雲龍うんりゅうがた航空こうくう母艦ぼかん

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雲龍うんりゅうがた航空こうくう母艦ぼかん
竣工直前の「雲龍」 1944年7月16日[1]
竣工しゅんこう直前ちょくぜんの「雲龍うんりゅう
1944ねん7がつ16にち[1]
基本きほん情報じょうほう
種別しゅべつ 航空こうくう母艦ぼかん[2]
運用うんようしゃ  大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん
建造けんぞうすう 6せき竣工しゅんこう3せき
まえきゅう りゅうおおとり
つぎきゅう 信濃しなの
要目ようもくおも基本きほん計画けいかく
基準きじゅん排水はいすいりょう 計画けいかく 17,150えいトン[3]
生駒いこま 17,500えいトン[3]
おおやけためし排水はいすいりょう 雲龍うんりゅう 20,100トン[3]
生駒いこま 20,450トン[3]または20,350トン[4]
満載まんさい排水はいすいりょう 雲龍うんりゅう 21,779トン[3]
生駒いこま 22,005トン[3]
22,400トン[よう出典しゅってん]
全長ぜんちょう 227.35m[3]
水線すいせんちょう 223.00m[3]
垂線すいせんあいだちょう 206.52m[3]
水線すいせんはば 22.00m[3]
ふか 20.50m(飛行ひこう甲板かんぱんまで)[3]
吃水きっすい 雲龍うんりゅうこうためし 7.76m、どう満載まんさい 8.13m[3]
生駒いこまこうためし 7.86m、どう満載まんさい 8.20m[3]
飛行ひこう甲板かんぱん 216.90m x 27.00m[3]
エレベーター2[13]
ボイラー ごうかん本式ほんしきせんしょうかん(空気くうき余熱よねつづけ[5])8[6]
おも かん本式ほんしきタービン(高中たかなか低圧ていあつ[5])4[6]
推進すいしん 4じく x 340rpm直径ちょっけい3.800m[6]
生駒いこま 直径ちょっけい3.900m[6]
出力しゅつりょく 152,000馬力ばりき[3]
葛城かつらぎ阿蘇あそ:104,000馬力ばりき[7]
速力そくりょく 34.0ノット[3]
葛城かつらぎ阿蘇あそ:32.0ノット[7]
航続こうぞく距離きょり 8,000カイリ / 18ノット[3]
燃料ねんりょう 3,750トン[3]
搭載とうさい能力のうりょく 雲龍うんりゅう計画けいかく
きゅう一式いっしき魚雷ぎょらい36ほん[10]
ばくだん 800kg72、250kg288、60kg456[11]
飛行機ひこうきよう軽質けいしつ 360トン[12]
乗員じょういん 雲龍うんりゅう計画けいかく乗員じょういん 1,151めい(+司令しれい16めい)[8]
生駒いこま計画けいかく乗員じょういん 1,101めい(+司令しれい24めい)[8]
雲龍うんりゅう竣工しゅんこう定員ていいん 1,561めい[9]
1,556めい[よう出典しゅってん]
へいそう 40口径こうけい12.7cm連装れんそう高角こうかくほう6[14]
25mm機銃きじゅう 3連装れんそう9どう連装れんそう2(雲龍うんりゅう基本きほん計画けいかく)[14]
どう 3連装れんそう13(生駒いこま基本きほん計画けいかく)[14]
どう 3連装れんそう22(葛城かつらぎ最終さいしゅう)[15]
12cm28連装れんそう噴進ほう6(葛城かつらぎ最終さいしゅう)[15]
きゅうしき爆雷ばくらい6(計画けいかく)[10]
爆雷ばくらい投下とうかだい1(葛城かつらぎ最終さいしゅう)[15]
装甲そうこう #防御ぼうぎょ参照さんしょう
搭載とうさい #搭載とうさい参照さんしょう
搭載とうさいてい 計画けいかく 12m内火艇ないかてい3せき、12mうちランチ2せき、8mうちランチ1せき、9mカッター2せき、13mとくがたうん貨船2せき[13]
レーダー 葛城かつらぎ最終さいしゅう:21ごうでんさがせ1、22ごうでんさがせ1、13ごうでんさがせ2
ソナー 計画けいかく 仮称かしょう九一式四号探信儀1くみ[10]
水中すいちゅう聴音ちょうおん3さがせしんじ1くみ(葛城かつらぎ最終さいしゅう)[16]
その カタパルト1(計画けいかくのみ)[11]
かん要目ようもくはそれぞれの記事きじ参照さんしょうのこと
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雲龍うんりゅうがた航空こうくう母艦ぼかん(うんりゅうがたこうくうぼかん)は、大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん中型ちゅうがた航空こうくう母艦ぼかん

特徴とくちょう[編集へんしゅう]

構造こうぞう[編集へんしゅう]

雲龍うんりゅうがたさき建造けんぞうされたりゅう図面ずめん流用りゅうようし、不備ふびたいして部分ぶぶんてき改正かいせいくわえたものである[17]おも改正かいせいてん艦橋かんきょう位置いち変更へんこう、エレベーターを2げんじて大型おおがたかじ変更へんこう対空たいくうへいそう増強ぞうきょう、そのたいべいせんせんくん反映はんえいした設備せつび装備そうび増強ぞうきょうであった[17]船体せんたい形状けいじょうは「りゅう」のせんほぼそのままである[18]構造こうぞう船体せんたい飛行ひこう甲板かんぱんどもに「りゅう」とおなじであり、寸法すんぽう変更へんこう[17]。ただし「りゅう」が装備そうびしたはん平行へいこうかじしょうかじかくでの旋回せんかい半径はんけいおおきく(きがわるく)、「あおいりゅう」の装備そうびした並列へいれつ2まい釣合つりあいかじもどされた[19]

