王おう蘭らん彰あきら,山西さんせい省しょう澤さわ州しゅう直ちょく隸州陽ひ城ぐすく縣けん(今いま山西さんせい省しょう晉すすむ城市じょうし陽ひ城ぐすく縣けん)人にん,清朝せいちょう政治せいじ人物じんぶつ、進士しんし出身しゅっしん。
順治じゅんじ二に年ねん(1645年ねん),山西さんせい鄉さと試ためし中ちゅう舉。顺治三さん年ねん,登とう進士しんし,后きさき官かん至いたり山東さんとう陽ひ穀こく縣けん知ち縣けん。當時とうじ陽ひ城ぐすく縣けん參加さんか山西さんせい鄉さと試ためし共きょう十じゅう人にん(张尔素もと、田た六ろく善ぜん、杨荣胤たね、王おう润身、王おう兰彰、王おう克かつ生せい、衛まもる貞元さだもと、段上だんじょう彩いろどり、赵士俊しゅん、乔映伍ご),全部ぜんぶ中ちゅう舉;次じ年ねん十じゅう人にん又また參加さんか會かい試ためし,全ぜん登とう進士しんし,史し稱しょう“十じゅう鳳おおとり齊ひとし鳴な”[1]。