■なおることについての
記述
■「リルテック」
■ラジカット
■
遺伝子医療/ES
細胞/iPS
細胞
■
民間療法
■
ALSとHGF [別頁]
■
新着
◆
安孝淑(アン・ヒョスク) 2014/11/20
「難病と障害の共存」,
障害学国際セミナー 2014,於:イルムセンター(
韓国・ソウル
市)
■なおることについての
記述
◆1973 「
新聞で、
四十八年度の
難病対策として、
私と
同じ
病気名が、
特定疾患に
追加される
記事を
読んで、ほっとすると
同時に、これから
研究が
始まるのでは、
自分の
病気をなおすには、まにあいそうもないような
気がしてきた。
一世紀も
前からあばれまわっている
病気が、
厚生省のいう
五年をめどに
対策を
講じようとしてみても、おいそれとはその
処方が
探れるとは
思われない。かりに、
五年後に
治療法が
見つかったとしても、この
病気の
平均寿命と、
私自身の
病気の
進行速度を
考えてみると、とてもまにないそうにもない。」(
川合[1987:154])
◆1975
年頃 「
日本でALS
治療に
多岐にわたる
薬剤が
試みられたことが…
厚生省研究班の
報告にあります。
副腎皮質ホルモン、タンパク
同化ホルモン、グルカゴンATP+ニコチン
酸、L−DOPA、ペニシリン、グアニジン、CDP−コリン、
抗コリンエステレース
酸、
成長ホルモン、膵エキス、
高圧酸素、
抗結核薬、
塩酸メクロフェキセート、
金属キレー(p.7)ト
剤などです。/しかし、いずれも
少数の
患者さんを
対象とし
治療経験例の
報告で、ALSの
進行を
抑制したり、
長期予後を
改善させたりできるものではありませんでした。」(pp.7-8)
中野 亮一・
辻 省次 20001001 「
気の
遠くなるような
治療研究の
積み
重ね」,『
難病と
在宅ケア』06-07(2000-10):07-10
◆1993
年 「
堰が
切れてワーッと
進み
始めているような
気がしますので、ALSの
治療に
関してかなり
確実なことがわかるのも、あまり
遠い
将来のことではないような
気がします。」
「アメリカにおけるALSの
治療研究」
三本(みつもと)
博『JALSA』028
号(1993/08/31)p.21
◆1993
年 「
知本さんのかかっている
筋萎縮性側索硬化症もこの
難病の
一つで、
現在なお
患者さんの
期待を
背に
鋭意究明の
努力が
続けられ、
今一歩で
解決という
段階に
来ている。」(
知本[1993:4])
知本さんの
戦友として
国立療養所中部病院院長(
前鹿児島大学学長)
井形昭弘pp.3-7
執筆は
一九九三年五月)
◆1994
年 「
柳沢先生のご
講演にもありますように、
今、ALSの
研究が
世界的規模で
進められていて、
治験薬も
次々と
試されつつあります。この
病気の
原因が
究明されるのも
決して
遠くはないと
信じて、
頑張ってゆこうではありませんか。」(
編集後記)
『JALSA』032
号(1994/07/30)
◆
日本ALS
協会の
基金の
多くは
原因究明とそして
治療法の
開発のための
研究に
対して…されている。(
各年度の
件数。
金額。)
◆「
特定疾患調査研究事業を22
年ぶりに
見直し」
『
難病と
在宅ケア』02-01(1996-04):21
◆
立岩 真也 20041115
『ALS――不動の身体と息する機械』,
医学書院,449p. ISBN:4260333771 2940
[amazon]/
[kinokuniya] ※
「
第2
章 まだなおらないこと
1
今のところなおらない
これから
見ていく
告知をめぐる
困難にしても、また
呼吸器を
付けるとか
付けないといったことも、
安楽死にしても、みなALSが
今のところなおらない
病気であることによっているとは
言える。だからなおるようになればよい。それはその
通りだ。ALSが
治療可能になることへの
期待は
強く、その
期待は
多く
語られる。ときには
自分が
新しい
薬の
治験を
受けさせてもらえない
苛立ちが
語られる。
私もなおす
方法が
現れると
思う。
近代医学・
医療は
特定病因論を
前提にするとされる。これは
特定されない
病の
場合には
効力が
弱いということだが、
特定されれば
一定の
力を
発揮しうるということでもある。なぜALSが
起こるのか、その
原因はわかっていない。しかし
何が
起こっているかははっきりしている。
側索(そくさく)とは
脊髄の
中の
錐体路で、
大脳皮質から
手足の
筋肉を
動かす
命令が
通る
通路である。この
側索の
髄鞘(ずいしょう)の
消失・
脱髄が
起こり、
脊髄の
運動神経、
前角細胞が
消失してしまう。そして
筋肉が
萎縮していく。
起こっていることは
特定されているのだから、やがて
少なくとも
直接の
原因、
症状発生の
機序はつきとめられるだろう。その
特定によって
治療法が
見つかるだろう。あるいは
原因解明に
先んじ、
様々な
処方のいずれかが、
時にその
機制はよくわからないまま
有効であることが
明らかになるだろう。
しかしこれまでのところ
治療法はなく、
今はなおらない。
様々な
病がそうであったように、あるように、これまでも
様々な
治療法が
試みられてきた。また
研究がなされてきた。
【73】
一九七三年。《
新聞で、
四八年度の
難病対策として、
私と
同じ
病気名が、
特定疾患に
追加される
記事を
読んで、ほっとすると
同時に、これから
研究が
始まるのでは、
自分の
病気をなおすには、まにあいそうもないような
気がしてきた。/
一世紀も
前からあばれまわっている
病気が、
厚生省のいう
五年をめどに
対策を
講じようとしてみても、おいそれとはその
処方が
探れるとは
思われない。かりに、
五年後に
治療法が
見つかったとしても、この
病気の
平均寿命と、
私自身の
病気の
進行速度を
考えてみると、とてもまにないそうにもない。》(
川合[1987:154]。
初版は
川合[1975])
【74】
七五年頃。《
日本でALS
治療に
多岐にわたる
薬剤が
試みられたことが[…]
厚生省研究班の
報告にあります。
副腎皮質ホルモン、タンパク
同化ホルモン、グルカゴンATP+ニコチン
酸、L-DOPA、ペニシリン、グアニジン、CDP-コリン、
抗コリンエステレース
酸、
成長ホルモン、膵エキス、
高圧酸素、
抗結核薬、
塩酸メクロフェキセート、
金属キレート
剤などです。/しかし、いずれも
少数の
患者さんを
対象とした
治療経験例の
報告で、ALSの
進行を
抑制したり、
長期予後を
改善させたりできるものではありませんでした。》(
中野・
辻[2000:7-8])
ALSの
人の
集まりでは
医師が
講演に
呼ばれ、どこまで
解明が
進んだといった
話をすることが
多い。
【75】
九三年。《
堰が
切れてワーッと
進み
始めているような
気がしますので、ALSの
治療に
関してかなり
確実なことがわかるのも、あまり
遠い
将来のことではないような
気がします。》(
三本[1993:21])
【76】
九三年。《
知本さんのかかっている
筋萎縮性側索硬化症もこの
難病の
一つで、
現在なお
患者さんの
期待を
背に
鋭意究明の
努力が
続けられ、
今一歩で
解決という
段階に
来ている。》(
井形[1993:4]。
井形は
知本[42]の
入院先の
国立療養所中部病院の
院長)
【77】
九四年。《
柳沢先生のご
講演にもありますように、
今、ALSの
研究が
世界的規模で
進められていて、
治験薬も
次々と
試されつつあります。この
病気の
原因が
究明されるのも
決して
遠くはないと
信じて、
頑張ってゆこうではありませんか。》(『JALSA』32の
編集後記。
講演は
柳沢[1994]、[114]に
一部引用)
【78】
九五年。《すべての
面において
一〇
年前とは
明らかにこの
方面は
進歩していると
思います。また、
今後わずかの
間に
驚くような、うれしい
局面が
展開する
予感がしています。》(
糸山[1995:13]。
日本ALS
協会総会記念講演の
結語)」(
立岩[2004])
■「リルテック」
◆
『JALSA』035
号(1995/00/00)
欧米でのリルゾールの
治験結果出る
◆
『JALSA』042
号(1997/12/22)
□ 「
小諸介護研修合宿 於
長野佐久市ホテル・ゴールデンセンチュリー
平成九年六月二八・
二九日
―
質疑応答―
二日目「
懇談会」より(
前日配布の
質問票をもとに)
第一部
一。
治療薬について
Q。リルゾールが
韓国から
入手できると
聞くが、それについての
考えを
聞きたい。
A。
協会として、
来年度には
日本でも
認可されるよう、
厚生省に
要請していく。」(p.28)
◆1998/12/02
中央薬事審議会常任部会議事録
http://www1.mhlw.go.jp/shingi/s9812/txt/s1202-3_15.txt
実名は
隠されている
委員は
冒頭次のように
言う。「
日本での
症例数は、
患者さんの
会その
他の
話では
恐らく
年間2000〜3000
人ぐらいの
新しい
患者ですが、
実際にいったん
発症すると
非常に
予後がよくなくて、
大体一年から
一年半くらいで
亡くなる
非常に
進行性の
病気でありまして、やはりそれに
対する
治療が
必要であるが、
薬がないという
悲惨な
状況であろうと
思われます。」
「
結論的には
私も
賛成です。ただ、
今はALSの
場合だから
余り
有効性がはっきりしないけれども、ほかに
薬がないからやむを
得ず
承認してしまおうということだと
思います。」
◆
『JALSA』045
号(1998/12/10)
「リルゾールの
輸入漸く
承認
12月2
日、
厚生省の
中央薬事審議会常任部会は、ALSの
医療機関用の
治療薬として、「リルゾール」(アイルランドで
製造)の
輸入を
承認しました。
欧米では、1996
年から
発売、
使用されているこの「リルゾール」の
薬効は、
場合により、ALSの
進行を
約3か
月抑制する
効果がある
程度といわれている
一方、
肝障害といった
副作用の
問題もあり、とうてい
満足する
訳にはまいりませんが、
何はともあれ
初の
治療薬として
承認されたことは
喜ばしい
限りです。
いつから、どのようにして、
利用できるかですが、これから
薬価等が
審議されるため、まだ
明らかではありません(
順調に
手続きが
進めば、
明春からとの
観測情報)。
事務局としては、
現に
個人輸入に
多額を
投じている
方が
少なくないことでもあり、
厚生省と
連絡を
密にして、
詳細確報の
把握に
努める
所存です。」(p19)
◆
佐藤 猛(
国立精神・
神経センター
国府台病院名誉院長) 1999/03/09
「ALSの
治療薬:リルテックについて」
『JALSA』(1999/04/08)046
号:04
http://www.als.gr.jp/public/pub04/main.html
「
筋委縮性側策硬化症(ALS)の
治療薬剤として、
今回リルテック
錠50(
一般名:リルゾール、
販売会社:ローヌ プーラン ローラー)が
保険薬として
認められ、3
月末には
発売される
見込みとの
発表がありました。
以前から
患者さんの
問い
合わせが
多く、
期待しておられた
方もおられると
思いますので、
文献とメーカーから
得た
資料をもとに、リルテックについて
説明いたします。[…]
進行が
止まったり、
筋力が
元のように
回復することはありません。
従って、この
薬に
過度の
期待を
寄せることはできません。ALSでは、
他に
有効な
薬剤は
未だなく、
欧米でリルテックが
認可されているのなら、
効果が
僅かでも
服用したいと
希望する
患者さんが
多いと
聞きます。
発売後の
調査の
中で、
日本におけるこの
薬の
有効性を
確認する、という
条件で、
厚生省が
認可を
与えたとのことです。」(
佐藤[1999])
◆
後藤忠治
http://www.isn.ne.jp/~tm-gt/toubyou/pasokon.htm
パソコンと
呼吸器・・・・1999
年(
平成11
年)
「
川島先生より[リルテック]の
個人輸入の
説明を
受ける。「
過剰に
期待しないように」との
説明もあったがその
場で
手続きをお
願いする。ほんの
少しでも
可能性があれば
験してみたい。
四月から
保険で
服用できるとの
事だがそれまでまてない。
後日手続きに
時間がかかり
三月にずれ
込むとの
連絡が
入りそれならば
四月まで
待った
方がいいという
事になり、
個人輸入は
見送る
事にする。
四月。
待ちに
待った[リルテック]。
過剰に
期待しないようにとの
説明であったがどうしても
期待してしまう。
副作用の
説明もあったがそんな
事は
眼中に
無い。ただひたすら
効く
事を
祈るだけです。」
◆
『JALSA』047
号(1999/06/12)
□「
平成11
年度総会開く
〔…〕
一、
松本会長挨拶
[…]
この
四月からALS
治療薬としてリルゾールが
認められましたが、
日本の
治験成績から
見るとあまり
芳しくないようです。それでも
特効薬を
待ち
望んだ
患者にとっては
一つの
光明であります。これをバネに
原因、
治療法の
研究のスピード
化を
厚生省にお
願いしなければなりません。
そして、
本当にALSが
治る
特効薬が
開発されるまでは、せめて
療養環境を
整備して、
安心して
療養生活が
送れるようにと、
強く
訴えつづけたいと
思います。」
[…]
二、
議事
(
一)
平成十年度活動報告
〔…〕
○
次に
対外面では、@
初のALS
薬品リルテックの
輸入が
承認され、この
四月から
適合する
患者さんに
処方されることとなりました。」(p.7)
◆
日本神経学会 2002 「ALS
治療ガイドライン」より
http://www.neurology-jp.org/guideline/ALS/4_10.html
「X.
