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雲龍うんりゅう (空母くうぼ)

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雲龍うんりゅう
公試のため横須賀を出港する雲龍(1944年7月16日)
おおやけためしのため横須賀よこすか出港しゅっこうする雲龍うんりゅう(1944ねん7がつ16にち)
基本きほん情報じょうほう
建造けんぞうしょ 横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょう[1]
運用うんようしゃ  大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん
かんしゅ 航空こうくう母艦ぼかん[2]
きゅうめい 雲龍うんりゅうがた[3]
建造けんぞう 当初とうしょ予算よさん 87,039,000えん[4]
母港ぼこう 佐世保させぼ[5]
かんれき
計画けいかく マルきゅう計画けいかく[6]
起工きこう 1942ねん8がつ1にち[7]
進水しんすい 1943ねん9月25にち[7]
竣工しゅんこう 1944ねん8がつ6にち[7]
最期さいご 1944ねん12月19にち[8]
除籍じょせき 1945ねん2がつ20日はつか[9]
要目ようもく竣工しゅんこう
基準きじゅん排水はいすいりょう 計画けいかく 17,150トン[10]
17,480えいトン[よう出典しゅってん]
おおやけためし排水はいすいりょう 計画けいかく 20,100トン[10]
20,400トン[7] または 20,450トン[11]
満載まんさい排水はいすいりょう 計画けいかく 21,779トン[10]
全長ぜんちょう 227.35m[10]
水線すいせんちょう 223.00[10]
垂線すいせんあいだちょう 206.52m[10]
水線すいせんはば 22.00m[10]
ふか 20.50m(飛行ひこう甲板かんぱんまで)[10]
飛行ひこう甲板かんぱん 216.90m x 27.00m[10]
エレベーター2[12]
吃水きっすい 計画けいかくこうためし平均へいきん 7.76m[10]
ボイラー ごうかん本式ほんしきせんしょうかん(空気くうき余熱よねつづけ)8[7]
おも かん本式ほんしきタービン(高中たかなか低圧ていあつ)4[7]
推進すいしん 4じく x 340rpm直径ちょっけい3.800m[13]
出力しゅつりょく おおやけためし全力ぜんりょく 152,733shp[14]
終末しゅうまつこうためし 153,000shp[14]
速力そくりょく おおやけためし全力ぜんりょく 34.28ノット[14]
終末しゅうまつこうためし 34.59ノット[14]
燃料ねんりょう 重油じゅうゆ 3,750トン[10]
航続こうぞく距離きょり 8,000カイリ / 18ノット[10]
乗員じょういん 1,556めい[よう出典しゅってん]
定員ていいん 1,561めい[15]
搭載とうさい能力のうりょく 計画けいかく
きゅう一式いっしき魚雷ぎょらい36ほん[16]
ばくだん 800kg72、250kg288、60kg456[17]
飛行機ひこうきよう軽質けいしつ 360トン[18]
へいそう

竣工しゅんこう
40口径こうけい12.7cm連装れんそう高角こうかくほう6[19]
25mm3連装れんそう機銃きじゅう 13[19] または21[20]
どうたんそう機銃きじゅう 24てい(そりしき)[19]

12cm28連装れんそう噴進ほう(後日ごじつ装備そうび) 4[20]、または6[21]
きゅうしき爆雷ばくらい6(計画けいかく)[16]
装甲そうこう 計画けいかく[22]
弾薬だんやく舷側げんそく:140-50mmNVNCこう
どう甲板かんぱん:56mmCNC1こう
機関きかんしつ(軽質けいしつタンク)舷側げんそく:46mmCNC1こう
どう甲板かんぱん:25mmCNC2こう
搭載とうさいてい 計画けいかく 12m内火艇ないかてい3せき、12mうちランチ2せき、8mうちランチ1せき、9mカッター2せき、6mどおりせん1せき、13mとくがたうん貨船2せき[12]
搭載とうさい 雲龍うんりゅうがた航空こうくう母艦ぼかん#搭載とうさい参照さんしょう
レーダー 21ごうでんさがせ1[23]
ソナー 計画けいかく 仮称かしょう九一式四号探信儀1くみ[16]
その カタパルト(後日ごじつ装備そうび計画けいかく)[17]
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雲龍うんりゅう(うんりゅう/うんりう)は、大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん航空こうくう母艦ぼかん[1]雲龍うんりゅうがた航空こうくう母艦ぼかん1ばんかん[24]雲竜うんりゅう表記ひょうき使用しようされた[25]

概要がいよう

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雲龍うんりゅう(うんりゅう)は[1]日本にっぽん海軍かいぐんマルきゅう計画けいかくもとづき横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょう建造けんぞうした航空こうくう母艦ぼかん[26]1944ねん昭和しょうわ19ねん)8がつ竣工しゅんこうだいいち航空こうくう戦隊せんたい所属しょぞくしたが[27]太平洋戦争たいへいようせんそう末期まっき竣工しゅんこうしたため空母くうぼ機動きどう部隊ぶたいとして実戦じっせん参加さんかする機会きかいはなかった[26]。10月中旬ちゅうじゅん以降いこう捷一しょういちごう作戦さくせんにともなうレイテおき海戦かいせんときも、内海うつみ西部せいぶ待機たいきしていた[28]