艦橋かんきょう位置いち改装かいそうの「赤城あかぎ」の左舷さげん中央ちゅうおう配置はいち問題もんだいとなったため、雲龍うんりゅうがたでは「あおいりゅう」とおな右舷うげん前部ぜんぶもどされている[18]形状けいじょうは「りゅう」の艦橋かんきょうちかいが、1そうらされ、「あおいりゅう」とおなじ3そう4甲板かんぱんとなった一方いっぽう、トップはきゅうよんしき高射こうしゃ装置そうちわりごういちがたでんさがせ装備そうび高射こうしゃ装置そうち舷側げんそくうつしたほか、機銃きじゅう防弾ぼうだんいた装着そうちゃく前方ぜんぽう方位ほうい測定そくていしつ後方こうほうかんしつ通風つうふうなどがもうけられるなど、全体ぜんたいてき大型おおがた複雑ふくざつしている[20]

飛行ひこう甲板かんぱん寸法すんぽうりゅうまったおな[18]航空機こうくうきようエレベーター中央ちゅうおうエレベータが廃止はいしされて3から2減少げんしょうするとともに、大型おおがたした新型しんがた対応たいおうするため前部ぜんぶが14x14メートル、後部こうぶは14x13.6メートルへ拡大かくだいされ[17]昇降しょうこうスピードもアップされた[18]格納庫かくのうこ上下じょうげ2だんミッドウェー海戦かいせんせんくん対策たいさく泡沫うたかたしき消火しょうか装置そうち壁面へきめん設置せっちされた[17]ちゃくかん制動せいどう装置そうち計画けいかくではくれしき99さくであったが、そらしょうしき412さく変更へんこうされ、新型しんがた大型おおがた艦上かんじょう攻撃こうげき対応たいおうするものとなっている[17]。また滑走かっそう制止せいし装置そうち従来じゅうらいのものを新型しんがたよう改良かいりょうしたそらしょうしき(さんしき10がた)滑走かっそう制止せいし装置そうち装備そうびした[17]。 ただ、雲龍うんりゅうがた航空こうくう母艦ぼかん戦力せんりょくとして運用うんようされたとしても、1945ねん昭和しょうわ20ねん以降いこう主力しゅりょくとして計画けいかくされていた「烈風れっぷう」や「流星りゅうせい」といった新型しんがた雲龍うんりゅうがた飛行ひこう甲板かんぱん全長ぜんちょう全幅ぜんぷくでは同時どうじはつかんすうなんがあるという意見いけんもある[21]

ばくだん魚雷ぎょらいは、信濃しなのだいおおとり採用さいようされたのとおなじように飛行ひこう甲板かんぱんまであげだんされる専用せんようあげだんとう採用さいようされ[18]前部ぜんぶ昇降しょうこうしき大型おおがた後部こうぶ同小どうしょうがた設置せっちされた[17]魚雷ぎょらいは36ほん搭載とうさい可能かのうで、同時どうじ調整ちょうせい可能かのうすうは6ほんといわれる[17]

防御ぼうぎょ

たま火薬かやく装甲そうこうについては「雲龍うんりゅう」「天城あまぎ」「笠置かさぎ」は「りゅう」と同様どうように140mmから50mmNVNCこう砲弾ほうだんたいする舷側げんそく装甲そうこうについては「葛城かつらぎ」「阿蘇あそ」ではその必要ひつようせいうすれたことより装甲そうこうあつうすくされ100mmから75mmNVNCこうとされている[18]。また機関きかん舷側げんそくかぶと製造せいぞうわず25mmDSこうに2まいかさねで代用だいようされた[7]反面はんめん魚雷ぎょらい威力いりょく増大ぞうだいにより水中すいちゅう防御ぼうぎょ充実じゅうじつはかられた[18]。「生駒いこま以降いこうきのえ製造せいぞう簡易かんいのために変更へんこうおこなわれた[18][7]

装甲そうこうかんしては上記じょうきのように個々ここかんによるちがいや時期じきによってもちがいがあり、なに種類しゅるいかの計画けいかくつたえられているのでひょうにまとめてしめす。

かん 時期じき 弾薬だんやく舷側げんそく どう甲板かんぱん 機関きかんしつ舷側げんそく どう甲板かんぱん 備考びこう 出典しゅってん
だい302ごうかん(雲龍うんりゅう)がた5せき 基本きほん計画けいかく
(1941ねんごろ)
140-50mmNVNCこう 56mmCNCこう 46mmCNCこう 25mmDSこう [22]
5001ごうかん(天城あまぎ)
5004ごうかん(笠置かさぎ)
1943ねん9がつ1にちづけ 同上どうじょう 56mmCNC1こう 同上どうじょう 25mmCNC2こう [23]
笠置かさぎ 1943ねん10がつ 140-50mm 50mm 46mm 25mm 装甲そうこう種類しゅるい記載きさい [24]
5003ごうかん(葛城かつらぎ)
5006ごうかん(阿蘇あそ)
1943ねん9がつ1にちづけ 100-95mmNVNCこう 56mmCNC1こう 25mmDSこう2まい 25mmCNC2こう [23]
だい5007ごうかん(生駒いこま)がた9せき 基本きほん計画けいかく
(1942ねんごろ)
140-50mmNVNCこう 56mmCNCこう 46mmCNCこう 25mmDSこう [22]
5007ごうかん(生駒いこま)から
5015ごうかんまで
1943ねん9がつ1にちづけ 55-46mmNVNC+25mmHこう 56mmCNC1こう 46mmCNCこう 25mmCNC1こう [23]

ミッドウェー海戦かいせんせんくんとして格納庫かくのうこには「炭酸たんさんガスしき消火しょうか装置そうち」にわって、2%石鹸せっけんすい空気くうき混合こんごうしてくらないあわおおう「泡沫うたかたしき消火しょうか装置そうち」が設置せっちされた[17]。その防御ぼうぎょりょく強化きょうかとして吸気きゅうきこう位置いち改善かいぜん舵取かじとりしつ舵取かじとり機械きかいしつ防御ぼうぎょ強化きょうか格納庫かくのうこ通風つうふう強化きょうかなど、不燃ふねん対策たいさくとして不燃ふねんせい塗料とりょう使用しようやリノリュームの廃止はいし可燃かねんせい備品びひん撤去てっきょするなどが実行じっこうされた[17]。またガソリンタンクのまわりをコンクリートでかこ漏洩ろうえい防止ぼうしおこなった[17]

