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ALS・資料
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ALS・資料しりょう

作成さくせい立岩たていわ


 *『現代げんだい思想しそう』(青土おうづちしゃ)に掲載けいさいされている「生存せいぞんあらそい──医療いりょう現代げんだいのために」のだいかいから、ALSについていています。
 以下いかはその一部いちぶです。その文献ぶんけんリストもあります。
 まだリンクの作業さぎょうがすんでいない部分ぶぶん多々たたあります。おいおいつなげていくつもりです。

 だい1〜3かいについては以下いかをごらんください。
 生存せいぞんあらそい──医療いりょう現代げんだいのために」
 まただい10かい(2003ねんがつごう)もべつ主題しゅだいについていています。

 現代げんだい思想しそう一般いっぱん書店しょてんえるほんです。青土おうづちしゃのホームページはhttp://www.seidosha.co.jp/です。

 →『ALS 不動ふどう身体しんたいいきする機械きかいというほんになりました。

  ◎目次もくじ

■ALSについて、にてんずるにあたり

 ■てんずるにあたり [りゃく
 ■この病気びょうき概要がいよう [りゃく

予後よご」について(↓)

 ■についてわれたこと
 ■についてかれていたこと
 ■予定よていどおりにならなかったひとたち
 ■なぜ、とおもえてしまう [りゃく

わかること(↓)

 ■医師いしがわかる/わからないこと  ※以上いじょうだいかい:『現代げんだい思想しそう』2002ねんがつごう
 ■医師いしからつたえられる/つたえられないこと [一部いちぶりゃく
 ■書類しょるい・カルテから
 ■医療いりょうほうからでなく
 ■ほかにどのような        ※以上いじょうだいかい:『現代げんだい思想しそう』2002ねんがつごう
 ■家族かぞくらされる
 ■わかってしまうこと
 ■わかりたいこと         ※以上いじょうだいかい:『現代げんだい思想しそう』2002ねん10がつごう

呼吸こきゅうのこと(↓)
 ■選択せんたく、とされること
 ■事態じたい到来とうらい
 ■家族かぞくたずねられる        ※以上いじょうだいかい:『現代げんだい思想しそう』2002ねん11がつごう
 ■本人ほんにんめる
 ■変化へんか              ※以上いじょうだいかい:『現代げんだい思想しそう』2002ねん12がつごう
 ■まずこること
 ■つたわってわる
 ■拒否きょひされているという現実げんじつ浮上ふじょう ※以上いじょうだい10かい:『現代げんだい思想しそう』2003ねんがつごう

川口かわぐち武久たけひさのこと
 ■略歴りゃくれき
 ■「人工じんこうてき」について
 ■意識いしき存在そんざい意思いし表出ひょうしゅつ
 ■苦痛くつう位置いち
 ■めたもの         ※以上いじょうだい11かい:『現代げんだい思想しそう』2003ねんがつごう

■ALSという経験けいけん
 ■危険きけん
 ■無為むい
 ■遮断しゃだん
 ■言葉ことば              ※以上いじょうだい12かい:『現代げんだい思想しそう』2003ねんがつごう

決定けっていについて
 ■『ひらねむり』(いちきゅうななはちねん
 ■『依頼いらいされた』(いちきゅうきゅうよんねん
 ■変位へんい
 ■はずすこと
 ■ロックトイン          ※以上いじょうだい13かい:『現代げんだい思想しそう』2003ねんがつごう


■(最終さいしゅうかい
 ■ひとまずのわりに
 ■9回分かいぶん引用いんようについて
 ■せられることとかえすこと
 ■事態じたい変換へんかん持続じぞく
 ■中立ちゅうりつ不可能ふかのうせい
 ■はずすこととつけないこと
 ■補足ほそく自由じゆう苦痛くつう強度きょうど

 

 *以下いか立岩たていわしん也 20020801 「生存せいぞんあらそい──医療いりょう現代げんだいのために・4」
  現代げんだい思想しそうより一部いちぶ引用いんよう

■ALSについて、にてんずるにあたり

 ■てんずるにあたり [りゃく

 ■この病気びょうき概要がいよう [りゃく

 
予後よご」について

 ■についてわれたこと

 それからどうなっていくのかを「予後よご」とう。ALSはよく「不良ふりょう」とわれ、進行しんこうはやく、はやくにくなるとわれてきた。だが、ALSは依然いぜんとして不治ふじやまいではあり、そしてたしかにはや進行しんこうする場合ばあいもあり、はやくにくなってしまうひとおおくいるのだが、しかし他方たほうでは、かなり長生ながいきのひとなんじゅうねんきるひともいる。すくなくともつねには、すぐにくなる病気びょうきではない。

 だがおおくの場合ばあい、そのようにはらされてこなかった。たとえばつぎのように医師いしかららされた、すくなくともそういたとう★05。

 [3]いちきゅうななねん・「人工じんこうてき食事しょくじ呼吸こきゅうほどこせばさんねんいのち長引ながびかせる。」(息子むすこに。鈴木すずき
1978:57])

 [4]いちきゅうななななねん・「あとさんねんいのちです。」(つまに。長岡ながおか[1991:10])

 [5]いちきゅうななきゅうねん・「かかりひとから「この病気びょうきねん以上いじょうきることはむずかしい」とわれた。」(岩手いわてけん難病なんびょう検診けんしん本人ほんにんに。菅原すがわら[1989:17-18])おっとは、それ以前いぜん岩手いわて県立けんりつ病院びょういんで「さんよんねんいのち」とげられる(菅原すがわら[1989:155])。

 [6]いちきゅうはちねん・「発病はつびょうさんよんねんいのちしかのぞめません」(日本にっぽん医科いか歯科しか大学だいがく附属ふぞく病院びょういんで、中林なかばやしはじめつまに。豊浦とようら[1996:182])

 [7]いちきゅうはちねん・「ながくてねん」(兵庫医科大学ひょうごいかだいがく附属ふぞく病院びょういんで、熊谷くまがい寿美としみおっとに。豊浦とようら[1996:142])

 [8]いちきゅうはちねん・「「はやければいちねんほどで……」という先生せんせいのおはなし」(北里大学きたさとだいがく病院びょういんで、つまに。折笠おりかさ[1986:12])

 [9]いちきゅうはちよんねん・「検査けんさ結果けっか、ALSの告知こくちけ、さらに「余命よめいねん」とらされた。」(東京とうきょう都立とりつ神経しんけい病院びょういんで、家族かぞくに。塚田つかだ[2000:11])

 [10]いちきゅうはちはちねん・「さんねんからねんいのちでしょう。」(おっとに。はたはた[1998])

 [11]いちきゅうはちはちねん・「つま九州大学きゅうしゅうだいがく病院びょういん先生せんせいから説明せつめいされた診断しんだん内容ないよういた。わたし病気びょうき急激きゅうげきとしをとる病気びょうきで、なかにはねんからじゅうねんきるひともいるが、ほとんどのひとさんねん以内いないぬ、とわれたそうだ。」(杉山すぎやま[1998:15])

 [12]いちきゅうきゅうねん・「「すじ委縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょうですね」[…]「なにですか、それは」/「いちねんにはくるまいすを使つかわねばなりません」と、たたけるように医師いしはなす。同席どうせきしていた医学いがくせいらしい若者わかものとなり辞書じしょをくった。/「それからは」/「まひがすすんで、たきりの状態じょうたいになるでしょう」/「それから」/「人工じんこう呼吸こきゅう必要ひつようになります」/「それから」/「あとさんねんいのちです」」(徳島大学とくしまだいがく医学部いがくぶ付属ふぞく病院びょういんで、長尾ながお義明よしあきに。『徳島とくしま新聞しんぶん』[2000])

 [13]いちきゅうきゅういちねん・「「発病はつびょうからさんねんねんぐらいで絶命ぜつめいする」ともわれている。」(自治医科大学じちいかだいがく病院びょういんで、おっとに、野本のもと[1995:24])

 [14]いちきゅうきゅうねん・「くてねんわるくて半年はんとしが、一定いってい期間きかんであるとおもってください、まぬかれない病気びょうきであるとかされました。」(おっとに、加藤かとう加藤かとう1998:5-6])

 [15]いちきゅうきゅうねん・「ALSです。ねん全身ぜんしん筋肉きんにくがだめになり、いたります」(東京女子医科大学とうきょうじょしいかだいがくで、西尾にしおけんわたるつまに、『読売新聞よみうりしんぶん北陸ほくりくばん1999-06-26)

 [16]いちきゅうきゅうねん・「さんねんねん寿命じゅみょう告知こくち」(本人ほんにんに、ちゅう[1999-])

 [17]いちきゅうきゅうさんねん・「さんねんほどでうごけなくなり、ながくても、あとねん……」(仙台せんだい広南病院こうなんびょういんで、つまに。鎌田かまた[199?])

 [18]いちきゅうきゅうろくねん・「ALSと診断しんだんされその説明せつめいいたところ「神経しんけいおかされさんねんにます」とった有名ゆうめい大学だいがく病院びょういん医者いしゃ特別とくべつとしても、患者かんじゃねがいをらす会話かいわがなんとたくさん、かわされているだろう。」(佐々木ささき[2000])



 ■についてかれていたこと

 またALSのひと、またその家族かぞくんだほんにはつぎのようにかれてあったとしるされている。

 [19]いちきゅうななはちねん・「「変性へんせい神経しんけい疾患しっかん進行しんこうせい原因げんいん不明ふめい治療ちりょう方法ほうほうまった不良ふりょう発病はつびょうからさんよんねんいのちである」としるしてあり」(「医学いがくしょ」、川口かわぐち[1989:133])

 [20]いちきゅうななきゅうねん・「不良ふりょうすうねん以内いない死亡しぼうする疾患しっかん」(おっと一緒いっしょ書店しょてんった「家庭かてい医学いがくしょ」、菅原すがわら[1989:133])

 [21]じゅうきゅうはちいちねん・「筋肉きんにくがだんだんおとろえ、最後さいご呼吸こきゅう困難こんなんおちいり、やがていたる、といてあった。またそれには、現代げんだい医学いがくでは原因げんいん治療ちりょうほうもわかっていない、とあった。そしてこの病気びょうきは、発病はつびょうして普通ふつうよんねん死亡しぼうするともいてあった。[…]百科ひゃっか事典じてんじゅうねんくらいまえのものだからとおもって、本屋ほんや最新さいしん家庭かてい医学いがくしょんでみた。結果けっかはどの医学いがくしょおなじようなことしかいてなかった。」(土屋つちや・NHK取材しゅざいはん[1989:23-24])

 [22]いちきゅうはちねん・「筋肉きんにくうごかす神経しんけい系統けいとうおかされ、ゆびうで脱力だつりょく、さらにあしおよんで歩行ほこう不能ふのうになり末期まっきにはした萎縮いしゅく嚥下えんかくだし)困難こんなんなどをこし、おおくは発病はつびょうすうねん以内いない死亡しぼう――と説明せつめいされていました。」(「家庭かてい医学いがくほん」、折笠おりかさ[1986:12])

 [23]いちきゅうはちさんねん・「「ALSは難病なんびょうちゅう難病なんびょうさんねんぬ」とありました。」(「書棚しょだな医学いがく全書ぜんしょ」、松本まつもと[1995:289])

 [24]いちきゅうはちよんねん・「原因げんいんわからず、治療ちりょうほうなし、さんねんいのち」(「医学いがくしょ」、小林こばやし[1991:34])

 [25]いちきゅうはちろくねん・「わるろくねん死亡しぼう」(湯島ゆしま図書館としょかんにあった「家庭かてい医学いがくしょ」、橋本はしもと[1997])

 [26]いちきゅうはちろくねん・「この病気びょうき進行しんこうせい発病はつびょうしてじゅうねん呼吸こきゅう困難こんなんおちいり、やがてにいたる」(『家庭かてい医学いがく』、ひがしけん[1998:19])

 [27]いちきゅうはちはちねん・「すうねん結局けっきょくいたる。」(「医学いがくしょ」、高田たかだ[1999:80])

 [28]いちきゅうはちはちねん・「「不良ふりょう治療ちりょう方法ほうほうがないためくに難病なんびょう指定していされていて、申請しんせいをすれば医療いりょうがただになる」とだけかれている。/<不良ふりょう>だけではどういうことかからない。もういちさつほんしてもらって調しらべるが、やはりおなじことしかいてない。」(「医学いがくしょ」、杉山すぎやま[1998:22-23])

 [29]いちきゅうきゅうねん・「おおくは人生じんせい最盛さいせいである中年ちゅうねん以降いこう発症はっしょうし、たちまちにして人生じんせい荒廃こうはいさせ、生命せいめいうばっていく。」(「新聞しんぶん広告こうこくり、書店しょてんもとめ」た小長谷こながや[1995]の記述きじゅつ鎌田かまた[199?])★05


 ■予定よていどおりにならなかったひとたち

 けれど、そのように医師いしからいた、あるいはほんんだひとたちに、つぎのようなひとたちもいる。

 [30]これからもなんもその文章ぶんしょう引用いんようする日本にっぽんALS協会きょうかい(JALSA)の最初さいしょ会長かいちょうだった川口かわぐち武久たけひさ[18]はいちきゅうななさんねんじゅういちがつ発症はっしょうし、比較的ひかくてき症状しょうじょう進行しんこうおそひとではあったのだが、きゅうよんねんきゅうがつくなった。発病はつびょうしてやくいちねんきた。

 [31]杉本すぎもと孝子たかこ奈良ならけん)はいちきゅうななななねん発症はっしょうしている。さんねんほどは進行しんこうはやかったが、そのはゆっくりになる。呼吸こきゅう使つかっていない。じゅうきゅうねん記録きろくとして豊浦とようら[1996:172-179]、さんねんかれた文章ぶんしょう杉本すぎもと[2000]。

 [32]いちきゅうななななねんつまが「あとさんねんいのちです」[4]とわれた長岡ながおかひろし神奈川かながわけん)。「おっとはALSを発症はっしょうしてよんねんになります。人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃくしてじゅうはちねんになり、いちカ月かげつ入院にゅういん生活せいかつをしていて、在宅ざいたく療養りょうようじゅうななねんむかえました。」(長岡ながおか[2001:29])。

 [33]熊谷くまがい寿美としみ兵庫ひょうごけん)はいちきゅうななななねんななさいのときに発症はっしょうおっとが「ながくてねん」と宣告せんこくされたのははちねん[7]。きゅういちねん人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃく現在げんざい日本にっぽんALS協会きょうかい近畿きんきブロック代表だいひょう〇〇〇ねん十二月じゅうにがつ、デンマークでのALS/MND(運動うんどう神経しんけい疾患しっかん国際こくさい同盟どうめいだいはちかい国際こくさい会議かいぎ報告ほうこく。(豊浦とようら[1996:142-150]、いちきゅうきゅうきゅうねん出演しゅつえんしたテレビ番組ばんぐみ概要がいようはhttp://www.nhk.or.jp/kira/04program/04_004.html)

 [34]「先生せんせいわたしようさいわかさで発病はつびょうして、よんねん生存せいぞんしている患者かんじゃはめずらしく、現在げんざいも、病気びょうきがほとんど進行しんこうしていないそうです。」(中島なかじま[2001])

 [35]らい治郎じろう大阪おおさか)「わたし現在げんざいななさいです。いちきゅうななななねんみぎ上肢じょうし麻痺まひからALSを発症はっしょうしました。さんさんさいのときです。現在げんざい発病はつびょうからさんねん経過けいかし、人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃくしてじゅうよんねんになります。」(らいらい[2001])

 [36]菅原すがわら和子かずこ岩手いわてけん)[5][20]はいちきゅうななきゅうねんがつ発症はっしょういちきゅうはちねん人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃくいちきゅうはちななねんがつ逝去せいきょ

 [37]いちきゅうななきゅうねん発症はっしょうしたもと茂治しげはる鹿児島かごしまけん)が鹿児島大学かごしまだいがく医学部いがくぶ付属ふぞく病院びょういん退院たいいん在宅ざいたくでの療養りょうよう生活せいかつはいり、病院びょういんのことをいたほん出版しゅっぱんされたのはいちきゅうきゅうさんねんほん[1993])。

 [38]中林なかばやしはじめ大阪おおさか)の発症はっしょういちきゅうはちねん、そのとしつまが「発病はつびょうさんよんねんいのち」とげられる[6]。その刊行かんこうした文集ぶんしゅうとして中林なかばやし[1987][1990]、いちきゅうきゅうねんには公益こうえき信託しんたく「「生命せいめいいろどり」ALS研究けんきゅう助成じょせい基金ききん 」を発足ほっそくさせる。発病はつびょうじゅうろくねん記録きろくとして豊浦とようら[1996:180-192]。

 [39]比嘉ひか栄達えいたつ沖縄おきなわけん)はいちきゅうはちねん発症はっしょういちきゅうきゅうねんさいくなった(比嘉ひか[2001])

 [40]松本まつもとしげる秋田あきたけん)[23]はいちきゅうはちさんねん発症はっしょう現在げんざい日本にっぽんALS協会きょうかい会長かいちょうつとめる。〇〇ねんにはじゅうきゅうねんということになる。

 [41]塚田つかだひろし東京とうきょう)はいちきゅうはちよんねん発症はっしょう、このとし余命よめいねん」とらされた[9]。現在げんざい日本にっぽんALS協会きょうかい東京とうきょう支部しぶちょう〇〇〇ねん米国べいこくへ(塚田つかだ[2001])──塚田つかだ熊谷くまがい[33]、橋本はしもと[42]、山口やまぐち[48]らが外国がいこくくのは、「先進せんしんこく」の事情じじょう勉強べんきょうするため、ではなく、はじめにあげた「安楽あんらく」のことにもかかわるのだが、このことについては後述こうじゅつ

 [42]いちきゅうはちねん発症はっしょうはちろくねんに「わるろくねん死亡しぼう」とかれた医学いがくしょ[25]をんだ橋本はしもとみさお東京とうきょう)は、きゅうねんきゅうがつ気管きかん切開せっかいきゅうさんねんいちがつ呼吸こきゅう装着そうちゃく〇〇ねん発症はっしょうからじゅうななねんになる。(さくらかい[1999-]、最近さいきん文章ぶんしょうとして橋本はしもと[2002])

 [43]いちきゅうはちねん発症はっしょうはちろくねんに「じゅうねん呼吸こきゅう困難こんなんおちいり、やがてにいたる」[26]とかれたほんんだひがしけんでん郁夫いくお大阪おおさか)は、きゅうはちねんひがしけんでん[1998]を出版しゅっぱんする。

 [44]杉山すぎやますすむ静岡しずおかけん)はいちきゅうはちはちねん症状しょうじょう自覚じかくつまは「ほとんどのひとさんねん以内いないぬ」とわれる[11]、いちきゅうきゅうはちねん闘病とうびょう杉山すぎやま[1998])を出版しゅっぱん〇〇〇年度ねんど日本にっぽんALS協会きょうかい静岡しずおかけん支部しぶ運営うんえい委員いいんをつとめ、〇〇〇ねんじゅういちがつ逝去せいきょ杉山すぎやま[2001])。

 [45]〇〇ねんろくさんさいさんまききのただし福岡ふくおかけん、ホームページにさんまき[2000-])は発病はつびょうよんはちさいときだから、いちきゅうはちななねんころからいちねんほどがたったことになる。

 [46]いちきゅうはちはちねんさんはちさい発病はつびょうし、「おっとつうじてお医者いしゃさんから[…]「さんねんからねんいのちでしょう」」とわれた[10]はた茂子しげこ福岡ふくおかけん)は、きゅうはちねんに「今年ことしじゅういちねんになります」(はたはた[1998])、〇〇〇ねんに「今年ことしじゅうさんねんはいりました」(はた[2000])とはなはじめる。

 [47]いちきゅうはちはちねん症状しょうじょう自覚じかく医師いしからの告知こくちはなかったが、医学いがくしょでALSとり、そこに「すうねん結局けっきょくいたる」とかれてあったのをんだ[26]高田たかだ俊昭としあき京都きょうと著書ちょしょ高田たかだ[1999]、豊浦とようら[1996:151-159])は、〇〇ねんにそれからいちよんねんになる。

 [48]山口やまぐちまもる山梨やまなしけん)の発症はっしょういちきゅうきゅうねん山口やまぐち[2000:7])。〇〇ねんじゅうねんになった。

 [49]いちきゅうきゅうきゅうねんからMCTOSとばれる脳波のうはによる意志いし伝達でんたつ装置そうち使つかっているかずがわ次男じなん宮城みやぎけん著書ちょしょかずがわ[2001])の発症はっしょういちきゅうきゅうねん。やはりじゅうねんった。

 [50]いちきゅうきゅうねん発症はっしょうし「余命よめいさんねん」とげられた長尾ながお義明よしあき徳島とくしまけん)[12]は、そのさんねんいちきゅうきゅうさんねん人工じんこう呼吸こきゅうをつける。きゅうねん安楽あんらく合法ごうほうされたら自分じぶん一番いちばんさき志願しがんすると日本にっぽんALS協会きょうかい近畿きんきブロック会報かいほう投稿とうこう〇〇〇ねんろくがつ日本にっぽんALS協会きょうかい徳島とくしまけん支部しぶ設立せつりつ支部しぶちょうをつとめる。

 [51]いちきゅうきゅうねん症状しょうじょう自覚じかくきゅういちねんきゅうがつに「急激きゅうげき脊髄せきずい老化ろうか」と説明せつめいされ、診断しんだんしょに「運動うんどうニューロン疾患しっかん」とあったのを中勝なかがちさん和歌山わかやまけん)は、きゅうねんじゅうがつにALSと告知こくちされ、さんねん寿命じゅみょうる[16]。きゅうじゅうろくねん気管きかん切開せっかい人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃくちゅう[2001])、在宅ざいたくでの生活せいかつつづけている(ちゅう[1999-])。

 [52]西尾にしおけんわたる石川いしかわけん)はいちきゅうきゅうねんじゅうがつ発症はっしょうきゅうねんれにつまが「ねん」とらされる[15]。きゅうよんねんじゅうがつ人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃくきゅうろくねんはちがつ在宅ざいたく療養りょうよう移行いこうきゅうはちねんきもかんがんを発病はつびょうきゅうきゅうねんさんがつ逝去せいきょ西尾にしお[-1999])。

 [53]吉田よしだ雅志まさし北海道ほっかいどう、ホームページとして吉田よしだ[1996-])の発症はっしょういちきゅうきゅういちねん

 [54]鎌田かまたたけ宮城みやぎけん)は、いちきゅうきゅうねん発症はっしょういちきゅうきゅうさんねんつまが「さんねんほどでうごけなくなり、ながくても、あとねん……」とかされ[16]、〇〇ねんいちねんになる。

 [55]西尾にしおひとし兵庫ひょうごけん、ホームページとして西尾にしお[1999-])の発症はっしょういちきゅうきゅうさんねん

 [56]後藤ごとう忠治ただはる宮城みやぎけん、ホームページとして後藤ごとう[1999-])の発症はっしょういちきゅうきゅうねん



 ■なぜ、とおもえてしまう [りゃく



わかること

 ■医師いしがわかる/わからないこと

 このやまいには症状しょうじょう自覚じかくがある。たとえばちからはいらなくなる。それでこれはなんだろうとおもう。これからどうなるか心配しんぱいだし、もとどおりになりたいとおもう。いったいどういうことなのか、本人ほんにんもまわりのひとりたい。それで病院びょういんくことになる。これに医療いりょうがわはどのように対応たいおうする、対応たいおうしてしまうのだろうか。まず、医師いしはそのひとがALSであることがわかるのだろうか。

 [60]「神経しんけい内科ないか専門医せんもんいであれば、患者かんじゃさんがられまして、おはなしをして診察しんさつをハンマーですれば、ほとん診断しんだんはついてしまいます。あとは色々いろいろ検査けんさくわえて[…]病気びょうき非常ひじょう症状しょうじょうすことがありますので、そういったことを除外じょがいしてく。ようするに病気びょうきであってしい、治療ちりょう可能かのうほか病気びょうきつけたいということがわたしたちのねがいですので、いろんな検査けんさをやられることがあるとおもいますし、実際じっさい患者かんじゃさんや現在げんざい遺族いぞくになられたほうは、患者かんじゃさんのはじまりのころ病院びょういんって、いろんな検査けんさけたという記憶きおくがあるかとおもいますが。そのなか大切たいせつなのは頚椎けいついしょうで、せてくる。感覚かんかく障害しょうがいされたりいたみがたりするのですが、たまにですが筋肉きんにくだけせてくるタイプがあるんですね。ですからそういうときなんかはこの病気びょうき(ALS)と最初さいしょから診断しんだんされて、「あなたはALSです」と宣告せんこくけてしまうこともなかにはあるかもれません。でもこれはキチッと検査けんさをして診察しんさつすれば証明しょうめいできますしめいにかかる病気びょうきではありません。」(田代たしろ[1997]、講演こうえんしゃ北海道大学ほっかいどうだいがく医学部いがくぶ神経しんけい内科ないか教授きょうじゅ)★06

 [61]「うたがいとした場合ばあい、これを確実かくじつにする検査けんさほうなど存在そんざいしない現在げんざいでは、あとは経過けいか観察かんさつする以外いがい方法ほうほうはない。おおくの医師いしはこの時期じき自分じぶん診断しんだんしんじつつも誤診ごしんであるあたらしい証拠しょうこになる現象げんしょう出現しゅつげんすればどんなに患者かんじゃよろこんでもらえることかといのりつつ、複雑ふくざつ不安ふあん心境しんきょうにある。また自分じぶんよりすぐれた医師いしにより決断けつだんたい心境しんきょうにもなる。患者かんじゃわらをもつかむ心境しんきょうであちこちの病院びょういんはしりまわる気持きもちに、まったく同感どうかんできる。/しかしALSの進行しんこう確実かくじつ具体ぐたいてきであって[…]診断しんだんかくとなり、このあいだ告知こくち重荷おもに患者かんじゃ家族かぞく医師いしあいだおもくのしかかる。」(永松ながまつ[1998:214-215]、筆者ひっしゃ大分おおいた県立けんりつ病院びょういん院長いんちょう