薬物療法(リルゾール)
ALSに
対するリルゾール(リルテックR)
治療の
報告
ALSに
対するリルゾール
治療の
報告は
国内外で120
以上の
論文がある.ALS
全体に
対する
効果についての
報告のほか,
投与量と
効果の
関係,
特定症状に
対する
効果,
副作用,
患者の
同意,などについての
報告があるが,
総説も
多い.
効果
欧米で
施行された
最初の
臨床試験(155
例,Bensimon et al. 1994)では,ALS
患者の
生存期間が
延長し,
特に
球型でより
明らかであった.また
筋力低下の
進行速度が
遅延したとの
知見も
得られた.その
後に
実施されたより
大規模の
試験(959
例,Lacomblez et al. 1996a)では,
球型・
四肢型ともに
生存期間の
有意な
延長が
認められた.ただし
徒手筋力やNorris scaleなどの
機能評価では
増悪速度の
遅延は
確認できなかった.
同じ
研究グループによるメタアナリシス(Lacomblez et al. 1996b)では
投与量と
効果の
関係を
検討し,
一日量50mgよりも100mg,200mgでより
有効であった.
生存率が80%,70%,60%になるまでの
期間をみると,リルゾール100mg・200mg
投与でいずれも
約3
ヶ月延長した.
同じ
症例を
用いたADLに
注目した
重症度解析(Riviere et al. 1998)では,
重症者には
明らかな
効果がなかったが,
軽症例では
重症化への
進行が
遅れたという
結果が
得られた.
一方,
日本人患者を
対象にした
臨床試験(195
例,
柳澤,
他 1997a)が
行われたが,
生存期間は
全体としても,また
臨床型別・
投与量別に
検討してもplacebo
群との
間に
全く
差はなく,
有意な
効果は
認められなかった.
欧米・
日本の
不適当症例を
除いた100mg
投与の
全患者を
対象にしてメタアナリシス(828
例,
柳澤,
他 1997b)が
行われ,
生存期間の
有意な
延長が
確認された.ただし
重症度別に
解析すると,high risk
群でのみ
生存期間の
延長が
確認された.
いずれの
臨床試験も
一次評価項目は
死亡や
気管切開までの
期間などであり,
実質的な
生存期間が
評価された.
試験結果の
違いについては,
患者の
重症度や
評価の
感受性などの
問題のほか,
治療・ケア
体制,
家族の
対応,などの
要素も
考慮に
入れる
必要がある.
副作用
すべての
臨床試験を
通じて,
重篤な
副作用はみられない.
比較的頻度の
高いものとして,
悪心,
嘔吐,
下痢,
食欲不振などの
消化器症状,
眠気,
無力感,めまい,錯
感覚などの
神経症状,
検査では
肝機能障害(GOT,GPT),
貧血などが
報告されている.
臨床試験に
参加した
症例の
最も
多いLacomblez et al.の
報告(959
例)を
下記に
示すが,その
他の
報告でもほぼ
同様の
結果である(
柳澤,
他 1997a,Roch-Torreiles et al. 2000,Pongratz et al. 2000,Scelsa et al. 2000).
消化器症状はplacebo
群でも
数%〜10
数%の
頻度でみられたが,50mgでは
殆ど
変化がなかった.
悪心,
嘔吐は100mgでplacebo
群に
比べて
増加(それぞれ
約20%,5%),200mgでも
差はなかった.
食欲不振,
下痢は200mgで
増加したが10%
未満である.
神経症状は
傾眠,しびれが100mg
以上で
出現し,200mgでは
更に
増加したが,200mgでも
数%
以下であった.めまいは200mgで10
数%みられた.
検査所見ではGPT
増加(
正常上限の5
倍以上)は50mgで5%,100mg 7%,200mg 12%と
投与量と
共に
増加した.GOTには
明らかな
増加(
正常上限の3〜5
倍以上)は
見られなかった.
貧血(Hbで10g/dl
以下)は50mgで1%
以下,100mg 3%,200mg 6%とやはり
投与量と
共に
増加した.
患者の
同意
リルゾール
治療についての
患者の
同意の
問題が
報告されている(46
例,Rudnicki 1997).リルゾール
治療について,
寿命延長効果は
平均3
ヵ月であること,
筋力・
呼吸などの
進行は
変わらないこと,さらに
必要経費,
副作用について
説明したあと,
治療に
同意するかどうかが
調査された.その
結果,
治療に
同意した
人17
例(37%),
同意しなかった
人29
例(63%)であった.
同意しなかった
人の
第一の
理由は
効果が
乏しいことだった.
調査は
米国で
行われたもので,
病名告知についての
日米の
差を
考慮する
必要があるが,リルゾールの
効果がかなり
限定されたものであること,
重篤とはいえないが
副作用は
起こる
可能性があることから,リルゾール
治療についての
患者の
同意は
必要であろう.
リルゾール
治療のガイドライン
治療の
妥当性
治療することが
望ましい.
ただし
効果は
顕著ではない.その
旨を
伝えた
上での
患者の
同意が
必要.
努力性肺活量が60%
以下の
患者では
効果が
期待できないので
投与しない(
厚生労働省).
標準投与量
100mg/
日.
最初は50mg/
日から
始めることが
望ましい.
200mg/
日の
効果は100mg/
日とほぼ
同様であり,
副作用は200mgで
増える.
禁忌
リルゾールに
対するアレルギーを
有する
患者
副作用
重篤な
副作用なし.
頻度の
比較的高いもの
消化器症状:嘔気,
嘔吐,
下痢,
食欲不振
神経症状:
無力感,めまい,錯
感覚
検査異常:
肝機能障害(GOT,GPT),
貧血,
好中球減少
使用上の
注意
治療前および
治療中に
定期的に
血算,
肝機能検査を
行う.
肝障害を
起こし
得る
薬剤の
併用に
注意する.
肝・
腎機能障害,
感染症患者は
慎重な
投与が
必要.
文献
Bensimon G, Lacomblez L, Meininger V, et al.: A controlled trial of riluzole in amyotrophic lateral sclerosis. N Engl J Med. 1994; 330: 585-591 (Ib, 155
例)
Galer BS, Twilling LL, Harle J, et al.: Lack of efficacy of riluzole in the treatment of peripheral neuropathic pain conditions. Neurology. 2000; 55: 971-975 (Ib, 43
例)
Lacomblez L, Bensimon G, Leigh PN, et al.: Dose-ranging study of riluzole in amyotrophic lateral sclerosis. Lancet. 1996a; 347: 1425-1431 (Ib, 959
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Lacomblez L, Bensimon G, Leigh PN, et al.: A confirmatory dose-ranging study of riluzole in ALS. ALS/Riluzole Study Group-II. Neurology. 1996b; 47: S42-50 (Ia, 959
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Pongratz D, Neundorfer B, Fischer W: German open label trial of riluzole 50mg b.i.d. in treatment of amyotrophic lateral sclerosis (ALS). J Neurol Sci 2000; 180: 82-85 (919
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田代邦雄,
東儀英夫,
他:
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例)
柳沢信夫,
田代邦雄,
東儀英夫,
他:
筋萎縮性側索硬化症に
対するRiluzoleのメタアナリシス.
医学のあゆみ 1997b;182:867-878(Ia,828
例)」
◆2004/09 ALS
治療薬/リルテック
製品情報
http://www.als.gr.jp/staff/RILU/rilu_02.html
Live Today For Tomorrow ALS
筋委縮性側策硬化症の
疾患治療に
関する
情報プログラムより
開発の
経緯
リルテック(
一般名:リルゾール)は,フランスのローヌ・プーラン ローラー
社(
現サノフィ・アベンティス
社)において
開発された,
神経細胞保護作用を
有するベンゾチアゾール
系の
合成化合物であり,
グルタミン酸作動性神経において
グルタミン酸伝達を
抑制します.
リルテックの
薬理学的作用は1980
年代初頭から
検討され,
海外での
第I
相,また,
筋萎縮性側索硬化症(ALS:amyotrophic lateral sclerosis)を
対象とした
第II
相及び
第III
相試験の
成績を
評価・
検討した
結果,
本剤の
有効性と
安全性が
認められました.
本邦においては1993
年より
第I
相に
引続き
第III
相試験が
開始され,
同年11
月にALSを
対象とした
希少疾病医薬品(オーファンドラッグ)の
指定を受 け,1998
年12月にALSの
治療,ALSの
病勢進展の
抑制を
効能・
効果とした
輸入承認を
得て,1999
年3
月よりローヌ・プーラン ローラー
株式会社(
現サノフィ・アベンティス
株式会社)より
発売するに
至りました.
本剤は
既に
米国をはじめ
世界40
ヵ国以上で
発売されています.
