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瑞鳳ずいほうがた航空こうくう母艦ぼかん

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瑞鳳ずいほうがた航空こうくう母艦ぼかん
瑞鳳 (1944年10月)[1]
瑞鳳ずいほう (1944ねん10がつ[1]
基本きほん情報じょうほう
種別しゅべつ 航空こうくう母艦ぼかん
建造けんぞうしょ 横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょう[2]
運用うんようしゃ  大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん
同型どうけいかん 瑞鳳ずいほうさちおおとりりゅうおおとり千歳ちとせ千代田ちよだ
建造けんぞうすう 瑞鳳ずいほうがた4、さちおおとりがた2
まえきゅう しょうづるがた航空こうくう母艦ぼかん(正規せいき空母くうぼ)
つぎきゅう はやぶさたかがた航空こうくう母艦ぼかん
要目ようもく特記とっききは計画けいかく
基準きじゅん排水はいすいりょう 計画けいかく 11,163えいトン[3]
11,200えいトン(瑞鳳ずいほう)[4]
おおやけためし排水はいすいりょう 計画けいかく 13,000トン[3]
13,100トン(さちおおとり[4][5]
満載まんさい排水はいすいりょう 計画けいかく 14,053.60トン[6]
全長ぜんちょう 205.50m[3]
水線すいせんちょう 200.00m[3]
垂線すいせんあいだちょう 185.00m[3]
最大さいだいはば 船体せんたい最大さいだいはば 20.00m[3]
水線すいせんはば 18.00m[3]
ふか 11.50m[3]
飛行ひこう甲板かんぱんまで 18.800m[4]
吃水きっすい 計画けいかくこうためし平均へいきん 6.61m[3]
おおやけためし平均へいきん 6.566m(瑞鳳ずいほう)[4]
計画けいかく満載まんさい平均へいきん 6.78m[3]
飛行ひこう甲板かんぱん ながさ:180.0m x はば:23.0m[3]
エレベーター(12x13m)1、(12x10.8m)1[13]
ボイラー しゅかんごうかん本式ほんしきかん(空気くうき余熱よねつづけ[7])4[8]
補助ほじょかん:ロごうかん本式ほんしきかん2[8]
おも かん本式ほんしきオール・ギヤード・タービン(高中たかなか低圧ていあつ[7])2[8]
推進すいしん 2じく x 300rpm直径ちょっけい4.000m[8]
出力しゅつりょく 52,000shp[3]
速力そくりょく 28.2ノット[3]
航続こうぞく距離きょり 7,800カイリ / 18ノット[3]
燃料ねんりょう 重油じゅうゆ 2,320トン[3]
搭載とうさい能力のうりょく きゅうしき魚雷ぎょらい6ほん[11]
ばくだん 250kg72、60kg180[12]
飛行機ひこうきよう軽質けいしつ 200トン[6]
乗員じょういん (かり)計画けいかく乗員じょういん 785めい[9]
瑞鳳ずいほう竣工しゅんこう定員ていいん 785めい[10]
へいそう 計画けいかく[14]
12.7cm 40口径こうけい連装れんそう高角こうかくほう4
25mm 3連装れんそう機銃きじゅう4
搭載とうさい 計画けいかく(常用じょうよう+よう)[12]
れいしき艦上かんじょう戦闘せんとう18+3
きゅうななしき艦上かんじょう攻撃こうげき9
けい 常用じょうよう27よう3
または[4]
れいしき艦上かんじょう戦闘せんとう21
じゅうよんためし艦上かんじょう攻撃こうげき6+3
けい 常用じょうよう27(露天ろてんつなぎとめ7)、よう3
搭載とうさいてい 12m内火艇ないかてい1せき、11m内火艇ないかてい1せき、12mうちランチ1せき、8mうちランチ1せき、9mカッター2せき、6mどおりせん1せき、13mとくがたうん貨船1せき[13]
その スペリーしきうたて安定あんてい1計画けいかくのみ)[13]
りゅうおおとり千歳ちとせ千代田ちよだ要目ようもく該当がいとうページを参照さんしょう
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瑞鳳ずいほうがた航空こうくう母艦ぼかん (ずいほうがたこうくうぼかん)あるいはさちおおとりがた航空こうくう母艦ぼかん (しょうほうがたこうくうぼかん)は、大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん小型こがた航空こうくう母艦ぼかんかんがた[注釈ちゅうしゃく 1]

