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雲龍級航空母艦 - 维基百科,自由的百科全书 とべ转到内容ないよう

雲龍うんりゅうきゅう航空こうくう母艦ぼかん

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雲龍うんりゅうきゅう
雲龍うんりゅうきゅうてき4ごうかん笠置かさぎ」繫泊於佐世保させぼ於1945ねん11月
概觀がいかん
かんしゅ航空こうくう母艦ぼかん
ようゆうこく 日本にっぽん
ぜんかたりゅうごう航空こうくう母艦ぼかん
數量すうりょう包括ほうかつはんなりひんかん : 6(16)
たんそうづくり8303.9まんにちえん雲龍うんりゅう、1941ねんぬさ值)[1]
9344.2まんにちえん(5001ごうかん以後いご、1942ねんぬさ值)[2]
わざ术数すえ
排水はいすいりょうおおやけためし20,450とん(笠置かさぎ21,200とん)[3]
標準ひょうじゅん排水はいすいりょう17,480とん((笠置かさぎ18,300とん[3]
滿載まんさい排水はいすいりょう22,400とん
全長ぜんちょう227.35めーとる
かたひろし22.0まい水線すいせん高度こうど
吃水きっすい7.86めーとる
燃料ねんりょう重油じゅうゆ3750とん[4][5]
なべごうかん本式ほんしき重油じゅうゆすいかんなべ8
动力かん本式ほんしきうず引擎4,4じく推進すいしん
こうりつ152,000馬力ばりき
葛城かつらぎ阿蘇あそ:104,000ひき[4][5]
最高さいこう速度そくど34.0せつ
葛城かつらぎ阿蘇あそ:32.0せつ
ぞくこう距離きょり8,000かいり(18せつ
乘員じょういん1,100にん雲龍うんりゅう天城あまぎ[4][5]
1,500にん葛城かつらぎ笠置かさぎ阿蘇あそ[4][5]
1,595にん生駒いこま[4][5]
飛行ひこうしつらえほどこせ216.9めーとる x 27.0めーとる
ますくだ2だい
偵搜けい水下みぞおち偵蒐[6][7]
1さんしきごえおさめ
1れいしき聽音ちょうおん天城あまぎごう
1きゅうさんしき聽音ちょうおん天城あまぎごう以外いがい
武器ぶき裝備そうび6そう連裝れんそうはちきゅうしき127おおやけりん高射こうしゃ
25毫米3れんそうやり21
25毫米たんそうやり30てい
12りんまい28連裝れんそう火箭かせんほう6だい
30まい深水ふかみ炸彈[7]
裝甲そうこう舷側げんそく:46毫米
葛城かつらぎ阿蘇あそ:50毫米)
甲板かんぱん:25毫米
艦載かんさい53
せん鬥機:20(2備用)
とどろき炸機:27
偵察ていさつ:6
其它
  • 航空こうくうぐん搭載とうさい[8]
    雲龍うんりゅうきゅう
    800おおやけきん炸彈72まい
    250おおやけきん炸彈288まい
    60おおやけきん炸彈456まい
    きゅう一式いっしきあらため魚雷ぎょらい36まい
    生駒いこまごう
    800おおやけきん炸彈72まい
    250おおやけきん炸彈144まい
    60おおやけきん炸彈252まい
    きゅう一式いっしきあらため魚雷ぎょらい36まい

雲龍うんりゅうきゅう航空こうくう母艦ぼかんためだい世界せかい大戰たいせんとき日本にっぽん海軍かいぐん航空こうくう母艦ぼかんいちきゅうべつ,也是日本にっぽん帝國ていこく海軍かいぐん最後さいご一款量產的正規航空母艦。

沿革えんかく[编辑]

