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立岩真也「資格/医療的ケア」
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資格
しかく
/
医療
いりょう
的
てき
ケア
唯
ただ
の
生
せい
の
辺
あた
りに・7
立岩
たていわ
真
しん
也
2010/11/01 『
月刊
げっかん
福祉
ふくし
』93-(2010-11):
全国
ぜんこく
社会
しゃかい
福祉
ふくし
協議
きょうぎ
会
かい
http://www.shakyo.or.jp/
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
cf.
◆
立岩
たていわ
真
しん
也 2010/08/26
「
間
あいだ
違
ちが
った
資格
しかく
・
研修
けんしゅう
の
使
つか
い
方
かた
は
今
いま
あるものさえ
壊
こわ
してしまう」
,
障
さわ
がい
者
しゃ
政策
せいさく
推進
すいしん
議員
ぎいん
連盟
れんめい
・
難病
なんびょう
対策
たいさく
推進
すいしん
議員
ぎいん
連盟
れんめい
合同
ごうどう
勉強
べんきょう
会
かい
於:
東京
とうきょう
・
参議院
さんぎいん
議員
ぎいん
会館
かいかん
■
医療
いりょう
的
てき
ケアを
巡
めぐ
る
議論
ぎろん
「
介護
かいご
職員
しょくいん
等
とう
によるたんの
吸引
きゅういん
等
とう
の
実施
じっし
のための
制度
せいど
の
在
あ
り
方
かた
に
関
かん
する
検討
けんとう
会
かい
」
が
今年
ことし
の
七
なな
月
がつ
に
始
はじ
まっている。
背景
はいけい
には、
高齢
こうれい
者
しゃ
の
施設
しせつ
などで
暮
く
らす
人
ひと
たちの
中
なか
に、たんの
吸引
きゅういん
等
とう
「いわゆる」
医療
いりょう
的
てき
ケアが
必要
ひつよう
な
人
ひと
が
多
おお
くなっていることがあるのだろう。
実際
じっさい
にはそこに
働
はたら
く
人
ひと
が
行
おこ
なっているのだが、
医療
いりょう
・
看護
かんご
の
資格
しかく
をもつ
人
ひと
に
限
かぎ
られる
仕事
しごと
を
規定
きてい
した
法律
ほうりつ
に
抵触
ていしょく
する
可能
かのう
性
せい
がある。そこを
変
か
えて、その
仕事
しごと
ができる
人
ひと
の
範囲
はんい
を
広
ひろ
げようという
筋
すじ
でおおむね
進
すす
んでいる。
拙著
せっちょ
『
唯
ただ
の
生
せい
』(
筑摩書房
ちくましょぼう
、
二
に
〇〇
九
きゅう
)では、「
医療
いりょう
から
福祉
ふくし
へ」という――
大
おお
きくは
間違
まちが
っていないだろう――スローガンのもと、
施設
しせつ
であれ
在宅
ざいたく
であれ
移
うつ
された
先
さき
で
医療
いりょう
、そして「いわゆる」
医療
いりょう
的
てき
ケアを
受
う
けられず、
死
し
ぬ
時期
じき
が
早
はや
まり、そしてそれでよいかのようにされるというできごとが
起
お
こったことを
記
しる
した(
第
だい
3
章
しょう
「
有限
ゆうげん
でもあるから
控
ひか
えることについて――その
時代
じだい
に
起
お
こったこと」)。
病院
びょういん
でできること、そしてすべきことの
多
おお
くは、
別
べつ
のところでもできる。なのにそれを
行
おこ
なわないこと、
行
おこ
なえないところに
追
お
い
出
だ
すことは
間違
まちが
っている。それは
変
か
えるべきだ。それは
言
い
うまでもない、と
私
わたし
は
思
おも
うから、これはここまで。
ここではもう
少
すこ
し
細
こま
かなこと、しかし、
少
すく
なからぬ
人
ひと
の
生死
せいし
に
関
かか