1944ねん昭和しょうわ19ねん)12がつ中旬ちゅうじゅん内地ないちからフィリピン方面ほうめんへの軍需ぐんじゅ物資ぶっしだい1挺進ていしん集団しゅうだんなど陸軍りくぐん兵員へいいん輸送ゆそうおよび特攻とっこう桜花おうか輸送ゆそう任務にんむ従事じゅうじする[29][30]護衛ごえい艦艇かんてい3せき時雨しぐれひのきもみ)に護衛ごえいされて東シナ海ひがししなかい航行こうこうちゅう12月19にち夕刻ゆうこく、アメリカ海軍かいぐん潜水せんすいかんレッドフィッシュ雷撃らいげきされ[31][32]沈没ちんぼつした[33]

特徴とくちょう

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かんめい候補こうほとして雲龍うんりゅうほかに、蛟龍こうりょうがあった[34]雲龍うんりゅうというかんめい海上かいじょう自衛隊じえいたいそうりゅうがた潜水せんすいかんの2ばんかんうんりゅう」にも使用しようされている。

雲龍うんりゅうがた航空こうくう母艦ぼかん工事こうじいそぐために新規しんき設計せっけい各種かくしゅ試験しけん実験じっけんおこな余裕よゆうがなく、中型ちゅうがた空母くうぼとしては理想りそうてきだったりゅう図面ずめんもと建造けんぞうされたが、かん不具合ふぐあい運用うんよう経験けいけんもといくつかの変更へんこうてんまれた[35]。これが雲龍うんりゅうがたりゅうあらため理由りゆうとなっている[35]変更へんこうてん以下いかとおり。

  1. りゅう不評ふひょうだった左舷さげん中央ちゅうおう配置はいち艦橋かんきょうを、あおいりゅう同様どうよう右舷うげん前部ぜんぶ配置はいち変更へんこう[36]
  2. かじ形式けいしきあおいりゅうおなつるししきまいかじとする[35]
  3. 緊急きんきゅう建造けんぞうため中央ちゅうおうエレベータ廃止はいしし2とした[36]。ただし、かくエレベーターは航空機こうくうき大型おおがた対応たいおうするために14メートル四方しほう拡大かくだいしている。
  4. 竣工しゅんこうよりたい潜水せんすいかん迷彩めいさいほどこ[36]
  1. 対空たいくう機銃きじゅう増設ぞうせつおよ12cm28連装れんそう噴進ほう(ロケットだん装備そうび高角こうかくほう同数どうすう)。
  2. 以前いぜん右舷うげんがわのみのかん空気くうきこう左右さゆうりょうふなばたとした。
  3. 艦内かんない塗料とりょう不燃ふねんせい変更へんこう
  1. ガソリンタンクの周囲しゅうい防水ぼうすい区画くかくにコンクリートを注入ちゅうにゅうして充填じゅうてんする

歴史れきし

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建造けんぞう

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1940ねん昭和しょうわ15ねん)7がつ、アメリカでりょうよう艦隊かんたいほう成立せいりつし、アイオワきゅう戦艦せんかん2せきモンタナきゅう戦艦せんかん5せき航空こうくう母艦ぼかん18せきアラスカきゅう大型おおがた巡洋艦じゅんようかん6せき巡洋艦じゅんようかん27せき駆逐くちくかん115せき潜水せんすいかん43せき建造けんぞう決定けっていする。このうちアメリカ海軍かいぐんエセックスきゅう航空こうくう母艦ぼかんさんせき対抗たいこうするため、翌年よくねん日本にっぽん海軍かいぐんは「昭和しょうわじゅうろく年度ねんど戦時せんじ急造きゅうぞう計画けいかく」(マルきゅう計画けいかく)としてけんかん計画けいかくをたて、そのなか中型ちゅうがた空母くうぼいちせき緊急きんきゅう建造けんぞうすることとした。これがだい302ごうかん雲龍うんりゅう)である。だいよん海軍かいぐん軍備ぐんび充実じゅうじつ計画けいかく(④計画けいかく)建造けんぞう予定よてい空母くうぼは1せきだいおおとり)のみであり、それも竣工しゅんこうまで時間じかんがかかると予想よそうされたため措置そちである[36]

昭和しょうわ16ねん時点じてんで、11せき建造けんぞう決定けっていしていた(最終さいしゅうてきに32せき建造けんぞう計画けいかくされた)エセックスきゅうへの対抗たいこうミッドウェイ海戦かいせんにおける空母くうぼ喪失そうしつおぎなうため、昭和しょうわじゅうなな年度ねんど軍備ぐんび充実じゅうじつ計画けいかく改訂かいていし、昭和しょうわじゅうなな年度ねんど戦時せんじ艦船かんせん建造けんぞう補充ほじゅう計画けいかくとしてあらためだいおおとりきゅう5せきさき中型ちゅうがた空母くうぼ15せき追加ついか建造けんぞう決定けっていした[37]

空母くうぼ雲龍うんりゅう横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょう[38]仮称かしょうだい302ごうかんとして1942ねん昭和しょうわ17ねん8がつ1にち起工きこう[39]。 1943ねん昭和しょうわ18ねん7がつ31にち正式せいしき軍艦ぐんかん(ぐんかん)雲龍うんりゅう(うんりう/うんりゅう)と命名めいめいされる[1]9月25にち昭和しょうわ天皇てんのう名代なだいとして伏見ふしみみやひろしきょうおう元帥げんすい臨席りんせきのもと、進水しんすい[40][41]同日どうじつ佐世保させぼ鎮守ちんじゅ所属しょぞく[42]

