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立岩真也「資格/医療的ケア」
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資格しかく医療いりょうてきケア

ただせいあたりに・7

立岩たていわ しん 2010/11/01 『月刊げっかん福祉ふくし』93-(2010-11):
全国ぜんこく社会しゃかい福祉ふくし協議きょうぎかい http://www.shakyo.or.jp/

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cf.
立岩たていわ しん也 2010/08/26 あいだちがった資格しかく研修けんしゅう使つかかたいまあるものさえこわしてしまう」さわがいしゃ政策せいさく推進すいしん議員ぎいん連盟れんめい難病なんびょう対策たいさく推進すいしん議員ぎいん連盟れんめい合同ごうどう勉強べんきょうかい 於:東京とうきょう参議院さんぎいん議員ぎいん会館かいかん

医療いりょうてきケアをめぐ議論ぎろん

 介護かいご職員しょくいんとうによるたんの吸引きゅういんとう実施じっしのための制度せいどかたかんする検討けんとうかい今年ことしなながつはじまっている。
 背景はいけいには、高齢こうれいしゃ施設しせつなどでらすひとたちのなかに、たんの吸引きゅういんとう「いわゆる」医療いりょうてきケアが必要ひつようひとおおくなっていることがあるのだろう。実際じっさいにはそこにはたらひとおこなっているのだが、医療いりょう看護かんご資格しかくをもつひとかぎられる仕事しごと規定きていした法律ほうりつ抵触ていしょくする可能かのうせいがある。そこをえて、その仕事しごとができるひと範囲はんいひろげようというすじでおおむねすすんでいる。
『唯の生』表紙  拙著せっちょただせい』(筑摩書房ちくましょぼう〇〇きゅう)では、「医療いりょうから福祉ふくしへ」という――おおきくは間違まちがっていないだろう――スローガンのもと、施設しせつであれ在宅ざいたくであれうつされたさき医療いりょう、そして「いわゆる」医療いりょうてきケアをけられず、時期じきはやまり、そしてそれでよいかのようにされるというできごとがこったことをしるした(だいしょう有限ゆうげんでもあるからひかえることについて――その時代じだいこったこと」)。
 病院びょういんでできること、そしてすべきことのおおくは、べつのところでもできる。なのにそれをおこなわないこと、おこなえないところにすことは間違まちがっている。それはえるべきだ。それはうまでもない、とわたしおもうから、これはここまで。
 ここではもうすここまかなこと、しかし、すくなからぬひと生死せいしかかわることについて。どんなひとに「いわゆる」――とかえすのは面倒めんどうなのでこのぐらいにしておくが――医療いりょうてきケアをおこなうことをみとめるのかが議論ぎろんされている。

資格しかく品質ひんしつ保証ほしょうのためにだけ

 ここでてくるのがひとつには介護かいご福祉ふくし看護かんごといった資格しかくだ。
 資格しかく意義いぎなにか。このことについては、だれいてもおなばなしになるはずだが、わたし文章ぶんしょうでは「資格しかくしょく専門せんもんせい」(進藤しんどう雄三ゆうぞう黒田くろだ浩一こういちろうへん医療いりょう社会しゃかいがくまなひとのために』世界せかい思想しそうしゃ)にいた。資格しかく英語えいごでは qualification である。それは「品質ひんしつ保証ほしょう」のためにある。消費しょうひしゃ直接ちょくせつ選択せんたくすれば、消費しょうひしゃみずからによいものをえらぶはずだから、それだけでよいというかんがかたにも一理いちりある。しかしそれがむずかしい場合ばあい現実げんじつにはあり、そういう場合ばあい第三者だいさんしゃ品質ひんしつ保証ほしょうをする。つまりそれは「消費しょうひしゃ保護ほご」のためにある。
 ただ、その資格しかくは、ときにみずからの仕事しごと確保かくほしたりやすために使つかわれることがある。これはいかにもありそうなことであり、歴史れきしおしえることでもある。
 そしてやっかいなのは、ある仕事しごと資格しかく制限せいげんするのが、その「本義ほんぎ」にかなったことであるのか、それとも「利害りがい」あってのことであるのか、ときに判断はんだんむずかしいことである。後者こうしゃからんでいても、前者ぜんしゃであると主張しゅちょうすることはできるし、またときに本気ほんきしんじていることもある。
 ではこのたびはどうなのか。

