扇 子
「おうぎ」という
形 態
[構 成
[骨 骨 の材 質 は、一 般 的 には竹 製 または木 製 の物 が多 く、先 端 部 ほど薄 く細 くなるテーパ構 造 になっている。大 抵 の扇 子 の骨 は細 長 く、折 り畳 んだ和 紙 を張 って開 くと段 になるように展 開 する。骨 組 みのうち一 番 外 側 の部 分 (親 骨 )は特 に太 く、内 側 の骨 (仲 骨 )とは逆 に先 端 部 ほど太 くなっている。親 骨 に装 飾 として漆 塗 りや蒔 絵 などの細 工 が施 されているものもある。また象 牙 、鼈 甲 なども骨 の素 材 とすることがあるが、これはもっぱら洋 扇 で使 われる。白 檀 などの香 木 を平 たく削 ったものを重 ねて作 られる扇 子 があるが、この形 式 の扇 子 はすたれ気 味 であり、紙 を貼 ったものが主 流 である。日 本 における竹 製 扇 骨 の多 くは滋 賀 県 高 島 市 安 曇 川 流 域 で生 産 されている[2]。扇 面 - あおぐ
時 に風 を送 る部 位 。骨 が完 全 に開 ききらないように固 定 する働 きもある。本 来 は「糊 地 」(のりじ)という加 工 した和 紙 を貼 るが、合 成 繊 維 や布 を貼 ったものもある。この扇 面 に絵 を描 く必 要 から、湾 曲 した形 状 (いわゆる扇 形 )の紙 に描 く、扇 絵 と呼 ばれる日 本 画 の形 式 が発 展 した。この扇 絵 を得 意 としたのが、俵 屋 宗 達 であるといわれている。 要 かなめ扇 を開 く際 に根 本 で止 めるもの。扇 子 の要 は、金 属 やプラスチック、角 、鼈 甲 、鯨 ひげなどで骨 を束 ねている。この部 位 が壊 れると扇 子 としての用 をなさなくなるため、最 も重 要 な部 分 である。ここから、「肝 心 要 」の語 源 となった。なお野 球 で球 場 を扇 に喩 えて要 に位 置 し、守 備 陣 の要 所 となることから捕 手 を指 して「扇 の要 」と呼 ぶことがある。責 せめ扇 を止 める帯 状 の輪 。
歴 史
[
起 源
[「
折 り畳 み式 の扇 の起 源
[日 本 説 日 本 における折 り畳 み式 の扇 子 は檜 扇 と蝙 蝠 扇 に大 別 される[6]。伝 説 では神 功 皇 后 が蝙 蝠 (コウモリ)の羽 にならったという逸 話 がある[6]。遺 跡 では長 屋 王 邸 から出 土 した最 古 とされる檜 扇 が年 号 を記 した木 簡 とともに出 土 しており、奈 良 時 代 には檜 扇 が出 現 していたとされる[6]。また『倭 名 類 聚 抄 』は扇 (和 名 阿 布 岐 )と団 扇 (和 名 宇 知 波 )を区 別 しており、平 安 中 期 には中 国 式 の団 扇 と折 畳 式 の扇 の区 別 が存 在 した[6]。最 初 に現 れた扇 は30cmほどの長 さに2〜3cm幅 の薄 い檜 の板 を重 ねて作 る檜 扇 と呼 ばれるもので、これは奈 良 時 代 の実 例 が発 掘 されている[7]。平 城 京 跡 から発 掘 された檜 扇 の形 状 、寸 法 、墨 書 などから木 簡 との関 連 性 を指 摘 し、折 畳 式 の扇 は中 国 の木 簡 や簡 牘 をもとに日 本 で創 案 されたとする説 もある[6]。中 国 の文 献 では『宋 史 』巻 491の「日 本 伝 」や『国 朝 典 故 巻 之 一 百 三 』の「日 本 国 考 略 」に日 本 からの特 産 品 として金 銀 などとともに日 本 の扇 が並 べられている[6]。