機関きかん

機関きかんしょうづるがただいおおとりがた(蒸気じょうき温度おんど350圧力あつりょく30kg/平方へいほうcm[25])、はやぶさたかがた(蒸気じょうき温度おんど420圧力あつりょく40kg/平方へいほうcm[6])で使用しようされた高温こうおんこうあつかん採用さいよう見送みおくられ[18]りゅうおなじで、鈴谷すずやがたじゅう巡洋艦じゅんようかん同一どういつ機関きかん搭載とうさい[26]蒸気じょうき温度おんど220圧力あつりょく22kg/平方へいほうcmだった[6]最高さいこう出力しゅつりょく152,000馬力ばりき速力そくりょく34ノットは空母くうぼとして十分じゅうぶんだった[18]。ただ初期しょき建造けんぞうかん資材しざい入手にゅうしゅ困難こんなんがあり三菱みつびし長崎造船所なかざきぞうせんじょ建造けんぞうされた「天城あまぎ」「笠置かさぎ」は巡洋艦じゅんようかん伊吹いぶきがた機関きかん(蒸気じょうき温度おんど200圧力あつりょく22kg/平方へいほうcm[27])を流用りゅうよう海軍かいぐん工廠こうしょう建造けんぞうの「葛城かつらぎ」「阿蘇あそ」は駆逐くちくかん機関きかん[注釈ちゅうしゃく 1](蒸気じょうき温度おんど350圧力あつりょく30kg/平方へいほうcm[28])を転用てんようした[18]。このため「葛城かつらぎ」「阿蘇あそ」は出力しゅつりょく104,000馬力ばりき低下ていか速力そくりょく32ノットになった[18]駆逐くちくかん2せきぶん機関きかん搭載とうさいするとなるとタービン4たいかん(ボイラー)は6十分じゅうぶん力量りきりょうがあるが、空母くうぼ場合ばあい速力そくりょく変更へんこうがたびたびあり、またきゅう高速こうそくりょく発揮はっきする必要ひつようもあるので、余力よりょくたせるため8搭載とうさいになった[26]

煙突えんとつは「りゅう」とほぼおな下方かほう排出はいしゅつである[29]後期こうき建造けんぞうかん工事こうじ簡易かんいのために6角形かくがたとする計画けいかくだったようである[29]。「笠置かさぎ」は6角形かくがた煙突えんとつだったとする文献ぶんけんもある[30]が、竣工しゅんこうした3せきほか、「笠置かさぎ[31]生駒いこま[18][32]写真しゃしんから通常つうじょう楕円だえんがただったことがわかる。

せんくん対策たいさくから吸排気はいきこうりょうふなばた分散ぶんさんされた[33]電源でんげんは「だい5006ごうかん」(阿蘇あそ)までは「りゅう」と同様どうよう直流ちょくりゅう220Vであり、「だい5007ごうかん」(生駒いこま)以降いこう当時とうじしん造艦ぞうかんおな交流こうりゅう440Vとする計画けいかくだった[34]。このてんについては「天城あまぎ」「笠置かさぎ」も建造けんぞう交流こうりゅうだったとする関係かんけいしゃ回想かいそうもある[18]

設備せつび[編集へんしゅう]

雲龍うんりゅう竣工しゅんこう直前ちょくぜん写真しゃしんでは艦橋かんきょうじょう21ごうでんさがせ1搭載とうさい確認かくにんされる[1]。その竣工しゅんこうには飛行ひこう甲板かんぱんじょう隠顕いんけんしきに21ごうでんさがせ1、メインマストじょうに13ごうでんさがせ1搭載とうさいした[18]。その葛城かつらぎ」のおおやけためし写真しゃしんでは左舷さげん無線むせんマスト2のうち前方ぜんぽうの1に13ごうでんさがせ装備そうびされている[18][35]。「天城あまぎ」「葛城かつらぎ」は艦橋かんきょうじょうの21ごうでんさがせを22ごうでんさがせ1、13ごうでんさがせ1かわそう[18]、その時期じきは1944ねんまつから翌年よくねんはじめと推定すいていされている[36]。また、飛行ひこう甲板かんぱん前部ぜんぶ短波たんぱ方向ほうこう探知たんちのアンテナをしき装備そうび飛行機ひこうき運用うんよういときに使用しようして、潜水せんすいかん通信つうしん受信じゅしんして方位ほういとうることを意図いとしていた[18]

ソナーは「雲龍うんりゅう」の計画けいかくとしてさがせしんじに「仮称かしょうきゅう一式いっしきよんごう1」の記載きさいがあり[10]、「葛城かつらぎ」のわた目録もくろくでは「水中すいちゅう聴音ちょうおん3さがせしんじ1くみ」となっている[16]実際じっさいにはきゅうさんしきまたはれいしき水中すいちゅう聴音ちょうおん装備そうび推定すいていされている[18]

火器かき

高角こうかくほうは「りゅう」とおな40口径こうけい12.7cm連装れんそう高角こうかくほう6装備そうびした[37]25mm機銃きじゅうは「りゅう」が3連装れんそう7連装れんそう5けい31てい、「雲龍うんりゅう」の基本きほん計画けいかく(1941ねん10がつごろ)で3連装れんそう9連装れんそう2合計ごうけいは「りゅう」とおなじ31ていだった[14][18]。その建造けんぞうから竣工しゅんこうまでに増強ぞうきょうされ、「雲龍うんりゅう竣工しゅんこうで3連装れんそう1339てい、「天城あまぎ竣工しゅんこうで3連装れんそう2163ていわれる[38]。「葛城かつらぎ」の最終さいしゅうでは3連装れんそう2266ていとなっていた[15]。「雲龍うんりゅう」の竣工しゅんこう煙突えんとつ直後ちょくごの3連装れんそう機銃きじゅう4ぼうけむりシールドづけであったが、「葛城かつらぎ」は前方ぜんぽうの2だけぼうけむりシールドをけて完成かんせいした[39]たんそう機銃きじゅう建造けんぞうちゅうの1944ねん5がつ時点じてんそりしきを24てい[40]同年どうねん8がつの噴進ほう装備そうびにはどう25てい、10月竣工しゅんこうの「葛城かつらぎ」はさらぞう備した可能かのうせいがあるとされる[41]