わることについて。どんな
人
ひと
に「いわゆる」――と
繰
く
り
返
かえ
すのは
面倒
めんどう
なのでこのぐらいにしておくが――
医療
いりょう
的
てき
ケアを
行
おこ
なうことを
認
みと
めるのかが
議論
ぎろん
されている。
■
資格
しかく
は
品質
ひんしつ
保証
ほしょう
のためにだけ
要
い
る
ここで
出
で
てくるのが
一
ひと
つには
介護
かいご
福祉
ふくし
士
し
や
看護
かんご
師
し
といった
資格
しかく
だ。
資格
しかく
の
意義
いぎ
は
何
なに
か。このことについては、
誰
だれ
が
書
か
いても
同
おな
じ
話
ばなし
になるはずだが、
私
わたし
の
文章
ぶんしょう
では「
資格
しかく
職
しょく
と
専門
せんもん
性
せい
」(
進藤
しんどう
雄三
ゆうぞう
・
黒田
くろだ
浩一
こういち
郎
ろう
編
へん
『
医療
いりょう
社会
しゃかい
学
がく
を
学
まな
ぶ
人
ひと
のために』
、
世界
せかい
思想
しそう
社
しゃ
)に
書
か
いた。
資格
しかく
は
英語
えいご
では qualification である。それは「
品質
ひんしつ
保証
ほしょう
」のためにある。
消費
しょうひ
者
しゃ
が
直接
ちょくせつ
選択
せんたく
すれば、
消費
しょうひ
者
しゃ
は
自
みずか
らによいものを
選
えら
ぶはずだから、それだけでよいという
考
かんが
え
方
かた
にも
一理
いちり
ある。しかしそれが
難
むずか
しい
場合
ばあい
が
現実
げんじつ
にはあり、そういう
場合
ばあい
、
第三者
だいさんしゃ
が
品質
ひんしつ
保証
ほしょう
をする。つまりそれは「
消費
しょうひ
者
しゃ
保護
ほご
」のためにある。
ただ、その
資格
しかく
は、ときに
自
みずか
らの
仕事
しごと
を
確保
かくほ
したり
増
ふ
やすために
使
つか
われることがある。これはいかにもありそうなことであり、
歴史
れきし
が
教
おし
えることでもある。
そしてやっかいなのは、ある
仕事
しごと
を
資格
しかく
で
制限
せいげん
するのが、その「
本義
ほんぎ
」に
適
かな
ったことであるのか、それとも「
利害
りがい
」あってのことであるのか、ときに
判断
はんだん
が
難
むずか
しいことである。
後者
こうしゃ
が
絡
から
んでいても、
前者
ぜんしゃ
であると
主張
しゅちょう
することはできるし、またときに
本気
ほんき
に
信
しん
じていることもある。
ではこのたびはどうなのか。
■
必要
ひつよう
なことは
既
すで
にはっきりしている
まず、ずっと
家族
かぞく
は
吸引
きゅういん
などを
行
おこ
なってきた。それは「
業
ぎょう
」としてではないからということで
許容
きょよう
されてきた。
基本
きほん
から
見
み
ればもちろん
変
へん
なことである。(もちろん、だからしてならないなどと
私
わたし
が
考
かんが
えているわけではない)。
次
つぎ
に、もう
何
なん
十
じゅう
年
ねん
も
前
まえ
から、
法的
ほうてき
には「グレー」だとされたりしながら、
家族
かぞく
外
がい
の
介助
かいじょ
(
介護
かいご
)
者
しゃ
がやってきた。それがあって
初
はじ
めて
自分
じぶん
の
暮
く
らしたいところで
暮
く
らせる
人
ひと
たちが
出
で
てきた。
家族
かぞく
の
負担
ふたん
が
軽
かる
くなった。
たしかに
一定
いってい
の
技術
ぎじゅつ
は
必要
ひつよう
である。
痛
いた
いこと、
危険
きけん
なことをされたらかなわない。
直接
ちょくせつ
に
指図
さしず
できる
本人
ほんにん
が、あるいは
習熟
しゅうじゅく
した(
習熟
しゅうじゅく
してしまった)
家族
かぞく
が、その
本人
ほんにん
にあったやり
方
かた
を
教
おし
え
込
こ
み、そしてそれが
他
た