このうち『宋 史 』巻 491の「日 本 伝 」には北 宋 の端 拱 元 年 (988年 )、日 本 の僧 奝 然 の弟 子 ・喜 因 が中 国 大 陸 に渡 った際 に、檜 扇 二 十 枚 と蝙 蝠 扇 二 枚 を献 上 したという記 録 がある[6]。また、宋 江 少 虞 『皇 朝 類 苑 』や蘇 轍 『楊 主 簿 日 本 扇 』などに日 本 からもたらされた扇 に関 する記 述 がある[6]。高 麗 説 中 国 の辞 書 『辞 海 』などがとる説 。しかし、北 宋 の郭 若 虚 『画 見 見 聞 志 』巻 6「高 麗 国 」に「本 出 于 倭 国 也 」という記 述 があることなどから、日 本 の扇 が高 麗 に伝 わりそれが中 国 に流 入 したものという指 摘 がある[6]。中 国 説 開 閉 のできる「扇 」を中 国 発 祥 とする話 もある[8]。その根 拠 に『南 斉 書 ・劉 祥 伝 』にある「腰 扇 」の記 述 や明 代 の方 以 智 『物 理 小 識 』巻 8にある「器 用 ・宮 扇 」の記 述 があるが、これらの文 献 の「腰 扇 」や「器 用 ・宮 扇 」から折 り畳 みの扇 が存 在 したと証 明 するのは妥 当 でないという指 摘 がある[6]。- 『
両 山 墨 談 』(嘉 靖 18年 〈1539年 〉跋 )には「宋 元 以 前 、中 国 未 有 摺 扇 之 製 」(宋 、元 の時 代 以 前 に、中 国 には「摺 扇 」〈折 りたたみのできる扇 〉はなかった)とあり、また『名 物 六 帖 』(伊 藤 東 涯 編 著 )は「扇 」について、「今 所 謂 団 扇 也 、摺 扇 称 扇 、則 亦 甚 晩 、始 于 明 之 中 葉 」(今 いうところの団 扇 のことである。「摺 扇 」を指 して「扇 」と称 することはずいぶん後 になってからのことであり、これは明 の時 代 の半 ばに始 まったことである)としている[9]。
蝙 蝠 扇
[ほかには、
唐 扇 の出 現
[形 式 の確 立
[さらに
西 洋 への伝 播
[ヨーロッパで
このヨーロッパの
種 類
[![]() |
冬 の扇 檜 扇 や中 啓 。主 に儀 礼 用 。中 啓 は能 楽 をはじめとする諸 芸 能 でも使 われる。古 くは10本 骨 の沈 折 (しずめおり)の扇 も広 く用 いられ、これは夏 冬 共 用 の形 式 だった(「沈 折 」については中 啓 の項 参 照 )。夏 の扇 蝙 蝠 扇 。現 在 一 般 に市 販 されている両 面 貼 りの骨 の多 い扇 子 も夏 の扇 である。なお公 家 の夏 の扇 は江 戸 時 代 に至 るも蝙 蝠 扇 と称 し、骨 が扇 の裏 面 に露 出 していた。軍 扇 - その
昔 武 将 が戦 場 に携 えた扇 。その形 式 は時 代 によっていくらか相 違 はあるが、だいたいは骨 は黒 の塗 骨 、表 は赤 地 に金 の丸 で日 輪 をあらわし、裏 は紺 色 の地 に銀 で月 と星 (多 くは北 斗 七 星 )を描 くといったものだった。

鉄 扇 親 骨 を鉄 製 にした扇 。鉄 の短 冊 を重 ねたもの、また閉 じた状 態 の扇 子 の形 を模 しただけで開 かない(つまり、扇 子 の親 骨 型 の鉄 塊 )鉄 扇 も存 在 する。携 帯 用 の護 身 具 、または鍛 錬 具 として用 いられる。鍛 錬 具 として用 いられるものは、手 馴 し鉄 扇 (てならしてっせん)とも呼 ばれる。