瑞鳳ずいほうがた航空こうくう母艦ぼかん日本にっぽん海軍かいぐん艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅうひょう使用しようされていたかん型名かためいであり、瑞鳳ずいほうりゅうおおとり千歳ちとせ千代田ちよだの4かん同型どうけいかん分類ぶんるいしている(その時点じてんさちおおとり沈没ちんぼつし、除籍じょせきみ)[16][17]太平洋戦争たいへいようせんそうちゅうアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくマスメディアではさちおおとりが「Ryukaku」と報道ほうどうされたほか[18][19]瑞鳳ずいほうきゅう小型こがた母艦ぼかん[15]瑞鳳ずいほうきゅうけい空母くうぼ報道ほうどうした事例じれいがある[注釈ちゅうしゃく 2]一方いっぽうで、さちおおとりがた航空こうくう母艦ぼかん戦後せんご出版しゅっぱんぶつ使用しようされているかん型名かためいであり、計画けいかく段階だんかいだいいち状態じょうたい平時へいじ)が艦隊かんたいよう高速こうそく給油きゅうゆかんのちけん埼型潜水せんすい母艦ぼかん)、だい状態じょうたい航空こうくう母艦ぼかんへの改造かいぞう可能かのうなように設計せっけいされた瑞鳳ずいほう高崎たかさき)とさちおおとりけん埼)を同型どうけいかんとしている。

ほんこうではけん埼型潜水せんすい母艦ぼかんより改装かいそうされた瑞鳳ずいほうさちおおとり中心ちゅうしん解説かいせつする。潜水せんすい母艦ぼかんだいくじら改装かいそうしたりゅうおおとり詳細しょうさいりゅうおおとり (空母くうぼ)を、千歳ちとせがた水上すいじょう母艦ぼかん改装かいそうした千歳ちとせ千代田ちよだ詳細しょうさい千歳ちとせがた航空こうくう母艦ぼかんをそれぞれ参照さんしょう

歴史れきし

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建造けんぞうまで

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1921ねん大正たいしょう10ねん)のワシントン海軍かいぐん軍縮ぐんしゅく条約じょうやくにより、日本にっぽん海軍かいぐん艦艇かんてい保有ほゆうりつたいべいえい3たい5と決定けっていされ日本にっぽん保有ほゆうできる空母くうぼ合計ごうけい基準きじゅん排水はいすいりょうは81,000t(べいえい:135,000t)となった。その1930ねん昭和しょうわ5ねん)のロンドン海軍かいぐん軍縮ぐんしゅく条約じょうやくいて、ワシントン条約じょうやくでは制限せいげんがいであった10,000tの小型こがた航空こうくう母艦ぼかん合計ごうけい排水はいすいりょうふくまれることとなった。このため日本にっぽん海軍かいぐんべいえいとの戦力せんりょくめるために、条約じょうやく制限せいげんがいとされた補助ほじょ艦艇かんてい[注釈ちゅうしゃく 3]なかでも航空こうくう母艦ぼかんへの改造かいぞう容易よういであり、平時へいじ訓練くんれん必要ひつようかんがえられた潜水せんすい母艦ぼかんだいくじら)、給油きゅうゆかん水上すいじょう母艦ぼかん千歳ちとせ千代田ちよだけい5せき条約じょうやく抵触ていしょくしない範囲はんい航空こうくう母艦ぼかんとしての構造こうぞう航空こうくう艤装ぎそうたせたうえ建造けんぞうすることを計画けいかくした。戦時せんじには飛行ひこう甲板かんぱん180m以上いじょう速力そくりょく31kt、搭載とうさいすう30艦隊かんたい航空こうくう母艦ぼかんとして必要ひつよう性能せいのうかんへとさんカ月かげつ程度ていど改造かいぞうすることとした。なお、平時へいじ潜水せんすい母艦ぼかん給油きゅうゆかん水上すいじょう母艦ぼかんは「だいいち状態じょうたい」、戦時せんじ航空こうくう母艦ぼかんは「だい状態じょうたい」とばれていたが、このだい状態じょうたい存在そんざいさい機密きみつ軍機ぐんきとされておりだいいち状態じょうたいといった表現ひょうげん使用しようすることすらけられていた。