 [62]「典型てんけいてきなALSの診断しんだん[…]自体じたいはそれほどむずかしくない。/この場合ばあい重要じゅうようなのは[…]除外じょがい診断しんだん鑑別かんべつ診断しんだん)である。[…]鑑別かんべつ十分じゅうぶんになされないと、たとえば、脊髄せきずい病気びょうきとみなして手術しゅじゅつをしてしまい、術後じゅつごにALSとかって、後悔こうかいしなければならなくなるケースもある。ぎゃくに、はじめはALSと診断しんだんされていたが、脊椎せきつい病気びょうきかり、手術しゅじゅつしてよろこばれた……というケースもわたし経験けいけんしている。」(畑中はたなか[1999:31-32]、筆者ひっしゃ国立こくりつ療養りょうようしょ高松たかまつ病院びょういん院長いんちょう

 だいいちに、この病気びょうき場合ばあいには診断しんだんはそうむずかしくはないとわれる。ただ類似るいじ病気びょうきがなくはなく、また時間じかんとともにはっきりしていくから、初期しょきには確定かくていできない。あるいはそのようにおもい、うたがうことができる。そのことにもかかわって、だいに、ALSは深刻しんこく病気びょうきであるから、ALSと判断はんだんし、さらにそれをつたえるのはためらわれる、できればつたえたくないとおもう。この両方りょうほうがあり、ときにこんじる。

 だいいちてんから。それですぐに診断しんだんがつく場合ばあいもある。

 [63]「はちねんしゅ異常いじょうかんじ、はちがつ下旬げじゅん総合そうごう市民しみん病院びょういん整形せいけい外科げかきましたが、すぐ神経しんけいまわされました。外来がいらい検査けんさだけで、数日すうじつには病名びょうめいがはっきりわかりました。」(
井上いのうえ[1991:20]、総合そうごう市民しみん病院びょういん横浜よこはま総合そうごう市民しみん病院びょういん

 ただわかるひとにはわりあい簡単かんたんにわかるとして、そんな医師いしばかりではない。医師いしがわ診断しんだんできない、すくなくともすぐには診断しんだんできないことがあるようだ。ALSのひとかずおおくなく、普通ふつう医師いしはそうALSのひとたことはない。このびょう存在そんざいすることはっていても、現実げんじつにALSをうたがうこと、そのひとがALSだと想定そうていすることはなかなかむずかしいのかもしれない。診断しんだん間違まちがっていたとえるかどうかの判断はんだんくとして、様々さまざま診断しんだんされ、手術しゅじゅつとうされたりされそうになる。またおおくのひとはいくつかの、いくつもの病院びょういん、ただわからないとわれつぎまわされることもあれば、間違まちがわれることもあれば、結局けっきょくわからないこともある。

 そしてだい要因よういんからむ。ほぼわかってはいるが確実かくじつではないからなのか、ある程度ていどまたは確実かくじつ見当けんとうはついているのだが自分じぶんからうのはためらわれるということなのか、ときにその境界きょうかい微妙びみょうではあるにせよ、やはりつぎにまわされることになる(専門せんもんほう説明せつめいれていて、上手じょうずだとおもう、あるいはおもうことにするという事情じじょうくわわるかもしれない)。確定かくてい慎重しんちょう専門せんもんにしてもらう、ついでに(あるいはむしろおも事情じじょうとしては)げる仕事しごとをそこにゆだねる。[67]──「運動うんどうニューロン疾患しっかん」という説明せつめい仕方しかたについてはのちにふれる──はただたんに後者こうしゃであるように患者かんじゃ当人とうにんにはおもわれた。[70]についても、最後さいごから番目ばんめ医師いしはわかってはいるようだ──『JALSA』日本にっぽんALS協会きょうかい機関きかん

 [64]いちきゅうななさんねん・「神経痛しんけいつう椎間板ついかんばんヘルニアとう診断しんだんをされたのですが、一向いっこう回復かいふくする気配けはいえず精密せいみつ検査けんさけました。検査けんさ結果けっかは「脊髄せきずい手術しゅじゅつをする必要ひつようがある」とわれ「これでなおる、はやなおしたい」との一念いちねんだけであったようにおもいます。ところが、最後さいご造影ぞうえいざい撮影さつえいにおいて何処どこにも異常いじょう見当みあたらず、手術しゅじゅつ中止ちゅうしになり、つけられた病名びょうめいは「脊髄せきずい痙性麻痺まひ」でした。/そのから、病院びょういん転々てんてん彷徨ほうこうする日々ひびわってきました。何処どこってもあたまかかくびをかしげるばかりで、本当ほんとうのことはおしえてもらえませんでした。」(川口かわぐち[1989:132])

 [65]いちきゅうはちねん・「お正月しょうがつやすみに、ある大学だいがく病院びょういんきましたが、よんじゅうかた五十肩ごじゅうかたという診断しんだんでした。/でも、わるくなるばかりで、くびまわらないほどになりました。やはりおかしいと、五月ごがつ北里大学きたさとだいがく病院びょういん精密せいみつ検査けんさのため入院にゅういんしたところ、「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう」とのことでした。」(折笠おりかさ[1986:12])いちきゅうはちいちねん発症はっしょうつまげられ医学いがくしょ[22]をみ、医師いし説明せつめいく。北里大学きたさとだいがく病院びょういん入院にゅういんした本人ほんにんしょ折笠おりかさ[1989]。

 [66]いちきゅうはちななねん大川おおかわいたる和歌山わかやまけん)は健康けんこう診断しんだん握力あくりょくちているのをる、さらに状態じょうたいすすみ、よくはちはちねんろくがつ[…]はじめて病院びょういんへ──。しかし、検査けんさするだけで、結果けっからせてもらえなかった。/[…]じゅうがつに[…]本格ほんかくてき病院びょういんがよいをはじめた。徐々じょじょ四肢しし筋力きんりょく低下ていかじゅうさんしょ病院びょういんをまわっても、病名びょうめいらせてもらえなかった。ほとんどの病院びょういんでいやがられているようにかんじ、いっそうつよ恐怖きょうふしんいた。[…]/すうおおくの病院びょういんわたあるくうちに大川おおかわさんは、医学いがくしょ自分じぶん病名びょうめいはALSだとった。」(豊浦とようら[1986:41])

 [67]いちきゅうきゅうさんねん・「十二月じゅうにがつ、T医大いだい神経しんけい内科ないか紹介しょうかいされ受診じゅしんあたま頚椎けいついのMRI(かく磁気じき共鳴きょうめい診断しんだん装置そうち)をっても異常いじょうがなかった。すじでん結果けっか運動うんどうニューロン疾患しっかんげられる。不安ふあんになり、いろいろ質問しつもんすると、医師いしはめんどうくさがり、こたえるかわりに、S病院びょういんやK病院びょういんなど神経しんけい内科ないかのある民間みんかん病院びょういん名前なまえげて、「紹介しょうかいします」とげる。/よくきゅうじゅうよんねんさんがつ、S病院びょういん検査けんさ入院にゅういん。ALSと病名びょうめいげられた。本人ほんにんには病名びょうめい告知こくちのみで、病状びょうじょう説明せつめいらされないままがつ退院たいいん。」(大阪おおさかろくろくさい男性だんせい豊浦とようら[1996:67-68])

 [68]いちきゅうきゅうねん・「病院びょういんがよいがはじまる。接骨せっこついん整形せいけい外科げかヶ所かしょ)、総合そうごう病院びょういん数カ所すうかしょまわりある整形せいけい外科げかで、「ひじのほね神経しんけい圧迫あっぱくしている」とのこと。このほねけずれば簡単かんたんなおるとう。紹介しょうかいじょうをもらい総合そうごう病院びょういんへ。ところがMRI、すじでんなどの検査けんさ結果けっか東北大学とうほくだいがく付属ふぞく病院びょういん神経しんけい内科ないか検査けんさ入院にゅういん。」(後藤ごとう[1999-])

 [69]いちきゅうきゅうねん・「十二月じゅうにがつ脳神経のうしんけい外科げか内科ないか医院いいん受診じゅしんしました。あたまくびのMRI、レントゲン、心電図しんでんず神経しんけい電動でんどう速度そくど検査けんさおこないましたが、はっきりしないということで、べつ病院びょういんを(神経しんけい内科ないか紹介しょうかいされました。/平成へいせいはちねんいちがつ、ここでもおな検査けんさ。もうひと検査けんさしたいのだが、設備せつびがないし、大学だいがく教授きょうじゅとも相談そうだんしたいので、福島ふくしま県立けんりつ医大いだいまでてくれとのこと[…]/がつ福島ふくしま医大いだいへ。その結果けっか、「神経しんけい変性へんせいによる運動うんどう神経しんけい疾患しっかん」[…]せきめのくすりなかに、この病気びょうき有効ゆうこう成分せいぶんふくまれているという報告ほうこくがあるので、これでしばらくは様子ようすをみましょう、とのことだったが…[…]/よんがつ先生せんせいわり、こんどは東北大学とうほくだいがく先生せんせい担当たんとうとなり、大学だいがく病院びょういん入院にゅういんして検査けんさすることとなった。[…]がつさんにち大学だいがく病院びょういん入院にゅういんいままでとおな検査けんさかえし、六月ろくがつよんにちに「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう」と、診断しんだんされた。」(小野寺おのでら[1996:63-64])

 [70]いちきゅうきゅうななねんゆび異変いへん自覚じかく、ある総合そうごう病院びょういん整形せいけい外科げかで「右腕うわんじゃくこつ神経しんけい異常いじょう」と診断しんだんよくきゅうはちねんいちがつ手術しゅじゅつすることになったが、「会社かいしゃ責任せきにんしゃから「神経しんけい系統けいとう手術しゅじゅつ後遺症こういしょう心配しんぱいがあるからべつ病院びょういん検査けんさしてもらったら」とのアドバイスがあり」手術しゅじゅつ中止ちゅうし川越かわごえ武蔵野むさしの総合そうごう病院びょういんで「りゅうをよくする治療ちりょう」をよんがつからじゅう日間にちかん、「変化へんかがないからしゃくこつ神経しんけいではない。埼玉さいたま医科いか大学だいがくさい検査けんさしたほうい」。五月ごがついちにち埼玉さいたま医科いか大学だいがく整形せいけい外科げか診断しんだん、「これは大変たいへんむずかしい病気びょうきです」、「この病気びょうきくわしい先生せんせいがいるから大宮おおみや自治医大じちいだいきなさい」とJALSAよんごうして「病気びょうき勉強べんきょうをしなさい」」とわれる。五月ごがつななにち自治医科大学じちいかだいがくでALSと診断しんだんされる。(鈴木すずき[1999:20-21])

 [71]いちきゅうきゅうきゅうねんよんがつ疲労ひろうかんのど異常いじょうきゅうがつ、かかりつけ甲状腺こうじょうせん機能きのう障害しょうがい診断しんだん筋力きんりょく低下ていかこえがたい。「じゅういちがつ甲状腺こうじょうせん機能きのう障害しょうがい治療ちりょうやく効果こうか病院びょういんめぐり、耳鼻じび脳外科のうげか総合そうごう病院びょういん整形せいけい外科げか内科ないか原因げんいん不明ふめいそして神経しんけい内科ないか、とたらいまわし/十二月じゅうにがつ総合そうごう病院びょういん神経しんけい内科ないかにて運動うんどうニューロンびょう確定かくてい診断しんだんためくに徳島とくしま病院びょういん転院てんいん〇〇〇ねんいちがつ勤務きんむさき休職きゅうしょくねがい/徳島とくしま病院びょういん検査けんさ入院にゅういんがつ:ALS告知こくち」(大岩おおいわ[2001])

 ただ、つぎのような場合ばあいには、誤診ごしんというよりいつわっている。そしてそのおこないは、他方たほうでは、本当ほんとうのところを(べつひとに)つたえることによって、たんに間違まちがっている、あるいはいつわっていることからまぬかれる、とつたえるひとにはおもわれているのだろう。

 [72]いちきゅうはちきゅうねん・「のう梗塞こうそくかるいもので、なおるにしろわるくなるにしろ、進行しんこう程度ていどとし単位たんいとのこと。つとめをつづけながら通院つういんするようにと診断しんだんされた。/そのねんのためにつまへもはなしておきたいからんでほしい、とわれる。」(杉山すぎやま[1998:15]、いちきゅうはちはちねんろくがつ自覚じかく症状しょうじょう翌年よくねんいちがつ診断しんだん

 病気びょうきのことをらせることを「告知こくち」といい、病名びょうめいげることを「病名びょうめい告知こくち」という。ALSの場合ばあい病名びょうめい告知こくちはどのように、だれになされ、病気びょうきのことがどのようにらされたか。そのひとはどのようにることになったか。次回じかいはそれをていく。

 *以下いか立岩たついわ 也 20020801 「生存せいぞんあらそい──医療いりょう現代げんだいのために・4」
  現代げんだい思想しそうより一部いちぶ引用いんよう

医師いしからつたえられる/つたえられないこと
 [りゃく

 医師いしから比較的ひかくてきあっさりとげられることもないではない。

 [73]いちきゅうきゅういちねん順天堂大学じゅんてんどうだいがく病院びょういんで。「しゅういちかい回診かいしんがきた。[…]教授きょうじゅ最後さいごわたしまえ腰掛こしかけてさんはなしをしてからわたし病名びょうめいはなしてくれた。教授きょうじゅは、「すじ萎縮いしゅくせい……なにたらかんたら」とう。すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう――いちでは、とてもおぼえきれないようななが病名びょうめいであった。」(宮下みやした[1996:30])

 ALSはまったく一般いっぱんてき病気びょうきではないから、病名びょうめい告知こくちされただけではそれがどんなものだかわからない。そこでしばらくまってしまうこともある。宮下みやした健一けんいち長野ながのけん)はそうだった。

 [74]「それをいてわたし教授きょうじゅに、その病気びょうきがどんな病気びょうきで、どうなってくのかきもしなかった。わたしが、そうですかとこたえただけだったので、教授きょうじゅもあっけにとられたようだった。/わたしは、この病気びょうきはたいしたことがなく、きっとなおるとおもっているので、自分じぶんでいろいろ心配しんぱいするより、専門せんもんである先生せんせいかたにまかせておけばいいとかんがえている。ただわたしのやることは、先生せんせい指示しじとおりやればいいとおもっているのだ。」(宮下みやした[1996:30-31])

 もっと切羽詰せっぱつまってとにかく医師いしからききだひともいる。金沢かなざわ大分おおいたけん)はいちきゅうきゅうねんにききだす。ききださなくてはならなかった事情じじょう後述こうじゅつする。

 [75]「県立けんりつ病院びょういんのN先生せんせいところき、つよせまりました。「本当ほんとう病名びょうめいおしえてほしい」と。農業のうぎょうつづけてゆくうえでどうしてもっておきたい、わる病気びょうきなら、それなりの覚悟かくごをしなければならないからと嘆願たんがんし、はじめて、「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう」という大変たいへん病気びょうきであることをりました。」(金沢かなざわ[1991]、そのまえのことについては[80])

 本人ほんにん説明せつめいがなされた場合ばあいについてはあとることになるが[117][118][119]、そのれいすくない。ALSかとかれてだまってしまった医師いしもいる。

 [76]いちきゅうはちきゅうねんなながつつま東京大学とうきょうだいがく病院びょういんく。叔母おば紹介しょうかいじょうって、同行どうこうしてくれた。/簡単かんたん診察しんさつけたのちわたしほうから、わたし病気びょうきすじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょうではないのですか、とたずねた。先生せんせい無言むごん。さらに、医学いがくしょには治療ちりょう方法ほうほうがないといてありましたが、優秀ゆうしゅう先生せんせいたちが研究けんきゅうをしているでしょうから治療ちりょう方法ほうほうがまったくないとはおもえません。まだ公式こうしき認知にんちされていない方法ほうほうでもいいですからためしてください、ともたのんでみた。しかし、先生せんせい返答へんとうは、「この病気びょうきには、そんな展望てんぼうはまったくありません。治療ちりょうもとめて病院びょういんさがまわるのは無駄むだですから、やめたほうがいいですよ」というものだった。」(杉山すぎやま[1998:23])

 本人ほんにん病名びょうめいがそのままらされることはすくない。とはいえたいていは医師いしなにわないわけにもいかないから、なにかはう。

 杉山すぎやますすむ静岡しずおかけん)[44]は、いちきゅうはちはちねんろくがつ症状しょうじょう自覚じかくし、医師いしたずねたがこたえのなかったはちきゅうねんなながつ[76]のまえはちきゅうねんいちがつにはつぎのように──前回ぜんかい最後さいご[72]にも引用いんようした──われているのだが、同時どうじつまにはべつのことがつたえられる[11]。

 [77]「のう梗塞こうそくかるいもので、なおるにしろわるくなるにしろ、進行しんこう程度ていどとし単位たんいとのこと。つとめをつづけながら通院つういんするようにと診断しんだんされた。/そのねんのためにつまへもはなしておきたいからんでほしい、とわれる。[…]/わたし自分じぶん病気びょうきについてほとんどったのちになって、つま九州大学きゅうしゅうだいがく病院びょういん先生せんせいから説明せつめいされた診断しんだん内容ないよういた。わたし病気びょうき急激きゅうげきとしをとる病気びょうきで、なかにはねんからじゅうねんきるひともいるが、ほとんどのひとさんねん以内いないぬ、とわれたそうだ。」(杉山すぎやま[1998:15])

 もちろんかれのう梗塞こうそくではない。ただつまへの説明せつめいれば、「急激きゅうげきとしをとる病気びょうき」といういいかたをしているが、医師いしはALSと診断しんだんしている。本人ほんにんにはわず、家族かぞくにはALSと病名びょうめいげることはおおい。そのときその診断しんだん誤診ごしんではないことにもなる。それにしてものう梗塞こうそくといういいかたではみなかった。筋肉きんにく神経しんけい運動うんどう神経しんけい病気びょうきだとわれることは、それはそうにちがいないのではあるが、おおい[78][79][101]。また「急激きゅうげきとしをとる病気びょうき」「老化ろうかはやくなる病気びょうき」「急激きゅうげき脊髄せきずい老化ろうか」「運動うんどう神経しんけい老化ろうか」「筋肉きんにく老化ろうかはや病気びょうき」「老人ろうじんせい硬化こうかしょう」といったわれかたもよくなされる[77][80][82][83][84][119]。

 [78]「担当たんとう女医じょいさんがたので、わたし病気びょうきについて相談そうだんした。[…]先生せんせいは、わたし運動うんどう神経しんけい問題もんだいがおきているとう。神経しんけいだけにえずこまったものだ。」(宮下みやした[1996:29]、いちきゅうきゅういちねん順天堂大学じゅんてんどうだいがく病院びょういんで、べつ医師いし病名びょうめいらされる[73]まえに)

 [79]いちきゅうきゅういちねんいちがつから岸和田きしわだ市民しみん病院びょういん受診じゅしんするようになったのですが、先生せんせい直接ちょくせつ病名びょうめいわれず、筋肉きんにく神経しんけいがおかしいようだとだけかされました。しかし、その時点じてんすで家内かないには病名びょうめいとどういう病気びょうきかはげられていたようで、このときには家内かない相当そうとうなやくるしんだとおもいます。」(奥村おくむら[1995])

 [80]にN先生せんせいから病名びょうめいをききだす[75]金沢かなざわは、いちきゅうはちはちねんはる、ろれつがまわりにくく、食事しょくじがうまくとれなくなりました。いち週間しゅうかん入院にゅういんして検査けんさし「老人ろうじんせい硬化こうかしょう」という診断しんだんけました。どうもちないので、あるとき県立けんりつ病院びょういんのN先生せんせいていただきました。週間しゅうかん入院にゅういん検査けんさ結果けっかつまにはALSと病名びょうめいをはっきりげられたようですが、わたしにはおしえてくれませんでした。」はちきゅうねん「どうにも納得なっとくがゆかず、九大きゅうだい診察しんさつけましたが、ここでも「老人ろうじんせい硬化こうかしょう」という診断しんだんで、普通ふつうひとよりいちねんはやとしをとるのだという。だから、しん準備じゅんびをするように、とのことでした。」(金沢かなざわ[1991:24])

 また「運動うんどうニューロン疾患しっかん」「運動うんどうニューロンびょう」[81][82][83][84][85][86][91][98][114]、「すじ萎縮いしゅくしょう」[87][88]「神経しんけいせいすじ萎縮いしゅく」[89]「神経しんけいばらせいすじ萎縮いしゅくしょう」[90][93]といった説明せつめい仕方しかたがあり、「脊髄せきずいせい進行しんこうせいすじ萎縮いしゅくしょう」[88]「脊髄せきずいせいすじ萎縮いしゅくしょう」[91]といった言葉ことばもみられる。それらは間違まちがいではない。運動うんどうニューロン疾患しっかんというかたりのある家庭かてい医学いがくしょとうはある★04。その記述きじゅつ仕方しかたにいくらかのはばはあるが、たとえば、運動うんどうニューロン疾患しっかんなかにALS=すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう進行しんこうせいだま麻痺まひ脊髄せきずいせい進行しんこうせいすじ萎縮いしゅくしょう列挙れっきょされ、さん番目ばんめのものがより症状しょうじょう進行しんこうおそいものと解説かいせつされる、またのちしゃはALSの部分ぶぶん症状しょうじょうとされる。そうした記述きじゅつがある場合ばあいには、ALSと運動うんどうニューロン疾患しっかんとのつながり、同一どういつせいがわかることがある[81][110]。

 [81]「ALSと確信かくしんしたのは、小長谷こながや正明まさあきちょ神経しんけい内科ないか――頭痛ずつうからパーキンソンびょうまで』(岩波書店いわなみしょてん)を新聞しんぶん広告こうこくり、書店しょてんもとめました。『神経しんけい内科ないか』のじゅうさんあるしょうなかから、もっとうたがわしい「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう」のしょうみました。/「[…]ブラック・ホールの理論りろんてき発見はっけんしゃで、車椅子くるまいす天文学てんもんがくしゃとして有名ゆうめいなホーキング博士はかせもかかっているといわれている。ただし、ホーキング博士はかせさいころの発症はっしょうであり、発症はっしょうしてからねん以上いじょうになってもゆびでコンピューターの操作そうさができて、人工じんこう呼吸こきゅう使つかっていないなど、ALSとしては早期そうき発症はっしょうでかつ進行しんこうおそい。特殊とくしゅなタイプのALS、あるいはべつの運動うんどうニューロンびょうのようにも見受みうけられる」/運動うんどうニューロンびょう! 告知こくちされた運動うんどうニューロンびょうと、すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょうとが、じつ同一どういつだったのだと確信かくしんせざるをえなかった。あらゆる記述きじゅつが、自分じぶんきていることと、おなじでこのときALSと確信かくしんしました。」(鎌田かまた[199?]、りゃくした部分ぶぶん一部いちぶは[29]に引用いんよう

 けれども、運動うんどうニューロン疾患しっかんというわれかたのためにわからないこともある。小長谷こながやほんんでわかった鎌田かまたたけ宮城みやぎけん)[17][54]も、それ以前いぜんはわからなかった。

 [82]いちきゅうきゅうねんなながつ「あまりにも階段かいだんのぼくだりがきついので平成へいせいねんいちがついちにちからいちカ月かげつあいだ古川ふるかわ市立しりつ病院びょういん検査けんさ入院にゅういん階段かいだんのぼるのがきつくなったのは、筋肉きんにくえんではないかとの診断しんだんでした。専門せんもんてき検査けんさけるためじゅうがつにち仙台せんだい神経しんけい内科ないかせんもんこうみなみ病院びょういん転院てんいんじゅうにちじゅうがつじゅうななにち結果けっかました。/わたしつままえ医師いしは、「運動うんどうニューロンびょう間違まちがいないでしょう。」運動うんどう神経しんけい老化ろうか普通ふつうよりずっとはげしい病気びょうきです。難病なんびょうひとつですから医療いりょう負担ふたんはありません」のう脊髄せきずい断層だんそう写真しゃしんなどをせられながら、病気びょうき説明せつめいけた。/医師いし最後さいごにいった。「医療いりょう免除めんじょなどの説明せつめいをしますから、おくさんだけのこってください」医師いしつま別室べっしつで「さんねんほどでうごけなくなり、ながくても、あとねん……」とげられて平静へいせいよそおって病室びょうしつもどってたとのちからきました。」/そのそう回診かいしんのとき、ピクピクと筋肉きんにくねているのをして「間違まちがいないですねえ」と小声こごえうなずきあっているのがわたしにもこえ、運動うんどうニューロンびょうとは、そういうものなのかとただいていました。/「運動うんどうニューロンびょう」をりたく病院びょういんちかくの書店しょてんき、分厚ぶあつ医学いがくしょひらいて「難病なんびょう」のページをたが「運動うんどうニューロンびょう」は、その医学いがくしょのどこにもっていませんでした。」(鎌田かまた[199?])

 [83]亀山かめやま晴美はるみ岡山おかやまけん)。いちきゅうはちいちねんは「わすれることのできないあらたな運命うんめいはじまりだった。このとしきゅうがつ入院にゅういん検査けんさかえしであった日々ひびもCTスキャナーでわりとなり、病名びょうめい判明はんめいそく退院たいいんまった。翌日よくじつむかえにおっと一緒いっしょに、不安ふあん期待きたいめて主治医しゅじい説明せつめいく。/「病名びょうめい運動うんどうニューロンしょう投薬とうやくつづけながら様子ようすつきいち診察しんさつをします。残念ざんねんながら原因げんいんがわからず、はっきりした治療ちりょうほう確立かくりつされていませんが、いまわからなくても、研究けんきゅうすすんでいるのでかなら判明はんめいします。とさないでください。当分とうぶん仕事しごとつづけてもいいが、無理むりをしないで、つぎつかれをのこさない程度ていどにしなさい。身体しんたい機能きのう体力たいりょく老人ろうじんのようにおとろえていきますので……。頑張がんばってください」/と、あたたかいはげましをけた。」(亀山かめやま[1987:24]、そのについて[107]→[91]→[97])

 [84]中勝なかがちさん和歌山わかやまけん)[51]はいちきゅうきゅういちねんきゅうがつ最初さいしょ告知こくちけました。/わたしには、急激きゅうげき脊髄せきずい老化ろうか説明せつめいけましたが、診断しんだんしょると運動うんどうニューロン疾患しっかんいていました。なに知識ちしきかったわたし難病なんびょうらんて、運動うんどうニューロン疾患しっかんいていないかさがしましたが、いていなかったのでラッキーとよろこび、なお見込みこみがあるとしんじて、病院びょういん転々てんてん診察しんさつまわりました。/何処どこ病院びょういん検査けんさっても先生せんせい質問しつもんしてもはっきりとこたえてくれずに、こまったようなかおをしてうなずくばかりで、かえって迷惑めいわくそうにかんじました。/病院びょういん転々てんてんまわっていると、自分じぶんでもなおらない病気びょうきではないかとかんはじめてきました。/平成へいせいよんねんじゅうがつに「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう」と告知こくちけました。」(ちゅう[1999?])