舞 扇 沈 折 の扇 。日 本 舞 踊 や歌 舞 伎 で使 われる。祝 儀 扇 冠 婚 葬 祭 に用 いられる扇 。一 般 には男 性 は白 扇 、女 性 には金 や銀 の扇 子 だが、用 途 によって格 式 が細 かく定 められており、葬 儀 に用 いられるものは「不 祝 儀 扇 」(ぶしゅうぎせん)とも呼 ばれる黒 い扇 子 である。羽 根 扇 子 羽 で飾 った洋 扇 。日 本 でこれを用 いた例 は宝 塚 歌 劇 で見 ることができる。主 に歌 劇 中 の女 性 貴 族 の持 ち物 として用 いられ、劇 中 の華 やかさを彩 る物 となっている。1990年 代 にはディスコで踊 るときに使 うのが流 行 し、ジュリアナ東 京 でも多 く用 いられたことからジュリ扇 とも呼 ばれた。またこの羽 根 扇 子 はストリップティーズなどの舞 台 でも小 道 具 として使 われることがある。飾 り扇 部 屋 に飾 り物 として置 いておく。たいていの場 合 飾 り物 としてそれ専 用 に作 られたもの。上 に挙 げたそれぞれの扇 の規 格 に沿 って製 作 してはいないので、たとえば能 楽 や日 本 舞 踊 などで飾 り扇 を使 うことはできない。飾 り扇 の中 には、扇 車 、扇 子 車 と呼 ばれる開 くと完 全 な円 になるものもあり、上 棟 式 などの儀 式 に用 いられる[17]。
ほかには、
用 途
[風 を送 る扇 子 を手 にして使 う様 子 。扇 子 の主 用 途 。暑 い時 に、手 元 で扇 子 を開 いて自 ら風 を送 ることで涼 しさを得 る目 的 で扇 ぐ。繊 細 な構 造 であるため、強 い風 を送 るのには向 いていない。格 式 を重 んじる場 では、首 ・胸 より下 を静 かに扇 ぐ。貴 人 を煽 ぐ際 は風 が直 接 体 に当 たらないように留 意 する。成 田 山 などの寺 社 で護 摩 を焚 く場 合 には、点 火 後 、扇 子 を広 げて火 を扇 ぐ所 作 が見 られる。口 を隠 す礼 儀 として、笑 う時 に歯 が見 えないように口 の前 を覆 う。贈 答 古 くは江 戸 時 代 の正 月 に、親 しい相 手 に白 扇 を贈 る習 慣 があった。またほかに儀 礼 用 として、杉 原 紙 1帖 に白 扇 1本 をひと組 の贈 答 品 にした。現 在 は能 楽 で節 目 の舞 台 をする時 に、出 演 者 や贔 屓 の方 に配 る(被 き扇 )。落 語 などでも行 われる慣 習 である。かつては販 売 促 進 の物 品 に使 われていたこともあったようだが、うちわにその座 を追 われた格 好 である。- この
他 、平 安 時 代 などにおける貴 族 階 級 で上 位 の階 級 の者 が、親 しい下 位 階 級 の者 に下 賜 する時 の贈 答 品 としても用 いられた。 芸 能 ・諸 芸 道 における持 ち物 厳 島 神 社 の御 神 能 。シテが中 啓 を持 って舞 う。能 狂 言 と仕 舞 で用 いられる。曲 目 や役 柄 において、またシテ方 ・ワキ方 としてそれぞれがどのような扇 を持 つべきかは流 派 で細 かく規 定 がある。囃 子 方 、地 謡 方 においても舞 台 上 で開 くことはないが、それぞれの流 派 で定 められた扇 を持 つ。日 本 舞 踊 においても用 いられる。笠 や盃 など、色 々なものに見 立 てる。(舞 扇 の項 も参 照 )歌 舞 伎 の舞 台 においても扇 は必 須 のものである。特 に劇 中 で「物 語 」といって以 前 に起 きた事 件 や出 来 事 を扇 を使 って物 語 る場 面 がある。『熊 谷 陣 屋 』の熊 谷 直 実 の「物 語 」が好 例 。