尊者そんじゃ訶迦。……聞已。かたり尊者そんじゃおもねむずかしなんじ偷羅なん比丘尼びくにこころ喜悅きえつ口說くぜつあくげんうんなにおもねむずかしわが販針なんじはり。於汝前賣まえうり耶。尊者そんじゃおもね難語なんご尊者そんじゃ訶迦。且止。とうにん。此愚ろうおうな智慧ちえうすしょう曾修習故。……おもねむずかしなんじ世尊せそん如來にょらいおうとう正覺しょうがくしょ所見しょけんせつげん比丘びくとう如月きさらぎたとえじゅうつね如新がく。其唯訶迦比丘びくおもねなんこたえごと如是にょぜ尊者そんじゃ訶迦。……おもねむずかし世尊せそん如來にょらいおうとう正覺しょうがく。於無りょうだい眾中。くち自說じせつごとぜんらい訶迦。請汝はんふく於大おだい眾中。以同おのれ廣大こうだい功德くどくはなれよくあく不善ふぜんほう乃至ないしつきどおりしょう歎摩訶迦耶。おもねなんこたえごと如是にょぜ尊者そんじゃ訶迦とき訶迦比丘尼びくに眾中ほえやめ。」
    ざつおもね含經·いちいちよんよんけい》:「一時いちじ尊者そんじゃ訶迦尊者そんじゃおもねなんじゅうおうしゃじょう耆闍崛山ちゅう世尊せそん涅槃ねはんひさとき飢饉ききん乞食こじきなんとく。……尊者そんじゃ迦葉おもねなんげんなんじ此義。如何いか飢饉ききんあずか眾多年少ねんしょう弟子でし南山なんざん國土こくど遊行ゆぎょうれいさんじゅうにん捨戒還俗げんぞく眾損げんしゃ童子どうじ。如阿なんなんじ消滅しょうめつなんじ童子どうじ不知ふち籌量。おもねなんこたえごとうんなに尊者そんじゃ訶迦わが以頭かみしょくなおげん童子どうじ尊者そんじゃ訶迦ごとなんじ於飢饉世。あずかしょ年少ねんしょう弟子でし人間にんげん遊行ゆぎょう。致令さんじゅう弟子でし捨戒還俗げんぞく。其餘ざいしゃふく童子どうじ消滅しょうめつ不知ふち籌量。而言宿やど眾壞。おもねむずかし。眾極壞。おもねむずかしなんじ童子どうじ籌量ゆえ。」
    ぞういちおもね含經·いち入道にゅうどうひん·ろくけい》:「一時いちじふつざい閱城迦蘭陀竹えんしょあずかだい比丘びく眾五ひゃくにん俱。……世尊せそんはるか迦葉らい世尊せそんつげ曰。ぜんらい。迦葉。とき。迦葉便びんいたり世尊せそんしょあたまめんれいあしざいいちめんすわ世尊せそんつげ曰。迦葉。なんじ今年ことしだか長大ちょうだいこころざしおとろえくちへいなんじこん捨乞しょく乃至ないししょ頭陀ずだぎょうまた受諸長者ちょうじゃ請。并受衣裳いしょう。迦葉たい曰。わがいましたがえ如來にょらいきょう所以ゆえんしかしゃわかとう如來にょらいなり無上むじょう正真しょうしん道者どうしゃわがのりなり辟支ぼとけしかかれ辟支ほとけつきくだりおもねねりわかいたとき乞食こじき貧富ひんぷいちしょいちすわおわりうつりえき樹下じゅか露坐ろざあるそら閑處。ちょおさめころもあるさんころもあるざいづかあいだあるときいちしょくある正中せいちゅうしょくあるくだり頭陀ずだ。如今敢捨本所ほんじょ習。さらがくぎょう世尊せそんつげ曰。善哉ぜんざい善哉ぜんざい。迦葉。しょにょうえきじん無量むりょうこう一切いっさいてんにん得度とくど所以ゆえんしかしゃわか。迦葉。此頭陀行在世ざいせいしゃわがほうまたとうひさざい於世。」