28連装れんそう噴進ほうは、「雲龍うんりゅう」の竣工しゅんこうまえ写真しゃしんすで砲座ほうざ準備じゅんびされている[1]。「雲龍うんりゅう」「天城あまぎ」は竣工しゅんこう直後ちょくごに6装備そうび、「葛城かつらぎ」は竣工しゅんこうすで装備そうびしていたとわれる[41]。「葛城かつらぎ」のみ30連装れんそう装備そうびとされる[41]が、わた目録もくろくによるとおなじ28連装れんそう装備そうびしていた[15]

爆雷ばくらいは「雲龍うんりゅう計画けいかくで6、「生駒いこま計画けいかくで10となっている[10]。「葛城かつらぎ」は最終さいしゅう爆雷ばくらい投下とうかだい1装備そうびされていた[15]

排水はいすいりょう[編集へんしゅう]

雲龍うんりゅう」の基本きほん計画けいかくおおやけためし排水はいすいりょうは20,100トンの計画けいかくであった[3]が、航空こうくう艤装ぎそう変更へんこう対空たいくう機銃きじゅう増加ぞうかなどで20,400トンまで増加ぞうかした[42]。また「葛城かつらぎ」「阿蘇あそ」では機関きかん変更へんこうにより20,250トンとなった[42]。そのにも出典しゅってんにより色々いろいろがあり、おおやけためし平均へいきん吃水きっすいふくめて以下いかひょうにまとめる。

かん 時期じき 基準きじゅん(えいトン) おおやけためし(トン) 満載まんさい(トン) おおやけためし平均へいきん吃水きっすい(m) 備考びこう 出典しゅってん
だい302ごうかん(雲龍うんりゅう)がた5せき 基本きほん計画けいかく
(1941ねんごろ)
17,150 20,100 21,779 7.76 [3]
5001ごうかん(天城あまぎ)
5004ごうかん(笠置かさぎ)
1943ねん9がつ1にちづけ 17,460 20,400 7.82 [23]
笠置かさぎ 1943ねん10がつ 18,300 21,200 7.83 [24]
雲龍うんりゅうがた 不明ふめい 20,450 7.860 原典げんてん不明ふめい [43]
5003ごうかん(葛城かつらぎ)
5006ごうかん(阿蘇あそ)
1943ねん9がつ1にちづけ 17,260 20,200 7.78 [23]
葛城かつらぎ 1945ねん10がつ5にち 20,200トン 8.03 引渡目録もくろく [注釈ちゅうしゃく 2]
葛城かつらぎ 不明ふめい 20,250 原典げんてん不明ふめい [42]
葛城かつらぎ阿蘇あそ 不明ふめい 20,200 7.770 原典げんてん不明ふめい [43]
だい5007ごうかん(生駒いこま)がた9せき 基本きほん計画けいかく
(1942ねんごろ)
17,500 20,450
または20,350[4]
22,005 7.86 [3]
5007ごうかん(生駒いこま)から
5015ごうかんまで
1943ねん9がつ1にちづけ 17,500 20,450 7.86 [44]
生駒いこま 不明ふめい 17,480 20,450 7.86 原典げんてん不明ふめい [45]

生駒いこま以降いこう[編集へんしゅう]

5007ごうかん生駒いこま以降いこう雲龍うんりゅうがたから改良かいりょうほどこされており、「雲龍うんりゅうあらためがたまたは「りゅうあらためあらためがたばれ、下記かきよう変更へんこうてんがあった[46]

  • しゅ機械きかいじゅうじゅん伊吹いぶき」とおなじタービンを搭載とうさい[注釈ちゅうしゃく 3]出力しゅつりょく変更へんこうなし。
  • かんも「伊吹いぶき」と同一どういつのものを搭載とうさい[注釈ちゅうしゃく 3]蒸気じょうき圧力あつりょくはそれまでの22kg/平方ひらかたcmから20kg/平方へいほうcmに低下ていかした[6]
  • 推進すいしん直径ちょっけいを3.8mから3.9mへ大型おおがた
  • 甲板かんぱんがわ防御ぼうぎょ鋼板こうはん一部いちぶ変更へんこう
  • 搭載とうさい標準ひょうじゅんいちななためしかんせん:18+2いちろくためしかんばく:27+0いちななためしかん偵:6+0変更へんこう
  • それにともな航空機こうくうきよう標準ひょうじゅん搭載とうさい変更へんこう。250kgばくだん:288→250はつ、60kgばくだん:456→260はつ、ガソリン360→230トンとなり、あらたに30kgばくだん:144はつ搭載とうさい

さらに、川崎重工業かわさきじゅうこうぎょう艦船かんせん工場こうじょうにて建造けんぞう予定よていだったかん生駒いこま)はたたかえくんにより機関きかんしつ交互こうご配置はいちにする予定よていであった[47]

搭載とうさい[編集へんしゅう]

搭載とうさいすう基本きほん計画けいかくには常用じょうよう57よう8予定よていしており、内訳うちわけれいしき戦闘せんとう12+3きゅうきゅうしき艦上かんじょう爆撃ばくげき27+3きゅうななしき艦上かんじょう攻撃こうげき18+2(すう常用じょうよう+よう)であった[48]。ただし、資料しりょうによって搭載とうさいすうことなる。以下いか各種かくしゅ文献ぶんけんにある計画けいかくすうである。