1934ねん昭和しょうわ9ねん)のだい補充ほじゅう計画けいかく通称つうしょう計画けいかく)において、艦隊かんたいよう高速こうそく給油きゅうゆかん2せきけん埼型潜水せんすい母艦ぼかん)の建造けんぞう計画けいかくされた。このけん埼型2せき[21]横須賀よこすか工廠こうしょう関係かんけいしゃからはりょうかん頭文字かしらもじって「けんだか」とばれており、だいいち給油きゅうゆかんけん埼)は1934ねん12月3にち起工きこうされ1935ねん昭和しょうわ10ねん6月1にち進水しんすいだい給油きゅうゆかん高崎たかさき)はけん埼からおくれることいちねんの1935ねん6がつ20日はつか起工きこうされ、1936ねん昭和しょうわ11ねん6月19にち進水しんすいむかえた。

だいよん艦隊かんたい事件じけん

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けん進水しんすいからわずか3ヶ月かげつの1935ねん9月26にちだいよん艦隊かんたい事件じけん発生はっせいすで進水しんすいしていたけん埼の艤装ぎそう工事こうじだけでなく、まだ船台せんだいにあった高崎たかさきについても工事こうじ中断ちゅうだんされることとなった。このだいよん艦隊かんたい事件じけんさい赤軍せきぐんだいよん艦隊かんたいだいさん戦隊せんたいとして参加さんかしていただいくじらは、電気でんき溶接ようせつ使用しようした隔壁かくへき部分ぶぶん多数たすうだい中小ちゅうしょう亀裂きれつはいり、艦橋かんきょう前方ぜんぽうがいいたかんたい切断せつだん前兆ぜんちょうであるしわ発生はっせいするという被害ひがいこうむった。艦艇かんてい様々さまざま被害ひがいけたことで、とくがた駆逐くちくかん以降いこう建造けんぞうされたかん船体せんたい強度きょうど不足ふそくであること発覚はっかくした。そのため、建造けんぞうちゅうかんふくおおくのかん補強ほきょう改善かいぜん実施じっしされることとなった。すで進水しんすいしているけん埼にたいしても電気でんき溶接ようせつ部分ぶぶん補強ほきょうほどこされることとなり、船台せんだいにあった高崎たかさきについては、補強ほきょうだけではなくふねから一部いちぶびょう構造こうぞうふたた採用さいようされることとなった。

だが、りょうかん工事こうじすすめられていたこの時期じきは、さきともづる事件じけん発覚はっかくした問題もんだい改善かいぜんだい改装かいそう計画けいかくおおくの主力しゅりょくかん改装かいそうおこなわれていただけでなくあおいりゅう建造けんぞう開始かいしされていた時期じきであった。そのためかく工廠こうしょう多忙たぼうきわめ、あらたに発生はっせいしただいよん艦隊かんたい事件じけん対策たいさく改善かいぜんくわわったことで、「けんだか」の給油きゅうゆかんとしての艤装ぎそう工事こうじ重要じゅうよう工事こうじ合間あいまっておこなわれ、完成かんせい大幅おおはばおくれることとなった。このため「けんだか」は進水しんすい横須賀よこすか軍港ぐんこう係留けいりゅうされ、工事こうじほとんすすめられず放置ほうちされることとなった。

潜水せんすい母艦ぼかん

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1936ねん昭和しょうわ11ねんまつロンドン軍縮ぐんしゅく条約じょうやく破棄はきされ条約じょうやく時代じだいおとずれるとともに、1937ねん昭和しょうわ12ねん)のにちはな事変じへん勃発ぼっぱつともない、民間みんかん高速こうそくタンカーの徴用ちょうよう可能かのうとなったことで「けんだか」を給油きゅうゆかんとして完成かんせいさせるかかが問題もんだいとなった。大型おおがた高速こうそくすす潜水せんすい戦隊せんたい旗艦きかんとして大型おおがた高速こうそく潜水せんすい母艦ぼかんさらなる建造けんぞう切望せつぼうされていたこともあって、1937ねん昭和しょうわ13ねん12月10にちに「けんだか」のだいいち状態じょうたいがより短期間たんきかん空母くうぼへと改造かいぞう可能かのう潜水せんすい母艦ぼかんへと変更へんこうされ、給油きゅうゆかんとしてではなく潜水せんすい母艦ぼかんとして完成かんせいさせることが決定けっていされた。