◆
立岩 真也 20041115
『ALS――不動の身体と息する機械』,
医学書院,449p. ISBN:4260333771 2940
[amazon]/
[kinokuniya] ※
「
比較的近いところでは、「リルテック(
一般名:リルゾール)」という
薬が
使われるようになった。ALSでは、
神経伝達物質である
グルタミン酸の
過剰分泌が
運動神経細胞の
変性を
起こしていると
考えられるのだが、リルテックは
グルタミン酸の
分泌を
抑える
作用を
有する
薬で、
米国、フランス
等でALSの
治療薬として
承認された。
初期の
紹介として
例えば
以下。
【79】
九四年、
九六年の
論文を
紹介し、《
約三ケ月の
延命効果があったとも
言える。この
結果が、ただ
今現在ALSを
患う
患者にとって、とても
満足できるものでないことは
言うまでもない。しかし、ルー・ゲーリックが
逝いて
五四年目にして、
初めてALS
患者を『
治療』できる
薬が
開発されたという
意味では、
歴史的に
偉大な
一歩と
言えるであろう。/ALSの
究極の
原因がわかっていないこともあり、リルゾールがどうして
治療効果があるのかということは
十分にはわかっていないが[…]》(
西野[1997:11])
その
後、
日本でも
使用が
認められることになった。
【80】
一九九八年一二月二日、
中央薬事審議会常任部会。
実名は
伏せられている
委員は
冒頭次のように
言う。《
日本での
症例数は、
患者さんの
会その
他の
話では
恐らく
年間二〇〇〇〜
三〇〇〇
人ぐらいの
新しい
患者ですが、
実際にいったん
発症すると
非常に
予後がよくなくて、
大体一年から
一年半くらいで
亡くなる
非常に
進行性の
病気でありまして、やはりそれに
対する
治療が
必要であるが、
薬がないという
悲惨な
状況であろうと
思われます。》(
中央薬事審議会常任部会[1998])
毎年二〇〇〇から
三〇〇〇
人は
多すぎ、
一年から
一年半は
短すぎる。
今は
間違いとされていても、かつては
正しいとされていたことがあり、その
時点で
捉えれば
間違いと
断ずるのが
難しい
場合も
時にはある。しかし、
右は
明らかな
間違いな
部類に
属する。
【81】 《ALS(
筋萎縮性側索硬化症)という
恐ろしい
病気があります。それに
罹ると、
運動神経細胞が
萎縮して
全身不随となり、やがて
死に
見舞われるという
難病です。
日本でも
遠からず
流行しそうな
兆候があり、
医学界が
急いで
対策を
研究しているというニュースが
最近テレビで
報道されました。》(
松田[1997:143]。Schwartz[1996=1997]の「
訳者あとがき」の
書き
出し)
私がこれまで
読んだなかではこの
記述が
最もよく
間違っているのだが、それに
比べればたしかに
中央薬事審議会常任部会での
発言[80]の
方が
水準が
高いと
言うべきか、どちらとも
言えないと
言うべきか、ともかく
説明はなされ、
使用が
承認されることにはなる。
委員の
一人は
次のように
発言する。
【82】 《
結論的には
私も
賛成です。ただ、
今はALSの
場合だから
余り
有効性がはっきりしないけれども、ほかに
薬がないからやむを
得ず
承認してしまおうということだと
思います。》(
中央薬事審議会常任部会[1998])
海外の
実験では
部分的な
有効性が
認められたが、
国内の
治験では
有効性は
見出されなかった(
関連した
研究結果の
概要は
日本神経学会の『ALS
治療ガイドライン』(
日本神経学会[2002])に
要約されている)。それほどの
効果は
見込めないが、
保険薬として
認められ、
一九九九年三月に
発売になった。
【83】 すぐにこの
薬について
説明を
求められ、
佐藤猛(
国立精神・
神経センター
国府台病院名誉院長)はALS
協会の
機関誌に
寄稿する。その
説明自体は、
妥当な、
穏当なものである。《
進行が
止まったり、
筋力が
元のように
回復することはありません。
従って、この
薬に
過度の
期待を
寄せることはできません。ALSでは、
他に
有効な
薬剤は
未だなく、
欧米でリルテックが
認可されているのなら、
効果が
僅かでも
服用したいと
希望する
患者さんが
多いと
聞きます。
発売後の
調査の
中で、
日本におけるこの
薬の
有効性を
確認する、という
条件で、
厚生省が
認可を
与えたとのことです。》(
佐藤[1999])
保険薬に
認められる
前には、
幾つかの
手続きを
踏んだ
上で
医師が
個人輸入するという
手段がとられた。
【84】 《
私自身が
個人輸入を
申請したALS
患者さんは
五名です。[…]わたしから
勧めたことはありません。それはたとえ
呼吸不全に
陥る
時期が
数カ月延びることが
期待できても、それまで
毎月一〇
万円ずつの
自己負担になってしまい、それだけのお
金があればQOLをよくするために、
例えば
動けるうちだったら
旅行したり、
介護人を
多く
雇って
家族の
負担を
少なくしたほうにお
金を
費やすのが
有益と
思われるからです。/しかし、どうしてもリルゾールを
服用したいと
遠くから
訪ねてこられる
方がいます。
期待される
効果がわずかであること[…]を
説明し[…]》(
吉野[1999:10])
【85】 《
川島先生よりリルテックの
個人輸入の
説明を
受ける。「
過剰に
期待しないように」との
説明もあったがその
場で
手続きをお
願いする。ほんの
少しでも
可能性があれば
験してみたい。
四月から
保険で
服用できるとの
事だがそれまでまてない。/
後日手続きに
時間がかかり
三月にずれ
込むとの
連絡が
入りそれならば
四月まで
待った
方がいいという
事になり、
個人輸入は
見送る
事にする。/
四月。
待ちに
待ったリルテック。
過剰に
期待しないようにとの
説明であったがどうしても
期待してしまう。
副作用の
説明もあったがそんな
事は
眼中に
無い。ただひたすら
効く
事を
祈るだけです。》(
後藤忠治[67]のホームページ、
後藤[2000a])
【86】 《
私がリルテックのことを
知ったのは、
昨年の
初めころだったと
思う。
新聞を
読んでいてALS
治療薬の
記事を
見つけた。
外国ではすでに
使われていたが
我が
国では、
厚生省が
使用を
認めていなかった。/しかしこの
四月から
移入が
認められ
使用が
許可されると
言うことである。/
次の
受診日、
私はその
記事を
先生に
見せて
詳しいことを
知りたいと
頼んだ。/
先生も
薬のことはよく
知っておられたが、
国内での
使用例もなく、まだ
取り
寄せることも
出来ないのでよく
調べてみますと
言うことだった。/ただ
治療薬ではなく
症状が
進むのを
遅らせると
言うだけで、
副作用も
考えられあまり
期待しない
方がよい、と
言うことだった。/しかし
病人としては
藁にもすがる
思いで、
使用できるようになったら
手配してほしいと
頼んだ。
少しでも
病状が
進まなければいい、そのためには
進んでからでは
遅い、
少しでも
早いほうがよいと
思った。/
六月の
始め、
先生からリルテックの
話があった。そして
薬の
説明書を
貰った。/
家に
帰って
読んでみたが
専門用語が
書いてあってよくはわからない。/しかし、どのような
副作用があるかはよく
解かった。
胸のむかつき、
下痢、
人によっては
便秘の
症状が
出ると
書いてある。そして、
副作用だけ
出て
薬が
効くかどうかはわからない。
先生には、
自分の
責任で
飲むから、
手配していただくようにと
頼んだ。/
説明書くらいの
副作用ならかまわないと
思った。
効かなくてもともと、そのときはやめればいいではないか、
効けばもうけもの、
後の
人の
参考にもなる。/
七月の
中頃から
服用が
始まった。
治療らしい
治療である。
一日二回、
朝晩、
食前一時間前の
服用である。
飲み
始めて
二日目、
早くも
副作用の
症状が
出始めた。
胸がむかつく、
気持ちが
悪い、でも
食欲はあった。
食べることに
支障はない。このくらいの
副作用ならどうと
言うことはない、それに
時間も
短く、
少しくらいあった
方が
薬が
効いている
気がした。》(
東畑[2001])
【87】
一年後、
二〇〇〇
年。《
服用を
始めて
一年になる。その
効果については
誰にもわからない。
先生のはじめの
説明で、「
症状を
改善する
薬ではない。
少しでも
病気の
進行を
抑えられればよい
位の
気持ちで
服用してください。」との
説明であったが、
現在と
服用はじめの
状態を
比べてみても、わずかな
進行は
感じられるがほとんどわからない。/
飲んでいるからこの
程度なのか、
飲まなくても
変わらなかったのか、
私にもわからない。でも
服用を
始めてしまったのだから、やめる
勇気もない。
幸い
副作用は
何も
感じられない。/
今後も
服用を
続けるより
仕方ないだろう。》(
東畑[2001])
リルテックは――やはり、と
言ってよいか――どうやらさほど
効かない、ということになった。
【88】 《ALSは
治療といえる
程の
効果をもつ
薬が
存在していないのが
残念なことなのですが、
現状なのです。/ですから、
新しく
登場したこの
薬には、
当然大きな
期待が
寄せられるのです。この
薬の
効果については
海外でも
日本でも
患者さんに
投与して
検討されていますが、その
結果を
見るかぎり
病気を
治すという
効果は
期待できません。》(
中原[2001:40-41])
【89】 《この
薬は
比較的早期のALSに
対して
病勢を
弱くする
効果がある。ただし
残念なことに
完全に
病気の
進行を
抑制したり
筋力を
回復したりすることは
望めない。》(
石垣・
祖父江[2003:59])
■「ラジカット」
◆「
国立精神・
神経センター
国府台病院 ALS
医療相談室ALS
臨床試験(プラセボ
対照二重盲検試験)
参加者募集[
募集終了致しました]」
http://www.ncnp-k.go.jp/hospital/kohnodai/als/alsrinsyoh.html
◆
小谷野 徹(
千葉県)・『
光の
音 風の
音』 20020810-
http://members.jcom.home.ne.jp/pinwheel/
「
私のALSくろにくる」
http://members.jcom.home.ne.jp/pinwheel/chronicle.htm
http://members.jcom.home.ne.jp/pinwheel/als2001.htm
11月にホームページで
知る。
http://members.jcom.home.ne.jp/pinwheel/als2002.htm
「2002
年 生活の
変容
10
月 今月から
国府台病院で、
自費で「ラジカット」の
投与を
受けることにした。
月曜から
金曜までの5
日間を
隔週で
通院する
予定。
抗生物質ミノマイシンも
飲み
始める。
今のところ
自覚できるような
症状の
改善は
見られないが、しばらくは
続けて
見ようと
思う。
今月に
入って
室内で
二度転倒した。
幸いけがはないが
室内の
歩行もおぼつかなくなってしまった。
両腕に
続いて、
両足の
運動機能も
風前のともしびとなってきた。
[…]
11月 11
月9
日船橋市のアンデルセン
公園に
行った。
肌寒い
一日だったが、
深まる
紅葉の
中を
久しぶりに
散歩した。
帰りには
中華レストランで
外食も
楽しめ、
楽しい
一日となった。
今月もラジカットの
自費投与を
二週間続けたが、
病気はますます
進行している。
寒さのせいだろうか?
