庆童(?—1368年ねん),元朝がんちょう丞相じょうしょう,康かん里さと人ひと,字じ明德めいとく,斡罗思おもえ之子ゆきこ。
庆童开始是ぜ元もと仁じん宗むね的てき宿やど卫,为大宗そう正ただし府ふ掌てのひら判ばん。后きさき为上うえ都と留守るす,历任辽阳行ぎょう省しょう江こう浙行省しょう平たいら章あきら政事せいじ。江南こうなん行こう省しょう御ご史し大夫たいふ。召拜中ちゅう书平章あきら政事せいじ。出で为陕西行ぎょう省しょう左ひだり丞相じょうしょう,在任ざいにん三さん年ねん后きさき再さい回かい大だい都と。元もと顺帝北きた逃时,庆童被ひ留とめ下か担任たんにん中ちゅう书省左ひだり丞相じょうしょう,和わ淮王帖じょう木き儿不花はな留守るす京きょう城じょう。明朝みょうちょう大だい军在徐じょ达带领下か进入大だい都と,庆童被ひ杀。