    よんふんりつ》:「だい迦葉かたりおもねなんげんなんじ於佛ほうちゅうさきもとめ女人にょにんとく突吉ざいこんおう懺悔ざんげ。……だい迦葉ふくごとなんじれい世尊せそんさんはん請。なんじさく供養くようじん。而言不作ふさくとく突吉ざいこんとう懺悔ざんげ。……迦葉ふくごとなんじためふつぬいそうとぎなしあし躡而ぬいとく突吉ざいこんおう懺悔ざんげ。……迦葉ふくごと世尊せそんほし涅槃ねはんさんはんつげなんじなんじ世尊せそんじゅうわかいちこうわかいちこうれいすうにんとく利益りえき。慈愍世間せけんしょてん人民じんみんれいとく安樂あんらくなんじとく突吉ざいこんおう懺悔ざんげ。……迦葉ふくごと世尊せそんざいしたがえなんじさくすいなんじあずかとく突吉ざいこんおう懺悔ざんげ。……迦葉ふくごとなんじ不問ふもん世尊せそん何者なにものざつ碎戒。とく突吉ざいこんおう懺悔ざんげおもねなんげんわがさくときわが愁憂無賴ぶらいしつ不問ふもん世尊せそん何者なにものざつ碎戒。わが於此ちゅう有罪ゆうざいしん大德だいとくゆえこんとう懺悔ざんげ。迦葉ふくごとなんじさえぎ女人にょにんれい污佛あしとく突吉ざいこんおう懺悔ざんげ。……」
    訶僧祇律》:「とき尊者そんじゃゆうはなれかたりおもねむずかし長老ちょうろう有罪ゆうざい清淨せいじょう眾中おうとう悔過。おもねなんげんゆうなんとうざいこたえごと世尊せそん乃至ないし三制不聽度女人出家。而汝さん請。えつあまざい。……ふくふつざい毘舍はなれふつつげおもねむずかし。毘舍はなれ般樂弓杖ゆんづえとうらくわかとくよん神足こうたりしゃじゅうことぶきいちこういちこう有餘ゆうよわかふつ在世ざいせい世人せじんとくなんじごと如是にょぜ世尊せそん如是にょぜおさむとぎ陀。なんじ請佛じゅうえつあまざい。……ふくなんじみぎあしゆび世尊せそんそうとぎなしころもぬい。而汝不知ふちそうとぎなししょてん世人せじんとうおう恭敬きょうけい耶。えつあまざい。……ふくふつつげおもねなん取水しゅすいらい如是にょぜいたりさんなんじあずか世尊せそん取水しゅすいえつあまざい。……ふくふつつげおもねむずかしわが臨般どろ洹時とうかたりわが當為とういしょ比丘びく捨細ほろ戒。而汝しろえつあまざい。……ふくふつ般泥洹。而汝以佛かげぞうしめせ比丘尼びくにえつあまざい。……ふくふつ般泥洹已。力士りきししょ老母ろうぼ世尊せそんあしじょう啼。なみだ墮足じょうなんじため侍者じしゃさえぎえつあまざい。……なんじおもねなん受二ざいさくごと長老ちょうろう過去かこ諸佛しょぶつみなゆうよん眾。さん請度比丘尼びくにふつざい毘舍はなれ。三告不請佛住世者。わがなんじがくじんためしょ蔽。請。ちゅうはんえつあまざい。」
  31. ^ しるしじゅん長老ちょうろうおうしゃじょう結集けっしゅうてき研究けんきゅう〉:「とうおうしゃじょうてき結集けっしゅう終了しゅうりょうどう鍱律、よんふんりつふんりつ有富ありとみらん長老ちょうろうりつりょうひゃく比丘びくしたがえ南方なんぽうらいおうしゃじょうあずかだい迦葉じゅうろん法律ほうりつてき記載きさい。這位とみらん長老ちょうろう,五分律列為當時的第二上座。けんこうおこりらい,這就釋尊しゃくそん早期そうきてきだいなな比丘びく,耶舍四友之一的富蘭那長老(說法せっぽうだいいちてきとみろうおうためいちにん)。とみらん長老ちょうろうたいだい迦葉結集けっしゅうてき提出ていしゅつ異議いぎ說明せつめいりょうおうしゃじょう結集けっしゅう當時とうじ就為じんしょ不滿ふまん(這也就是界外かいげだい結集けっしゅう傳說でんせつてきはつがた)。」