1944ねん昭和しょうわ19ねん)4がつ15にち日本にっぽん海軍かいぐん小西こにし要人かなめ大佐たいさ(3がつ26にちまでけいじゅん阿武隈あぶくま艦長かんちょう[43]雲龍うんりゅう艤装ぎそういんちょう任命にんめいする[44]小西こにし大佐たいさは、太平洋戦争たいへいようせんそうにおいてだい7駆逐くちくたいしおさざなみあけぼの司令しれい[45]つづいてだい9駆逐くちくたいあさくも白雲しらくもうすくも司令しれい[46]阿武隈あぶくま艦長かんちょう[47]などを歴任れきにん[48][49]たか操艦そうかん能力のうりょくっていた[50][51]阿武隈あぶくま艦長かんちょう時代じだい小西こにし大佐たいさ阿武隈あぶくま主計しゅけいちょうに「陛下へいかからあずかったかんしずときは、うみそこまでついてく。それが海軍兵学校かいぐんへいがっこう出身しゅっしんしゃ使命しめいだ」とかたっている[50]。またマリアナおき海戦かいせん沈没ちんぼつした空母くうぼだいおおとり生存せいぞんしゃも、一部いちぶほんかん配属はいぞくされた[52]

だいさん艦隊かんたい

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1944ねん8がつ6にち雲龍うんりゅう竣工しゅんこう[26]小西こにし大佐たいさ雲龍うんりゅう艤装ぎそういんちょう)は制式せいしき雲龍うんりゅう艦長かんちょうとなる[53]同日どうじつで、ほんかんだいいち航空こうくう戦隊せんたい編入へんにゅうされる[27][54]起工きこうから竣工しゅんこうまでやく2ねんであり、りゅうがた航空こうくう母艦ぼかんの3ねんくらべて1ねん短縮たんしゅくされている。しかし日本にっぽん海軍かいぐん航空こうくうたいごう作戦さくせんブーゲンビルとうおき航空こうくうせんトラックとう空襲くうしゅうパラオだい空襲くうしゅうマリアナおき海戦かいせんひとし相次あいつ敗北はいぼくですでに壊滅かいめつ状態じょうたいであったため、雲龍うんりゅうがた2せき雲龍うんりゅう天城あまぎ)でだいいち航空こうくう戦隊せんたい編成へんせいしたものの、空母くうぼ機動きどう部隊ぶたいとして運用うんようされることはなかった[33][27]

1944ねん昭和しょうわ19ねん)8がつ上旬じょうじゅん、アメリカぐん機動きどう部隊ぶたい硫黄いおうとう小笠原諸島おがさわらしょとう空襲くうしゅう実施じっしした[48]。これに対処たいしょするため、連合れんごう艦隊かんたい雲龍うんりゅう基幹きかんとする「急襲きゅうしゅう部隊ぶたい」(指揮しきかん小西こにし要人かなめ雲龍うんりゅう艦長かんちょう)を編制へんせいした[48]空母くうぼ雲龍うんりゅうけい巡洋艦じゅんようかん五十鈴いすずだい41駆逐くちくたい秋月しゅうげつがた駆逐くちくかん2せき霜月しもづきふゆがつ)という戦力せんりょくである[55][56]急襲きゅうしゅう部隊ぶたいは7がつ10日とおか新編しんぺんされただいさん航空こうくう艦隊かんたい長官ちょうかん吉良きら俊一しゅんいち中将ちゅうじょう[57]指揮しきはいり、雲龍うんりゅう東京とうきょうわん進出しんしゅつ[48]訓練くんれん従事じゅうじした[49]。このときほんかん新型しんがた艦上かんじょう攻撃こうげき流星りゅうせい横須賀よこすか海軍かいぐん航空こうくうたい所属しょぞく)のロケットはつかん実験じっけん実施じっししている[49]。これが、「雲龍うんりゅう」から飛行機ひこうきはつかんした唯一ゆいいつ機会きかいであった[58]という。 雲龍うんりゅう出動しゅつどうする事態じたい生起せいきせず、9がつ下旬げじゅんにはだいさん艦隊かんたいへの復帰ふっき命令めいれいされた[48][59]

1944ねん9がつ26にち横須賀よこすか出発しゅっぱつ瀬戸内海せとないかい回航かいこうされた[48][49]。9月27にち、3せき雲龍うんりゅう霜月しもづきふゆがつ)は到着とうちゃく[60]だいいち機動きどう艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん小沢おざわおさむ三郎さぶろう中将ちゅうじょう雲龍うんりゅう乗艦じょうかんしている[61]

10月1にち雲龍うんりゅうがた3ばんかん葛城かつらぎ竣工しゅんこう同日どうじつだいいち航空こうくう戦隊せんたい再編さいへんされた[62][63][64]。 10月15にちだいいち航空こうくう戦隊せんたい雲龍うんりゅうがた3せき雲龍うんりゅう天城あまぎ葛城かつらぎ)で編成へんせい[33][65]。だが搭載とうさい航空こうくうたいのないだいよん航空こうくう戦隊せんたい空母くうぼ2せきはやぶさたかりゅうおおとり)とおなじく出撃しゅつげき機会きかいはなかった[28][66]。また、このころたんそう機銃きじゅう増設ぞうせつした[67]という。