このため放置ほうちされていた「けんだか」の工事こうじ本格ほんかくてき再開さいかいされることとなり、給油きゅうゆかんとしての艤装ぎそうすすんでいたけん埼がさき潜水せんすい母艦ぼかんへと改造かいぞうされることとなった。しかしこのさいけん埼では飛行機ひこうきエレベータの設置せっちのための事前じぜん工事こうじおこなわれ、前部ぜんぶエレベーターは平時へいじ潜水せんすい母艦ぼかんとしての運用うんようかんがえて装備そうびせずに陸上りくじょう保管ほかんとした。さら後部こうぶエレベータは搭載とうさいしたのち閉鎖へいさするかたちで2とも装備そうびされ、最上もがみ甲板かんぱん以上いじょう構造こうぞうぶつ伸縮しんしゅくせっしゅもうけられたほか艦橋かんきょう直後ちょくご上部じょうぶ格納庫かくのうこもうけずウェルデッキ構造こうぞう採用さいようし、短艇たんてい水上すいじょう格納かくのう場所ばしょとするなどだいくじら運用うんよう実績じっせきまえた改正かいせいおこなわれた。

1939ねん昭和しょうわ14ねん1がつ15にちけん埼は潜水せんすい母艦ぼかんとして竣工しゅんこうした。

航空こうくう母艦ぼかん

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1939ねん9がつじゅん戦時せんじ工事こうじ出師すいし準備じゅんび一部いちぶ実施じっし)が発令はつれいされたことともない、けん埼と同様どうよう潜水せんすい母艦ぼかんとして完成かんせいさせる予定よていとなっていた高崎たかさきは、だい状態じょうたい空母くうぼとして完成かんせいさせるように計画けいかく変更へんこうされる。1940ねん昭和しょうわ15ねん)1がつ航空こうくう母艦ぼかんへの改造かいぞう工事こうじ開始かいしされ、同年どうねん12月27にち完成かんせい。「瑞鳳ずいほう」へと改名かいめいされ、だいさん航空こうくう戦隊せんたい編入へんにゅうされた。

けん埼はやく1ねんだい潜水せんすい戦隊せんたい旗艦きかんとして運用うんようされたのち1940ねん11月15にち航空こうくう母艦ぼかんへの改造かいぞう工事こうじ開始かいしされた。1941ねん昭和しょうわ16ねん12月22にち完成かんせいし「さちおおとり」と改名かいめいされ、だいいち航空こうくう艦隊かんたい隷下れいかだいよん航空こうくう戦隊せんたいへと編入へんにゅうされた[注釈ちゅうしゃく 4]

なお、だいくじらけん埼型では航続こうぞく距離きょり十分じゅうぶんものとすると同時どうじに、航空こうくう母艦ぼかんへの改造かいぞう容易よういにするためにおもとしてディーゼル機関きかん採用さいようされた。この11ごう10がた、11がた12がたない機械きかいふくどうディーゼル)、は1939ねん館山たてやまおきおこなわれたけん埼のおおやけためしでは56,560馬力ばりき速度そくど29.2ktの成績せいせきしめし、10日とおか最終さいしゅうてき全力ぜんりょく運転うんてんさいにも28ktを発揮はっきしている。しかしおおやけためし故障こしょう発生はっせいしたため、けん埼がだい潜水せんすい戦隊せんたい編入へんにゅうされたさいには17ktを上限じょうげんとして運用うんようされていた。