  32. ^ ふんりつ》:「時長ときなが老富おいとみらんざい南方なんぽう。聞佛於拘えびすじょう般泥洹。しょ長老ちょうろう比丘びくどもしゅうおうしゃしろろんあまほうあずか眷屬けんぞく屈伸くっしんひじごろいた眾中。……ろんやめとみらん迦葉ごとわがおやしたがえふつ聞。內宿。內熟。じゅくしょくしたがえ人受ひとうけはてしょく。就池すい。受無きよしじんきよしはてじょかくしょく。迦葉こたえごと大德だいとく。此ななじょうしゃふつざい毘舍はなれ飢饉ききん乞食こじきなんけん聽之。こうそく於彼かえさらせいよんいたりしゃまもるじょうふくかえせいさんとみらんごと世尊せそんおうせいやめかえ聽。聽已かえせい。迦葉こたえごとふつ法主ほっしゅ於法自在じざいせいやめかえ聽。聽已かえせいゆう何等なんらとがめとみらんごとわがにん餘事よじ。於此ななじょう不能ふのうぎょう。迦葉ふく於僧ちゅう唱言。わかふつしょせいおう妄制。わかやめせいとくゆうたがえ。如佛しょきょうおう謹學。……あつまりあまほう長老ちょうろうおもねわか憍陳如為だいいち上座かみざとみらんためだい上座かみざ。……だい迦葉ためだいろく上座かみざ。」
  33. ^ よんふんりつ》:「時長ときなが老富おいとみ。聞王しゃじょう五百阿羅漢共集法毘尼。そくあずかひゃく比丘びく俱。往王しゃじょう至大しだい迦葉しょ。……かれげん大德だいとく迦葉。わがつきにん此事。ただじょ八事やごと大德だいとくわがおやしたがえふつ聞。憶持忘。ふつ聽內宿やど。內煮。しょくおこり受食。したがえかれしょくらいわかざつ菓。わか池水いけみず所出しょしゅつしょくしゃ如是にょぜみな聽不さくしょくほうとくしょくだい迦葉こたえごとじつ如汝所說しょせつ世尊せそん以穀とうととき人民じんみんしょうしょく乞求なんとく。慈愍比丘びくゆえ。聽此八事やごと時世じせいかえ豐熟ほうじゅく飲食いんしょくにょうふつかえせい聽。かれふくさくごと大德だいとく迦葉。世尊せそん一切いっさい知見ちけんおうせいやめかえひらきひらきやめふくせい。迦葉こたえごと。以世尊せそん一切いっさい知見ちけんゆえよろしせいやめかえひらきひらきやめふくせいとみとうさく如是にょぜせいふつしょせいおうせいふつしょせいそくおう却。如佛しょせい戒應隨順ずいじゅん而學。」
  34. ^ じゅう誦律》:「識多しょだいけいゆうなみ羅紗らしゃひさげとぎ(すすむげん清淨せいじょうけい》),なみ羅紗らしゃだいあま(すすむげんいちきよしけい》),般闍ひさげ利劍りけん(すすむげん三昧ざんまいけい》),闍藍(すすむげんけい》),しょう闍藍(すすむげん梵經》),おもね吒那けん(すすむげん鬼神きじんなりけい》),訶紗耆劍(すすむげん大會たいかいけい》);おもねとぎなみ(すすむげんへびたとえけい》),しつ唳咆また耶時がつひっさげ(すすむげんさくめつ解脫げだつけい》),しゃく伽羅きゃらねん奈(すすむげんしゃくといけい》也),しかあま陀那なし耶夜(すすむげんだい因緣いんねんけい》),しきなみしゃなみとぎみなみ(すすむげん洴沙むかえけい》);般闍ゆう陀那きもひさげとぎ(すすむげん受陰却經》),すな陀耶あま(すすむげんろくじょうけい》),あま陀那なお乞多(すすむげんどうさかいけい》);のべ(すすむげんみちけい》),おもね陀波耆耶おさむ妬路(すすむげん眾德けい》),薩耆陀舍おさむ妬路(すすむげんたいけい》也)。」