アメリカぐんがフィリピンに襲来しゅうらいしてフィリピンのたたかがはじまり、10がつ下旬げじゅんレイテおき海戦かいせん日本にっぽん海軍かいぐん壊滅かいめつした[68]だいさん艦隊かんたい小沢おざわ機動きどう部隊ぶたいにおいては、10月25にちのエンガノみさきおき航空こうくうせん空母くうぼ4せきみずづる瑞鳳ずいほう千歳ちとせ千代田ちよだ喪失そうしつ[69]雲龍うんりゅう所属しょぞくだい601海軍かいぐん航空こうくうたいだいさん航空こうくう戦隊せんたいみずづる)の艦載かんさい陸上りくじょう基地きち転用てんようされ、アメリカぐんとの航空こうくうせん戦力せんりょく喪失そうしつした[70]

小沢おざわ中将ちゅうじょうだいいち機動きどう艦隊かんたい長官ちょうかん)は日本にっぽん帰還きかんしたのち雲龍うんりゅうつづいてりゅうおおとりはたはたかかげたが、11月15にちだいいち機動きどう艦隊かんたいおよびだいさん艦隊かんたいかいたい[71][72]だいいち航空こうくう戦隊せんたい聯合れんごう艦隊かんたい附属ふぞくになる[72]同時どうじ空母くうぼ2せきりゅうおおとりはやぶさたか)がよんこうせんからだいいち航空こうくう戦隊せんたい編入へんにゅうされる[73]いちこうせん空母くうぼ5せきりゅうおおとりはやぶさたか天城あまぎ雲龍うんりゅう葛城かつらぎ)となった[72][74][75]

連合れんごう艦隊かんたい附属ふぞく

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1944ねん11がつ20日はつか連合れんごう艦隊かんたいせんばく2(特攻とっこう)・かぶとせん2(ちょく掩)・かんばく1(偵察ていさつ誘導ゆうどう)をいちたいとする特攻隊とっこうたいを、ろくたい準備じゅんびするようにめいじた[76]。この特攻隊とっこうたい空母くうぼから発進はっしんする部隊ぶたいであった[76]だいいち航空こうくう戦隊せんたいはこの特攻隊とっこうたいを「神武じんむ特別とくべつ攻撃こうげきたい」と呼称こしょうし、青野あおのけい大尉たいい指揮しきかん任命にんめいした[76]母艦ぼかんりゅうおおとりで12がつ10日とおか出撃しゅつげき準備じゅんび完成かんせい予定よていしていたが、登載とうさい母艦ぼかん雲龍うんりゅう変更へんこうされた(12月12にち出撃しゅつげき準備じゅんび完成かんせい予定よてい[76]

12月8にち古村こむらあきらぞう少将しょうしょうだいいち航空こうくう戦隊せんたい司令しれいかん)はレイテ戦局せんきょくをにらんで神武じんむ部隊ぶたい偵察ていさつたい彗星すいせい天山てんざんなど21)とせいそらたいれいせん60)をくわえ、だいいち航空こうくう戦隊せんたい空母くうぼ2せき天城あまぎ雲龍うんりゅう)とつきがた4せき昭和しょうわ19ねん12がつ上旬じょうじゅん当時とうじ健在けんざいつきがたりょうがつふゆがつの2せき花月かげつは12月下旬げじゅん竣工しゅんこうよいがつは1がつ下旬げじゅん竣工しゅんこう)で1がつ中旬ちゅうじゅん以降いこう出撃しゅつげき、フィリピン方面ほうめん行動こうどうするを計画けいかく立案りつあんし、意見いけん具申ぐしんした[76]。しかし、12月12にち連合れんごう艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん豊田とよだふく大将たいしょう参謀さんぼうちょうくさ鹿しか龍之介りゅうのすけ中将ちゅうじょう参謀さんぼうかみ重徳しげのり大佐たいさなど)は神武じんむ部隊ぶたいのフィリピン進出しんしゅつと、だいいち連合れんごう基地きち航空こうくう部隊ぶたい指揮しきでの作戦さくせんめいじており[76]連合れんごう艦隊かんたい神武じんむ部隊ぶたい空母くうぼからの作戦さくせんを、すでに断念だんねんしていたという意見いけんもある[76]神武じんむ特別とくべつ攻撃こうげきたいは12月18にち松山まつやま出発しゅっぱつ20日はつかたいちゅう到着とうちゃくれいせん27、彗星すいせい7)、21にちフィリピンに到着とうちゃくしている[76]

フィリピンの戦局せんきょく悪化あっかするなか海軍かいぐん桜花おうか投入とうにゅう時機じきについて12月23にちのレイテわん想定そうていしていた[77][注釈ちゅうしゃく 1]。しかし桜花おうか発射はっしゃ母体ぼたいたる一式いっしき陸上りくじょう攻撃こうげきが、桜花おうかかかつるしたまま内地ないちからフィリピンへ飛行ひこう進出しんしゅつすること不可能ふかのうであった[77]。そこでフィリピンに整備せいび部隊ぶたい先行せんこうして駐在ちゅうざい体制たいせいととのえ、しかるのち海上かいじょう輸送ゆそうにより桜花おうか進出しんしゅつさせることになる[77]雲龍うんりゅう桜花おうか30搭載とうさい、これをフィリピンへ海上かいじょう輸送ゆそうすることになった[30][51]

