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葵祭 - Wikipedia

葵祭あおいまつり

京都きょうと賀茂かも祖神そしんしゃ賀茂かもべつ雷神らいじんしゃおこなわれる例祭れいさい
賀茂かもさいから転送てんそう

葵祭あおいまつり(あおいまつり、正式せいしきには賀茂かもさい)は、京都きょうと賀茂かも祖神そしんしゃ下鴨神社しもがもじんじゃ)と賀茂かもべつ雷神らいじんしゃ上賀茂かみがも神社じんじゃ)で、5月15にち陰暦いんれきよんがつなかとり)におこなわれる例祭れいさい[1]石清水八幡宮いわしみずはちまんぐうみなみさいたいきたさいともいう。平安へいあん時代じだい、「まつり」といえば賀茂かもさいのことをした。

葵祭あおいまつり
Aoi Matsuri
路頭の儀。腰輿(およよ)に乗る斎王代
路頭ろとうこし輿こし(およよ)にとき王代おうだい
イベントの種類しゅるい まつ
正式せいしき名称めいしょう 賀茂かもさい(かもさい)
開催かいさい時期じき 5月15にち
会場かいじょう 上賀茂かみがも神社じんじゃ下鴨神社しもがもじんじゃ
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みそぎのあとのとき王代おうだい以下いか女人にょにんれつ

概要がいよう

編集へんしゅう

いし清水しみずさい春日しゅんじつさいともさんみことのりさいひとつであり、庶民しょみんまつりである祇園祭ぎおんまつりたいして、賀茂かもけんぬし朝廷ちょうてい行事ぎょうじとしてっていたのを貴族きぞくたちが見物けんぶつおとずれる、貴族きぞくまつりとなった。京都きょうと観光かんこう資源しげんとしては、京都きょうとさんだいまつひと[2]

平安へいあん時代じだい以来いらい国家こっかてき行事ぎょうじとしておこなわれてきた歴史れきしがあり、日本にっぽんまつりのなかでも、数少かずすくない王朝おうちょう風俗ふうぞく伝統でんとうのこされている。

あおいはなかざった平安へいあん後期こうき装束しょうぞくでの行列ぎょうれつ有名ゆうめいとき王代おうだい主役しゅやくおもわれがちだがまつりの主役しゅやく勅使ちょくしだいである。源氏物語げんじものがたりなか光源氏ひかるげんじ勅使ちょくしつとめる場面ばめん印象いんしょうてきである。大気たいき不安定ふあんてい時期じきおこなわれるため、にわかあめれることがおおく、1995ねん平成へいせい7ねん)には雨天うてんによって戦後せんごはつ中止ちゅうしになった。また2020ねんれい2ねん)・2021ねんれい3ねん)は、新型しんがたコロナ感染かんせんしょう拡大かくだい防止ぼうし観点かんてんから、「路頭ろとう」が中止ちゅうしとなっている[3]

1969ねん5月15にち近畿放送きんきほうそうテレビ(当時とうじ現在げんざいのKBS京都きょうとテレビ)が、はつのテレビ実況じっきょう中継ちゅうけいおこなった。

葵祭あおいまつり賀茂かも祖神そしんしゃ賀茂かもべつ雷神らいじんしゃ例祭れいさいで、ふるくは賀茂かもさい、またはきたまつりともしょうし、平安へいあん中期ちゅうき貴族きぞくあいだでは、たんに「まつり」とえば葵祭あおいまつりのことをさしていた。賀茂かもさい葵祭あおいまつりばれるようになったのは、江戸えど時代じだいの1694ねん元禄げんろく7)にまつり再興さいこうされてのち、当日とうじつ内裏だいり宸殿の御簾みすをはじめ、牛車うしぐるま御所車ごしょぐるま)、勅使ちょくし供奉ぐぶしゃ衣冠いかん牛馬ぎゅうばにいたるまで、すべてあおいかざるようになって、このがあるとされる。

 
二葉ふたばまもる(賀茂かもまもる)