ざいだいよん軍備ぐんび補充ほじゅう計畫けいかくちゅう日本にっぽん海軍かいぐんぞうけんだいおおとりごう航空こうくう母艦ぼかん[9]ただし美國びくに海軍かいぐんざい1938ねんおこり急遽きゅうきょ投入とうにゅうきょりょうあずかさんじゅうせい海軍かいぐん日本にっぽん所期しょきもち維持いじたい美國びくに海軍かいぐん7なり規模きぼてき想定そうてい遭到龐大てきてきぐん造艦ぞうかん計畫けいかくきゅう壓迫あっぱく;1941ねん(昭和しょうわ16ねん)8がつざい日本にっぽんたい開戰かいせんまえ日本にっぽん得知とくち美國びくに通過つうか擴張かくちょう海軍かいぐん編制へんせいてきだいさんぶんもり法案ほうあん後來こうらいあずか其它造艦ぞうかん計畫けいかく統合とうごうなりりょうよう海軍かいぐん法案ほうあん);雖然ざい1940ねん日本にっぽん帝國ていこく海軍かいぐんつよし通過つうかだい五次海軍軍備補充計劃にちマル5計画けいかくつい趕1938ねん通過つうかてきだいぶんもり法案ほうあん,且於1941ねん春季しゅんきぶんまわし劃增づくり3そう以大おおとりきゅうため基礎きそ排水はいすいりょう3まんとんきゅう實際じっさいとん4まん5せんとんきゅうてき大型おおがたこうかん[10]

しか而,過度かど膨脹ぼうちょうてき理想りそう卻無ほう填補てんぽ拮据てき資源しげんはらじょう3そう大型おおがたこうかんざいひょう可動かどうささえ資源しげんおさむため1そう大型おおがたこうかん、2そうあずかりゅうごう同等どうとう標準ひょうじゅんただししん設計せっけいてき「1まんとんきゅう中型ちゅうがたこうかん[11]建造けんぞうへん碼為「800ごうかん[10]しか而1941ねん夏季かき確定かくていそくはたむかいよしぐん開戰かいせん需要じゅよう長時間ちょうじかん投資とうしざい形成けいせい戰力せんりょくてきだい五次軍備補充計畫遭廢案,日本にっぽん帝國ていこく海軍かいぐんおもしんひさげ昭和しょうわじゅう六年度戰時軍艦建造及航空兵力擴編計劃。該計畫けいかく主要しゅよう設計せっけい目標もくひょうためいんおう開戰かいせんてき可能かのう損失そんしつけい劃內再度さいどれつにゅう需興けん1そう中型ちゅうがた航空こうくう母艦ぼかん。且為りょう快速かいそく投入とうにゅう放棄ほうきおもしん設計せっけいてき打算ださん直接ちょくせつ使用しようりゅうごう航空こうくう母艦ぼかんてき設計せっけい稿こう[10]

雖然けい考量こうりょうてん需要じゅよう一種可以快速量產的中型航艦,たいかんせい本部ほんぶらいせつまたいちしゅこうけん距離きょり最後さいご一艘完工的中型航艦飛龍號已經過了10ねん,而飛りゅうごうしょ需的建造けんぞうこうじょ複雜ふくざつなみ正規せいき大型おおがた航空こうくう母艦ぼかん,且10ねんまえ設計せっけいぼつゆうあずかはかいた1941ねんおこり陸續りくぞく投入とうにゅうてき新式しんしき戰機せんき尺寸しゃくすん航空こうくう設備せつび操作そうさじょう也有やゆう許多きょたまち修正しゅうせい項目こうもく[10]いん此雖しかぶんまわし劃要のう快速かいそく完工かんこうただし實際じっさいまち修正しゅうせいてき工程こうてい項目こうもくなみしょうかんせい本部ほんぶ打算ださん考量こうりょう量產りょうさん便利べんりせいてき出發しゅっぱつてんじゅうしん設計せっけい一艘只有最基本防禦性能的航空母艦。而當時とうじ擔任たんにん航空こうくう本部ほんぶ總務そうむ部長ぶちょうてき大西おおにしたき治郎じろう提出ていしゅつゆうせき航空こうくう母艦ぼかん整備せいび方針ほうしん意見いけんしょ』,うらめんつつみ及海ぐんてき新型しんがたこうかんねがいけい