森野もりの雲龍うんりゅう航海こうかい)によれば、「当初とうしょ空母くうぼ天城あまぎ桜花おうか陸軍りくぐん部隊ぶたい輸送ゆそう予定よていだったが、天城あまぎ艦長かんちょうみや嵜俊おとこ大佐たいさ〉が乗組のりくみいん訓練くんれん練度れんど理由りゆうに『天城あまぎ雲龍うんりゅうえられたし』と意見いけん具申ぐしん、これがみとめられた」という[81]。12月10にちのGF機密きみつだい101321ばんでんでは、「じゅうにちごろ内地ないちはつ雲龍うんりゅうりゅうおおとり駆逐くちくかんよんせきヲ以テ…櫻花おうかとうやくさん,〇〇〇立方りっぽうまい台湾たいわんこう輸送ゆそう予定よてい」となっている[80]。12月13にちべいぐんミンドロ島みんどろとう上陸じょうりくミンドロ島みんどろとうたたかはじまる[80]

桜花おうか以外いがいにも、雲龍うんりゅうだい発動はつどうてい各種かくしゅ車輌しゃりょうやく60だいばくだん陸戦りくせん兵器へいきなど軍需ぐんじゅひん合計ごうけいやく1,500トン、陸軍りくぐん空挺くうていたい800めいふく便乗びんじょうしゃ1,500めい積載せきさい[82][83]。さらに滑空かっくう飛行ひこうだいいち戦隊せんたい軍用ぐんようグライダーよんしき特殊とくしゅ輸送ゆそう(クはち」もんでいた[51]りゅうおおとり主計かずえちょうによれば、日本にっぽん陸軍りくぐん落下傘らっかさん部隊ぶたい(挺進ていしん連隊れんたい)やく1000めいをフィリピンに緊急きんきゅう輸送ゆそうするため空母くうぼ2せき雲龍うんりゅうりゅうおおとり)に分乗ぶんじょうさせて出撃しゅつげきすることになったが、一刻いっこくあらそうため速力そくりょく雲龍うんりゅう集中しゅうちゅうさせたという[84]

一方いっぽう雲龍うんりゅう輸送ゆそう物件ぶっけん水上みずかみ特攻とっこうボートふるえよう」とする文献ぶんけんもある[85][86][87]ふるえようだいななふるえようたい、50せき)については、空母くうぼはやぶさたかにより、11月11にちマニラ輸送ゆそうされている(11月13にち、アメリカぐんはマニラ空襲くうしゅう実施じっし[88]

沈没ちんぼつ

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1944ねん昭和しょうわ19ねん)12がつ10日とおか雲龍うんりゅう入港にゅうこうして出撃しゅつげき準備じゅんびおこなった[81]桜花おうか下部かぶ格納庫かくのうこ前部ぜんぶまれ、トラックやだい発動はつどうていとう飛行ひこう甲板かんぱんかたばくされた[81][83]。 12月12にち近藤こんどうたもつたいら大佐たいさ戦艦せんかん長門ながと航海こうかいちょう)は雲龍うんりゅう艦長かんちょう補佐ほさとして、臨時りんじ雲龍うんりゅう乗組のりくみめいじられる[83][89]

12月17にちあさ雲龍うんりゅうだい水雷すいらい戦隊せんたいだい21駆逐くちくたい時雨しぐれ[90]だい52駆逐くちくたい駆逐くちくたい司令しれい岩上いわかみいち大佐たいさ)のまつがた駆逐くちくかん2せきひのきもみ)に護衛ごえいされて出港しゅっこう[51]。 「緊急きんきゅう重要じゅうよう物資ぶっし」(特攻とっこう兵器へいき桜花おうか)[30]陸軍りくぐん空挺くうてい部隊ぶたい滑空かっくうだいいち聯隊れんたい[91][92]輸送ゆそうのため、フィリピンのマニラへかう[93]たいせん哨戒しょうかいけつつ[94]関門海峡かんもんかいきょう通過つうか[25][93]東シナ海ひがししなかい[26]同日どうじつ、フィリピン方面ほうめん行動こうどうちゅうのアメリカぐん機動きどう部隊ぶたいだい38任務にんむ部隊ぶたいコブラ台風たいふう翻弄ほんろうされていた[95]12月18にち時点じてん雲龍うんりゅうはアメリカ潜水せんすいかんおもわれる電波でんぱ探知たんちし、警戒けいかいつよめていた[96][83]12月19にち艦隊かんたい悪天候あくてんこうなか航行こうこうし、小西こにし大佐たいさ雲龍うんりゅう艦長かんちょう)や近藤こんどうたもつひら大佐たいさ以下いか全員ぜんいん潜水せんすいかん警戒けいかいして艦橋かんきょうめていた[97][83]かくかん雲龍うんりゅう中心ちゅうしんとして同艦どうかんひだりなな前方ぜんぽう1.5kmに時雨しぐれひだりなな後方こうほうもみみぎなな前方ぜんぽう1.5kmにひのきという配置はいち航行こうこうしていた[98]だいきゅう〇一海軍航空隊[99]だいきゅういち海軍かいぐん航空こうくうたい陸上りくじょう飛行ひこうてい雲龍うんりゅう部隊ぶたいたいせん哨戒しょうかい従事じゅうじした[32]