必要ひつようなことはすでにはっきりしている

 まず、ずっと家族かぞく吸引きゅういんなどをおこなってきた。それは「ぎょう」としてではないからということで許容きょようされてきた。基本きほんからればもちろんへんなことである。(もちろん、だからしてならないなどとわたしかんがえているわけではない)。つぎに、もうなんじゅうねんまえから、法的ほうてきには「グレー」だとされたりしながら、家族かぞくがい介助かいじょ介護かいごしゃがやってきた。それがあってはじめて自分じぶんらしたいところでらせるひとたちがてきた。家族かぞく負担ふたんかるくなった。
 たしかに一定いってい技術ぎじゅつ必要ひつようである。いたいこと、危険きけんなことをされたらかなわない。直接ちょくせつ指図さしずできる本人ほんにんが、あるいは習熟しゅうじゅくした(習熟しゅうじゅくしてしまった)家族かぞくが、その本人ほんにんにあったやりかたおしみ、そしてそれがひとにもつたえられ、さらに本人ほんにん家族かぞくがチェックするといったふうにして、うまくやれてきたところもある。ただ、それもまたどこでもだれでもできることではない。そこで、その技術ぎじゅつならい、あわせて、こころがまえとしてさえておくべきことをく。ALS(すじ萎縮いしゅくせいがわさく硬化こうかしょうをもうながいことやっている橋本はしもとみさおさんが理事りじちょう「さくらかいなどがそんな講習こうしゅうかいはじめ、つづけてきた。わたしも、東京とうきょう千葉ちば京都きょうとで、わたし技術ぎじゅつてきなことはおしえられないからそれ以外いがいのことを、幾度いくどはなさせてもらったことがある。それでうまくいっている。それがひろがって、ようやくきていられるひとがいる。
 今回こんかいは、すくなくとも在宅ざいたく部分ぶぶんについては、資格しかくでしばるといった乱暴らんぼうなことにはならないようだ。講習こうしゅうけてもらうということになるようだ。それはまあよしとしよう。けれどその講習こうしゅうがどんなものであればよいのか。
 技術ぎじゅつそのものを習得しゅうとくするにはそれほど時間じかんはかからない。それより大切たいせつなのは文字もじばんでコミュニケーションするひとだったらそれができるようになること、たとえば吸引きゅういん前後ぜんごこまかな指図さしずること、そのひとこのみやくせることだ。もちろんそれは、その「医療いりょうてきケア」だけして、つぎひとのところへといったるい専門せんもんしょくしゃができることではないし、事前じぜん講習こうしゅう時間じかんをかければできることでもない。そのひとかかわりながらできるようになることだし、できるようになってきたことだ。そのことはわたしたちの大学院だいがくいん院生いんせい看護かんごでもある西田にしだ美紀みきがその研究けんきゅうあきらかにしている。安全あんぜんにすべき官庁かんちょう慎重しんちょうになるのは当然とうぜんだ。しかし、いままでげられた実績じっせきらずに、資格しかくでしばるのはもちろん、講習こうしゅう過度かど不要ふよう時間じかんすなら、ようやく可能かのうになった生活せいかつ破壊はかいしてしまう。こんな一見いっけんこまかく、実際じっさいこまかいことがひとせいにをめる。検討けんとうかい今後こんご、そののルールづくりがどうなるかになる。

 雑誌ざっしでは「おこなう」→「おこなう」とうになるほかはこのまま掲載けいさいされるはずです。


UP:20100905 REV:20101009(誤字ごじ訂正ていせい
医療いりょうてきケア  ◇医療いりょうてきケア・2010  ◇立岩たていわ しん  ◇Shin'ya Tateiwa
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