落 語 でのうどん・蕎 麦 などを食 べるしぐさをする場 面 で、畳 んだ状 態 での扇 子 を箸 に見 立 てて用 いる。少 し開 けて傾 け酒 を注 ぐ銚 子 を表 す。他 、場 面 に応 じて、刀 や望 遠 鏡 など様 々な見 立 てがなされる。手 拭 と並 んで重 要 な落 語 の小 道 具 。噺家 の隠 語 では扇 子 は風 (かぜ)と呼 ばれる(ちなみに手 拭 はマンダラ)。蹴 鞠 、茶 道 、香 道 においても、実 際 には開 いて煽 ぐようなことはないが、それぞれ定 められた扇 を持 つ。- フラメンコでは
舞 手 の小 道 具 としてアバニコ(Abanico)と呼 ばれる扇 子 が用 いられる[13]。 中 国 では、説 話 、扇 子 舞 、功 夫 扇 に使 用 される。呪 具 座 って挨 拶 をする時 に、胸 元 から畳 んだ状 態 の扇 子 を自 らの膝 前 に置 き、それを境 にするように相 手 に礼 を行 う。これは扇 子 に自 他 のさかいをつくる結 界 としての役 割 をもたせたものである。葬 儀 の際 に喪 主 に挨 拶 する場 合 なども同 様 に行 う。中 世 には、公 界 の場 で突 発 的 に起 きた異 常 事 態 を敢 えて見 る時 、扇 の骨 の間 から覗 き見 る習 俗 があった。網 野 善 彦 は、扇 は一 時 的 な覆 面 であり、外 部 からの穢 れを払 い、内 から発 する穢 れを遮 る道 具 となり得 たと推 論 している[18]。遊 び道 具 古 くから扇 子 を使 った遊 びがいくつも行 われていた。中 世 には投 扇 興 (とうせんきょう)と呼 ばれる、扇 子 を的 に向 かって投 げ、的 を落 とす遊 びに用 いられた。技 の名 前 に『源 氏 物 語 』の帖 名 や百 人 一 首 などが用 いられる。江 戸 時 代 のお座 敷 遊 びでは、水 を張 った茶 碗 に渡 した割 り箸 を扇 子 で叩 き折 り、水 をこぼさなければ勝 ちとする「腕 さだめ」や、3本 の扇 子 を組 んで円 錐 状 に立 てたあとにバランスを崩 して倒 し、煙 管 (キセル)で持 ち上 げて再 度 立 てる「三 本 扇 」などが行 われていた[19]。弓 矢 の的 - かつては、
日 の丸 の扇 子 (白 地 に赤 い丸 が描 かれている)を開 いて、弓 の的 にした事 例 がある。治 承 ・寿 永 の乱 (源 平 合 戦 )で弓 の達 人 といわれた那 須 与 一 が、平 氏 の船 の上 に掲 げられた的 である扇 の要 を射 抜 いて落 とした故 事 がある。 棋 士 の思 考 の際 の手 すさび将 棋 や囲 碁 の対 局 時 、将 棋 の棋 士 や囲 碁 の棋 士 が考 える際 、開 閉 や回 していることがある[20]。これは数 十 手 先 の着 手 を読 む際 に、開 閉 の単 調 なリズムが思 考 へ好 影 響 をもたらすためである。なお扇 子 の開 け閉 めは相 手 にとって雑 音 として受 け取 られる場 合 もあることから、極 力 自 分 の考 慮 時 間 中 に行 うことが相 手 に対 する礼 節 とされている。感 想 戦 では床 を叩 くなどしても問 題 は無 い[20]。プロ棋 士 は信 念 などを表 す故 事 成 語 や熟 語 を扇 子 に揮 毫 することがあり[21][22]、大 会 に出 場 した棋 士 のサイン入 り扇 子 が景 品 となることもある[23]。揮 毫 に備 えて練 習 する棋 士 も多 く、日 本 将 棋 連 盟 では書 道 部 が存 在 する[21]。張 扇 講 談 師 が講 談 の最 中 に、調 子 取 りと音 を出 すために、釈 台 を叩 く。
