アロンの杖とは、ユダヤ教の聖書『タナハ』に登場する杖である。
概要
アロンとは、ユダヤ教、そしてその流れを汲むキリスト教やイスラム教でも預言者として崇敬を受けている人物「モーセ」(モーゼとも)の兄である。
ユダヤ教の聖書『タナハ』(キリスト教で言う『旧約聖書』)の最初の5冊『トラ』(トーラーとも。キリスト教で言う『モーセ五書』)のうち、特に『出エジプト記』(旧約聖書内での呼び方)や『民数記』(こちらも同様、旧約聖書内での呼び方)で、彼が使った杖について言及される。
また、キリスト教の聖典『新約聖書』の『ヘブライ人への手紙』でも「芽したるアロンの杖」として言及される。
本数
なお、『出エジプト記』で様々な奇跡を起こしたとされる「元々はモーセの杖だがアロンも使った」杖と、『民数記』で登場した「芽を吹いて花を咲かせアーモンドの実を結んでおり、アロンの名前が記された」杖が同一視される場合もある。
だが、後述するように『民数記』では「レビ氏族から提出させた杖にアロンの名前が記された」のであって、描写を素直に取るなら「この時点で新たにアロンの杖とされたもの」である。
よって「アロンの杖として有名な杖は、出エジプト記バージョンと民数記バージョンで少なくとも2本ある」と解釈すべきなのかもしれない。
「出エジプト記で使われた杖がレビ氏族の間で保管されており、その杖が民数記で改めて提出されたのだ」と考えることも不可能ではないが、聖書にその事が一切記されないというのも不自然な話であり、やや強引な解釈であることは否めない。
『出エジプト記』での杖
エジプトでヘブライ人(ヘブル人、「イスラエルの人々」、いわゆるユダヤ人)がファラオの元で過酷な労役に就かされて暮らしていたとき、モーセは山の上で、神(YHWH)から「ヘブライ人たちをエジプトでの苦しみから救い出し、乳と蜜の流れる地に導く」という啓示を受けた。
モーセは当初、神のこの啓示に対して「みんなは私が神の啓示を受けたなどと信じないでしょう」と悲観的な答えを返したが、神はモーセが人を信じさせることができるように奇跡を与えた。
まず神はモーセが持っていた杖を地面に投げるように促し、モーセはその通りにした。すると杖がヘビになった。モーセはヘビを避けた。そりゃあビビるでしょ。そして神は「ヘビの尾をつかめ」ともモーセに命じた。モーセかわいそう。モーセが言われたとおりにすると、ヘビは杖に戻った。
それでもモーセが「でも私って口下手だし……」とまごついていると、神は「あなたの兄弟のアロンがいるでしょ?アロンは言葉が優れているでしょ?私の言葉をあなたがアロンに伝え、アロンがあなたの言葉を民に語ればいいの。ほらその杖で、しるしを行いなさい」と発破をかけた。
モーセは民のもとに戻った。その道すがらでモーセが神に殺されそうになるが、モーセの妻が息子のちんちんの皮を切った(割礼)ことで許されたりといった面白エピソードもあった。しかし杖に関係ないのでここでは割愛する。
そしてヘブライ人たちの長老の前でアロンがモーセの代わりに神の言葉を伝え、しるしを行ったので、長老たちは彼らを信じた。
モーセとアロンはヘブライ人を解放してエジプトから出ていくことを認めるように、ファラオに要求することになった。神はモーセに、「ファラオは『不思議を行って証拠を見せるように』と言ってくるから、あなたはアロンに『あなたの杖をファラオの前に投げる』ように言いなさい」と事前アドバイスしていた。
モーセとアロンがファラオに面会して神が言われたとおりにすると、杖はヘビに変身した。ファラオが対抗してエジプトの魔術師たちを呼び寄せて杖を投げさせると、彼らの杖もヘビとなったが、アロンの杖は彼らの杖を飲み尽くした。
それでもファラオは頑固だったので、神の指示に従ってアロンが杖でナイル川の水を打つと、川の水が血に変わり、臭くなり飲めなくなり、魚は死んだ。
その後もファラオがヘブライ人たちを去らせるという要求をき入れなかったので、アロンは神の言う通りに、杖を使ってエジプト中の水源からカエルを大量発生させたり、地のチリをブヨに変えて大量発生させた。ちなみにエジプトの魔術師たちもカエル大量発生までは同じことをしてみせたが、ブヨは真似できなかったという。それでもすげえな魔術師!