日付ひづけ 原典げんてん かんせん かんばく かんおさむ かん 合計ごうけい 露天ろてんつなぎとめすう 備考びこう 出典しゅってん
1941ねん10がつ20日はつか 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ れいしきかんせん
12+3
きゅうきゅうしきかんばく
27+3
きゅうななしきかんおさむ
18+2
57+8 雲龍うんりゅう基本きほん計画けいかく [48]
1942ねん11月28にち 現状げんじょう報告ほうこく資料しりょう 建造けんぞうちゅう空母くうぼ 12+3 27+3 18+2 57+8 5006ごうかん(阿蘇あそ)まで [49]
1943ねん9がつ1にち しん艦船かんせん主要しゅよう要目ようもく一覧いちらんひょう れいしきかんせん
12
きゅうきゅうしきかんばく
27
きゅうななしきかんおさむ
18
57 天城あまぎ笠置かさぎ葛城かつらぎ阿蘇あそ [44]
1944ねん10がつ 建造けんぞうちゅう水上すいじょう艦艇かんてい主要しゅよう要目ようもく一覧いちらんひょう 18 18 18 3 57 笠置かさぎ [24]
不明ふめい 原典げんてん不明ふめい れいせん
21
彗星すいせい
18
天山てんざん
21
60 彗星すいせい9
天山あまやま2
雲龍うんりゅうがた [50]

生駒いこま場合ばあい以下いかとおり。

日付ひづけ 原典げんてん かんせん かんばく かんおさむ かん 合計ごうけい 露天ろてんつなぎとめすう 備考びこう 出典しゅってん
一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ いちななためしかんせん
18+2
いちろくためしかんおさむ
27+0
いちななためしかん
6+0
51+2 基本きほん計画けいかく
1943ねん9がつ1にちづけ同様どうよう[44]
[48]
1942ねん11月28にち 現状げんじょう報告ほうこく資料しりょう 建造けんぞうちゅう空母くうぼ 18+1 27+0 27+0 72+1 5007ごうかん(生駒いこま)以降いこう [49]
不明ふめい 原典げんてん不明ふめい 烈風れっぷう
18+2
流星りゅうせい
24
彩雲さいうん
3
45+2 流星りゅうせい4
彩雲さいうん3
雲龍うんりゅうあらためがた(生駒いこま) [50]

歴史れきし[編集へんしゅう]

計画けいかく大型おおがた空母くうぼ1せき(の「だいおおとり」)を計画けいかくした日本にっぽん海軍かいぐん[51]、アメリカ海軍かいぐんだい3ヴィンソンあん対抗たいこうするかたち1940ねん計画けいかく発案はつあん[52]、1941ねんはるがいあんでは30,000トンきゅうだいおおとりがた空母くうぼ(または排水はいすいりょう45,000トンの大型おおがた空母くうぼ[18])3せき計画けいかくしていた[53]。しかし軍令ぐんれいからしめされた計画けいかくがいあんたいし、海軍かいぐんしょう予算よさん資材しざい建造けんぞう能力のうりょくなどのてんから難色なんしょくしめし、大型おおがた空母くうぼは1せきらされ、わりに10,000トンきゅうりゅうがた空母くうぼ2せき(またはしん設計せっけいの17,000トンの中型ちゅうがた空母くうぼ)を建造けんぞうする計画けいかくとなった[54](あるいは大型おおがた空母くうぼ2せき中型ちゅうがた空母くうぼ1せき仮称かしょうかんめいだい800ごうかん」)ともわれる[18])。ここで開戦かいせん決定的けっていてきとなったため、1941ねん昭和しょうわ16ねん)8がつに⑤計画けいかく前倒まえだおしするかたち昭和しょうわじゅう六年度戦時艦船建造及航空兵力拡充計画(通称つうしょうマルきゅう計画けいかく)が策定さくていされ、中型ちゅうがた空母くうぼ1せき建造けんぞうすることになった[18]。このとき新型しんがた空母くうぼ設計せっけいはほとんどすすんでいなかったため、マルきゅう計画けいかく中型ちゅうがた空母くうぼは「りゅう」の設計せっけい流用りゅうようして建造けんぞう促進そくしんすることになった[18]。これがこう雲龍うんりゅうがた航空こうくう母艦ぼかんである。計画けいかく番号ばんごうG16 [23]

1942ねん1がつ時点じてん時点じてんで、雲龍うんりゅうがたりゅうがた)はマルきゅう計画けいかくで1せき、⑤計画けいかくで2せき建造けんぞう予定よていされていた[53]。しかしミッドウェー海戦かいせんで4せき空母くうぼ喪失そうしつしたことにより⑤計画けいかくあらため計画けいかくおおきく改定かいていされ、雲龍うんりゅうがたは「だい5001ごうかん」から「だい5015ごうかん」までの15せき、このうちだい5002ごうかん」と「だい5005ごうかん」は戦艦せんかんだい110ごうかん(の「信濃しなの」)」の空母くうぼ改装かいそうため中止ちゅうしとなり、けい13せきあらたに建造けんぞうされることとなった[18]。なお、これらを雲龍うんりゅうがたではなく、5001ごうかん天城あまぎ)から5006ごうかん阿蘇あそ)までりゅうがた、5007ごうかん生駒いこま)から5015ごうかんまでりゅうあらためがたとする資料しりょうもある[55]

この建造けんぞう計画けいかくかん航空こうくう本部ほんぶは、ベースとなるりゅうが10ねんちかまえ設計せっけい複雑ふくざつ構造こうぞうをしており、けっして大型おおがたかんではないことから新型しんがた艦上かんじょう運用うんよう十分じゅうぶん対応たいおう出来できないと難色なんしょくしめしていた[18]当時とうじ航空こうくう本部ほんぶ総務そうむ部長ぶちょうであった大西おおにしたき治郎じろうらは『航空こうくう母艦ぼかん整備せいび方針ほうしんかんする意見いけんしょ』(あるいは『急速きゅうそく建造けんぞう航空こうくう母艦ぼかんがたかんする計画けいかく要求ようきゅう概要がいよう[56])を提出ていしゅつ簡単かんたん構造こうぞう建造けんぞう容易ようい最低限さいていげん防御ぼうぎょりょく戦時せんじ急造きゅうぞうかんのような空母くうぼ新規しんき開発かいはつ主張しゅちょうした[57]かんせい本部ほんぶ雲龍うんりゅうがた建造けんぞうでも工数こうすうおおきないとして建造けんぞう継続けいぞく決定けってい軍令ぐんれいもこれに同意どういした[18]