もともと古代こだいより、賀茂かも神社じんじゃかみもんとして使つかっていた二葉ふたばまもる(別名べつめい賀茂かもまもる)がさらなる由来ゆらいである。著名ちょめい徳川とくがわあおいもん原型げんけいともわれ、徳川とくがわ家康いえやす先祖せんぞである松平まつだいら信光のぶみつ賀茂かも朝臣あそんしょうしていたことや、松平まつだいら出身しゅっしん三河そうご賀茂かもぐん松平まつだいらきょうでもあることから、『「あおい」も葵祭あおいまつり有名ゆうめい京都きょうと賀茂かも神社じんじゃとの関連かんれんふかい』とべる研究けんきゅうしゃ[4]実際じっさい徳川とくがわ葵祭あおいまつり重視じゅうししており、徳川とくがわ家茂いえもち上洛じょうらくした1863ねんに、孝明天皇こうめいてんのう随行ずいこうしてとも葵祭あおいまつり参列さんれつしている[5][6]

まつり起源きげん沿革えんかくは、欽明天皇てんのうの567ねん国内こくない風雨ふううがはげしく五穀ごこくみのらなかったので、当時とうじ賀茂かも大神おおがみ崇敬すうけいしゃであった伊吉いきちわか日子にっしうらなわせたところ、賀茂かもかみ々のたたりであるというので、わか日子にっし勅命ちょくめいをおおせつかって、4がつ吉日きちじつ祭礼さいれいおこない、うまにはすずをかけ、ひといのししあたま(ししがしら)をかぶって駆競かけくらべ(かけくらべ)をしたところ、風雨ふううはおさまり、五穀ごこくゆたかにみのって国民こくみん安泰あんたいになったという。819ねんひろしひとし10ねん)には、朝廷ちょうてい律令りつりょう制度せいどとして、もっと重要じゅうよう恒例こうれい祭祀さいしちゅうまつ)にじゅんじておこなうという国家こっかてき行事ぎょうじになった。

源氏物語げんじものがたりにも、葵祭あおいまつりときおうれつ見物けんぶつしようと、光源氏ひかるげんじつまあおいじょうろくじょう御息所みやすんどころが、車争くるまあらそいをえんじた場面ばめん登場とうじょうする。 それから10ねん以上いじょうち、光源氏ひかるげんじむらさきじょう桟敷さじきせきからまつ見物けんぶつする場面ばめんがある。ちなみに、むらさきうえおさなころ光源氏ひかるげんじ勅使ちょくし役目やくめえて休暇きゅうかむかえたさいに、牛車うしぐるまなかまつりを一緒いっしょ見物けんぶつしていた。

さまざまなぜん(5がつ3にち流鏑馬やぶさめ神事しんじ・5月12にち御蔭おかげさい阿礼あれい神事しんじ)がおこなわれるが、なかでも流鏑馬やぶさめ神事しんじ(やぶさめしんじ)が有名ゆうめいである。ただすもり(ただすのもり)の真中まんなかにある全長ぜんちょう500メートルの馬場ばば(ばば)を、公家くげふう装束しょうぞく姿すがた武家ぶけふうかり装束しょうぞく姿すがた射手しゃしゅ(いて)たちが疾走しっそうする馬上まけから、3つのまと射抜いぬくというものである。

伏射ふくしゃ(やぶさめ)」ともかれる流鏑馬やぶさめは、その文字もじしめすようにること。うまはしらせながら正確せいかくまと射抜いぬ高度こうど技術ぎじゅつ必要ひつようとされるため、人気にんき行事ぎょうじひとつである。

雄略天皇ゆうりゃくてんのう即位そくいとし457ねん)、「騁射(うまゆみ)」をおこなったと『日本書紀にほんしょき』がつたえ、「賀茂かもさい民衆みんしゅうあつめて騎射きしゃきんず」の記事きじが『ぞく日本にっぽん』にしるされるなど、ふる歴史れきし日本にっぽん古来こらい馬術ばじゅつとされる。

射手しゃしゅのかけごえ「イン、ヨー」とは「陰陽いんよう」のこと。みごと的中てきちゅうすれば五穀ごこくみのり、しょねがい成就じょうじゅするといいつたえられている。ぶんかめ2ねん1502ねん)に中絶ちゅうぜつしたが、昭和しょうわ48ねん1973ねん)、下鴨神社しもがもじんじゃ式年しきねん遷宮せんぐう記念きねん行事ぎょうじとして復活ふっかつ。「ただすもり流鏑馬やぶさめ神事しんじ保存ほぞんかい」によって公家くげ装束しょうぞくによる流鏑馬やぶさめ保存ほぞん伝承でんしょうされている。

