ウラルかく惨事さんじ

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座標ざひょう: 北緯ほくい5542ふん45びょう 東経とうけい6050ふん53びょう / 北緯ほくい55.71250 東経とうけい60.84806 / 55.71250; 60.84806

ウラルかく惨事さんじにおけるかく施設しせつ
キシュテム事故じこにより汚染おせんされた地域ちいき(ひがしウラル)

ウラルかく惨事さんじ(ウラルかくさんじ、ロシア: Кыштымская авария)は、1957ねん9月29にちソビエト連邦れんぽうウラル地方ちほうチェリャビンスクしゅうマヤークかく技術ぎじゅつ施設しせつ発生はっせいした原子力げんしりょく事故じこ爆発ばくはつ事故じこ)。また、後年こうねんにかけて放射ほうしゃせい廃棄はいきぶつ起因きいんして発生はっせいした事故じこひとし包括ほうかつすることもおおい。

概要がいよう[編集へんしゅう]

核分裂かくぶんれつせい物質ぶっしつ貯蔵ちょぞう施設しせつ貯蔵ちょぞう施設しせつおも管理かんりとセキュリティは建物たてもの南側みなみがわおこなわれる。
建設けんせつちゅう核分裂かくぶんれつせい物質ぶっしつ貯蔵ちょぞう施設しせつ

オジョルスクにあるマヤークかく技術ぎじゅつ施設しせつМаякMayakМа)は、原子げんしばくだんようプルトニウム生産せいさんする原子げんし5およびさい処理しょり施設しせつつプラントであり、1948ねんから建設けんせつされた。プラント周囲しゅういには技術ぎじゅつしゃ居住きょじゅうとして暗号あんごうめいチェリヤビンスク65という秘密ひみつ都市とし建設けんせつされた。事故じこは、この施設しせつ中心ちゅうしん発生はっせいした。国際こくさい原子力げんしりょく事象じしょう評価ひょうか尺度しゃくど(INES)では番目ばんめたかいレベル6(だい事故じこ)とみなされる[1]近隣きんりんにあったまちキシュテム(クイシトゥイム)英語えいごばん名前なまえをとってキシュテム事故じこばれている。

キシュテム事故じこ[編集へんしゅう]

1950年代ねんだい当時とうじソ連それんでは、一般いっぱんには放射能ほうしゃのう危険きけんせい認知にんちされていない、もしくは影響えいきょうひくいとかんがえられていたため、放射ほうしゃせい廃棄はいきぶつあつかいはぞんざいであり、液体えきたい廃棄はいきぶつ廃液はいえき)は付近ふきんのテチャがわオビがわ支流しりゅう)やみずうみのちにイレンコのあつみずうみカラチャイばれる)に放流ほうりゅうされた。やがて付近ふきん住民じゅうみん健康けんこう被害ひがいしょうじると、液体えきたいだかレベル放射ほうしゃせい廃棄はいきぶつ濃縮のうしゅくしタンク貯蔵ちょぞうする方法ほうほうあらためられた。

放射ほうしゃせい廃棄はいきぶつタンクは、えずしょうじる崩壊ほうかいねつにより高温こうおんとなるため、冷却れいきゃく装置そうち稼働かどう安全あんぜんせいたも必要ひつようがあるが、1957ねん9月29にち肝心かんじん冷却れいきゃく装置そうち故障こしょう、タンクない温度おんど急上昇きゅうじょうしょうし、内部ないぶ調整ちょうせい機器ききからしょうじた火花ひばなにより、容積ようせき300立方りっぽうメートルのタンクにはいっていた硝酸塩しょうさんえん結晶けっしょうさい処理しょりざん渣が爆発ばくはつした。この結果けっか90Sr (29ねん)、137Cs (30ねん)、239Pu (24,110ねん)などの半減はんげんなが同位どういたいふく大量たいりょう放射ほうしゃせい物質ぶっしつ大気たいきちゅう放出ほうしゅつされた(East Urals Radioactive Trace)。かく爆発ばくはつではなく化学かがくてき爆発ばくはつであったが、その規模きぼTNT火薬かやく70t相当そうとうで、やく1,000m上空じょうくうまでがった放射ほうしゃせい廃棄はいきぶつ南西なんせいふうり、北東ほくとう方向ほうこうはばやく9km、ながさ105kmの帯状おびじょう地域ちいき汚染おせんやく1まんにん避難ひなんした。避難ひなんした人々ひとびとは1週間しゅうかんに0.025-0.5シーベルト、合計ごうけい平均へいきん0.52シーベルト、最高さいこう0.72シーベルトを被曝ひばくした。とく事故じこ現場げんばちかかった1,054にん骨髄こつづいに0.57シーベルトを被曝ひばくした。

マヤーク会社かいしゃ官庁かんちょうによれば、事故じこ全体ぜんたいとして400 PBq (4×1017 B)の放射能ほうしゃのうが2まん平方へいほうキロメートルの範囲はんいにわたってらされた。27まんにんたか放射能ほうしゃのうにさらされた。官庁かんちょう公表こうひょうした放射能ほうしゃのう汚染おせんをもとに比較ひかく計算けいさんすると、事故じこによりあらたに100にんがガンになると予想よそうされる[2]