家 紋
[
文 様 や画 題
[符 号 位 置
[Unicode | JIS X 0213 | |||
---|---|---|---|---|
🪭 | U+1FAAD |
- |
🪭 🪭 |
FOLDING HAND FAN |
扇 を名 称 に含 む動 植 物
[- ヒオウギガイ -
貝 の形 が檜 扇 に似 ていることから名 付 けられた。 - ヒオウギアヤメ(
檜 扇 菖 蒲 ) -葉 が檜 扇 に似 ていることから名 付 けられた。 - オウギバショウ -
葉 の付 き方 が扇 に似 ていることから名 付 けられた。
扇 子 の登 場 する作 品
[ギャラリー
[-
男 子 用 の檜 扇 。彩 色 などせず白 木 のままとし、白 糸 で上 端 を緘 じて扇 を形 作 る。 -
蝙 蝠 扇 。平 安 時 代 頃 の五 本 骨 の形 式 を模 したもの。 -
軍 扇 。 -
鉄 扇 。開 かないタイプのもの。 -
羽 扇 を持 つ諸 葛 亮 の像
脚 注
[- ^
高 橋 2011, pp. 25. - ^
若 林 佐 恵 (2017年 9月 21日 ). “全 国 シェアなんと9割 !300年 以 上 受 け継 がれた伝 統 工 芸 「高 島 扇 骨 」の世 界 を覗 いてみませんか?”. しがとこ. 2021年 9月 29日 閲 覧 。 - ^ “ツタンカーメンの
墓 に隠 し部 屋 か”. natgeo.nikkeibp.co.jp. 2023年 7月 26日 閲 覧 。 - ^
図 説 、初 期 王 朝 時 代 - ^
吉 野 ヶ里 遺 跡 (弥 生 時 代 )-出 土 遺 物 1 - ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t
王 岩 「扇 の発 展 に見 る東 アジアにおける文 化 の伝 播 と創 造 」『相 愛 大 学 人 文 科 学 研 究 所 研 究 年 報 』第 4巻 、相 愛 大 学 人 文 科 学 研 究 所 、2010年 、32-40頁 、CRID 1050282812612825344、ISSN 1881-7483。 - ^ 『
扇 面 画 (古 代 編 )』(『日 本 の美 術 』319)17頁 。ただしこの発 掘 品 は、木 の細 長 い薄 板 を重 ねて扇 状 に広 げるが、その端 を切 って形 を倒 卵 形 に整 えたものである。この形 から中 村 清 兄 は、これが檜 扇 であるとすることを否 定 し批 判 している(『扇 と扇 絵 』1 - 2頁 )。 - ^
崎 岡 洋 右 『三 国 古 典 の散 歩 』(文 芸 社 、2007年 )251 - 252頁 。『早 慧 的 文 明 』(上 海 古 籍 出 版 社 )という本 に、「扇 子 は中 国 人 が発 明 したものであるとの説 」があることを紹 介 している。 - ^ 『
古 事 類 苑 』服 飾 部 「扇 」の項 および諸 橋 轍 次 編 『大 漢 和 辞 典 』第 五 巻 「扇 」の項 、『扇 と扇 絵 』(中 村 清 兄 )参 照 。 - ^ [1]
- ^
松 井 宏 「江 戸 扇 子 粋 なセンス◇シンプルだがすっきり、伝 統 技 法 を受 け継 ぐ◇」『日 本 経 済 新 聞 』朝 刊 2018年 7月 17日 (文 化 面 )2019年 4月 9日 閲 覧 。 - ^ a b c d e