  • かんとうどうたかきゅうてきけむり囪-艦橋かんきょう整合せいごうしきかんとう
  • こうそく:28せつ
  • 艦載かんさい烈風れっぷう24流星りゅうせい24彩雲さいうん6きょう54
  • 航空こうくうぐん基本きほんじょう搭載とうさい魚雷ぎょらいそう73まい500おおやけきん炸彈。如需臨時りんじぞう其他物資ぶっしようゆう24調整ちょうせい空間くうかんてき船艙せんそう
  • 防禦ぼうぎょ配置はいちしゅ彈藥だんやくほどこせ以100おおやけりんCNC裝甲そうこう,其餘部分ぶぶん防禦ぼうぎょ包括ほうかつ炮彈やく動力どうりょく部門ぶもん甲板かんぱんとう),なみこうしつらえ逃生もん以利疏散。
  • 防空ぼうくう武器ぶき需要じゅようそう防空ぼうくう炮,主要しゅようさんれんそう25おおやけりん防空ぼうくう炮為ぬし

大西おおにし甚至みとめためためはやてん構成こうせい戰力せんりょくよう一點的材料建造也無所謂,せんから就算ぼついたあずかていあつ也沒關係かんけい」,かんせい本部ほんぶたい實戰じっせん單位たんい這種ただそうちょそく戰力せんりょくてきねがいけいのり反應はんのう冷淡れいたんれんあずかたかきゅうしょうどうてき設計せっけい這些構念最後さいご決議けつぎ採用さいよう[12]ただしかんせい本部ほんぶてきそうほうおくいた軍令ぐんれい軍令ぐんれいそくみとめためかんせい本部ほんぶ提出ていしゅつてき簡化こうかん方案ほうあん需求こうじょなみぼつ復刻ふっこくりゅうごう簡化多少たしょういん此也かんせい本部ほんぶてきそうほうかいひょう維持いじ生產せいさん雲龍うんりゅうきゅうてき現行げんこう政策せいさく[10]最終さいしゅう設計せっけい出來でき的中てきちゅうがたこうかん維持いじ傳統でんとう構型,ぼつ出現しゅつげん特別とくべつ極端きょくたんてき設計せっけい哲學てつがく原本げんぽんただ打算ださんづくり1そうてき雲龍うんりゅうきゅうざい中途ちゅうととう海戰かいせんおりへいそんしょうていたん大幅おおはば增加ぞうかいたり16そう[10]ただしちょくいた戰爭せんそう結束けっそく包括ほうかつはんなりひんかんただ完成かんせい6そう[3]

設計せっけい特徵とくちょう[编辑]

雲龍うんりゅうごう航空こうくう母艦ぼかん

雲龍うんりゅうきゅう航空こうくう母艦ぼかんかんからだ設計せっけいだいごうG16いく乎全てきかんからだ流體りゅうたい力學りきがく設計せっけい資料しりょうゆかりりゅうごう航空こうくう母艦ぼかん繼承けいしょう而來[10]船體せんたいあずか飛行ひこう甲板かんぱん設計せっけいいくつき完全かんぜん雷同らいどう[13];雖可ためりゅうごうてき改良かいりょうがたただし參考さんこうりょう後來こうらい新造しんぞうこうかんてき操作そうさ經驗けいけん及新しき戰機せんきてき操作そうさ要求ようきゅう採納さいのう實戰じっせん經驗けいけん大幅おおはば變更へんこう航空こうくう飛行ひこう支援しえん設備せつびいん此在外觀がいかん識別しきべつじょう很難はたりょうたね航空こうくう母艦ぼかん聯想れんそうざいいちおこりただ一可以連結出兩者血脈關係只有動力系統與船體長寬比,繼承けいしょうりゅうごう同等どうとう標準ひょうじゅんてき15まんひき馬力ばりき搭配11てきちょうひろし雲龍うんりゅうきゅう仍然保留ほりゅうりょうだかきょくそくてき特性とくせい