また、上賀茂かみがも神社じんじゃでは競馬けいばかい神事しんじ(くらべうまえじんじ)などがおこなわれる。

宮中きゅうちゅう路頭ろとう社頭しゃとう

編集へんしゅう

葵祭あおいまつりは、宮中きゅうちゅう路頭ろとう社頭しゃとうの3つからるが、うち宮中きゅうちゅう現在げんざいではおこなわれていない。

5月15にちしり[* 1]先頭せんとう検非違使けびいし[* 2]山城やましろ使つかい[* 3]内蔵ないぞうりょう史生ふみお[* 4]うまりょう使[* 5]まいじん[* 6]近衛このえ使勅使ちょくしだい[* 7]陪従ばいじゅう[* 8]内蔵ないぞう使[* 9]からなる騎馬きば文官ぶんかん武官ぶかん中心ちゅうしんとするほんれつ勅使ちょくしれつと、とき王代おうだい後述こうじゅつ)をはじめとする女人にょにんれつ、これら平安へいあん時代じだい衣装いしょうにまとった人々ひとびと牛車うしぐるまとともに京都きょうと御所ごしょから下鴨神社しもがもじんじゃ上賀茂かみがも神社じんじゃまでやく8kmのみちのりを行列ぎょうれつする路頭ろとう(ろとうのぎ)がおこなわれる。

下鴨神社しもがもじんじゃ上賀茂かみがも神社じんじゃにおいては、実際じっさい勅使ちょくしであるてのひらてんしょくてのひらてん祭文さいぶん奏上そうじょうする社頭しゃとう(しゃとうのぎ)がとりおこなわれる。

有料ゆうりょう拝観はいかんせき受付うけつけ

  • 路頭ろとう行列ぎょうれつる)有料ゆうりょう拝観はいかんせき御所ごしょ下鴨神社しもがもじんじゃ参道さんどう)の受付うけつけ京都きょうと観光かんこう協会きょうかい
  • 社頭しゃとう儀式ぎしきる)有料ゆうりょう拝観はいかんせき下鴨神社しもがもじんじゃ楼門ろうもんない)の受付うけつけ下鴨神社しもがもじんじゃ

管轄かんかつがことなる。

ときおうとき王代おうだい

編集へんしゅう
 
とき王代おうだいみそぎ(みそぎ)

ときおう」(さいおう)とは、賀茂かも神社じんじゃ御杖みつえだいとしてつかえるために皇室こうしつからされた内親王ないしんのう女王じょおうのこと。

1956ねん昭和しょうわ31ねん)にときおうにちなみ、とき王代おうだい女人にょにんれつ創設そうせつされた。京都きょうとゆかりの一般いっぱん女性じょせいからえらばれ、ときおう代理だいりということで「とき王代おうだい」となる。から衣裳いしょう装束しょうぞく(からぎぬもしょうぞく)を着用ちゃくようしろりの化粧けしょうをし、歯黒はぐろける。

毎年まいとし5がつ4にちにはとき王代おうだいみそぎ(みそぎ)おこなわれる。とき王代おうだい女人にょにんたちが御手洗みたらし(みたらしいけ)にひたきよめる儀式ぎしきで、下鴨神社しもがもじんじゃ上賀茂かみがも神社じんじゃ両社りょうしゃ隔年かくねん交替こうたいおこなわれる。

なおとき王代おうだい一般いっぱん公募こうぼあるいはオーディションとうえらばれていない。かずせんまんえんわれる費用ひよう負担ふたんできることが条件じょうけんとなっているため、京都きょうとゆかりの寺社じしゃ文化ぶんかじん実業じつぎょうなどの令嬢れいじょうおもに20だい)が推薦すいせんとうえらばれている。莫大ばくだい負担ふたんができ、かつまつり維持いじ理解りかいがある一部いちぶいえ令嬢れいじょう事実じじつじょうかぎられるため、一部いちぶ資産しさん役割やくわり集中しゅうちゅうし、ははとき王代おうだいであったというれい数多かずおおく、姉妹しまいそろってとき王代おうだいや、祖母そぼはは本人ほんにんさんだいつづけてとき王代おうだいであるというれいもある。