その後、頑固なファラオへの示威行為としてモーセはアブを大量発生させたり、家畜の間で疫病を流行らせたり、人や獣に膿の出る腫れ物を発生させたりもしたが、この3つの行為には杖が用いられたという明確な描写はない。
それでもファラオが音を上げなかったので、神の指示に従ってモーセが杖を天にさし伸べると、エジプトにどデカい雹が降り、その間に雷と火も閃きわたり、人も獣も畑の作物も樹木も大きな被害を受けた。それでもファラオが音を上げなかったので、また神の指示に従ってモーセが杖を天にさし伸べると東風が起こり、その風に乗ってイナゴがエジプト全土を覆い、雹の後にもなんとか残っていた作物を食い散らかした。
その後、それでもファラオはモーセに「二度と顔見せるんじゃねえ」とか言って追い払ったので、神はエジプトの人や家畜の初子を全て殺し、その混乱の中でモーセ率いるヘブライ人たちはエジプトを脱出した。
ファラオは軍勢をもってヘブライ人たちを追跡し、ついに海辺でヘブライ人たちはエジプトの軍勢に追いつかれた。モーセが「何してくれはるんですか。これならエジプトに残ってた方がマシだったやないですか」などと泣き言を言うと、神はモーセに「杖を上げて手を海に差し伸べる」ように言った。モーセが言われたとおりにすると何と海が割れ、ヘブライ人たちはそこを通って逃げることができた。エジプトの軍勢はこれを追ったが、神が海を戻したので溺れて死に絶えた。
その後、ヘブライ人たちが旅路においてレピデムというところで宿営したが、そこには水が無かった。ヘブライ人たちはモーセに「エジプトから導き出した末路が乾き死にか?」と詰め寄った。モーセが「このままじゃ私は民に石打たれて死んでしまいます!」と神に叫ぶと、神は「ナイル河を打ったあの杖で岩を打ちなさい。すると岩から水が出る」と教えた。モーセはその通りにして助かることができた。
また、そこにアマレクの民が攻撃を仕掛けてきたが、モーセは杖を手にして丘の上で祈りを捧げることにした。モーセが手を挙げている間はヘブライ人が勝ち、手を下ろすとアマレクの民が勝つという状況になったが、モーセの手が疲れて手を挙げられなくなってきた。そこで、アロンとホルという人が石をモーセの椅子代わりに用意し、さらに二人がかりでモーセの腕を支えたのでモーセは日が暮れるまで手を挙げ続けることに成功し、アマレクの民に勝利することができた。
以上のように、「アロンの杖」とは言っても、出エジプト記における「聖なる杖」は基本的にはモーセの杖であり、アロンはモーセのスポークスマン的な役割の一環として、一時的に使用しただけのような描写である。
『民数記』での杖
「民数記」では、モーセとアロンが民の上の立場にあることに不満を持った人々(中心人物はコラ、ダタン、アビラムなど)がモーセに逆らった。
神はこれに怒り、地を割ってコラやダタンやアビラムとその家族らを飲み込み、生きながら冥府送りにした。さらに彼らに同調していた二百五十名をも焼き殺した。
翌日、民衆がモーセとアロンに「あなたたちは主の民を殺しました」と不平を言うと、神はモーセに「私はただちに彼らを滅ぼすので離れておくように」との神託を下した。モーセとアロンは慌てて、あがないのために祭壇の火で薫香を焚き、アロンがそれを持って民衆の元に走ったが時既に遅く、神が疫病を民衆の間で発生させており、多数の死者も出ていた。
アロンが持参した薫香によって疫病は止んだが、それまでに1万4700人がこの疫病によって死んだ。
このままでは民の不平が起きる→神がその罰として災いを起こす→民の不平が起きる、という無限ループになっちゃう!