両手麻痺のため
布団がかけられず
苦労していたがハロゲンヒーターを
購入し
布団代わりに
使いはじめたら、
非常にあたたかく
重宝している。」
◆
藤本栄『ALSを
楽しく
生きる』
http://www.ailife.co.jp/als/als_enjoy.html
http://www.ailife.co.jp/als/rajicut.html
◆
立岩 真也 20041115
『ALS――不動の身体と息する機械』,
医学書院,449p. ISBN:4260333771 2940
[amazon]/
[kinokuniya] ※
「
次にラジカット(
商品名、
一般名はエダラボン)が
試用されはじめた。この
薬は
二〇〇
一年に
急性期の
脳梗塞に
伴う
症候、
機能障害の
改善に
効果のある
薬として
承認され、
六月から
販売、
医療保険も
使える(ALSの
場合は
自己負担になる)。
吉野英(
当時千葉県市川市の
国立精神・
神経センター
国府台病院神経内科、その
後徳洲会グループ
治験センター
長)[84]が
病院の
倫理委員会に
二〇〇
一年七月に
申請、
一二月に
許可され、
臨床試験(プラセボ
対照二重盲検試験)を
開始した。
実薬を
投与される
人と
偽薬(
生理食塩水)を
投与される
人がいるが、どちらを
投与されるかわからない。
五〇
人に
五日間連続を
四回。その
後希望者には
実薬を
一四日連続で
投与するというもの(
吉野[2002a][2002b])。
【90】
中村修一(
新潟県)は
吉田雅志[63]のホームページ(
吉田[1996-])で
臨床試験の
開始を
知り、ALS
協会新潟県支部で
話をし、
参加を
勧められた。
二〇〇
二年一月二五日から
二月八日まで
試験に
参加。
中村の
場合は、《
今回、
二週間という
限られた
日数の
入院の
治療薬検討試験では、
私には、
残念ながら
目に
見えての
効果は
無かったみたいです。》(
中村[2002])
他に、
国府台病院に
通院し
自費で
薬を
投与した
小谷野徹の
報告(
小谷野[2000-])、
藤本栄の
報告(
藤本[200?])
等がある。
前者は
効果は
見られないようだと、
後者は
効果があると
記している。ただ
少なくともこの
薬によって
顕著な
効果があったとはやはり
言えないようだ。
ALSに
効果があることの
利益は
大きいと
考えられているから、
副作用がそれほどないと
思われる
場合には、それは
気にかけられない[85][86]。ただ、ラジカットについては、
脳梗塞の
人に
使った
場合に
急性腎不全の
副作用があることがわかり
死亡例が
報告された。このことに
言及している
人もいなくはない。
【91】
二〇〇
三年一〇
月三一日。《ラジカットで
死者一五人とテレビで
報じている。すぐに
山本先生に
情報公開をお
願いした。[…]/
一一月一一日 夕方山本先生回診に
見える。
先日の
情報公開の
件予想していた
通り
満足な
回答得られず。まああんなもんだろう。
結局このへんでは
死亡者はゼロでしたというだけ。これで
情報を
公開したと
思っているんだろうか。》(
宮本[2004])」(
立岩[2004:])
■
遺伝子医療/ES
細胞/iPS
細胞
◆
『JALSA』023
号(1991/10/25)
「
家族性ALSの
起因となる
遺伝子座と21
番染色体の
連鎖と
遺伝座位の
異質性について」
◆
『JALSA』031
号(1994/03/25)
ALSの
遺伝子解析――
病因解明への
道
◆
『JALSA』054
号(2001/10/10)
「ALS
原因遺伝子を
特定」 35
新聞記事紹介
◆
『JALSA』062
号(2004/04/28)
□「チャンスの
神様
ゲノム
解析、もう
採血はお
済でしょうか?
たった14ccでも、
患者である
方にしかできない
大仕事です。
一月の
厚労省ALS
新規治療法研究・
糸山班の
会議の
後、
佐藤猛先生から、「
橋本さんには
難しいでしょうから」と
解説のお
手紙を
頂きました。
冒頭に「
日本の
基礎医学の
分野はすばらしい。
六〜
七年で
成果が
出ているので、
希望を
持って
頑張りましょう」という
内容が
記されていました。
時を
違わず
郭先生のチームからは、「ALS
原因究明に
糸口発見」のニュース。
これでゲノム
解析が
進めば、
多方面から
頂上を
目指せます。
「ゲノム」と「AMPA
受容体」
二つのチャンスに
巡り
合えたのは、
今を
生きる
今の
患者だけ。
後追い
禁物、チャンスの
神様には
前髪しかありません。
だから
力を
合わせてガッチリ
掴まえ、
一緒に
未来を
見つめましょう。
会長 橋本 操」(p0)
◆
立岩 真也 20041115
『ALS――不動の身体と息する機械』,
医学書院,449p. ISBN:4260333771 2940
[amazon]/
[kinokuniya] ※
「
現在では
多くの
人が
遺伝子医療技術や
胚性幹細胞(ES
細胞)を
用いた
再生医療技術に
期待している。
【92】 ALSになった
眼科医の
文章から。《ALSの
患者の
心には、
医師に
対する
不信感が
垣間見えます。なぜなら、
治してもらえないことを
知っているからです。/
私たちの
切実な
願いは
一つ。「
抜本的な
治療法の
確立」です。
例えば
神経幹細胞の
移植が
可能になれば、ALSを
治せるかもしれません。》(
渡辺[2003:343-344]。
初出は『
山形新聞』
二〇〇
一年一一月一五日)
遺伝子医療の
可能性に
関わるような
発見の
報道も
時々なされる。
例えば
二〇〇
一年一〇
月、
原因となる
遺伝子の
一つを
東海大学などの
研究グループが
発見したと
報じられた(『JALSA』54:35に「ALS
原因遺伝子を
特定」という
見出しで
新聞記事の
紹介)。これはALSのごく
一部を
占める
子どもの
頃に
発症する
劣性遺伝型のALSについての
発見で、それを
伝えない
報道もあったから
誤解も
生じさせた★01。だが
誤解の
分は
差し
引いても、
遺伝子の
解明は
期待を
抱かせる。
医学者もそれを
言う。
【93】 《
近年、
生命科学は
大きな
進歩を
遂げ、
遺伝子治療や
幹細胞移植などの
研究・
技術進歩にはめざましいものがある。こうした
生命科学の
進歩がALSという
病気を
完全に
治療可能な
病気にする
日がやがて
来るものと
信じている。》(
石垣・
祖父江[2003:59])
基礎的な
研究へのALSの
人の
協力が
要請される。よく
読むと、
正しく
控え
目な――つまりすぐに
治療法の
発見につながるというわけではないという――
見込みが
語られる。
【94】 《
理論的に
考えても、
一〇〇〇
人の
患者さんに
協力して
戴ければ、ALSになる
危険を
二倍高める
要因を
見つけることが
可能になってきています。》(
東京大学ヒトゲノム
解析センター
長・
中村祐輔[2003b:10]――
二〇〇
三年五月の
日本ALS
協会総会での
講演。なお
協会に
要請され
寄稿した
文章に
中村[2003a])
ALSの
人の
多くは
当初から
積極的だった。
二〇〇
三年、
日本ALS
協会は
中村の
要請を
受け、ヒトゲノム
解析プロジェクトへの
協力を
決めた(『JALSA』58)。
協力者は
協力病院または
自宅で
一四tの
血液を
採取して
提供する。
当初百名のサンプルで
解析を
進め、ある
程度解析内容を
絞り
込んだ
段階で
千名のサンプルを
解析するという。このプロジェクトへの
期待は
強く、ALSの
人によって
協力の
意志が
表明され、
協力が
呼びかけられる(
佐々木[2000-a(124)(125)]
等々)。
一〇
五名が
先行して
採血に
応じ、さらに
二〇〇
三年秋、
六一〇
名が
希望し
一二月から
採血が
開始された(『JALSA』61)。」
◆2010/01/11
「京都大病院が「iPS細胞・再生医学研究会」設立」
『
読売新聞』2010-01-11
http://osaka.yomiuri.co.jp/university/research/20100112-OYO8T00706.htm
「15
日午後5
時30
分〜7
時15
分、
芝蘭会館(
京大医学部内)。
様々な
細胞に
変化するiPS
細胞(
新型万能細胞)による
再生医療の
基礎研究が
進む
中、
今後、
実際の
治療に
応用するには、
臨床医も
常に
最新情報に
触れておく
必要があることから
新設。
臨床応用に
向けた
研究の
現状や
課題を
学ぶ。
代表世話人に
中村孝志病院長が
就任し、
年2
回の
開催を
予定している。
初会合となる15
日は、iPS
細胞を
用いた
筋萎縮(いしゅく)
性側索硬化症の
研究発表や、
安全性向上に
関する
講演などを
行う。
参加費1000
円。
定員230
人(
先着順)。
問い
合わせは
同病院総務課(075・751・3005)へ。
(2010
年1
月11
日 読売新聞)」(
全文)
◆2010/01/24
「ALS:治療法開発へ、力合わせよう 協会県支部、県西部で初の集い /島根」
『
毎日新聞』2010-01-24
http://mainichi.jp/area/shimane/news/20100125ddlk32040323000c.html
「
筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)(ALS)の
患者や
家族でつくる「
日本ALS
協会島根県支部」が24
日、
県西部で
初めての「
患者・
家族の
集い」を
益田市昭和町の
益田保健所で
開いた。
患者の
家族や
友人、
保健所の
職員ら
約15
人が
出席した。
ALSは
全身の
運動神経細胞だけが
侵される
原因不明の
神経難病で、
進行すると
体を
動かすことや
話すこと、
自発呼吸などができなくなる。
同支部は
昨年、
設立10
周年を
迎えたが、これまでに
県西部で
患者や
家族の
交流会が
開かれたことはなかった。
支部長の
松浦弥生さんの
夫和敏さん(77)が「
一日も
早い
治療法の
開発に
向け、みんなで
力を
合わせてがんばっていきたい」とあいさつ。
患者の
介護を
続ける
家族が
現状などを
報告した。
家族は
県西部でALS
患者を
受け
入れる
医療機関が
少ないという
不安や「365
日ずっと
見ていないといけない」「
人工呼吸器を
付けているので
意思疎通が
難しい」など
介護の
課題を
訴えた。そして
現状改善のため、
介護ボランティアの
募集や
病気を
知ってもらう
工夫などを
提案し
合った。【
御園生枝里】」(
全文)
◆2010/02/06
「再生医療実現へ、iPS細胞「バンク」不可欠」
『
神戸新聞』2010-02-06
http://www.kobe-np.co.jp/news/kurashi/0002693366.shtml
「
再生医療の
実現に
向けた「
切り
札」として
期待される、ヒトの
人工多能性幹細胞(iPS
細胞)の
作製技術を
開発した
山中伸弥(しんや)・
京都大教授がこのほど、
大阪市内で
開かれた
市民向けのイベント「
再生医学と
脳科学の
最前線」(
大阪バイオサイエンス
研究所などの
主催)で
講演した。
同細胞の
活用法や、
自身が
提唱している「iPS
細胞バンク」などについて
解説。
同バンクをめぐっては「5
年以内に
完成させたい」と
目標を
掲げた。(
武藤邦生)
1987
年に
神戸大医学部を
卒業した
山中教授は2007
年、ヒトの
皮膚細胞に、
特殊なウイルスを
使って
四つの
遺伝子を
組み
込み
培養する
方法で、iPS
細胞の
開発に
成功し
発表。この
功績から、ノーベル
賞に
最も
近い
研究者の
一人ともされる。
□
数々のデータ
同細胞は、
手を
加えることで、
身体のどの
細胞にも
変化できる
能力と、ほぼ
