郭かく虔けん(?—?),字じ君きみ贤,东汉时期人物じんぶつ,冯翊郡ぐん池いけ阳(今いま陕西省しょう泾阳县西北せいほく)人にん。
郭かく虔けん历任尚なお书、光ひかり祿ろく勳くん。汉顺帝みかど永えい建けん六ろく年ねん(131年ねん)顺帝立りつ皇后こうごう,受宠的てき贵人有ゆう四よん人にん。尚なお书仆射しゃ南みなみ郡ぐん人ひと胡えびす广与あずか郭かく虔けん、史ふみ敞たかし联名上じょう书建议除了りょう四よん位い贵人外がい,再さい增ぞう选良家か女おんな儿,最さい后きさき选定梁りょう商しょう的てき女おんな儿梁りょう妠为皇后こうごう。永和えいわ二に年ねん(137年ねん)三さん月がつ,司つかさ空そら王おう卓たく去さ世よ。三さん月がつ三さん十じゅう,光ひかり祿ろく勳くん郭かく虔けん继任司つかさ空そら。永和えいわ六ろく年ねん(141年ねん)三さん月がつ十じゅう六ろく,司つかさ空そら郭かく虔けん被ひ免官めんかん。三さん月がつ廿にじゅう二に,太ふとし仆赵戒继任司し空そら。