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1982年の野球(1982ねんのやきゅう)では、1982年の野球界における動向をまとめる。
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
1982年 パシフィック・リーグプレーオフ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
|
10月9日(土) |
第1戦 |
日本ハムファイターズ |
0 - 6 |
西武ライオンズ |
西武ライオンズ球場
|
10月10日(日) |
第2戦 |
日本ハムファイターズ |
2 - 3 |
西武ライオンズ
|
10月11日(月) |
第3戦 |
雨天中止 |
後楽園球場
|
10月12日(火) |
西武ライオンズ |
1 - 2 |
日本ハムファイターズ
|
10月13日(水) |
休養日
|
10月14日(木) |
第4戦 |
西武ライオンズ |
7 - 5 |
日本ハムファイターズ |
後楽園球場
|
年間優勝:西武ライオンズ
|
1982年 日本シリーズ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
|
10月23日(土) |
第1戦 |
西武ライオンズ |
7 - 3 |
中日ドラゴンズ |
ナゴヤ球場
|
10月24日(日) |
第2戦 |
西武ライオンズ |
7 - 1 |
中日ドラゴンズ
|
10月25日(月) |
移動日
|
10月26日(火) |
第3戦 |
中日ドラゴンズ |
4 - 3 |
西武ライオンズ |
西武ライオンズ球場
|
10月27日(水) |
第4戦 |
中日ドラゴンズ |
5 - 3 |
西武ライオンズ
|
10月28日(木) |
第5戦 |
中日ドラゴンズ |
1 - 3 |
西武ライオンズ
|
10月29日(金) |
移動日
|
10月30日(土) |
第6戦 |
西武ライオンズ |
9 - 4 |
中日ドラゴンズ |
ナゴヤ球場
|
優勝:西武ライオンズ(24年ぶり4回目)
|
- 5月2日 - ロッテの有藤通世が川崎球場での対日本ハム5回戦の1回裏に三振を喫し、プロ通算1000三振を記録。史上8人目[24]。
- 5月4日 - ヤクルトの若松勉が神宮球場での対巨人3回戦で一回裏に安打を放ち、プロ通算1500安打を達成[25]。
- 5月7日 - 巨人の原辰徳が神宮球場での対ヤクルト5回戦の7回表に9号満塁本塁打を打ち、球団史上100本目の満塁本塁打[26]。
- 5月8日 - ロッテの有藤通世が後楽園球場での対日本ハム8回戦の6回表に5号本塁打を打ち、プロ通算300本塁打を達成[27]。
- 5月9日 - 日本ハムの柏原純一が後楽園球場での対ロッテ9回戦の10回裏に7号サヨナラ本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成[28]。
- 5月11日 - ヤクルトの大杉勝男が横浜スタジアムでの対大洋6回戦の6回表に2号3点本塁打を打ち、プロ通算450本塁打を達成[29]。
- 5月14日 - 東京運動部長会は、読売新聞社および日本プロスポーツ会議から委嘱されていた「沢村栄治賞」と「日本プロスポーツ大賞」の選考を辞退することを決定[30]。
- 5月15日 - 阪急の松永浩美が西宮球場での対日本ハム5回戦で、六回裏に左打席で3号本塁打を、八回裏に右打席で4号本塁打を放ち、日本プロ野球で日本人では初の左右両打席本塁打を記録[31]。
- 5月18日 - 日本ハムは球団代表の三原脩が健康面で不安から辞任し、後任に取締管理部長の小島武士が就任すると発表。三原は今後は相談役となる[32]。これに伴い、パ・リーグは連盟理事長だった三原の後任に南海の球団代表の塩見猛を選出することを決定[32]。
