ウィキペディアの内容 ないよう に関 かん する三 さん 大 だい 方針 ほうしん と相互 そうご の関係 かんけい
中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん (Neutral Point Of View, NPOV ) は、ウィキペディア の根本 こんぽん 的 てき な方針 ほうしん の一 ひと つです。この方針 ほうしん のため、ウィキペディア上 じょう のすべての百科 ひゃっか 事典 じてん 的 てき 内容 ないよう は中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん に沿 そ って書 か き記 しる されなければなりません。これは、主題 しゅだい に関 かん して信頼 しんらい できる情報 じょうほう 源 げん によって公表 こうひょう されている すべての重要 じゅうよう な観点 かんてん を各 かく 観点 かんてん の比重 ひじゅう に応 おう じて公平 こうへい に描写 びょうしゃ し、できる限 かぎ り編集 へんしゅう 上 じょう の偏向 へんこう がないようにしなければならないことを意味 いみ します。
中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん はウィキペディアの基本 きほん 原則 げんそく の一 ひと つであり、他 た のウィキメディア・プロジェクトの基本 きほん 原理 げんり の一 ひと つでもあります。また、「検証 けんしょう 可能 かのう 性 せい 」および「独自 どくじ 研究 けんきゅう は載 の せない 」とともにウィキペディアの内容 ないよう に関 かん する三 さん 大 だい 方針 ほうしん としても位置 いち づけられています。ウィキペディアでは、これらの方針 ほうしん を合 あ わせて、記事 きじ に書 か き記 しる すことが許 ゆる される情報 じょうほう の種類 しゅるい と品質 ひんしつ を決定 けってい しています。これらの方針 ほうしん は相互 そうご 補完 ほかん 的 てき に調和 ちょうわ して機能 きのう するため、他 た の二 ふた つと切 き り離 はな して解釈 かいしゃく されるべきではありません。編集 へんしゅう 者 しゃ はこれら三 みっ つの方針 ほうしん すべてに精通 せいつう した上 うえ で編集 へんしゅう を行 おこな うことが強 つよ く奨励 しょうれい されます。
この文書 ぶんしょ で説明 せつめい している中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん の方針 ほうしん は「交渉 こうしょう の余地 よち のないもの」とされ、その基盤 きばん となる原理 げんり は、他 た の方針 ほうしん やガイドライン によって、または利用 りよう 者 しゃ 同士 どうし の合意 ごうい によって覆 くつがえ すことはできません。
中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん とは
ウィキペディアのコミュニティにおいて理解 りかい される「中立 ちゅうりつ 」を成 な し遂 と げようとする姿勢 しせい とは、さまざまな信頼 しんらい できる情報 じょうほう 源 げん を注意深 ちゅういぶか く、批判 ひはん 的 てき に分析 ぶんせき し、それらに含 ふく まれる情報 じょうほう を公平 こうへい に、各 かく 観点 かんてん の比重 ひじゅう に応 おう じて、可能 かのう な限 かぎ り編集 へんしゅう 上 じょう の偏向 へんこう なく読者 どくしゃ に伝 つた えることを意味 いみ します。ウィキペディアが目指 めざ すところは、論争 ろんそう を記述 きじゅつ することであり、論争 ろんそう に加 くわ わることではありません 。
執筆 しっぴつ 者 しゃ は当然 とうぜん のことながら独自 どくじ の視点 してん を持 も っているものですが、完全 かんぜん な情報 じょうほう を提供 ていきょう するよう誠実 せいじつ に努力 どりょく するべきであり、ある特定 とくてい の観点 かんてん を他方 たほう に優先 ゆうせん して推進 すいしん するようなことはしてはいけません。したがって、中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん とは、ある種 しゅ の観点 かんてん を除外 じょがい することを意味 いみ するのではなく、十分 じゅうぶん 妥当 だとう な重 おも みを持 も つすべての検証 けんしょう 可能 かのう な観点 かんてん を含 ふく んでいるものです。
百科 ひゃっか 事典 じてん にふさわしい中立 ちゅうりつ の水準 すいじゅん を達成 たっせい するために下記 かき の原則 げんそく を遵守 じゅんしゅ してください。
意見 いけん を事実 じじつ として記 しる さない
通常 つうじょう 、記事 きじ はその記述 きじゅつ 対象 たいしょう について表 あらわ された重要 じゅうよう な意見 いけん を情報 じょうほう として含 ふく みます。しかし、その意見 いけん をウィキペディアの見解 けんかい として述 の べてはいけません。それよりはむしろ、その意見 いけん が特定 とくてい の情報 じょうほう 源 げん に帰 き することを文中 ぶんちゅう に記 しる すか、あるいは十分 じゅうぶん な根拠 こんきょ を示 しめ せる場合 ばあい には、広 ひろ く認 みと められている意見 いけん として記述 きじゅつ されるべきです。たとえば、記事 きじ 中 ちゅう で「大量 たいりょう 虐殺 ぎゃくさつ は悪行 あくぎょう である」と記述 きじゅつ してはいけませんが、「某氏 ぼうし は、大量 たいりょう 虐殺 ぎゃくさつ は人間 にんげん の悪 あく の縮図 しゅくず であると記 しる している」と記述 きじゅつ することはできます。
深刻 しんこく な論争 ろんそう がある主張 しゅちょう を事実 じじつ として記 しる さない
ある問題 もんだい について異 こと なる信頼 しんらい できる情報 じょうほう 源 げん の間 あいだ で主張 しゅちょう に衝突 しょうとつ が生 しょう じている場合 ばあい には、それらの主張 しゅちょう については事実 じじつ ではなく意見 いけん として扱 あつか い、その主張 しゅちょう 自体 じたい を文中 ぶんちゅう で直接 ちょくせつ 記述 きじゅつ することはしないでください。
事実 じじつ を意見 いけん として記 しる さない
信頼 しんらい できる情報 じょうほう 源 げん によって反論 はんろん や論争 ろんそう の余地 よち のないものとされた事実 じじつ の主張 しゅちょう であれば、普通 ふつう はウィキペディアの見解 けんかい として率直 そっちょく に記述 きじゅつ されなければなりません。その言説 げんせつ が異議 いぎ なき説 せつ であることに特 とく に反論 はんろん が無 な いのであれば、その主張 しゅちょう を誰 だれ かに帰属 きぞく させる必要 ひつよう はありません(それでも、情報 じょうほう 源 げん への出典 しゅってん リンクを付 つ けておくことは検証 けんしょう 可能 かのう 性 せい に役立 やくだ ちます)。また、その説 せつ について論争 ろんそう が存在 そんざい するかのような表現 ひょうげん で記述 きじゅつ すべきではありません。
判断 はんだん を下 くだ さない言葉 ことば 遣 づか いを好 この んで選択 せんたく する
明瞭 めいりょう さとのバランスをとらなければならないときもありますが、中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん においては、主題 しゅだい (あるいは信頼 しんらい できる情報 じょうほう 源 げん が主題 しゅだい について何 なに と述 の べているか)に対 たい して同情 どうじょう も非難 ひなん も示 しめ しません。人々 ひとびと の意見 いけん や相反 あいはん する所見 しょけん については、公平 こうへい 無私 むし の論調 ろんちょう で表現 ひょうげん してください。社説 しゃせつ 風 ふう に書 か かないでください。ある特定 とくてい の観点 かんてん に編集 へんしゅう が偏向 へんこう していることが見 み て取 と れるようならば、その記事 きじ は修正 しゅうせい される必要 ひつよう があります。
