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内親王 - Wikipedia

内親王ないしんのう

皇族こうぞく女子じょしまたは称号しょうごう

内親王ないしんのうないしんのうえい: Princess)は、皇族こうぞくまたは称号しょうごうひと[1]。またはそのあたえられた皇族こうぞくのこと。敬称けいしょう殿下でんか

あきらみや成子しげこ内親王ないしんのう女子じょし学習がくしゅういん生徒せいと1938ねん昭和しょうわ13ねん)10がつ

現在げんざい内親王ないしんのう

編集へんしゅう
称号しょうごう内親王ないしんのう
 
敬称けいしょう 内親王ないしんのう殿下でんか
Her Imperial Highness the Princess
皇室こうしつ典範てんぱんだいじょう  
皇后こうごう太皇太后たいこうたいこう皇太后こうたいごう親王しんのう親王しんのう内親王ないしんのうおう王妃おうひおよ女王じょおう皇族こうぞくとする。
どうだいろくじょう  
嫡出ちゃくしゅつ皇子おうじおよ嫡男ちゃくなんけい嫡出ちゃくしゅつ皇孫こうそんは、おとこ親王しんのうおんな内親王ないしんのうとし、さんせい以下いか嫡男ちゃくなんけい嫡出ちゃくしゅつ子孫しそんは、おとこおうおんな女王じょおうとする。
どうだいななじょう  
おう皇位こうい継承けいしょうしたときは、その兄弟きょうだい姉妹しまいたるおうおよ女王じょおうは、とくにこれを親王しんのうおよ内親王ないしんのうとする。

現行げんこう皇室こうしつ典範てんぱんでは、歴代れきだい天皇てんのう直系ちょっけい卑属ひぞく男系だんけい女子じょしうち嫡出ちゃくしゅつかつ親等しんとう以内いないもの付与ふよされる。これにたいして同様どうよう男性だんせい皇族こうぞくは、親王しんのうしょうする。

また、内親王ないしんのううち天皇てんのう皇太子こうたいし女子じょしには称号しょうごうあたえられる。

女王じょおうつぎのいずれかにてはまる場合ばあい内親王ないしんのう変更へんこうされる。

  1. 皇位こうい継承けいしょうによって嫡出ちゃくしゅつ皇子おうじまたは嫡男ちゃくなんけい嫡出ちゃくしゅつ皇孫こうそんとなった場合ばあい。(皇室こうしつ典範てんぱんだい6じょう
  2. 女王じょおう兄弟きょうだいたるおう皇位こうい継承けいしょうした場合ばあい。(皇室こうしつ典範てんぱんだい7じょう
  • 現在げんざい内親王ないしんのう以下いかの2めい
生年月日せいねんがっぴ げん年齢ねんれい 今上きんじょう天皇てんのうから
続柄つづきがら
すう[注釈ちゅうしゃく 1] 称号しょうごう
  愛子あいこ内親王ないしんのう あいこ 2001ねん平成へいせい13ねん)12月1にち 22さい だいいちすめらぎ女子じょし 一世いっせい けいみや(としのみや)
  佳子けいこ内親王ないしんのう かこ 1994ねん平成へいせい6ねん)12月29にち 29さい すめらぎめい / 秋篠宮あきしののみやぶんじん親王しんのうだい女子じょし せい

古来こらいから、だいいち皇女おうじょ以下いかおんな一宮いちのみや(おんないちみや)、おんな二宮にのみやおんなさんみや…としょうすこともある。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
天皇てんのう
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天皇てんのう
 
一世いっせい親王しんのう
 
一世いっせい内親王ないしんのう
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
嫡流ちゃくりゅう
正統せいとう
 
せい親王しんのう
 
せい内親王ないしんのう
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さんせいおう
 
さんせい女王じょおう
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
永世えいせいにわたりおう
 
 
 
 
 
律令制りつりょうせい以前いぜん

すめらぎおや天皇てんのう親族しんぞく皇族こうぞくとほぼ同義どうぎ)のについて、最古さいこ文献ぶんけん資料しりょう古事記こじき応神天皇おうじんてんのう以降いこう)で、天皇てんのう男系だんけい子孫しそんは、すう男女だんじょわず、いみなしたに「おう」と表記ひょうきされた(よみは「おおきみ」)。やがて、一世いっせい子女しじょ場合ばあいは「皇子おうじ」(「皇女おうじょ」)と表記ひょうきされるようになり、せいまご以下いかの「おう」(「女王じょおう」)と区別くべつされるようになる[2]