12月19にち1345ふんきゅういちそら哨戒しょうかい済州さいしゅうとう南方なんぽう海面かいめん浮上ふじょう潜水せんすいかん発見はっけん、250kgばくだん投下とうかして直撃ちょくげき撃沈げきちん確実かくじつ報告ほうこくした[32]。このアメリカ潜水せんすいかんレッドフィッシュだった[100][101]。レッドフィッシュは陸上りくじょう飛行機ひこうきから爆雷ばくらい攻撃こうげきけ、警戒けいかい厳重げんじゅうことから重要じゅうよう船団せんだん接近せっきんさとったという[102]午後ごご4以降いこう、レッドフィッシュは雲龍うんりゅう中心ちゅうしんとする船団せんだん発見はっけんし、8ふん距離きょり5400mでかんくびより魚雷ぎょらい4ほん発射はっしゃ[103]。1635ふん雲龍うんりゅう魚雷ぎょらい発射はっしゃおん探知たんちした[104][105]雲龍うんりゅうみぎかじをとり魚雷ぎょらい3ほんまで回避かいひしたが1637ふん雲龍うんりゅう右舷うげん中央ちゅうおう艦橋かんきょう下部かぶ)に魚雷ぎょらい1ほん命中めいちゅうした[106][107]命中めいちゅうした魚雷ぎょらいによってだいいちかんしつだいかんしつ浸水しんすいした[108][109]雲龍うんりゅうからは潜望鏡せんぼうきょうらしきものが観察かんさつされ、高角こうかくほう機銃きじゅう応戦おうせんしたが電源でんげん停止ていしして射撃しゃげき不能ふのうとなる[110]機械きかいしつ火災かさい発生はっせいしつつみぎ旋回せんかいつづけたが、前部ぜんぶ予備よび電源でんげん停止ていしし、後部こうぶ予備よび電源でんげん常用じょうようディーゼル消防しょうぼうポンプを作動さどうさせた[109]火災かさい鎮火ちんかしたが速度そくど次第しだい低下ていかし、やがて停止ていしした[107][103]雲龍うんりゅう停止ていししたのは魚雷ぎょらい命中めいちゅうした地点ちてんより、さらにレッドフィッシュりの場所ばしょであった[107][98]乗組のりくみいん輸送ゆそうちゅうのトラックを投棄とうきして傾斜けいしゃ回復かいふくにつとめた[107][105]一方いっぽう、レッドフィッシュは爆雷ばくらい攻撃こうげきおこなひのきたいして魚雷ぎょらい4ほん発射はっしゃしたが命中めいちゅうせず、目標もくひょう雲龍うんりゅう変更へんこうしてかん発射はっしゃかんから魚雷ぎょらい1ほん発射はっしゃした[103]。1645ふんに2ほん魚雷ぎょらい雲龍うんりゅう右舷うげん前部ぜんぶ艦橋かんきょうのやや後方こうほう)に命中めいちゅうした[107][103]雲龍うんりゅうは1ほん魚雷ぎょらいみぎ傾斜けいしゃしており、2ほん魚雷ぎょらい炸裂さくれつ沈下ちんかしていた下部かぶ格納庫かくのうこおよんだ[107]下部かぶ格納庫かくのうこには輸送ゆそう物資ぶっしとして搭載とうさいされた「桜花おうか」20があり[107]、それらが次々つぎつぎ誘爆ゆうばくする状態じょうたいとなった[111][112]爆発ばくはつは12.7cm高角こうかくほう弾薬だんやくおこった可能かのうせい指摘してきされる[113]

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レッドフィッシュの潜望鏡せんぼうきょうから撮影さつえいされた沈没ちんぼつする雲龍うんりゅう、World War II Database

雲龍うんりゅうまえのめりとなってかんくびからしずみはじめ、小西こにし艦長かんちょう総員そういん退去たいきょめいじた[114]。レッドフィッシュは1656ふん沈没ちんぼつ寸前すんぜん雲龍うんりゅう姿すがた潜望鏡せんぼうきょうから撮影さつえい[115]。1657ふん海上かいじょう突出とっしゅつしていたかん水面すいめんえ、完全かんぜん沈没ちんぼつ[116]。レッドフィッシュからは雲龍うんりゅうくろけむりつつまれ沈没ちんぼつ確認かくにんできなかったが、くろけむりえたときにかんかげがないことを確認かくにんした[107]

アメリカぐんによれば、沈没ちんぼつ地点ちてん北緯ほくい2959ふん 東経とうけい12403ふん / 北緯ほくい29.983 東経とうけい124.050 / 29.983; 124.050だい52駆逐くちくたい報告ほうこくでは北緯ほくい2819ふん 東経とうけい12840ふん / 北緯ほくい28.317 東経とうけい128.667 / 28.317; 128.667[100]。レッドフィッシュは護衛ごえい駆逐くちくかん爆雷ばくらい攻撃こうげきけて損傷そんしょうした[32][31]帰投きとうしたもののふたた実戦じっせん配備はいびについたのは1945ねん7がつ下旬げじゅんことであった。護衛ごえい駆逐くちくかん3せきのうち、時雨しぐれは12月20にちかじ故障こしょうこしてだい52駆逐くちくたいもみひのき)と分離ぶんり内地ないち帰投きとうした[117][118]