無限の
増殖能力を
持ち、
再生医療を
実現するのに
極めて
重要視されている。
演壇に
立った
山中教授は「iPS
細胞を
使えば、
神経や
心臓などの
細胞を
大量に
作ることができ、(
損傷を
受けた
器官の
細胞を
作って
移植する)
再生医療の
可能性が
広がる」と
説明。マウスによる
実験では
既に、
再生医療での
治療効果を
示す
数々のデータが
出ていることにも
触れた。
また、
同バンクについて「ボランティアのドナーから
皮膚細胞の
提供を
受け、あらかじめiPS
細胞を
作製、
管理しておく」と
解説。
患者に
素早く
移植するために
不可欠なシステムであることを
示した。
一方、iPS
細胞バンクを
用いる
方法では、
他人の
細胞を
移植することから、
患者に
拒絶反応が
起こるという
問題点も
指摘。
細胞の“
血液型”に
当たるHLA
型の
適合が
必要となる。「
数万種類以上ある
全HLA
型のiPS
細胞をバンクにそろえるのは
非現実的だが、
特定の
型を
持つ50
人(
種類)の
皮膚細胞を
集めれば、9
割の
日本人に
対応できる」と
力を
込めた。
□
治療薬開発も
再生医療以外で
期待されるのが、
病気の
原因解明や
治療薬開発などの
分野。その
一つが、
運動神経細胞に
異常が
起こり、
筋肉の
萎(い)
縮(しゅく)や
筋力低下が
急速に
進む「
筋萎縮性側索硬化症(ALS)」の
研究だ。
この
点についても、
山中教授は「
患者から、
異常を
起こしている
運動神経細胞を
採取して
研究するのは
難しく、
治療法は
長らく
進展がなかった。しかしiPS
細胞の
技術によって、
患者の
皮膚細胞から、
運動神経細胞を
作ることが
可能になり、
世界中の
研究機関で、ALSの
原因の
解明や
治療薬の
探索が
進められている」と
披露した。
再生医療 病気やけがなどによって
失われた
臓器や
組織を
再生し、
機能を
回復するための
治療で、
実現が
急がれている。
完全な
機能の
再現が
難しい
人工臓器やドナーの
数に
限りのある
臓器移植の
問題点を
克服できると
期待される。さまざまな
手法が
考えられているが、
神経、
心臓、
血液などさまざまな
細胞を
作ることができる
技術としてiPS
細胞が
特に
注目されている。
【
写真説明】「iPS
細胞は
世界中で
研究されており、
競争も
激しい」。
展望について
述べる
山中伸弥・
京都大教授=
大阪市内」(
全文)
◆2010/03/06
「神経難病:解明へ、寄付講座を開設――信大医学部 /長野」
『
毎日新聞』2010-03-06
http://mainichi.jp/area/nagano/news/20100306ddlk20040073000c.html
「
神経難病:
解明へ、
寄付講座を
開設――
信大医学部 /
長野
信州大医学部(
久保恵嗣部
長)は5
日、4
月1
日に
神経難病の
原因や
病態の
解明を
目的とした
寄付講座を
開設すると
発表した。
キッセイ薬品工業(
松本市芳野、
神沢陸雄社長)が5
年間に
総額1
億6000
万円を
寄付するという。
久保部長は「
治療薬の
開発も
目指していく。
産学連携で
全面的に
協力していきたい」と
話した。
信大の
寄付講座は7
件目。
同講座の
責任者となる
信大の
池田修一教授(
内科学)によると、
研究対象にする
難病は
主に
脊髄(せきずい)
小脳失調症(SCA)と
筋萎縮(いしゅく)
性側索硬化症(ALS)。SCAは
体のバランスが
取れなくなり
歩行が
困難に、ALSは
全身の
筋肉の
神経細胞が
弱り
歩行や
呼吸不全になる
疾患。
両方ともに
原因が
不明で、
効果的な
治療薬が
無いという。07
年度の
調査で
県内には、
関連する
疾患も
合わせて
約2760
人の
患者がいるという。
同社の
御子柴今雄・
開発本部長は「
新薬開発に
向けて
企業の
動物実験だけでは
無理があり、
大学と
協力することは
有利だ」と
期待を
込める。【
渡辺諒】」(
全文)
◆2010/03/19
「「5年以内にiPSバンクを」=山中教授、再生医療学会で―広島」
『
時事通信』2010-03-19
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010031900857
「「5
年以内にiPSバンクを」=
山中教授、
再生医療学会で―
広島
あらゆる
細胞を
作ることができる「
人工多能性幹(iPS)
細胞」を
世界で
初めて
開発した
山中伸弥京都大教授は19
日、
広島市で
開かれた
日本再生医療学会で
講演し、
将来iPS
細胞を
治療に
使うため、あらかじめ
細胞を
準備しておくiPSバンクを「5
年以内に
完成させたい」と
述べた。
iPS
細胞は、
皮膚などの
細胞に
特定の
遺伝子を
導入して「
初期化」した
万能細胞。
目的の
細胞に
作り
替えれば、
再生医療に
応用できる。
患者自身の
細胞を
使えば
移植しても
拒絶反応が
起きないが、がんになる
危険性があり、
山中教授は「いかに
安全なiPS
細胞を
見分けるかが
課題。
安全性を
慎重に
検討する
必要がある」と
述べた。
その
上で、「iPS
細胞の
作製には
時間と
費用が
掛かる。
脊椎(せきつい)
損傷では、けがから10
日以内に
移植しないと
効果がなく、iPSバンクを
作るべきだ」と
訴えた。50
種類のiPS
細胞があれば、
日本人の9
割に
対応できるという。
また、
山中教授は10
年後の
達成目標として
基盤技術の
確立や
臨床試験の
実施、
筋萎縮(いしゅく)
性側索硬化症(ALS)の
治療薬開発などを
挙げた。(2010/03/19-18:28)」(
全文)
■
民間療法
さまざまな
療法がためされている。その
中にはいわゆる
西洋近代医学ではない
医療、
民間療法がある。
漢方。
◆
本田 昌義 19991121 「療友
達の
為に
行動を
起こそうと
決意した
時に
自分の
道が
開けました。」
「
発症以来今日迄、
一日も
欠かす
事も
無く「
明日目が
覚めれば、
病気は
治っているかもしれない。
或いは
何か
奇跡が
起きて
突然に
病気が
完治するかもしれない。」と、
無駄な
夢を
毎日みて
過ごしています。だから、ALS
患者のみならす
難病患者には「もしかして…」と
云う
気が
働いて、
民間療法をこころみる
人が
多い
所以であるかと
思います。」
◆「
俗に
民間療法と
呼ばれるものもいくつか
試みたことがあった。/その
一つが、アーク(?)とかいう、
放電で
生ずるスパーク
光と
熱を
患部に
当てて
治療する
方法であった。[…]/
新聞で
知った鍼
治療院も
訪ねてみた。[…]/
岡山にいる
知人からは「
難病を
治してくれるという
評判の
灸師がいる」と
教えてもらったので、
新幹線に
飛び
乗り
岡山まで
出かけたこともある。[…](p.27)/[…]
兄から、どんな
病気でも
治す
不思議な
力が
備わっている
姉妹がいるとい
話が
持ち
込まれた。[…]
仕事がらたくさんの
人と
出会い、
相手の
心を
読むことを
生業にしてきたからだと
思うが、
平常心さえ
失わなければ、
相手の
意図が
透けるように
見えることがある。
当初の
期待が
大きかっただけに、
冷めるのも
早かった。/ただ、
彼女たちの
行為が
詐欺まがいだと
断定しきれないのは、
科学的には
説明の
付かない
何らかの
能力を
持っている
可能性があることまでは
否定しきれなかったからだ。しかしその
能力が
私の
病気に
有効だったかといえば「ノー」といわざるを
得ない。かなりの
頻度で
治療を
受けいたにもかかわらず、
病気は
確実に
進行していき、やりきれない
気持ちと
虚しさだけが
積み
重なっていった。」(pp.27-28])
◆
西尾 健弥 「
私は,7
年余り
前に
身体に
異常を
感じました。
当時の
年齢は49
歳でした。それであちこちの
病院を
転々とするうちに
希に
見る
難病と
診断されたのです。この
間、
私の
場合は
右足から
麻痺が
始まったので、
腰椎のヘルニアに
間違えられて
手術を
受けました。
効果のあることを
期待しましたが
当然ありませでした。そして、
整体、
気功、
針などの
民間療法もやってみましたが、
気休めでした。
身体に
異常を
感じてから4
年で
全身麻痺になり,
呼吸困難に
陥り,
食事も
飲み
込めなくなったので,
国立石川病院に1
年8
カ月入院の
末,
昨年8
月から
在宅療養しています。」
いまのところ、
実際になおったという
方法はない。ただそれによって、
自らを、そしてみなを
鼓舞することはある。
▽「
原因の
解明されていない
現在、
適確な
治療法は
存在しないし、
今日まであらゆる
試行錯誤を
重ねた
治療法にも
確実に
有効といえるものはなかった。
従って
藁をもつかみたい
患者や
家族が、
特異な(p.215)
宗教、
民間療法に
貴重な
財産、
時間、
労力を
費すことに
異義をとなえる
資格は
医師にはない。しかしある
根拠に
基づく
仮説を
立て、
疾患の
回復、
進行の
停止、あるいは
少しでも
進行を
遅らせる
目的の
研究と
試行は、
世界的規模で
日夜続けられている。」(
永松[1998:215-216])
[◆]
長尾 「◇
民間療法に
大金
九月末、
美津子も
徳大の
医師から
告知を
受けた。「よりによって、お
父さんがそんな
病気にかかるはずがない」。
美津子も
診断が
信用できなかった。
親類に
相談すると、ALS
関連の
診療では
奈良県内の
医大が
有名だという。すぐ
二人で
訪れたが、
病名が
変わることはなかった。
同じ
重い
病気でも、がんなどの
一般的な
病気なら、
自分たちがどんな
状況に
置かれたのか
理解もできただろう。ところが、
名前を
聞いたことさえなかったALS、
何がどうなるのか
全く
分からない。
二人は
途方に
暮れた。
今動いている
手足がやがてなえてしまうとはとても
考えられなかったし、
病気が
治らないなど
思いたくもなかった。「
医者は
絶望的なことを
言うが、
何か
方法があるんじゃないか」
占いでは「
春には
治る」と
出た。あやしげな
気功師に
金を
貢いだ。
手足を
温める
器械を
法外な
値段で
買わされ、
土地が
悪いと
言われては
安値で
売り
払った。
何にでも
効くというワクチンを
購入するため
東京に
飛ぶ。
居間には
新興宗教の
祭壇が
鎮座…。
民間療法につぎ
込んだ
金は
百万円をはるかに
超える。
治療法がないとされる
病を、
現実のものとして
受け
入れるのは
簡単なことではない。わずかでも
光が
見えればと、
正体の
知れないものにもすがりついた。「ばかなことを、と
思われるでしょうがね」と
美津子は
振り
返る。(
敬称略)
◆
立岩 真也 20041115
『ALS――不動の身体と息する機械』,
医学書院,449p. ISBN:4260333771 2940
[amazon]/
[kinokuniya] ※
「3
民間療法、
他
様々な
療法が
試されるのだが、その
中にはいわゆる
西洋近代医学ではない
医療、
民間医療、
民間療法もある(
民間医療の
現在についての
本に
佐藤純一編[2000])。
【95】
本田昌義(
大分県)。《
発症以来今日迄、
一日も
欠かす
事も
無く「
明日目が
覚めれば、
病気は
治っているかもしれない。
或いは
何か
奇跡が
起きて
突然に
病気が
完治するかもしれない。」と、
無駄な
夢を
毎日みて
過ごしています。だから、ALS
患者のみならず
難病患者には「もしかして…」と
云う
気が
働いて、
民間療法をこころみる
人が
多い
所以であるかと
思います。》(
本田[1999])
【96】
一九八六年頃、
東御建田郁夫[50]。《
俗に
民間療法と
呼ばれるものもいくつか
試みたことがあった。/その