結局けっきょくマルきゅう計画けいかくで1せきあらため計画けいかくで13せきけい14せき建造けんぞう計画けいかくされたが、その戦局せんきょく悪化あっか資源しげん不足ふそくなどにより実際じっさい起工きこうされたのは6せきまる[24]。そのうち竣工しゅんこうしたのは雲龍うんりゅう天城あまぎ葛城かつらぎの3せきのみである。戦局せんきょく悪化あっかにより、笠置かさぎ阿蘇あそ生駒いこまの3せき途中とちゅう建造けんぞう中止ちゅうしとなっている。

1944ねん7がつ雲龍うんりゅう横須賀よこすか航空こうくうたいがロケットはつかん実験じっけんおこない、流星りゅうせいはつかんさせている。

10月、レイテおき海戦かいせん日本にっぽん海軍かいぐん保有ほゆう空母くうぼ大半たいはん喪失そうしつする。だいいち航空こうくう戦隊せんたい所属しょぞくだいろくいち航空こうくうたいはまだ存在そんざいしており、戦力せんりょく訓練くんれんつづけていた。 連合れんごう艦隊かんたい空母くうぼからはつかんする特別とくべつ攻撃こうげきたいの「神武じんむ攻撃こうげき部隊ぶたい」の搭載とうさいかん雲龍うんりゅう天城あまぎとし、秋月しゅうげつがた駆逐くちくかん4せき護衛ごえいとしてけ、フィリピン諸島しょとう東方とうほう海域かいいきてき機動きどう部隊ぶたい水上すいじょう艦艇かんてい攻撃こうげきする作戦さくせん計画けいかくしていた。しかし、戦況せんきょう悪化あっかにより神武じんむ攻撃こうげき部隊ぶたい空母くうぼ発着はっちゃくかん訓練くんれん実施じっしすること特攻隊とっこうたいとして陸上りくじょう基地きちより出撃しゅつげきした。

しかし、信濃しなの雲龍うんりゅう相次あいついで戦没せんぼつしたうえに、艦船かんせん燃料ねんりょう払底ふってい危惧きぐされたため、昭和しょうわ20ねん2がつ11にちをもって艦隊かんたい航空こうくうたいとしての再建さいけん断念だんねんされて基地きち航空こうくうたいへと変貌へんぼうし、空母くうぼ機動きどう部隊ぶたい消滅しょうめつすることとなった。竣工しゅんこうした雲龍うんりゅうがたは2せき戦没せんぼつ雲龍うんりゅう潜水せんすいかん雷撃らいげきにより戦没せんぼつ天城あまぎ空襲くうしゅうにより大破たいはそこ)し、終戦しゅうせんまで健在けんざいだったものは3ばんかん葛城かつらぎ1せきのみである。

同型どうけいかん[編集へんしゅう]

  • 302ごうかん : 雲龍うんりゅう(うんりゅう):1944ねん8がつ6にち竣工しゅんこう。1944ねん12月19にち物資ぶっし輸送ゆそう任務にんむちゅうガトーきゅう潜水せんすいかんレッドフィッシュ(SS-395)の雷撃らいげきにより沈没ちんぼつかんめい候補こうほ蛟龍こうりょう(こうりゅう)があった。
  • 5001ごうかん : 天城あまぎ(あまぎ):1944ねん8がつ10日とおか竣工しゅんこう1945ねん昭和しょうわ20ねん7がつ28にち港外こうがいさんとう沿岸えんがんにてばくげき大破たいは横転おうてんかんめいには候補こうほとして那須なすがあった。
  • 5002ごうかん : だい110ごうかん(信濃しなの)空母くうぼ改装かいそうする代償だいしょうとして建造けんぞうとめ[34]
  • 5003ごうかん : 葛城かつらぎ(かつらぎ):1944ねん10月15にち竣工しゅんこう港外こうがいさんとう沿岸えんがん停泊ていはくちゅうばくげきけるもほんかんのみ軽微けいび損傷そんしょう敗戦はいせんまでのこり、戦後せんご復員ふくいん輸送ゆそう使用しようされる。かんめい候補こうほ岩木いわき(いわき)があった。
  • 5004ごうかん : 笠置かさぎ(かさぎ):1945ねん4がつ1にち進捗しんちょくりつ84パーセントで建造けんぞう中止ちゅうしかんめい候補こうほ乗鞍のりくら(のりくら)があった。
  • 5005ごうかん : だい110ごうかん空母くうぼ改装かいそうする代償だいしょうとして建造けんぞうとめ[34]
  • 5006ごうかん : 阿蘇あそ(あそ):1944ねん11月1にち進捗しんちょくりつ60パーセントで建造けんぞう中止ちゅうし弾頭だんとう実験じっけん使用しようされる。かんめい候補こうほ身延みのぶ(みのぶ)があった。
  • 5007ごうかん : 生駒いこま(いこま):1944ねん11月17にち進捗しんちょくりつ60パーセントで建造けんぞう中止ちゅうし以下いか雲龍うんりゅうあらためがた」ともされる[46]かんめい候補こうほ妙義みょうぎ(みょうぎ)があった。
  • 5008ごうかん : 戦況せんきょう悪化あっかにより建造けんぞうとめ候補こうほかんめい鞍馬あんば(くらま)および 開聞かいもん(かいもん)があった。
  • 5009ごうかん : 戦況せんきょう悪化あっかにより建造けんぞうとめ
  • 5010ごうかん : 戦況せんきょう悪化あっかにより建造けんぞうとめ
  • 5011ごうかん : 戦況せんきょう悪化あっかにより建造けんぞうとめ
  • 5012ごうかん : 戦況せんきょう悪化あっかにより建造けんぞうとめ
  • 5013ごうかん : 戦況せんきょう悪化あっかにより建造けんぞうとめ
  • 5014ごうかん : 戦況せんきょう悪化あっかにより建造けんぞうとめ
  • 5015ごうかん : 戦況せんきょう悪化あっかにより建造けんぞうとめ