かんたい

雲龍うんりゅうきゅうてきかんからださんすううけたまわかさねりゅうごうただしりゅうごう使用しようてきせんかじ設計せっけいはん平行へいこうかじしょう角度かくどてん性能せいのう理想りそういん此雲りゅうきゅうあずかりゅうごうざい水下みぞおち設計せっけいただ一不同之處是恢復與蒼龍號相同的雙平行舵(釣合つりあいかじ配置はいち[14]強化きょうかてん彎能りょく上層じょうそう甲板かんぱん設計せっけい部分ぶぶん雲龍うんりゅうきゅう放棄ほうきりょうりゅうごうてき左側ひだりがわおけちゅうかんとう設計せっけい採用さいようしょう鹤级航空こうくうははてき設計せっけいかんとう於右ふなばた而且位置いちもたれまえ[10]かんとう外觀がいかん雖然沿襲りゅうごうただし內部變更へんこうかいあおいりゅうごうてきさんそうよん甲板かんぱん建築けんちく佈局,りゅうごう艦橋かんきょういただき配備はいびてき九四式高射裝置被二號一型雷達給取代,高射こうしゃ指揮しき裝置そうちうつりいたかんたいはかふなばたかんとう後方こうほうなべ排煙はいえんこうけむり位置いち仍與りゅうごうしょうどう[15]ためりょう便びん生產せいさん雲龍うんりゅうきゅうてきそとがたつきりょうよう直線ちょくせん而不よう曲線きょくせんなみ且大りょう採用さいよう焊接;ゆう部分ぶぶん雲龍うんりゅうきゅうけむり囪也いん採用さいよう焊接製造せいぞうてき六角形ろっかっけい設計せっけい[15],而非加工かこう複雜ふくざつてき橢圓だえんがたなべしんこう設計せっけい採納さいのう戰爭せんそう經驗けいけんふん散在さんざい左右さゆうふなばたかくしょ,避免遭破壞はかい動力どうりょくぐみおちいにゅう全部ぜんぶ癱瘓てきかくれ患。

ざいりゅうごう日本航空にほんこうくう母艦ぼかんてき裝甲そうこう防禦ぼうぎょ保持ほじりょう巡洋艦じゅんようかんてき標準ひょうじゅんふねからじょりょうゆう水線すいせん裝甲そうこうたい飛行ひこう甲板かんぱん也有やゆう一定いっていあつたびてき鋼板こうはんざい要害ようがい區域くいきかい另外ぞうそう防禦ぼうぎょ裝甲そうこうただしざい雲龍うんりゅうきゅうやめけい餘裕よゆうただゆうざい要害ようがい部位ぶいしつらえ防禦ぼうぎょ裝甲そうこう雲龍うんりゅうきゅうてき裝甲そうこう主要しゅよう設置せっち區域くいき保護ほご彈藥だんやく雲龍うんりゅうきゅうてきせんから防禦ぼうぎょ採用さいよう56おおやけりんあつてき含銅滲碳こうばん(Copper alloy Non Cemented,CNCこう)、彈藥だんやくてきだんがわ面會めんかいそう50-140おおやけりん不等ふとうあつたびてきしん維克斯表面ひょうめん硬化こうか滲碳こうばん(New Vickers non cemented,NVNCこう)、だん側面そくめんそくかいそう46おおやけりんあつてきCNCこう甲板かんぱん雖然仍使用しよう韌性較好てき(Ducol steel,DSこうもりしかてい錳合きん結構けっこうこうただしあつたび削減さくげんいたり25おおやけりんただしかく造船ぞうせんしょうためりょう趕工,實際じっさい上除かみのぞきりょう雲龍うんりゅう天城あまぎりょうかん維持いじ設計せっけい規範きはん後續こうぞく建造けんぞうてき量產りょうさんかん無法むほう維持いじ同等どうとう標準ひょうじゅん葛城かつらぎごうてき彈藥だんやく裝甲そうこうさいあつ部分ぶぶんやめくだていなり100おおやけりんてきNVNC鋼板こうはんそく使用しようりょうそう25おおやけ釐厚てきDS鋼板こうはんだいかわ原本げんぽんてきたんそうCNCこう