- 5月19日 - 大洋の福嶋久晃が後楽園球場での対巨人5回戦の2回表に2号2点本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成。史上120人目[33]。
- 5月21日
- 巨人の原辰徳が神宮球場での対ヤクルト6回戦の二回表に14号2点本塁打を打ち、これが球団通算4500本塁打となる[34]。
- 阪神の竹之内雅史が甲子園球場にて記者会見し、現役引退を表明[35]。
- 5月24日 - セ・リーグ会長の鈴木龍二は、巨人の江川卓が完投で6勝目を挙げた5月19日の対大洋5回戦で右手左指にばんそうこうを巻いて投球していたとして、江川に対し球団宛ての文書にて「警告処分」とした[36]。
- 5月27日 - ヤクルトの相馬和夫球団代表は遠征先の広島にて、二軍監督の内藤博文を一軍ヘッドコーチとすると発表。27日現在で10勝27敗、5位阪神と6ゲーム差のセ・リーグ最下位に低迷するチームの現状の打開策[37]。
- 6月1日
- 6月4日 - 広島の衣笠祥雄が広島市民球場での対巨人10回戦の1回裏に10号本塁打を放ち、プロ通算1000得点を達成[40]。
- 6月5日 - 広島の山本浩二が広島市民球場での対巨人11回戦の六回裏に14号本塁打を放ち、プロ通算400本塁打を達成[41]。
- 6月6日 - 日本ハムのトニー・ソレイタが後楽園球場での対阪急9回戦の4回裏に11号3点本塁打を放ち、プロ野球通算100本塁打を達成[42]。
- 6月8日 - 阪神の藤田平が神宮球場での対ヤクルト9回戦の四回表に3号3点本塁打を打ち、プロ通算200本塁打を達成[43]。
- 6月10日 - 広島の北別府学が藤崎台県営野球場での対中日9回戦に先発して10勝目を挙げ、球団創設以来初の10連勝を記録[44]。
- 6月16日 - 日本ハムの柏原純一が西宮球場での対阪急12回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成。史上229人目[45]。
- 6月18日 - 神宮球場でのヤクルト対大洋12回戦で、ヤクルト先発・鈴木正幸と大洋先発・野村収が共に被安打1で完投し、1試合最少安打2を記録。またヤクルトは26打数、大洋は25打数で合計51打数の1試合最少打数のプロ野球新記録[46][47]。
- 6月22日 - 巨人の浅野啓司が後楽園球場での対中日12回戦の9回表に金山卓嗣から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成。史上65人目[48]。
- 6月25日 - 藤井寺球場で行われた近鉄対阪急13回戦で阪急が近鉄に2-7と敗れたため、西武が前後期制となって初の優勝達成。パ6球団では最後に前後期制で優勝した球団となった[49][50]。
- 6月27日 - 中日の谷沢健一がナゴヤ球場での対ヤクルト9回戦の三回裏に二塁打を放ち、プロ通算1500安打を達成[51]。
- 6月29日 - パ・リーグの前期日程が終了[52]。
- 6月30日 - 近鉄のスカウト部長の中島正明が午前0時20分、肝硬変のため兵庫県西宮市の西宮病院にて死去。62歳[53]。
- 7月1日 - 日本ハムは前米国三菱商事副社長兼ロサンゼルス支店長の瀬古和男が球団社長に就任したと発表。丹羽芳道前球団社長は日本ハム本社専務に戻る。また、三原脩が取締役を辞任し相談役に専念することになった[54]。
- 7月2日
- 後楽園球場での日本ハム対近鉄後期1回戦で日本ハムの江夏豊が7回裏からリリーフ登板して勝利投手となり、プロ通算200勝を達成。史上18人目[55]。日本ハムの井上弘昭が8回裏に2号2点本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成。史上65人目[56]。
- 阪神は甲子園球場での対巨人15回戦に6-4で勝利し、1976年4月以来6年ぶりの11連勝を記録[57]。