一つが、アーク(?)とかいう、
放電で
生ずるスパーク
光と
熱を
患部に
当てて
治療する
方法であった。[…]/
新聞で
知った鍼
治療院も
訪ねてみた。[…]/
岡山にいる
知人からは「
難病を
治してくれるという
評判の
灸師がいる」と
教えてもらったので、
新幹線に
飛び
乗り
岡山まで
出かけたこともある。[…]/[…]
兄から、どんな
病気でも
治す
不思議な
力が
備わっている
姉妹がいるという
話が
持ち
込まれた。[…]
仕事がらたくさんの
人と
出会い、
相手の
心を
読むことを
生業にしてきたからだと
思うが、
平常心さえ
失わなければ、
相手の
意図が
透けるように
見えることがある。
当初の
期待が
大きかっただけに、
冷めるのも
早かった。/ただ、
彼女たちの
行為が
詐欺まがいだと
断定しきれないのは、
科学的には
説明の
付かない
何らかの
能力を
持っている
可能性があることまでは
否定しきれなかったからだ。しかしその
能力が
私の
病気に
有効だったかといえば「ノー」といわざるを
得ない。かなりの
頻度で
治療を
受けていたにもかかわらず、
病気は
確実に
進行していき、やりきれない
気持ちと
虚しさだけが
積み
重なっていった。》(
東御建田[1998:27-28])
【97】
長尾義明[60]。《
今動いている
手足がやがてなえてしまうとはとても
考えられなかったし、
病気が
治らないなど
思いたくもなかった。「
医者は
絶望的なことを
言うが、
何か
方法があるんじゃないか」/
占いでは「
春には
治る」と
出た。あやしげな
気功師に
金を
貢いだ。
手足を
温める
器械を
法外な
値段で
買わされ、
土地が
悪いと
言われては
安値で
売り
払った。
何にでも
効くというワクチンを
購入するため
東京に
飛ぶ。
居間には
新興宗教の
祭壇が
鎮座…。
民間療法につぎ
込んだ
金は
百万円をはるかに
超える。/
治療法がないとされる
病を、
現実のものとして
受け
入れるのは
簡単なことではない。わずかでも
光が
見えればと、
正体の
知れないものにもすがりついた。「ばかなことを、と
思われるでしょうがね」と
美津子は
振り
返る。》(『
徳島新聞』[2000])
【98】
西尾健弥[65][71]、
一九九七年。《
私は、
七年余り
前に
身体に
異常を
感じました。
当時の
年齢は
四九歳でした。それであちこちの
病院を
転々とするうちに
希に
見る
難病と
診断されたのです。この
間、
私の
場合は
右足から
麻痺が
始まったので、
腰椎のヘルニアに
間違えられて
手術を
受けました。
効果のあることを
期待しましたが
当然ありませんでした。そして、
整体、
気功、
針などの
民間療法もやってみましたが、
気休めでした。
身体に
異常を
感じてから
四年で
全身麻痺になり、
呼吸困難に
陥り、
食事も
飲み
込めなくなったので、
国立石川病院に
一年八カ月入院の
末、
昨年八月から
在宅療養しています。》(
西尾[1997])
【99】 《
針とか
灸とか
漢方薬など
東洋医学と
称するものから
宗教まで、
実に
様々な
勧めを
受けた。もちろん、もしかしたら
治るかもしれないという
微かな
期待を
抱いていったのだが、
数か
月後にはそれが
幻想であることを
病の
進行が
教えてくれるのだった。/
東洋医学と
称する
先生方はどこでも
同じような
二つのことを
言われた。
一つは「
体の
機能が
元どおりになることは
確約できないけれど、
少なくとも
現状維持は
可能と
思う」[…]もう
一つは[…]
迷って
訪ねた
東洋医学の
先生方は、そろって
腰にメスを
入れる
必要はなかったのではと、あたかもそれが
原因であるかのように
同じ
言葉を
聞かされた。その
都度疑いを
深め、
安易に
医師に
任せて
手術に
同意した
自分を
責め、そして
悔やんだ。》(
八木[1988]。
乙坂[1996-1997:(2)30-32]に
掲載)
二番目の
方は、
発病の
三年前にカリエスの
疑いで
開腹したがその
兆候はなかったという
経験に
関わる。
東京都に
住んでいた
八木は、「
体に
触れて
治療を
受ける
方が、もしかしたら
治るかもしれないという
期待がもてるように
感じられ」、
冬の
三か
月を
金沢郊外の
整骨院で
過ごし、
好転の
兆しなく、
家に
帰ることになる。
「
近代医学」でない
人たちもまた、いかにもその
人たちが
言いそうなことを
言う。そして
近代医学と
呼びうる
中にも
様々あり、その
中にも
正統・
正当なものとそうでないとあるのだが、その
境界はときに
定かではない。
以下は
静山社(↓
第7
章4
節)
刊行の
本から。その
中で、
著者は
最後までその
療法に
肯定的、というのは
正確でなく、
効果の
現れないことや
不調を
各所で
記しながら、
最後は
肯定的である。
【100】
愛知県で
看護師をしていた
山田徳子は
一九八六年に
発症。
一九八九年、『
奇跡のがん
療法』という
本を
読み
横浜サトウクリニックの
院長・
佐藤一英に
手紙を
出す。
三月九日《
今夕、
先生自らお
電話をいただいた。「
効くから、できるだけ
早く
来るように」とのこと。/
私にとってのラストチャンスに
賭けてみたい。[…]「
寝たきり」でなく、
二本の
脚で
立ち、「
人」として
生きるためのラストチャンスなのだ。》(
山田[1989:58])
名古屋から
横浜に
通って、「
免疫療法」を
受けはじめる。
三月二三日《
精製されたリンパ
球が
一〇〇tほど
注射された」([:59])。
六月一日《
二回目のリンパ
球を
受けてから、
体調があまりよくない。かえって
病気を
進めたようにさえ
感じる。
暗中模索、
未踏の
第一歩を
踏みこんだところだから、いろいろなことが
起こって
当たり
前だろう。》([:75])。
七月一三日、
第三回《
二回目の
苦しかった
脱力も、「
免疫療法の
通る
途だから」と
先生に
言われた。この
療法がどこまで
効果があるのか、
今のところ
誰にもわからない
未知の
世界だと
思う。
初めから、
駄目でもともとと
思って、
自分のALSに
対する
考え
方を
試してみたかったのだ。たとえこの
療法を
手がけたことにより、
生きる
時間が
短縮したとしても、
消極的に
死を
待つよりはるかに
意義深いことであり、
充実している。》([:84])。
九月一八日《
横浜へ
行く。
今回は
連絡が
思わなくなく、リンパ
球体が
間に
合わなかった。
代わりにグロブリン
製剤を
注射していただいた。
先生の
自信に
満ちたお
話は
勇気づけられた。》([:99])。
一〇
月五日《
四回目の
免疫療法の
後、
脱力の
度合いはいつものように
軽くなった。
機能の
方は
容赦なく
減退していく。》([:102])。
一一月三〇
日、
五回目([:121])。
九〇
年一月三〇
日、
六回目([:141])。
三月三〇
日、
七回目《
今日は
記念すべき
日である。
免疫療法で、
学問的には
治療の
効果が
実証された、と
先生が
言われた。
自分の
体が
今一つはっきりせず、
明らかな
進行の
停止が
認めらないため、
両手をあげて“
万歳三唱”と
喜ぶわけにはいかないが、
朗報には
違いない。
何年も
不治という
名の
下に
甘んじてきたのだから。
変性した
神経細胞は
再生が
困難というより、
不可能とされている。だが、
生体の
限りない
神秘を
経験している
今、これも
可能な
範囲だと
考えられる。》([:156-157])
【101】 その
横浜サトウクリニック
院長の
佐藤一英が、
山田の
著書の「
序文にかえて」を
書いている。
最初のやりとりの
部分など、
山田の
記述とまったく
整合しない
部分があるが、それが
一冊の
本に
載っている。《
山田徳子さんのことを、ご
主人より
相談されました。「よし、やってみよう」と
返事はしたものの、その
効果についてはまったく
予測しえないことでした。/しかし、
一回、
二回と
二か
月ごとに
注射していくにつれ、
症状が
改善され、
免疫グロブリンの
正常化へと
変化していくことがわかりました。》(
佐藤[1989:1-2])
この
人は
亡くなったが、「
佐藤免疫療法友の
会「
一英会」」は
存続していてホームページがある(http://www2.ocn.ne.jp/~ichiei/file/syoukai.html)。
【102】
国立療養所神経筋難病研究グループのホームページ「
神経筋難病情報サービス」では
次のように
記されている。《
筋萎縮性側索硬化症の
原因[…]/
自己免疫性説/
運動神経を
攻撃し、
変性壊死を
生じる
自己抗体が
出来ているという
説です。ALSの
患者の
一部で、
単一クローン
性高ガンマグロブリン
血症を
伴うものがあることと、
動物実験による
成績から
提唱されていますが、
通常、
自己免疫性疾患に
対して
極めて
有効なステロイド
療法、
免疫グロブリン
療法ではALSの
進行を
止めることは
出来ません。》(
国立療養所神経難病研究グループ[1996-])」(
立岩[2004])
■
◆
山田徳子は
一九八六年に
発症、
一九八九年、『
奇跡のがん
療法』という
本を
読み
横浜サトウクリニックの
院長・
佐藤一英に
手紙を
出す。
三月九日「
今夕、
先生自らお
電話をいただいた。「
効くから、できるだけ
早く
来るように」とのこと。/
私にとってのラストチャンスに
賭けてみたい。[…]「
寝たきり」でなく、
二本の
脚で
立ち、「
人」として
生きるためのラストチャンスなのだ。」(58)
名古屋から
横浜に
通って、「
免疫療法」を
受け
始める。
三月二三日「
精製されたリンパ
球が
一〇〇ccほど
注射された」(59)。
六月一日「
二回目のリンパ
球を
受けてから、
体調があまりよくない。かえって
病気を
進めたようにさえ
感じる。
暗中模索、
未踏の
第一歩を
踏みこんだところだから、いろいろなことが
起こって
当たり
前だろう。」(75)
七月一三日、
第三回。「
二回目の
苦しかった
脱力も、「
免疫療法の
通る
途だから」と
先生に
言われた。この
療法がどこまで
効果があるのか、
今のところ
誰にてもわからない
未知の
世界だと
思う。
初めから、
駄目でもともとと
思って、
自分のALSに
対する
考え
方を
試してみたかったのだ。たとえこの
療法を
手がけたことにより、
生きる
時間が
短縮したとしても、
消極的に
死を
待つよりはるかに
意義深いことであり、
充実している。」(84)
九月十八日「
横浜へ
行く。
今回は
連絡が
思わなくなく、リンパ
球体が
間に
合わなかった。
代わりにグロブリン
製剤を
注射していただいた。
先生の
自信に
満ちたお
話は
勇気づけられた。」(99)
一〇
月五日「
四回目の
免疫療法の
後、
脱力の
度合いはいつものように
軽くなった。
機能の
方は
容赦なく
減退していく。」(102)
十一月三十日、
五回目(121)。
九十年一月三〇
日、
六回目(141)。
三月三十日、
七回目。「
今日は
記念すべき
日である。
免疫療法で、
学問的には
治療の
効果が
実証された、と
先生が
言われた。
自分の
体が
今一つはっきりせず、
明らかな
進行の
停止が
認めらないため、
両手をあげて”
万歳三唱”と
喜ぶわけにはいかないが、
朗報には
違いない。
何年も
不治という
名の
下に
甘んじてきたのだから。
変性した
神経細胞は
再生が
困難というより、
不可能とされている。だが、
生体の
限りない
神秘を
経験している
今、これも
可能な
範囲だと
考えられる。」(
山田[1989:156-157])
◆
国立療養所神経難病研究グループ 1996- 『
神経難病情報サービス』
http://www.saigata-nh.go.jp/nanbyo/index.htm
→「ALS」→「