だがその調整ちょうせいむずかしく、ピストンロッドの損傷そんしょう下部かぶピストンかじはら部分ぶぶん破損はそんおおく、故障こしょうくすために力量りきりょう低下ていかして使用しようする必要ひつようがあった。故障こしょう相継あいつぎ、計画けいかく出力しゅつりょくの6わり程度ていど出力しゅつりょくしか発揮はっきできなかった。この結果けっか、ディーゼル機関きかん最終さいしゅうてきには空母くうぼおもとしては不適切ふてきせつなされ、おもけん埼型が航空こうくう母艦ぼかんへと改造かいぞうされるさいどう出力しゅつりょく陽炎かげろう駆逐くちくかんようかんおも流用りゅうようし、蒸気じょうきタービンへとかわそうされることとなった。このためけん埼型にはだい規模きぼ改正かいせい必要ひつようとなり、当初とうしょ予定よていされていただいいち状態じょうたいからだい状態じょうたいへの改造かいぞうにはさんヶ月かげつではく、やくいちねんというなが期間きかん必要ひつようとなった。

太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせんの12月22にち工事こうじ完了かんりょうしたさちおおとりは、だいよん航空こうくう戦隊せんたい編入へんにゅうされた[22][注釈ちゅうしゃく 5]。その一方いっぽうで、だいよん艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん井上いのうえ成美まさみ中将ちゅうじょう)による交渉こうしょう結果けっか、1942ねん2がつ1にちをもって南洋なんよう部隊ぶたい指揮しきかん井上いのうえ成美まさみ中将ちゅうじょう)に編入へんにゅうされた[24]南洋なんよう部隊ぶたい唯一ゆいいつ航空こうくう母艦ぼかんとして輸送ゆそうたいせん哨戒しょうかい直衛なおえ従事じゅうじした。1942ねん昭和しょうわ17ねん)5がつ初旬しょじゅんのポート・モレスビー攻略こうりゃく作戦さくせんでは、さちおおとりMO攻略こうりゃく部隊ぶたい上空じょうくう直衛なおえかんとしてツラギ攻略こうりゃく支援しえんのち、MO攻略こうりゃく部隊ぶたいぬしたい指揮しきかんふじ存知ぞんち少将しょうしょうだいろく戦隊せんたい司令しれいかん)に合流ごうりゅうした。5月7にち珊瑚さんごうみ海戦かいせん参加さんか[注釈ちゅうしゃく 6]だい17任務にんむ部隊ぶたい空母くうぼ2せきヨークタウンヨークタウン)より出撃しゅつげきしたドーントレス急降下きゅうこうか爆撃ばくげきデヴァステーター艦上かんじょう攻撃こうげきによる空襲くうしゅうけ、ばくだん魚雷ぎょらい多数たすう命中めいちゅうして沈没ちんぼつ日本にっぽん海軍かいぐんはつ喪失そうしつ空母くうぼとなった[注釈ちゅうしゃく 7]

一方いっぽうだいさん航空こうくう戦隊せんたい所属しょぞくして太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせんむかえた瑞鳳ずいほうは、おおとりしょうともだいいち艦隊かんたい上空じょうくう直衛なおえかんとして行動こうどうした。だいさん航空こうくう戦隊せんたいかいたい瑞鳳ずいほうだい艦隊かんたい指揮しきはいMI作戦さくせん参加さんかしたが、ミッドウェー海戦かいせんには直接ちょくせつ関与かんよしなかった。この海戦かいせん正規せいき空母くうぼ4せき喪失そうしつした日本にっぽん海軍かいぐんは、しょうづるがた航空こうくう母艦ぼかん2せき瑞鳳ずいほうだいいち航空こうくう戦隊せんたい再編さいへんし、以後いご瑞鳳ずいほうだいさん艦隊かんたい貴重きちょう航空こうくう戦力せんりょくとして活動かつどうした。

1941ねん12月20にち潜水せんすい母艦ぼかんだいくじら」の空母くうぼ改装かいそう開始かいし。1942ねん11月30にち空母くうぼ改装かいそうえ、りゅうおおとり改名かいめいする。直後ちょくごの12月12にち潜水せんすいかんドラムの雷撃らいげき大破たいは修理しゅうりおおとりしょうともねりなり部隊ぶたいだいじゅう航空こうくう戦隊せんたい所属しょぞくした。1943ねん中盤ちゅうばんだい航空こうくう戦隊せんたい編入へんにゅうされ、マリアナおき海戦かいせんのちこうせんかいたいされるまで所属しょぞくした。