- 西武ライオンズ球場での西武対阪急後期1回戦で阪急のボビー・マルカーノが5回表に二塁打を放ち、プロ野球通算1000安打を達成。史上123人目で、外国人選手としては4人目[58]。阪急の加藤英司が7回表に二塁打を放ち、プロ通算300二塁打を達成。史上20人目[59]。
- 7月4日 - 広島の衣笠祥雄が広島市民球場での対中日15回戦に先発出場し、1500試合連続出場を達成[60]。
- 7月6日 - 阪急の加藤英司が西宮球場での対近鉄後期1回戦の一回裏に2点適時二塁打を打ち、プロ通算1000打点を達成[61]。
- 7月7日 - ロッテのレロン・リーが平和台球場での対西武後期二回戦で5号、6号本塁打を放ち、日本プロ野球通算150本塁打を達成。史上66人目、外国人選手では9人目[62]。
- 7月8日 - 近鉄の鈴木啓示が西宮球場での対阪急後期三回戦に先発し、七回裏に先頭打者の松永浩美を三塁ゴロに打ち取り、プロ通算4000イニングを達成[63]。
- 7月13日 - 日生球場にて近鉄対南海後期1回戦が行われ、近鉄が9対3で勝利し、球団通算1800勝を達成[64]。南海の山下律夫がこの試合に先発しプロ通算500試合登板を達成。
- 7月14日
- 横浜スタジアムでの対広島13回戦で大洋の田代富雄が16号本塁打を放ち、これが球団通算3500本塁打となる[65][66]。また、広島の山本浩二が4回表に二塁打を放ち、プロ通算300二塁打を達成。史上21人目[67]。
- 西武が後楽園球場での対日本ハム後期2回戦で1試合最少打数23のプロ野球タイ記録[68]。
- ヤクルトが新外国人選手としてシカゴ・カブスのダン・ブリッグスの獲得とラリー・ハーローを自由契約選手にしたと発表[69]。
- 7月18日 - 阪神の掛布雅之が甲子園球場での対広島15回戦の五回裏に22号2点本塁打を打ち、プロ通算200本塁打を達成[70]。
- 7月23日 - ジュニアオールスターで近鉄の金村義明がジュニアオールスター史上初のサイクル安打を記録。試合は6対1でウェスタン・リーグが勝利し、金村はこの試合、5打数4安打1本塁打1三振でMVP獲得[71]。
- 8月1日 - 日本ハムの柏原純一が札幌市円山球場での対阪急ダブルヘッダー第2試合の後期6回戦の二回裏に17号本塁打を打ち、プロ通算1000安打を達成[72]。
- 8月6日
- 阪急の福本豊が西宮球場での対南海後期2回戦の四回裏二死から二塁盗塁を決め、プロ通算900盗塁を達成[73]。
- 近鉄の小川亨が西武球場での対西武後期4回戦の四回表二死二塁から右前適時安打を打ち、プロ通算1500安打を達成。史上46人目[74]。
- 8月8日 - 第53回都市対抗野球大会の決勝戦が後楽園球場で14時から行われ、和歌山市の住友金属が福山市の日本鋼管に5対4で勝利し大会初優勝[75]。
- 8月10日 - 西武球場での西武対ロッテ後期4回戦で、西武は16-4で勝利。1試合24安打は球団創設以来1試合最多安打の球団新記録となる[76]。スティーブ・オンティベロスが4回裏に8号満塁本塁打を打ち、これはパ・リーグ通算400本目の満塁本塁打となる[76]。山崎裕之が八回裏に中前安打を打ち、プロ通算3000塁打を達成、史上19人目[77]。
- 8月12日
- 日生球場での近鉄対阪急後期6回戦で、阪急は偵察要員として投手の山沖之彦を5番・指名打者に送り一回表一死満塁の場面で代打を送ろうとしたが、今季から偵察要員に代打を禁止するルールに抵触するため交代は認められず山沖が打席に立つも三振。75年にパ・リーグが指名打者を採用後、投手が指名打者として打席に立ったのは初めて[78]。
- 静岡県営草薙球場での大洋対広島17回戦は、新幹線が地震の影響を受け3時間遅れた影響で審判団の到着が遅くなったため、予定より1時間遅らせて18時59分に試合開始となった[79]。
- 8月14日 - 阪急の山田久志が西武球場での対西武後期8回戦に先発し、プロ通算500試合登板を達成[80]。