 [85]いちきゅうきゅうねん発症はっしょう入院にゅういんした後藤ごとう忠治ただはる宮城みやぎけん)[56]は「医師いしからALSと告知こくちされた記憶きおくい。検査けんさ入院にゅういんとき、「運動うんどうニューロンびょう」と告知こくちされただけです。治療ちりょう方法ほうほういとうだけで具体ぐたいてき説明せつめいはありません。ただこの病気びょうきいのちにかかわる重大じゅうだい病気びょうきだとかんじました。つま退院たいいん告知こくちされたそうで、ずっとのちってからはなしてくれました。どんな気持きもちで何処どこまで説明せつめいけたのか。いまいていません。いまとなってはいてもしょうがありません。/しかし、いまおもうとわたしはこれでかったとおもっている。」(後藤ごとう[2000?]、その書類しょるいからALSとる[96])

 [86]大岩おおいわ日出夫ひでお徳島とくしまけん)も運動うんどうニューロンびょうわれ、のちべつ病院びょういんでALSとげられた。「きゅうきゅうねんよんがつ公私こうしどもちょう多忙たぼう疲労ひろうかんのど異常いじょう九月くがつ:かかりにて甲状腺こうじょうせん機能きのう障害しょうがい診断しんだん筋力きんりょく低下ていかこえがたい。/十一月じゅういちがつ甲状腺こうじょうせん機能きのう障害しょうがい治療ちりょうやく効果こうか病院びょういんめぐり、耳鼻じび脳外科のうげか総合そうごう病院びょういん整形せいけい外科げか内科ないか・・原因げんいん不明ふめいそして神経しんけい内科ないか、とたらいまわし/十二月じゅうにがつ総合そうごう病院びょういん神経しんけい内科ないかにて運動うんどうニューロンびょう確定かくてい診断しんだんためくに徳島とくしま病院びょういん転院てんいん/〇〇ねんいちがつ勤務きんむさき休職きゅうしょくねがい、徳島とくしま病院びょういん検査けんさ入院にゅういんがつ:ALS告知こくち」(大岩おおいわ[2001])

 こうしたいいかたがALSであることをそのままにつたえないつたかたであることはつたえるがわにも意識いしきされている。

 [87]いちきゅうななきゅうねん菅原すがわら和子かずこ岩手いわてけん)[36]は、脊髄せきずい病気びょうきのようだとわれ神経しんけい内科ないか紹介しょうかいされ、その書店しょてんった家庭かてい医学いがくしょ脊髄せきずい病気びょうきにALSをつけ[20]、翌日よくじつ紹介しょうかいされた岩手いわて県立けんりつ病院びょういんおとずれる。「先生せんせいわたしすじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょうではないでしょうか」/先生せんせいすこおどろいたようだったが、「いや、ちがいますよ」とほそわらってった。/「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょうというのは、アミトロ、ALSともいましてね、脊髄せきずいのほかに延髄えんずいおかされ、ものめなくなってむせたり、言葉ことばがもつれてくる病気びょうきです。あなたはした萎縮いしゅくもありませんし、ちゃんとしゃべれるでしょ。アミトロではありませんよ。/でも、たしかに筋肉きんにくがやせているので、一応いちおうすじ萎縮いしゅくしょう≠ニいっていいでしょう。これにはいろいろなタイプがあって、まだいちかい診察しんさつ断定だんていてきなことはえませんが、あまり心配しんぱいしないでしばらくとおってみてください」(菅原すがわら[1989:13-14])

 [88]菅原すがわら担当たんとうした鈴木すずきたかしてる岩手いわて県立けんりつ中央ちゅうおう病院びょういんだいいち内科ないか)。「菅原すがわらさんの病気びょうき進行しんこう急速きゅうそくで、四肢ししすじ萎縮いしゅく線維せんいせい収縮しゅうしゅく筋肉きんにくのピクピクした痙攣けいれん)があきらかで、運動うんどう神経しんけい疾患しっかんであることは、臨床りんしょう所見しょけんだけで十分じゅうぶん診断しんだんできました。/しかし、嚥下えんか障害しょうがい、構音障害しょうがいした萎縮いしゅくといったたま麻痺まひ症状しょうじょうはみられず、けん反射はんしゃ低下ていかしていましたので、ALSの仮性かせい多発たはつせい神経しんけいえんがたかSPMA(脊髄せきずいせい進行しんこうせいすじ萎縮いしゅくしょう)がかんがえられました。SPMAはALSより良好りょうこうですが、運動うんどう神経しんけい疾患しっかんとして包括ほうかつされます。わたしはALSの患者かんじゃさんには、初診しょしんとき直接ちょくせつ病名びょうめいげず、包括ほうかつてき意味いみすじ萎縮いしゅくしょううようにしています。また経過けいかにはかなり個人こじんがあることをおはなしし、ALSの予備よび知識ちしきった患者かんじゃさんが落胆らくたんしないようにこころがけています。事実じじつ、ALSであっても、いちねん以上いじょう頑張がんばってる患者かんじゃさんが全国ぜんこくには何人なんにんもおられます。」(菅原すがわら[1989:14-15])

 [89]土屋つちやとおる山梨やまなしけん)はいちきゅうきゅういちねんがつ発症はっしょうさんがつ山梨やまなし県立けんりつ病院びょういんはち国立こくりつ王子おうじ病院びょういんはちがつじゅうろくにち山梨やまなし県立けんりつ中央ちゅうおう病院びょういん神経しんけい内科ないか診察しんさつ入院にゅういんにち昨日きのうすじでん検査けんさ結果けっか神経しんけいせいすじ萎縮いしゅくということ」(土屋つちや[1993:174])、きゅうがつにち昨日きのうは、病気びょうきのこととこれからのことについて主治医しゅじい先生せんせいはなす。大変たいへん難病なんびょうとのこと、現代げんだい医学いがくをもってしても適切てきせつ治療ちりょうはないとか。愕然がくぜんとして昨夜さくや一睡いっすいもできず。今日きょう身体しんたいおもい。」(土屋つちや[1993:176])

 [90]土屋つちやとおる担当たんとうした石原いしはらおさむ山梨やまなし県立けんりつ中央ちゅうおう病院びょういん神経しんけい内科ないか)。「ご自身じしん病名びょうめいっておられます。入院にゅういん当初とうしょよりカルテのうえではこの診断しんだんがついていましたが、主治医しゅじいからは病名びょうめいげられていませんでした。/わたしどもの病院びょういん転院てんいんいちカ月かげつのお付合つきあいのなかで、土屋つちやさんが何事なにごとにもくじけず、どんな状況じょうきょうでもかた意志いしをもってきていくことのできるほうだということがよくわかりましたので、ご本人ほんにん疾患しっかん説明せつめいをすることにいたしました。/まだ原因げんいんのわからない疾患しっかんで、決定的けっていてき治療ちりょうほうがないことをおはなししましたが、病名びょうめいはそのままはつたえず、神経しんけいばらせいすじ萎縮いしゅくしょうとして説明せつめいさせていだだきました。「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう」は患者かんじゃさんと家族かぞくにとって、それだけおも荷物にもつとなる病気びょうきです。ご家族かぞくには病名びょうめいげ、あねじょうがALS(すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう協会きょうかい入会にゅうかいされ、あねじょうよりおくられた協会きょうかい出版しゅっぱんぶつなどをとおして、この病名びょうめい本人ほんにんるところとなりました。」(石原いしはら[1993:4-5])

 [91]いちきゅうはちいちねん運動うんどうニューロンしょう医師いしわれる[83]が、いちねんひとから「脊髄せきずいせいすじ萎縮いしゅくしょう」とひといて[107]、亀山かめやまふたた病院びょういんく。「病院びょういん主治医しゅじいにうかがう。が、あくまでもニューロン(神経しんけいしょうであり、ているのは、おなじような症状しょうじょうこしているからだ、難病なんびょうにはちがいないので、医療いりょう免除めんじょ手続てつづきをする、というご返事へんじだった。/あたまうえ馬鹿ばかがつくほどお人好ひとよしのわたしも、さすがにこの解答かいとう鵜呑うのみできなかった。しばらくして」(書類しょるい申請しんせいのとき病名びょうめいることになる[92]。亀山かめやま[1987:25])

書類しょるい・カルテから

 に、書類しょるい記載きさいから、またカルテの記載きさいからることがある。うしろでもふれるが、ALSは特定とくてい疾患しっかんばれるもののひとつで、申請しんせいしてみとめられると「特定とくてい疾患しっかん受給じゅきゅうしょう」が交付こうふされ、医療いりょう本人ほんにん負担ふたんぶんがなくなる。その申請しんせい受給じゅきゅうさいして病名びょうめいしるされ、それをることがある。そこから、また書類しょるいから、病名びょうめい、ときにはそのられることがある。

 [92]いちきゅうはちねん、「保健所ほけんじょからおくられてきた特定とくてい疾患しっかん医療いりょう受給じゅきゅうしゃひょうには[…]すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょうという、いたことのない病名びょうめいゴム印ごむいんされていた。すぐさまこの病名びょうめいをさぐってみると、なんのことはない、田舎いなか本屋ほんや医学いがくしょにもっていた。/そこには、いたるまでの経過けいか赤裸々せきらら解説かいせつしてあった。そのいちいちが、いいあらわせないほどむねさった。」(亀山かめやま[1987:25])

 [93]いちきゅうはちきゅうねん、「市立しりつ図書館としょかんき、係員かかりいん医学いがくしょしてもらう。九州大学きゅうしゅうだいがく病院びょういん入院にゅういんするときいてもらった診断しんだんしょ病名びょうめいと、生命せいめい保険ほけん会社かいしゃ入院にゅういん手当てあてきん請求せいきゅうするときいてもらった証明しょうめいしょ病名びょうめいたよりに、目次もくじ調しらべた。診断しんだんしょ病名びょうめいは「神経しんけいばらせいすじ萎縮いしゅくしょううたぐ」、証明しょうめいしょ病名びょうめいは「運動うんどうニューロン疾患しっかん」である。」(杉山すぎやま[1998:22])

 [94]「検査けんさ結果けっか自体じたい先生せんせいからはっきりした説明せつめいもなく、医療いりょう無料むりょうになるので、特定とくてい疾患しっかん身体しんたい障害しょうがいしゃ手帳てちょう申請しんせいをするようにとわれ、申請しんせいすることになったのです。そして特定とくてい疾患しっかん受給じゅきゅうしょうときに、家内かないにしてみれば病名びょうめいわたしにはかくしていたために、どうしようかとおもなやんだものの、いつまでも特定とくてい疾患しっかん受給じゅきゅうしょうせないわけにもいかず、そのときわたし正式せいしき病名びょうめいることになったのです。そしてその特定とくてい疾患しっかん病名びょうめいらんには、すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょうかれてあり、「ああ、やはりそうだったのか」とおもいました」(奥村おくむら[1995])

 [95]つまはこのことをつぎのようにう。「特定とくてい疾患しっかん医療いりょう受給じゅきゅうしゃしょう申請しんせいということから主人しゅじん病名びょうめいらせざるをず、なやんだのですが仕方しかたありませんでした。もちろん受給じゅきゅうしゃしょうせただけでわたしなにらないふりをしていました。でも主人しゅじん自分じぶんなりに調しらべて病気びょうきのことはっていたようで、そのときとくおどろくようなこともなくいつもとわりなかったのです。わたし先生せんせいから病名びょうめいげられていることをはなしたのは最近さいきんで、在宅ざいたく療養りょうよううつるにあたっていろいろなほうとおはなしをするようになってからのことです。」(奥村おくむら[1995]。奥村おくむらいちきゅうきゅうねん発症はっしょういちきゅうきゅういちねんにこうして病名びょうめいる。きゅうさんねん人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃくきゅうきゅうねん逝去せいきょ。)

 [96]「平成へいせいななねんはる発病はつびょうしてはじめて、自分じぶんすじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょうったのは平成へいせいはちねん十二月じゅうにがつとどいた特定とくてい疾患しっかん医療いりょう受給じゅきゅうしゃしょうからでした。」(後藤ごとう[2000?]、[85]につづ文章ぶんしょう

 [97]塩崎しおざき清江きよえ新潟にいがたけん)は、いちきゅうはちよんねん休職きゅうしょくのための診断しんだんしょで、はじめて本当ほんとう病名びょうめい確認かくにんした。当初とうしょより自分じぶんでは認識にんしきしていたつもりだったのに……。愕然がくぜんとし、まえくらになった。」(塩崎しおざき[1987:52])

 [98]いちきゅうはちろくねんごろ、「じつは、まだこの時点じてんわたしにはALSのことはらされていなかった。障害しょうがいしゃ手帳てちょうには「運動うんどうニューロンびょう」としるされ、正確せいかく病名びょうめいがわからないようにしてあったり、特定とくてい疾患しっかん認定にんていしょうつまっていて、わたしにはれないようにくばっていたからである。」(ひがしけんでん[1998:23]、[43])

 [99]平山ひらやま真喜まきおとこ宮崎みやざきけん)も、いちきゅうきゅうねんろくがつ埼玉さいたま医科いか大学だいがく附属ふぞく病院びょういん神経しんけい内科ないか家族かぞくがALSの病名びょうめい告知こくちけているが、本人ほんにんは、そのねんはんいちきゅうきゅうさんねんねんいちがつ宮崎みやざき県立けんりつ宮崎みやざき病院びょういん神経しんけい内科ないか受診じゅしんしたとき、保健所ほけんじょ提出ていしゅつする診断しんだんしょでALSとった(平山ひらやま[2002])。

 病名びょうめいだけでなく、書類しょるいからこのやまい行方ゆくえることになる場合ばあいもある。

 [100]医師いしにALSかといてこたえのなかった[76]杉山すぎやま翌月よくげついちきゅうはちきゅうねんはちがつ「とりあえず難病なんびょう申請しんせいだけはしておこうと、保健所ほけんじょく。担当たんとうしゃ病名びょうめいげ、申請しんせい用紙ようしをもらいたいむねつたえる。……/くるま運転うんてんせきもどってから、申請しんせい書類しょるいおどろいた。/「構語障害しょうがい」「嚥下えんか障害しょうがい」/「呼吸こきゅう障害しょうがい」/など、予想よそうもしていなかった症状しょうじょう項目こうもくがずらりとならんでいる。即座そくざに、ちかいことを覚悟かくごした。その瞬間しゅんかんあたまかんだのは、「おやはなくてもそだつ」という言葉ことばだった。/そのは、むねにつかえていたモヤモヤがちてすっきりした気分きぶんになり、東京大学とうきょうだいがく病院びょういんけたようなショックはなかった。」(杉山すぎやま[1998:24-25])

 そして、カルテから情報じょうほうれることがある。

 [101]川合かわい亮三りょうぞう長野ながのけん)はいちきゅうなないちねん症状しょうじょう自覚じかくし、「かる脳軟化症のうなんかしょう」(N病院びょういん)「小脳しょうのう機能きのう不全ふぜんしょう」(T大学だいがく付属ふぞく病院びょういん神経しんけい内科ないか)とわれる。再度さいど大学だいがく付属ふぞく病院びょういんおとずれたときにはそれは否定ひていされ「運動うんどう神経しんけい病気びょうき」だとわれ、K大学だいがく付属ふぞく病院びょういん検査けんさ入院にゅういんし、「運動うんどう神経しんけいおかされてゆくために、筋肉きんにく萎縮いしゅくする結果けっか言語げんご障害しょうがい手足てあし運動うんどう機能きのうがそこなわれるものである」(川合かわい[1987:43])と説明せつめいされる。「本当ほんとう病名びょうめいは、患者かんじゃみみにははいってこない。しかし、いままで診療しんりょうをしてくれたすうおおくの医師いしいろから、不治ふじやまいさとっている。/カルテをちらっとながめたとき、すじ萎縮いしゅく×××硬化こうかしょうめた。×××のところがメモ用紙めもようし邪魔じゃまされて、全部ぜんぶめなかった。」(川合かわい[1987:6])

 [102]中島なかじまたかゆういちきゅうななななねん発病はつびょう。「わたし病名びょうめい告知こくちしていただけませんでした。わたし病名びょうめいったのは、発病はつびょうしてよんねん入院にゅういん診察しんさつときに、カルテの表紙ひょうしにALSといてあったのをたからです。/それから、テレビでこの病気びょうきのドキュメンタリーやドラマをて、病気びょうき進行しんこうかりました。/ わたし病気びょうきのことが徐々じょじょかり、とてもとてもショックでした。自殺じさつ方法ほうほうかんがえたりしていました。/患者かんじゃには病名びょうめい権利けんりがあります。どうか、患者かんじゃ希望きぼうしたら告知こくちしてください。おねがいします。」(中島なかじま[2001])

 [103]小林こばやし富美子とみこ新潟にいがたけん)がったのはいちきゅうはちよんねんごろ。「偶然ぐうぜんカルテから病名びょうめい医学いがくしょました。原因げんいんわからず、治療ちりょうほうなし、さんねんいのちかれており、あまりのむごさに、さん日間にちかんゆかし、まくらをぬらし、なみだれるまできました。」(小林こばやし[1991:34])

 [104]鈴木すずきあつし宮城みやぎけん)はいちきゅうきゅうよんねんさんがつ主治医しゅじい斉藤さいとう助教授じょきょうじゅにALS(すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう)であることをげられる。/そんなことはねんまえからカルテをぬすてすでにかってることだ、なおらぬ病気びょうきりこの年間ねんかん必死ひっしきてた、今更いまさら告知こくちされてもわたしおどろきはしなかった。」(鈴木すずき[1997])

 そして、こんなこともあるらしい。

 [105]川口かわぐち武久たけひさ[19][30][64]はいちきゅうななはちねんごろ、「発病はつびょうからねんつい病名びょうめいることができたのです。そこは、難病なんびょうせんもん病院びょういんわろうとする診療しんりょうしょでした。主治医しゅじいわたしに「なおる」とわれ、暗示あんじをかけて一時いちじてき回復かいふくかった時期じきて、わたしまえにカルテをいてかれたのです。とがめましたが、おそおそせてもらったのです。そのカルテには「運動うんどうニューロン疾患しっかんALS」と記入きにゅうされていました。初耳はつみみ病名びょうめいです。くにけず、こっそりと医学いがくしょ調しらべてました。/「変性へんせい神経しんけい疾患しっかん進行しんこうせい原因げんいん不明ふめい治療ちりょう方法ほうほうまった不良ふりょう発病はつびょうからさんよんねんいのちである」としるしてありむずかしい解説かいせつかりませんでしたが、まさかこれほどの難病なんびょうだとはおもいもせず、身体しんたいふかしずんでくようでした。いくら早期そうき発見はっけんしてもじゅつく、ただつだけの病気びょうきおもえたのです。これでは簡単かんたん病名びょうめいおしえてくれないはずです。/このように直接ちょくせつではりませんでしたが、家族かぞくよりもはやるところとなり、あまりの残酷ざんこく宣告せんこく家族かぞくにはだまっていることにしました。」(川口かわぐち[1988→1989:133])

医療いりょうほうからでなく

 結局けっきょく病院びょういんでは病名びょうめいがわからないこともある。また病名びょうめい医師いしから直接ちょくせつ、あるいは間接かんせついたとして、それだけでなにがわかるというものでもない。正確せいかくなあるいは不正確ふせいかく病名びょうめい手掛てがかりにして、あるいは医療いりょうがわからの情報じょうほう提供ていきょうのないまま、自力じりき部分ぶぶんしてより具体ぐたいてきなことをることになる。様々さまざま経路けいろとおって、紆余曲折うよきょくせつて、だんだんと、あるいは突然とつぜん──すこしずつかんづきながら、しかし衝撃しょうげきてきなのはいちということもおおい──病気びょうきのことをることになる。

 自分じぶん調しらべてわかることもある。いまならインターネットで検索けんさくすれば様々さまざま情報じょうほうてくる。実際じっさいインターネットでったひともいる。

 [106]「小出こいで喜一きいちさん(さい)はよんねんまえに、ALSを発病はつびょうした。病名びょうめい不明ふめいのまま、自身じしん自覚じかく症状しょうじょうなどから世界中せかいじゅうのHPで検索けんさくなどしながら、自力じりきでALSだとる。」(小出こいで[2001:4])

 それはこれからもっとえるはずだ。わたしいているこの文章ぶんしょうや、それと連動れんどうさせてつく公開こうかいしているホームページのファイルも使つかわれることがあるだろう──そのためにもいているし、それを意識いしきせざるをえずにいてもいる。

 そしてもっと直接ちょくせつに、ひとからくことがある。

 [107]亀山かめやま医師いしからは運動うんどうニューロンしょうわれた[83]。「自宅じたくもどったわたしは、入院にゅういんつかれをいやすあいだもなく、普段ふだん生活せいかつわれ、先生せんせい言葉ことばふかかんがえずにききながしてしまって、わがかえ余裕よゆうもなくすごした。/フッとがついたとき階段かいだんをはってのぼっていた。退院たいいんいちねん病魔びょうま確実かくじつ身体しんたいむしばんでいたのである。[…]/してもかんでくる不安ふあんから、ちかくにていた健康けんこう器具きぐ試用しようかいってみた。意外いがいにも、販売はんばいいんから病気びょうき内容ないようすえかされるとは……。/「これはらん、はやくていちねんそこそこ、さんねん死亡しぼういてある。おくさんわかんでなにとかせんと大変たいへんだ」/家事かじ育児いくじ専念せんねんしつつも、どこかしんべつのところにいた。先行さきゆきにたいする不安ふあんは、いつかわたし泥沼どろぬまなかきずりこんでいた。ぎりぎりの状態じょうたいなかなにかをつかもうと専門せんもんしょをあさる。ウソであってしいと。運動うんどうニューロンしょう調しらべたからていないので、脊髄せきずいせいすじ萎縮いしゅくしょう病名びょうめいだったのだ。症状しょうじょうもピッタリ一致いっちする。難病なんびょうおかされていたとは……。先生せんせいにはっきりいたださなくてはならない。」(亀山かめやま[1987:24-25])医師いしからはふたたびおなじことをわれる[91]。

 [108]宮下みやしたはALSと医師いしからげられたのだが[73]、それがどんな病気びょうきであるかをかなかった[74]からわからなかった。どうやら大変たいへん病気びょうきらしいとおもったのはひとからいてのことだった。「あるところで見知みしらぬおばさんに、つまといっしょにいたところをこえをかけられた。そのおばさんによると、わたしある姿すがたて、おばさんの親戚しんせきにちょうどわたしおなじような病気びょうきひとがいて、そのひとはいつもなにかをっぱったりして、部屋へやなか一生懸命いっしょうけんめい運動うんどうしていたそうだ。ちょうどいまわたし状況じょうきょうおなじようだ。わたしは、それからどうしているかとたずねたら、そのひとは、いとも簡単かんたんにずいぶんまえんだとこたえた。/それをいたわたしは、後頭部こうとうぶをいきなりなにかでなぐられたような衝撃しょうげきけた。」(宮下みやした[1996:50-51])

 「あるひとに、またわれた。そのひと親戚しんせきにちょうどわたしおなじような症状しょうじょうひとがいて、よくにているとう。そこでわたしはよせばいいのに、そのひとはどうしているかとたずねたら、いとも簡単かんたんんだというではないか。そこでわたしは、ガーンとした衝撃しょうげきけてガクしかとした。これで度目どめになる。なぜかわたししんにポッカリとおおきなあながあいたようで、しばらくまりそうもないあなになってしまった。/わたしあたまからという言葉ことばはなれない。このままだとこびりついてしまう。」(宮下みやした[1996:56-57])

 そしてさらにおおくのひとほんむことになる。手元てもとにあるほん調しらべたり、書店しょてんほんったり、みしたり、図書館としょかん調しらべたりする。自分じぶんしょうじている状態じょうたいから、また部分ぶぶんてき知識ちしきもとづいてろうとする。そこにかれていることは様々さまざまであり、わってきてもいるが、おおむね悲観ひかんてきであることを前回ぜんかいた。

 [109]ひがしけんでん[43]は、いちきゅうはちろくねん病院びょういん神経しんけい紹介しょうかいされたので、「帰宅きたくしてから『家庭かてい医学いがく』をして調しらべてみた。神経しんけいけい病気びょうきじゅんにあたっていと、たくさんある病名びょうめいのなかで、たったひとつだけ該当がいとうするものがあった。/「この病気びょうき進行しんこうせい発病はつびょうしてじゅうねん呼吸こきゅう困難こんなんおちいり、やがてにいたる……」、ここまでんで愕然がくぜんとさせられた。/「そんなアホな!」──スミからスミまでなんかえしてみたが、該当がいとうする病名びょうめい見当みあたらない。当然とうぜんのことながら心理しんりてき拒絶きょぜつ反応はんのうはたらき、否定ひていするための材料ざいりょう必死ひっしさがしている自分じぶんがいた。」(ひがしけんでん[1998:19 ]、このほん記述きじゅつは[26]でも引用いんよう医師いし病名びょうめいらせず、書類しょるいにALSと記載きさいされるがつまにふれないようにする[98]。)