軍艦ぐんかん雲龍うんりゅう戦闘せんとう詳報しょうほう』のせんくんには、「空母くうぼ発着はっちゃく甲板かんぱんゆうするゆえ 練習れんしゅういちなりとも搭載とうさいたいせん哨戒しょうかいにんぜしめば昼間ひるま攻撃こうげきを受くることなきものとみとめむ。かく基地きちよりの哨戒しょうかいのみにてはきわめて不充分ふじゅうぶんなり」という記載きさいがある[119]。また便乗びんじょうした兵士へいしなどが、艦内かんない通行つうこうしたさい防水ぼうすいとびら閉鎖へいさをしないなど、安全あんぜん管理かんりじょう問題もんだいがあったことが報告ほうこくされている[120]雲龍うんりゅう沈没ちんぼつによる戦死せんししゃ推定すいてい1241めい乗組のりくみいん)にたっし、乗組のりくみいん生存せいぞんしゃ89めい便乗びんじょうしゃ生存せいぞんしゃ57めい記録きろくされている[121]陸軍りくぐんへい乗艦じょうかんしゃ総計そうけい不明ふめいだが、滑空かっくう歩兵ほへいだいいち聯隊れんたい主力しゅりょくのほとんどが戦死せんしした[92]記録きろくじょう842めい[122]滑空かっくう飛行ひこうだいいち戦隊せんたい生存せいぞんしゃ3めい滑空かっくう歩兵ほへいだいいち連隊れんたい生存せいぞんしゃ9めい証言しょうげんあり)[113][123]だいいち挺身ていしん通信つうしんたい宇品うじなこうにて分隊ぶんたい135めい乗艦じょうかん雲龍うんりゅう沈没ちんぼつにより1めい以外いがい全員ぜんいん行方ゆくえ不明ふめいとなった[124]総合そうごうすると、沈没ちんぼつ乗艦じょうかんしゃ乗組のりくみいんやく1500めい便乗びんじょうしゃやく1500めい[82]のうち救助きゅうじょしゃは150めいとどかず、雲龍うんりゅう日本にっぽん空母くうぼちゅう最大さいだい犠牲ぎせいしゃした[113]生存せいぞんしゃだい52駆逐くちくたいひのきもみ)に分乗ぶんじょうし、こう雄市ゆういち台湾たいわん)に上陸じょうりくした[125]

なお、だい52駆逐くちくたい司令しれい戦闘せんとうがいほうでは軍艦ぐんかん雲龍うんりゅう戦闘せんとう詳報しょうほう生存せいぞんしゃすうおよび沈没ちんぼつ時刻じこくことなっている[126][127]
いち雲龍うんりゅう遭難そうなんじょうきょう じゅうきゅうにちいちろくさんなな北緯ほくいじゅうはちいちきゅうふん東経とうけいいちはちよんふんにおいて、かみなりいち右舷うげん艦橋かんきょう命中めいちゅう浸水しんすい反転はんてんいちろくよんだいげきいち右舷うげん前部ぜんぶ命中めいちゅういちろくいち火薬かやくだい爆発ばくはついちなな〇〇ぜんぼつ[127]
てきせん攻撃こうげきりゃく
さん救助きゅうじょ作業さぎょう もみじか救助きゅうじょ従事じゅうじひのきてき潜水せんすいかん攻撃こうげき参加さんか漂流ひょうりゅうしゃ案外あんがいすくなからしも、荒天こうてんよるやみさまたげられ、作業さぎょうごとくならず。〇いち打切うちきれり、救助きゅうじょ人員じんいん海軍かいぐん少尉しょうい森野もりのひろ以下いかいちよんめい陸軍りくぐんいち軍属ぐんぞくふくむ)[127]
よん所見しょけん 雲龍うんりゅうだい一撃いちげきにより反転はんてんあいだもなく右舷うげん至近しきん距離きょり潜望鏡せんぼうきょう発見はっけん銃撃じゅうげきせると、ひのきたいする襲撃しゅうげきじょうきょうより判断はんだんし、てきせんいちせきにして、だい一撃いちげき発射はっしゃ目標もくひょうだい回避かいひじょうじ、あさ深度しんどにて反対はんたいふなばたて、だいげきかん発射はっしゃをなせしもののごと[127]

艦長かんちょう

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艤装ぎそういんちょう
  1. 小西こにし要人かなめ 大佐たいさ:1944ねん4がつ15にち[44] - 1944ねん8がつ6にち[53]
艦長かんちょう
  1. 小西こにし要人かなめ 大佐たいさ:1944ねん8がつ6にち[53] - 12月19にち戦死せんし[128]戦死せんし少将しょうしょう進級しんきゅう[129]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 海軍かいぐんは、1944ねん10がつ1にち有人ゆうじんロケット特攻とっこう兵器へいき桜花おうか」を配備はいび予定よていだいなないち海軍かいぐん航空こうくうたいかみかみなり部隊ぶたい編成へんせい[78]どう航空こうくうたい横須賀よこすか鎮守ちんじゅ部隊ぶたい編入へんにゅうしていたが[78]、レイテで地上ちじょう決戦けっせんはじまるとその投入とうにゅうについて具体ぐたいてき検討けんとうはじめた[79]。721そらには、攻撃こうげきだい711飛行ひこうたい戦闘せんとうだい306飛行ひこうたい編入へんにゅうされた[78]桜花おうか配備はいび予定よていは11月はじめにフィリピン30台湾たいわん70であったが、徐々じょじょおくれはじめ[80]、12月5にち豊田とよだふく連合れんごう艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかんだい762海軍かいぐん航空こうくうたいだい721海軍かいぐん航空こうくうたいとで軍隊ぐんたい区分くぶんじょう部隊ぶたい編成へんせいをおこない、だいいち機動きどう基地きち航空こうくう部隊ぶたい呼称こしょうした(連合れんごう艦隊かんたい命令めいれいさくだい102ごう[78]。このころ連合れんごう艦隊かんたいかみかみなり部隊ぶたいのフィリピンせん投入とうにゅう現地げんち航空こうくう部隊ぶたい連絡れんらくしていた[80]