- 8月17日 - 西武の山崎裕之が大阪球場での対南海後期7回戦に出場し、プロ通算2000試合出場を達成。史上17人目[81]。
- 8月19日
- 8月20日 - 第64回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が甲子園球場で行われ、徳島県代表の池田が広島県代表の広島商を12-2で破り初優勝。
- 8月24日 - 阪神の掛布雅之が甲子園球場での対ヤクルト19回戦の7回裏に27号本塁打を放ち、プロ通算1000安打を達成。史上125人目。更に同回裏に28号本塁打を放ち、1イニング2本塁打を記録。史上9人目(10度目)[84]。
- 8月29日 - 広島の衣笠祥雄が甲子園球場での対阪神20回戦に先発出場し、プロ通算2000試合出場を達成。史上18人目[85]。
- 8月31日 - 横浜スタジアムでの大洋対阪神21回戦で、阪神の七回表の攻撃で先頭打者の藤田平が三塁と本塁の間に飛球を打ちあげ、大洋の三塁手の石橋貢が捕球し損ねて三塁塁審の鷲谷亘はファウルと判定。これに対し阪神の監督の安藤統夫が石橋のグラブに当たったのでフェアだと抗議。守備走塁コーチの島野育夫が鷲谷を手でついたため、鷲谷は島野に退場を宣告。だが島野が暴行を続け主審の岡田功が止めに入ったのを今度はコーチの柴田猛が岡田に暴行を加える。審判団は阪神の2コーチの暴力行為に抗議しグラウンドから引き上げたが、安藤が岡田に謝罪し約10分の中断の後試合再開となった(横浜スタジアム審判集団暴行事件)[86]。
- 9月1日
- セ・リーグは8月31日の横浜スタジアムでの対大洋21回戦で審判に暴行を加えた阪神の島野育夫と柴田猛の2コーチに対し、無期限出場停止処分を下したと発表[87]。
- 巨人の浅野啓司が後楽園球場での対ヤクルト24回戦の五回表途中から救援登板してプロ通算500試合登板を達成[88]。
- 9月2日
- 阪神の山本和行が横浜スタジアムでの対大洋23回戦の八回表途中から救援登板し今季21セーブ目を挙げ、日本プロ野球新記録のシーズン33セーブポイント[89]。
- 広島の水谷実雄が広島市民球場での対中日24回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成。史上72人目[90]。
- 9月4日 - 近鉄の羽田耕一が大阪球場での対南海後期11回戦の5回表に安打を放ち、プロ通算1000安打を達成。史上126人目[91]。
- 9月6日 - 日本プロ野球コミッショナーの下田武三とセ・リーグ会長の鈴木龍二は、阪神の島野育夫と柴田猛への処分についてセが1日に下した「無期限停止処分」で意見が一致[92]。
- 9月15日 - 巨人対中日23回戦が後楽園球場で行われ、9回7対7で時間切れ引き分けとなり、中日はプロ野球新記録のシーズン19度目の引き分け[93]。
- 9月28日 - 日本ハム対ロッテ後期10回戦が後楽園球場で行われ、日本ハムが6対5で勝利し後期優勝を達成[94]。
- 10月8日 - 阪急の松永浩美が西宮球場での対近鉄後期13回戦でサイクル安打を達成[95]。
- 10月9日 - 横浜スタジアムで大洋対巨人26回戦が行われ巨人は1-3と敗れ、全公式戦を終了、セ・リーグの優勝はマジック5の中日の残り8試合の結果次第となる[96]。
- 10月12日
- パ・リーグの今シーズンの全日程が終了、ロッテの落合博満は打撃部門で三冠王を獲得[97]。
- 南海のドン・ブレイザー監督が午後、南海電鉄本社に川勝伝オーナーを訪ね「体力に自信がない」と辞任を申入れて了承され、3年契約の1年を残しての辞任が決定した。オーナーの川勝は直ちに穴吹義雄二軍監督に対し一軍監督への就任を要請した。ブレイザーは球団顧問となる[98]。
- 中日の星野仙一が対阪神戦(ナゴヤ)で通算500試合登板。星野はこれが現役最後の公式戦登板となった[99]。