 運動うんどうニューロン疾患しっかんというかたりがALSとつながることもある[81]──つぎにみる杉山すぎやま場合ばあいには「不良ふりょう」というもとない表現ひょうげんはそのままにはつたわらなかったのではあるが。

 [110]のう梗塞こうそくだとわれたこともある[77]杉山すぎやまは、医師いしからいたのでなく、証明しょうめいしょに「運動うんどうニューロン疾患しっかん」というかたりつけし[93]、いちきゅうはちきゅうねんほんむ。「”運動うんどうニューロン疾患しっかん”という項目こうもくが、わたしびこんでくる。夢中むちゅうでそのページをひらくと……、あった。病名びょうめいは「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう」で、症状しょうじょうはそれまでのわたし症状しょうじょうとまったくおなじ。自分じぶんがこの病気びょうきであることを、確信かくしんした瞬間しゅんかんだった。/だが、これまでのわたし症状しょうじょうおなじことしかいていない。は、「不良ふりょう治療ちりょう方法ほうほうがないためくに難病なんびょう指定していされていて、申請しんせいをすれば医療いりょうがただになる」とだけかれている。/<不良ふりょう>だけではどういうことかからない。もういちさつほんしてもらって調しらべるが、やはりおなじことしかいてない。/これ以上いじょうなんさつ調しらべてもおなじだとおもい、そのページをコピーしてもらって、いえかえった。/結局けっきょく病名びょうめいだけはかったものの、こんなにおそろしい病気びょうきだとはまだづかなかった。治療ちりょう方法ほうほうがないといてあっても、現在げんざい医学いがく急速きゅうそく進歩しんぽに、医学いがくしょいつかないということは十分じゅうぶんかんがえられる。」(杉山すぎやま[1998:22-23])

 またALSという病名びょうめいを、おおくの場合ばあい家族かぞく経由けいゆったのちほんむ。

 [111]「発病はつびょういちねんはん経過けいかしたころ次第しだい左手ひだりてわししゅじょうになった(つま主治医しゅじい先生せんせいから病名びょうめいげられる)。/盛岡もりおか市内しない書店しょてんさつ医学いがくしょ神経しんけい疾患しっかん神経しんけいすじ疾患しっかんハンドブック)をもとめ、自分じぶん病気びょうき概略がいりゃくる。」(佐藤さとうつとむ[1991:19])

 [112]橋本はしもとみさお[42]がほんんだのはすぐにではなかった。彼女かのじょ当時とうじまいにちかかった東京大学とうきょうだいがく附属ふぞく病院びょういんかようのだが、結局けっきょくわからずじまいで、つぎにやはりちかかった順天堂大学じゅんてんどうだいがく病院びょういんにかかった。そこにたまたまいた医師いしがALSの研究けんきゅうしゃだった。「精密せいみつ検査けんさは、さん週間しゅうかんほど。結局けっきょく外科げかてき要因よういんは、つからず、専門医せんもんい帰国きこくって、ALS(すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう)の、診断しんだんけた。末期まっきガンの告知こくちおなじだからと、主治医しゅじいは、おっと口止くちどめしたらしいが、五分ごぶもたたない地下ちか食堂しょくどうで、「先生せんせいはなんて?」のいに、「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょうという筋肉きんにくうごきが、わるくなる病気びょうきらしい」とおしえてくれた。「ふぅーん」と、こたえたわたしは、退院たいいんうれしさと、病名びょうめいがわかった安心あんしんかんで、病気びょうきたいする興味きょうみは、せていて、あたまちゅうむすめだらけの生活せいかつもどったのです。/[…]病名びょうめいらされたものの[…]雑事ざつじわれ、しゅうかい注射ちゅうしゃとき以外いがいわすれていたのですが、十日とおかほどぎたある、いつもの注射ちゅうしゃのち幼稚園ようちえんのおむかえには、すこ時間じかんがあったので、自宅じたく病院びょういんの、ほぼ中間ちゅうかんにあった湯島ゆしま図書館としょかんで、時間じかんごすことにしました。まさかそこで、人生じんせい最大さいだいのショックを、けることもらずに。」(橋本はしもと[1997])こうして彼女かのじょは、「わるろくねん死亡しぼう」とかれた医学いがくしょ[25]をむことになる。

 医師いし雑誌ざっしほんわたすこともある(雑誌ざっしにより病名びょうめいられたれいとして[90])。

 [113]鈴木すずきすすむよし[70]のつづき。埼玉さいたま医大いだい整形せいけい外科げか都築つづき医師いしが「JALSAよんごうして「病気びょうき勉強べんきょうをしなさい」とほんをくれました。裏表紙うらびょうしに「日本にっぽんALS協会きょうかいすじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょうともたたかい、あゆかい」とあり、はじめて病名びょうめいをしりました。/図書館としょかんでの事前じぜん知識ちしきはあったので「やっぱり…そうか」とショックはけませんでしたが、ほんによって患者かんじゃみずからにより、病名びょうめいるという「先生せんせいのやさしいおもいやり」にしんから感謝かんしゃしています。」(鈴木すずき[1999:20]、『JALSA』は日本にっぽんALS協会きょうかい機関きかん

 [114]「Hさんは初診しょしん病院びょういんではなにもってもらえず、その受診じゅしんした大学だいがく病院びょういんいちヵ月かげつ検査けんさ入院にゅういん原因げんいんがわからない。よう運動うんどうニューロン疾患しっかん変性へんせい疾患しっかん」とわれた。Hさんは、運動うんどうニューロン疾患しっかん変性へんせい疾患しっかんという言葉ことば意味いみがわからず、その説明せつめいもとめたがこたえてもらえなかった。とにかくそので「特定とくてい疾患しっかん申請しんせいをしてください」とわれた。その通院つういんするなかで徐々じょじょにどんな病気びょうきかということがわかりかけてきたとき、医師いしからALS協会きょうかいのケアブックをせるようにわれる。医師いしは「リハビリの項目こうもくだけ、筋肉きんにく訓練くんれんだけやってください」とった。しかし、そこにはALSについて「ずっと説明せつめいいてある」。になって、それについてたずねても、医師いしは「Hさん、そんなに重症じゅうしょうじゃないから。そっちは参考さんこうにされなくていいですよ」と説明せつめいした。そのとき、Hさんは「そしたらわたしはなお病気びょうきかな」とかんじたという。」(清水しみず[2001]、文中ぶんちゅうの「ALS協会きょうかいのケアブック」は日本にっぽんALS協会きょうかいへん[1991]、その改訂かいてい新版しんぱんが[2000])

■ほかにどのような

 医師いしわない、すくなくともはっきりわないのをてきた。げている、もっときちんとつたえたらよい、もっと上手じょうずであってほしいとおおくのひとおもう。それは、(実際じっさいにはひどく困難こんなんやまいであると判断はんだんしていることをかくしながら)その深刻しんこくさ(がつたわることにつながる情報じょうほう)をつたえないそのありかたたいしてだけでない。

 [115]土居どい喜久子きくこ症状しょうじょう自覚じかくしたのはいちきゅうきゅうねんがつ五月ごがつじゅうよんにち大分おおいた県立けんりつ病院びょういん神経しんけい内科ないかじゅうまんにん一人ひとりのたいへんむずかしい病気びょうきですという診断しんだんけ、おっとたかしにはすじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょうという病名びょうめいげられた(土居どい土居どい[1998:220-221])「大分おおいた一番いちばん権威けんいある神経しんけい内科ないか先生せんせい紹介しょうかいされて、診察しんさつけたのが平成へいせいねんがつじゅうよんにちでした。/一人ひとりおこなったのでくわしくははなされませんでしたが、「おどくですが、たからくじにたったとおもってがんばるように」とわれ、なになんからないまま、ただごとではないと直観ちょっかんしました。/後日ごじつ主人しゅじんされておはなしありました。」(土居どい土居どい[1998:112])

 [116]せき正一しょういち東京とうきょう)「わたし発症はっしょう診断しんだんは、Mという病院びょういんです。くやしくて、なみだまらなかった。やっとのおもいでいえかえった。担当たんとう先生せんせいから、もうなおらないとわれ、「あとは般若心経はんにゃしんぎょうでもとなえていなさい」とわれた。くやしかった。これで先生せんせいわたし信頼しんらい関係かんけいがなくなった。」(せき[2001:44])

 すくなくともこのようにこえたのは事実じじつだ。医師いしはもっと上手じょうずになればよいということだろうか。そのようにもめられようし、あるいはその見込みこみがないことをしめしているようにもれる。ほんわたしてむようにというのは、みずからの仕事しごとゆだねてしまっているようにおもえるが、しかしかえってそのほうがよいのかもしれないとかんがえるひともいて不思議ふしぎでないようにもおもえる。

 本人ほんにんがはっきりと説明せつめいすることをもとめ、医師いしがそれにおうじた(おうじざるをえなかった)すくないれいとして、ベン・コーエンの場合ばあいがある。かれいちきゅうよんねんにシカゴにまれ、ななよんねん来日らいにちななはちねん福井ふくいけんうつ陶芸とうげいとなる。

 [117]「ベンさんが左上ひだりうえ脱力だつりょく自覚じかくしたのはいちきゅうはちきゅうねんさんがつごろでした。その、その程度ていど徐々じょじょ進行しんこうし、下肢かしほうにも筋力きんりょく低下ていかがみられるようになりました。よんげつなながつじゅうにち福井ふくい県立けんりつ病院びょういん受診じゅしんし、すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう診断しんだんされました。このとき、ベンさんは診察しんさつにあたった宮地みやじ医師いし告知こくちつよもとめました。/病名びょうめいらされたとき同伴どうはんしていた婦人ふじんもろとも転倒てんとうするほどのショックをけました。/そのしばらくは呆然ぼうぜん自失じしつ日々ひびつづきました。当時とうじ夫妻ふさいっている友人ゆうじんくぼせらさんは、「もうそれ以上いじょうにんちこたえられるような状態じょうたいではなかった」とっています。告知こくちされた直後ちょくご気持きもちをベンさんは日記にっきつぎのようにいています。

 なながつじゅうろくにち昨日きのう不安ふあんになるような出来事できごとつづいてこった。身辺しんぺん整理せいりをすることがだい仕事しごとのようにおもえた。むかえるということの現実げんじつてき局面きょくめん対処たいしょしなければならない。/不思議ふしぎなことだが、健康けんこう長生ながいきできるひとたちをうらや気持きもちはない。昨日きのう英語えいごならいに生徒せいとうつくしくえた。彼女かのじょたちのかおのぞきもみたくなるほどだった。おしえることに集中しゅうちゅうするのがむずかしかった。しかしふたた恐怖きょうふかんおそわれた。」(ベンさんの事例じれいまなかいへん[1994:13-14])

 自分じぶんのことは自分じぶんらなくてはならない。かれはそのようにおもっていたようだし、医師いしがわも、西洋せいようひとはそのようなひとたちであるらしいことをっていたから、つたえたのかもしれない。かれがそののことをどのようにかんがえてきゅうねんまでをきたのかについてはまたあとでふれる。

 最近さいきんになるとつぎのような告知こくちのされかたもなされているところがある。

 [118]佐々木ささき公一こういち東京とうきょう)はいちきゅうきゅうろくねんはる症状しょうじょう自覚じかく府中ふちゅう神経しんけい病院びょういんで「じゅういちがつすじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょうとの告知こくちをうける。神経しんけい病院びょういんじゅうかいちいさな会議かいぎしつ主治医しゅじい看護かんご看護かんご婦長ふちょう、ソーシャルワーカー、リハビリ担当たんとうしゃ、それにつまわたし。この時点じてんでは、事前じぜん医学いがくしょなどをんでいたこと、とはいえALSの進行しんこうせいをリアルにはおもえがけなかったこと、学生がくせい運動うんどうなかでだが、「直面ちょくめん」というような経験けいけんがあったこと、などの理由りゆうから、あまりおおきな動揺どうようはなかった しかしその直後ちょくご主治医しゅじい担当たんとう看護かんごのやさしい言葉ことばには、ついけてしまった。くるまやバイクではしっているとき長男ちょうなんとジョギングもキャッチボールもしてやれなくなるのか、とおもったときなみだまらなくてこまったことがなんかいもあった。」(佐々木ささき[2000])

 いままでずっとてきたのは、(おな病院びょういんであっても)個々ここ医師いしによってことなる、とともに類型るいけいてきな、そして同時どうじにそのしのぎの対応たいおうだった。そのなか本人ほんにんはさまざまに右往左往うおうさおうしながら、わかっていく、しかも前回ぜんかいたところでは実際じっさいより悲観ひかんてき予想よそうていく。らされる内容ないよう情報じょうほうげん経路けいろ順序じゅんじょけていけば、ずいぶんなかずになってしまう。それをなんとか整理せいりしようとしたが、個々ここひとそくしては番号ばんごう辿たど記述きじゅつ前後ぜんごしながらてもらうしかない。そして、こうした混乱こんらんなかで、なにがしかのかん感触かんしょくながらどこかでそれが決定的けっていてきになることがある。たとえばつぎは、さんざん各所かくしょまわったのち、病名びょうめいげられ一定いってい説明せつめいけたらしいのだが、しかしいよいよのこととめるのはそのさらにひとだったというれいだ。

 [119]松本まつもとしげる[40]はいちきゅうはちよんねんよんがつよんにち東大とうだい医学部いがくぶ整形せいけい外科げかて、どう神経しんけい内科ないかへ。井原いはら先生せんせいから、はじめてこの病気びょうきうたがいがあるむね告知こくちけた。発病はつびょう以来いらいいち〇かげつにして、やっと病気びょうき正体しょうたいがおぼろげながらつかめたのである。そのあいだ、たずねあるいた病院びょういん整骨せいこついんは、じついちろくしょにものぼっている。/井原いはら先生せんせいは、ひさしぶりに旧友きゅうゆうにでもうような笑顔えがおむかえてくださり、「この病気びょうきはぼくの専門せんもん分野ぶんやだ、筋肉きんにく老化ろうかだからなおりませんよ」とわれた。先生せんせいのおかおあまりにもあかるく、そのときは、こんなひどい病気びょうきだとはおもわなかった。/ただ、なおらないことだけはわかった。それでもあしがちょっとっぱる程度ていどで、こんなに元気げんきだから、これで本当ほんとうぬのかと疑問ぎもんおもった。そして井原いはら先生せんせいから秋田あきた中通なかとおり病院びょういん滝田たきた先生せんせい紹介しょうかいされ、精密せいみつ検査けんさ結果けっか、はっきりと病名びょうめい確定かくていした。それ以来いらい自分じぶんのこされたみじか人生じんせいをどうきるかをかんがえるようになった。」(松本まつもと[1987:34-35])

 「わたし昭和しょうわはちねん発病はつびょうし、転々てんてんおおくの病院びょういんをたづね、東大とうだい井原いはら先生せんせいから、とてもにこやかに「この病気びょうき別名べつめい老人ろうじんびょうともわれ、なおりません」と告知こくちされた。/わたしはこんな残酷ざんこく病気びょうきがあることを、まったらなかった。しんじられなかった。さい検査けんさけた。やがてわたし早々そうそうと、人生じんせい整理せいりをすることができた。いまおもえば如何いか告知こくち大事だいじなことであったかと、感謝かんしゃしている。」(松本まつもと[1991:12])

 「段階だんかいてき告知こくち」という言葉ことば業界ぎょうかいにはある。これは結果けっかとしてそういうことなのだろうか、とか、つまりはつたかたということになるのだろうか、とか、しかしそれでよいのだろうかともおもえもする。次回じかい本人ほんにんたちが告知こくちをどうめたのか、どうかんがえているのかをしるそうとおもう。そしてそのまえに、今回こんかいふれなかったもうひとつの契機けいきべつひとには、つまりは家族かぞくにはべつつたえるというありかたとはなになのかをることにする。



★01 前回ぜんかいから引用いんよう紹介しょうかいとお番号ばんごうをふっている。だいいちかいは[72]まで。「[…]」がこの文章ぶんしょう著者ちょしゃによる省略しょうりゃくを、「/」が原文げんぶんにおける改行かいぎょうしめすのも前回ぜんかいおなじ。またホームページ(http://www.arsvi.com)に文献ぶんけんひょう掲載けいさいしてある。そこから文献ぶんけんひょうにあるホームページや人名じんめいべつ組織そしきべつとう関連かんれんファイルにリンクされている。

★02 告知こくちについてわたしいままでしるしたのは、立岩たていわ[1997:167-168](だいしょうちゅう9)、[2000:181-183](「生命せいめい科学かがく技術ぎじゅつ社会しゃかいおぼき」)だけ。

★03 例外れいがいがあるとすれば、それはどもにたいする場合ばあいである。大人おとなたちが本当ほんとうのことをわないことをどもはらないことがある。ただそれにしても、らされないなかなに不思議ふしぎなことがこっていることをかんづいてはいる。小児しょうに病棟びょうとうこっていることを記述きじゅつ分析ぶんせきした論文ろんぶん田代たしろ[2002]がある。

★04 これまでじゅういち種類しゅるい家庭かてい医学いがくしょとうた(ホームページで紹介しょうかい引用いんようしている)。「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう運動うんどうニューロン疾患しっかん)」、「運動うんどうニューロン疾患しっかんすじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう)」、「運動うんどうニューロン疾患しっかんすじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう脊髄せきずいせいすじ萎縮いしゅくしょう)」としるされているものもある。

□cf.医学いがくしょなどでの記述きじゅつ
 この部分ぶぶんには『現代げんだい思想しそう』の連載れんさいには記載きさいされていません。

 [◆]いちきゅうはちねん・「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう[…]ほんしょうやまいがたとして、上記じょうき定型ていけいてきなもののほかに、たま麻痺まひ症状しょうじょうおもしるしとする進行しんこうせいだま麻痺まひ上位じょうい運動うんどうニューロン障害しょうがい臨床りんしょう徴候ちょうこう脊髄せきずいせい進行しんこうせいすじ萎縮いしゅくしょうしゅとして下肢かし末梢まっしょうをおかし、下位かい運動うんどうニューロン障害しょうがい顕著けんちょにせ多発たはつ神経しんけいえんがた分類ぶんるいすることもあるが、今日きょうこれらは本質ほんしつてき差異さいではないとかんがえられている。[…]不良ふりょうである[…](豊倉とよくら康夫やすお)」(『医科いか医学いがくだい事典じてん』、講談社こうだんしゃだいじゅういちかんさんろくぺーじ

 [◆]いちきゅうはちねん・「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう運動うんどうニューロン疾患しっかん)[…]ついにはしたすじ萎縮いしゅくして、嚥下えんか困難こんなんはつ困難こんなんとなり、さらにすすむと呼吸こきゅうすじもマヒして死亡しぼうする。[…]経過けいか平均へいきん4〜5ねんであるが、症例しょうれいによりまちまちでたまマヒからはじまるものは進行しんこうはやく、平均へいきんやくねんカ月かげつといわれている。ときには経過けいか非常ひじょうにゆっくりしたものもあり、すうじゅうねん徐々じょじょ進行しんこうするものがある。これはべつ病気びょうきで、[…]」(『最新さいしん現代げんだい家庭かてい医学いがく百科ひゃっか』、主婦しゅふ友社ともしゃいちきゅうななよんねん初版しょはんいちきゅうはちねん最新さいしんばんさんきゅうぺーじ

 [◆]いちきゅうきゅうさんねん(19930410=新版しんぱんだいはん発行はっこう初版しょはん=19691020):索引さくいんに「運動うんどうニューロン疾患しっかん」。「神経しんけい内科ないかでよくみられる病気びょうき」に「比較的ひかくてきゆっくりおこって、運動うんどう障害しょうがいをきたす病気びょうきとしては、変性へんせい疾患しっかんとよばれるものがあります。その代表だいひょうてき病気びょうきは、痴呆ちほうをきたす疾患しっかんやパーキンソンびょう脊髄せきずいせい小脳しょうのう変性へんせいしょう運動うんどうニューロン疾患しっかんなとがあげられます。」とあり、運動うんどうニューロン疾患しっかんのところに「*」がついていて、「*運動うんどうニューロン疾患しっかん筋肉きんにくうごかす運動うんどうをつかさどっている神経しんけい運動うんどうニューロン)が変性へんせいして、運動うんどう機能きのううしなわれていく病気びょうきです。」とある(p.1131)「運動うんどうニューロン」という項目こうもくもあり、このかたりは「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう」の解説かいせつちゅうにあり、ちゅう解説かいせつされている。  「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう
 〇のう信号しんごう筋肉きんにくまではこ神経しんけい変性へんせいする
 筋肉きんにく収縮しゅうしゅくさせる信号しんごうはこ神経しんけいである、運動うんどうニューロン(運動うんどう神経しんけい細胞さいぼう)の病気びょうきのひとつです。
 のうから脊髄せきずい脊髄せきずいから筋肉きんにくまでの運動うんどうがつぎつぎと変性へんせい消失しょうしつしていくため、筋肉きんにく収縮しゅうしゅくりょくがおちて、その結果けっかとして筋肉きんにく萎縮いしゅく進行しんこうしていきます。
 原因げんいん不明ふめいですが、代表だいひょうてき難病なんびょうとしてさかんに研究けんきゅうおこなわれています。
 中年ちゅうねんぎに症状しょうじょうがあらわれてきます。おおくの場合ばあい手指しゅし筋肉きんにく収縮しゅうしゅくからはじまり、指先ゆびさきちからがなくなってきます。ときにはした萎縮いしゅくさきにおこってくることもあります。やがて四肢しし筋肉きんにくがぴくつき(筋繊維きんせんいの攣縮)、筋肉きんにくがおちてほねばってきます(ワシしゅとよばれる独特どくとく手指しゅしかたち)。症状しょうじょう進行しんこうすると筋肉きんにく萎縮いしゅくはだんだんとひろかり、ことばも不自由ふじゆうになり、ものみこみにくく、呼吸こきゅうするのもつらくなってきます。
 このすじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょうとはべつに、脊(p.1161)ずいから筋肉きんにくまでの運動うんどう神経しんけい細胞さいぼうっていく病気びょうきがり、これは脊髄せきずいせい進行しんこうせいすじ萎縮いしゅくしょうといわれています。進行しんこうすじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょうよりずっとゆるやかなことがおおいといえます。遺伝いでんせい場合ばあい、ウェルドニッヒ・ホフマンびょう、クーゲルベルグ・ウェランダーびょうなどもあります。
 〇対症療法たいしょうりょうほう苦痛くつうをやわらげる
 原因げんいん不明ふめいですから、はっきりした治療ちりょうほうもありません。病気びょうき進行しんこうをとめることはできませんが、患者かんじゃさんの苦痛くつうをすこしでもやわらげるために、あらわれた症状しょうじょうおさえる、対症療法たいしょうりょうほうおこなわれます。
 〇家庭かていでできること
 病気びょうき進行しんこうする途中とちゅうで、嚥下えんか障害しょうがいかならずおこってきますので、みこみやすく、むせにくいもの栄養えいようをとるようくばります。患者かんじゃさんとよく相談そうだんして、たとえば、つるつるしたもの豆腐とうふ里芋さといも、プリンなど)を献立こんだておおくするなどして、きめこまかく工夫くふうすることが大切たいせつです。病気びょうきがすすんで運動うんどう機能きのううしなわれるようになると、患者かんじゃさんの運命うんめい家族かぞくささかた度合どあいに左右さゆうされます。また、患者かんじゃさんとどのように意思いし疎通そつうをはかるかも重大じゅうだい問題もんだいとなります。まだ患者かんじゃさんが会話かいわりょくのあるうちによくはなしあって、コミュニケーションのとりかためておくことも必要ひつようおもいます。
 (木下きのした真男まさお)(p.1162)」(『新版しんぱん しん赤本あかほん 家庭かてい医学いがく』、保健同人社ほけんどうじんしゃ
 「運動うんどうニューロン」
 [◆]いちきゅうきゅうよんねん・「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう[…]この病気びょうきはつねに進行しんこうせいで、呼吸こきゅうすじ麻痺まひ肺炎はいえんなどでさんよんねん死亡しぼうすることがおおいが、いちねん以上いじょう生存せいぞんするれいもある。たま麻痺まひ症状しょうじょうはじまる場合ばあいは、とくにわるい。特別とくべつ治療ちりょうほうはまだない。<海老原えびはら進一郎しんいちろう>」(『日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ』、小学館しょうがくかんいちきゅうはちろくねんだいはんいちきゅうきゅうよんねんだいかんいちきゅうさんぺーじ

 [◆]いちきゅうきゅうねん・「アメリカでゲーリッグびょうばれている病気びょうきがある。1930年代ねんだいだいリーグでニューヨーク・ヤンキースの4ばんバッター、ルー・ゲーリッグは14年間ねんかんに493ほんのホームランと3わりぶん打率だりつのこしたが、1938ねんになって成績せいせきががたちとなった。翌年よくねん引退いんたいしてから、みるみるうちに手足てあし筋肉きんにくがやせてたきりとなり、子供こどもたちの英雄えいゆうはやせほそって消耗しょうもうしきってさんななさいくなった。[中略ちゅうりゃくおおくは人生じんせい最盛さいせいである中年ちゅうねん以降いこう発症はっしょうし、たちまちにして人生じんせい荒廃こうはいさせ、生命せいめいうばっていく。
 ブラック・ホールの理論りろんてき発見はっけんしゃで、車椅子くるまいす天文学てんもんがくしゃとして有名ゆうめいなホーキング博士はかせもかかっているといわれている。ただし、ホーキング博士はかせさいころの発症はっしょうであり、発症はっしょうしてから20ねん以上いじょうになってもゆびでコンピューターの操作そうさができて、人工じんこう呼吸こきゅう使つかっていないなど、ALSとしては早期そうき発症はっしょうでかつ進行しんこうおそい。特殊とくしゅなタイプのALS、あるいはべつの運動うんどうニューロンびょうのようにも見受みうけられる」(小長谷こながや[1995]の記述きじゅつ鎌田かまた[199?]に引用いんよう