1956ねん初代しょだいとき王代おうだいは、現在げんざい易学えきがくあや」のうらなをしている女性じょせいえらばれた[7]1994ねん平成へいせい6ねん)には華道かどう池坊いけのぼう家元いえもと池坊いけのぼうせんひさし二女じじょ池坊いけのぼう美佳みか2005ねん平成へいせい17ねん)には京都きょうとのゲームソフト開発かいはつ会社かいしゃトーセ社長しゃちょう長女ちょうじょ2006ねん平成へいせい18ねん)には西国さいこくさんじゅうさんしょ15ばん札所ふだしょこん熊野くまの観音寺かんおんじ住職じゅうしょくさんじょ、2008ねん平成へいせい20ねん)には老舗しにせ料亭りょうていきく乃井経営けいえい村田むらた吉弘よしひろ長女ちょうじょ2009ねん平成へいせい21ねん)には裏千家うらせんけせん宗室そうしつ家元いえもと長女ちょうじょ三笠みかさみやたかしじん親王しんのうまご[8]2010ねん平成へいせい22ねん)には六波羅蜜ろくはらみつてら住職じゅうしょく長女ちょうじょ2017ねん平成へいせい29ねん)には学校がっこう法人ほうじん京都きょうと文教ぶんきょう学園がくえん理事りじちょうまご[9]2023ねんれい5ねん)には京都きょうと医師いしかい会長かいちょう次女じじょ[10]えらばれている。

1995ねん平成へいせい7ねん)は雨天うてん中止ちゅうしになったため、翌年よくねんおな女性じょせいえらばれた。2002ねん平成へいせい14ねん)には京都きょうと出身しゅっしん東京とうきょう在住ざいじゅう女子じょし大学生だいがくせいえらばれ、京都きょうとがい在住ざいじゅうしゃでははつとき王代おうだいとなった。

歴代れきだいとき王代おうだい

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女人にょにんれつ 就任しゅうにん だい 就任しゅうにんしゃ
だい1かい 1956ねん 初代しょだい 荒田あらた文子ふみこ易学えきがくあや)
だい2かい 1957ねん だい2だい
だい3かい 1958ねん だい3だい
だい4かい 1959ねん だい4だい
だい5かい 1960ねん だい5だい
だい6かい 1961ねん だい6だい
だい7かい 1962ねん だい7だい 山田やまだ博子ひろこ
だい8かい 1963ねん だい8だい
だい9かい 1964ねん だい9だい
だい10かい 1965ねん だい10代
だい11かい 1966ねん だい11だい
だい12かい 1967ねん だい12だい 森川もりかわかおる
だい13かい 1968ねん だい13だい
だい14かい 1969ねん だい14だい
だい15かい 1970ねん だい15だい
だい16かい 1971ねん だい16だい
だい17かい 1972ねん だい17だい
だい18かい 1973ねん だい18だい
だい19かい 1974ねん だい19だい
だい20かい 1975ねん だい20だい
だい21かい 1976ねん だい21だい
だい22かい 1977ねん だい22だい
だい23かい 1978ねん だい23だい 金井かない秀美ひでみ
だい24かい 1979ねん だい24だい
だい25かい 1980ねん だい25だい 西村にしむら和美かずみ
だい26かい 1981ねん だい26だい
だい27かい 1982ねん だい27だい
だい28かい 1983ねん だい28だい
だい29かい 1984ねん だい29だい 西村にしむら和紗かずさ
だい30かい 1985ねん だい30だい 川崎かわさき朋子ともこ
だい31かい 1986ねん だい31だい 井沢いざわ美紀子みきこ
だい32かい 1987ねん だい32だい
だい33かい 1988ねん だい33だい 坂下さかした美保みほ

だい34かい女人にょにん行列ぎょうれつだい34だい以降いこうとき王代おうだい葵祭あおいまつり主役しゅやくとき王代おうだい」(京都きょうと新聞しんぶん参照さんしょう

女人にょにんれつ

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とき王代おうだい中心ちゅうしんとしてその周囲しゅういに、蔵人所くろうどどころ陪従ばいじゅう[* 10]命婦みょうぶ[* 11]おんな[* 12]童女どうじょ[* 13]おんな[* 14]内侍ないし [* 15]おんな別当べっとう[* 16]采女うねめ[* 17]らのはなやかで可憐かれん行列ぎょうれつつづく。