筋萎縮性側索硬化症の
原因は
何ですか?」
「
筋萎縮性側索硬化症の
原因
自己免疫性説
運動神経を
攻撃し、
変性壊死を
生じる
自己抗体が
出来ているという
説です。ALSの
患者の
一部で、
単一クローン
性高ガンマグロブリン
血症を
伴うものがあることと、
動物実験による
成績から
提唱されていますが、
通常、
自己免疫性疾患に
対して
極めて
有効なステロイド
療法、
免疫グロブリン
療法ではALSの
進行を
止めることは
出来ません。」
http://www.saigata-nh.go.jp/nanbyo/als/alsgen.htm
「4
引き
換えに
直接に
払うもの
これまでを
振り
返ると、
原因が
解明され、
治療法が
開発されるだろうと
言われつづけたが、その
予想は
外れてきた。その
限りではALSの
人たちが
得たものはない。ただ、その
可能性があることで
希望が
得られ、それが
生きていく
糧になったとしたら、
意味があったと
言ってよいはずだ。
可能性があり、その
実現に
向けて
進んでいることを
知ることで、
自らを、そしてみなを
鼓舞することはある。
私たちは、
実現しなかった
希望、まだ
実現しない
希望全般に
意味がないとは
思っていない。
ただ、なおった
方がよいがまだその
方法は
見出されていないというだけでなく、この
状態にALSがあることに
関わり、ALSの
人たちと
医療との
関係に
関わって、
三つほどのことが
起こっている。そしてその
三つは、いずれもALSの
人たちが
暮らしていくのによいことではない。
第一に、
直接の
支払いについて。
結果として
効かなくとも、
少なくとも
一時の
希望が
得られるものにはみな
価値があり、その
限りでは
民間療法であれなんであれみな
等価だということになるだろうか。
私を
含め
非正統的とされるものの
肩をもってしまいがちな
人は、こうした
態度に
親近感をもつ。ただ、どのような
療法であっても
正と
負の
面があり、
効果に
比して
支払うものが
大きいことがある。
負のものはまず
薬剤等の
副作用である。わかっていてあえて
使用することもあるが、
予測されない
作用が
出る
場合があり、
予期しうるのに
本人に
知らされない
場合もある。ALSの
場合には
副作用で
重篤な
状態になった
人がいることが
報じられたことはないが、
他の
病気では
副作用で
状態を
悪化させたり
命を
失うこともある。そして、
医療保険で
支払われることもあるにせよ、
費用がかかる。さらには
本人は
時間を
費やし、
治療を
受ける
時は
他の
場にいることができない★02。そして
結局うまくいかなければ、
失望がある。
だから、ひとときの
希望でも
与えるものであればそれでよいとは
言えない。
効果がある
見込みがないことがわかっていて、それを
隠して
提供し、そこから
利益を
得るなら、それは
不当な
行いだとされるだろう。
医療者・
医学者の
側にも、
非正統的医療に
対する
自らの
優位は
現状において
存在しないことを
認めながら、しかし
詐欺師に
比べれば
真面目にやっていると
思う
人たちがいて
当然ではある。
【103】
永松啓爾(
大分県立病院院長)。《
原因の
解明されていない
現在、
適確な
治療法は
存在しないし、
今日まであらゆる
試行錯誤を
重ねた
治療法にも
確実に
有効といえるものはなかった。
従って
藁をもつかみたい
患者や
家族が、
特異な
宗教、
民間療法に
貴重な
財産、
時間、
労力を
費すことに
異義をとなえる
資格は
医師にはない。しかしある
根拠に
基づく
仮説を
立て、
疾患の
回復、
進行の
停止、あるいは
少しでも
進行を
遅らせる
目的の
研究と
試行は、
世界的規模で
日夜続けられている。》(
永松[1998:215-216])
ALSの
場合、なおって
得るものがとても
大きいと
感じられるために、
支払い
失うものは
相対的に
小さく
見られることになる。さらに
結果として
得られるものがまだなくとも、その
希望のある
間は、
希望があること
自体がよいことである。これらはみな
当然のことだと
私は
思う。
けれども
一つには、ALSであるままで
得られるものが――もっと
多くできるのに、この
社会の
出来具合のために――
少なくされていて、その
分なおることの
価値が
高くされ、そのために、なおるために
支払ってもよい
代償も
高くなってしまうことがある。つまり、なおらない
状態での
暮らしが
困難である
分なおることへの
期待が
大きくなり、なおるために
払う(が
今のところその
結果は
得られない)
支払いも
大きくなってしまう。
そしてその
暮らしの
困難は、
今のところ
医療によって
除去することはできないが、
社会の
側で
別の
手立てをとれば
軽減することはできる。できるのに
実際にはなされておらず、
困難は
減らず、それで
支払いも
大きくなる。なくてすむ
支払いは
少ない
方がよいのだから、この
状態はよいことではない。
5 なおすための
空間になおらない
人がいること
第二に、なおすための
空間になおらない
人がいることによって、その
人はよく
生きていくことができなくなることがある。
医療者に
限らず、
命を
救ってしまおうとすることはあり、
何かを
止めたら
死んでしまうだろう
時にそれを
止めるのをためらうことはある。そして
医療者はそうした
場面に
立ち
合うことが
多く、また
命を
救うのが
仕事とされている。
例えば、
救急車で
運ばれた
意識をなくしている
人に
救命のための
処置をする。それは
義務であるともされる。しかし
人を
救おうとする
一般的な
性向や、
一般的に
医療が
果たすべき
職務としての
救命や
生命の
維持という
契機を
別にすれば、
医療が
積極的に
関わろうとするのは、
一つには
収益に
結びつく
場合、
少なくとも
経営に
資する
場合であり、
一つにはなおせる
可能性のある
場合であり、どちらでもないときには
違ってくる。
収益の
有無、
多寡はその
時々の
制度のあり
方に
左右される。
例えば
比較的経費をかけずに
病院に
留め
置くことができ、
医療保険等からの
収入が
経費を
上回るなら、その
人を
病院に
引き
止めておくことは
経営上は
有利なことがある。
他方で
受け
入れることが
損失につながる
場合には
受け
入れられにくい。
病院の
側はことさらに
利益を
志向していなくとも、
経営は
維持せねばならないから、その
人は
歓迎されない。それで
入院を
断られるか、
転院・
退院を
促される。
病院に
入院しつづけざるをえないことも、
入院できずまた
退院せざるをえないことも、
社会が
設定した
条件によるのだから、
医療・
医療者だけにその
責を
帰せられることではない。ただ、ALSの
人の
場合には、
制度が
変わっていくらかは
事態はよくなっているはずである[457]。だから
病院経営上の
問題だけがあるのではない。
ALSはやがてなおる
病気になるだろう。だが
今のところは
原因不明であり
不治である。だから
少数の
研究者にとってはその
研究の
対象となるが、それ
以外の
医療者にとっては、
日々の
身体の
状態の
維持のために
必要なこと
以外にすることはそうない。なおすことにその
仕事の
価値を
見出しているなら、なおせない
人から
価値を
受け
取ることができない。
身体を
楽な
状態に
保つことはALSの
本人にとってはとても
大切なことだが、
医療の
側の
関心を
引くことではない。
【104】 《
医学生の
中には、こんな
面倒な
病気には
何をしても
無駄だと
悲観的になり、
腫れものに
触るような
反応を
起こすものと、
何とかして
治療法を
見つけたいと
理想に
燃えるタイプがあるが、
後者も
医師となって
時がたつにつれ、
理想もしぼんでいく。》(
八瀬[1991:15])
なおすことが
仕事であり
仕事の
価値であるなら、なおらないことは
無価値であったり
価値の
否定でありうる。そこから「
意味のない
延命」という
言葉までの
距離は
比較的近い。[316]に
引用する
文中には、「
学会の
権威者」が「ALSには
人工呼吸器をつけるべきでない。なぜなら
不治の
病であるから」と
言ったとある。
緊急事態への
対応として
呼吸器を
付けてしまうことがあるが、それは、なおらないから、
望ましくないと
考えられる。そして、
死の
方に
向けて
積極的に
何かするのでなく、
死にゆくのを
見守っていさえすればよいのであればそれほど
抵抗感はないかもしれない。いったん
呼吸器を
付けたら
外すことかできないから、
冷静に
反省的に
考えるなら
呼吸器を
付けない
方がよい、
本人にそのように
決める
時間を
与えようと
言う
人がいる。
【105】
第6
章で
紹介する
鈴木千秋の
本の
中に
次のような
箇所がある。
一九七五年。《
学友森医師から、「この
病気は
放置すれば
自然窒息か
肺炎併発を
待つことになるが、それは
最も
残酷だ。
今の
状態では
気管切開し、
栄養は
鼻腔注入をすすめる」といわれたが、この
日、
主治医藤沢医師に
伺うと、
全く
反対の
意見を
述べられた。/「
目の
前で
窒息状態を
見せられれば、
無意識に
手が
動いて
気管切開を
行なってしまう。しかし
冷静に
考えればこれはすべきではない。[…]
自然悪化に
委ねるほかはない。
気切手術はこのような
老人にはショッキングにすぎるし、
声は
完全に
出なくなる。たとえそれによって
呼吸が
楽になっても
死期は
目前にある。》(
鈴木[1978:101])
医療者はなおすことが
仕事である
人たちであり、なおらないことに
肯定的になれない。
【106】
医者は《
治療と
成功を
好む。
自分が
有能でないと
見られるのは
好まない。しかし、
障害を
持つ
患者や
慢性的な
病人はそれこそ
自分の
無能の
証明である。
患者は
医者が
心理的に
距離を
置いているのを
当然感じる。
患者は
孤立感を
味わう。
病院で
過ごしたことがある
障害者は
誰でも
経験している。
医者から
受けるやさしい
軽蔑にはほとんど
敵意に
近いものすらある。》(Gallagher[1995=1996:353]。
立岩[2005]で
紹介)
【107】 《
医者を
救済者とみようとする
理想主義は、
速やかに
患者に
対する
攻撃的な
感情に
変わってしまい、ついにはラディカルな「
最終的」
処方を
求めるようになる。》(Pross & Gotz eds.[1989=1993:5]。
立岩[2005]で
紹介)
そんなことはない、それは
言いがかりだと
反論する
医師もいるだろう。
反論する
人は
真面目な
人たちだから、その
反論はその
人自身に
即すれば
当たっているだろう。また、
右の
引用はドイツのナチス
政権の
時代になされた
病者・
障害者の
安楽死(むしろ
明白な
殺人、
立岩[1997b:236-237,263-265])やその
時期の
医師たちの
行動について
記した
本からだが、そうした
悪行を
行なった
者たちと
自分たちは
同列に
扱われたくないと
思うのも
当然のことだ。ただそれでも、こうした
傾向があることは
否定できない。
次に、
同時に、
医療の
場はなおらず
亡くなることが
多く
起こる
場であり、それが
日常の
出来事である
場でもある。それで、その
場で
働く
人たちはなおらないことや
死ぬことに
慣れていて、それらに
耐性がある★03。
慣れていること
自体はその
仕事をする
人にとって
必要なことでもある。
慣れていなければ、いちいち
大きな
衝撃を
受けてしまい、それでは
身がもたない。だからこのこと
自体をそう
責めるわけにはいかない。また、
利用者の
側からも
必要とされることがある。
狼狽したり
興奮したりしている
者たちがいる
中で、
一定の
距離を
保ち、ことを
円滑に
進める
役を
担う