 [◆]いちきゅうきゅうねん・「運動うんどうニューロン疾患しっかんすじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう脊髄せきずいせいすじ萎縮いしゅくしょう)[…]すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう[…]どこの症状しょうじょうもっと目立めだつかによって、普通ふつうがた脊髄せきずいせいすじ萎縮いしゅくしょう進行しんこうせいだままひなどのやまいがた分類ぶんるいされますが、本質ほんしつてきには同一どういつ病気びょうきです。[…]一般いっぱん不良ふりょうで、やくはち〇%は発症はっしょうからねん以内いないに、嚥下えんか障害しょうがい呼吸こきゅうすじまひに起因きいんするあやまえん窒息ちっそく嚥下えんかせい肺炎はいえん呼吸こきゅう不全ふぜん死亡しぼうします。しかし、ねん以上いじょう生存せいぞんしゃもふえており、いち〇〜ねん長期ちょうき生存せいぞんしゃもいます。」(『百科ひゃっか家庭かてい医学いがく』、尾形おがた悦郎えつろう小林こばやしのぼる監修かんしゅう主婦しゅふ生活社せいかつしゃいちきゅうきゅうねんさんぺーじ

 [◆]いちきゅうきゅうろくねん・『改訂かいてい新版しんぱん 家庭かてい医学いがくだい百科ひゃっか』(法研ほうけん)「運動うんどうニューロン疾患しっかんすじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう)[…]病気びょうき種類しゅるい個人こじんもあり、その速度そくどはさまざまですが、病気びょうき基本きほんてきには次第しだい進行しんこうしていきます。[…]たような病気びょうきがたくさんありますし、運動うんどうニューロンびょうのなかでも病気びょうき種類しゅるいによってすすかた非常ひじょうにまちまちです。[…]p.585)患者かんじゃかい日本にっぽんALS協会きょうかい Tel03−3267−6942)に相談そうだんするのもよいでしょう。」(はちはちろくぺーじ

 [◆]いちきゅうきゅうきゅうねん・「運動うんどうニューロン疾患しっかんとは[…]どの範囲はんい変性へんせいがおこったかによって、すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう進行しんこうせいだままひ、脊髄せきずいせい進行しんこうせいすじ萎縮いしゅくしょうみっつにけられていますが、あとのふたつは、すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう部分ぶぶん症状しょうじょうとするかんがかた最近さいきん主流しゅりゅうになっています。[…]すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう(ALS、アミトロ)[…]おおくは、発病はつびょうからねん以内いない呼吸こきゅう合併症がっぺいしょうをおこし、死亡しぼうします。/進行しんこうせいだままひ/[…]会話かいわ食事しょくじができないために心理しんりてき負担ふたんおおきく、栄養えいよう障害しょうがい衰弱すいじゃくをきたしやすいものです。/進行しんこうはやく、発病はつびょうからさんねん程度ていど肺炎はいえんなどにより死亡しぼうします。/脊髄せきずいせい進行しんこうせいすじ萎縮いしゅくしょうすじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょうくらべて経過けいかながく、とくに進行しんこうせい時期じきもみられます。発病はつびょうからねん以上いじょう、しばしばいちねん以上いじょう生命せいめい維持いじできることがあります。」(『家庭かてい医学いがくかん』、小学館しょうがくかんいちきゅうきゅうきゅうねんきゅうはちいちきゅうはちぺーじ

 [◆]いちきゅうきゅうきゅうねん(19991015)・「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう運動うんどう神経しんけいのみが選択せんたくてき変性へんせいしていく原因げんいん不明ふめい疾患しっかんです。さん〇〜さいこうはっし、手足てあし筋力きんりょく低下ていかすじ萎縮いしゅくがじょじょに進行しんこうし、ついには呼吸こきゅうすじなどをもおかすようになります。知覚ちかく知能ちのう障害しょうがいはありません。/現在げんざいのところ有効ゆうこう治療ちりょうほうはなく、不良ふりょうです。厚生省こうせいしょう難病なんびょう疾患しっかん指定していされています。」(新星しんせい出版しゅっぱんしゃへん『ハンディばん家庭かてい医学いがく事典じてん』、新星しんせい出版しゅっぱんしゃさんろくぺーじ、「脊髄せきずい病気びょうき」のこうに)

 [◆]〇〇〇ねん(20000315)・「運動うんどうニューロン疾患しっかん運動うんどうニューロンは、大脳だいのう運動うんどう中枢ちゅうすう細胞さいぼうからはじまって、脊髄せきずい経由けいゆして抹消まっしょう運動うんどういたるまでの運動うんどう神経しんけい経路けいろします。脊髄せきずいがわさくとおってぜんかくいたるまでをいちニューロン、ぜんかく中継ちゅうけいてんとおって筋肉きんにくいたるまでがニューロンです。この運動うんどうニューロンだけを選択せんたくてきにおかす疾患しっかんすじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょうで、ニューロンの障害しょうがいによって筋肉きんにく萎縮いしゅくします。このタイプを神経しんけいばらせいすじ萎縮いしゅくといい、すじ自体じたい病気びょうきがあってこるすじばらせいすじ萎縮いしゅく区別くべつします。/すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう症状しょうじょうは、神経しんけいばらせいすじ萎縮いしゅく壮年そうねんからこります。すじ萎縮いしゅくからはじまることがおおく、かたむねにもおよび、呼吸こきゅうすじしたすじこって、呼吸こきゅう困難こんなん嚥下えんか不能ふのうになることがもっともおそれられています。/はじめに筋肉きんにくがピクピクうごいて、自分じぶんでおかしいとづくこともありますが、筋肉きんにくがピクピクする病気びょうきはほかにいくつもあり、そのことだけで心配しんぱいすることはありません。しかし、筋肉きんにくのやせや脱力だつりょく併存へいそんする場合ばあいは、専門医せんもんい診療しんりょうけるようにします。/治療ちりょう 世界中せかいじゅう研究けんきゅうされていますが有効ゆうこう治療ちりょうほういだされていません。リハビリテーション、生活せいかつのしかたなどの指導しどうけることが大切たいせつです。」(『さんさいからの家庭かてい医学いがく百科ひゃっか』、時事通信社じじつうしんしゃいちよんろくぺーじ

 [◆]〇〇〇ねん(20001015)・「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう」の項目こうもくがあり、そのなかに「運動うんどうニューロン(運動うんどう神経しんけい細胞さいぼう)」のかたりがあり、ちゅう説明せつめいされている。「筋肉きんにく収縮しゅうしゅくさせる信号しんごうはこ神経しんけいである、運動うんどうニューロン(運動うんどう神経しんけい細胞さいぼう)の病気びょうきひとつです。/[…](p.824)/このすじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょうとはべつに、脊髄せきずいから筋肉きんにくまでの運動うんどう神経しんけい細胞さいぼうっていく病気びょうきがあり、これは脊髄せきずいせい進行しんこうせいすじ萎縮いしゅくせいしょうといわれています。進行しんこうすじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょうよりずっとゆるやかなことがおおいといえます。」(『新版しんぱん ハンディしん赤本あかほん 家庭かてい医学いがく』、保健同人社ほけんどうじんしゃはちよんはちぺーじ

 [◆]〇〇いちねん(20011106)・「運動うんどうニューロンびょう」として「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう脊髄せきずいせい進行しんこうせいすじ萎縮いしゅくしょう進行しんこうせいだま麻痺まひ」があげられ、説明せつめいがある。「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう[…]呼吸こきゅう不能ふのう状態じょうたいになると、人工じんこう呼吸こきゅうほう必要ひつようになります。特定とくてい疾患しっかん難病なんびょう)に指定していされています。」(『だい安心あんしん──健康けんこう医学いがくだい事典じてん』、講談社こうだんしゃ

 [◇]『世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん』(平凡社へいぼんしゃ、19810420):なし。「筋肉きんにく」のこうの「筋肉きんにく病気びょうき」にもなし。

 [◇]『広辞苑こうじえん だいはん』:なし。

 *以下いか 立岩たついわ 也 20021001 「生存せいぞんあらそい──医療いりょう現代げんだいのために・6」   現代げんだい思想しそうより一部いちぶ引用いんよう

家族かぞくらされる

 これまで入手にゅうしゅできた単行たんこうしょとしてもっともふるほんにはつぎのようにある。

 [120]著者ちょしゃ母親ははおやいちきゅうななよんねんななななさいのときに自覚じかく症状しょうじょうあらわれ、いちきゅうななろくねんはるななきゅうさいくなった。著者ちょしゃいちきゅうななねんにALSとらされる。「このわたしははじめてはは病名びょうめいらされた。すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう――通称つうしょうアミトロ。Bだい小林こばやし医師いしいち挨拶あいさつをと、ご自宅じたくおとずれたところ、家族かぞくにだけという前提ぜんてい診断しんだんかされたのだ。[…]くち手足てあしからからだ全体ぜんたいうごかなくなるのをつばかりだが、あたま機能きのうだけはのこるから、かべおおきな文字もじって視線しせんえば意思いし伝達でんたつ可能かのうである。人工じんこうてき食事しょくじ呼吸こきゅうほどこせばさんねんいのち長引ながびかせる。」(鈴木すずき千秋ちあき[1978:57]、一部いちぶを[3]に引用いんよう

    <りゃく

 [121]いちきゅうはちいちねん土屋つちや敏昭としあき山形大学やまがただいがく附属ふぞく病院びょういん入院にゅういんする。「いち週間しゅうかんもすると検査けんさはじまった。心電図しんでんず脳波のうはすじでん血液けつえき検査けんさと、ありとあらゆる検査けんさをしたのち、検査けんさは「家族かぞくべ」であった。「それでは家内かないびます」とったところ、「だれおとこひとはいないか」とわれ、「これはただごとでない。きっといのちにかかわる病気びょうきちがいない」とおもうと、そのよる一睡いっすいもできなかった。」(土屋つちや[1989:21])

    <りゃく

 [122]いちきゅうはちろくねんひがしけんでん郁夫いくお[43]はぼう国立こくりつ病院びょういん大阪おおさか)で「このつぎには、会社かいしゃ上司じょうしともなって来院らいいんするようにげられた。[…]数日すうじつ医師いし要請ようせいどお上司じょうしつまともなわれて再度さいど国立こくりつ病院びょういんおとずれた。するとおどろいたことに診察しんさつしつまれたのはつま上司じょうしのみ。わたしひと待合室まちあいしつのこされ、ますますわるかんむねをよぎった。」(ひがしけんでん[1998:20]、[…]のあいだに『家庭かてい医学いがく』[26]をむ。)

    <りゃく

 [123]長岡ながおかひろし[32]はいちきゅうななななねんごろつまらされる。「「あとさんねんいのちです。芝居しばいをしてでもご主人しゅじんにはられないように。」ALSの告知こくちけたつまあたまなか真白まっしろになり、かえりのみちすじもおぼえていないほど絶望ぜつぼうなか自宅じたくもどったといいます。」(長岡ながおか[1991:10])

 [124]いちきゅうきゅうねん加藤かとう誠司せいじつま加藤かとう郁子いくこがALSだと医師いしからげられる。「この病気びょうきは、難病なんびょうちゅう難病なんびょうわれるほどの、不治ふじやまいであるとうことも、はじめてりました。/この病気びょうき告知こくちを、当時とうじ担当たんとう主治医しゅじい先生せんせいからかされ、説明せつめいけたときには、病気びょうきそのものが進行しんこうせいであるため年齢ねんれいてきにもさんじゅうさいわか年齢ねんれいうこともあり、くてねんわるくて半年はんとしが、一定いってい期間きかんであるとおもってください、まぬかれない病気びょうきであるとかされました。/わたしあたまなかしろになり、そのやみなかほうされたような状態じょうたいになったことを、いまでも鮮烈せんれつおもします。」(加藤かとう加藤かとう1998:5-6]、そのについては[130])

    <りゃく

 [125]「帰宅きたくしたおっとに「本当ほんとうろくねんなの?」とけば、「そんなところだ」とう。「何故なぜおしえたの?」とめれば、「かくとおせるとおもわなかったから」とこたえる。当時とうじは、なんともおもわなかったけれど、後々あとあといてかんがえたら、さんヶ月かげつは、悶々もんもんなやむのも、おっと基本きほんではないのかなぁ。」(橋本はしもと[1997a]、その前後ぜんごは[153]に引用いんよう

    <りゃく

 [126]鎌田かまたたけ[54][81]に「医師いし最後さいごにいった。「医療いりょう免除めんじょなどの説明せつめいをしますから、おくさんだけのこってください。」医師いしつま別室べっしつで「さんねんほどでうごけなくなり、ながくても、あとねん……」とげられて平静へいせいよそおって病室びょうしつもどってたとのちからきました。」(鎌田かまた[199?]、[82]でも引用いんよう

 [127]鈴木すずき康之やすゆきつまがALSであることをいちきゅうはちきゅうねんさんがつ関東かんとう逓信ていしん病院びょういんらされる。「まさに青天せいてん霹靂へきれきだ。脳天のうてん金槌かなづちたたかれたようなショック、これから一体いったいどうなるのだろう。いまより悪化あっかしたときのことは想像そうぞうもできない、また、したくもない。/これからどのように生活せいかつをしていくか、あたまなかしろけになる。/鞆にはいつ、この症状しょうじょうのことを告知こくちするのか、自然しぜんほどけかるまではなっておくか、いや、今日きょう、それを告知こくちして、療養りょうよう専念せんねんさせたほうがよいのか、まった判断はんだんがつかない。/よるは、まったることが出来できなかった。」(鈴木すずき康之やすゆき1993:43-44])そのきゅういちねん十二月じゅうにがつ呼吸こきゅうまりくなるまで、病名びょうめいらせることはなかった。はちきゅうねんなながつ順天堂大学じゅんてんどうだいがく病院びょういんの「水野みずの教授きょうじゅとの会話かいわなかで「もとのようになおるのは無理むりでしょう」という一言ひとことにすごいショックをけたのか、鞆はなみだめどもなくきじゃくってしまう。可哀想かわいそうで、可哀想かわいそうで……。わたしは、いたたまれなくなってしまう。」(鈴木すずき[1993:92-93])同月どうげつ、「わたし水野みずの教授きょうじゅにおねがいしたとおり、丁寧ていねいに鞆の「症状しょうじょう」についてはなしをされた。このとき教授きょうじゅは鞆の病名びょうめいである「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう」のうたがいがあるとか、外国がいこくめい略称りゃくしょうの「ALS」という言葉ことば使用しようけてくれた。」(鈴木すずき[1993:100])きゅうねんがつ、「鞆も「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう」であることはうすうすっているとおもうが、医学いがくしょんでいるわけではないので、かんばしくないということは、多分たぶんらないとおもう。」(鈴木すずき[1993:194])

 [128]いちきゅうきゅういちねん奥村おくむらさとし[79][94]のつま岸和田きしわだ市民しみん病院びょういんでALSとげられる。「告知こくちにより希望きぼうをなくしたわたしは、主人しゅじん子供こどものことをかんがえるとかなしくなるばかりで、こんなごとなら一層いっそうのことさんにんくるまっているときなにかの事故じこにでもまれてしまえばいいのにとさえおもってしまいました。いまおもえばとんでもないことをかんがえたものだと反省はんせいしていますが、そのころわたしさんねん主人しゅじんんでしまうかもれないという不安ふあんばかりで、前向まえむきにかんがえる余裕よゆうさえなかったのです。でもいろいろとかんがえているうちに主人しゅじん本当ほんとうのことをって、これからどのようにすればいかを相談そうだんしてみようかともおもったのですが、それはわたし自身じしんくるしみを二人ふたりけて半分はんぶんにすること、つまりその半分はんぶん主人しゅじんしつけることになり、それで自分じぶん気持きもちをらくにするのはずるいことだし、げてはいけないとおもったのです。だから絶対ぜったいわずにおこうとしんめました。」(奥村おくむら[1995]、こののち記述きじゅつは[95]、本人ほんにん告知こくちについてのかんがえは[161])

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 [129]ひがしけんでん[122]は「数日すうじつ医師いし要請ようせいどお上司じょうしつまともなわれて再度さいど国立こくりつ病院びょういんおとずれた。するとおどろいたことに診察しんさつしつまれたのはつま上司じょうしのみ。わたしひと待合室まちあいしつのこされ、ますますわるかんむねをよぎった。/ややあって診察しんさつしつからてきたつま充血じゅうけつしていた。もうそれだけでどんなはなしがあったのかは容易ようい想像そうぞうがついた。」(ひがしけんでん[1998:20])

 いちきゅうきゅうねんおっと病名びょうめい告知こくちされた[124]加藤かとう郁子いくこきゅうななねんくなるのだが、おっと最期さいごまでつま病気びょうきのことをわない。このことについてはつぎのようにかれる。

 [130]「つま病気びょうきは、がんのような病気びょうきちがって、すうパーセントの生存せいぞん可能かのうせいもない、決定的けっていてき宣告せんこくする病名びょうめいということもあり、本人ほんにんにはらせずに希望きぼうたせる対応たいおうにしたのでした。/わたし正直しょうじきって、つま病名びょうめい宣告せんこくして、はやくから生命せいめい維持いじ装置そうちけても、最終さいしゅうてきには心臓しんぞうだけがうごいている状態じょうたいとなり、身体しんたい植物しょくぶつ状態じょうたい意識いしきわらずと苛酷かこく生存せいぞんとなってしまうことも考慮こうりょしました。/最終さいしゅうてきには、本人ほんにん苦痛くつうとうすべ相手あいて意思いし伝達でんたつすることも出来できない状況じょうきょうで、ごすしかないと事例じれいを、いくつか見聞みききしましたので、大変たいへんなやみました。」(加藤かとう加藤かとう1998:184-185])

 そしてつまらなかったといている。ただつぎのような箇所かしょもある。

 [131]いちきゅうきゅうねんきゅうがついちろくにち夕方ゆうがたのニュースで、車椅子くるまいす天才てんさい結婚けっこんすると報道ほうどうされたのは、宇宙うちゅう物理ぶつり学者がくしゃのホーキング博士はかせだった。わたしおな病気びょうきだけど、病気びょうきになりはじめ、そとあそべないので、子供こどものときからほんんだり勉強べんきょうして、アインシュタインからホーキングまでとわれるほど博士はかせになったという。[…](わたしはこのときに、郁子むべ病気びょうきすこちがうんだよ、といました。すうパーセントでも希望きぼうたせたかった。多少たしょう安心あんしんしたようでした。[…])」(加藤かとう加藤かとう1998:88]、加藤かとう郁子いくこ文章ぶんしょうのちの( )ないおっと加藤かとう誠司せいじ文章ぶんしょう

 [132]加藤かとう医師いし横須賀よこすか中央ちゅうおう診療しんりょうしょ所長しょちょう)はつぎのようにう。「加藤かとう郁子いくこさんのところへくたびに、病名びょうめい病気びょうき今後こんごについておはなししなくてはというおもいにかられました。すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょうという、進行しんこうせいけられない病気びょうきですが、それをさきばしながらきることができます。げんに、手足てあしうごかせず、こえせず、ものもべられずかんから流動りゅうどうしょく注入ちゅうにゅうしつつ、呼吸こきゅう機械きかいちからりながら、わずかにのこされたがくうごきでパソコンをあやつり、ものをいたり、おおくの仲間なかま通信つうしんしたりしているひともあります。/郁子いくこさんには、原因げんいん不明ふめい難病なんびょうであり、現代げんだい医学いがくでは治療ちりょうほうがないことがはじめにげられただけでした。は、病名びょうめいやこのせんどうなるかという質問しつもんもありません。手足てあしうごかせず、ものもべられなくなり、病気びょうきがどんどんすすんでいるのは、いやというほどわかっているはずです。いまさら、病名びょうめいこうがくまいが関係かんけいないとおもわれていたのでしょうか。/それより、そのそのたのしくごすことを大切たいせつにされていたようでした。」(春日しゅんじつ[1998:19-20])

 [133]加藤かとうたくおとずれていた訪問ほうもん看護かんご記述きじゅつ。「ご家族かぞく希望きぼう病名びょうめいげられていませんでしたので、ピリピリとした緊張きんちょうなか訪問ほうもん看護かんご開始かいししました。/当初とうしょ郁子いくこさんの本当ほんとう気持きもちはどうなんだろうかとなやみました。いろいろなかかわりのなかでも病気びょうきについての質問しつもんはありませんでした。いままでの経過けいかなか徐々じょじょうごけなくなっていく状況じょうきょうから多分たぶん自身じしん病気びょうきさっしていらっしゃったのではないかとおもいます。」(松浦まつうら[1998:21])

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 [134]金沢かなざわ大分おおいたけん)はいちきゅうはちはちねん長男ちょうなん大学だいがく進学しんがくして学費がくひり、長女ちょうじょ進学しんがく準備じゅんびということで、タバコの作付さくづけを拡大かくだいして収入しゅうにゅうげなければ、それには機械きかいあたらしくえてとおもいましたが、つまなにかと反対はんたいする。つま病名びょうめいっていて、わたしらない。だから口論こうろんえませんでした。」(金沢かなざわ[1991:24])それでかれはまた病院びょういんき、ようやくききだす[75]。

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 [135]「病気びょうきがすすんで運動うんどう機能きのううしなわれるようになると、患者かんじゃさんの運命うんめい家族かぞくささかた度合どあいに左右さゆうされます。」(木下きのした[1993:1162])

 [136]「ある高齢こうれいのALSのご婦人ふじんAさんは、家族かぞくつよ希望きぼうによって、病名びょうめい告知こくちされることなく、人工じんこう呼吸こきゅうもつけることなくくなっていかれました。/主治医しゅじい市原いちはら医師いしは、最後さいご最後さいごまで、人工じんこう呼吸こきゅうをつけてはどうかと、ご家族かぞく説得せっとくしましたが、それは受諾じゅだくされませんでした。[…]/いまでも、あのとき家族かぞく反対はんたいって、Aさんに「あなたの気持きもちは…」とはなしていたら…もっとよい結果けっかがでていたのではないか…と、かんがんでしまうことがあります。」(中村なかむら[1999:185-187])

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■わかってしまうこと

 [137]菅原すがわら和子かずこ[36]はほんなかにALSの記述きじゅつつける。「いきもつかずにえたとき、一瞬いっしゅんまえくらになった。おっとなにったのもみみはいらず、「不良ふりょうすうねんいのち」「治療ちりょうほうはない」といった言葉ことばあたまなかけめぐり、しばし茫然ぼうぜんとしていた。が、やがてなおし、自分じぶんにいいきかせた。いや、そんなはずはない。こんなおそろしい病気びょうきに、いままでなん病気びょうきもしたことのない自分じぶんがなるはずがない。わたしものむのは普通ふつうだし、しゃべることも異常いじょうがない。ちがうにきまっている。こんなことをかんがえるなんてつかれているせいだ、と。――しかし、どんなにしてもしん不安ふあんはぬぐえず、悶々もんもんとしてよるかした。/よくはちがつじゅうさんにちわたしいていただいた紹介しょうかいじょうって、県立けんりつ中央ちゅうおう病院びょういんたずねた。」(菅原すがわら[1989:12-13]、この前後ぜんごについて[87])

 [138]ひがしけんでん郁夫いくお[43]はつま上司じょうしれてくるようにわれた[122]さんにん病院びょういんおとずれる[129]まえ、『家庭かてい医学いがく』をむ。「この病気びょうき進行しんこうせい発病はつびょうしてじゅうねん呼吸こきゅう困難こんなんおちいり、やがてにいたる……」、ここまでんで愕然がくぜんとさせられた。/「そんなアホな!」──スミからスミまでなんかえしてみたが、該当がいとうする病名びょうめい見当みあたらない。当然とうぜんのことながら心理しんりてき拒絶きょぜつ反応はんのうはたらき、否定ひていするための材料ざいりょう必死ひっしさがしている自分じぶんがいた。」(ひがしけんでん[1998:19]、ほん内容ないよう部分ぶぶんは[26]でも引用いんよう

 [139]長尾ながお義明よしあき[50]は、いちきゅうきゅうねん徳島とくしま大学だいがく医学部いがくぶ付属ふぞく病院びょういん本人ほんにん告知こくちされた[12]。「「この手足てあしがそのうちうごかなくなる。さんねんんでしまうって…」。医師いし言葉ことばあたまなかかえすが、どうしても実感じっかんがわかない。大学だいがくからのかえみち自宅じたくとおし、見慣みなれたスーパーのまえでようやくわれにかえった。「誤診ごしんだ」。そうおもめば、すこしだけ気持きもちがいた。」(『徳島とくしま新聞しんぶん』[2000])その長尾ちょうび民間みんかん療法りょうほう大金たいきんむことになる。それがかれかぎったことではないことはのちにみることになるだろう。

 それでも結局けっきょく民間みんかん療法りょうほうであれなんであれ、なおじゅつ見出みいだされていないALSというやまいにかかったことはたしかなことになる。それはすでにおおくの引用いんようにあったように、衝撃しょうげきである。もっともみじかいのはつぎのような表現ひょうげん

・[140]「医学いがく全書ぜんしょ調しらべたら、とんでもない病気びょうき愕然がくぜんとする。」(小島こじま[2001-])小島こじままさる北海道ほっかいどう)はいちきゅうきゅうきゅうねんはちがつ症状しょうじょう自覚じかくじゅうがつ市立しりつ病院びょういんでALSのうたがいがあるとわれるがなんのことかわからない。十二月じゅうにがつ、「検査けんさ入院にゅういんすすめられるが、仕事しごとがあるのでことわる。「なにくすりはないのか」とくと、この症状しょうじょう進行しんこうおさえるくすりるが、非常ひじょう高価こうかなので、難病なんびょう特定とくてい疾患しっかん申請しんせいをしたほうがよいとわれ、申請しんせいしょいてもらう。そこにいてあった病名びょうめいが「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう」だった。」それで医学いがく全書ぜんしょんだ。