の
人
ひと
にも
伝
つた
えられ、さらに
本人
ほんにん
や
家族
かぞく
がチェックするといったふうにして、うまくやれてきたところもある。ただ、それもまたどこでも
誰
だれ
でもできることではない。そこで、その
技術
ぎじゅつ
を
習
なら
い、あわせて、
心
こころ
がまえとして
押
お
さえておくべきことを
聞
き
く。
ALS(
筋
すじ
萎縮
いしゅく
性
せい
側
がわ
索
さく
硬化
こうか
症
しょう
)
をもう
長
なが
いことやっている
橋本
はしもと
みさお
さんが
理事
りじ
長
ちょう
の
「さくら
会
かい
」
などがそんな
講習
こうしゅう
会
かい
を
始
はじ
め、
続
つづ
けてきた。
私
わたし
も、
東京
とうきょう
や
千葉
ちば
や
京都
きょうと
で、
私
わたし
は
技術
ぎじゅつ
的
てき
なことは
教
おし
えられないからそれ
以外
いがい
のことを、
幾度
いくど
か
話
はな
させてもらったことがある。それでうまくいっている。それが
広
ひろ
がって、ようやく
生
い
きていられる
人
ひと
がいる。
今回
こんかい
は、すくなくとも
在宅
ざいたく
の
部分
ぶぶん
については、
資格
しかく
でしばるといった
乱暴
らんぼう
なことにはならないようだ。
講習
こうしゅう
を
受
う
けてもらうということになるようだ。それはまあよしとしよう。けれどその
講習
こうしゅう
がどんなものであればよいのか。
技術
ぎじゅつ
そのものを
習得
しゅうとく
するにはそれほど
時間
じかん
はかからない。それより
大切
たいせつ
なのは
文字
もじ
盤
ばん
でコミュニケーションする
人
ひと
だったらそれができるようになること、
例
たと
えば
吸引
きゅういん
の
前後
ぜんご
の
細
こま
かな
指図
さしず
を
受
う
け
取
と
ること、その
人
ひと
の
好
この
みや
癖
くせ
を
知
し
ることだ。もちろんそれは、その「
医療
いりょう
的
てき
ケア」だけして、
次
つぎ
の
人
ひと
のところへといった
類
るい
の
専門
せんもん
職
しょく
者
しゃ
ができることではないし、
事前
じぜん
の
講習
こうしゅう
に
時間
じかん
をかければできることでもない。その
人
ひと
に
関
かか
わりながらできるようになることだし、できるようになってきたことだ。そのことは
私
わたし
たちの
大学院
だいがくいん
の
院生
いんせい
で
看護
かんご
師
し
でもある
西田
にしだ
美紀
みき
がその
研究
けんきゅう
で
明
あき
らかにしている。
安全
あんぜん
を
気
き
にすべき
官庁
かんちょう
が
慎重
しんちょう
になるのは
当然
とうぜん
だ。しかし、
今
いま
まで
積
つ
み
上
あ
げられた
実績
じっせき
を
知
し
らずに、
資格
しかく
でしばるのはもちろん、
講習
こうしゅう
に
過度
かど
で
不要
ふよう
な
時間
じかん
を
課
か
すなら、ようやく
可能
かのう
になった
生活
せいかつ
を
破壊
はかい
してしまう。こんな
一見
いっけん
細
こま
かく、
実際
じっさい
細
こま
かいことが
人
ひと
の
生
せい
き
死
し
にを
決
き
める。
検討
けんとう
会
かい
の
今後
こんご
、その
後
ご
のルール
作
づく
りがどうなるか
気
き
になる。
*
雑誌
ざっし
では「
行
おこ
なう」→「
行
おこな
う」
等
とう
になる
他
ほか
はこのまま
掲載
けいさい
されるはずです。
UP:20100905 REV:20101009(
誤字
ごじ
訂正
ていせい
)
◇
医療
いりょう
的
てき
ケア
◇
医療
いりょう
的
てき
ケア・2010
◇
立岩
たていわ
真
しん
也
◇
Shin'ya Tateiwa
TOP
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◇