  35. ^ だい毘婆すなろん》:「とぎうんなにいいしょけいちゅう結句けっく諷頌,かれかれ所說しょせつそく頌等。如伽他言たごん:『習近親愛しんあいあずか怨憎,便びんせい貪欲どんよく瞋恚しんにしょ智者ちしゃ俱遠避,どくしょけいぎょう如驎かく。』」
  36. ^ だい毘婆すなろん》:「曾聞《ぞういちおもねきゅうけい》,したがえ一法いっぽうぞう乃至ないしひゃくほういまただ有一ゆういち乃至ないしじゅうざいあまりみなかくれぼつまた於增いち乃至ないしじゅうちゅうまたかくれぼつざいしゃ極少きょくしょう。」
  37. ^ 訶僧祇律》:「わか比丘びく受共ぎょう弟子でしとめ弟子でしはちぐんけいなみ耶那けい論難ろんなんけいおもね耨達けいえんさとしけい如是にょぜとう種種しゅじゅわかきょう舉、ともきょうだんおう如是にょぜきょう弟子でしごとなんじまてわが誦斷,なんじとう誦。」「わか比丘びくぬの薩說なみひさげまたどきぞくいれしゃ即應そくおうさら誦餘けいわかなみのべわかはちばつ耆經わか牟尼わかほう。」
  38. ^ ふんりつ》:「おくみみ受教,そくせつじゅうろくひんけい。」
  39. ^ ざつおもね含經·いちさんいちけい》:「尊者そんじゃおもねりつ陀於竭提こく人間にんげん遊行ゆぎょういた畢陵とぎ鬼子おにごはは住處すみか宿やどとき尊者そんじゃおもねりつ陀夜ぶんはし正坐せいざ,誦ゆう陀那なみのべ真諦しんたいしょ上座かみざ所說しょせつ比丘尼びくに所說しょせつしかばねひん牟尼修多羅すたら悉皆しっかいこう誦。」
    べつやくざつおもね含經·さんけい》:「なんじ尊者そんじゃおもねりつしたがえふつ遊行ゆぎょういたりかれ竭提こく鬼子おにごははみやときおもねりつちゅうよるはやおこりせい端坐たんざ,誦ほう、及なみのべ大德だいとくまたふくだかごえ誦習其よし、及修多羅すたらひとし。」
  40. ^ だいから西域せいいきまきだいきゅう(いちこく):“だい迦葉結集けっしゅう西北せいほくゆう窣堵おもねなん受僧訶責,あずか結集けっしゅういたり此宴すわあかし羅漢らかんはてあかしはてのちぽう乃預焉。おもねなんあかしはて西行さいぎょうじゅうあまりさとゆう窣堵ゆうおうところけん也,だい眾部結集けっしゅうしょしょまなべ無學むがくすうひゃくせんにんあずかだい迦葉結集けっしゅう眾,而來いたり此,さらしょういい曰:‘如來にょらい在世ざいせい同一どういつがく法王ほうおう寂滅じゃくめつ,簡異わが曹。よくほう佛恩ぶつおんとうしゅう法藏ほうぞう。’於是凡、せい咸會,けんさとし畢萃,ふくしゅうもと呾纜ぞう、毘柰耶藏、おもね達磨だるまぞうざつ集藏しゅうぞうきん咒藏,べつためぞう。而此結集けっしゅう,凡、きよしどうかいいん而謂だい眾部。”
  41. ^ 吉藏よしぞうさんろんげんよし》:「げんしゃ如來にょらいがつじゅうにちいれ涅槃ねはんしょせい弟子でしよんがつじゅうにち。於王しゃじょう祇闍崛山ちゅう結集けっしゅう三藏さんぞうなんじそくゆう名字みょうじいち上座かみざいい迦葉ため上座かみざ。迦葉上陳かみじん如一なつためふつ以法付屬ふぞく迦葉。めい上座かみざ也。迦葉所領しょりょうただしゆうひゃくにんさとしろんのりゆうせんにんだい眾部。そく界外かいげだい眾。乃有まんすうばばなみ羅漢らかんためぬし。此云なみだつね悲苦眾生而淚墮也。そく比丘びく中之なかのいちにん而年だい迦葉。教授きょうじゅ界外かいげだい眾。所以ゆえんゆう眾。迦葉ゆう五百羅漢ごひゃくらかんぜんいれかい結集けっしゅう三藏さんぞうこうじんらい結集けっしゅう三藏さんぞう。迦葉なみもとゆう因緣いんねんいちしゃひゃくみな聰明そうめいじんゆえ。二者已羯磨竟故。さとしろん》。おもね闍世おうただししつらえせんにんしょく餘人よにんとく。」