1943ねん昭和しょうわ18ねん12月15にちうちれいだい2708ごう艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅうひょう改正かいせいされ、「軍艦ぐんかん航空こうくう母艦ぼかん瑞鳳ずいほうがたこうちゅうりゅうおおとり」ノしもニ「、千歳ちとせ千代田ちよだ」ヲ、どう大鷹おおたかがたこうちゅう「冲鷹」ノ下二しもふた「、かみたか」をどう水上すいじょう母艦ぼかんちゅう「、千歳ちとせ千代田ちよだ」ヲそぎ駆逐くちくかん一等いっとう初雪はつゆきがたこうちゅう「、ゆうきり」ヲそぎル」と発令はつれいされ、航空こうくう母艦ぼかんへの改装かいそうえた千歳ちとせがた水上すいじょう母艦ぼかんせんさい千代田ちよだ瑞鳳ずいほうがた航空こうくう母艦ぼかんくわわった[25]

特徴とくちょう

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空母くうぼとしては、排水はいすいりょう1まんトンきゅうけい空母くうぼである。ひら甲板かんぱんがたであり、しまがた艦橋かんきょうゆうしていない。ハリケーンバウではなく、ていいぬいふなばたであり飛行ひこう甲板かんぱん先端せんたん末端まったん支柱しちゅうによりささえられている。エレベータはかん前部ぜんぶ後部こうぶいちずつ設置せっちされており、煙突えんとつ右舷うげん中央ちゅうおう大型おおがたのものが下向したむきに1ほん元来がんらいおもにディーゼル機関きかん使用しようする予定よていであったため補助ほじょかん搭載とうさいされており、その関係かんけい右舷うげん後方こうほう船尾せんびちかくにおこりたおせしきしょう煙突えんとつもうけられていた。また、瑞鳳ずいほうさちおおとり特徴とくちょうとしては、かんくび水線すいせん形状けいじょう鉛直線えんちょくせんより30傾斜けいしゃしそのまま直線ちょくせんとなってかんそこまる部分ぶぶんまでびているてんと、船尾せんびかる傾斜けいしゃした飛行ひこう甲板かんぱんなどがげられる。

うたて安定あんてい搭載とうさいした場合ばあいは、基準きじゅん排水はいすいりょう11,262えいトン、おおやけためし排水はいすいりょう13,100トン、満載まんさい排水はいすいりょう14,154トン、おおやけためし平均へいきん吃水きっすい6.64m、満載まんさい平均へいきん吃水きっすい7.01m[3]

機銃きじゅうは25mm3連装れんそう機銃きじゅう4予定よていしたが[14]、「瑞鳳ずいほう」の竣工しゅんこうには連装れんそう機銃きじゅう搭載とうさいし、後日ごじつ3連装れんそう機銃きじゅうかわそうされた[26]。「さちおおとり」は竣工しゅんこうより3連装れんそう機銃きじゅうだったのが竣工しゅんこう写真しゃしんから確認かくにんされる[27]。「瑞鳳ずいほう」は大戦たいせんちゅう機銃きじゅうぞう備を実施じっし最終さいしゅうてきに3連装れんそう機銃きじゅうは10装備そうびした[28]。これらの改正かいせいかんそこ固定こていバラストをやく400トンぞうし、おおやけためし排水はいすいりょうやく13,500トン、速力そくりょく28ノットになった[28]

同型どうけいかん

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瑞鳳ずいほうがた航空こうくう母艦ぼかん
さちおおとりがた航空こうくう母艦ぼかん
  • 瑞鳳ずいほう - 1935ねん6がつ20日はつか特務とくむかん(運送うんそうかん)として起工きこう。1940ねん12月27にち軍艦ぐんかん(航空こうくう母艦ぼかん)瑞鳳ずいほうとして竣工しゅんこう1944ねん昭和しょうわ19ねん)10がつ25にちレイテおき海戦かいせんべい艦載かんさい攻撃こうげきにより戦没せんぼつ
  • さちおおとり - 1934ねん12月3にち特務とくむかん(運送うんそうかん)として起工きこう。1939ねん1がつ15にち軍艦ぐんかん(潜水せんすい母艦ぼかん)けん埼として竣工しゅんこう。1941ねん12月22にち航空こうくう母艦ぼかん改造かいぞう完成かんせいさちおおとり改名かいめい[22]。1942ねん5がつ7にち珊瑚さんごうみ海戦かいせん空襲くうしゅうけて沈没ちんぼつ