国際こくさい原子力げんしりょく事象じしょう評価ひょうか尺度しゃくどではレベル6(だい事故じこ)に分類ぶんるいされる。これは1986ねんチェルノブイリ原子力げんしりょく発電はつでんしょ事故じこと2011ねん福島ふくしまだいいち原子力げんしりょく発電はつでんしょ事故じこのレベル7(深刻しんこく事故じこ)にいで歴史れきしじょう3番目ばんめ重大じゅうだい原子力げんしりょく事故じこにあたる。ミュンヘンのヘルムホルツ・センターによればキシュテム事故じこはこれまで過小かしょう評価ひょうかされていたという[3]

放射ほうしゃせい廃棄はいきぶつ飛散ひさん[編集へんしゅう]

放射ほうしゃせい廃棄はいきぶつ貯蔵ちょぞうしょでもあったみずうみ(イレンコのあつみずうみ)は、放射ほうしゃせいストロンチウム90などで汚染おせんされていたが、1967ねんはる魃が発生はっせいしたさい湖底こてい干上ひあがって乾燥かんそうした。放射ほうしゃせい物質ぶっしつふくすなどろふうにのって空気くうきちゅう飛散ひさんしたため汚染おせん地域ちいきひろがり、放射ほうしゃせい物質ぶっしつによる被曝ひばく周辺しゅうへん住民じゅうみんあらたな健康けんこう被害ひがいむこととなった。

また1950年代ねんだい河川かせん投棄とうきされた放射ほうしゃせい廃棄はいきぶつは、対策たいさくこうじられず河床かしょう沈殿ちんでんしたままとなっており、年々ねんねん流域りゅういき住民じゅうみん健康けんこう被害ひがい深刻しんこくなものとしている。

事故じこ表面ひょうめん[編集へんしゅう]

事故じこはソビエト連邦れんぽう軍事ぐんじ施設しせつこったため極秘ごくひであったが、1958ねんには「なにかがあったらしい」程度ていど情報じょうほうアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくにもつたわった。概要がいようあきらかになったのは、1976ねん11月、ソ連それんから亡命ぼうめいした科学かがくしゃジョレス・A・メドベージェフの、イギリスの科学かがく「ニュー・サイエンティスト」掲載けいさい論文ろんぶんによる。

かれはその『ウラルのかく事故じこ』(日本語にほんご翻訳ほんやくり)を出版しゅっぱん。この告発こくはつソ連それんこうから否定ひていした。原子力げんしりょく推進すいしんする立場たちば人々ひとびとからは、このような事故じこはありず、たんなるつくばなし一蹴いっしゅうされ、ソ連それん陰謀いんぼうろんというあつかいだった。当初とうしょ流布るふされたうわさでは、かく爆発ばくはつたっする臨界りんかい事故じこきたとされていたためである。

このため、1989ねん9がつ20日はつかグラスノスチ情報じょうほう公開こうかい)の一環いっかんとして外国がいこくじん日本人にっぽんじん5にん記者きしゃだん資料しりょう公開こうかいされるまで真相しんそうあきらかにされなかった。また地域ちいき住民じゅうみん放射能ほうしゃのう汚染おせん正式せいしきらされたのは、ソビエト連邦れんぽう崩壊ほうかいおくらその後継こうけいとなったロシア連邦れんぽう政府せいふ発足ほっそく1992ねん前後ぜんごであり、対策たいさく後手ごてまわ放射能ほうしゃのう被害ひがい拡大かくだいさせた。

備考びこう[編集へんしゅう]

  • ロシア閣僚かくりょう会議かいぎ幹部かんぶかいによれば、工場こうじょう周辺しゅうへん放出ほうしゅつされた放射ほうしゃせい廃棄はいきぶつ放射能ほうしゃのう総量そうりょうは37エクサベクレル以上いじょうで、チェルノブイリ原発げんぱつ事故じこの20ばいたっし、被爆ひばくしゃやく45まんにんのぼったとしている[4]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 国際こくさい原子力げんしりょく機関きかん. "INES - The International Nuclear and Radiological Event Scale" (PDF; 193 kB) (英語えいご). 2011ねん3がつ13にち閲覧えつらん
  2. ^ Thomas B. Cochran, Robert S. Norris, Oleg A. Bukharin (1995). "Making the Russian Bomb - From Stalin to Yeltsin" (PDF; 2,2 MB) (英語えいご). Natural Resources Defence Council. pp. 65–109. 2010ねん11月14にち閲覧えつらん
  3. ^ ヘルムホルツ・センター(ミュンヘン): 50 yeare Strahlenunfall von Kysthym (PDF, 55 kB), 音声おんせい書写しょしゃ, 2007ねん9がつ25にち
  4. ^ 高田たかだじゅん世界せかい放射線ほうしゃせん被曝ひばく調査ちょうさ みずか測定そくていした渾身こんしんのレポート』 講談社こうだんしゃ 2002ねん p.74.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 『ウラルのかく惨事さんじ』 ジョレス・A・メドベージェフちょ 梅林うめばやし宏道ひろみちやく 技術ぎじゅつ人間にんげん 1982ねん7がつ ISBN 4764500248
  • 『ウラルのかく惨事さんじジョレス・メドヴェージェフ、ロイ・メドヴェージェフ選集せんしゅう だい2かん』 ジョレス・A・メドベージェフちょ 名越なごや陽子ようこやく 現代げんだい思潮しちょうしんしゃ 2017ねん5がつ ISBN 9784329100030

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]