対立 たいりつ する観点 かんてん との相対 そうたい 的 てき な勢力 せいりょく 差 さ を示 しめ す
主題 しゅだい に関 かん して異 こと なる観点 かんてん を報告 ほうこく する際 さい には、それらの観点 かんてん に対 たい する相対 そうたい 的 てき な支持 しじ 度 ど が適切 てきせつ に反映 はんえい されるように記述 きじゅつ してください。対等 たいとう であるとの誤 あやま った印象 いんしょう を与 あた えたり、特定 とくてい の観点 かんてん に不当 ふとう な重 おも みを与 あた えたりするような記述 きじゅつ はしないでください。たとえば、「地球 ちきゅう の形状 けいじょう は、フェルディナンド・マゼラン の調査 ちょうさ では球体 きゅうたい だとされたが、ジョン・ハムデンの説 せつ によれば湾曲 わんきょく した平面体 へいめんたい だとされる」という記述 きじゅつ では、各 かく 観点 かんてん を1人 にん ずつの主張 しゅちょう として記 しる すことによって、圧倒的 あっとうてき な多数 たすう 派 は の観点 かんてん とごく少数 しょうすう の人々 ひとびと の観点 かんてん をあたかも対等 たいとう であるかのように伝 つた えてしまっています。
観点 かんてん の中立 ちゅうりつ とは何 なに ではないか
この方針 ほうしん における「中立 ちゅうりつ 」や「中立 ちゅうりつ 的 てき 」という用語 ようご が一般 いっぱん とはやや異 こと なった限定 げんてい 的 てき な意味 いみ で使 つか われていることには注意 ちゅうい してください。得 え てして誤解 ごかい がありますが、中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん の方針 ほうしん とは以下 いか のようなものではありません。
中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん とは、中間 ちゅうかん 的 てき な観点 かんてん のことではありません。
中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん の方針 ほうしん とは、複数 ふくすう の意見 いけん や見解 けんかい が対立 たいりつ する場合 ばあい にはそれらの中間 ちゅうかん に位置 いち する意見 いけん (間 あいだ を取 と った意見 いけん )を正 ただ しいものとして記 しる す、という意味 いみ ではありません。もし、そのような中 なか 間 あいだ 的 てき な説 せつ が信頼 しんらい できる情報 じょうほう 源 げん によって本当 ほんとう に論争 ろんそう の余地 よち なく正 ただ しいと位置 いち づけられている場合 ばあい は事実 じじつ として率直 そっちょく に記述 きじゅつ することはありますが、ウィキペディアの編集 へんしゅう 者 しゃ が間 あいだ を取 と り持 も つような意見 いけん を生 う み出 だ したり優遇 ゆうぐう したりすることはありません。
中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん とは、特定 とくてい の観点 かんてん のことではありません。
中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん は、提示 ていじ された各 かく 観点 かんてん のいずれでもありません。中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん の方針 ほうしん とは、観点 かんてん のどれかを「中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん 」として採用 さいよう する行為 こうい ではありません。むしろ中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん の本質 ほんしつ は、各々 おのおの の観点 かんてん と距離 きょり を保 たも ちながら、各 かく 観点 かんてん の位置 いち づけを冷静 れいせい に定 さだ めて記事 きじ 中 ちゅう に提示 ていじ することにあります。
中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん とは、全 すべ ての観点 かんてん を平等 びょうどう に扱 あつか うことではありません。
あらゆる関連 かんれん する観点 かんてん を、同 おな じような支持 しじ 度 ど や重要 じゅうよう 度 ど があるようには扱 あつか いません。中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん は、ウィキペディアの編集 へんしゅう 者 しゃ が観点 かんてん について独自 どくじ の価値 かち 判断 はんだん を下 くだ すことを禁 きん じています。これは、一方 いっぽう の観点 かんてん が他方 たほう の観点 かんてん よりも優 すぐ れていると主張 しゅちょう すること(つまり、彼我 ひが の見方 みかた について価値 かち 判断 はんだん をすること)のみならず、2つの観点 かんてん ないし全 すべ ての観点 かんてん が平等 びょうどう であると主張 しゅちょう する(相対 そうたい 主義 しゅぎ でもって、先 さき ほどとは別 べつ の価値 かち 判断 はんだん をしようとする)ことをも禁 きん じていることを意味 いみ します。説 せつ や意見 いけん を説明 せつめい する表現 ひょうげん や文 ぶん 量 りょう などには適当 てきとう な重 おも みづけ がなされ、差 さ がつけられます。重 おも みづけの結果 けっか 、記事 きじ 中 ちゅう に書 か くこと自体 じたい が妥当 だとう でないこともありえます。
中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん とは、多数 たすう 派 は の観点 かんてん のことではありません。
中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん にしたがって、支持 しじ 度 ど や重要 じゅうよう 度 ど に応 おう じて多数 たすう 派 は の観点 かんてん についての説明 せつめい を記事 きじ の主要 しゅよう 部 ぶ とすることはありえますが、ウィキペディアが多数 たすう 派 は の観点 かんてん それ自体 じたい に立 た つことはありません。多数 たすう 派 は の観点 かんてん であっても、客観 きゃっかん 的 てき かつ距離 きょり を保 たも った論調 ろんちょう で描写 びょうしゃ されなければならず、真実 しんじつ であるとか優 すぐ れた見方 みかた であるとして誇大 こだい に描写 びょうしゃ してはいけません。
中立 ちゅうりつ を達成 たっせい するために
原則 げんそく として、単 たん に偏向 へんこう しているように思 おも われるなどという理由 りゆう で、出典 しゅってん を明記 めいき した情報 じょうほう を除去 じょきょ しない でください。その代 か わりに、その一文 いちぶん や一節 いっせつ をより中立 ちゅうりつ 的 てき ない回 いまわ しに書 か き改 あらた められないか、試 ため してみてください。偏 かたよ った情報 じょうほう は大抵 たいてい 、他 た の情報 じょうほう 源 げん を引用 いんよう した資料 しりょう を持 も ち合 あ わせて執筆 しっぴつ することで釣 つ り合 あ いがとれ、より中立 ちゅうりつ 的 てき で幅広 はばひろ い視野 しや を提供 ていきょう することができるため、そのような問題 もんだい は正常 せいじょう な編集 へんしゅう 工程 こうてい を通 とお して可能 かのう であれば解決 かいけつ すべきです。記述 きじゅつ を除去 じょきょ するのは、それが読者 どくしゃ に誤 あやま った情報 じょうほう を伝 つた えたり誤解 ごかい を招 まね いたりするおそれがあり、なおかつその部分 ぶぶん を書 か き換 か える方法 ほうほう では対応 たいおう できないと信 しん じるに足 た る妥当 だとう な理由 りゆう がある場合 ばあい のみにしてください。