動力どうりょくぐみ

雲龍うんりゅうきゅう設計せっけいはつはらじょうそうじょうざいしょうづるきゅうだいおおとりごうこうかんとう運用うんようてき標準ひょうじゅんがた高溫こうおんだかあつなべ[10]ぐんこうかん1930年代ねんだい末期まっきてき高溫こうおんだかあつなべうんさく蒸氣じょうき溫度おんど350なべ壓力あつりょくごと平方へいほうこうぶん30おおやけきん[16],較1930年代ねんだい中期ちゅうきまたさら精進しょうじんりゅう最上級さいじょうきゅうとうなべうんさく蒸氣じょうき溫度おんど220壓力あつりょくごと平方へいほうこうぶん22おおやけきん[17]),かり使用しようしん規格きかくなべざいあるじ空間くうかんじょうかえゆうふししょう空間くうかんただし戰爭せんそう發動はつどう物資ぶっし匱乏,高溫こうおんだかあつなべとく運用うんようてき特殊とくしゅ材料ざいりょう也難以籌措,しるべ致每うけたまわけん雲龍うんりゅうきゅうてき海軍かいぐん工廠こうしょうただのうかく憑本ごと解決かいけつぐみ問題もんだい

三菱長崎廠承製的雲龍級(天城あまぎ笠置かさぎそううえりょう造艦ぞうかん計畫けいかく遭臨取消とりけしてきしん鈴谷すずやきゅうじゅう巡洋艦じゅんようかんおも,該主搭配てきなべ1930年代ねんだい服役ふくえきてきじゅう巡洋艦じゅんようかんとう性能せいのう相近すけちかうんさく蒸氣じょうき溫度おんど200壓力あつりょくごと平方へいほうこうぶん22おおやけきん[18]いん此仍維持いじ逼近りゅうごう動力どうりょく輸出ゆしゅつ表現ひょうげん,仍有相等そうとうてき航行こうこう性能せいのう

海軍かいぐん工廠こうしょうぼつゆう辦法解決かいけつ物資ぶっし匱乏問題もんだい,而是しょう陽炎かげろうきゅう驅逐くちくかん使用しようてき動力どうりょくぐみそうかん應急おうきゅう[10];雖然陽炎かげろうきゅうなべ效率こうりつ較好(うんさく蒸氣じょうき溫度おんど350なべ壓力あつりょくごと平方へいほうこうぶん30おおやけきん),ただしはい套蒸うずぬし輸出ゆしゅつ不足ふそくきょくそくいん此較ただし就原ほん陽炎かげろうきゅうてきぐみ設計せっけいらいこうただよう6なべ就可以滿足まんぞくうずぬし輸出ゆしゅつただし航空こうくう母艦ぼかん較需よう持續じぞく高速こうそく航行こうこう取得しゅとくさいけい飛行ひこう操作そうさ效率こうりついん此仍維持いじ8なべ佈局[17]

でんけい輸出ゆしゅつ部分ぶぶん雲龍うんりゅうきゅう最初さいしょ使用しようてき1930年代ねんだい普及ふきゅうてき220ふくとく交流こうりゅうでんただしかんせい本部ほんぶはらじょうざい5007ごうかん生駒いこまさらかわため電壓でんあつさらだいてき440ふくとく交流こうりゅうでん[19]ただしなみぼつゆう實際じっさい完工かんこう