  42. ^ しるしじゅん原始げんし佛教ぶっきょう聖典せいてん集成しゅうせい》:「りょうだい公認こうにんてき結集けっしゅう原本げんぽん僧團そうだん中重なかしげただしじゅう事相じそうてきがくだん所傳しょでんじゅつてき。如『そう祇律』、『どう鍱律』、『ふんりつ』、『よんふんりつ』、『じゅう誦律』、『ゆうりつ雜事ざつじ』、『毘尼とく勒伽』、『毘尼ははけい』,みやこゆう結集けっしゅうてきつてじゅつ
    此律てきつてじゅつ,而見於後代こうだい史傳しでんてき,如『しま』、『だい』、『ぜん毘婆すなりつ』、『だいから西域せいいきとう
    其中「だいいち結集けっしゅう」,ゆうためきょうかいしょ重視じゅうし所以ゆえんある結合けつごう於「涅槃ねはんたとえ喻」,如『根本こんぽんせつ一切有部毘奈耶雜事』、 『ふつ般泥洹經』、『般泥洹經』。ある結合けつごう於「おもねそだておう」Aśokaたとえ喻」,如『おもねいくおうつたえとうある引述於經ろんちゅう,如『ぞういちおもね含經』じょ,『分別ふんべつ功德くどくろん』、『大智たいちろん』。也有やゆうなりちつてき,如『迦葉ゆいけい』,『撰集せんしゅう三藏及雜藏傳』。 」
  43. ^ ふつ般泥洹經》:「比丘びくまんとめまもる舍利しゃりまたしゃ國王こくおう。且自かえみや。及群臣ぐんしん稽首于地悲哭。にょう殿どのさん匝還みやみことのりしょ夫人ふじん婇女。みなれいたてまつ戒畢きゅうじゅうにち。……しょ比丘びく俱問おもねむずかしそうほううんなにこたえ曰當東出とうでしろさんじゅうさとかれゆうきょうさとめいまもる致。ゆう四衢峙剎立廟。……たてまつきゅうじゅうにちだい迦葉。おもねりつ。迦旃のべどもおもねなんずいふつさいひさ於佛どくおやふつしょ教化きょうかほどこせためひろ摸。おもねなんぬきこころほろあきら受阿なん法律ほうりつ委曲いきょくこれ竹帛ちくはく。……ばとえびす國王こくおう立佛たちぼとけ宗廟そうびょうせいぼう禪室ぜんしつ。凡有さんせんしょ比丘びくしょ其中。誦經じゅきょう坐禪ざぜんおう大臣だいじんしんめいみなみ將兵しょうへいさんせん宿衛しゅくえいふつびょうだい迦葉あずかおもねりつともほう比丘びくそう佛經ぶっきょうゆいりつめい四阿あずまや含。おもねがたしたがえほとけどくため親密しんみつふつ以眾せいいん泆無作一さくいちおもね含。きょういかもとぎゃく作一さくいちおもね含。めいとおただし作一さくいちおもね含。不孝ふこうおやとおかしこむね佛恩ぶつおんおもんみうえほう作一さくいちおもね含。沙門しゃもん眾曰。ただおもねなん知夫ちぶ四阿あずまや含。とうよしおもねなんだしだい迦葉曰。おもねがた白衣はくいおそれゆうむさぼ不盡ふじんけい。眾比丘びく曰。以前いぜんこと詰責きっせきおもねむずかしとううえおもねなんちょ于高ゆか諸賢しょけんしゃ眾自下問かもんけい。」
