張ちょう書しょ勳くん(?—?),字じ在ざい常つね,號ごう酉とり峯みね,江南こうなん吳くれ縣けん(今いま江蘇ちぁんすー省しょう蘇州そしゅう市し)人にん,清朝せいちょう狀じょう元もと。
張ちょう書しょ勳くん出身しゅっしん貧寒ひんかん,乾いぬい隆たかし癸みずのと未み中ちゅう式しき,以其論ろん錯誤さくご罰ばつ停とま殿しんがり試ためし一いち科か,,乾いぬい隆三りゅうぞう十じゅう一いち年ねん(1766年ねん)考こう中ちゅう一いち甲かぶと第だい一いち名めい進士しんし。授翰林院かんりんいん修おさむ撰せん。數次すうじ充たかし任にん順じゅん天てん鄉さと試ためし及會かい試ためし同どう考こう官かん。官かん至いたり右みぎ中ちゅう允まこと。