そこで神は、モーセに「ヘブライ人たちの家から、それぞれの父祖につき一本、合計十二本の杖を提出させなさい。そしてそれぞれの杖には父祖の名前を記しなさい」(十二父祖の内訳は、ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、ゼブルン、ベニヤミン、ダン、ナフタリ、ガド、アセル、ヤコブか)「ただしレビの杖にはアロンの名を記しなさい」「そしてあかしの幕屋の中のあかしの箱の前に置きなさい」と言った。レビはモーセやアロンの出身氏族でもある(レビの子のコハテの子のアムラムの子がモーセやアロンで、つまりレビはモーセやアロンの曾祖父にあたる)。
モーセがそのとおりにして翌朝になってみると、レビの家から提出されたアロンの杖からは芽が吹き、つぼみがつき、花が咲き、アーモンドの実が結んでいた(これにより「アーモンドの木から作られた杖だったのだろう」と推定されることもあるが、聖典にそのように材質が明記されているわけではない)。
他の十一本の杖はそれぞれの家に帰されたが、このアロンの杖だけは神の命じるところにより、あかしの箱の前におかれ、モーセやアロンに歯向かう者たちに対するしるしとされることになった。民衆がこれ以上モーセやアロンに不平を述べて死ぬことを防ぐためである。
ここから、アロンやアロンの息子エレアザル(エルアザル)が神に仕える祭司としての立場を確立させていき、彼らの一族、すなわちレビ族がその役割を世襲していくことになる。
なお、この出来事の後にも民衆が水がないことを不満に思ってモーセとアロンに迫ったことがあったが、神のアドバイスに従ってモーセがこの杖を使って岩をニ回叩くと岩から水が湧き出て、難を逃れた。これは『出エジプト記』でレピデムの地で起きたことの焼き直しであるとも解釈できる。ほぼ同様のエピソードがあることも、『出エジプト記』で登場した杖と『民数記』で登場した杖が同一視されてしまう理由の一つかもしれない。
『ヘブライ人への手紙』
新約聖書の『ヘブライ人への手紙』の中でも、この「アロンの杖」に関する描写がある。
「かつて、幕屋の前で祈りと供物を捧げる場所があり、聖所と呼ばれていた。さらに、幕屋の奥には至聖所と呼ばれる場所があり、そこには金の香壇と金張りの契約の箱とが置かれていた。契約の箱の中にはマナの入っている金の壺、芽を出したアロンの杖、そして契約の石板が入っていた」
などと記されている。
なお、これは「イエス・キリストが神と新たな契約を結んだ」ことを比喩する目的で「かつて大祭司が至聖所に入って生贄の血を捧げる贖いの儀式をしていたことと同じように、イエス・キリストもその死と血をもって非物質の至聖所に入り我らの罪を贖ってくださったのだ」と説明するための前振りのような記述であり、これ自体が重要な記述というわけではないようだ。
なお、『タナハ』(旧約聖書)のうち「諸書」に分類される『歴代誌』中のソロモン王の時代の記述として「契約の箱の内には二枚の板以外には何も無かった」と明記されている。よって、ソロモン王の時代には既に契約の箱の中からはアロンの杖は失われていたか、あるいはそもそも「契約の箱に入っていた」という『ヘブライ人への手紙』の記述が正しくない可能性もある。
上記の『ヘブライ人への手紙』の記述を元にして、日本神話の「三種の神器」に準えてか、「マナの入った金の壺」「芽したるアロンの杖」「契約の石板」の3つを「ユダヤ教の三種の神器」などと日本人が呼称することがある。だが、以上のように「派生宗教であるキリスト教の聖典で、他の重要なことを喩えて伝えようとする際に前振りとして記されただけの話」「しかも、より古いユダヤ教の聖典ではそんなことは記載されていない」という曖昧な一節でしかないため、あまりマジに考えるべきものでもないかもしれない。
関連項目
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ページ番号: 5660701
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リビジョン番号: 3141143
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