    般泥洹經》:「すんでぶん舍利しゃりまたため遠方えんぽうしょよんやから弟子でし悉聞ゆえとめきゅうじゅうにち。乃起とうびょうしょらい國王こくおうごうせい人民じんみんいえぞくぼくしたがえみな齋戒さいかいきゅうじゅうにち在所ざいしょ遠方えんぽうよんやから弟子でし眾。かいかかわえびすきょうといおもねむずかし。於何おこりとうおもねなんこたえごととうしろよんじゅうさと。於衛致鄉四衢道中作塔廟。……いたりきゅうじゅうにちだい迦葉。おもねりつ。眾比丘びくかいどもほとけじゅうけいゆう四阿あずまや含。どくおもねなんさむらいふつひさふつ所說しょせつおもねなんこころざし諷。とうしたがえしょ受。おそれ其未得道とくどうなおゆうむさぼこころよくきゅうこと詰責きっせきおもねむずかしあずかしつらえ高座こうざ三上みかみ三下さんした如是にょぜしゃとく誠實せいじつ。」
  44. ^ ふつ般泥洹經》:「だい迦葉けんせい眾選羅漢らかんとくよんじゅうにんしたがえおもねなんとく四阿あずまや含。一阿含者六十疋素。寫經しゃきょう竟。ふつ宗廟そうびょうちゅう自然しぜんせいよんめいじゅ一樹いちじゅ迦栴。一樹いちじゅ迦比のべ。一樹字阿貨。一樹字尼拘類。比丘びくそうごとわれとう慈心うつし四阿あずまや含。自然しぜんせいよん神妙しんみょう。四阿含佛之道樹也。いんしょう約束やくそく。受比丘びくそうひゃくじゅう清淨せいじょうあかり戒。比丘尼びくに戒五百事ひゃくじゆうばばふさが戒有ゆうばばえびす戒有じゅう寫經しゃきょう竟諸比丘びくそう各行かくこうけい戒。てんしょう教化きょうかせんさい千歲ちとせ中有ちゅうう持戒じかいしゃおうざいだいよん彌勒みろくほとけところ彌勒みろく世尊せそん當為とういてん說經せっきょうほうげんいまこれかい眾。みな釋迦しゃかぶんふつ持戒じかいしゃ來會らいかい斯上。彌勒みろくふつごとしか曹勤こころ精進しょうじんくだりなん備悉。多少たしょう。」
    般泥洹經》:「だい迦葉。そくせん眾中よんじゅうおうしんしたがえおもねなん受得四阿あずまや含。いちちゅうおもね含。二長阿含。三增一阿含。四雜阿含。此四文者もんじゃ。一為貪婬作。ため喜怒きどさくさんため愚癡ぐちさくよんため不孝ふこうさく四阿あずまや含文。かくろくじゅう疋素。眾比丘びくごとよううつしよんぶんとう興行こうぎょう於天ふつ闍維しょ自生じせいよんじゅとげしょう撿斂。分別ふんべつしょほとけじゅうけい戒律かいりつほう。其在せんさいちゅう持佛じぶつけい戒者。こうみな會生かいせい彌勒みろくほとけところとうしたがえかれかい生死せいしくつ。」
  45. ^ Minayeffざい1887ねん發表はっぴょうてきにわかぶん作品さくひん,於1894ねんわけため法文ほうぶん。Minayeffてき主要しゅよう觀點かんてんさんかばせんあずかきよし克紀かつのりてき整理せいり。Louis De La Vallue Poussin, The Buddhist Councils ., K.P. Bagchi and Co, Calcutta, 1977. Biswadeb Mukherjee,”the Riddle of the First Buddhist Council-A Retrospection”, Chung-Hwa Institute of Buddhist Studies . 1994.07., pp.452-473.