この節 ふし では、よくある問題 もんだい について具体 ぐたい 的 てき な手引 てび きを示 しめ します。
適当 てきとう な重 おも み付 づ け
中立 ちゅうりつ であるためには、標準 ひょうじゅん 名前 なまえ 空間 くうかん にある各 かく 記事 きじ またはその他 た のページは、信頼 しんらい できる情報 じょうほう 源 げん で公表 こうひょう されているすべての重要 じゅうよう な観点 かんてん を、公表 こうひょう された信頼 しんらい できる情報 じょうほう 源 げん における各 かく 観点 かんてん の支持 しじ 度 ど に応 おう じて公平 こうへい に記述 きじゅつ することが要求 ようきゅう されます[ 注 ちゅう 1] 。妥当 だとう な重 おも み付 づ けをすることと不当 ふとう な重 おも み付 づ けをしないようにすることは、少数 しょうすう 意見 いけん や少数 しょうすう 派 は の観点 かんてん について、より広 ひろ く主張 しゅちょう されていたり支持 しじ されていたりするような意見 いけん や観点 かんてん と同 おな じぐらい多量 たりょう または詳細 しょうさい な説明 せつめい をするべきではないことを意味 いみ します。原則 げんそく として、ごく少数 しょうすう の人々 ひとびと の意見 いけん は記事 きじ に一切 いっさい 含 ふく めるべきではありません。場合 ばあい によっては、その特定 とくてい の意見 いけん について説明 せつめい している記事 きじ を「関連 かんれん 項目 こうもく 」に記載 きさい するような例 れい は許容 きょよう されます。たとえば、地球 ちきゅう に関 かん する記事 きじ では、ごく少数 しょうすう 派 は の意見 いけん であることが明白 めいはく な地球 ちきゅう 平面 へいめん 説 せつ に対 たい する現代 げんだい の支持 しじ 意見 いけん に直接 ちょくせつ 言及 げんきゅう しないでください。そのようにしてしまっては「不当 ふとう な重 おも み付 づ け」をすることになりかねません。
不当 ふとう な重 おも み付 づ けは、記述 きじゅつ の深 ふか さ、文章 ぶんしょう の量 りょう 、配置 はいち の突出 とっしゅつ 、文 ぶん の同列 どうれつ 化 か 、画像 がぞう の使用 しよう など、これらに限 かぎ らず、いくつもの方法 ほうほう で行 おこな われる可能 かのう 性 せい があります。少数 しょうすう 派 は の観点 かんてん に特 とく に関連 かんれん する記事 きじ では、そのような観点 かんてん は、より多 おお くの注目 ちゅうもく を浴 あ び、多 おお くの紙面 しめん を割 さ いてもらえることになるかもしれません。しかし、これらのページでも、密接 みっせつ に関連 かんれん する多数 たすう 派 は の観点 かんてん が存在 そんざい する場合 ばあい には可能 かのう な限 かぎ り、多数 たすう 派 は の観点 かんてん にも適切 てきせつ に言及 げんきゅう すべきであり、くれぐれも少数 しょうすう 意見 いけん の観点 かんてん のみから内容 ないよう を説明 せつめい しないでください。具体 ぐたい 的 てき には、本文 ほんぶん のどの部分 ぶぶん で少数 しょうすう 意見 いけん を説明 せつめい しているのかを常 つね にはっきりさせておかなければいけません。さらに、多数 たすう 派 は の意見 いけん を十分 じゅうぶん に詳 くわ しく説明 せつめい した上 うえ で少数 しょうすう 意見 いけん との相違 そうい 点 てん を読者 どくしゃ が理解 りかい できるようにし、少数 しょうすう 意見 いけん の観点 かんてん に関 かん する論争 ろんそう をはっきりと明 あき らかにして説明 せつめい するべきです。どの程度 ていど 詳 くわ しく記述 きじゅつ することが要求 ようきゅう されるかは話題 わだい によります。たとえば、地球 ちきゅう 平面 へいめん 説 せつ のような(現代 げんだい では擁護 ようご する者 もの がほとんど、あるいは全 まった く存在 そんざい しない)歴史 れきし 的 てき 見解 けんかい に関 かん する記事 きじ では、現代 げんだい の立場 たちば を簡潔 かんけつ に述 の べ、続 つづ いて、現在 げんざい では信用 しんよう を失 うしな った考 かんが えの歴史 れきし を中立 ちゅうりつ 的 てき に記述 きじゅつ し、その観念 かんねん の歴史 れきし を極 きわ めて詳細 しょうさい に論 ろん じることができます。その他 た の少数 しょうすう 意見 いけん については、読者 どくしゃ を誤解 ごかい させないために、多数 たすう 派 は の意見 いけん を(少数 しょうすう 意見 いけん よりも)はるかに広範 こうはん に説明 せつめい することが必要 ひつよう とされる場合 ばあい があります。
ウィキペディアで論争 ろんそう を説明 せつめい する際 さい には、とても少数 しょうすう の人々 ひとびと の主張 しゅちょう する意見 いけん が、多数 たすう 派 は の意見 いけん とあたかも同 おな じくらい重要 じゅうよう であるかのような書 か き方 かた をするべきではありません。ごく少数 しょうすう の人々 ひとびと が主張 しゅちょう する意見 いけん は、そのような意見 いけん を扱 あつか うのに特 とく 化 か した記事 きじ (地球 ちきゅう 平面 へいめん 説 せつ など)以外 いがい には記載 きさい すべきではありません。無視 むし しがたい少数 しょうすう 派 は の意見 いけん に不当 ふとう な重 おも み付 づ けをしたり、ごく少数 しょうすう の人々 ひとびと の意見 いけん を含 ふく めたりすれば、論争 ろんそう の有様 ありさま について読者 どくしゃ を誤 あやま った方向 ほうこう に導 みちび きかねません。ウィキペディアの狙 ねら いは、競合 きょうごう する意見 いけん を、その話題 わだい に関 かん して信頼 しんらい できる情報 じょうほう 源 げん における表現 ひょうげん に応 おう じて提示 ていじ することです。これは、記事 きじ 本文 ほんぶん のみならず、画像 がぞう 、ウィキリンク、外部 がいぶ リンク、カテゴリ、およびその他 た のすべての情報 じょうほう にも同様 どうよう に適用 てきよう されます。
以下 いか はジミー・ウェールズ [ 注 ちゅう 2] が2003年 ねん 9月 がつ にWikiEN-lのメーリングリストに投稿 とうこう した内容 ないよう (英語 えいご ) からの引用 いんよう です。
もしも観点 かんてん が多数 たすう 派 は の観点 かんてん であるならば、一般 いっぱん に認 みと められている参考 さんこう 文献 ぶんけん を参照 さんしょう してその観点 かんてん が多数 たすう 派 は だと証明 しょうめい することは容易 ようい なはずです。
もしも観点 かんてん が無視 むし しがたい少数 しょうすう 派 は が主張 しゅちょう する観点 かんてん であるならば、著名 ちょめい な擁護 ようご 者 しゃ の名前 なまえ を挙 あ げることは容易 ようい なはずです。
もしも観点 かんてん が極 きわ めて少数 しょうすう の人々 ひとびと が主張 しゅちょう する観点 かんてん であるならば、それが本当 ほんとう であるか証明 しょうめい 可能 かのう かどうかにかかわらず、ウィキペディアはそれを記載 きさい する場所 ばしょ としてはふさわしくないです(ただし、事 こと によっては一部 いちぶ の付随 ふずい する記事 きじ を除 のぞ く)。
適当 てきとう な重 おも み付 づ けを決定 けってい する際 さい には、信頼 しんらい できる情報 じょうほう 源 げん における観点 かんてん の普及 ふきゅう 度 ど を考慮 こうりょ し、ウィキペディアの編集 へんしゅう 者 しゃ や一般 いっぱん の人々 ひとびと の間 あいだ での普及 ふきゅう 度 ど は考慮 こうりょ に入 い れないようにすることを心 しん に留 と めてください。