航空こうくうしつらえほどこせ

いんため新式しんしき戰機せんき體積たいせき較大,雲龍うんりゅうきゅう飛行ひこう甲板かんぱん雖然面積めんせき不變ふへんただし考慮こうりょいた船體せんたい尺寸しゃくすん有限ゆうげんいん此重新設しんせつけいりょう航空こうくう支援しえん設備せつび雲龍うんりゅうきゅう保留ほりゅう前後ぜんこうますくだぜんますくだ和大かずひろおおとりごうしょうどうためちょうひろし14おおやけじゃくてきへんがた構造こうぞう[10]ますくだそく較小,ちょう14おおやけじゃくひろし13.6おおやけじゃくりょうたいますくだあずかかんたい內雙そうれんどおりじょようますくだ機外きがい雲龍うんりゅうきゅうがくがいぞうそう運輸うんゆ魚雷ぎょらいあずか炸彈いたり飛行ひこう甲板かんぱんてき專用せんようおくたま,這項設計せっけい同樣どうようただゆう戰爭せんそう期間きかん建造けんぞうてきだいおおとりごう與信よしんごうじょうざいゆう[10]雲龍うんりゅうきゅうぐんてき魚雷ぎょらい搭載とうさいりょう標準ひょうじゅんため36まいただし以視情況じょうきょう調整ちょうせい增加ぞうか6まいてきもうか備空あいだ

雲龍うんりゅうきゅうてき攔截さく配合はいごう1944ねんおこり投入とうにゅうてき新式しんしきじゅうがた戰機せんきあずか攻擊こうげき,以空しょうしき412さく汰換りょう當時とうじ主要しゅよう運用うんようてきくれしき99さくぞう加重かじゅうがた落艦安全あんぜんせいいんためぐんこうかんてき折損せっそん經驗けいけんかん內比過去かこ建造けんぞうてきかんせきさらちゅうじゅう消防しょうぼう安全あんぜん飛行ひこう甲板かんぱんてき通風つうふう排氣はいき效率こうりつ也被重視じゅうしじょ使用しようこう燃燒ねんしょう塗料とりょうめつ設備せつびしたがえ二氧化碳滅火器升級成泡沫滅火器,燃料ねんりょうそう四周更施以水泥みどろ隔絕かくぜつ航空こうくう汽油攜帶りょう維持いじりゅうごうてき360おおやけとん規格きかくただしぐん戰機せんき大型おおがた燃料ねんりょう需求遠大えんだい1930年代ねんだいしょ需的狀況じょうきょう雲龍うんりゅうきゅうてきぞく戰力せんりょくよう較既往日おうじつぐんこうかんようため不足ふそくただし也避めん油氣あぶらけ問題もんだいじゅうえんじ雲龍うんりゅうきゅうてきせんからただゆう驅逐くちくかんりゃくあつてきうす裝甲そうこういん增加ぞうかてき安全あんぜん設備せつび重量じゅうりょうなみぼつ使つかいかん體重たいじゅうしん過度かど上移かみうつし

雲龍うんりゅうきゅう艦載かんさい配置はいちとうぜん說法せっぽう較為複雜ふくざつてき議題ぎだい,如按りゅうごうてき史實しじつ標準ひょうじゅんそく便びん1941ねん主力しゅりょく機種きしゅ雲龍うんりゅうきゅう理論りろんじょう仍應ゆう57戰機せんきてきそう能力のうりょくただしよしため造艦ぞうかん計畫けいかくはじめいたり日本にっぽん戰敗せんぱい海軍かいぐんさらかわりょうりょうだいがたいん此實ぎわ搭載とうさいゆう以下いかいくしゅ說法せっぽう