 そしてや、身体しんたいや、家族かぞくのことをめぐって生起せいきした、衝撃しょうげき重苦おもくるしさ、恐怖きょうふ不安ふあんかえられる。

 [141]はた茂子しげこ[46]は「告知こくち医者いしゃからではなく、おっとから間接かんせつてきけました。この病気びょうき治療ちりょうほうはなく、あとさんねんからねんいのちでしょう、とわれたそうです。ショックでした。いきなりおおきい漬物つけものせき頭上ずじょうおおいかぶさってきたようで、重苦おもくるしく不快ふかいでした。それまでたいした苦労くろうもせず、のほほんとらしていたにはこたえました。」(はた[2000])

 [142]土屋つちや敏昭としあきは、自分じぶんにはらせてもらえないから[121]百科ひゃっか事典じてんんだ[21]。「うすうすいのちにかかわる病気びょうきだとはかんじていたが、いざ現実げんじつったときのショックは、あじわったことのないひとには理解りかいできないだろう。それをったとき、いろいろなことがあたまなかをかけめぐった。まず最初さいしょかんだのは、家族かぞくのことであった。おやむかしからいるからしかたがないとしても、こんなことになるなら結婚けっこんなどしないで独身どくしんだったら、どんなにらくだったかしれない、ともおもったりした。[…]はたらけなくなったら、家族かぞくにんどうやって生活せいかつしていったらいいのだろう。/いろいろなことをかんがえて、しばらくねむれないよるつづいた。」(土屋つちや[1989:24-25])にあるのはふるいものだからとおもってあたらしい医学いがくしょたが、おなじだった[21]。「さあ、これは大変たいへんなことになった。おれ人生じんせいもこれまでか」とおもうと、まえくらになり、いままできずきあげてきたものが足元あしもとからおとててくずれてゆくようなかんじがした。」(土屋つちや[1989:25])

 [143]宮下みやした健一けんいち見知みしらぬおばさんに自分じぶんひとがいてそのひとんだといた[108]。「それをいたわたしは、後頭部こうとうぶをいきなりなにかでなぐられたような衝撃しょうげきけた。なぜなら、病気びょうきになってからということをかんがえたことがなかったからだ。いまはじめてということもありうるんだとおもらされた。あまりに突然とつぜん予期よきしなかった言葉ことばにただボウしかとするばかりで、つまて、自分じぶんはそんなことないとばかりにいたげにニガ笑にがわらいしてせるのが精一杯せいいっぱいで、なにかをかんがえたり、うことができなかった。それほど、そのひとった言葉ことばわたしにとってあまりにも強烈きょうれつであり、というものに正面しょうめんからかわされたようなものだった。わたしには、このことを解決かいけつしたり、えることができない。いずれにしてもいまは、無理むりだ。」(宮下みやした[1996:50-51])

 [144]松本まつもとしげる[40]はいちきゅうはちよんねんにALSとる[119]。「さんねんいのちだと診断しんだんされ、整理せいりいそがねばとおもうのだが、いっこうに実感じっかんがわかない。とてもぬなどとおもえない。とおいことのようにおもえるし、れば、なに予感よかんのようなものがあるはず。それなのに、わたし生来せいらい呑気のんきしゃなのか、せま実感じっかんしないのだ。/ましてや、みずかいのちつなどといちかんがえたことがない。先々さきざき手足てあしうごかなくなりごえなくなったらどうしようと、そのことをかんがえるだけで身震みぶるいするほど恐怖きょうふしんおそわれたが、さりとて自殺じさつするほどの勇気ゆうきはない。」(松本まつもと[1995:98])

 前々回ぜんぜんかいからここまで、いくつかの記述きじゅつから断片だんぺんならべてきた。実際じっさいには、ひとひとつがもっとものようにも不思議ふしぎおもえば不思議ふしぎともおもえる様々さまざま要素ようそがかなりみじか時間じかんなかまれる、家族かぞくまれた、連続れんぞくてき過程かていがある。

 [145]横山よこやま勇夫いさお新潟にいがたけん)はいちきゅうきゅうよんねんじゅういちがつ症状しょうじょう自覚じかくし、神経しんけい内科ないかでの診断しんだん結果けっかいちきゅうきゅうねんがつる。「家族かぞくばれちちわたし告知こくちけましたが、しんじられるはずがなくなにかの間違まちがいとしかおもえませんでした。/大学だいがく病院びょういん受診じゅしんしてくわしく検査けんさをしてもらいたいと先生せんせいにおねがいし、紹介しょうかいじょういていただきました。[…]/六月ろくがつ新潟大学にいがただいがく病院びょういん受診じゅしんしましたが診断しんだん結果けっかおなじで、この時点じてんおっと病名びょうめいげられ『すこ老化ろうかはやまる病気びょうき』という程度ていど説明せつめいがありました。/そのたような病気びょうき色々いろいろあるということで、はちがつ検査けんさ入院にゅういんすることになりました。日間にちかん入院にゅういんして検査けんさをした結果けっかはやはりALSの確定かくてい診断しんだんでした。わたしにこれからおっとはどういう経過けいかをたどるのかくわしく説明せつめいがあり、たきりになるまでいちねんくらいとかんがえるようにとわれましたが、あたまなかなにがなんだかわからなくなりパニック状態じょうたいとなりました。/病室びょうしつもどり、ALSに間違まちがいないと先生せんせいわれたことをおっとはなし、二人ふたりきました。今後こんごのことについて、本人ほんにんはなしをしておく必要ひつようがあると先生せんせいわれましたが、おっとこえころして男泣おとこなきをはじめてわたしは、これからどうなるかということはとてもつたえることは出来できませんでした。まもなく、おっと医学いがくしょ自分じぶんやまい正体しょうたいり、覚悟かくごしたようにわたしはなしてかせました。それでもなにかの間違まちがいではないかというおもいはつきまとい、西洋せいよう医学いがくでダメなら東洋とうよう医学いがくのぞみをかけ[…]」(横山よこやま[2000])

■わかりたいこと

 日本にっぽんALS協会きょうかい(JALSA)の最初さいしょ会長かいちょうだった川口かわぐち武久たけひさ[30][64]からそのしょくいだ松本まつもとしげる[40]が病名びょうめいり、のちに「わたし早々そうそうと、人生じんせい整理せいりをすることができた。いまおもえば如何いか告知こくち大事だいじなことであったかと、感謝かんしゃしている。」(松本まつもと[1991:12]、[119]で引用いんよう)としるしたいちきゅうはちよんねん前年ぜんねん川口かわぐちつぎのようにいている。

 [146]「香川かがわけんから、おなびょういの父親ちちおやむすめさんがたずねてる。病気びょうきのむごさをかんがえると、とても本人ほんにんげる勇気ゆうきがなく、家族かぞくとしてどう対処たいしょすればいいか、相談そうだんってほしいという。このやめいでなやむのは、本人ほんにんだけではない。家族かぞくもまた途方とほうれ、煉獄れんごくくるしみをあじわう。/なみだながらにうったえるむすめさんをまえに、わたしにはなぐさめるじゅつがなく、とまどうばかり。おとうさんが自然しぜん気付きづくまで、あえてらせる必要ひつようはないのではないか、そのぶん家族かぞくほうがしっかりになってあげてほしい、げないでみな頑張がんばってほしい、と意見いけんべる。」(いちきゅうはちさんねんよんがつ川口かわぐち[1985:122])

 だから本人ほんにんたいする告知こくち賛成さんせいする意見いけんがあるだけではない。らされることのおもさをおもえば、そうだろうともおもえる。ただ、いまみずからの意見いけん公表こうひょうしている患者かんじゃおおくは告知こくち賛成さんせいしている。それは、すでにみずからがALSであることをりそのうえでなんとかやっているひとたちの意見いけんなのだから当然とうぜんのこととえるかもしれず、だから公平こうへいかたではないともわれるかもしれない。しかし、結局けっきょく、はっきりとはわからないがぼんやりとはっているという曖昧あいまい状態じょうたいふくめて、ひとっているからないか特定とくていにしかてず、らないひとらないことについてたずねることもできない。かつてらずいまはっているひとが、かつての自分じぶんふく自分じぶんのことやひとたちのことをおもったときにどのようにかんがえるか、それはいたほうがよい。
 ひとつに、ることになったとして、それはどのようであればよいのだろうとおもう。あとげるつもりだが、医療いりょうしゃがわから「段階だんかいてき告知こくち」という戦略せんりゃくしめされる。最初さいしょ全部ぜんぶってしまうのでなく、そのひと状況じょうきょう段階だんかいおうじて徐々じょじょに、というのだ。われるとそれもよいのかもしれないとおもう。どうだろうか。

 [147]菅原すがわら和子かずこ[36]は、ほんみ[137]、病院びょういん病気びょうきのことをたずねた[87]、「予後よご」についてはっきりしたことをわれたとき衝撃しょうげきいている。「あるけん難病なんびょう検診けんしんおこなわれるとき、かけてみた。いちとおりの診察しんさつけたのちかかりひとから「この病気びょうきねん以上いじょうきることはむずかしい」とわれた。いままで、どの医師いしからも、なおりにくいとはわれたが、はっきりこうなんねんわれたことはない。あまりのショックに食事しょくじのどとおらず、悲嘆ひたんにくれる日々ひびつづいた。」(菅原すがわら[1989:17-18]、[5]でも引用いんよう

 しかしこれは、いまからかんがえれば、あるいはその当時とうじすでうたがわしい「予後よご」が、それだけが、そしてつまりはあとなんねんという数字すうじだけがらされている──このことはおおくのひとたちにとっても同様どうようであることをしるしてきた──ということだともほぐせる。ただ、いちつたえられなかったのがよかったかもしれないという記述きじゅつほかにもある。

 [148]後藤ごとう忠治ただはる[56]ははっきりと告知こくちされたことがなく[85]、病名びょうめいったのは特定とくてい疾患しっかん医療いりょう受給じゅきゅうしゃしょう記載きさいからだった[96]。「「進行しんこうまることいですか?」・(ありません)/「くすりはいつころできますか?」・(いまのとこ特効薬とっこうやくはありません)/「このまま進行しんこうするとどうなりますか?」・(車椅子くるまいす生活せいかつになりますね)/「最後さいごはどうなりますか?」・(人工じんこう呼吸こきゅうをつけるようになりますね。めるのは本人ほんにんです)/これはつきいち外来がいらい主治医しゅじいとの会話かいわです。わたしにとってこれが告知こくちおもっている。毎回まいかいすこしずつき、ALSと病名びょうめい関係かんけいく、自分じぶん病気びょうきなかばあきらめがおで自然しぜんれられたとおもっている。これらのこといち告知こくちされた場合ばあいたして平常へいじょうしんでいられたか自信じしんい。」(後藤ごとう[2000?])

 けれど、徐々じょじょにわかることがよりつらくないことだともえない。

 [149]中島なかじまたかゆう[102]は告知こくちはされなかった。「わたし病名びょうめいったのは、発病はつびょうしてよんねん入院にゅういん診察しんさつときに、カルテの表紙ひょうしにALSといてあったのをたからです。/それから、テレビでこの病気びょうきのドキュメンタリーやドラマをて、病気びょうき進行しんこうかりました。/ わたし病気びょうきのことが徐々じょじょかり、とてもとてもショックでした。自殺じさつ方法ほうほうかんがえたりしていました。」(中島なかじま[2001]、[102]とどうぶん

 [150]後藤ごとうの[148]の直後ちょくごつぎのようにつづく。「もちろん告知こくちかたひとそれぞれみなちがうとおもう。本人ほんにん性格せいかく家族かぞく構成こうせいとうによってもちがうし医師いし説明せつめい仕方しかたによってもおおきくわってくるとおもう。なにいてもどうじないひともいるかもしれないし告知こくちされたとたんにきる気力きりょくうしなひともいるとおもう。だからストレートに告知こくちすることみなみないいとはおもわない。もちろん本人ほんにん希望きぼうするなら出来できるだけはや時期じき告知こくちをされたほう精神せいしんてきにも物理ぶつりてきにも準備じゅんびがそれだけはやくできる。ただ家族かぞくにはことふくめありのままつたえてしい。家族かぞくしん準備じゅんびしいから。」(後藤ごとう[2000?])

 [151]中島なかじまの[149]の直後ちょくごつぎのようにつづく。「患者かんじゃには病名びょうめい権利けんりがあります。どうか、患者かんじゃ希望きぼうしたら告知こくちしてください。おねがいします。」(中島なかじま[2001]、[102]の末尾まつび同文どうぶん

 いちにまとめてらされる場合ばあいであっても、また徐々じょじょらされるのであってもそのそれぞれのあるいはどこかの機会きかいで、十分じゅうぶん衝撃しょうげきてきなことはらされることになる。そんなとき、どういうわけだが──それもそれなりに説明せつめいしようとすればできなくはないのだろうが──ひらなおれてしまう瞬間しゅんかんが、もちろんそれは恐怖きょうふ不安ふあんってしまうことはないのだが、おとずれることもある。

 [152]杉山すぎやますすむ[44]はいちきゅうはちきゅうねん東京とうきょう大学だいがく附属ふぞく病院びょういん病名びょうめいらせてもらえなかったが、治療ちりょうほうのない病気びょうきだとわれる[76]。「この病気びょうき本当ほんとうおそろしさはまだからなかったが、さすがにショックをけ、病院びょういんから東京とうきょうえきかうタクシーのなかで、なみだがこぼれたのを記憶きおくしている。」(杉山すぎやま[1998:24])その保健所ほけんじょわたされた申請しんせい書類しょるいむ[100]。「予想よそうもしていなかった症状しょうじょう項目こうもくがずらりとならんでいる。即座そくざに、ちかいことを覚悟かくごした。その瞬間しゅんかんあたまかんだのは、「おやはなくてもそだつ」という言葉ことばだった。/そのは、むねにつかえていたモヤモヤがちてすっきりした気分きぶんになり、東京大学とうきょうだいがく病院びょういんけたようなショックはなかった。」(杉山すぎやま[1998:25])

 [153]橋本はしもとみさお[42]はおっとから病名びょうめいくが、ALSのことをほんむのは十日とおかほどたったのちだった[112]。「「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう」は、すぐにつけられて、病気びょうき説明せつめい病状びょうじょう経過けいかと、すすむうち、項目こうもくになって、文字通もじどおり「あたまなかしろ」。なにかんがえていないのに、なみだが、ボタボタちる。出産しゅっさん以上いじょう試練しれんらず、いやなことはけてきていたわたしに、「わるろくねん死亡しぼう」の文節ぶんせつは、思考しこう許容きょよう範囲はんいをはるかにえて、かんがえるよりさきに、なみだちた呆然ぼうぜんとしたまま 幼稚園ようちえんかえば、なみだなみだそらなみだ赤信号あかしんごうなみだなみだ一人ひとりあるきして、このまま、まらないんじゃないかと、おもったほど。異変いへんづいた友人ゆうじんたちは、むすめむかえにってくれると、一人ひとりでいないように、おっと帰宅きたくまでってくれた。病名びょうめいらせたとき、すぐに調しらべた彼女かのじょたちは、わたしよりずっとはやいていて、結局けっきょくらなかったのは本人ほんにんだけという、なんともあきれたおはなし。[…]/さすがに、ことの重大じゅうだいさにづいて、自分じぶん確認かくにんしようと、ちちともないドクターに面会めんかいするも、高齢こうれいちち気遣きづかって、たりさわりのないことしかえないドクターの様子ようす不思議ふしぎと、すうーっとちからけて、それをさかいひらなおってしまったのです。ちちのショックは相当そうとうなもので、同行どうこうした義妹ぎまいによると、かえりの車中しゃちゅうちちいていたとのこと。不覚ふかくにもちちいをわすれていた。それからちちは「むすめよりのちに、にたくない」とはじめ、さんねんははよんねんには、ちちくなり、じゅういちねん詐欺さぎのようにわたしだけきている。」(橋本はしもと[1997a]、[…]の部分ぶぶんは[125]に引用いんよう

 [154]「ぬほどける告知こくち。これは、結構けっこうポイントがたかいのです。[…]実際じっさいわたしは、自分じぶんすじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょうったときすじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょうなんたるかをったときから、生活せいかつしながらいていましたし、本当ほんとう理由りゆうなみだあふれました。信号しんごうちでなみだ、ビルのかべなみだ、そのうちなみだって(一生いっしょうぶんいてしまったらしい)、いている時間じかん無駄むだおもえてきたのでしょう。」(橋本はしもと[2001])

 だからどうであればよいのか、それはまだわからない。あるいは、一人ひとりいちとおりのかたしかできないのであれば、結局けっきょくわからないところはのこるだろう。比較ひかくには想像そうぞうによる部分ぶぶんがあってしまう。だがそれでも本人ほんにんへの告知こくち支持しじされる。

 [155]中勝なかがちさん[51][83]は、いちきゅうきゅうねんじゅうがつ「に「すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう」と告知こくちけました。/難病なんびょう覚悟かくごはしていましたが、本当ほんとうことるとショックでむし、イライラして家族かぞくにあたるときもありました。/さんねんねん寿命じゅみょう告知こくちされたとき一番いちばんつらいし、将来しょうらいことかんがむとおもいます。一時期いちじきは、なやくるしみますが、ALSからのがれること出来できないとわかると、たたかうかぬかでなやんだすえ気持きもちひらなおります。気持きもちひらなおれば前向まえむきにかんがえるようになり、気持きもちあかるくなりました。/わたしは、告知こくちけるのははやほういとおもいます。/わたし場合ばあいは、やくいちねん告知こくちけたので、かんがえる時間じかんなが冷静れいせい判断はんだんできたとおもいます。家族かぞく将来しょうらいこと十分じゅうぶんはなって、心残こころのこりのいように気持きもち整理せいりがつくように家族かぞくみなかくさずはなうことが一番いちばん大事だいじなことです。そうすれば家族かぞく結束けっそくがよりつよくなります。/[…]つまが、告知こくちけていち年間ねんかんわたしことができなくてからかったといます。わたしは、何処どこ病院びょういん診察しんさつっても納得なっとくできないこたえばかりかえってときは、先生せんせい不信ふしんかんちましたし、自分じぶんしんなか先生せんせい信用しんようできなくなりました。/告知こくちされる先生せんせいも、患者かんじゃおなじようにつらいとおもいますが、告知こくち希望きぼうする患者かんじゃさんにははや告知こくちをされるほうがいいとおもいます。」(ちゅう[1999?])

 [156]安川やすかわ幸夫ゆきお千葉ちばけん)はいちきゅうきゅうきゅうねん症状しょうじょう自覚じかく。「わたしは、ALSの告知こくち病名びょうめいわかったなるべくはや時期じきにするべきだとおもっています。患者かんじゃはそれを権利けんりゆうしているとおもいます。たしかに告知こくちされたときはおおきなショックをけるでしょう。人生じんせい設計せっけい将来しょうらい希望きぼうゆめ家族かぞくへのあいひとし……すべてが崩壊ほうかいするのですから。そしてすぐおとずれるであろう経済けいざいてき不安ふあんも。まよい、なやみ、戸惑とまどい、いかり・なぜ自分じぶんに、……病気びょうきったしん葛藤かっとうはじまります。今後こんごおとずれるであろうげることの出来できない現実げんじつたいし、一時いちじ逃避とうひするひともいるでしょう。しかし、いずれはみな受容じゅようするしかないのです。受容じゅようすることにより自分じぶん客観きゃっかんてきにみれるようになり、日々ひび進行しんこうしていく運動うんどう機能きのう変化へんかたいし、どうきるか、きたいか、……そしてきがいをつけられるようになっていくとおもいます。/再度さいどねがいいたします。告知こくちはやいほどいい、まだからだうご元気げんきなうちに、告知こくちたいするショックをかえすパワーをってるうちに、そして受容じゅようできるしん余裕よゆう体力たいりょくってるうちに。/ったときもどせません、自分じぶんえらんだそのとき、そのとき一生懸命いっしょうけんめいき、いの人生じんせいおくるために。/もし告知こくちがされなかった場合ばあい、なにもらず確実かくじつ日々ひび変化へんかしていく自分じぶんからだ不安ふあんいだきながらごしていくことになります。でも、ぬまで病名びょうめいらされないということはないでしょう。たぶんからだうごかなくなった時点じてんまたは、ろうや器官きかん切開せっかい手術しゅじゅつのときには病名びょうめいらされるはずです。しかし、このときではおそいのです。った日々ひびはもうもどせません。まだ元気げんきだったころであれば出来できたであろうやりのこしたことは、そのときでは出来できなくなっています。ALSにかってしまったことはいてもやまれきれませんが、のこされた自分じぶん人生じんせい自分じぶんめる権利けんりゆうしているとおもいます。そのためには、はや時期じきでの告知こくち適切てきせつ助言じょげん必要ひつようかんがえます。」(安川やすかわ[2002])

 らせるべきか。この自体じたいがおかしいのかもしれない。どうしてそれを医師いしめることができるだろう。そのひとはたまたまあるいは仕事しごとうえ立場たちばにいるだけなのだ。それは医療いりょうしゃがわ権利けんりではありえない。ただ、そうではあっても、告知こくちをすることがつねによいのかどうかわからない。つらいことをらされるのはつらいことだ。あといちがつんでしまうと、そんなことをかんがえてもいなかったときにらされるのはどうだろう。わからない。つよ本人ほんにんへの告知こくち主張しゅちょうする橋本はしもとみさお文章ぶんしょうに、あらゆる場合ばあい告知こくち肯定こうていしているのではなく、むしろ、らせれば、あるいはればそれだけうまくいくという、よくできた予定よてい調和ちょうわてき末期まっきおくかたうたがっている、そのようにれる一節いっせつがある。

 [157]「告知こくち」についてかたられるとき、余命よめいを、有意義ゆういぎごしたいからとか、すべきことがあるからと、ひといます。ほんのいちにぎりのくつ病者びょうしゃだけが、「」にかって「せい」を計画けいかくてきかさねることは、フェアなやりかたとは、おもえないのに。大方おおかたひとは、「」を現実げんじつのものとは、実感じっかんせずにごしているようにえます。「」にいたやまい告知こくちは、ひどく傲慢ごうまんなことのようおもうのは、わたしだけなのだろうか。」(橋本はしもと[1997b])

 しかしすくなくともALSの場合ばあいらせてほしい事情じじょうがあるという。それはじつはさき引用いんようしたいくつかの文章ぶんしょうにもべられている。はやほうがよい、とそれらにはかれていた。もっと生真面目きまじめ西尾にしおとう[55]がつぎのようにう。

 [158]「ALSすじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょう様々さまざま症状しょうじょうていし、また進行しんこう速度そくどもそのひとによりかなりことなりますが、重要じゅうようなことは病気びょうきについてきちんと自分じぶんなりに理解りかいし、自分じぶん将来しょうらい直視ちょくしけっしてあまえたり、逃避とうひしたりしないことです。/わたしたちALS患者かんじゃにとりいちふん一時いちじあいだであり、いちにちいちねんです。/より前向まえむきに人間にんげんらしくきれるか、まだすこしでもうごけるうちに決意けつい準備じゅんびしなければなりません。時間じかん想像そうぞう以上いじょうすくないのです。」(西尾にしお[1999])

 [159]「ALSの経過けいかいたるまでの)をてこられたほうならば、この病気びょうきにおいて告知こくちがどれほど重要じゅうようなことか、おわかりでしょう。/[…]患者かんじゃ家族かぞくも、様々さまざま進行しんこう対処たいしょしていかなければなりません。それならばすこしでもらくきられるように、適切てきせつ助言じょげんねがいしたいのです。」(橋本はしもと[1997c])

 [160]「末期まっきがん告知こくちおなじようなものだから、告知こくちしないとうあなた、それは間違まちがいかもれません。たしかにどの医学いがくしょても「わるじゅうねん以内いない死亡しぼう」といてあります。いちぬものとかっていても「ぬぞ」とわれると、宇宙うちゅう不安ふあん一身いっしんあつめたような焦燥しょうそうかんとらわれるのは、わたしだけではないでしょう。それでもなおALSには、正確せいかく告知こくち必要ひつようなのです。/末期まっきガンは、あっとねます。うんければ、あいするひとにぎり「ありがとう」なんて、えるかもれない。でもALSにはできません。「ありがとう」はおろか、にぎることさえも。近年きんねん突然とつぜんこえしつくしてパニクッてる患者かんじゃさんの事例じれいを、おおみみにします。なかには、告知こくちもされていないれいもあり、介護かいごしゃ途方とほうれるのです。/ALSには、上手じょうずきる方法ほうほう告知こくちしてください。発病はつびょうしたことが、十分じゅうぶん不幸ふこうなのです。それ以上いじょう絶望ぜつぼうあたえないで。」(橋本はしもと[1997b])

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 [161]「告知こくちについては大変たいへんむずかしい問題もんだいだとおもいます。もちろん患者かんじゃさん本人ほんにん性格せいかくかんがかたにより、告知こくちするかしないかが一番いちばんになるとはおもいますが、告知こくちするがわ医師いし前向まえむきなかんがかた家族かぞくおおきな協力きょうりょくがあれば、わたし告知こくちするほう本人ほんにんにとっても家族かぞくにとっても、有意義ゆういぎ闘病とうびょう生活せいかつおくるのにはいのではないかとおもいます。 そして、わたし告知こくちをされるうえで患者かんじゃ本人ほんにんにとっては、ALS協会きょうかい会報かいほう存在そんざい非常ひじょうおおきく意義いぎのあるものであるし、これからもそうであってしいとおもいます。[…]会報かいほうんでわたし大変たいへんおどろかされました。その内容ないよう一般いっぱん医学いがくしょ医師いしわれるような患者かんじゃにとってはつめたく希望きぼうのない言葉ことばではなく、この病気びょうき大変たいへん病気びょうきではあるが、こういうふうにやればいまのこされた機能きのう最大限さいだいげん使つかってこんなこともやれるし、精一杯せいいっぱい頑張がんばってきていけるんだという、患者かんじゃさん本人ほんにんせいこえくことができたし、病気びょうき自体じたいのことや現在げんざい研究けんきゅうされていることもくわしくることができたことにより、どんなにはげまされたことかかりません。そしてそういうことの知識ちしきがあるのとないのとでは、告知こくち闘病とうびょう生活せいかつおくるうえでどんなにおおきなちがいがまれてくるかはかれないとおもうのです。/[…]/告知こくちけたら、まず自分じぶんいまおかれている現実げんじつ家族かぞく共々ともどもしっかりとめてください。そしてその現実げんじつからげずに、自分じぶん病気びょうきのことをってください。それをすることでそこからはじめてつぎ段階だんかいすすむことができ、闘病とうびょう生活せいかつおくるうえでの前向まえむきな姿勢しせいまれてくるのではないかとおもうのです。」(奥村おくむら[1995])