もしも現在 げんざい ほとんど、あるいは全 まった く信 しん じられていない学説 がくせつ をあなたが証明 しょうめい できたとしても、ウィキペディアはそのような証明 しょうめい を発表 はっぴょう する場 ば ではありません。信頼 しんらい できる情報 じょうほう 源 げん で発表 はっぴょう され、論 ろん じられてさえいれば、その説 せつ を適切 てきせつ に記事 きじ に含 ふく めることができます。「独自 どくじ 研究 けんきゅう は載 の せない 」および「検証 けんしょう 可能 かのう 性 せい 」も参照 さんしょう してください。
観点 かんてん の釣 つ り合 あ いをとる
記事 きじ では、その主題 しゅだい に関 かん する少数 しょうすう 派 は の観点 かんてん に不当 ふとう な重 おも み付 づ けをしてはならず、各 かく 観点 かんてん は、その主題 しゅだい に関 かん する信頼 しんらい できる公表 こうひょう された資料 しりょう の本文 ほんぶん での扱 あつか いに応 おう じた重 おも みをもって論 ろん じるように努 つと めてください。たとえば、記述 きじゅつ 対象 たいしょう についての単発 たんぱつ の出来事 できごと 、批判 ひはん 、報道 ほうどう は、検証 けんしょう 可能 かのう で偏 かたよ りがないかもしれませんが、それでもなお、記事 きじ の主題 しゅだい に対 たい する全般 ぜんぱん 的 てき な重要 じゅうよう 性 せい とは不 ふ 釣 つ り合 あ いである可能 かのう 性 せい があります。このことは、特 とく にニュース で取 と り上 あ げられることがある最近 さいきん の出来事 できごと に関連 かんれん した懸念 けねん 事項 じこう です。
「平等 びょうどう な妥当 だとう 性 せい 」を与 あた えると偽 にせ の均衡 きんこう を作 つく り出 だ しかねない
どのような話題 わだい に関 かん しても、すべての重要 じゅうよう な観点 かんてん を説明 せつめい することは大切 たいせつ ですが、ウィキペディアの方針 ほうしん は、すべての少数 しょうすう 派 は の見解 けんかい や並外 なみはず れた主張 しゅちょう [ 注 ちゅう 3] をまるで平等 びょうどう な妥当 だとう 性 せい があるかのように、一般 いっぱん に認 みと められている主流 しゅりゅう 派 は の学問 がくもん 的 てき 成果 せいか と並 な べて記載 きさい する必要 ひつよう があると言明 げんめい したり暗示 あんじ したりするものではありません。世界 せかい には、世間 せけん 一般 いっぱん に信 しん じられているものからほとんど知 し られていないものまで、さまざまな信念 しんねん を持 も つ人々 ひとびと がいます。例 れい として、地球 ちきゅう は平面体 へいめんたい である という説 せつ 、テンプル騎士 きし 団 だん は聖 ひじり 杯 はい を手 て に入 い れたという説 せつ 、アポロ月面 げつめん 着陸 ちゃくりく は捏造 ねつぞう であった という説 せつ などがあります。疑似 ぎじ 科学 かがく 、空想 くうそう 的 てき 歴史 れきし 、陰謀 いんぼう 論 ろん 、または、もっともらしいけれども現在 げんざい 認 みと められていない言説 げんせつ は、認 みと められている学術 がくじゅつ 的 てき 成果 せいか との比較 ひかく を通 とお して正当 せいとう 化 か されることがあってはなりません。ウィキペディアは、これらの論点 ろんてん に関 かん して、百科 ひゃっか 事典 じてん 執筆 しっぴつ 者 しゃ として賛成 さんせい ・反対 はんたい いずれの立場 たちば も取 と りません。それを含 ふく めるとその説 せつ を不当 ふとう に正当 せいとう 化 か することになる場合 ばあい には、単 たん にその情報 じょうほう を記載 きさい しません。あるいは、確立 かくりつ した学問 がくもん 的 てき 成果 せいか および広 ひろ い世界 せかい の考 かんが えと関連 かんれん づけた適切 てきせつ な文脈 ぶんみゃく の中 なか で、これらの考 かんが えを含 ふく めて記載 きさい します。
良質 りょうしつ な研究 けんきゅう
利用 りよう 可能 かのう な最 もっと も評判 ひょうばん のよい権威 けんい ある良質 りょうしつ な情報 じょうほう 源 げん に基 もと づく、確 たし かで偏向 へんこう のない研究 けんきゅう は、中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん を巡 めぐ る争 あらそ いを防 ふせ ぐのに役立 やくだ ちます。図書館 としょかん で評判 ひょうばん のよい書籍 しょせき や学術 がくじゅつ 論文 ろんぶん を探 さが してみたり、オンラインで最 もっと も信用 しんよう されている情報 じょうほう 源 げん を探 さが してください。もし高 こう 品質 ひんしつ な情報 じょうほう 源 げん を見 み つけるのに手助 てだす けが必要 ひつよう であれば、作業 さぎょう 中 ちゅう の記事 きじ のノートページ で他 た の編集 へんしゅう 者 しゃ に尋 たず ねたり、井戸端 いどばた や関連 かんれん する分野 ぶんや のウィキプロジェクト で質問 しつもん したりしてください。
均衡 きんこう
中立 ちゅうりつ を保 たも つには、観点 かんてん ごとの支持 しじ 度 ど に応 おう じて、それらに重 おも み付 づ け をします。しかしながら、評判 ひょうばん のよい情報 じょうほう 源 げん 同士 どうし が互 たが いに矛盾 むじゅん していたり、観点 かんてん の支持 しじ 度 ど が比較的 ひかくてき 等 ひと しいときには、両方 りょうほう の観点 かんてん を記述 きじゅつ し、均衡 きんこう をとってください。これは、公平 こうへい 無私 むし の観点 かんてん から意見 いけん の相違 そうい を説明 せつめい している二 に 次 じ 資料 しりょう や三 さん 次 じ 資料 しりょう を活用 かつよう しながら、対立 たいりつ する意見 いけん を明確 めいかく に描写 びょうしゃ することも伴 ともな います。
公平 こうへい な論調 ろんちょう
ウィキペディアは論争 ろんそう を“記述 きじゅつ ”するところです。論争 ろんそう に“参戦 さんせん ”はしません。 論争 ろんそう を中立 ちゅうりつ 的 てき に描写 びょうしゃ するには、一貫 いっかん して公平 こうへい な論調 ろんちょう で観点 かんてん を記述 きじゅつ することが求 もと められます。そうでなければ、たとえ密接 みっせつ に関連 かんれん する観点 かんてん をすべて記述 きじゅつ したとしても、その記事 きじ は熱心 ねっしん な支持 しじ 者 しゃ らによる実況 じっきょう 解説 かいせつ に終 お わってしまいます。 話題 わだい が私見 しけん ではなく事実 じじつ に基 もと づいて記載 きさい されている場合 ばあい でも、事実 じじつ の取捨選択 しゅしゃせんたく の仕方 しかた 、提示 ていじ の仕方 しかた 、整理 せいり の仕方 しかた によっては、不適切 ふてきせつ な論調 ろんちょう が記事 きじ に持 も ち込 こ まれることがあります。中立 ちゅうりつ 的 てき な記事 きじ は、記事 きじ に含 ふく まれるすべての立場 たちば を、公平 こうへい で正確 せいかく で釣 つ り合 あ いの取 と れた論調 ろんちょう で記 しる します。
ウィキペディアの記事 きじ の論調 ろんちょう は公平 こうへい であるべきで、特定 とくてい の観点 かんてん を支持 しじ したり排除 はいじょ したりしてはいけません。 論争 ろんそう が過熱 かねつ しているときには、その論争 ろんそう に参加 さんか している者 もの の主張 しゅちょう を直接 ちょくせつ 引用 いんよう することは避 さ け、代 か わりにその議論 ぎろん を公平 こうへい な論調 ろんちょう で要約 ようやく して記載 きさい するように努 つと めてください。
命名 めいめい