にち 資料しりょう典故てんこ せん鬥機 俯衝とどろき炸機 魚雷ぎょらい攻擊こうげき 偵察ていさつ 合計ごうけい 露天ろてん放置ほうち數量すうりょう 附註ふちゅう 資料しりょう出處しゅっしょ
1941ねん10がつ20日はつか 一般いっぱん計畫けいかく要領ようりょうしょ れいせん
12+3
きゅうきゅうかんばく
27+3
きゅうななかんおさむ
18+2
57+8 雲龍うんりゅうきゅうてき初期しょき構想こうそう [20]
1942ねん11月28にち 現狀げんじょう報告ほうこく資料しりょう 建造けんぞうちゅう空母くうぼ 12+3 27+3 18+2 57+8 5006ごうかん(阿蘇あそ) [21]
1943ねん9がつ1にち しん艦船かんせん主要しゅよう要目ようもく一覽いちらんひょう れいせん
12
きゅうきゅうかんばく
27
きゅうななかんおさむ
18
57 天城あまぎ笠置かさぎ葛城かつらぎ阿蘇あそ [22]
1944ねん10がつ 建造けんぞうちゅう水上すいじょう艦艇かんてい主要しゅよう要目ようもく一覧いちらんひょう 18 18 18 3 57 笠置かさぎ [3]
不明ふめい 原典げんてん不明ふめい れいせん
21
彗星すいせい
18
天山てんざん
21
60 彗星すいせい9
天山あまやま2
雲龍うんりゅうきゅう [23]
1943ねん9がつ1にち 一般いっぱん計畫けいかく要領ようりょうしょ じゅうななためしかんせん
18+2
いちろくためしかんおさむ
27+0
いちななためしかん
6+0
51+2 雲龍うんりゅうあらためきゅう基礎きそ計畫けいかく
1943ねん9がつ1にち文書ぶんしょ資料しりょう[22]
[20]
1942ねん11月28にち 現狀げんじょう報告ほうこく資料しりょう 建造けんぞうちゅう空母くうぼ 18+1 27+0 27+0 72+1 5007ごうかん(生駒いこまごう)これのち [21]
不明ふめい 原典げんてん不明ふめい 烈風れっぷう
18+2
流星りゅうせい
24
彩雲さいうん
3
45+2 流星りゅうせい4
彩雲さいうん3
雲龍うんりゅうあらためがた(生駒いこまごう) [23]

同型どうけいかん[编辑]

雲龍うんりゅうきゅう原本げんぽんけい建造けんぞう16そうただし實際じっさい命名めいめい7そう建造けんぞう完成かんせいてきただゆう3そう;5002、5005りょうかん原本げんぽんあずかてい使用しよう建造けんぞう信濃しなのごうてき橫須賀よこすかだいろくごうせん塢動こうただしいんため信濃しなのごう工程こうてい取消とりけしいん此在未開みかいこう前便ぜんびん取消とりけし造艦ぞうかん計畫けいかく