律令りつりょうによる規定きてい

大宝たいほうれい養老ようろうれいにおいて、皇室こうしつかかわる成文法せいぶんほうさだめられ、称号しょうごう整理せいりおこなわれる。このとき天皇てんのう兄弟きょうだい一世いっせい子女しじょ親王しんのうせいまご以下いかおうさだめられた(内親王ないしんのう女王じょおうは、女性じょせいであることを明示めいじしない場合ばあいは、親王しんのうおうしょうされることもあった)[3]みは「うちのみこ、ひめみこ」といった。なお、中国ちゅうごくでは皇女おうじょふうごう原則げんそくてきに「公主こうしゅ」であり、「内親王ないしんのう」は「ひめみこ」のくん対応たいおうするものとして日本にっぽん考案こうあんされたものとみられる。べつ表記ひょうきでは、ひめ御子みこ(ひめみこ)、姫宮ひめみや(ひめみや)、うちひめ御子みこ(うちのひめみこ)などがある。

また、内親王ないしんのう婚姻こんいん相手あいてとしては、天皇てんのう親王しんのうおよびよんせい以内いないおうのみとされたが、時代じだいくだるにつれて緩和かんわされてゆき、摂関せっかんになると、藤原ふじわら内親王ないしんのうつまむかえるれいるようになり、この規定きてい空文くうぶんした[4]

古語こごでは内親王ないしんのうははとしてまれること、またはまれたを「皇女おうじょはら」(みこばら)といった[5]

親王しんのう宣下せんげ制度せいど

時代じだいくだると、平安へいあん中期ちゅうき以降いこうは、すめらぎおや急増きゅうぞうして、すうをもとに機械きかいてきあたえることにより国庫こっこへの負担ふたんしていたことから、親王しんのう宣下せんげ臣籍しんせき降下こうか運用うんようにより、男性だんせい皇族こうぞく人数にんずうのコントロールがはかられる。しかし女性じょせい皇族こうぞくについては、すめらぎおや範囲はんい規定きてい男系だんけいであり、内親王ないしんのう世襲せしゅうされない、いちだいかぎりのものであることから、おとこ兄弟きょうだいくらべると人員じんいんコントロールの対象たいしょうにはならずに、保持ほじしたまま一生いっしょうえることがおおく、親王しんのうくらべると内親王ないしんのう人数にんずうおおかった[6]

明治めいじ以降いこう

明治めいじ22ねん(1889ねん)1がつ15にち制定せいてい皇室こうしつ典範てんぱんにおいて、すう変更へんこうおこなわれ、よんせいまごまでが内親王ないしんのうせいまご以下いか女王じょおうとされる。また、内親王ないしんのう臣下しんかもの婚姻こんいんした場合ばあいは、従来じゅうらいはそのまま内親王ないしんのう保持ほじするものとされていたが、これをあらため、返上へんじょう臣籍しんせき降下こうかをすることとされた(降嫁こうかきゅう皇室こうしつ典範てんぱんだい14じょう現行げんこう皇室こうしつ典範てんぱんだい12じょう)。皇族こうぞく同士どうし婚姻こんいんをした場合ばあいは、おっとにあわせて親王しんのうまたは王妃おうひあらたにあたえられ、皇后こうごうとなる場合ばあいのぞき、ふたつの併用へいようする(女王じょおう同様どうよう)。

ちなみに皇室こうしつ典範てんぱん制定せいてい臣下しんか女性じょせい男性だんせい皇族こうぞく婚姻こんいんしたさいも、内親王ないしんのうまたは女王じょおう規定きていする条文じょうぶん策定さくてい検討けんとうされた。しかし、有栖川宮熾仁親王ありすがわのみやたるひとしんのうが「名分めいぶんよろしからず」とべ、これに反対はんたいした。内親王ないしんのう皇女おうじょしょうであり、おうごう皇統こうとうからたものにかぎるというのがその理由りゆうだった。結果けっか内親王ないしんのうはその成立せいりつ以来いらい皇女おうじょ称号しょうごうとして存続そんぞくした[7]

昭和しょうわ22ねん(1947ねん)5がつ3にち皇室こうしつ典範てんぱん改正かいせいによって、内親王ないしんのう範囲はんいせいまごまでとあらためられた。

内親王ないしんのう一覧いちらん

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近代きんだい以前いぜん

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江戸えど時代じだい

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続柄つづきがら 備考びこう なま没年ぼつねん
昭子あきこ あきこ 後水尾天皇ごみずのおてんのうだいよん皇女おうじょ 生涯しょうがい独身どくしん 1629-1675
秋子あきこ あきこ 東山ひがしやま天皇てんのうだいいち皇女おうじょ 伏見ふしみみやさだけん親王しんのう 1700-1756
きょう おきこ 後水尾天皇ごみずのおてんのうだい皇女おうじょ 明正めいせい天皇てんのう 1624-1696