事物 じぶつ や事象 じしょう の命名 めいめい に関 かん しては、場合 ばあい により、主題 しゅだい を表 あらわ すために名称 めいしょう を選択 せんたく して使用 しよう することによって、観点 かんてん に偏 かたよ りが見 み られるようになることがあります。一般 いっぱん 的 てき には中立 ちゅうりつ 的 てき な用語 ようご を選択 せんたく するのが望 のぞ ましいですが、明瞭 めいりょう さとはバランスを取 と らなければなりません。信頼 しんらい できる情報 じょうほう 源 げん (とりわけ日本語 にほんご で書 か かれているもの)において広 ひろ く使用 しよう されているために、読者 どくしゃ によく認知 にんち されていそうな名称 めいしょう であれば、たとえ一部 いちぶ にその名称 めいしょう が偏 かたよ っているとみなす者 もの がいたとしても、それを使用 しよう して構 かま いません。たとえば、広 ひろ く使用 しよう されている名称 めいしょう である「国際 こくさい 連合 れんごう [ 注 ちゅう 4] 」「切 き り裂 さ きジャック[ 注 ちゅう 5] 」「スペインかぜ [ 注 ちゅう 6] 」「タタールのくびき [ 注 ちゅう 7] 」は、たとえそれが特定 とくてい の立場 たちば から判断 はんだん を下 くだ したように見 み えたとしても、これらの名称 めいしょう は当該 とうがい の主題 しゅだい に対 たい する言及 げんきゅう の仕方 しかた としては正当 せいとう なもののうちの一 ひと つとみなされます。主題 しゅだい を表 あらわ すために用 もち いる最 もっと もよい名称 めいしょう は、言及 げんきゅう される文脈 ぶんみゃく 次第 しだい であることもあります。とりわけ当該 とうがい の主題 しゅだい が中心 ちゅうしん 的 てき な論題 ろんだい である場合 ばあい には、別名 べつめい を挙 あ げ、その用法 ようほう に関 かん する論争 ろんそう に触 ふ れるのが適切 てきせつ かもしれません。
この助言 じょげん は特 とく に記事 きじ 名 めい に適用 てきよう されます。一般 いっぱん 的 てき な用法 ようほう においては複数 ふくすう の用語 ようご が使 つか われているかもしれませんが、記事 きじ 名 めい としては、記事 きじ 名 めい の付 つ け方 かた の指針 ししん に従 したが って名称 めいしょう を一 ひと つだけ選択 せんたく しなければなりません。別名 べつめい を組 く み合 あ わせて記事 きじ 名 めい とすることは推奨 すいしょう されません。たとえば、「アルミニウム(アルミナム)」「ジョージア(グルジア)」「日 にち 中 ちゅう 戦争 せんそう (支 ささえ 那 な 事変 じへん )」とすべきではありません。代 か わりに、別名 べつめい は記事 きじ 本文 ほんぶん 内 ない の然 しか るべき箇所 かしょ に目立 めだ つように示 しめ し、適切 てきせつ にリダイレクト を作成 さくせい してください。
名称 めいしょう というよりも、記述 きじゅつ 的 てき な語句 ごく を用 もち いた記事 きじ 名 めい もあります。記述 きじゅつ 的 てき な記事 きじ 名 めい とする場合 ばあい も、話題 わだい に対 たい する賛否 さんぴ を表 あらわ す観点 かんてん を示唆 しさ したり、問題 もんだい の特定 とくてい の側面 そくめん に関 かん する見解 けんかい に記事 きじ の内容 ないよう を閉 と じ込 こ めたりすることのないよう、中立 ちゅうりつ 的 てき ない回 いまわ しをするべきです(たとえば、「Xの批評 ひひょう 」という記事 きじ 名 めい は「Xに関 かん する社会 しゃかい 的 てき 見解 けんかい 」に改名 かいめい した方 ほう がよいかもしれません)。記事 きじ 名 めい が中立 ちゅうりつ 的 てき であることは、複数 ふくすう の観点 かんてん および責任 せきにん ある記事 きじ の執筆 しっぴつ を促進 そくしん します。
審美 しんび 的 てき な意見 いけん の記述 きじゅつ
芸術 げいじゅつ その他 た 創作 そうさく 活動 かつどう に関 かか わる話題 わだい (たとえば、ミュージシャン、役者 やくしゃ 、本 ほん など)を扱 あつか うウィキペディアの記事 きじ では、大 おお げさな表現 ひょうげん が使用 しよう される傾向 けいこう にあります。これは百科 ひゃっか 事典 じてん にそぐわない記述 きじゅつ の仕方 しかた です。審美 しんび 的 てき な意見 いけん は多種 たしゅ 多様 たよう かつ主観 しゅかん 的 てき なものであるため、「だれそれが世界 せかい で最 もっと も偉大 いだい なソプラノ歌手 かしゅ である」といったことについては、私 わたし たちは意見 いけん の一致 いっち をみることができないでしょう。しかし、あるアーティストや作品 さくひん が、著名 ちょめい な専門 せんもん 家 か や一般 いっぱん の人々 ひとびと にどのように受 う け止 と められたかということを記 しる すことは適切 てきせつ です。たとえば、シェイクスピアに関 かん する記事 きじ では、彼 かれ が英語 えいご による著述 ちょじゅつ 家 か の中 なか で最 もっと も偉大 いだい な人物 じんぶつ の一人 ひとり であると広 ひろ く考 かんが えられていることを記 しる すべきです。記事 きじ では、ある創作 そうさく 物 ぶつ に関 かん して共通 きょうつう する解釈 かいしゃく の概観 がいかん を、できれば専門 せんもん 家 か が抱 だ いている解釈 かいしゃく を引用 いんよう した出典 しゅってん とともに示 しめ すべきです。検証 けんしょう 可能 かのう な周知 しゅうち の学究 がっきゅう 的 てき な批評 ひひょう を記載 きさい することは、芸術 げいじゅつ 作品 さくひん について有用 ゆうよう なコンテクストを提供 ていきょう することになります。
注意 ちゅうい を要 よう する用語 ようご
ウィキペディアには、掲載 けいさい を禁止 きんし されている用語 ようご や表現 ひょうげん はありませんが、偏向 へんこう を招 まね くおそれがあるために使用 しよう する際 さい に注意 ちゅうい が必要 ひつよう とされる表現 ひょうげん があります。たとえば、「ジムはサンドウィッチの代金 だいきん を払 はら ったとい張 いは った」という文中 ぶんちゅう で「い張 いは る」という表現 ひょうげん を使用 しよう すると、彼 かれ の話 はなし が信憑 しんぴょう 性 せい に欠 か けることを暗示 あんじ させてしまいます。このように疑念 ぎねん を抱 いだ かせるような表現 ひょうげん を使用 しよう すれば、一方 いっぽう の立場 たちば を他方 たほう に優越 ゆうえつ させて推進 すいしん している記事 きじ だと思 おも われてしまうことでしょう。そのような誘導 ゆうどう 的 てき な言葉 ことば を使 つか うのではなく、事実 じじつ をもっと簡潔 かんけつ に記述 きじゅつ するようにしてください。たとえば、「ジムはサンドウィッチの代金 だいきん を払 はら ったと言 い った」というように。おもねった表現 ひょうげん 、軽蔑 けいべつ 的 てき な表現 ひょうげん 、言葉 ことば を濁 にご した表現 ひょうげん 、い古 いふる された表現 ひょうげん 、特定 とくてい の観点 かんてん を是認 ぜにん するような表現 ひょうげん は排除 はいじょ するように努力 どりょく してください(ただし、注目 ちゅうもく に値 あたい する情報 じょうほう 源 げん からの引用 いんよう 文 ぶん の一部 いちぶ にこれらの表現 ひょうげん が含 ふく まれている場合 ばあい はこの限 かぎ りではありません)。
情報 じょうほう 源 げん が内包 ないほう する偏向 へんこう