登場とうじょう作品さくひん[編集へんしゅう]

征途せいと
佐藤さとう大輔だいすけ架空かくう戦記せんきレイテおき海戦かいせんでの勝利しょうりをきっかけに日本にっぽん戦後せんご南北なんぼく分断ぶんだんされた世界せかいにおいて、「葛城かつらぎ」が海上かいじょう自衛隊じえいたい航空こうくう護衛ごえいかん「かつらぎ」としてさい就役しゅうえきする。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいようp.267をはじめ「陽炎かげろうがた駆逐くちくかん」の機関きかん流用りゅうようしたとする文献ぶんけんおおいが、#海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいようp.1675によると「秋月しゅうげつがた駆逐くちくかん」、また「建造けんぞうちゅう水上すいじょう艦艇かんてい主要しゅよう要目ようもく及特ちょう一覧いちらんひょう笠置かさぎ備考びこうらんには「ただ葛城かつらぎ阿蘇あそおつよう機関きかん4」と記入きにゅうされている。ちなみに#海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいようp.1699では陽炎かげろうがた秋月しゅうげつがた基本きほんてき同一どういつであるが、減速げんそく装置そうちしん計画けいかくとして推進すいしん回転かいてんすう減少げんしょうさせ、機関きかん配置はいちちがいにより低圧ていあつタービンしゃしつふくすい形状けいじょう変更へんこうしただけ、とされている。
  2. ^ #葛城かつらぎ引渡目録もくろく画像がぞう2による。ただし基準きじゅん排水はいすいりょうとしては数値すうちおおきすぎ、おおやけためし排水はいすいりょうとすると吃水きっすい8.03mにたいちいさすぎる。
  3. ^ a b 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ」にはだい302ごうかん(の「雲龍うんりゅう」)としてしゅ機械きかいが「かん本式ほんしきタービン」、かんが「かん本式ほんしきごう」とあり、一方いっぽうだい5007ごうかん(の「生駒いこま」)の搭載とうさい機関きかんとしてしゅ機械きかいが「いちごうへい300がたタービン」、かんは「いちごうおつ300がたごう」と記載きさいがある。ただし、ボイラーとタービンの命名めいめい基準きじゅんは1941ねん(昭和しょうわ16ねん)に変更へんこう、「1ごう」は使用しよう蒸気じょうき20kg/平方へいほうcmで温度おんど300℃、ボイラーの「おつ」は空気くうき余熱よねつおこない、給水きゅうすいおさむねつおこなわないもの、タービンの「へい」は高中たかなか低圧ていあつの3どうしき、「300がた」はだい300ごうかん(じゅうじゅん伊吹いぶき」)ではじめて使用しようした形式けいしき、ボイラーの「ロごう」はロごうかん本式ほんしきかんおな意味いみであり、実質じっしつは「かん本式ほんしきタービン」と「ロごうかん本式ほんしきかん」のわせ。#昭和しょうわ16ねん9がつ~10がつないれい3かん/昭和しょうわ16ねん10がつ(4)画像がぞう5-12、昭和しょうわ16ねん10がつ28にちづけうちれいだい1297ごうしゅ巡航じゅんこう「タービン」なみ減速げんそく装置そうち呼稱こしょう』、同日どうじつうちれいだい1298ごうみずかんしきしゅかん呼稱こしょう』(詳細しょうさい省略しょうりゃく)