人も
必要なことがある。
葬儀屋が
死者の
死を
悲しまないことを、たんたんと
仕事を
進めてくれる
人を
必要としている
私たちは
責めたりはしない。
ただ、そうした
人に
裁量が
任されるなら、
困ることが
生じてしまうことがあることを、これからいくつかの
場面で
見る。それはまず、
知らせること、
知らせないこと、そのあり
方に
関わってくる。
病院ではやっかいなことが
起こりすぎるのだが、そこで
働く
人たちはそのことに
慣れてもいるし、
慣れないとやっていけないのでもある。
知らせたり
知らせなかったするそのあり
方もこのことに
影響されるだろう。そして
次に、
人が
死ぬことについて
感じることを
少なくせざるをえない
人、
摩耗し
感じることが
少なくなってしまった
人は、
死んだこと、
死んでいくことを、
慣れていない
人に
比較すれば、
容易に
受け
入れるかもしれない。この
人たちに
任せられると、より
多く
人は
死の
方に
引き
寄せられることがある。
以上を
乱暴に
短く
繰り
返すと、
医療者は、なおらないことに
否定的であり、
同時に、なおらないで
死んでいくことには
慣れてもいるということだ。そして
社会はそのような
場に、(
少なくとも
今のところは)なおらない
人を
置いておく。その
環境はその
人が
生きて
暮らしていくのに
快適なものではない。
6 なおらない
間にすべきことができないこと
第三に、もっぱらなおることに
関心が
向かう
時、また
医療(
加えるに、いわゆるリハビリテーション、
看護)という
資源だけに
頼らざるをえない
間、ALSの
人たちは、なおらないことを
前提にとりあえずしたらよいこと、またすべきことがうまくできず、うまく
生きることができないことがある。
技術による
解決が
望まれるが、その
方法は
今のところ
見出されていない。いずれたしかな
方法が
見出されるとして、それには
相当の
時間はかかるだろう。だから、
見出されるまでの
間は、それはそれとして、ないものはないとしてやっていくしかない。なおらないままで
生きていくための
方策をとるしかない。だがそのようになかなか
事態は
推移してこなかった。
図式的に
言えば、
障害者で(も)ある
現実に
対する
力がもっと
強くなってよいのに、
病者という
枠組によってなかなか
強くならなかった。
ALSは
障害なのか
病気なのか。ALSの
人は
病者なのか
障害者なのか。むろん、
言葉は
様々な
意味に
使うことができ、それぞれの
言葉が
示す
範囲を
変更することができるから、それによって
答は
変わってくる。ただ
一般に、
病は
健康と
対比されるものであり、
苦しかったり
気持ちが
悪かったりする。また
死んでしまうこともあり、よからぬものとされる。また
障害とは、
身体の
状態に
関わって
不便であったり
不都合であったりすることがあるということだ。
病によって
障害を
得ることはあるから、
両方を
兼ねることはある。ALSは
病気ではある。そして
同時に
機能障害が
生ずる。ALSの
人たちは
同時に、
病人・
病者でもあり
障害者である
人たちだ。
答としてはまずはこれでよい。
そして
制度との
関係でもALSの
人たちは
両方である。まずALSは「
難病」である。この
難病という
言葉自体が
行政的な
呼称でもある。
一九七二年に「
特定疾患治療研究事業」が
開始され、「
厚生省特定疾患」に
指定された
病気(これが
行政用語としての「
難病」ということになる★04)については、
政策として
研究を
推進することになり、
症例を
研究に
生かすという
趣旨で、
医療費の
補助がなされてきた。
特定疾患に
指定されている
病気にかかった
人には
保健所に
申請すると「
特定疾患医療受給者証」が
交付される。
そして
同時に、ALSにかかると
身体の
様々なところが
動かなくなる。そこでこちらは
福祉事務所か
役所の
担当の
課に
申請し
判定を
受け、「
身体障害者手帳」を
交付されて、
障害者ということになる。
ただ、
人によって、どちらを
強調するか、
受け
入れるかは
同じでないようだ。
患者という
規定が
先に
来る
人たちもいる。どうしてだろう。
事故等で
途中から
障害者になる
人たちもたくさんいるから、
障害者である/ないは
生まれつきの
区分ではないのだが、それでも、
障害者という
言葉には、あらかじめ
他の「
一般人」と
分けられた
集団というイメージがあるのかもしれない。それに
対して
病気の
方は、
可能性としては
誰もがなるものという
意識があるのかもしれない。そして、
病気については
治療のしようがあるはずだ、
本来は
一時的なもののはずだという
希望もまた
込められているのかもしれない★05。
他方、
障害者でもあることが
言われることもある。
病者ではなく
障害者だという
言われ
方もされる。
【108】 《
私は
呼吸器を
装着すれば、その
時から
患者は
病人ではなくなると
考えている。
頭の
働き・
感覚は
正常であり(
寧ろ
冴える)、
吸引・
経管注入・
排便・
体位交換・
及び
寝たきりによる
痛い、
痒い、だるい
等々に
二四時間極めて
手のかかる
身体障害者だと
思う。/
呼吸器を
装着後ある
時期を
過ぎると、やがて
長期安定状態に
入っていく》(
新田・
新田[2003(1):83])
【109】
本田昌義[95]。《これは
私の
持論ですが、「ALSは
病気ではない。
唯、
全身の
運動神経が
犯された
障害者です。だから
介助があれば
何でも
出来るのです。」と》(
本田[2000:33])
【110】
橋本みさお[48]。《ALSは
難病であると
同時に
最重度の
障害者でもあるのですから、ハンディが
多い
分の
努力が
必要であると
思いますし、
障害者のニーズに
対応するのは
福祉行政の
責務だと
考えています。ALS
患者が「
社会に
生きる」ためには、
本人の
自覚はもとより 「
医療・
福祉・
行政」の
協力が
不可欠です。》(
橋本[1998a])
《
私は
常に、ALS(
筋萎縮性側索硬化症)
患者を、
最重度の
障害者であると
捉えています。ハンディの
大きい
者が
地域社会に
生きるためには、
応分の
努力をすることは、
至極当たり
前のことで、その
努力に
応えることは
社会の(
行政の)
責務と
考えています。》(
橋本[2001a])
【111】 《どうも
私は、
患者としての
自覚に
欠けるらしい。/
師走に「
街頭募金をしましょう」と、
熊本事務局長に
提案したところ、「
街頭でなくても
良いでしょう、まして
患者さんが
寒さの
中屋外に
出る
必要はない」と、
何ともつれないお
返事でした。/しかし
患者扱いされることのない
私には、
納得できるお
返事ではありません。》(
橋本[2000a:30])
【112】 《
今回、
私がこの
場で、
皆様の
貴重なお
時間をいただいた
大きな
理由は、「ALSは
死病ではなく
最重度の
障害を
伴う
病である」と、
伝えたかったからなのです。》(
橋本[2000c]。デンマークでの
国際会議(↓
第11
章4
節)での
発言)
まず、
病巣が
拡大し
病状が
進行する、あるいは
縮小し
治癒するといった
捉え
方より、
身体機能の
低下、できないことの
増加、また
固定として
捉える
方がALSの
現実に
即しているという
認識がある[108]。そして、できないことは
補えばできる、そのために
必要なものが
必要だという
主張になる[109][110]。
また、
医療・
医療者が
対応するのが
病気であるともされるのだが、
前節に
述べたように、ALSの
場合、
医療はときに
必要だが、
医療の
内部に
囲いこまれてしまうとよいことにはならない。そんな
思いもここにはあるかもしれない。
他の
障害のある
人たちの
中からも
自分たちは
病人ではないと
言われることがある。それは、
医療サービスを
必要とするのではなく、ゆえに
医療機関で
医療者に
管理される
必要もないのだと
言っている。このことはALSの
人たちについても、いくらかは、
言える。
さらにALS
協会の
当時の
事務局長に
食ってかかっている
橋本の
言[111]には、おとなくしていればよいとされることに
対する
抵抗がある。
社会学に「
病人役割」という
言葉がある。
誰もが
知っていることに
名前をつけただけだから、
誰が
言ったかなどどうでもよいことだが、パーソンズという
人が
言ったことになっている(Parsons[1958][1964=1973]、その
医療社会学について
高城[2002])。
病気の
場合には、
闘病すること、
病気と
闘うことはよしとして、それ
以外の
社会的責務が
免除されることがあることが
言われる。
米国の
人類学者が、
良性骨髄腫瘍で
全身が
麻痺していく
自らとその
周囲の
世界とをフィールドにして
書いた
著名な
本には
次のように
紹介されている。
【113】 パーソンズの《
論文は
悲しいことにしちめんどうくさい
学術用語で
書かれているのだが、しかし
何とか
翻訳してみれば
何のことはない、
病気になったことがある
者なら
誰でも
知っていることをいっているにすぎない。つまりこうだ。
通常の
社会的役割――
母親、
父親、
弁護士、パン
屋、
学生等々――は、その
人が
病気になったとたんに
効力を
一時停止する。その
人は“
病人”という
規定を
受け、
病気の
軽重により
通常の
義務の
一部、あるいは
全部から
解放される。/
通常の
義務の
一時停止とはいっても、
病人という
役割を
演じる
者に
義務が
全くなくなってしまうということはない。いやむしろひとつの
大きいやつを
背負い
込まされる。つまり、
回復に
向けて
努力を
惜しまないという
義務だ。》(Murphy[198=1992:31-32])
それで
楽ができる
時もあるのだが、それはその
人が
社会的行為者としては
認められにくいということでもある。
病人は
黙っているものだとされてしまうと、
何か
言いたいことがある
時には
困る。もちろん、
病人だからといってこの
役割を担なければならないということはないのだから、
病人のままでこの
役割を
拒絶すればよいのではある。ただ、
病気と
治療にだけ
関心が
向けられると、それ
以外の
部分に
向けられてよい
力が
削がれるということはある。
ALSは、うまく
工夫して
身体の
状態を
保つことができれば、
必ずしも
苦痛をもたらすものではない。また
死がすぐにもたらされるものでもない。そしてなおすというやり
方では
今のところは
生きつづけることができず、
対応のしようのないところがある。
他方、
筋肉が
動かなくなって、できなくなることが
出てくる。その
限りでは
障害者であるという
性格の
方が
強い。だが、なおるまでの
間、なおらないままで
生きていくための
手立てを
十分に
得られてこなかった。
それを、
病気としての
把握、
病人としての
認識が
強かったせいにしてしまうことはできない。
本人たちも
支援するた
人たちも、
生命・
生活の
維持のために
必要なものが
何かはわかっていたし、その
必要性もずっと
訴えてきた。ただ、どこまで
腰を
据えてそれをい
張れたかである。また
支援する
側は、
医療や
看護以外の
支援が
必要なことがわかってはいても、どれだけそれを
現実に
動かせたか、
有効に
機能させることができたかである。さらに、その
人たちの「
職域」がときにはALSの
人の
生活を
阻害するように
働くこともある。このことを
第10
章でみる。
7
補:
医療の
社会(
科)
学について
[…]」(
立岩[2004])
立岩真也
UP:20030714(
資料:20020718〜より
分離) REV:1218,19,21 20040221,26 0408,12 0525, 20100410, 19, 0918
◇
ALS
◇
「難病」