全員ぜんいん化粧けしょうほどこすものの、とき王代おうだい以外いがい歯黒はぐろけない。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ のりじり。ふるくはろくまもる衛士えじつとめたとされる騎馬きばたい
  2. ^ けびいし。「検非違使けびいしじょう」と「検非違使けびいしこころざし」といった検非違使けびいしちょう官吏かんり
  3. ^ やましろのつかい。賀茂かも神社じんじゃは、きょうしょく管轄かんかつがい山城やましろこくくにかん管轄かんかつであったため、国府こくふ次官じかんの「山城やましろかい」を警備けいび監督かんとくにあてた。
  4. ^ くらりょうのししょう。下鴨神社しもがもじんじゃ上賀茂かみがも神社じんじゃ献上けんじょうする幣物へいもつ管理かんりする役人やくにん
  5. ^ めりょうのつかい。ひだりうままことというひだりりょう官吏かんりてた。
  6. ^ まいびと。神事しんじよう歌舞かぶ東遊あずまあそび(あずまあそび)」を武官ぶかん
  7. ^ このえのつかい。かつては、近衛このえ中将ちゅうじょう賀茂かもさい勅使ちょくしとしてつかわされる慣例かんれいがあったため。もっとも、実際じっさい天皇てんのう使つかいである勅使ちょくしとして天皇てんのうからてのひらてんしょくてのひらてんつかわされているが、勅使ちょくし行列ぎょうれつにはくわわらず、「近衛このえ使だい」とばれる代行だいこうしゃ行列ぎょうれつ参加さんかしている。
  8. ^ べいじゅう。うたらくそうする武官ぶかん
  9. ^ くらのつかい。内蔵ないぞうりょう官吏かんりで、勅使ちょくし神前しんぜん奏上そうじょうする祭文さいぶんたてまつする。
  10. ^ くろうどどころばいじゅう。斎院さいいん蔵人所くろうどどころ物品ぶっぴん会計かいけいつかさどやく)の雅楽ががく演奏えんそうする役人やくにん
  11. ^ みょうぶ。一般いっぱん女官にょかん総称そうしょうしょう袿、たんはかま
  12. ^ にょじゅ。女官にょかん下位かいで、食事しょくじつかさどる。しょう袿、たんはかま
  13. ^ わらわめ。行儀ぎょうぎ見習みならいとして奉仕ほうしする少女しょうじょ
  14. ^ むまのりおんな 神事しんじつかさど女官にょかんで、騎馬きば参向さんこうする。
  15. ^ ないじ。身分みぶんたか貴族きぞくむすめからえらばれた女官にょかん
  16. ^ おんなべっとう。斎院さいいん内侍ないし以下いか女官にょかん監督かんとくするやく
  17. ^ うねめ。斎院さいいん神事しんじつかさど女官にょかんで、とき王代おうだい同様どうようがく両側りょうがわ日蔭ひかげいとしだながす。青海あおみなみといわれる彩色さいしき模様もよう装束しょうぞく

出典しゅってん

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  1. ^ 年中ねんじゅう行事ぎょうじ事典じてん」p221 1958ねん昭和しょうわ33ねん)5がつ23にち初版しょはん発行はっこう 西にし角井かくいただしけいへん 東京とうきょうどう出版しゅっぱん
  2. ^ 古都ことあきいろど歴史れきし絵巻えまき 京都きょうと時代じだいさい”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん (2016ねん10がつ22にち). 2021ねん1がつ7にち閲覧えつらん
  3. ^ 葵祭あおいまつり行列ぎょうれつ今年ことし中止ちゅうし京都きょうとさん大祭たいさい新型しんがたコロナ感染かんせん防止ぼうし”. 京都きょうと新聞しんぶん (2021ねん3がつ15にち). 2021ねん6がつ6にち閲覧えつらん
  4. ^ りゅうたに和比古かずひこ徳川とくがわ家康いえやす源氏げんじ改姓かいせい問題もんだい」『日本にっぽん研究けんきゅうだい16ごう国際こくさい日本にっぽん文化ぶんか研究けんきゅうセンター、1997ねん9がつ、33-48ぺーじdoi:10.15055/00000770ISSN 09150900NAID 120005681725 
  5. ^ 葵祭あおいまつり」の「あおい」って?
  6. ^ 平安へいあんじょう加茂かもしゃ葵祭あおいまつり文化庁ぶんかちょう 文化ぶんか遺産いさんオンライン 歌川うたがわかおるつや 1863ねん(錦絵にしきえ,孝明天皇こうめいてんのう賀茂かも上下じょうげしゃ行幸ぎょうこう)
  7. ^ 京都きょうと御所ごしょ葵祭あおいまつりときおう物語ものがたり
  8. ^ 裏千家うらせんけHP>せん 万紀子まきこさまだい54だいとき王代おうだい
  9. ^ 京都きょうと女性じょせいあこがれ「とき王代おうだい」に同大どうだいせいせいいっぱいご奉仕ほうし
  10. ^ 葵祭あおいまつりとき王代おうだいに29さい女性じょせい会社かいしゃいん 行列ぎょうれつねんぶりに

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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