信頼 しんらい できる情報 じょうほう 源 げん に関 かん する論争 ろんそう でよくみられる主張 しゅちょう は、ある情報 じょうほう 源 げん が偏向 へんこう しているので、別 べつ の情報 じょうほう 源 げん を優先 ゆうせん すべきだというものです。偏向 へんこう した情報 じょうほう 源 げん は記事 きじ に誤 あやま った観点 かんてん を招 まね く元 もと になるため、使用 しよう するべきではないと主張 しゅちょう する編集 へんしゅう 者 しゃ もいます。しかしながら、そもそも偏向 へんこう した情報 じょうほう 源 げん は、その他 た の点 てん で根拠 こんきょ の薄 うす い記事 きじ を作 つく る元 もと になるおそれはあるものの、ただ偏見 へんけん に基 もと づいているという点 てん だけでは却下 きゃっか されません。中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん は、複数 ふくすう の信頼 しんらい できる情報 じょうほう 源 げん においてその意見 いけん が持 も つ重 おも みに基 もと づいて、諸 しょ 情報 じょうほう 源 げん が内包 ないほう する偏 かたよ りのバランスをとることによって達成 たっせい されるべきであり、特定 とくてい の編集 へんしゅう 者 しゃ の観点 かんてん と観点 かんてん が一致 いっち しない情報 じょうほう 源 げん を除外 じょがい することによってなされるべきではありません。これは、偏向 へんこう した情報 じょうほう 源 げん も使用 しよう されなければならないという意味 いみ ではありません。事 こと によっては、情報 じょうほう を完全 かんぜん に除外 じょがい したほうが記事 きじ の改善 かいぜん に資 し することもあるでしょう。
中立 ちゅうりつ 性 せい 論争 ろんそう に対処 たいしょ する
偏 かたよ った記述 きじゅつ は帰属 きぞく 化 か ・明確 めいかく 化 か する
偏 かたよ った意見 いけん の陳述 ちんじゅつ は、本文 ほんぶん 内 ない で帰属 きぞく 化 か する方法 ほうほう でのみ提示 ていじ することができます。たとえば、「ジョン・ドウは最 もっと も優 すぐ れた野球 やきゅう 選手 せんしゅ である」という意見 いけん を表 あらわ す陳述 ちんじゅつ について、ウィキペディアでは、それがまるで事実 じじつ であるかのごとく断定 だんてい 的 てき に記 しる してはいけません。「ジョン・ドウの野球 やきゅう 技能 ぎのう は、アル・ケーラインやジョー・トーリといった野球 やきゅう 関係 かんけい 者 しゃ から賞賛 しょうさん されている」というように、事実 じじつ に即 そく した意見 いけん を扱 あつか った記述 きじゅつ としてならば、記事 きじ に含 ふく めることができます。それでもなお、意見 いけん は検証 けんしょう 可能 かのう な情報 じょうほう として適切 てきせつ に出典 しゅってん を提示 ていじ した上 うえ で記載 きさい されなければなりません。
別 べつ の方法 ほうほう としては、実際 じっさい に事実 じじつ として存在 そんざい する事柄 ことがら について明細 めいさい に述 の べるか具体 ぐたい 的 てき に述 の べる方法 ほうほう が有効 ゆうこう です。たとえば、「ジョン・ドウは、2003年 ねん から2006年 ねん まで、メジャーリーグで打率 だりつ 1位 い であった」といった記載 きさい の仕方 しかた があります。このような記述 きじゅつ であれば、彼 かれ が最高 さいこう の野球 やきゅう 選手 せんしゅ であったかどうかについては人々 ひとびと の間 あいだ でなおも議論 ぎろん が続 つづ くでしょうが、ここで事実 じじつ として提示 ていじ された優 すぐ れた打撃 だげき 成績 せいせき については誰 だれ もが認 みと めるところとなるでしょう。
偏 かたよ った記述 きじゅつ や意見 いけん の陳述 ちんじゅつ をイタチ語法 ごほう [ 注 ちゅう 8] でい換 いか えたくなる衝動 しょうどう は抑 おさ えてください。たとえば、「多 おお くの人々 ひとびと はジョン・ドウが最 もっと も優 すぐ れた野球 やきゅう 選手 せんしゅ だと思 おも っている」という記述 きじゅつ では、「どういった人 ひと たちが?」「どれだけ多 おお くの人 ひと が?」という側面 そくめん について意味 いみ をぼかした表現 ひょうげん になっています。「多 おお くの人々 ひとびと は…と思 おも っている」といった記載 きさい の仕方 しかた が許 ゆる されるのは、少 すく なくとも1件 けん の公表 こうひょう された意識 いしき 調査 ちょうさ によってそれが裏付 うらづ けられている場合 ばあい のみです。
帰属 きぞく 化 か の表現 ひょうげん の例 れい
帰属 きぞく 化 か においては直接 ちょくせつ 話法 わほう (○○によれば「△△は××」である)、間接 かんせつ 話法 わほう (○○によれば△△は××である)、パラフレーズ (○○によれば、"いわば"△△は××である)といった表現 ひょうげん の方法 ほうほう があります。参照 さんしょう 元 もと の表現 ひょうげん を編集 へんしゅう の段階 だんかい で自分 じぶん の言葉 ことば で大 おお まかに要約 ようやく することもありますが、直接 ちょくせつ 話法 わほう の場合 ばあい は要約 ようやく は行 おこな わずに原文 げんぶん をそのまま掲載 けいさい する必要 ひつよう があります。これにより不注意 ふちゅうい による剽窃 ひょうせつ を避 さ け、読者 どくしゃ にその言説 げんせつ が誰 だれ に帰属 きぞく するかを示 しめ すことができます。
ジョン・ロールズ は、
公平 こうへい な
結論 けつろん にたどり
着 つ くためには、
政党 せいとう は
無知 むち のヴェールの
裏側 うらがわ にいると
仮定 かてい して
物事 ものごと を
考 かんが えなければならないと
主張 しゅちょう した
[1] 。
本文 ほんぶん で出典 しゅってん を述 の べて記述 きじゅつ する際 さい には、不 ふ 注意 ちゅうい によって中立 ちゅうりつ 性 せい を崩 くず さないように気 き を使 つか う必要 ひつよう があります。
以下 いか の文例 ぶんれい ではドーキンスの言説 げんせつ のほうが一般 いっぱん 的 てき な観点 かんてん であることを明 あき らかにしないまま、安直 あんちょく に2つの言説 げんせつ を並 なら べています。
他 た の中立 ちゅうりつ 性 せい の例 れい では、インテキスト方式 ほうしき によってミスリードを招 まね く問題 もんだい があります。以下 いか の文例 ぶんれい では The New York Times だけがこの重要 じゅうよう な事象 じしょう を発見 はっけん したかのように受 う け取 と られます。
The New York Times によると、酸素 さんそ は水素 すいそ とヘリウムに次 つ いで宇宙 うちゅう に豊富 ほうふ に存在 そんざい する元素 げんそ であるとされる。
出典 しゅってん を述 の べることで、このような単純 たんじゅん な事実 じじつ についても信頼 しんらい できる情報 じょうほう 源 げん に基 もと づいていることを読者 どくしゃ に伝 つた えられますが、この文章 ぶんしょう の場合 ばあい 、一般 いっぱん 的 てき には本文 ほんぶん 中 ちゅう では出典 しゅってん を述 の べずとも単純 たんじゅん に事実 じじつ を記述 きじゅつ するのが最善 さいぜん です。
酸素 さんそ は
水素 すいそ とヘリウムに
次 つ いで
宇宙 うちゅう に
豊富 ほうふ に
存在 そんざい する
元素 げんそ である
[2] 。
歴史 れきし
注記 ちゅうき :以下 いか は英語 えいご 版 ばん ウィキペディアの方針 ほうしん の歴史 れきし を説明 せつめい しています。