出典しゅってん

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  2. ^ #昭和しょうわ18ねん7がつ〜8がつないれい3かん/昭和しょうわ18ねん7がつ(6)画像がぞう17「うちれいだいせんひゃくよんじゅうきゅうごう 艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅうべつひょうちゅうひだりつう改正かいせい昭和しょうわじゅうはちねんなながつさんいちにち 海軍かいぐん大臣だいじん 嶋田しまだ繁太郎しげたろう 航空こうくう母艦ぼかんちゅう「冲鷹」ノ下二しもふた「、雲龍うんりゅう」ヲフ(以下いかりゃく)」
  3. ^ #昭和しょうわ18ねん9〜10がつ ないれい4かん/昭和しょうわ18ねん9がつ(6)画像がぞう24、「うちれいだいせんきゅうひゃくはちじゅうごう 艦艇かんてい類別るいべつ等級とうきゅうべつひょうちゅうひだりつう改正かいせい昭和しょうわじゅうはちねんきゅうがつじゅうにち(中略ちゅうりゃく) | 雲龍うんりゅうがた | 雲龍うんりゅう天城あまぎ |」
  4. ^ 戦史せんし叢書そうしょ31かんp.815
  5. ^ #昭和しょうわ18ねん9〜10がつ ないれい4かん/昭和しょうわ18ねん9がつ(6)画像がぞう25「うちれいだいせんきゅうひゃくはちじゅうななごう 軍艦ぐんかん雲龍うんりゅう みぎ本籍ほんせき佐世保させぼ鎮守ちんじゅていメラル 昭和しょうわじゅうはちねんきゅうがつにち 海軍かいぐん大臣だいじん 嶋田しまだ繁太郎しげたろう
  6. ^ 戦史せんし叢書そうしょ31かんpp.812-817
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  10. ^ a b c d e f g h i j k l 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ」p.3、註.ほんひょうハ(以下いか記載きさいノモノモ同様どうよう)昭和しょうわじゅう(ろくねん)じゅういちがつさんじゅうにちかんほん機密きみつだいいちごういち〇〇大臣だいじん報告ほうこくセル当時とうじノモノヲしめせ
  11. ^ #終戦しゅうせん日本にっぽん海軍かいぐん艦艇かんていp.14
  12. ^ a b 航空こうくう母艦ぼかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」p.45
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  16. ^ a b c 航空こうくう母艦ぼかん 一般いっぱん計画けいかく要領ようりょうしょ 現状げんじょう調査ちょうさ」 p.11
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  23. ^ #写真しゃしん日本にっぽん軍艦ぐんかんだい3かんp233
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    • 昭和しょうわ17ねん8がつ1にち昭和しょうわ17ねん8がつ31にち 横須賀よこすか鎮守ちんじゅ戦時せんじ日誌にっし(1)』。Ref.C08030320400。 
    • 昭和しょうわ19ねん3がつ1にち昭和しょうわ19ねん11月15にち だい1機動きどう艦隊かんたい戦時せんじ日誌にっし』。Ref.C08030036200。 
    • 昭和しょうわ19ねん6がつ1にち昭和しょうわ20ねん6がつ30にち だい11水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし(2)』。Ref.C08030127500。 
    • 昭和しょうわ19ねん7がつ1にち昭和しょうわ19ねん11月15にち だい10戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし(2)』。Ref.C08030050900。 
    • 昭和しょうわ19ねん7がつ1にち昭和しょうわ19ねん11月15にち だい10戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし(3)』。Ref.C08030051000。 
    • 昭和しょうわ19ねん10がつ20日はつか昭和しょうわ19ねん10がつ25にち 軍艦ぐんかんみずつるとし1ごう作戦さくせん戦闘せんとう詳報しょうほう(1)』。Ref.C08030582100。 
    • 昭和しょうわ19ねん12月19にち 軍艦ぐんかん雲龍うんりゅう戦闘せんとう詳報しょうほう』。Ref.C08030585900。 
    • だい901海軍かいぐん航空こうくうたい大村おおむら派遣はけんたい戦時せんじ日誌にっし 昭和しょうわ19ねん12月1にちいたり昭和しょうわ19ねん12月31にち』。Ref.C13120390900。 
    • 昭和しょうわ18ねん12月1にち昭和しょうわ20ねん4がつ6にち 防備ぼうび戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(11)』。Ref.C08030370300。 
    • 昭和しょうわ19ねん11がつ20日はつか昭和しょうわ19ねん12月30にち だい2水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(1)』。Ref.C08030102400。 
    • 昭和しょうわ19ねん11がつ20日はつか昭和しょうわ19ねん12月30にち だい2水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(2)』。Ref.C08030102500。 
    • 陸軍りくぐん航空こうくう部隊ぶたい略歴りゃくれき(その6) づけ航空こうくう部隊ぶたいの隷指揮しきにあったその部隊ぶたい分割ぶんかつ5』。Ref.C12122424100。 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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  1. ^ 雲龍うんりゅう」で犠牲ぎせい 遺族いぞく高齢こうれい だい634海軍かいぐん航空こうくうたい基地きちたい 最後さいご慰霊いれい”. ヒロシマ平和へいわメディアセンター. 2019ねん1がつ6にち閲覧えつらん