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 太平洋艦隊たいへいようかんたい司令しれいにてハラー(國際こくさい)特派とくはいんじゅうにち[15]中略ちゅうりゃく戰闘せんとうかんよんせき乃至ないし以上いじょう航空こうくう母艦ぼかん乃至ないしろくせき艦隊かんたい油槽ゆそうせんせきおよ巡洋艦じゅんようかん驅逐くちくかんより敵艦てきかんたいなかみずづるいちまんななせんとんきゅうしんじられる航空こうくう母艦ぼかんいちせきいちせんポンドばくだんさん命中めいちゅうせしめ、はやたかきゅう航空こうくう母艦ぼかんいちせき撃沈げきちん同級どうきゅう母艦ぼかんいちせき大破たいは猛火もうかしょうぜしめ、瑞鳳ずいほう乃至ないしだいおおとりきゅう小型こがた母艦ぼかんいちせきすくなくともいち命中めいちゅうだん見舞みまいひ(以下いかりゃく
  2. ^ したばくげきのがなかつたてき母艦ぼかん[20] 瑞鳳ずいほうきゅう日本にっぽんけい航空こうくう母艦ぼかんべいたい攻撃こうげきけんとしてきゅう回轉かいてんくだりつたものゝ成功せいこうせず、ほん寫眞しゃしん撮影さつえい丁度ちょうど一時いちじあいだ此の瀟洒しょうしゃ母艦ぼかん比島ひじまルソン島るそんとう沖合おきあい海底かいていしずんでくだりつた=太平洋艦隊たいへいようかんたいまい海軍かいぐん寫眞しゃしん記事きじおわり)
  3. ^ 20kt以内いない備砲びほう6.1インチほう以下いか、3インチ以上いじょうほう4もん以内いないetcの制限せいげんあり。
  4. ^ いち 經過けいか[22] 昭和しょうわじゅうろくねん十二月じゅうにがつじゅうにち改造かいぞう完了かんりょう さちおおとり命名めいめいサル同日どうじつ聯合れんごう艦隊かんたい編入へんにゅうだいいち航空こうくう艦隊かんたい だいよん航空こうくう戰隊せんたい所属しょぞく以来いらい横須賀よこすか方面ほうめんニアリテ整備せいび作業さぎょう單独たんどく訓練くんれん從事じゅうじちゅう
  5. ^ いち経過けいか[23] 横須賀よこすか軍港ぐんこうニアリテ戰備せんび完成かんせいしょ訓練くんれん從事じゅうじス(だいいち航空こうくう艦隊かんたい だいよん航空こうくう戰隊せんたい所属しょぞく
  6. ^ Battle of Coral Sea[19]中略ちゅうりゃく)On May 7 part of the main Japanese force, includng the cariier Ryukaku, one of Japan's newest and largest, was located near Misima Island in the Louisiades. U.S.planes sank the Ryukaku and a heavy cruiser.(以下いかりゃく
  7. ^ 軍艦ぐんかんとしての最初さいしょ喪失そうしつかんは、5月2にち潜水せんすいかんドラム撃沈げきちんされた水上すいじょう母艦ぼかん瑞穂みずほである。

出典しゅってん

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  1. ^ #写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい4かんp.63
  2. ^ #S12-12-1ないれい提要ていよう追録ついろく機密きみつ保護ほご画像がぞう8、艦船かんせん要目ようもく公表こうひょう範囲はんい
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 航空こうくう母艦ぼかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」 p.2
  4. ^ a b c d e #海軍かいぐん造船ぞうせん技術ぎじゅつ概要がいようp.296、瑞鳳ずいほう
  5. ^ #軍艦ぐんかん基本きほん計画けいかく資料しりょうSheet11、さちおおとり
  6. ^ a b 航空こうくう母艦ぼかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」 p.51
  7. ^ a b #昭和しょうわ造船ぞうせん1pp.780-781
  8. ^ a b c d 航空こうくう母艦ぼかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」 p.33
  9. ^ 航空こうくう母艦ぼかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」 p.40
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参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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