中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん (Neutral Point Of View, NPOV) は、ウィキペディアに関 かん する最 もっと も古 ふる い運営 うんえい 概念 がいねん の一 ひと つです。最初 さいしょ に表 ひょう に出 で たのはヌーペディア 内 うち における「不偏 ふへん の方針 ほうしん 」 (Non-bias policy ) で、2000年 ねん にラリー・サンガー が起草 きそう したものです。サンガーは2001年 ねん に、ウィキペディアの「考慮 こうりょ すべきルール」 (rules to consider ) として、偏向 へんこう しないことを提案 ていあん しました。この提案 ていあん は偏向 へんこう のない百科 ひゃっか 事典 じてん を作 つく るための目標 もくひょう となる中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん の方針 ほうしん として成文 せいぶん 化 か されました。最初 さいしょ にウィキペディアに対 たい して中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん の方針 ほうしん が明記 めいき された のは、2001年 ねん 12月26日 にち のことで、サンガーによって追加 ついか されました。ジミー・ウェールズ は、さまざまな討論 とうろん の場 ば (2003年 ねん 11月 、2006年 ねん 4月 がつ 、2008年 ねん 3月 がつ )を通 つう じて、一貫 いっかん して中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん を「交渉 こうしょう の余地 よち のない」 (non-negotiable) ものとみなしています。
独自 どくじ 研究 けんきゅう は載 の せない および検証 けんしょう 可能 かのう 性 せい は、中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん の方針 ほうしん 、ならびに不当 ふとう な重 おも み付 づ け と珍奇 ちんき な学説 がくせつ を扱 あつか う問題 もんだい を源流 げんりゅう としています。情報 じょうほう 源 げん の問題 もんだい ある使 つか い方 かた に対処 たいしょ するため、2003年 ねん に独自 どくじ 研究 けんきゅう は載 の せないの方針 ほうしん が設 もう けられました 。記事 きじ の正確 せいかく さを保証 ほしょう するために、出典 しゅってん を記載 きさい することを奨励 しょうれい する検証 けんしょう 可能 かのう 性 せい の方針 ほうしん も2003年 ねん に設 もう けられました 。不当 ふとう な重 おも み付 づ けの節 ふし も、同年 どうねん 9月 がつ のウェールズによるメーリングリストの投稿 とうこう が手伝 てつだ って2003年 ねん から発展 はってん し始 はじ めました。
以下 いか に、ウィキペディアの草創 そうそう 期 き 、2001年 ねん にジミー・ウェールズが提示 ていじ した「中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん 」の原点 げんてん となる声明 せいめい を引用 いんよう します。
一般 いっぱん 用 よう の
百科 ひゃっか 事典 じてん は、
中立 ちゅうりつ 的 てき な
観点 かんてん から
提供 ていきょう される、
総合 そうごう された
知識 ちしき を
集積 しゅうせき したものです。
百科 ひゃっか 事典 じてん を
執筆 しっぴつ する
際 さい には、
中立 ちゅうりつ 的 てき な
観点 かんてん 以外 いがい の
特定 とくてい の
立場 たちば をとることは、どのような
形 かたち であれ
可能 かのう な
限 かぎ り
避 さ けるべきです。
中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん からは、意見 いけん や事実 じじつ について、その支持 しじ 者 しゃ と反対 はんたい 者 しゃ の双方 そうほう が合意 ごうい できるような書 か き方 かた で表現 ひょうげん することを試 こころ みます。もちろん、100%の合意 ごうい は不可能 ふかのう です。この世界 せかい には、自分 じぶん の見方 みかた を強硬 きょうこう に述 の べること以外 いがい の表現 ひょうげん 手段 しゅだん を認 みと めようとしない人 ひと たち[ 注 ちゅう 9] もいます。私 わたし たちにできることは、個々 ここ の論点 ろんてん については異 こと なる意見 いけん を持 も つかもしれないが本来 ほんらい 的 てき に分別 ふんべつ のある人々 ひとびと が同意 どうい できるような書 か き方 かた を探 さが し求 もと めることだけです。
私 わたし の言 い わんとするところをよく理解 りかい してもらうために、いくつか例 れい を挙 あ げます。
百科 ひゃっか 事典 じてん の記事 きじ では、執筆 しっぴつ 者 しゃ にそういう信念 しんねん があったとしても、営利 えいり 企業 きぎょう は犯罪 はんざい 集団 しゅうだん である、というような議論 ぎろん を展開 てんかい するべきではありません。そのかわり、一部 いちぶ の人々 ひとびと はそのように信 しん じている、という事実 じじつ を提示 ていじ し、その理由 りゆう がなぜかを説明 せつめい し、それに反対 はんたい する側 がわ の主張 しゅちょう する内容 ないよう を紹介 しょうかい するべきです。
百科 ひゃっか 事典 じてん の記事 きじ では、自由 じゆう 放任 ほうにん 型 がた の資本 しほん 主義 しゅぎ が最良 さいりょう の社会 しゃかい 体制 たいせい である、といった議論 ぎろん を展開 てんかい するべきではありません。(ちなみに、これは私 わたし の信念 しんねん なのですが。)そのかわり、そのような見方 みかた を擁護 ようご する人 ひと たちの主張 しゅちょう を、それに賛同 さんどう しない人 ひと たちの主張 しゅちょう と併 あわ せて紹介 しょうかい するべきです。
おそらく、あなたの書 か いた原稿 げんこう をより百科 ひゃっか 事典 じてん 的 てき な文章 ぶんしょう にする最 もっと も簡単 かんたん な方法 ほうほう は、ある事物 じぶつ がどのようであるかを書 か くよりも、その事物 じぶつ について人々 ひとびと がどのような信念 しんねん を表 あらわ しているかについて書 か くことでしょう。
もしこの声明 せいめい がどことなく主観 しゅかん 論 ろん か集 あつまり 産 さん 主義 しゅぎ か帝国 ていこく 主義 しゅぎ のような印象 いんしょう を与 あた えるとしたら、それはただの誤解 ごかい だと思 おも いますので、私 わたし にお尋 たず ねください。人々 ひとびと が何 なに を信 しん じているかは、客観 きゃっかん 的 てき な事実 じじつ の問題 もんだい であり、中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん からかなり容易 ようい に描写 びょうしゃ することができるものです。
— ジンボ・ウェールズ (Jimbo Wales)、2001年 ねん の声明 せいめい 文 ぶん (英語 えいご )
よくある批判 ひはん と回答 かいとう
以下 いか に挙 あ げるのは、ウィキペディアの中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん の方針 ほうしん について、よくある反論 はんろん や質問 しつもん です。詳細 しょうさい な回答 かいとう はFAQ にあります。
中立 ちゅうりつ であること
異 こと なるものの見方 みかた のバランスをとること
論敵 ろんてき のために書 か く中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん の方針 ほうしん は、論争 ろんそう の的 まと となっている記事 きじ において、自分 じぶん と反対 はんたい の立場 たちば にある「論敵 ろんてき 」の主張 しゅちょう についてもきちんと説明 せつめい するように求 もと めていますが、どうにも納得 なっとく がいきません。論敵 ろんてき のためには書 か きたくないです。論敵 ろんてき に当 あ たる人 ひと のほとんどは、誤 あやま りであると論証 ろんしょう できる多 おお くの内容 ないよう を事実 じじつ として記 しる すことを当 あ てにしています。執筆 しっぴつ に際 さい して記事 きじ が中立 ちゅうりつ 的 てき であるためには、同意 どうい できないような観点 かんてん を説明 せつめい するために嘘 うそ をつかなければならないとでもいうのでしょうか?