 [162]「人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃくこばまれる患者かんじゃ意外いがいおお現実げんじつけなければなりません。責任せきにんかんつよほう割合わりあいおおいように見受みうけますが、彼等かれら彼女かのじょとう社会しゃかいてきにも有能ゆうのう人物じんぶつです。彼等かれら彼女かのじょとうは、家族かぞく社会しゃかい迷惑めいわくおよことおそれて選択せんたくするのでしょうが、「きる」こと大切たいせつさを理解りかいさせるのが、「告知こくち」のもうひとつの大切たいせつ側面そくめんであることを、告知こくちする医師いしはよく意識いしきして告知こくちをしてしいとかんがえています。」(本田ほんだ[1999])

 [163]「告知こくちときに、患者かんじゃさんに今後こんごのケアのこと情報じょうほう入手にゅうしゅ方法ほうほうをサポートしてほしいとおもいます。/[…]告知こくちされる先生せんせいかたに、絶望ぜつぼうてき説明せつめいをしないで、きる希望きぼうてるような告知こくちをおねがいしたいです。」(ちゅう[1999?]、[155]のつづき)

 [164]鈴木すずきあつしは、カルテをてすでに病名びょうめいはわかっていたのだが[104]、いちきゅうきゅうよんねん医師いしかららされた。「つね日頃ひごろ冗談じょうだんやさしい先生せんせいでもあったが、このばかりは真剣しんけん眼差まなざしでわたしつめ、「あらゆる機械きかい使つかってでもきなさい」 とわれた。/このままいずれはぬのだとおもっていたわたしおおいにおどろいた。その機械きかいとは人工じんこう呼吸こきゅうであるとうことをったのはしばらくのちになってからことである。斉藤さいとう先生せんせいわたし告知こくちしてじか国立こくりつ西多賀にしたが療養りょうようしょふく院長いんちょうとしてうつられた。」(鈴木すずき[1997])



呼吸こきゅうのこと

 *以下いか 立岩たついわ 也 20021101 「生存せいぞんあらそい──医療いりょう現代げんだいのために・7」
  
現代げんだい思想しそう2002ねん11がつごう より一部いちぶ引用いんよう
 *▽△でかこってある部分ぶぶんは、雑誌ざっしでは省略しょうりゃくしてあります。

 ■選択せんたく、とされること

 [165]「ALSは発病はつびょう徐々じょじょ筋肉きんにくえ、全身ぜんしん麻痺まひして、平均へいきんさんねんぐらいのち呼吸こきゅう出来できなくなる病気びょうきです。/この時点じてん患者かんじゃは、/@呼吸こきゅう装着そうちゃくする。/A人生じんせいをまっとうする。/のどちらかを選択せんたくしています。これがALSのちょうミニ概略がいりゃくです。/さてみなさん@とAどちらの選択せんたくすうおおいとおもわれますか?  じつはAです。/▽理由りゆう様々さまざまですが、ひとげるとするならば、諸多しょた事情じじょうにより在宅ざいたくにての介護かいごけられない場合ばあい呼吸こきゅうけた患者かんじゃ長期ちょうき施設しせつ絶対ぜったいすう不足ふそくしているため呼吸こきゅう装着そうちゃくして力強ちからづよきてゆくこと選択せんたくしにくいためです。/これはいちれいですが、この問題もんだいをもクリアして、たくましく人生じんせい謳歌おうかなさってるかたもいらっしゃるでしょう。△」(舩後[2002])

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 ■事態じたい到来とうらい

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 [166]鈴木すずきあつしいちきゅうきゅうねん発症はっしょうきゅうよんねんさんがつ告知こくちされる[104][164]。同年どうねんはちがつ、「今日きょうあさから息苦いきぐるしい、夕方ゆうがたごろであろうか、しだいに意識いしきがもうろうとしてくる。意識いしきめると今度こんどいきくるしい、なんかいとなくそのかえしがなみのようにおそってくる。/段々だんだんとそのなみ間隔かんかくみじかくなってくる。/これは由々ゆゆしき事態じたいだ。きわめて危険きけん状態じょうたいであることがわたしにもわかる。/肉体にくたいきたいとさけんでいる、くるしい、おそらくとはこのようにやってくるにちがいない。」(鈴木すずき[1997])呼吸こきゅう装着そうちゃく前後ぜんごについてはうしろでも紹介しょうかいする。

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 [167]長岡ながおかひろしは、つまいちきゅうななななねん告知こくちされる[32][123]。はちさんねんがつじゅうにち食事しょくじのち、またも息苦いきぐるしさにおそわれた。ながいすによこになったが、いつもとちがい、なかなか回復かいふくしない。深呼吸しんこきゅうができない。ますます息苦いきぐるしくなり、身体しんたいをよじり、あしをばたつかせる。いきをするのが精一杯せいいっぱいで、こえすこともできない。/そのうち、視野しやせまくなってきた。電灯でんとうがついているのに、やけにくらい。みみへんだ。まるで洞穴どうけつこえいているようだ。思考しこうりょくちた。こえるこえだれせい判断はんだんがつかない。はりあなからいきうような息苦いきぐるしさがつづいた。/担架たんかせられ、渋谷しぶやのT医大いだいへ」(長岡ながおか[1987:57-58])

 [168]折笠おりかさ智津子ちづこによるおっと美昭よしあき[65]のいちきゅうはちねん入院にゅういん前後ぜんごについての記述きじゅつ。「おしぼりをって、すぐに部屋へやもどってみますと、こえをかけても返事へんじがありません。かおさおです。白目しろめして、咽喉いんこうから奇妙きみょうおとれています。「呼吸こきゅう出来できないのだ」とおもいました。/アキは次第しだいむね筋肉きんにくおかされ、いつか呼吸こきゅう困難こんなんになることを予測よそくしておりましたから、そのときそなえてかれは、長男ちょうなんふゆこう人工じんこう呼吸こきゅう練習れんしゅうをしていました。/咄嗟とっさに、そのことをおもし、「おにいちゃん、きて!パパがおかしいのよ」。/ふゆこう口移くちうつしの人工じんこう呼吸こきゅうつづけ、そのあいだいちいちきゅうばんし[…]/到着とうちゃくした救急きゅうきゅうしゃひとは、一目いちもく切迫せっぱくした容態ようだいとわかったようで、「北里きたさとへおねがいします」というわたしたのみに、「とても北里きたさとまでは無理むりです。もちませんよ!」。酸素さんそ吸入きゅうにゅうをほどこしながら、途中とちゅう休日きゅうじつ診療しんりょうしょ紹介しょうかいじょうり、至近しきん昭和大学しょうわだいがく病院びょういん急行きゅうこうしました。/そこであいだほど救急きゅうきゅう処置しょちけました。酸素さんそおく呼吸こきゅうくちけられ、点滴てんてきなどもして[…]相模原さがみはら北里大学きたさとだいがく病院びょういん転送てんそう、ICU(集中しゅうちゅう治療ちりょうしつ)にはいりました。」(折笠おりかさ[1986:10-13])「危篤きとく状態じょうたい緊急きんきゅう入院にゅういんしたアキは、「なんともえません。ここ一両日いちりょうじつがヤマです」という先生せんせいのおはなしでしたが、手術しゅじゅつ可能かのうなまで意識いしき体力たいりょくもどし、入院にゅういんろくにち気管きかん切開せっかいして、くちからんでいた人工じんこう呼吸こきゅうかんを、直接ちょくせつ咽喉いんこうけました。」(折笠おりかさ[1986:170])

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 [169]塚田つかだひろし[41]は、いちきゅうはちよんねん発病はつびょう、「はちねんにはかたいきをするようになった。呼吸こきゅうすじおかされはじめたのである。このころ都立とりつ神経しんけい病院びょういん度目どめ検査けんさ入院にゅういんをすることになっていたが、あまりのくるしさに、それをたずに病院びょういんくことにした。着替きがえをすませたそのとき公子きみこさんのうでなか塚田つかださんの呼吸こきゅう停止ていしした。/さいわい、いえまえがホームドクターだったのでだい至急しきゅう蘇生そせいおこない、救急きゅうきゅうしゃ杏林大学きょうりんだいがく病院びょういんはこばれた。そこで、塚田つかださんは挿管をおこなった。」(塚田つかだ[2000:11-12])

 [170]奥村おくむらさとし[128]はいちきゅうきゅういちねんにALSと診断しんだんされる。きゅうさんねんじゅういちがつよんにちよるには息苦いきぐるしさもひどくなってきたので、家内かない相談そうだんして明日あした入院にゅういんして調しらべてもらおうとめたのですが、それからも息苦いきぐるしさはひどくなったりすこらくになったりのかえしとなり、五日いつかがたにはその息苦いきぐるしさは普通ふつうではなくなり、人工じんこう呼吸こきゅうをしてほしいと家内かないたのんだのですが、家内かない人工じんこう呼吸こきゅうなどやったことがなかったのであわてるばかりでした。家内かないもこれは普通ふつうではないということで救急きゅうきゅうしゃんでくれたのですが、そうこうしているとまったくの呼吸こきゅう困難こんなんになってしまい、救急きゅうきゅうたいひとときには意識いしきもなくなり、そのはまったくおぼえていません。/そしてがついたときには、病院びょういんのベッドのうえくちには気管きかんない挿管され、あたまほうではシューシューという人工じんこう呼吸こきゅうおとがしているし、点滴てんてきはり肩口かたぐちけられているし、はなにはけいかんチューブがはいり、心電図しんでんずのモニターがつながれ、自動じどう血圧けつあつけいもつながれ、尿にょうかんまでつながれていました。まるでベッドにつながれているサイボーグのようでした。/あと家内かないいたはなしですが、救急きゅうきゅうたいほう処置しょちわるく、血圧けつあつはかれないくらいがるし、酸素さんそマスクをてるだけで人工じんこう呼吸こきゅうはしてくれず、病院びょういんはこぶのも相当そうとう手間取てまどったため、かなりあぶない状態じょうたいだったらしいです。」(奥村おくむら[1995])


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 [171]もと茂治しげはる[37]はいちきゅうななきゅうねんごろ発症はっしょうはちねん入院にゅういんはちさんねんさい入院にゅういん。「▽そのあさからちょっとばかり呼吸こきゅうがスムーズでなくておかしかったのですが、夕方ゆうがた、ポータブル便器べんきこしかけてきばっていると△きゅう息苦いきぐるしくなり▽すべきものもさずあわててベッドにうつしてもらったものの、▽呼吸こきゅう困難こんなんはひどくなり、かみさんのまえでチアノーゼによってわたし全身ぜんしん青黒あおぐろくなっていったのだそうです。/その変色へんしょくぶりをみるべくもなく、わたし意識いしきうしなったのですが、不思議ふしぎなことに(p.168)識をなくす直前ちょくぜんいきのできぬくるしさから開放かいほうされた心地ここちよさがあったようながしています。▽これは、わたしがくたばるときのリハーサルだったのかもしれないのです。だから、にたいとか、にたくないとかはべつ問題もんだいとして、そのものにたいする恐怖きょうふしんは、いまのところありません。/さて、青黒あおぐろくなっていくわたしをみて、かみさんはまるでゲーテみたいに「もっと酸素さんそを」とい、そこにとおりかかったしろえん先生せんせいは「こりゃあ、いかん。ソーカンの用意ようい」と大声おおごえさけび、まだかえらずに病棟びょうとうのこっていた先生せんせい看護かんごさんたちはあつまり、かえるために廊下ろうかあるいていたふく婦長ふちょう小山こやまさんはとってかえして処置しょちするための病室びょうしつ準備じゅんびし、婦長ふちょう網屋あみやさんはわたし人工じんこう呼吸こきゅうほどこしたのだそうです。筋書すじがきにかれたように、ほとんど同時どうじおこなわれたらしいこれらのことを、わたしはまったくおぼえていないのです。△/わたしがどれほどの時間じかんうしなっていたかわかりませんが、がついたとき、むかしテレビでやっていた「ベンケーシー」のタイトルバックのシーンのように、廊下ろうか別室べっしつかって移動いどうちゅうでした。▽小山こやまさんが準備じゅんびした病室びょうしつはいると、梅原うめはら先生せんせいづるくちばしたものをわたしみぎあなかられようとしますがはいりません。以前いぜんからそう(p.169)なのですが、ヘソマガリおとこはなあなまでがっているとみえて、みぎからはマーゲンチューブでさえとおりづらいのです。そこできゅうかいひがしのベンケーシーは、わたしくちをこじあけ、づるくちばしをつっこんだのです。おそらく気管きかんたっするようにくちなかまれたづるくちばしが<ソーカン>というものだったのでしょう。くちなかおさまった<挿管>に、△すばやく人工じんこう呼吸こきゅう接続せつぞくされると呼吸こきゅうらくになり、文字通もじどおかえったようながしました。」(ほん[1993:168-170]、チアノーゼは血液けつえきちゅう酸素さんそ不足ふそくによって皮膚ひふ青黒あおぐろくなること)

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 [172]菅原すがわら和子かずこ[36]はいちきゅうななきゅうねん発症はっしょういちきゅうはちねんよんがつにち呼吸こきゅう困難こんなんのため、県立けんりつ中央ちゅうおう病院びょういんだいいち内科ないかめの入院にゅういんをした。/入院にゅういんむねのレントゲン写真しゃしんられたところまではおぼえているが、そののことははっきりしない。はははなしによると、にちよるきゅうたんがつまってくるしがり、全身ぜんしんチアノーゼをきたしたため、夜勤やきん看護かんごさんが大急おおいそぎで吸引きゅういんし、すぐに先生せんせい連絡れんらく主治医しゅじい鈴木すずき先生せんせい麻酔ますい先生せんせいけつけ、わたしねむらせてはなからかんれ、人工じんこう呼吸こきゅうけたという。▽あまりのものものしさに、家族かぞくは、わたしがもうダメではないかとおもったそうだ。△」(菅原すがわら[1989:22]、このとき経験けいけんしるしたべつ文章ぶんしょうとして菅原すがわら[1987:83])

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 [173]土屋つちやとおる[89]はいちきゅうきゅういちねんがつ発症はっしょうはちがつ山梨やまなし県立けんりつ中央ちゅうおう病院びょういん神経しんけい内科ないか診察しんさつ入院にゅういんじゅうがつじゅうにち「このところ呼吸こきゅうくるしく、かたいきをするようになった。」、きゅうにち数日すうじつまえから呼吸こきゅう十分じゅうぶん出来できないとこまるので、人工じんこう呼吸こきゅうをつけなければというはなしかされていた。」(p.177)じゅういちがついちにち昨晩さくばん電気でんきあかえ、様子ようすへんだった。▽よるきゅうぎにあせをびっしょりかいてこまっていたところ、看護かんごさんがてきれいにいてくれた。それまでの不快ふかいかんんでしまい、そのすぐ△ねむってしまった。/そしてじゅうよんあいだ意識いしきうしなっていた。そのあいだのことを、のち家族かぞくからいた様子ようすつぎのとおり。/午前ごぜんろくごろつま様子ようすへんなのにき、「看護かんごさんにすぐてもらい、緊急きんきゅう人工じんこう呼吸こきゅうをしてもらった。[…]じゅうぎ、どうやらはな呼吸こきゅうをつけることができた。しかし、血圧けつあつ極端きょくたんがってしまい、危篤きとく状態じょうたいになった。」(p.178)はちにち呼吸こきゅうはなからつけていたのを気管きかんへつなげるため、緊急きんきゅう切開せっかい手術しゅじゅつをし、カニョーレ(かん)をれる。」(土屋つちや[1993:176-179])「すこはやめに人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃくしたほうがいいからと、主治医しゅじい石原いしはら先生せんせいが、一般いっぱんかんがえられる進行しんこう速度そくどよりずっとはや準備じゅんびしてくださっていた人工じんこう呼吸こきゅうを、十一月じゅういちがついちにち午前ごぜんきゅうにつけようとしていたのに、その早朝そうちょうに、自発じはつ呼吸こきゅうまってしまうという、かんがえられぬスピードで病状びょうじょう進行しんこうした。」(土屋つちや[1993:190]、あね深尾ふかお恭子きょうこ述懐じゅっかい

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 ■家族かぞくたずねられる

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 [174]室谷むろたに恭子きょうこ長野ながのけん)はははのことについてたずねられた。「呼吸こきゅうについては、かなり状態じょうたい悪化あっかしてから主治医しゅじい説明せつめいがあったので、様子ようすながらゆっくりかんがえるということができませんでした。しかし、たとえどんなに期間きかんがあったにせよ、わたしこたえわらなかったとおもっております。/[…]/このままはは呼吸こきゅう使用しよう療養りょうようしていくとなると、当然とうぜんその期間きかんながくなりそのははいてわたしいえるというのはすこ無理むり、というより自分じぶん自身じしんそんなおもいをしてまで結婚けっこんはできないという気持きもちでした。/やはり家族かぞく主治医しゅじい先生せんせいにしてみると、そこまでしなくてもということがあったのかもれません。でも、わたしのためにせっかくたすかるいのちをそのままわらせることはどうかんがえてみても納得なっとくがいかず、そうかといって本人ほんにんにどうするかくのもはばかかられ、はっきりとしたこたえのぬまま”その”をむかえることになったのです。/意識いしきくしたははまえにして最終さいしゅうてき選択せんたくをせざるをなかったわけですが、動転どうてんしているちちおとうとくらべ、わたし不思議ふしぎ冷静れいせいでした。「呼吸こきゅうをつければたすかるのだ」──もうそれしかあたまになかったのです。」(室谷むろたに[1991:33])

 [175]土居どいたかしいちきゅうきゅういちねんつま土居どい喜久子きくこのことについて主治医しゅじいからはなしいている。五月ごがつじゅうにち「のなんにちまえたかしさんとおはなししています。このさき、そうとおくない将来しょうらい呼吸こきゅうがとまる可能かのうせいがあります、と。たかしさんはなにとかたすけてやってほしいとおっしゃいました。」(山本やまもと[1998:225]、当時とうじ大分おおいた協和きょうわ病院びょういん医長いちょう

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 [176]いちきゅうきゅういちねんがつじゅうにちわたしつま呼吸こきゅう停止ていしづかず、一大事いちだいじむかえることになりました。[…]ただちにくち酸素さんそ吸入きゅうにゅうれられ、集中しゅうちゅう治療ちりょうしつ(ICU)にうつされました。…ほっとしたのもつかの、…酸素さんそ吸入きゅうにゅう器具きぐをいつまでもくちにくわえているわけにはいきません。つまくるしそうで、よんろくこうけていますので唾液だえきながれっぱなしになり、あごもはずれそうでした。つまは、/「もう限界げんかいだから、んでもいいからはずしてほしい」/と必死ひっしうったえてきます。山本やまもと先生せんせい気管きかん切開せっかい説明せつめいをしてくださいました。/気管きかん切開せっかいをすると、呼吸こきゅうははるかにらくになるが、くちからはべられなくなり、こえなくなる。手術しゅじゅつはさほどむずかしいものではなく、心配しんぱいらない。同時どうじろうの手術しゅじゅつもしたほうがいい。先生せんせいのおはなしはおよそそういうものでした。/きるかぬかのさかにいるつままえに、手術しゅじゅつをするかいなか、承諾しょうだくをえたのかどうかの記憶きおくははっきりしません。けれども、つますこしでもきていく手立てだてをかんがえたら、手術しゅじゅつをするしかないとわたしおもいました。あとは成功せいこうしんからいのるのみです。」(土居どい土居どい[1998:40])

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 [177]小林こばやし富美子とみこ[103]は、自分じぶんでは呼吸こきゅうをつけないつもりだった。そのことがどれほど家族かぞくられていたかはわからない。くるしく意識いしき朦朧もうろうとした状態じょうたいのもとで救急きゅうきゅう同意どういしたらしく、本人ほんにん意識いしきのない状態じょうたいどもたちが呼吸こきゅう装着そうちゃくめた。「自分じぶんえらべないなら、せめて食事しょくじほそくなり、体力たいりょくがなくなれば、自然しぜんしずかなねむりにつけるとおもい、ひそかに頑張がんばってきたつもりです。/でも息苦いきぐるしくなり、手足てあしつめたくなって、意識いしきがもうろうとしてきました。あれほどこいねがっていたがすぐそこまでやってきたというのに、くるしさにはえられず、救急きゅうきゅうしゃ病院びょういんへ……。▽最後さいごみみにしたこえは、先生せんせい看護かんごさんのかすかな言葉ことばでした。/△[…]先生せんせいは、このままの状態じょうたいにしておくか、それとも気管きかん切開せっかいするかと、息子むすこ章浩あきひろにたずねられたそうです。のどにあなをあけて、直接ちょくせつレスピレーター(人工じんこう呼吸こきゅう)につなげば、あとなんねんかはきられる。こえなくなるけれど、んだりべたりすることもできる、と。/どもたちはちちうしなったばかりで、わたしにはどんな状態じょうたいでもきていてほしいとおもい、即座そくざ手術しゅじゅつをおねがいしたそうです。▽(p.106)/ましたときわたしはのどにかんまれ、ほんのホースでよこ器械きかいにつながれ、呼吸こきゅうをしていました。はたにはどもたちのかおがありました。そのかおにホッと安堵あんどいろかぶのをときわたしは、かえったのだ、とおもいました。そのあいだ、どれだけ空白くうはくときがあったのか、何一なにひとおぼえていません。/きてしまった……。自分じぶんいつめる。これでかったのかと……。こたえは?……/やはり、きていてよかった。わたしの”たから”であり、希望きぼうであるどもたちと一緒いっしょきていられる素晴すばらしさを、なんばいにもつよかんじています。/わたし本当ほんとうしあわせです。でも、どもたちはどうでしょう? いてみたいけど、けません。」(小林こばやし[1987:106-107])
 べつ文章ぶんしょうではつぎのようにかれる。「自分じぶんはもう時間じかん問題もんだいだとおもっていました。/みもできず、よるねむれないさんにちつづいた翌日よくじつ意識いしきもうろうとしてきて、のぞんだ目前もくぜんにきたときでした。/子供こどもこえがかすかに、病院びょういんへ? 救急きゅうきゅうしゃ? くるしまぎれにうなずいたのでしょう。そのなにもわからず。/ななにち意識いしきをとりもどしたときは、器械きかいにつながれてきていました。レスピレーターがあることさえ、だれもらず。先生せんせい説明せつめいき、たいへんさを承知しょうち子供こどもわたしいのち選択せんたくをしたそうです。▽/[…]だけかんがえたわたしもレスピレーターを装着そうちゃくして、もうななねんになります。/いまでは、きていてほんとによかった。ひとつしかないいのち粗末そまつにせずよかった。子供こどもたちすくってもらったいのち大切たいせつにしたい。ただきていてはすまない。病気びょうきけ、病人びょうにんになりたくない。身体しんたいはだめでも、ははとしてきたい。△」(小林こばやし[1991:34])

 [178]長尾ながお義明よしあき[50][139]は、いちきゅうきゅうさんねん十二月じゅうにがつななにち、「自宅じたく呼吸こきゅう困難こんなんになり、徳島とくしま市内しない病院びょういん入院にゅういんしてからカ月かげつあまり。▽いちきゅうきゅうさん平成へいせいねん十二月じゅうにがつななにちゆう[…]長尾ながお義明よしあき[…]の△呼吸こきゅうふたたまった。全身ぜんしんがけいれんし、つま美津子みつこさん)らが手足てあしさえる。「みんな、こうしてんでいくのか」。小指こゆびさきほどの便びんたようなもする。やがて意識いしきうすれた。▽/義明よしあき入院にゅういんした当初とうしょ美津子みつこ病院びょういん看護かんごに「救急きゅうきゅうしゃなかいきってくれていたら…。おとうさんのためにも、そのほうかったのでは…」ともらしたことがある。「余命よめいさんねん」ととくだい付属ふぞく病院びょういん医師いしげられてから、すでにさんねんがたっていた。△/[…]/どうせながきられないのなら(手術しゅじゅつで)ったりはったりして無理むり延命えんめいさせるより、きれいなからだのままいかせてあげたい」と美津子みつこおもい、義明よしあき自身じしんもそうのぞんでいた。/しかし、いざ義明よしあき危篤きとく状態じょうたいになると、そんなかんがえはんだ。「どうにかして」とさけび、義明よしあきあしにしがみいた。[…]それからのことは美津子みつこ記憶きおくにない。/[…]/一時いちじてき救命きゅうめいできたものの呼吸こきゅう機能きのう低下ていかあきらかで、人工じんこう呼吸こきゅうけないときるのがむずかしい状況じょうきょうになった。どうじゅうにち気管きかん切開せっかい呼吸こきゅう装着そうちゃく。」(『徳島とくしま新聞しんぶん』[2000])

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 ■本人ほんにんめる

 [179]杉山すぎやますすむ[44]、いちきゅうはちはちねん発症はっしょうきゅういちねんきゅうがつ、「いちにち数時間すうじかん呼吸こきゅうおそうようになってきた。ものものも、まったくみこめない。」じゅうがつさんにちつま病院びょういんってみたら、とすすめる。特別とくべつくるまでないと移動いどうできなくなっていたので、電話でんわくるま都合つごうくと、たまたまつぎいていたので予約よやくをした。」よんにちじゅん天堂てんどう病院びょういんくと、それまでえていたものがいちくずる。中島なかじま先生せんせい自分じぶんのどひとさしゆびき、「やるか」とく。わたしなにのためらいもなくうなずいた。」にち気管きかん切開せっかいをすると同時どうじに、人工じんこう呼吸こきゅうける。」(杉山すぎやま[1998:36-37])

