警固けいご(けいご)とは、外敵がいてきの侵入しんにゅうに対たいして国家こっかの防備ぼうびを固かため、あるいは非常ひじょうの事態じたいに対たいして天子てんしの身辺しんぺんを守まもること。
律令制りつりょうせい期きの日本にっぽんは、新しん羅らとしばしば緊張きんちょう関係かんけいに陥おちいることが多おおく、また海賊かいぞくによる襲撃しゅうげきもあった。天平てんぺい4年ねん(732年ねん)には西方せいほうの危機ききに備そなえて節度せつど使しに命めいじて「警固けいご式しき」を制定せいていした。更さらに貞さだ観かん15年ねん(873年ねん)には新しん羅らとの緊張きんちょうに備そなえて九州きゅうしゅうに俘囚ふしゅうや統みつる領りょう・選せん士しを配置はいちして警守につかせ、そのための財源ざいげんとして大宰府だざいふのある筑前ちくぜん国こくに警固けいご田でんを設置せっちしている。
日本にっぽん国内こくないにおいても天皇てんのうの譲位じょういや政変せいへんの際さいには東国とうごくとの境目さかいめの三関みつせきに固かた関せき使つかいを派遣はけんして変事へんじに備そなえる(固かた関せき)とともに、都との内部ないぶでも衛まもる府ふ・馬うま寮りょう・兵庫ひょうご寮りょうに対たいして宮城みやぎを警固けいごさせた(警陣)。天皇てんのうの移うつ御おや雷鳴らいめいなどの天変てんぺんの際さいにも同様どうようの体制たいせいが取とられ、『内裏だいり式しき』によれば毎年まいとし4月がつの賀茂かも祭さい前日ぜんじつにも衛まもる府ふによる諸もろ官かん司し等ひとしの警固けいごが祭まつりの全ぜん日程にっていが終了しゅうりょうするまでの4日間にちかん実施じっしされたという。
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