造艦ぞうかんへんごう 建造けんぞうしょう ふねめい 开工時間じかん 下水げすい時間じかん 完工かんこう時間じかん 結局けっきょく へん
302 よこ须贺うみ军工厂 うん 1942ねん8がつ 1943ねん9がつ25にち 1944ねん8がつ6にち 1944ねん12月19にち美国びくにせんてい击沉
5001 三菱重工みつびしじゅうこう長崎ながさき造船ぞうせん 天城あまぎ 1942ねん10がつ1にち 1943ねん10がつ15にち 1944ねん8がつ10日とおか 1945ねん7がつ28にちそらきさき进水沉没
5002 橫須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょう
どうこう
1943ねん造艦ぞうかん計畫けいかく取消とりけし資材しざい挪用いたり信濃しなのごう改裝かいそう工程こうてい
5003 吴海军工厂 葛城かつらぎ 1942ねん12月8にち 1944ねん1がつ19にち 1944ねん10がつ15にち 1946ねん11月30にち日立造船ひたちぞうせん解体かいたい
5004 三菱重工みつびしじゅうこう長崎ながさき造船ぞうせん 笠置かさぎ 1943ねん4がつ14にち 1944ねん10がつ19にち 1945ねん4がつ1にち建造けんぞう终止,完成かんせい84% 1946ねんざい佐世保させぼかい军工厂被拆解
5005 橫須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょう
どうこう
1943ねん造艦ぞうかん計畫けいかく取消とりけし資材しざい挪用いたり信濃しなのごう改裝かいそう工程こうてい
5006 吴海军工厂 阿蘇あそ 1943ねん6がつ8にち 1944ねん11月17にち 1944ねん11月9にち建造けんぞう终止,完成かんせい60% 作為さくい日本にっぽん陆军特攻とっこう兵器へいきMXY-7樱花とく别攻击机實驗じっけんしるべ靶擱あさ倉橋くらはしとう,1946ねん12月拆解
あらためだい302ごうかんがた生駒いこまきゅう
5007 かみ川崎かわさき造船ぞうせんしょう 生駒いこま 1943ねん7がつ5にち 1944ねん11月17にち 下水げすいぜん建造けんぞう终止,完成かんせい60% 1946ねん6がつ拆解
5008 三菱重工みつびしじゅうこう長崎ながさき造船ぞうせん 鞍馬あんば
1944ねん5がつ5にち取消とりけし建造けんぞう
5009 橫須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょう
1943ねん8がつ11にち取消とりけし建造けんぞう計畫けいかく
5010 三菱重工みつびしじゅうこう長崎ながさき造船ぞうせん
5011 橫須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょう
5012 海軍かいぐん工廠こうしょう
5013 橫須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょう
5014
5015

結局けっきょく[编辑]

こぼし沉於くれこう內的天城あまぎごう

ざい雲龍うんりゅうごう完工かんこうさいだいいち航空こうくう艦隊かんたい所轄しょかつ艦載かんさい部隊ぶたいだい601海軍かいぐん航空こうくうたいにちだいろく〇一海軍航空隊也差ざい1944ねんてき菲律まろうど海戰かいせんやくきゅう耗損殆盡,ぼつゆう合格ごうかく艦載かんさいてき航空こうくう母艦ぼかん便びんただあま運輸うんゆこうのう

くびかん雲龍うんりゅうごうざいたてしげるだいいち任務にんむ於1944ねん12月18にちしたがえ日本にっぽんくれこう出發しゅっぱつ運送うんそう陸軍りくぐん部隊ぶたいいち櫻花おうか特攻とっこういた菲律まろうどただしざい途中とちゅう美國びくにせんていげき

1945ねん2がつ日本航空にほんこうくう母艦ぼかんいんためやめ缺乏けつぼう飛行ひこういん而全停止ていし活動かつどうとま軍港ぐんこう內,天城あまぎごう葛城かつらぎごう於3がつ19にちざいくれこうぐん戰機せんき空襲くうしゅう而受輕傷けいしょうこれりょうかん停泊ていはく於吳こう三子島みつこじま附近ふきん海域かいいきためりょう避開空襲くうしゅうりょうかんてき飛行ひこう甲板かんぱんうえじょう植物しょくぶつ田地たじかず小屋こやとう各種かくしゅ假裝かそうぶつふんなり小島こじま,7がつ24にちまたらい空襲くうしゅう,這些偽裝ぎそう仍被ぐん飛行ひこういん識破,天城あまぎごう命中めいちゅう3炸彈而翻沉於くれこう內,1946ねん12月拆毀,葛城かつらぎごう當日とうじつ也受到空襲くうしゅうただし損傷そんしょうだいせん葛城かつらぎごうなりため當時とうじ日本にっぽん最大さいだいてき運輸うんゆかんとめざい南太平洋みなみたいへいようてき日本にっぽん軍民ぐんみん運送うんそうかい日本にっぽん,1946ねん2がつ拆毀。

相關そうかん條目じょうもく[编辑]

參考さんこう資料しりょう[编辑]

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