  46. ^ Hermann Oldenberg, Vinaya Pitakaj Vol.1, pp. XXVIII-XXXI.
  47. ^ 初期しょき佛教ぶっきょう教團きょうだん研究けんきゅう》(東京とうきょう山喜やまきぼう佛書ぶっしょりん,1966 ねん),ぺーじ200-201。
  48. ^ 訶僧祇律》:「尊者そんじゃおもねなん誦如とう一切いっさい法藏ほうぞう。……なんじ長老ちょうろうおもねなんせつ此偈ごと所有しょゆうはちまん諸法しょほうぞう如是にょぜとうほうしたがえふつ聞。所有しょゆうはちまん諸法しょほうぞう如是にょぜとうほうしたがえ他聞たぶん如是にょぜとうほうわがつきふつ所說しょせつおもむきどろ洹。めい撰集せんしゅう諸法しょほうぞう。」
    ふんりつ》:「迦葉如是にょぜとい一切いっさい修多羅すたらやめそうちゅう唱言。……合名ごうめいため修多羅すたらぞうとうやめしゅうほう竟。」
    じゅう誦律》:「なんじ訶迦そうちゅう大德だいとくそう聽。一切いっさいおさむ妬路しゅう竟。ほう毘尼佛教ぶっきょう。」
    根本こんぽんせつ一切有部毘奈耶雜事》:「なんじだい迦攝つげおもねなん陀曰。ただゆうなんじもとおもねきゅうけいさらあまりしゃ。」
    ぜんりつ毘婆すな》:「おもねなん所出しょしゅつただじょ律藏りつぞう佛語ふつご一味いちみ分別ふんべつゆうようはつ中後なかごせつ其味有三ゆうぞう三藏さんぞうまたふく如是にょぜ。戒定としぞうわかとうけい也。わかいち分別ふんべつゆうきゅうけい如是にょぜ聚集ゆうはちまん法藏ほうぞう。」
  49. ^ 原始げんし佛教ぶっきょう聖典せいてん集成しゅうせいだいいちしょう:「とう佛滅ぶつめつだいいちなつおうしゃじょう舉行「ひゃく結集けっしゅう」,一切經律都已結集完成。這一傳統でんとうてき傳說でんせつ模糊もこりょう結集けっしゅうてき真實しんじつ情況じょうきょう不正ふせいかくてき解說かいせつ必要ひつようてきろんいさかいしたがえ此而しげる長起ながおきらい。如佛教ぶっきょうゆう種種しゅじゅてき結集けっしゅう傳說でんせつただしため這一傳統でんとう意見いけんしょ影響えいきょう,於是たい傳說でんせつてき不同ふどう結集けっしゅう推想ためこうじょうあずか校正こうせい維持いじある恢復かいふく固有こゆうてきけいりつ形態けいたいまた如在佛法ぶっぽう流傳りゅうでんちゅうあいだ雖有公認こうにんてきけいりつ,而內よう卻大ゆう出入でいりまい一部いちぶ以自そうつたえ誦的けいりつため原始げんし結集けっしゅう彼此ひしすんでゆう出入でいり,就不めん引起だれだれにせてきろんいさかい。這早大乘だいじょう佛法ぶっぽう隆盛りゅうせい以前いぜんてきじょうがた。……大抵たいていけいりつ較為しょう備的そうかいべつ刪除りょう。……相互そうごてきひょうやぶ受了傳統でんとうてき意見いけん──最初さいしょひゃく結集けっしゅう,就一切いっさい完成かんせいりょうてき影響えいきょう。其實,けいりつざい不斷ふだん結集けっしゅうちゅう成立せいりつてき。」
  50. ^ Paul Williams. Buddhism: The early Buddhist schools and doctrinal history ; Theravāda doctrine. Taylor & Francis. 2005: 175–176 [2015-06-29]. ISBN 978-0-415-33228-6. (原始げんし内容ないようそん于2016-05-12). 
  51. ^ そう春江はるえやく. 長部おさべ33けい/結集けっしゅうけい. [2015-06-29]. (原始げんし内容ないようそん于2015-07-01). 

外部がいぶ連結れんけつ

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