 [180]橋本はしもとみさお[153][160]。「ALSの病状びょうじょうすすむと、気管きかん切開せっかい選択せんたくせまられます。(例外れいがいてきに、選択肢せんたくしさえ提示ていじされない場合ばあいがあります)/わたしいちきゅうきゅうねんじゅうがつ気管きかん切開せっかいして、翌年よくねんいちがつ呼吸こきゅうをつけましたが、ほかの患者かんじゃさんのようなドラマチックな選択せんたくではありませんし、なによりきることだけかんがえていましたので、まよいなどはありませんでした。」(橋本はしもと[1998?])
 [181]奥村おくむらさとし[170]、いちきゅうきゅうさんねん。「気管きかん切開せっかいについては、こえうばわれ、たのしみのひとつでもある家族かぞくとのコミュニケーションがれなくなるとうことが、わたしにとってはえられないくらいいやだったために呼吸こきゅう困難こんなんになるまではしないつもりでした。いのちにかかわってくればもちろん気管きかん切開せっかい人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃくしてでも、のこされたいのち精一杯せいいっぱい家族かぞく一緒いっしょ頑張がんばるつもりだったので、覚悟かくごもしていたのでまったくショックはなかったとはいませんが、べつ自分じぶん自身じしんそんなに動揺どうようすることはありませんでした。」(奥村おくむら[1995])

 [182]平間ひらまあい北海道ほっかいどう)、いちきゅうきゅうねんさい。「▽自分じぶん呼吸こきゅうするのがかなり困難こんなんで、右足みぎあしつねはげしくうごかさないと呼吸こきゅうをすることむずかしく、わたしいのちがかかった大事だいじ右足みぎあしでしたが疲労ひろうがつのり、△まさに究極きゅうきょく選択せんたくをすることになりました。/なま、あなたはどちらをえらびますか?/十二月じゅうにがつはちにちわたし呼吸こきゅうをつけました。」(平間ひらま[1997?])
 「▽よるは、バイパップという呼吸こきゅう補助ほじょ機械きかい使つかいました。あたまから帽子ぼうしのようなものをこうむこうにマスクをつけてる、それがくるしくていやでたまらない、でもけないでるとあさ目覚めざめた瞬間しゅんかんから酸素さんそ不足ふそく頭痛ずつうがひどくからだもストライキをこしてしまう。/ALSをいやというほどかんじるときでした。/あるわたしは、とうとう意識いしきうしないましたがさいわいなことにすぐ意識いしきもどりました。/[…]/それでもまだ呼吸こきゅうけずに生活せいかつできる状態じょうたいをかろうじてたもち、バイパップとともに期限きげんづけ退院たいいんをすることもできました。/でも△呼吸こきゅうをつけていないわたしは、いつなにがおきてもおかしくない状態じょうたいでした。/難病なんびょうですから、どこで療養りょうようしてもおなじこと、ならば家族かぞくなからしたいとおもいましたが、安心あんしんして在宅ざいたく生活せいかつおくるためには呼吸こきゅうけ、いのちには、影響えいきょうのない身体しんたいにならなくてはならなかったのです。▽/ここからがながーい入院にゅういん生活せいかつのスタート。/△自発じはつ呼吸こきゅうもかなりよわくなったわたしは、勝手かってにあーこりゃもうぬな、ぬにはまだわかい……そうだ呼吸こきゅうをつけよう!とおも呼吸こきゅうをつけることになったのです。▽/呼吸こきゅうをつけるにたって、色々いろいろ説明せつめいけました。看護かんごさんからは、「たいていはれるまでくるしいこともあるよ」とわれるし、主治医しゅじい先生せんせいからはほんわたされ色々いろいろ現実げんじつることに。きわめつけは、「外科げか先生せんせい切開せっかいしやすいのどだとってたよ。こえうしなうけど大丈夫だいじょうぶ!」と麻酔ますい先生せんせい。/全身ぜんしん麻酔ますいをかけられ目覚めざめたときは呼吸こきゅうがついていました。地獄じごくからたまさに天国てんごく毎日まいにちのようにあじわっていたあのくるしみから解放かいほうされたんです。呼吸こきゅうけたことによろこびをかんじました。わたしは、これでいのちにはなに影響えいきょうのないからだになったわけです!こうなりゃたかがALS!呼吸こきゅうをつけたことによって身体しんたいらくいのち元気げんきもどしました。そのかわりこえうしない、べることも無理むりになりました。△」(平間ひらま[1998?])

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 [183]関口せきぐち和子かずこ新潟にいがたけん)はいちきゅうきゅうななねんいちがつ症状しょうじょう自覚じかくなながつおっと告知こくちきゅうきゅうねんなながつ、「A先生せんせいわたし到着とうちゃくっていたかのように病室びょうしつ病状びょうじょうについてはなす。そのあと担当たんとうのA看護かんごさんがあらためて和子わこ呼吸こきゅう使用しようするかどうかの意思いし確認かくにん。Fふく婦長ふちょう後半こうはん同席どうせき。/「いたにあってつらかったから、気道きどう手術しゅじゅつはしたくない」というこたえ。」(関口せきぐち[2001:179])きゅうがつななにち和子わこあさボードを使つかって「呼吸こきゅう使つかわない。そのわけは、あたま器具きぐたりによってはいたくなるし、くび左右さゆううごかしてもらわないといたいし、かたかぶとこつたり具合ぐあいいたい。おしりこしたり具合ぐあいいたい。あしひざげてばかりいるとくるしい。ばしてばかりいるとかかとがいたい。こんな状態じょうたいなので、機械きかいちからりてまでベッドで生活せいかつつづけたくない」とうったえる。[…]わたしとしては言葉ことばもない。」(関口せきぐち[2001:193-194])「主治医しゅじい先生せんせい看護かんごさんたちがなんかいいても、呼吸こきゅう使つかうことを和子わこ最後さいごまで拒否きょひつづけた。わたしらした脱脂綿だっしめんかいこういたあと、和子わこかたくちむすんだためそれ以上いじょうくちけなくなったことには、和子わこつよ意志いしがあったのではなかったのか。」(関口せきぐち[2001:341-342])その理由りゆういたみだけだったのかとおっと関口せきぐち和夫かずおかんがえる。あとでまた引用いんようするだろう。

 ■変化へんか

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 [184]中勝なかがちさん[155][163]は、いちきゅうきゅうねんじゅうがつ天理てんりよろづ相談所そうだんしょを「退院たいいんするとき主治医しゅじい先生せんせいから、日本にっぽんALS協会きょうかい近畿きんきブロックの存在そんざいと、近畿きんきブロック会報かいほうおしえていただきました。/退院たいいんすぐに協会きょうかいにはがきをして会報かいほうおくってもらいましたが、すこひらいて写真しゃしんると、みなさん呼吸こきゅうけている姿すがたばかりで、わたし呼吸こきゅうけるのかとおもうと、はやほうがましだとおも呼吸こきゅうけるのはいやだと拒否きょひしました。」(ちゅう[1999?])
 ALSという状況じょうきょう共有きょうゆうするひとたちのあつまりのもつ積極せっきょくてき意味いみをこれからなんることになるが、同時どうじに、その深刻しんこくさがめられ、ちか将来しょうらい自分じぶん予想よそうされ、気持きもちをえさせることもある。やまいひとたちの組織そしき可能かのうせい困難こんなんかんがえるとき、このことを想起そうきすることになるだろう。
 きゅうよんねん十二月じゅうにがつ気管支炎きかんしえんになり[…]診察しんさつけました。[…]わたしは、このときはじめて呼吸こきゅうくるしさを体験たいけんしました。このときから、呼吸こきゅう危機ききかんかんじるようになり呼吸こきゅうけるか、けないかでなやくるしみました。わたしは、まだ呼吸こきゅうける自信じしんがなくて拒否きょひしていました。自分じぶんでも病気びょうき進行しんこうるようにかり、自分じぶん最後さいごときえてきたようながして、最後さいごは、呼吸こきゅう困難こんなんおそわれ、のたうちまわってくるしんでぬのかとおもうと、ぬのがこわくなってきました。/[…]/肺活量はいかつりょう〇〇mlに低下ていかつね息苦いきぐるしさをかんじるようになってきました。/つま子供こどもたち介護かいごのおねがいをして呼吸こきゅうける決心けっしんする。」(ちゅう[1999?])
 「呼吸こきゅうくるしくなってくると、一時いちじ格好かっこうよくにたいとおもったことがありましたが、だんだんと息苦いきぐるしさがしてくると、ぬのがこわくなり、きたいとのおもいがつよくなりました。」「気管きかん切開せっかいするときは、本当ほんとうなさけなくおもなみだました。呼吸こきゅう装着そうちゃくすると、いままで、くるしかったのがウソのようになり、もっとはや呼吸こきゅう装着そうちゃくすればよかったと後悔こうかいしました。」(ちゅう[1999?])

 [185]大川おおかわいたる[66]のいちきゅうきゅうねん文章ぶんしょう。「むねしているとき人工じんこう呼吸こきゅうのこと)、ねむったり、呼吸こきゅうまったらそのままこすな。(ろくがつじゅうはちにち)/このころ新幹線しんかんせんっているようで進行しんこうはやい。みなにもったしがたい。これ以上いじょう進行しんこうすると、ノド切開せっかいして延命えんめい方法ほうほうもあるが、自分じぶん切開せっかいしないからよろしくたのむ。/家族かぞくもよく頑張がんばってくれたがこのやまとうげとおすぎた。自分じぶんだけかえし、家族かぞくべつとうげしてもらう。なにかと世話せわになった。一杯いっぱいのビールをみたかったな。頑張がんばるよ。自分じぶんなにもできん。(ろくがつじゅうきゅうにち)/古江ふるえ故郷こきょう)のはかはいる。はやきたいわ。さようなら。(ろくがつじゅうにち)/気管きかん切開せっかい呼吸こきゅうをつけることか?部屋へやつめたくして、水分すいぶん十分じゅうぶんればすこしはらくになる。(ろくがつじゅうにち)/切開せっかいしても、あとしれているからやめた。くるしいのはふんや、仕方しかたない。先生せんせいらに大変たいへん世話せわになりがたい。おれのいのちだから、おまえらがあまり命乞いのちごいするなよ。むねすようになってからいちげついのちや、頑張がんばってくれ。(ろくがつじゅうろくにち)/おまえたちのことをかんがえて、あまりにもなげやりになっていた つかれもでたからこれからむりだとおもう いみがちがう のどきってがんばるか なるべくじたくかいごおねがいします。(ろくがつじゅうななにち)」(豊浦とようら[1996:45])ななにち呼吸こきゅう困難こんなん緊急きんきゅう入院にゅういんそく気管きかん切開せっかいきゅうにち人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃく

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 [186]「先々さきざき手足てあしうごかなくなりごえなくなったらどうしようと、そのことをかんがえるだけで身震みぶるいするほど恐怖きょうふしんおそわれたが、さりとて自殺じさつするほどの勇気ゆうきはない」(松本まつもと[1995:98])としるした[144]松本まつもとしげるいちきゅうはちはちねん気管きかん切開せっかい。「廣田ひろた先生せんせい血液けつえきって調しらべる。「気管きかん切開せっかいをしましょう」とのこと。/これには勇気ゆうきがいる。いろんなことがあたまなかめぐる。/気管きかん切開せっかいしなければ、いのちはない。ぬのはいやだ。世間せけんでは「人工じんこう呼吸こきゅうけてまできなくても」というこえもあるが、あしわるひとくるまいすを使つかうし、他人たにん心臓しんぞうももらってきようとするひともいるではないか。[…]/しかしいちひるがえって患者かんじゃ心理しんりもどると、複雑ふくざつおもいにられる。あしうごかず、はなすこともべることもできず、このうえさらに人工じんこう呼吸こきゅうにつながれれば、もうなんやくにもたない人間にんげんになってしまうのではないか。存在そんざい価値かちがなく、家族かぞく介護かいご迷惑めいわくばかりかけるのなら、ぬべきではないのか。それが家族かぞくへのおもいやりではないか、とかんがえる。/でもんだらすべてわりだ。きたい。このりたい。/[…]/「人工じんこう呼吸こきゅうけたら、最低さいていねんきるよ」とつまにも相談そうだんする。つまは「当然とうぜんなこと、なせてなるものか」とりきむ。ありがたくて目頭めがしらあつくなる。/[…]/「では、意志いし伝達でんたつができなくなったら、呼吸こきゅうをはずしてくれ」とパソコンでつたえ、気管きかん切開せっかいる。」(松本まつもと[1995:48-50])
 「松本まつもとさんが唯一ゆいいつ弱気よわきせたことがあった。昭和しょうわろくねんなつ気管きかん切開せっかいをするかまよっていたころであった。「人間にんげんには尊厳そんげん権利けんりがあるはずだ。自然しぜんにこのままなせてほしい」と主張しゅちょうされた。そのときおくさんのるいさんは納得なっとくせず、「まだまだきられるのにもったいない、たったひとつの人生じんせいでしょう。頑張がんばらにゃあ」とはげまされた。その一言ひとことで、松本まつもとさんは本気ほんきでALSとたたかう決意けついかためられたのである。」(廣田ひろた[1995:2]、当時とうじ秋田あきた赤十字せきじゅうじ病院びょういん神経しんけい内科ないか部長ぶちょう
 「「ればねんきる、これ以上いじょうまえ難儀なんぎさせたくない」とおっとから相談そうだんがありましたが、呼吸こきゅうきてゆける時代じだいげんきているひともいる時代じだい当然とうぜんきられるかぎきてほしいと、わたし気管きかん切開せっかいつよすすめました。」(松本まつもとるい[1995:297])

 [187]ていきむ信子のぶこ岡山おかやまけん)はいちきゅうはちねんがつ人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃく。「かれに、これ以上いじょう負担ふたんをかけるのかとおもうと、たまりませんでした。わたしいました。/「呼吸こきゅうつけるの、ことわって」/かれはとてもかなしいかおをして、「どうして?」とたずねます。わたしはとっさに、/「自分じぶん最後さいごぐらい自分じぶんめたいもの」/とこたえていました。/「人間にんげんだれも、みなぬんだよ。いつかわからんけど。ぼくだって明日あしたはどうなっているかわからん。つらかろうが、最後さいごまできてくれ。どもたちも、おまえ頑張がんばってくれていることがはげみなんだ」/[…]/どもたちのことをおもうと、むねけるおもいです。ひねくれたかんがえにとらわれていた自分じぶんずかしくおもいました。そして、もう一度いちどきてみようとおもいました。」(じょうきん1987:99-100])

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 [188]鈴木すずきあつし[166]、いちきゅうきゅうよんねんろくがつ。「望月もちづき先生せんせいわたしに/「きていくためにはぎりぎりの肺活量はいかつりょうですね」/「しばらくすると気管きかん切開せっかいをして呼吸こきゅうけなければならなくなりますよ」 とう、ここではじめて気管きかん切開せっかい呼吸こきゅうはなしがでてくる。/そううことなのか、これからわたしきるということは呼吸こきゅうつながれて病院びょういん一生いっしょうらすことなのだ、呼吸こきゅうつながれた自分じぶん想像そうぞうしてみる。いままで自由じゆうらして人間にんげん突然とつぜん自由じゆううばわれ植物しょくぶつ状態じょうたいになる、それでもなおるならまだよい。/なおらぬ病気びょうきかかえて一生いっしょう軟禁なんきん状態じょうたいらすのはえられない。んだほうがましだ。のうかきようかなんおもってはまたかえす。なんかえしてもおなごとだ。おわりいにはどうにでもなれと気持きもちになる。/このころには会話かいわらしい会話かいわまったくできなくなる。はなしをするとむねくるしい。アーとか、ハイとか返事へんじだけにする。一日中いちにちじゅうよこになったまま体力たいりょく消耗しょうもうするのをおさ天井てんじょうらした。/つま佐々木ささき和義かずよしくん呼吸こきゅうのことで電話でんわをする。いまより元気げんきになるから是非ぜひけろと御託宣ごたくせんだ。おれ気持きもちもらないで簡単かんたんってくれるよ。/しかし和義かずよしくんのその一言ひとことのち呼吸こきゅうけるひとつのきっかけにもなる。」(佐々木ささき友人ゆうじん医師いし
 なながつじゅうにち検査けんさのために入院にゅういんをする。おそらく医師いしかんがえでは、そのまま気管きかん切開せっかいをするつもりでいたのだ。/主治医しゅじい志賀しが先生せんせいへとわる。この先生せんせい何事なにごとにも慎重しんちょうやさしくささやくようにはなしをする医師いしで、多分たぶんわたし元気げんきさにほんろうされることになるが、いままでの医師いしなかもっと信頼しんらいしうる医師いしわりはない。再度さいどALSの症状しょうじょう将来しょうらいことまで、ことささやかに説明せつめいする。/最後さいごに、/「呼吸こきゅうをぜひけてください」/と懇願こんがんする。/わたしおどろいた。このように医師いし丁寧ていねいいままでおねがいされたことはない。けるけないはそれだけ重要じゅうようなことなのだ、患者かんじゃきるかぬかの瀬戸際せとぎわたされている。呼吸こきゅうけることを拒否きょひ毎年まいとし全国ぜんこくすうひゃくめい患者かんじゃみずかいのちつとわれている。わたしはコックリとくびたてる。先生せんせい安心あんしんしたのか、緊張きんちょうかおみがこぼれる。」(鈴木すずき[1996])

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 さらに、家族かぞく呼吸こきゅうをつけてきていくことをのぞんでいるが本人ほんにん拒否きょひしており、そこに医療いりょうしゃがより積極せっきょくてき介入かいにゅうしたれいがある。おなほんからの最初さいしょ引用いんよういちきゅうきゅうねんにALSであることをらされたくに方正ほうせいあきら文章ぶんしょうつぎおなねんくにかた入院にゅういんした国立こくりつ療養りょうようしょ高松たかまつ病院びょういん畑中はたなか良夫よしお院長いんちょう文章ぶんしょう、そしてふく院長いんちょう藤井ふじい正吾しょうご文章ぶんしょう
 [189]いちきゅうきゅうねん、「わたしきていることでの家族かぞくのメリットとデメリットをかんがえてたっした結論けつろんさんがつじゅうにち尊厳そんげん宣言せんげん/だが、いちカ月かげつたんまって呼吸こきゅう困難こんなんおちいったとき、「まだ末期まっきではない」とききいれてもらえずたきりに。何分なにぶんなにじゅうふんかわからないが、完全かんぜん意識いしきはなくなっていた。のど切開せっかいして人工じんこう呼吸こきゅう世話せわになる決心けっしんをするまでの日間にちかんしん葛藤かっとうなん年間ねんかんにも相当そうとうするすさまじいものだった。/きゅうおそってきたたきりに、しん準備じゅんびができておらず、精神せいしんてきみははげしく、しばらくはなにをするきなかった。」(くにかた[1993→1999:41-42])
 「よんがつくにかたさんはたんがつまって呼吸こきゅう困難こんなんおちいった。人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃくしないとんでしまう。主治医しゅじい出口でぐち医師いしが、くにかたさんにそのことを説明せつめいした。同意どういられない。わたし説明せつめいした。やはり同意どういられない。血圧けつあつがり、呼吸こきゅう機能きのう最悪さいあくとなり、顔色かおいろ蒼白そうはくになってきた。手記しゅきで、くにかたさんが「意識いしきがなくなった」といているのは、のうない動脈どうみゃく炭酸たんさんガスが最高さいこうまでがり、意識いしき朦朧もうろう状態じょうたいになっていたからである。すると出口でぐち医師いしが、/「人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃくしてたすけられるリミットは、あとふんしかありません」/と悲痛ひつう様相ようそうらせてくれた。わたしは、もう一度いちど同意どういもとめてみよう、それでも同意どういられないならば、院長いんちょうであるわたし責任せきにんで、人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃく強行きょうこうするはらめた。/そのとき出口でぐち医師いしが、「院長いんちょう同意どういしてくれました。うなずいてくれました。おくさんもよろこんでいます」とげにきてくれた。くにかたさんの手記しゅきによると、本人ほんにん同意どういしたのではなく、無意識むいしきにうなずいていたそうである。/このように、なかば強引ごういん人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃくされたかたちくにかたさんだったが[…]」(畑中はたなか[1999:46-47])
 「看護かんごスタッフへの不信ふしんから、この患者かんじゃさんは尊厳そんげんのぞんでいた。だから呼吸こきゅう困難こんなんおちいったときにも、気管きかん切開せっかいこばつづけたのだ。しかし、この患者かんじゃさんは、なかば強引ごういん院長いんちょう説得せっとくされて、人工じんこう呼吸こきゅう生活せいかつはいることになった。」(藤井ふじい[1999:144])

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 [190]後藤ごとう忠治ただはる[148]、いちきゅうきゅうはちねん。「このさきどんなことこるか、家族かぞく負担ふたん不安ふあんいだきながら在宅ざいたくはじまる。いつ呼吸こきゅう困難こんなんになるのか。そのとき呼吸こきゅうけるのか、けないのか。呼吸こきゅう管理かんり家族かぞく出来できるものなのか。/ALSは発病はつびょうねん半数はんすう患者かんじゃくなるとう。それは病気びょうき進行しんこうしてくなるのか、それとも呼吸こきゅうけるのをこばんでくなるのだろうか。いずれにしてもそのときかならずやってる。/そのとき自分じぶんはどうするのか。こんな自問自答じもんじとう毎日まいにちです。」
 きゅうきゅうねんよんがつ後藤ごとう花見はなみった。「患者かんじゃ仲間なかまから花見はなみさそいをける。[…]小野寺おのでらさん、鈴木すずきさん、かずがわさん。みなさんは呼吸こきゅう装着そうちゃくです。[…]みなさんにえたこときるよろこびをり、そして呼吸こきゅうける勇気ゆうきをもらいました。/[…]/じゅうがつじゅうさんにち。あんなになやんでいたのにくるしさにえきれずあっさり呼吸こきゅう装着そうちゃく。」(後藤ごとう[1999])

 [191]柚木ゆずき美恵子みえこ岡山おかやまけん)はいちきゅうはちねんさい発病はつびょうななねん、「入院にゅういんしてまもなく、主治医しゅじい先生せんせいから、将来しょうらいてき呼吸こきゅう状態じょうたいきわめてわるくなったとき人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃくする意思いしがあるかどうかの確認かくにんがなされました。数日すうじつあいだ、いろいろとかんがなやみましたが、人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃくしながらも、なお人間にんげんらしく前向まえむきにきている先輩せんぱい人達ひとたち情報じょうほうまえ、「まだ、にたくない。もっときていたい。」というおもいから、器械きかい装着そうちゃくする意思いしのあることをつたえました。/この人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃく選択せんたくについては、ALS患者かんじゃおおいになやまよいます。器械きかい装着そうちゃく希望きぼうする患者かんじゃがいる一方いっぽうで、「もうこれ以上いじょう家族かぞく迷惑めいわくをかけたくない」とか「人工じんこう呼吸こきゅうをつけてまできたくはない」など、いろいろな理由りゆうで、器械きかい装着そうちゃく拒否きょひする患者かんじゃもいるのです。これまでに、呼吸こきゅう状態じょうたいわるくなり、くるしみあえぎながらくなっていかれたやまいとも何人なんにん見送みおくってきたことでしょう。やりきれないおもいが、むねをしめつけます。/わたしが、人工じんこう呼吸こきゅう装着そうちゃく希望きぼう意思いしつたえてから、ヶ月かげつほどして、わたし睡眠すいみんちゅう呼吸こきゅう困難こんなんとなり、ただちに気管きかん切開せっかい手術しゅじゅつがなされ、よる安全あんぜんのために呼吸こきゅうをつけ、ひるはできるだけはずして自発じはつ呼吸こきゅう頑張がんばる、という生活せいかつはじまりました。」(柚木ゆずき[2001])

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 [192]いちきゅうきゅうよんねん十二月じゅうにがつ国立こくりつ療養りょうようしょ石川いしかわ病院びょういん診察しんさつしつで、西尾にしお知子ともこは「主治医しゅじいから人工じんこう呼吸こきゅうおっといのちあづけるかどうかの選択せんたくせまられた。おっとけんわたるは[…]呼吸こきゅう困難こんなんつづき、一刻いっこく猶予ゆうよもなかった。/[…]/知子ともこけんわたる病名びょうめいはもちろん、なお見込みこみのないことなどをはじめてここでげた。呼吸こきゅう問題もんだいはなった。けんわたる二人ふたりむすめはすでに独立どくりつし、知子ともこにんらし。介護かいご負担ふたん気遣きづかって遠慮えんりょしてはいけないと、知子ともこけんわたるに「わたしのためにけてくれ」とたのむ。けんわたる目前もくぜんにして、はじめて心底しんそこきたいとの渇望かつぼうがわきこる。が、その一方いっぽうで、「迷惑めいわくをかけるだけで、なんやくにもたないものきる価値かちがあるのか。それはエゴで、なま執着しゅうちゃくしているあわれな姿すがたではないか」と、なやむ。/そんなおり見舞みまいに日本にっぽんALS協会きょうかい事務じむ局長きょくちょう松岡まつおか幸雄ゆきお故人こじん)の言葉ことばにん決断けつだんうながした。」(『読売新聞よみうりしんぶん』[1999])
 西尾にしおけんわたる[52]の文章ぶんしょうでは、そのいちつままごさん会社かいしゃひと友人ゆうじん親戚しんせきのことをしるしたのち、それがつぎのようにかれる。「決定けっていけたのは、日本にっぽんALS協会きょうかい事務じむちょうでした。事務じむちょうはわざわざ東京とうきょうから入院にゅういんさき病院びょういんまでたずねてこられ、きることについてかれました。はるさくらなつうみあき紅葉こうようふゆ雪景色ゆきげしき四季しき折々おりおり景色けしきたのしめるではないですか。それときていれば、どんな素晴すばらしいことに出会であうかもしれない。ときているよろこびを強調きょうちょうされたのです。」(西尾にしお[1997])


作成さくせい立岩たていわしん
UP:20020718 REV:20020804,0813,14,20020917,0930,1002,04,06,08,09,10,15,20030106,0311 20050620, 20100918
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