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c #写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい3かんp.233の写真しゃしんおよ解説かいせつ
  2. ^ #昭和しょうわ18ねん9がつ~10がつ ないれい4かん/昭和しょうわ18ねん9がつ(6)画像がぞう24、うちれいだいせんきゅうひゃくはちじゅうごう 艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅうべつひょうちゅうひだりつう改正かいせい昭和しょうわじゅうはちねんきゅうがつじゅうにち(中略ちゅうりゃく) | 航空こうくう母艦ぼかん | | 雲龍うんりゅうがた | 雲龍うんりゅう天城あまぎ |
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u #航空こうくう母艦ぼかん一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ p.3
  4. ^ a b #航空こうくう母艦ぼかん一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ p.55
  5. ^ a b #昭和しょうわ造船ぞうせん1pp.780-781
  6. ^ a b c d e f g #航空こうくう母艦ぼかん一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょp.34
  7. ^ a b c d #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいようp.267
  8. ^ a b #航空こうくう母艦ぼかん一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ p.41
  9. ^ #昭和しょうわ18ねん9がつ~10がつ ないれい4かん/昭和しょうわ18ねん9がつ(6)画像がぞう33-35、昭和しょうわ18ねん9がつ25にちないれいだい1994ごう、『航空こうくう母艦ぼかん定員ていいんひょう其ノじゅう別表べっぴょうノ如クていム(別表べっぴょういちよう添)』。別表べっぴょうは「雲龍うんりゅう」の定員ていいんひょう士官しかん61にん特務とくむ士官しかん37にんじゅん士官しかん56にん下士官かしかん372にんへい1035にん
  10. ^ a b c d e #航空こうくう母艦ぼかん一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ p.11
  11. ^ a b #航空こうくう母艦ぼかん一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ p.29
  12. ^ #航空こうくう母艦ぼかん一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ p.54
  13. ^ a b #航空こうくう母艦ぼかん一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ p.45
  14. ^ a b c d #航空こうくう母艦ぼかん一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ p.7
  15. ^ a b c d e f #葛城かつらぎ引渡目録もくろく画像がぞう4
  16. ^ a b #葛城かつらぎ引渡目録もくろく画像がぞう5。
  17. ^ a b c d e f g h i j k l #写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい3かんp.230
  18. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa まる 2012ねん10がつごう雲龍うんりゅうがた特集とくしゅう
  19. ^ #日本にっぽん航空こうくう母艦ぼかんパーフェクトガイドp.97
  20. ^ #日本にっぽん航空こうくう母艦ぼかんパーフェクトガイドpp.214-217
  21. ^ 月刊げっかんまる』 2012ねん10がつごう 特集とくしゅう 決戦けっせん空母くうぼ雲龍うんりゅうがた
  22. ^ a b #航空こうくう母艦ぼかん一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ p.38
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  25. ^ #航空こうくう母艦ぼかん一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょpp.33-34
  26. ^ a b #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいようp.1675
  27. ^ #じゅう巡洋艦じゅんようかん一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょp.17
  28. ^ #駆逐くちくかん一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょp.24、陽炎かげろうがた秋月しゅうげつがた
  29. ^ a b #日本にっぽん航空こうくう母艦ぼかんパーフェクトガイドp.237
  30. ^ #終戦しゅうせん日本にっぽん海軍かいぐん艦艇かんていp.14、"KASAGI HAS HEXAGONAL FUNNELS."
  31. ^ #ころもとう2012p.56ひだりちゅう写真しゃしんおよ解説かいせつ
  32. ^ #写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい3かんp.251写真しゃしん
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  35. ^ #日本にっぽん海軍かいぐん3p.199の写真しゃしん
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  38. ^ #ころもとう2012pp.52-53
  39. ^ #ころもとう2012p.53
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  41. ^ a b c #日本にっぽん空母くうぼ物語ものがたりp.421
  42. ^ a b c #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいようp.266
  43. ^ a b #終戦しゅうせん日本にっぽん海軍かいぐん艦艇かんていp.14
  44. ^ a b c #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいようp.1599、「しん艦船かんせん主要しゅよう要目ようもく一覧いちらんひょう
  45. ^ #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいようp.296「航空こうくう母艦ぼかん要目ようもく比較ひかく
  46. ^ a b #川崎かわさき戦歴せんれき55ぺーじ
  47. ^ 福井ふくい静夫しずお日本にっぽん空母くうぼ物語ものがたり」p.275
  48. ^ a b c #駆逐くちくかん一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ p.30
  49. ^ a b #日本にっぽん航空こうくう母艦ぼかんパーフェクトガイドp.105
  50. ^ a b #川崎かわさき戦歴せんれき54ぺーじ
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  53. ^ a b #戦史せんし叢書そうしょ31海軍かいぐんぐん戦備せんび1pp.599-600、計画けいかくがいあん
  54. ^ #戦史せんし叢書そうしょ31海軍かいぐんぐん戦備せんび1p.601、計画けいかくがいあんたいする海軍かいぐんしょう検討けんとう
  55. ^ 戦史せんし叢書そうしょ 海軍かいぐんぐん戦備せんび<2> 開戦かいせん以後いご』p.43
  56. ^ まる 2012ねん10がつごう雲龍うんりゅうがた特集とくしゅうp.72
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参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • アジア歴史れきし資料しりょうセンター(公式こうしき国立こくりつ公文書こうぶんしょかん
    • Ref.A03032074600建造けんぞうちゅう水上すいじょう艦艇かんてい主要しゅよう要目ようもく及特ちょう一覧いちらんひょう』。 
  • どう防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ
    • Ref.C08011358700軍艦ぐんかん引渡目録もくろく 葛城かつらぎ 八雲やくも 北上ほくじょう(①-引渡目録もくろく-383)/昭和しょうわ20ねん10がつ15にち軍艦ぐんかん葛城かつらぎ引渡目録もくろく』。 防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ
    • Ref.C12070180900昭和しょうわ18ねん9~10がつ ないれい4かん/昭和しょうわ18ねん9がつ(6)』。 防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ
  • 川崎かわさきまなぶ日本にっぽん海軍かいぐん航空こうくう母艦ぼかん そのちと戦歴せんれきだい日本にっぽん絵画かいが、2009ねんISBN 978-4-499-23003-2 
  • ころもしま尚一しょういち「-悲運ひうん正規せいき空母くうぼ- 日本にっぽん海軍かいぐん航空こうくう母艦ぼかん雲龍うんりゅうがた」」『艦船かんせん模型もけいスペシャル』No.46モデルアートしゃ、モデルアートしゃ、2012ねん12月、46-59ぺーじ 
  • (しゃ)日本にっぽん造船ぞうせん学会がっかい へん昭和しょうわ造船ぞうせん(だい1かん)』 明治めいじひゃくねん叢書そうしょ だい207かんだい3はん)、はら書房しょぼう、1981ねん原著げんちょ1977ねん10がつ)。ISBN 4-562-00302-2 
  • COMPILED BY SHIZUO FUKUI (1947-04-25). JAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF WAR. ADMINISTRATIVE DIVISION, SECOND DEMOBILIZATION BUREAU (COMPILED BY 福井ふくい静夫しずお終戦しゅうせん日本にっぽん海軍かいぐん艦艇かんていだい復員ふくいんきょく、1947ねん04がつ25にち)
  • 牧野まきのしげる福井ふくい静夫しずお へん海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいよう今日きょう話題わだいしゃ、1987ねん5がつISBN 4-87565-205-4 
  • 雑誌ざっしまる編集へんしゅう へん写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかん だい3かん 空母くうぼI光人みつひとしゃ、1989ねん9がつISBN 4-7698-0453-9 
  • 日本にっぽん航空こうくう母艦ぼかんパーフェクトガイド』 〈歴史れきしぐんぞう太平洋たいへいよう戦史せんしシリーズ 特別とくべつ編集へんしゅう学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ、2003ねん4がつISBN 4-05-603055-3 
  • 航空こうくう母艦ぼかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」。 
  • じゅう巡洋艦じゅんようかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」。 
  • 駆逐くちくかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」。 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]