- 10月14日 - パ・リーグのプレーオフ第4戦が後楽園球場で行われ、前期優勝の西武が後期優勝の日本ハムを7-5で破り、西鉄時代以来19年ぶり6度目のリーグ優勝[100]。
- 10月16日 - 広島の渡辺秀武が広島市民球場での対阪神26回戦で5回表2死から登板し吉竹春樹に死球を与え、日本プロ野球新記録の144与死球。渡辺の現役最後の登板となった[101]。
- 10月17日 - 横浜スタジアムでの大洋対中日25回戦で中日が大洋に1-3と敗戦、これで18日の同球場のカードで中日が勝てばリーグ優勝、負ければ巨人が優勝という大一番となる[102][103]。
- 10月18日 - 横浜スタジアムでの大洋対中日26回戦のシーズン最終戦に中日が8-0で勝利し、8年ぶり3度目のリーグ優勝を決める[104][105]。この試合で、打率トップの大洋の長崎啓二を9毛差で追う中日の田尾安志に対し、大洋バッテリーは5打席全て敬遠で歩かせる。
- 10月20日
- 10月21日 - 沢村栄治賞の選考が同賞の選考委員会によって行われ、広島の北別府学を選出。前年まで選考に当たっていた東京運動記者クラブ部長会が選考を辞退したため、今年度より選考委員会を設置[108]。
- 10月22日 - 阪急の山口高志が大阪市北区の球団事務所を訪れ、現役引退を申入れて了承される[109]。
- 10月25日 - 南海は岡田公意球団社長が辞任し、後任に南海電鉄専務の甲村甫が就任。併せて同調査部参事の泉谷一夫が営業取締役となる[110]。
- 10月30日 - 日本シリーズ第6戦がナゴヤ球場で行われ西武が中日を9-4で破り、4勝2敗で西鉄時代以来24年ぶり4度目の日本一[111]。
- 12月1日 - ロッテは奥江英幸を自由契約にした[126]。
- 12月2日
- セ・リーグのオーナー懇談会が東京・虎ノ門のホテル・オークラにて開かれ、日本シリーズでの指名打者の採用に反対する方針を確認[127]。
- 西武は与那嶺要が二軍の打撃、守備、走塁コーチに就任すると発表[128]
- 12月7日
- 西武の吉本博と大洋の清水宏悦のトレードが成立したと両球団が発表[129]。
- セ・リーグ理事会が東京・芝の東京グランドホテルにて開かれ、読売新聞社運動部長の渋沢良一が来年1月1日付けでセ・リーグ事務局長に就任することを承認[130]。
- 12月8日
- 12月9日 - 阪急はシカゴ・カブスのバンプ・ウィルスの入団が決定したと発表。アメリカに渡りバンプ側と入団交渉に当たっていた取締役の矢形勝洋が球団へ条件面で合意に達したと連絡した。4年契約で年俸は40万ドル[133]。
- 12月10日
- 12月15日
- 巨人の柳田俊郎が東京・大手町の球団事務所で球団代表の長谷川実雄と話会い、現役引退を申し入れ了承される[136]。
- 阪急の高井保弘が現役引退を表明[136]。
- 12月16日 - 阪神の小津正次郎球団社長は、去る8月31日に審判への暴行で無期限出場停止中の柴田猛、島野育夫両コーチを球団事務所へ呼び、今後の処遇を話し合い。両者はいずれも「いずれユニフォームを着ることを前提に考えて」球団職員として契約し、管理部付となった[137]。
- 12月18日 - 阪急はミネソタ・ツインズのグレッグ・ウェルズの入団を発表[138]。
- 12月21日 - 阪神の若菜嘉晴が午後、大阪・梅田の球団事務所にて球団社長の小津正次郎に対し「一身上の都合で退団したいので自由契約選手にして欲しい」と申し入れて了承される[139]。
- 12月22日 - 広島は広島の球団事務所にて福士敬章の任意引退を発表[140]。
- 12月29日 - 広島の水谷実雄と阪急の加藤英司のトレードが成立。24日に球団よりトレードを通告された水谷が球団に対し功労金を要求して折り合わなかったが、この日野崎泰一球団本部長と話し合い、年俸のアップ額の増額で合意したもの[141]。
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