近代きんだい以降いこう

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大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうしたでは「すめらぎせき離脱りだつ」ではなく「臣籍しんせき降下こうか」とっていた。

続柄つづきがら 備考びこう なま没年ぼつねん
薫子かおるこ しげこ 明治天皇めいじてんのうだい2皇女おうじょ (夭折ようせつ) 1875-1876
韶子 あきこ 明治天皇めいじてんのうだい3皇女おうじょ (夭折ようせつ) 1881-1883
章子あきこ ふみこ 明治天皇めいじてんのうだい4皇女おうじょ (夭折ようせつ) 1883
静子しずこ しずこ 明治天皇めいじてんのうだい5皇女おうじょ (夭折ようせつ) 1886-1887
昌子しょうじ まさこ 明治天皇めいじてんのうだい6皇女おうじょ 竹田たけだみや恒久こうきゅうおう婚姻こんいん 1888-1940
房子ふさこ ふさこ 明治天皇めいじてんのうだい7皇女おうじょ 北白川きたしらかわ宮成みやなりひさおう婚姻こんいん 1890-1974
允子のぶこ のぶこ 明治天皇めいじてんのうだい8皇女おうじょ 朝香あさかみやばと彦王婚姻こんいん 1891-1933
聡子さとこ としこ 明治天皇めいじてんのうだい9皇女おうじょ ひがし久邇くにみや稔彦としひこおう婚姻こんいん 1896-1978
多喜子たきこ たきこ 明治天皇めいじてんのうだい10皇女おうじょ (夭折ようせつ) 1897-1899
成子しげこ しげこ 昭和しょうわ天皇てんのうだい1皇女おうじょ もりあつしおう婚姻こんいん 1925-1961
祐子ゆうこ さちこ 昭和しょうわ天皇てんのうだい2皇女おうじょ (夭折ようせつ) 1927-1928
和子かずこ かずこ 昭和しょうわ天皇てんのうだい3皇女おうじょ 鷹司たかつかさ平通ひらどおり降嫁こうか 1929-1989
厚子あつし あつこ 昭和しょうわ天皇てんのうだい4皇女おうじょ 池田いけだたかしせい降嫁こうか 1931-
貴子たかこ たかこ 昭和しょうわ天皇てんのうだい5皇女おうじょ 島津しまつ久永ひさなが降嫁こうか 1939-
甯子 やすこ 三笠みかさみやたかしじん親王しんのうだい1女子じょし 近衞このえただし降嫁こうか 1944-
容子ようす まさこ 三笠宮崇仁親王第2女子じょし せん宗室そうしつ (16だい)降嫁こうか 1951-
清子きよこ さやこ 上皇じょうこうだい1すめらぎ女子じょし 黒田くろだけいじゅ降嫁こうか 1969-
眞子しんじ まこ 秋篠宮あきしののみやぶんじん親王しんのうだい1女子じょし 小室こむろけい降嫁こうか 1991-

[8]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 直系ちょっけい尊属そんぞく天皇てんのうからかぞえたかず

出典しゅってん

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  1. ^ 新村しんむらいずるへん広辞苑こうじえん だいろくはん』(岩波書店いわなみしょてん2011ねん)2063ぺーじおよび松村まつむらあきらへん大辞林だいじりん だいさんはん』(三省堂さんせいどう2006ねん)1862ぺーじ参照さんしょう
  2. ^ 赤坂あかさか, pp. 2–3.
  3. ^ 赤坂あかさか, pp. 5–7.
  4. ^ 赤坂あかさか, pp. 13–14.
  5. ^ 大辞泉だいじせん」(小学館しょうがくかん
  6. ^ 赤坂あかさか, p. 20.
  7. ^ 鈴木すずき正幸まさゆきしる皇室こうしつ制度せいど』(岩波書店いわなみしょてん2005ねん) 63ぺーじ参照さんしょう
  8. ^ 皇族こうぞく 天皇てんのうきん現代げんだい小田部おたべ雄次ゆうじ 中公新書ちゅうこうしんしょ 2009

参照さんしょう文献ぶんけん

編集へんしゅう
  • 赤坂あかさか恒明つねあき『「おう」とばれた皇族こうぞく吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2020ねん1がつ10日とおかISBN 978-4-642-08369-0 
  • 鈴木すずき正幸まさゆきちょ皇室こうしつ制度せいど』(岩波書店いわなみしょてん、2005ねん) ISBN 4004302897
  • 新村しんむらいずるへん広辞苑こうじえん だいろくはん』(岩波書店いわなみしょてん、2011ねんISBN 400080121X
  • 松村まつむらあきらへん大辞林だいじりん だいさんはん』(三省堂さんせいどう、2006ねんISBN 4385139059

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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