宮 崎 克 己 「空 間 のジャポニスム第 4章 女 性 たちの空 間 (1)婦 人 の持 ち物 2022年 3月 6日 閲 覧 。 - ^ a b
河 野 2011, pp. 82–84. - ^ 『
扇 面 画 (近 世 編 )』(『日 本 の美 術 』321)巻 末 「西 の国 の扇 の話 」 - ^
吉 田 典 子 「ベルト・モリゾと日 本 美 術 (1) :扇 ・団 扇 のジャポニスムから1890年 ビングの「日 本 版 画 展 」まで journal=近 代 」第 111巻 、神 戸 大 学 近 代 発 行 会 、2014年 、CRID 1390290699906494464、doi:10.24546/81008699、ISSN 0287-2315。 - ^
京 扇 子 ・京 うちわ近 畿 経 済 産 業 局 、2022年 3月 6日 閲 覧 。 - ^
高 橋 2011, pp. 7–11. - ^
服 部 幸 雄 『江 戸 歌 舞 伎 の美 意 識 』平 凡 社 1996 ISBN 4582260233 p.254-255. - ^
高 橋 2011, pp. 54–57. - ^ a b
清 和 ,勝 又 (2023年 2月 14日 ). “(2ページ目 )《棋 士 は見 た》羽 生 善 治 は右 手 をタクトのように、藤 井 聡 太 は扇 子 をくるくると…“1時 間 超 え”感 想 戦 は「ふたりの世 界 」だった |観 る将 棋 、読 む将 棋 ”.文 春 オンライン. 2024年 10月 17日 閲 覧 。 - ^ a b “すべてはファンのため。
書 道 に打 ち込むプロ棋 士 の姿 。将 棋 連 盟 書 道 部 に潜 入 |将 棋 コラム|日 本 将 棋 連 盟 ”. www.shogi.or.jp. 2024年 10月 17日 閲 覧 。 - ^ “
羽 生 三 冠 は「玲 瓏 」、谷 川 九 段 は「光 速 」。有 名 棋 士 の揮 毫 、その意 外 な意 味 とは!?|将 棋 コラム|日 本 将 棋 連 盟 ”. www.shogi.or.jp. 2024年 10月 17日 閲 覧 。 - ^ “【9
月 11日 (水 )締 め切 り】将 棋 日 本 シリーズJTプロ公 式 戦 出 場 棋 士 サイン入 り扇 子 プレゼント |熊 本 日 日 新 聞 社 ”.熊 本 日 日 新 聞 社 (2024年 8月 19日 ). 2024年 10月 17日 閲 覧 。 - ^
本 田 總 一 郎 監 修 『日 本 の家 紋 大 全 』梧 桐 書 院 、2008年 - ^
扇 の国 、日 本 サントリー美 術 館 企 画 展 (2018年 11月 28日 ~2019年 1月 20日 開 催 )公 式 サイト(2019年 4月 9日 閲 覧 )。
参 考 文 献
[中 村 清 兄 『扇 と扇 絵 』河 原 書 店 〈日 本 の美 と教 養 ; 23〉、1969年 - 『
古 事 類 苑 』 (33) 、吉 川 弘 文 館 、1970年 ※服 飾 部 「扇 」の項 江 上 綏 『扇 面 画 (古 代 編 )』至 文 堂 〈日 本 の美 術 ; 319〉、1992年 宮 島 新 一 『扇 面 画 (中 世 編 )』至 文 堂 〈日 本 の美 術 ; 320〉、1993年 小 林 忠 『扇 面 画 (近 世 編 )』至 文 堂 〈日 本 の美 術 ; 321〉、1993年 高 橋 貴 、河 野 眞 『扇 の文 化 』あるむ〈愛 知 大 学 フォークライフ研 究 会 〉、2011年 。ISBN 978-4-86333-043-6。