道徳 どうとく 的 てき に不快 ふかい な見方 みかた 一部 いちぶ の人々 ひとびと が実際 じっさい に抱 だ いているホロコースト否認 ひにん など、ほとんどの読者 どくしゃ にとって道徳 どうとく 的 てき に不快 ふかい な見方 みかた については、どう思 おも いますか?まさか彼 かれ らに対 たい して私 わたし たちの方 ほう が中立 ちゅうりつ 的 てき ではないなどといわれるのではないでしょうね?
執筆 しっぴつ 者 しゃ 同士 どうし の論争 ろんそう
その他 た の批判 ひはん
中立 ちゅうりつ 的 てき な観点 かんてん の方針 ほうしん は、新規 しんき 参加 さんか 者 しゃ にとってはあまり馴染 なじ みのないものであると同時 どうじ に、ウィキペディア的 てき アプローチの根幹 こんかん を成 な す部分 ぶぶん でもあるので、この方針 ほうしん を取 と り巻 ま く多 おお くの問題 もんだい が非常 ひじょう に広範囲 こうはんい にわたって取 と り扱 あつか われてきました。もしもその討論 とうろん に何 なに か新 あら たに寄与 きよ する気 き があるのであれば、ノートページ に提議 ていぎ することができます。ノートに投稿 とうこう して問 と いかける前 まえ には、以下 いか のリンク先 さき を今 いま 一 いち 度 ど よくお読 よ みください。
注釈 ちゅうしゃく
^ ウィキペディアの編集 へんしゅう 者 しゃ あるいは一般 いっぱん の人々 ひとびと の間 あいだ での各 かく 観点 かんてん の比較的 ひかくてき 勢力 せいりょく 差 さ は、観点 かんてん に関連 かんれん した重要 じゅうよう 性 せい がないため、重 おも み付 づ けをする際 さい の考慮 こうりょ に入 い れるべきではありません。
^ ウィキペディアの共同 きょうどう 創始 そうし 者 しゃ の一人 ひとり で、ウィキペディアの運営 うんえい 母体 ぼたい であるウィキメディア財団 ざいだん の名誉 めいよ 理事 りじ 長 ちょう 。
^ 社会 しゃかい 学者 がくしゃ マルセロ・トルッツィ (英語 えいご 版 ばん ) の言 げん 「並外 なみはず れた主張 しゅちょう は、並外 なみはず れた証拠 しょうこ を必要 ひつよう とする」より。
^ 国際 こくさい 的 てき には「連合 れんごう 国 こく (The United Nations) 」という呼称 こしょう で、組織 そしき の公用 こうよう 語 ご の1つである中国 ちゅうごく 語 ご での表記 ひょうき も「联合国 こく 」。その名 な の由来 ゆらい は連合 れんごう 国 こく 共同 きょうどう 宣言 せんげん (Declaration of the United Nations) 。
^ 未 み 解決 かいけつ の連続 れんぞく 殺人 さつじん 事件 じけん の犯人 はんにん の通称 つうしょう 。送 おく りつけられた犯行 はんこう 声明 せいめい 文 ぶん の署名 しょめい に由来 ゆらい する名前 なまえ 。
^ 「スペイン」の名 な が付 つ くが、流行 りゅうこう の発生 はっせい 源 げん はアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 。また、正確 せいかく には風邪 かぜ ではなくインフルエンザ 。
^ モンゴル=タタール (モンゴル人 じん )によるルーシ侵攻 しんこう およびルーシ支配 しはい をルーシ (主 おも にロシア)側 がわ の視点 してん で捉 とら えた、ロシア史 し を語 かた る文脈 ぶんみゃく で使 つか われる歴史 れきし 用語 ようご 。日本語 にほんご でロシア史 し やアジア史 し を研究 けんきゅう した学術 がくじゅつ 論文 ろんぶん でも広 ひろ く使用 しよう されていることから、日本語 にほんご 圏 けん でも人口 じんこう に膾炙 かいしゃ している用語 ようご であると考 かんが えられる。名称 めいしょう のみを取 と り上 あ げて中立 ちゅうりつ 的 てき に「タタールのルーシ支配 しはい 」とい換 いか えられないこともないが、「タタールのくびき」という言葉 ことば 自体 じたい が一連 いちれん の現象 げんしょう を明瞭 めいりょう に表 あらわ しているため、中立 ちゅうりつ 化 か といえども主題 しゅだい が不明瞭 ふめいりょう になるようない換 いか えは適切 てきせつ とはいいがたい。歴史 れきし 上 じょう の出来事 できごと 、とりわけ当事 とうじ 者 しゃ 同士 どうし が対立 たいりつ することの多 おお い、政治 せいじ ・軍事 ぐんじ ・外交 がいこう 上 じょう の出来事 できごと に関 かん する名称 めいしょう については、この例 れい に限 かぎ らず、特定 とくてい の立場 たちば から判断 はんだん を下 くだ したような用語 ようご が一般 いっぱん 的 てき に使用 しよう されているものが少 すく なくない。
^ 故意 こい に意味 いみ をぼかした言葉 ことば 遣 づか いのことです。
^ 原文 げんぶん では、"ideologues" 「イデオローグ たち」。
関連 かんれん 項目 こうもく
方針 ほうしん およびガイドライン
提案 ていあん 中 ちゅう の案件 あんけん
補足 ほそく 情報 じょうほう
私論 しろん
記事 きじ
テンプレート
Category:中立 ちゅうりつ 性 せい テンプレート も参照 さんしょう 。