楼ろう缓(?—?),战国时期纵横家か,秦はた赵联盟めい的てき策さく动者。
曾奉赵武灵王之これ命めいじ,出で使し秦はた国こく。前ぜん300年ねん,樗ぶな里さと疾やまし去さ世よ,秦はた昭あきら襄じょう王おう以楼缓为丞相じょうしょう。前ぜん299年ねん,秦はた昭あきら襄じょう王おう与あずか齐国结盟,以孟はじめ尝君为丞相しょう。前ぜん298年ねん,秦はた昭あきら襄じょう王おう罢免孟はじめ尝君,再さい用よう楼ろう缓,孟はじめ尝君靠もたれ“鸡鸣狗いぬ盗とう”之の徒と逃出函はこ谷たに关,回かい到いた齐国。前ぜん295年ねん,秦はた昭あきら襄じょう王おう罢免楼ろう缓,命いのち他た舅しゅうと舅しゅうと魏ぎ冉为丞相しょう。前ぜん259年ねん,长平之の战之これ后きさき,楼ろう缓到赵国劝赵孝成なり王おう投とう靠もたれ秦しん国こく,被ひ虞おそれ卿きょう和わ平原ひらはら君くん阻止そし。